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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『帰ってきた江戸絵画 ニューオーリンズ ギッター・コレクション展』
回を調べると、この展覧会は珍しくも名古屋の百貨店が皮切りで、京都文化博物館ではちょうど1年後に開催される。それまで待っておれないので、図録だけ郵送で購入してもよかったが、電話すると、料金代引きで扱うと言う。



●『帰ってきた江戸絵画 ニューオーリンズ ギッター・コレクション展』_d0053294_197296.jpg目当ては若冲画であるから、その出品を問うと、見たことのない作品がわずかに来ているようで、それではと思って、会期最終日の1日前の10月16日に出かけた。幸い天気がよく、名古屋市内では開府400年を祝う祭りが開催中であった。それには関心がなかったが、せっかくなので今まで行ったことのない施設にも足を延ばした。その点に関しては今日のこの展覧会の感想とは別に、写真の準備が整い次第、順次それらについて3、4回の投稿を予定している。さて、ギッター・コレクションの名前は若冲ファンには馴染みだ。正しくは「ギッター・アンド・イェレン・コレクション」と呼ぶが、ホームページが充実していて、所蔵作をパソコン画面で見ることが出来るし、また英文による作品集も出ている。イェレンというのはギッターさんの夫人の名前で、ギッターさんの名前はカートと言う。それなら「カート・アンド・イェレン」が正しいのではないかと思うが、イェレンというのはギッターと同じ名字で、名前はアリスだ。つまり夫婦別姓を名乗っている。だが、展覧会名には「ギッター」とだけあるので、やはり夫主導ということか。それはともかく、ニューオーリンズと聞けばルイジアナで、これは50年代末期のロックンロールを知っている人なら誰しもの連想だが、アメリカ南部の街だ。ミシシッピがカリブ海に注ぐところに位置し、またジャズの盛んなところでも知られるが、数年前は大きなハリケーンによって壊滅的な被害を受けたことでも名高い。そんな場所に日本美術の収集があってうまく保管されるのかとも多少心配になるが、夫妻が日本美術のファンで、その場所を本拠地にするところからは仕方がない。図録の最初に書かれるように、ハリケーンの被害から収集品は奇跡的に免れたそうだ。今回の展覧会はまとまった形としては日本では2回目で、最初のものは2000年に「ZENGA」展が東京その他で開催された。この図録を当時筆者は元工作舎にいた百町さんから特製の音楽CD2枚と一緒に送ってもらい、百町さんが南天棒の絵がいいと言っていたことを思い出す。それがもうそんなに昔のこととは、にわかに信じ難い。今その図録を探しに3階に上がったが、あまりの雑然さに結局見つけられなかった。目当ての本が30分で出て来なければ諦めることにしている。それはさておいて、ギッター氏は1963年から65年まで、九州で米軍医師として勤務し、当時の妻はミリーという名で、子どもが3人いた。日本家屋に住みながら、為替レートもよかったことから、まず陶磁器を買い集め、やがて70年代から80年代にかけて大量に流通していた日本絵画に目を向け、博識な古美術商と懇意になって、その助言によって収集品を増やして行った。イェレンさんとの再婚は86年のことだ。図録に書かれるそうした簡単な記述からでもギッター氏の収集事情がよくわかるが、日本美術が好きということ以外に経済的な問題があって、誰しもそこには関心が湧く。ギッター氏と同じような経済状態にある人は日本では少なくないと思うが、同じような収集を目指す者がギッター氏と同世代にどれほどいるかと思う。企業が絵画を買い集めて企業イメージをい高めようとする行為は目立っても、個人ではごく限られるだろう。江戸時代の絵画を集めるより、西洋の人気絵画に目を向ける、あるいはブリキの玩具といったものを集める人が多いのではないだろうか。江戸時代の絵画が安価で流通したという事実は、それだけ日本人が見向かず、価値を知らないからだ。それをこうした逆輸入的な展覧会で知ることは、保存状態の点からも本当は喜ばしいことではないが、何でも経済の論理で動く時代だ。それにこうした里帰り展は、まとまった形で個人が所有すればこそで、そうでなければほとんど誰も作品に接する機会がない。
