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●『「日本画」の前衛 1938-1949』
術展にふさわしい季節になった。あちこち出かけたいが、するべきことが山積している。それでも合間を縫ってなるべく出かけるようにしている。



●『「日本画」の前衛 1938-1949』_d0053294_14192499.jpgこのブログは毎月第1、2週は展覧会の感想を書くことにしている。昨日がその日であったが、予定を変えて今日に回した。去年書いておいた「おにおにっ記」とは違って、毎日ブログに何か書くための時間を見つけるのはさほど容易ではない。考えるための時間も必要だからだ。また筆者はキーを叩くのに両手の人指し指しか使わず、ブラインド・タッチが出来ないため、打ち間違いが多い。それでなおさら時間を要する。その人指し指打ちを見て家内が先日笑った。昔家内はタイプライターを習ったことがあったので、両手でキーを叩くことが出来る。そこが我流との違いで、何でも習ったものは効率がよい。独学は泥くさいことをして、簡単で便利な操作方法があることにもよく気がつかない。それに物事を難しく考える。だが、それはそれで、独学は独学なりの何かいいところもあるだろう。苦労してつかみ取ったものと言えばよいか、本当に斬新なものは独学の中から生まれる気がする。ただし、それには想像を絶する苦労がつき物で、その犠牲のうえに栄光がある。言い替えれば、本当に価値のある、そして先駆的な仕事は、悲劇のうえに立っている。そうでなければ人生、人間の辻褄が合わないと、大多数の人が思うからでもあるが、それはこの世には辛いことが多く、判官贔屓のように悲劇の先駆者を評価したいからだとも言える。だが、この悲劇は、経済的な苦労に理由が尽きるのではない。むしろそれは好きなことをしているのであたりまえで、どのような表現者もまず経済的苦労を最初は背負うし、一生それがついて回る。深刻な問題は周囲の無理解や、またそれ以上に自分のやっていることに懐疑的になることだ。そのために自滅する場合は少なくない。以前作家活動をしていたが、ある時にそれをやめたという人は、活動を生涯続ける人の何倍もあることだろう。やめるのはたいていは経済的な問題だが、それを乗り越えてもまだ関門はある。それでもとにかく作り続けることが何より大切だが、そうして生涯作品行為を続けても、それが日の目を見て評価されるとは限らない。そんなアホらしいこと生涯を捧げる勇気のある者の中から歴史に名を刻む人が時に出て来るが、そうした勇気ある人は、自分が生きている間のこと以上に死んでからのことを考える。自分の体がなくなっても、生きている間に作ったものはいずれ評価されることがあるかもしれないと思うのだ。その可能性がほとんどないことがわかっていてもそうする。それはブログ人口が多いことからも誰にでも理解されることではないだろうか。死んだ後のブログをどう管理、あるいは処理するかが最近のネット・ニュースにあったが、ブログを残しておきたい人とそうでない人の割合はどの程度か。残しておきたいとしても、ブログ会社が倒産すればそれで終わりであり、それまでの間に誰かが画面内容を全部保存するなりしなければ、いずれきれいに消え去る。それはたとえば絵画も同じだが、まだ物として残る分、こうした電子的な文章より寿命が長いのではないか。
 さて、今日取り上げる展覧会は10日に京都国立近代美術館で見た。来年東京と広島に巡回するが、近年では稀に見る濃い内容であった。その評価は、筆者の知らない絵が多いということで決まる。知らない絵ということは、今まで紹介されなかった、あるいはその機会がきわめて少なかったからで、その目新しさの点が未知との遭遇として、出かけた甲斐があったと思える。だが、そういう見方をしない人も一方で多い。今まで紹介されなかったのは、歴史的評価が低いと定められたからで、そんな二、三流の作品は見るまでもないという意識だ。だが、絵画の歴史は時代が変わるごとに見直されるべきであるし、また若い世代はそれを当然行なう。埋もれたように見える作品の中に、当時の様子を色濃く反映した作品は多く、またそれが現在から見て意味を持つ場合は少なくない。そのため、二、三流に見えていたものが一流になり、その反対もあったりする。だが、もっと長い年月の間にまた評価が元に戻ることもあって、画家は自分の仕事を遺してさえいれば、いつかそれを認める人があるということだ。だが、そうなっても本人は死んでいるから、胸をなで下ろすのはその家族や親類であったりする。それに世の中は生きている間に名声を得たものが勝ちであり、全くの無名の作家が死んで評価されるほどに世の中は悠長ではない。評価するには人が必要で、その人の名声や生活がかかっている。そして無名の作家を発掘するには、金銭的な問題と関係する多大なエネルギーが必要だ。ザッパ流に言えば、無名の作家を発掘するのは、その発掘者の手柄となって、発掘者が潤うだけで、死んでいない作家は痛いともかゆいとも感じない。そのためにザッパは生きている間に名声もお金も獲得したが、それでもなおその作品が今後も長く聴き継がれるかどうかはわからない。まして無名であれば、後の人にいいようにされるだけだ。誰も他人のために自分を犠牲にしようとは思わず、そう見せかけるだけで、要は自分に何らかの得るものがあることを計算して動く。だが、そうではあっても無名同然の何かが世に紹介されるのはいいことだ。
