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●『美賊イルジメ伝』
力が特別あるわけでもないのに、毎週それなりに楽しんで見た。第1回目は見逃したが、そこはKBS京都の韓国ドラマのページにあらすじが出ている。こうしたドラマは1、2回あるいはそれ以上見ることが抜けても、楽しめるように作られている。



カットも多いはずだが、それでも断片にドラマの特質は出ているもので、そのかすかな何かを味わえばよい。そのかすかな何かは、ドラマの筋立てや時代設定、それに配役や監督など、総合したところに匂い立つもので、そのどれかが別のものになれば当然味わいは変化する。そのため、同じ脚本を使っても全く違うものが出来るから、その意味でドラマないし韓国ドラマは永遠とも言える。このドラマと同じような内容と言えば、『快刀ホン・ギルドン』があったが、こっちの方が面白かった。イルジメを扱ったドラマは同時期にもうひとつ作られ、しかもそっちの方がはるかに人気があったそうだが、見ていないので何とも言えない。「イルジメ」は「一枝梅」と書き、これは主人公の男性の名前だが、盗みを働いた後、金で作った梅の一枝を置いて行くところからそう呼ばれる。日本語の題名にある「美賊」はもちろん造語で、主役のイルジメが女性のように美しい顔をしているところから言う。ドラマの中でもイルジメは何度も「女みたいな顔をした奴」と表現されていたが、原作がそのような設定なので、そういう顔の男性を選んだのだろう。だが、女っぽい顔とはいえ、弱々しくはない。全くその反対で武術も腕力もある。このドラマは毎回最後のストップ・ショットがそのままの漫画に変化して終わったが、原作は漫画らしい。しかもあまりにも権力風刺が強く、発禁処分になったと以前読んだ。それがようやく本来の形で出版される時代になり、このドラマも作られた。もうひとつのイルジメのドラマは漫画を下敷きにせず、昔から伝わっているイルジメ伝を元に作ったものではないだろうか。漫画も元はそうなのだが、元のイルジメ伝なるものがどういう形で韓国に伝わっているのかは知らない。多くの異本があるかもしれず、また伝承されるだけで、まとまって書かれたものはないのかもしれない。と、そう思いながら気になったので、今調べた。中国の明代に盗賊が梅の花を置き土産にして去るという物語があるらしく、それを朝鮮が独自に民衆の中の物語として伝えて来たようだ。日本で言えば江戸時代前期のことだ。作り話であるので、ごく少ない基本事項を押さえさえすれば物語はいくらでも増える。『ホン・ギルドン』でもそうであったが、このドラマでは最終回に現代のソウルが映り、そこに忍者の格好をしたイルジメが登場する場面で終わる。これは時代を超えてイルジメの物語が伝えられて来たことと、イルジメが活躍するような権力腐敗の社会を戒めるという意味がある。
 原作漫画が発禁になった理由はドラマの随所からわかる。とにかく政治を司る権力者が私利私欲に目がくらみ、国を中国(清)に売り渡してもかまわないと考えている悪役だ。この設定は、『朱蒙』でもさほど変らず、ある意味での愛国精神が表現されている。それは日本のドラマではまずあり得ない。日本の時代劇ドラマは日本のみで閉じている。鎖国していたので当然という意見があろうが、鎖国以前は国際的であったから、いくらでもそういうドラマは作り得るはずなのだが、日本は江戸時代に徹底して内向きになり、その弊害を今も改められずにいるように思える。華僑のように、国際的に散らばって住み、ネットワークを作ろうとして来ず、海外に赴任してもいつかは日本へと思っている。このドラマもそうと言えるが、中国や日本が登場し、国際的であった李王朝を描いている。日本も満州国を作った頃のことをドラマ化すれば面白いものが出来ると思うが、それは中国を気にして、歴史的に忘れてしまいたいと思っているかのようで、まずそんなドラマは作られない。さて、日本の場面では、漂流して日本に辿り着いたイルジメは田舎の武士に助けられ、忍術を教えてもらう。