人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●鞆の浦散策、その1
(とも)の浦に行きたいと思ったのは5年ほど前だ。その機会をうかがいながら、ついに出かけたのが3月下旬の1泊旅行で、そのことについて今日と明日の2回に分けて投稿する。



●鞆の浦散策、その1_d0053294_12275683.jpg

2回分も書く内容はないように思うが、写真をたくさん撮って来たので、それを掲載するためには2回は必要だ。ところで、一昨日ようやく写真を加工したが、加工中にコンパクトフラッシュが壊われたようで、3枚のデータが消えた。それらがどういう写真かを記憶しているだけに惜しい。コンパクトフラッシュがなぜ壊れたか原因は不明だ。初期化すれはまた使えるが、そうすればデータが全部消える。なぜ3枚が消えたかわかるかと言えば、WIN95のパソコンでは「今すぐ初期化しますか」と出て、今までどおりには見ることが出来ないのに対し、昨日書いたXPのパソコンではちゃんと見ることが出来て、しかも3枚分の番号が飛んでいる。ま、その3枚をも掲載するとなると2回では足りない。撮って来た写真も取捨選択して掲げるが、こうして書きながらどの写真を没にしようかと思っている。その写真の多さが、これまで鞆の浦について書かないでおこうと思った理由にもなっている。また、撮った写真が多いことは、それだけ旅行のメインであったことになるが、今まで書かないでいたのは、どう書いていいか戸惑いが多いことにもよる。さて、鞆の浦はこの2、3年よく新聞やTVで紹介される。その一番大きな話題は鞆の浦の狭い道路幅だ。去年の9月のことだが、わが自治のある人と話をしていると、その人が昨日鞆の浦に行って来たと言った。すかさず筆者は道路が狭かったですかと、TVで話題になっていることを質問した。その人は自分の店の前と同じほど狭いという答えで、地元嵐山と観光地で有名になっている鞆の浦を比較するためにも、訪れたことが有意義であったようだ。筆者は話を聞いてこれは本当に出かけるべきかと思い、半年後、つまり今年3月に行くことにした。もうひとつ行くことにした直接の理由らしきことを書いておく。筆者の家内の中学生からの友人で、今なお筆者も含めて交際しているHさんがいる。Hさんの結婚式にも出たが、Hさんの御主人は福山市生まれで、実家は今もそこにある。筆者は福山市といっても全くぴんと来ず、それが広島や岡山からどの程度離れているかもわからなかった。ところが鞆の浦が福山市にあることを知って親近感が湧いた。5年前から鞆の浦に行こうと思いながらそれが果たせなかったのは、どういう方法で行けばいいか決めかねたからでもある。福山市まで高速バスがあるが、それを使ってもかなり不便だ。それにどうせ1泊するなら、そこだけではもったいないとも考え、息子に車に乗せてもらうなど、何かいい方法はないかと思い続けた。そう思わせるほど不便なところにある。筆者は都会派であるので、駅前から遠い場所は苦手で、本数の少ないであろうバスを乗り継いで出かける気分にはあまりなれない。
●鞆の浦散策、その1_d0053294_1228281.jpg