 アメリカでは江戸の日本絵画を集める人はほかにもいるが、そこで思うことは、日本以外のアジア諸国に興味を抱く人がいるかどうかだ。中国なり朝鮮の美術を収集するアメリカ人のコレクション展が日本で開催されることはほとんどないように思うが、そのことがそうした収集家が少ないことを意味するためか、あるいは日本でそうした展覧会を開いても人気がないという理由からか、こうした里帰り展を見るにつけ、疑問に思う。先日ネット・オークションに李朝のさまざまな美術品を掲載した分厚い本が出た。5000円ほどで、同じものがアマゾンで買えるかどうか調べると、送料を含めてもその出品価格より数百円安かった。そこで慌てて買う必要はないと思ったが、興味深かったのは、その本の著者がアメリカ人であることだ。京都には高麗美術館があって、それは在日朝鮮人が運営し、そのことはごくまともで驚くことではない。また、柳宗悦が朝鮮美術を愛し、収集したことからして、日本人の李朝美術のファンも多いだろう。だが、そこにはアメリカを初めとした海外の視点が欠如している。民芸はバーナード・リーチとの関係で、イギリスとは縁が深いが、李朝美術のファンがアメリカにどのようにいて、世界でどう評価されているかの視座は日本にはないし、また関心もないだろう。そのために先の洋書が意外で、その内容を見たいと思うのだが、それと同じような位置にあるのが、たとえば今回の展覧会だ。つまり、日本とは違う観点がその収集品にはあって、それを見ることで、日本美術の普遍性がよりわかるのではないかという思いだ。これは李朝の美術も同じで、高麗美術館や柳の集めたものだけでその全体像がわかるのではなく、アメリカ人の収集家がいるのであれば、それを見ることで、今までに気づかなかった別の面白さが見えて来る可能性がきわめて大きい。その論で行くと、日本の中にいて、限られた作品や書物からのみ判断すると、考えを狭めてしまう。アメリカの個人が好きで集めたものであるから、そこには日本の収集家とは異なる何かが反映している。確かに古美術商のうんちくに耳を貸してはいても、最終的に買うのは個人の好みで、ギッター氏のコレクションはギッター氏の人格を示すことになる。そして、そういう眼差しを日本から見つめることは、日本美術がどのように世界的な視野の中に位置づけれられるかを知ることでもあり、たまにこうした機会に触れることは必要だ。
 日本から流出したとはいえ、日本にはまだまだ本物が留まっているし、また欧米人が見向かないがいいものはたくさんある。その考えに立つと、ギッター氏のコレクションはささやかなものに過ぎないということになるし、それは事実でもあろうが、欧米人が好むものがどいいうものかを知っておくのは、日本美術の再発見、再評価につながる。ギッター・コレクションは、当人が好きなものを収集しているため、日本の古美術商の意見にかなりしたがっても、一風変わった作品が選ばれやすく、また時としては日本でさほど評価されていない作家の作品も蔵される。だが、コレクションはそれでいいのであって、国立博物館が系統立てて集めるもののミニ版になっては面白くない。また、一見偏りがないようなそうした公的機関の収蔵品も、かなりいい加減なものだ。何が偏りかそうでないかは立場によっていくらでも変わる。これは多くの関係者を集めて編集する美術全集でも同じことだ。そこからはみ出したものをどのように抱え込むかが個人コレクションの面白味であって、ギッター氏を初めアメリカ人コレクターの日本美術はどれもそういうところがある。