侍や日本の家屋の時代考証が不正確ではあるが、ま、韓国から見れば日本らしいと思える程度でいいのだろう。日本ではその武士の娘に恋され、それはかなわないとばかりにイルジメは朝鮮に戻るが、この設定は「美賊」をよく説明して、とにかくイルジメは女性にもてもての存在として描かれる。そういう男性は実際にいるのだろうか。男にとってはそれは夢でもあるから、その点でこのドラマは男の憧れを満たしてくれるところがある。だが、筆者はもう若くないから、イルジメよりもっと年配の出演者にどうしても目が行く。そして、いつも韓国ドラマで思うことは、主役の若い男性よりも、脇役の味のある人たちの演技が素晴らしく、それがドラマを大いに盛り上げていることだ。極論すれば、そうした脇役がいなければドラマは成り立たない。たとえば、このドラマでは『恋するハイエナ』の出たキム・ミンジョンが捕盗庁の役員キム・ジャジョム役で出ていて、イルジメの母ペンメ(白梅)を長年片思いしているという設定だ。その正義感溢れるが、やや弱々しい雰囲気がぴったりで、ドラマの雰囲気作りに大いに貢献していた。捕盗庁は今の警察だが、はるか上官が腐敗していて、キム・ジャジョムはペンメの息子のイルジメを生かし、またお互い親子であることを知らないペンメとイルジメを出会わせ、しかも自分がペンメの夫となることを夢見ているが、現実は上官とイルジメの板挟みになり、最期は自害する。権力側の人間であったので、この結末は妥当かもしれないが、犠牲になるのはこうした下っ端で、そこにも原作の風刺精神が見られる。また、このジャジョムを片思いしている同僚の若い女性がいる。女性が捕盗庁にいたとは考えられないので、これはドラマ用の話だが、この女性はジャジョムが長年ペンメを愛していることに心を痛め、しかも女性ならではの嫉妬も絡んで、イルジメを殺そうとし、大きな傷を負わせる。ところがイルジメは国家を救うために動いていたことを知り、イルジメが持っていた文書を自分が朝鮮に届けようとしながら、追手にそれを阻まれて最後は死ぬ。
 権力の腐敗は最初から示される。それはイルジメの出生だ。ペンメは高級官吏と奴婢の間に生まれ、官吏は汚名をこうむることを避けるために、イルジメを捨てる。それを乞食ゴルチが拾って育てるのだが、そこには和尚の力添えもある。ゴルチはイ・ゲインが演ずる。この俳優は『朱蒙』にも出ていたが、時代劇にはなくてはならない人物で、善良な、そして時には無学な役を演ずる。育ての親のゴルチだが、イルジメを殺そうとする追手から逃れるために、清の金持ちに養子に出す。清で逞しく育ったイルジメは美人の許婚まで出来るが、ある男フェンボが出現し、母に会えると諭してイルジメを朝鮮に連れて行く。許婚はイルジメを連れ戻すとするが、イルジメは朝鮮でフェンボのした盗みに始まって事件に巻き込まれて行く。ここでちょっとややこしく、また印象的なのは演技が強烈で、一度見れば忘れられないフェンボだ。フェンボはスパイで、朝鮮の文書を盗もうとしているが、一方ではイルジメを清に連れ戻す任務もあって、イルジメの敵か味方かわからない行動をしばしばする。そしてどこか間抜けで憎めないところもあるフェンボは、最後は片目を失明しながらも清にイルジメを連れて行き、そこで役目を終えたとイルジメに言い放って姿を消すが、清に連れて行ったのは、許婚に会わせるためではなく、何と清の皇帝ホンタイジに面会させるためだ。話がいつの間には国家レベルの大きな問題に発展して行くところが漫画的で面白い。日本の武士や忍者に対して、この清の皇帝はどれほど実際とはかけ離れているかだが、見たところそうでもなく、それなりにお金をかけて撮っていることがわかる。3か国にロケをしたというから、当然日本や中国でも撮影したのだろう。清の皇帝に面会したのは、イルジメが皇帝のシンボルのひとつでもある刀を奪ったからで、それを取り戻す代わりに、清に捕虜となっていた朝鮮人を国に返すという約束をイルジメは取りつけ、それが果たされるところでドラマは結末を迎える。どこまでも弱い民衆の立場にあったヒーローということだが、そういうイルジメが人を殺す場面があり、このドラマは甘ったるいものとは言えず、むしろ苦い味がする。それはやはり権力の悪で、権力の中にいる正義は軽々と死に追いやられるからだ。