 Hさんは西宮駅近いところで小さなブティックを経営している。開店からもう5、6年になるだろうか。御主人は福山市駅前の百貨店の中で同じ屋号のブティックを経営しており、たまに西宮に帰って来るという生活だ。その西宮のブティックに今年1月だったか、久しぶりに出かけた。Hさんはかなりの美人で、そうしたブティックにいると若く見えるが、不況もあって商売は思わしくない。結局2か月ほど前、店を閉めたというはがきが届いた。日祝も休みなく働いて、それでもテナント料を支払うのがやっとという状態では仕方がなかったろう。また、経営状態が根本的に解決しそうでもないならば、体を休めることも大切で、そういった意見を筆者がHさんに言ったからでもあるかもしれない。Hさんの忙しさでは、家内とゆっくり会おうと思っても出来ない相談だ。自分の店であるから頑張りも利くが、気分的余裕も必要だ。そしてそういう筆者の考えを受け入れたのか、あるいはもう閉店しようと思っていたのか、とにかく閉店を知らせるはがきが届いた。そしてそのはがきには、代わりに福山駅前にもう1軒店を出したとの報告があった。つまり、本拠地を福山に完全に移したわけだ。西宮の店の代わりに、御主人は人を雇って福山に新しい店をオープンさせたことは、Hさんの肩の荷が降りたことでもあり、また強気の商売をしていることでもあって、それは喜ぶべきことだ。筆者は西宮の店を訪れた時もまだ鞆の浦に行くことを決めてはいなかったが、その後出かけて、そしてHさんから閉店のはがきが届いたから、何だか筆者の心の中では鞆の浦に関してすっかり一段落した思いがある。Hさんにはその後会っていないので、今度会うことがあれば鞆の浦について話すことになるだろう。いや、それはどうでもよく、筆者と家内がJR福山駅に降り立った時、まず御主人が経営する店を見に行ったことをHさんに伝えねばならない。店には若い女性がひとりいただけで、御主人の姿はなかったが、先を急ぐこともあって不在かどうかは訊ねなかった。つい2、3か月前に西宮の店を訪ねたばかりであったから、このいわば本店を見たことは、旅行のひとつの目的がスムーズに実現して気分がよかった。その百貨店の前、つまり駅前全体は工事中で、バス停が整備されつつある。それでかなり面食らったが、鞆の浦行きのバスは百貨店から直線距離にして100メートルほどのところに見つかった。旅行客が多くて頻繁にバスは出ている。筆者らが乗った時、中年の男女10人ほどがわいわいと乗り込んで来た。東京の言葉で、しかも服装から金持ちのグループだとわかる。関東にまで鞆の浦は有名らしいが、それは当然で、関西よりも関東から訪れる人の方が多いかもしれない。バスは南下し、すぐに駅前のビル街を過ぎ、大きな川に出た。その橋をわたって橋沿いに進み、30分ほどだったろうか、鞆の浦に着いた。料金は1000円少々で、バス代でこんなに払うのは割高感がある。京都では1時間ほどかかるところでも220円だ。だが、郊外であるし、また財政難でもあればこれは仕方がない。タクシーなら数千円はかかる。
●鞆の浦散策、その1_d0053294_1229480.jpg

 到着したのは海辺で、予想とはかなり違った。最大の思い違いは、海沿いに護岸があって、砂浜や岩浜には出れないことだ。護岸は道路沿いの店や住居を護るために必要なのはわかる。これが整備されたのは、おそらくここ2、30年のことだろう。日本の隅々まで舗装道路が通り、ガードレールもついた。世界一という経済状態の大半がそうした土木工事に費やされた。土建王国の日本なのだ。日本ほどコンクリート好きな国はない。交通が便利になっていいいが、鞆の浦はその分日本のどこにでもあるような海辺の小さな町になり、バスを降りた時に周囲に見える景色のいったいどこがそれほど騒ぐ価値があるのか理解に苦しむ。それでも見に来たのは岸辺ではないと言い聞かせながら、ともかく足を有名な対潮楼に向けた。バス停のすぐ背後にそれはある。みんながぞろぞろ歩いて行く方向に進むと、すぐにその場所がわかった。鞆の浦を訪れた者は全員がそこへ行く。それが目当てで訪れると言ってもよい。筆者もそうだ。そこは寺だが、高い岩山の上に建っていて、その窓から眺める景色が日本随一と、江戸時代にそこに滞在した朝鮮通信使がほめ称えたのだ。その書や扁額がその部屋には掲げられていて、かつて通信使が見たのと同じ角度で同じ景色が見えるのが売りだ。まず赤い毛氈が敷かれた座敷からその見事な景色を見ながら、次には窓辺に寄って眼下を見た。すると、窓下には先ほどバスを降りて歩いた幅広く舗装された道路と護岸が見え、民家や店などが建て込んでいる。それはかなりの幻滅と言ってよく、日本の縮図を見た気がした。通信使が見た時はそんな道路や護岸はなく、それこそ海に迫り出した楼閣から見る景色は、遠くもまた近景も絶景であったろう。だが、地元には人が生活し、車は欠かせず、また台風その他、災害に応じた護岸工事も必要だ。それで自然そのままの海辺は人の手が加わり続けた。その寺を出る時に小さな売店があって、昭和30年代だろうか、護岸が出来る前に海から見た光景などの古い写真と、現状を示す写真が並べてあった。どちらが見事かは言うまでもない。なぜそのように変えてしまったのかと責めることは出来ないだろう。さまざまな思惑も絡み、とにかく地元の人々はそれがよいと思ってそうして来た。そして、朝鮮通信使が見た日本第一の景色はひとまずそのまま残っている。それだけでもよしとせねばならない。
●鞆の浦散策、その1_d0053294_12294174.jpg