今回の展覧会のカテゴリーは「若冲と奇想の画家たち」「琳派の多彩」「白隠と禅の書画」「自然との親しみ」「理想の山水」「楽しげな人生」で、全107点の出品だ。じっくりと見て行くとどれも面白く、時間がすぐに経つ。最初にいきなり若冲の展示があった。これはギッター夫妻の好みを示すのか、あるいは日本の若冲人気を思ってのことか知らないが、後者であるとすればチケットやチラシに若冲画を大きく印刷するはずなのに、そうはならず、南天棒の作品が採用された。南天棒の人気は近年高まっている気配があって、それを見越しての採用かもしれないし、またギッター夫妻の採用である気がする。最初の「若冲と奇想の画家たち」に含まれる画家は若冲のほかに蕭白、芦雪と来るのは誰でも想像出来ることだが、面白かったのは最後にかかっていた無名の絵師による17世紀前半に描かれた「熊野参詣曼荼羅図」だ。縦横とも身長ほどある著色画で、民画と言ってよい素朴な絵だが、描き込みの密度が高い。量産された絵で同じものが多く存在するというが、そう言えばどこかで見た記憶がある。だが、この絵は温かくて自分の部屋の壁にいつもかけておきたい思いをさせる。それを「奇想」のカテゴリーに含めたのは、この絵の圧倒的な面白味による。それはギッター夫妻が考えてのことかどうか知らないが、面白い絵は無名であっても積極的に評価して集めるという態度を示して好ましい。日本で「若冲と奇想の画家たち」と題して展覧会が開かれても、まずこういう絵は採り上げられないに違いない。この絵のひとつ前に位置するのは徴翁文徳の六曲一双の水墨画屏風「龍虎図」で、虎の方は明らかに李朝民画を範にした面白味がある。ここから予想されることは、ギッター夫妻が李朝の民画や、日本の民芸に少なからず関心があることで、それは韓国に近い九州にいたアメリカ人ということで多少は説明され得ることにも思える。「龍虎図」のもうひとつ前に位置する作は大雅の「太秦祭図」で、これは京都人には馴染みの奇祭を描く図で、その仙厓に通ずる漫画的な描写には思わず微笑んでしまうが、その一方でやはり民画的な温かい味わいと、簡略に描かれたにもかかわらず、どの人物も存在感を放っていることに驚きを禁じ得ず、ギッター夫妻の考える「奇想の画家たち」の意味するところが見える気がする。
 「太秦祭図」から直結し、また今回の展示を大きく特色づけるものは白隠の絵画だ。その中でも最も印象深かったのは、やはり民画に通ずる味わいのある水墨画「一富士二鷹三なすび図」で、幅は先の「熊野参詣曼荼羅図」と同じほど、高さは55センチほどの大きな横幅で、日本ではこれをかけるほどの床の間を持つ家はもう田舎にわずかしか残っていないだろう。こういう大きな絵を好むのはさすがアメリカ人と思わせられるが、同時に白隠のスケールの大きさも伝え、白隠の作を見慣れた人にも強烈な印象を残す。「一富士二鷹三なすび図」は正月に見るといいとされる夢の代表的なもので、白隠はその画題を右半分に富士山、左半分の左に鷹の羽2枚、右に黒い、つまり紫色のなすび2個と、白抜きのなすび1個の計3個を描く。そして画面右端に「これなんぞ」と、絵の意味を問うが、考えてみれば「一富士二鷹三なすび」が吉祥の夢というのも不思議なことで、この絵にからどういう意味を汲み取るかは見る者に委ねられているところがある。絵とはみなそういうものと言えるが、ここではほとんど漫画的な省略が利き、その絵の大きさもあいまって、とかく痛快で、禅のわかりやすさと同時にわかりにくさも伝えていて見飽きない。理屈抜きでそのように面白いと思わせる絵を描いた白隠にギッター夫妻は感服したはずで、今回は9点が来たが、この数は若冲以上であり、収集の力の入れようがわかる。仙厓は2点展示されたが、日本ではもう収集されるべき作は出尽くしていると思われ、それもあってギッター夫妻は南天棒に注目しているのかもしれない。