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●「I CAN NEVER GO HOME ANYMORE」
源郷を意味するシャングリラスの大ヒット曲「家には帰れない」がラジオから鳴り響いていたことを昨日にように覚えている。小島正雄という、なかなか渋くて知的なおじさんがDJを担当していた「9500万人のポピュラー・リクエスト」でのことだ。



●「I CAN NEVER GO HOME ANYMORE」_d0053294_12273044.jpgこの番組がビートルズを初め、筆者の洋楽好きの原点になっている。このカテゴリーに何度か書いたが、ノート1ページを1週分に充てて、赤丸急上昇曲は赤で順位を書き込むなどして、毎週どんな新しい曲が登場するのかが楽しみであった。「家には帰れない」は1965年のヒットで、その番組でも何度か流れた。途中でカットせずに全曲流してくれるので、10位以下の曲は毎週かかるとは限らなかった。落ち目になって行く曲はかからず、上昇中の曲を優先するのは人情として当然だ。落ち目な存在は見向きもされない。流行歌も人間も新しいほどよい。特に10代前半の子どもにはそうだ。「家には帰れない」がヒットした年、ビートルズは「ヘルプ!」をヒットさせた。今はビートルズは神のような存在になり、シャングリラスを記憶する人は少ない。だが、当時を思い起こすと、シャグリラスの独特の味わいは今聴いても実に楽しく、時代を越える何かがある。またビートルズが彼女らの歌から着想を得たと考えられるのが、『サージェント・ペパー』に収められる「シーズ・リーヴィング・ホーム」だ。これは「家には帰れない」をいつも思い出させる。小島正雄はこの曲に関してわずかに説明した。どういう言葉であったかは忘れたが、「この曲の歌詞は警告の意味を込めたもので……」といった内容で、それが妙に脳裏に残った。そのようにして半世紀近く経って今こうしてこの曲について書こうとしていることは、その妙に残った思いをきれいに精算するためでもある。小島のニュアンスには、この曲は少年少女への発作的で反抗的な行動を牽制する意味合いを持つということがありありとあった。これは当時を考えるとさまざまな点で興味深い。アメリカと日本の差は大きく、シャングリラスがこの曲で歌ったような内容は、日本では20年かそれ以上遅かったので当時ピンと来る人は少なかったと思うが、それでも一部にはあったはずで、社会問題を扱ったいかにも暗い内容の曲を彼女たちが歌ったところに大ヒットの理由もあった。筆者が彼女たちの曲として唯一記憶するのがこの曲で、他の曲を知ったのはごく最近CDを入手したことによる。
 そのCDを入手することになった理由を書いておこう。先月散髪屋に行った時、いつものように60年代の洋楽が有線で流れていた。その時、エアロスミスの曲でよく知っているある曲の女性ヴォーカル版が流れた。エアロスミスのカヴァー曲かと一瞬思ったが、曲の雰囲気からしてそれはあり得ない。カヴァーしたのはエアロスミスの方で、そうなるとオリジナルを歌う女性コーラス・グループは誰かという疑問が湧いた。曲の雰囲気は60年代前半は明らかで、アメリカでは当時よくあった女性グループのひとつではあるのは間違いない。そして帰宅して調べた。息子がエアロスミスのCDを全部持っているので訊ねると、筆者の口ずさむメロディからは知らないと言う。それにとっくにエアロスミスのCは全部売り払ったと言う。埒が明かないので、彼らのアルバムをアマゾンで片っ端から聴くとようやくわかった。そしてその曲を今度はグーグルで調べるとシャングリラスであることがわかった。なるほどと思った。実は彼女たちの「家には帰れない」を何年も前からこのカテゴリーで取り上げるつもりであったから、これでようやくその踏ん切りがついた。この曲はたまにシングル盤がネット・オークションで出る。何度も今まで見たことがあるが、いつも1000円以上はする。それでも安いが、筆者は彼女たちのほかの曲も聴くつもりでCDを買った。それをこの2、3週間毎日数回聴いている。それがとても心地よい。60年代の曲と言ってしまえばそれまでだが、時代を超えて通ずる若者の思いや、あるいはポジティヴな活力が感じられる。それはどんな流行歌でも同じだが、彼女たちの歌声は声質に特徴があり、それに一旦聞き惚れると容易に忘れ難い。さて、「シャングリラ」が「桃源郷」を意味することを教えてくれたのは今はタイに移住しているFで、20代半ばだったと思う。何かの拍子に彼女らの歌の話題になったのだ。Fは筆者の何倍も洋楽に詳しく、この曲以外にも知っていたのだろう。だが、今ではCDで彼女らの代表曲が手軽に入手出来る。こういう時代が来るとはこの曲を初めて聴いた時には全く想像出来なかった。65年当時、テープレコーダーはあって、ラジオから録音することは出来たが、ライン接続を知らず、またわが家の古いラジオにはそんな端子がなかった。それで、当時筆者が聴いたこの曲の回数は5、6回であろう。それでも細部までよく記憶しているのは、頭がまだ柔軟であったことと、聞き逃すまいとする真剣さのなせるわざで、それはほかの面にも役立った気がする。子どもがそのように真剣になることは、今ではコンピュータ・ゲームだろうか。それはそれでまたどういう大人を作り上げて行くのか、答えは今後に出る。