 NHKで特集をやっていたが、鞆の浦に橋を架ける計画がある。これは道路幅が狭いので、朝夕の通勤などに車が難儀していることによる。生活しているものの利便を考えるならばそれも仕方がないが、一方では鞆の浦を世界遺産に申請しようという動きがあって、そうした自然保護の観点からは、橋を架け、しかも護岸を埋め立てるなどもっとのほかという意見もある。この問題で意見したのが宮崎駿だ。宮崎はしばらく鞆の浦に滞在したことがあって、それで作品の想も得たというから、有名になるとそういうことが出来るのかと半ばうらやましい。鞆の浦をわずか一瞬見るだけでも5、6年も悩んだというのとは大違いだ。自由業者は思う時に好きな場所に住み、想を得る生活が理想で、またそういう余裕のない者は作家になってはならないが、その点筆者はあまりにも貧しく、時間の余裕もない。それはさておき、ニュースやそうした番組を見ながら、世界遺産になるかどうかというほどの町に橋を架けたり埋め立てたりする意識がさっぱり理解出来ず、もちろん開発反対の思いであった。だが、対潮楼から眼下を見て思ったのは、これだけ開発されているのであれば、もっと徹底的にレジャーランド化してもよいであった。中途半端な開発はかえってみじめだ。世界遺産はとんでもない話で、まず認可されない。もう手後れになっている。それが可能であったのは少なくても20年や30年前、あるいは半世紀前のことだ。宮崎のように長期滞在しなければわからないことは多いはずだが、地元がそのようにふたつの意見で割れることは、改革推進派がいることであり、その改革は世界遺産にはそぐわない。宮崎はそのことに関して慎重な態度を採っている。そういう問題は地元住民が決めるべしとの立場だ。宮崎くらいの有名人になると、意見が大きな波紋を呼ぶ。宮崎は現状のままにして橋など架けてほしくないであろうが、一方ではもう手後れ同然になっていることも知って、ある意味では発言を避けたがっているのではないか。わずかながらも現状を見て来た者として何となくそう思う。そうした風光明媚な場所の開発は日本全体に及んだ。嵐山も同じで、筆者は矛盾を感じされられることが多い。その源には開発することで儲ける人があるという実態だ。風光明媚は人が集まる。人が集まるのであれば商売をする。いとも簡単な発想の連鎖で、より人が多く集まり、お金が地元に落ちるような方策が際限なく採られる。そしてごく一部の一方向から眺めた場所のみ保存すればよく、その周囲は徹底して便利なように作り変える。ちょうどTVのセットのようなものだ。そういう額縁的にきわめて限定された自然だけが残ればよいという発想が日本にはある。そうした考えにまだ冒されていないのが、山陰地方で、そこが先頃世界ジオパークの指定になったことは記憶に新しい。山陽地方はその点ですっかり落第で、自然は限定的になっている。鞆の浦も例外ではないのだ。
●鞆の浦散策、その1_d0053294_12302968.jpg

by uuuzen | 2010-10-24 12:30 | ●新・嵐山だより
●松尾駅の駐輪場、その8 >> << ●鞆の浦散策、その2

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?