 女性にもてもてのイルジメだが、自分を巡って女性たちが争う場面に出会ってそそくさとその場を後にする。もてる割りには女性を近づけないが、山で娘のダルと愛し合うようになる。ダルは父のような年齢の男性とともに暮らしているが、ダルは大監の娘であったが、父は策略に遭って殺され、部下の男性に庇護されたのであった。この後、ダルは処刑され、イルジメはそれがトラウマになって女性を近づけないようになる。だが、それではドラマにならないので、ダル役のユン・ジンソはウォルヒという女性の役で再登場する。だが、自分がダルを死なせてしまったと思っているイルジメはなかなかダルを愛することが出来ず、ふたりは一緒に暮らし始めたかと思えばまた離れてしまう。そこに育ての親のゴルチも一緒になって、ひたすらイルジメを探しに各地を放浪するが、このあたりのことは韓国の地名に詳しくなければ深く味わえないだろう。擦れ違いが多いのはこのドラマの大きな特徴で、それはイルジメと母のペンメにも言える。ふたりは何度か出会うが、親子であることを知らない。そして、イルジメが死んだという噂を聞き、望みを絶たれたペンメは服毒自殺するが、息絶えるところにイルジメが現われて、ふたりはほんの一瞬、親子の情を交わす。イルジメが頭が上がらない人物として和尚もいる。また、この和尚とは対照的に、金の亡者で、朝鮮を売ろうといている僧侶も出て来るところが、仏教に対して客観的な眼差しを伝える。また、儒教的な点は親子の情愛に特に表現されているが、国政を司る者の中に徹底して腐敗したものがいるという描き方は、儒教社会への風刺と現在の民主主義への讃美に受け取れそうだが、案外そんな簡単にことが片づかないことは誰もが知っており、そのためにこの原作の漫画が発禁になったのであり、またこのドラマが作られた意味もある。
 イルジメが権力者に独力で刃向かうのは、自分の出自を知っての復讐でもあるが、権力者はそう簡単にへこたれない。物語の最後、エピローグとして、イルジメが対決した人物がその後悲惨な死に方をしたことが伝えられる。一方のイルジメは敗北者でおとなしく田舎に引っ込むという結末だ。イルジメの最期がどうなるか、その点が一番気になるドラマで、この結末はよかったと思う。多くの人が死ぬ内容は疲れるが、このドラマではイルジメ側の重要な人が最終回近くで次々に死ぬ展開は予想外で、ドラマは最後に向って急展開し、より面白くなる。正義があっけなく滅び、悪が栄えるという図は、はかない現実を見るような気にさせられるが、肝心のイルジメは何度も瀕死の傷を負いながら、自分の子どもをもうけてくれた女性と暮らすという結末に救いを見る。どうでもいいことかもしれないが、イルジメが悪大監から奪った金銀財宝で、自分で梅の一枝型のかんざしのようなものを鋳る場面がある。それを何本造ったのか、ことあるごとにそれを置いて去る。そうした格好よい行動は民衆の英雄には欠かせないが、それを伝えるのは民衆であり、そのことをこのドラマは最初と最後で締めくくっている。貧乏な儒学者が孤児と一緒に狂言回しの役割をする。そのふたりはドラマでは傍観者的な立場にあって、あまり重要ではないが、儒学者の中にはそういう人物もいたであろうと納得させられるし、その儒学者が書き綴ったイルジメ伝を、養子となった孤児が意志を継いで完成させたおかげで、このドラマがあるという複雑でこじつけたような設定は、全24話ではどうにかまとまって許せる範囲にある。そのふたりだけではなく、登場人物全員がどこか謎めいていて、それがこのドラマを膨らみのあるものにしている。また、イルジメとウォルヒが似た顔であったのも、ドラマの個性をはっきりさせることに役立っていた。まだ書き足りないが、話があちこち飛んでまとまりがないようになって来たのでここでやめておこう。
by uuuzen | 2010-10-20 22:56 | ●新・嵐山だより
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