 10代前半、つまり中学生が当時洋楽を聴くということは、学校では不良とみなされた。ビートルズでも例外ではないどころか、その代表と見られた。シャングリラスもアメリカではある意味では同じであったかもしれない。ティーンエイジャーが男に惚れた、あるいは振られたといった曲を歌うのであるから、それは大人びてあまり好ましくないというPTA的な見方が出て当然だ。その点日本とはどのように時代差と民衆の意識の差があったかを調べると面白いと思うが、アメリカ文化を何年も後れて流行させる日本では、アメリカ以上に保守的で、向こうではまだ健全とみなされていたものでも過剰に反応してよくないと決め込む姿勢が強かった。ビートルズもその例で、当時の筆者にはどこが不良なのかさっぱりわからなかった。筆者の周りにいた不良は決してビートルズや洋楽を聴かなかったからだ。そうした音楽を楽しめない連中が不良となって固まっていた。だが、日本ではビートルズ以前にプレスリーのロカビリーの大ヒットがあり、そういう土壌からビートルズが登場したことから、ビートルズに不良のイメージを結びつけたのは無理もない。ロカビリーは日本でも大流行し、若い女性がステージに殺到して黄色い悲鳴を上げ続けるという光景はTVでは毎週のように紹介されていたからだ。その延長上にビートルズが出現したから、中学生ごときの若さで何たることかという大人の批判たっぷりの思いがあった。シャングリラスもそのような世界に登場したグループであるから、多少の不良イメージがつきまとうのは仕方がなく、またそれを売りにもしなければ若者たちから歓迎されない。流行歌は子どもたちにとってファッションであり、またそれは大人になりたい背伸びのひとつの象徴にもなっているから、大人から見れば「何をませたことを言って。まだまだ年齢的に早い」ということになる。シャングリラスがそのあたりのことをどう微妙に調整しながら曲を書いてもらっていたかはわからないが、彼女たちの写真を見ると不良イメージはない。良家のお嬢さんという感じがあって、そこがまた歓迎された理由にも思える。白人であればそれは当時としては当然であろう。彼女らにもかなり黒人っぽい曲がいくつもあるが、概してビートルズ的な、つまり白人を思わせる曲が目立つ。
●「I CAN NEVER GO HOME ANYMORE」_d0053294_2049234.jpg シャングリラスというグループ名は60年代のヒッピー文化を体現しているように思える。彼女らはブッダ・レーベルからレコードを発売したが、そのレコード会社名もそうだ。当時同レーベルがどんなミュージシャンを抱えていたかと言えば、よく知られるところでは、メラニー、ラヴィン・スプーフル、オハイオ・エクスプレス、1910フルーツガム・カンパニーでといったところで、みな懐かしい名前だ。このレコード会社はその後どうなったのであろう。手元にあるシャングリラスのCDはベスト・アルバムで、1964年から67年までの曲が収録されている。ちょうどビートルズと重なるが、より短期の活動に終わったのは時代にそぐわなくなったからだろう。あるいは彼女たちが結婚適齢期になって活動をやめたがったか。写真にはよく3人だけが写っているが、CDのブックレットには4人の写真もある。そのうちふたりは双子だ。リード・ヴァーカルは4人のうちでは最もかわいいメアリー・ワイズで、これに双子のガンサー姉妹が加わり、時にメアリーの姉だろうか、リズ・ワイズが加わる。だが、メアリーにリズ、そして双子のひとりという形もあった。大半の曲はメアリーの押し殺したような特徴ある声を主にして、それに他の女性がハモる。ザ・スミスそっくりな曲もあって驚くが、これはスミスが真似したのであって、元祖は彼女たちだ。また音だけではなく、歌詞全般のムードもスミスは大いに参考にしている。それは青春特有の影の部分への凝視だ。それはどのようなポップス、ロックにも大なり小なりあるもので、そこが前述の不良イメージがまとわりつくゆえんともなっているが、シャングリラスの歌ではもっとひねりが利いている。それは「家には帰れない」に代表されているが、この曲のみで彼女たちのイメージを作り上げるのはよくない。だが、彼女らの他のヒット曲を初めてまとめて聴いて思うことは、「家には帰れない」に底流しているものがどの曲にも感じられる。そこが彼女たちの持ち味で、そのためにそれが突出した形で「家には帰れない」のヒットにつながった。この曲は大半が語りで、アップ・テンポな快活なメロディはどこにもない。その舞台劇じみた設定の中に、面白さと、そしてメッセージ性が濃厚にあって、似た曲は日本には生まれなかったところがまた興味深い。青春の影の部分と言えば、日本では70年代のフォーク・ソングのブームに拡大化した。だが、それとシャングリラスの歌詞とはかなり異質で、もっと深刻と言える。