このあたりは経済事情とは別に、日本の市場にどれだけ収集したい作品が出るかという、運を天に任せたような事情があり、収集は毎年予想のつかない方向で進むことが想像出来る。ギッター夫妻が好む絵は琳派の装飾的なものもあるが、だいたいは禅に通ずるものと言ってよい。また、各章に各画家が配されるかと言えば、そうではないところにギッター夫妻の好みも見えるかもしれない。たとえば先に「若冲と奇想の画家たち」に大雅の絵が含まれることを書いたが、大雅は「白隠と禅の書画」「自然との親しみ」「理想の山水」にも展示されている。これは大雅をどこに収めていいかわからない画家と捉えるべき巨匠であることを示すだろうし、またこうした章分けがあまり意味のないこととも言える。それでも何らかの分類があった方が見やすいし、記憶に残りやすい。
 まとまりのない書き方をしているが、もう少し書いておく。蕪村の作で「理想の山水」の章に展示された「寒山行旅図」は代赭色が墨の色とあいまって見事に使用されていて、蕪村の美意識や洒落た感覚があますところなく表現されている。山道を登って行くひとりの腰の曲がった老いた旅人を描き、山肌から滝が流れ、木立が近景から遠景に点在する。漫画的な省略ぶりだが、漫画家にこれほどの技術を持った者は見当たらない。蕪村は漫画家にはなれたが、漫画家が永遠に蕪村にはなれないことをこの1点でもよく示す。蕪村の絶頂期の作品で、肩肘張らずにこうした作品をものに出来た境地にあったことは、改めてその天才ぶりを示す。蕪村のこの作品では書もよく、絵にぴたりと合っているが、弟子の呉春の作もギッター夫妻はいいものを持っている。そのひとつ「徒然草(第三十一段)図」は、蕪村そのままの画風と書を思わせながらも、文字と絵が見事に均衡を保ち、描かれる画題の内容とともに忘れ難い。この呉春の作は呉春の晩年の作ではないが、次に立原杏所の作品を持って来て、その次に冨田渓仙の六曲一双屏風が展示され、えらく時代が飛ぶのが意外だ。渓仙は筆者好みの画家だが、それをギッター夫妻が購入していることは、江戸時代の絵画だけではなく、その伝統を継ぐ作品にも視野を広げていることを示し、アメリカ人ならではの鑑識眼を思わせる。都路華香の作品がアメリカにたくさん買われている現状からすれば、渓仙の絵もそうであるとしても驚くには当たらない。日本ではそれなりに人気のある渓仙だが、作品が多いこともあってか、まだまだ価格は低い。今回展示されたような大作の屏風となると、価格が張るのは当然としても飾るところがないという理由もあって、思ったほど高価ではないはずだ。どちらかと言えば仙厓ばりの作品でしかも知らない人が見れば江戸時代の作品かと思わせられるところがあって、ギッター夫妻がこの作を購入した理由がわかる気がする。十二図のうち、1図のみが群青を使っており、その色は会場で見ればえらく冴えていて、1図のみで充分に見えた。図録で今確認すると、全くそうではないところ、印刷の限界を思い知る。それは先の蕪村の代赭色も同じで、図録ではさっぱり感動がない。実際は桃色でもない、また橙色でもない、何とも表現のしようのない微妙で落ち着いた中にも華やかさのある色合いをしていた。その色合いに感じ入ったことだけでも名古屋まで行った甲斐があったほどだ。こうした展覧会では何かひとつでも記憶に残ることがあれば充分で、その意味では得るところが大きかった。筆者が手に入れたいと思ったのは「熊野参詣曼荼羅図」で、地道に探せばまだ市場から出て来るかもしれない。家に飾るには大きすぎるが、その大きい絵を壁にかけて暮らすというのも豪華な気分でよい。ただし、そうするには溢れ返る本をどこかに始末しなければならない。
by uuuzen | 2010-11-03 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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