 先に書いたように、こうしたポップスを聴く子どが不良であるという思いがアメリカ内部におそらくあって、それを微妙に感じ取りながら、彼女たちがこの歌を歌ったと思わせるところに、ヒットした理由と、またこうしたポップスの力への信頼が見える。その信頼はたとえばジョン・レノンの「イマジン」につながっている。不良をイメージを大きく飛び越えて、一挙に多くの人たちにプラス思考の意識を植えつけるという考えだ。ポップスの存在が単に踊っておしまいではなく、社会に対して何らかのメッセージを発するという立場は、アメリカではフォーク・ソングが最初に行なったが、それをこの曲が受け継いでいると見ることも出来る。そして、65年という年代を思えば、実に先駆的であった。その意味から「家に帰れない」は歴史的名曲として永遠に記憶されるべきと言える。ジョジ・モートンの作詞作曲で、彼はシャングリラスのヒット曲をいくつも書いている。シャングリラスは他の書き手もして、彼女らは歌っただけであった。そこっが流行遅れになって行った理由でもあるだろう。さて、歌詞内容を簡単に見る。「彼女がわたしをひとりにしてくれないなら、身を隠して、どこかに行ってしまうから。(I'm gonna hide if she don't leave me alone.I'm gonna run away)駄目よ! そんなことしたらもう家には帰れなくなるわよ。(Don't!! 'cause you can never go home anymore)」 いきなりこんな出だしだ。「彼女」は後の歌詞で明らかにされるが、「母親」のことだ。その母親の言うことに耳を貸さない女の子の家出という行動に対して、この歌は警告を発している。好きな男性と駆け落ちしても、結局体が目的で、強引に組み伏されるだけと、えらく現実的な描写が後に続く。これだけでシャングリラスがPTAの回し者か、警察の片棒をかついだのかと思う人があるかもしれない。ここで思うことは、当時のアメリカでは家出をする少女が目立ち、また結局男に騙されたような格好で捨てられる、あるいは事件に巻き込まれることが社会問題になったであろうことだ。日本でもそれは同じだが、まだアメリカほどではなかったのではあるまいか。また、アメリカほどであったにしても、こういう流行歌でそんな問題を採り上げて自制を促す曲が書かれた、あるいは今もだが、書かれるであろうか。そこには、シャングリラスが結局は良家の子女らしい曲を歌ったと皮肉で見る向きもあろうが、そういう皮肉を越える深みがこの曲にはあり、そしてそういう曲をヒットさせるアメリカという国の深さも伝える。歌詞を全訳してもいいが、前述の最初部分から予想される母と娘の思いの違いが語りとして続き、最後はこうある。「あなたはそんな思いになったことがある? そして彼女を抱きしめてキスしたいと思ったことが。(Do you ever get that feeling and wanna kiss and hug her? )それを今しなさい。彼女のことを好きだと言ってやりなさい。(Do it now- tell her you love her.)わたしが母にしたようには、あなたの母親にしてはいけないわ。彼女は最後はとてもさびしくなって、天使が友だちとして見つけるわ。(Don't do to your mom what I did to mine. She grew so lonely in the end. Angels picked her for a friend.) そしてわたしはもう家には帰れない。それを「悲しい」と言うのよ。(And I can never go home (never) anymore. And that's called "sad.")」 これは母親に対して娘を抱きしめよと言いながら、娘に対しては母親を悲しませるようなことはしてはいけないと言っている。最後のさびしくなる彼女は、母親か娘か判然としないが、どっちでもいいだろう。天使がピックするとは、死ぬことだ。最期がさびしい思いで死ぬことであっては、それは「悲しい」ことであり、それを避けるために親子が理解し合えと言うわけだ。筆者が注目するのは、「HUG」という言葉だ。親子が実際に頻繁に抱き合うことがあれば疎遠な仲になることもない。それほどでなくてもスキンシップあるいは会話の大切さだ。それが欠けて来たのが60年代半ばであって、一方では流行歌が中身のないもの、あるいは不良の聴くものとして謗られる風潮があった。そこにこの曲は悲しい社会的な問題を、数歳年長の若い女性が悲しく、また語りかけるように歌うところに面白さがあった。こうした曲によって実際に家出をして事件に巻き込まれない少女がどれほどあったのかは知らない。だが、歌詞のわかるアメリカではきっと心に響く下りがいくつもあったと思える。この曲を吟味し終えた後に他のシャングリラスの曲、あるいはビートルズや同時代のポップスを聴くと、いったいどこが不良であったのか、理解に苦しむが、今でもそう思わない人があるだろう。
by uuuzen | 2010-10-26 12:28 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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