 前衛という言葉は洋画のものという意識が強い。それはシュルレアリスムやキュビズムなど、わけのわからない絵を前衛と呼んで来たからで、日本画はもっと伝統的で保守的、少なくても抽象画とは一線を引くべきものがあるという一般的な認知による。だが、洋画が明治になってなだれ込んだ時、日本画にも革新的な動きがあった。それは伝統的な南画にも及んだ。それは日本画家が洋行したからでもあるが、日本の社会が洋風化するからには、絵画はもっとその影響をこうむる。そして床の間を飾っていた日本画は洋画と同じように額縁に入れられて鑑賞されるようになり、そうなれば日本画の描く題材が洋画と大差ないものになるのは時間の問題だ。つまり、ヨーロッパの前衛を知った途端、日本画にもその動きが出て当然で、実際そのとおりであった。だが、画家も人間で食わねばならないから、人がほしいと思うような絵を描くのがだいたいのところで、そこで前衛ぶりもそこそこに留まる。ところが、その一方では食うにはどうにかほかの方策を取って、とにかく売れずとも描きたいものを描くという意識を持つ者がいつの時代にもある。今回の展覧会はそういう作家の仕事を集めたものだ。だが、過激な者から比較的穏和な者までいて、それがまた日本画の置かれた状況を物語って面白い。比較的穏和なタイプとしては、岩橋英遠がいる。英遠展を見たのはもう20年ほど前だろうか。その静かな画面に強い印象を受けた。筆者好みの画風で、それが何に由来するのかは、生まれた北海道だけに結びつけて納得していたが、今回の展覧会で展示された珍しい作品によって、30年代に西洋の前衛絵画に触れて影響を受けたようであることがわかった。それはシュルレアリスムに絞ってもいいが、その眼差しを得ると、英遠の画風がより納得出来る気がする。いや、20年前に回顧展を見た時、普通の日本画とはえらく違うと思い、幻想的だと感じたことが今回珍しい初期作から裏づけされただけで、英遠の生涯は途中で穏和な方向に転換したというものではないだろう。であるので、この穏和は会場に並んだ他の画家の作と比較してという意味だ。
 その比較して先鋭的な画家は、山岡良文と山崎豊が筆頭だ。どちらもほとんど名前が知られない。今回のチケットやチラシに使われた作品は山岡のもので、1938年の「シュパンヌンク」だ。一見西洋の前衛画だが、油絵具ではなしに日本画と同じ岩絵具と膠を使っている。これは印刷では駄目で、本物を目の前にする必要がある。油絵具のように顔料を盛り上げて塗っているのだが、そこまで形にこだわってこういう絵を描かなくても油彩でいいではないかと思ってしまうのも事実だ。だが、最初に日本画を学び、また住空間に自作を飾るといった思想からは、油彩画に転向するより日本画を革新したいと思ったのであろう。だが、そういう行為は膠と顔料で描く日本では通用しても、世界ではどうだろう。西洋かぶれで描いた抽象化にしか見えないと評する意見もあるかもしれない。おそらくそんな考えもあって、山岡のこうした作品は世にあまり紹介されず、また人気を得ることもなかった。似た絵ならばカンディンスキーやモンドリアンを見ている方がいいと思う人は多いだろう。そうした西洋の前衛の思想がどこまで日本にいて咀嚼出来るかが問題だが、出来なければそれはそれで日本的な何かを持つという考えで山岡は描いたのであろう。それにモンドリアンにしても日本から見れば水平垂直の線を交差した格子戸を思わせるとして、そこからは洋の東西を問わず、人間として共通の遺伝的な意識があって、その意味でモンドリアンの絵画はモンドリアンが独自の神学を持って描いたとしても、またそれを鑑賞者が理解しないとしても、充分楽しめるものであると言える。山岡の「シュパンヌンク」も同じだ。これは当時の山岡なりのカンディンスキーの解釈で、それがカンディンスキーの思想にぴたりと合致していなくてもよい。むしろ日本化しているところに意義もあるだろう。「シュパンヌンク」はドイツ語の「Spannung」で、バウハウス時代のカンディンスキーが用いた造形用語だ。バウハウスは日本から20年代に見学に行った者が何人もいたので、著作『点・線・面』に集約されるカンディンスキーの考えは山岡以前に日本で知られていた。山岡はカンディンスキーの考えに同調し、タイトルさえもその言葉を用いたが、この言葉の解釈の載せる日本の著作が展示されていた。「シュパンヌンク」は本来「緊張」という意味で、生活のあらゆるところで見かけるが、何かと何かが触れ合った時に生ずる感覚を言う。筆者はすぐに俳句の着想のようなことを連想したが、それに限らず、はっとする瞬間と思えばよい。そのはっとする瞬間は時代や場所によって当然変わるから、それに応じて画家は作品を作ればよいし、またそうあるべきと言える。そこが山岡の心に響いたのであろう。
 山岡の「シュパンヌンク」は歴程と名づけられたグループ展の第1回に出品された。歴程の命名者は瀧口修造だ。そこからもこのグループがどういう方向性を持っていたかがわかる。今回最初の部屋には歴程美術展の際の芳名帳が展示され、全員の名前が複写で掲げられていたが、名を連ねる人数は250名ほどで、前衛日本画展を訪れる人の数がいかに少なかったかがわかる。それらの名前の中にはその後日本の前衛絵画で頂点に立つ人もぽつぽつと目立ち、結局は見るべき人は見たし、見るべき人だけが見ればいい内容であった。これは現在も変わらないだろう。さて、もうひとりの山崎豊も歴程第1回点に出品し、それは山岡の「シュパンヌンク」とよく似た幾何学構成の抽象画だ。山岡は1970年まで生きたが、今回は展覧会のタイトルにあるように1941年までの作品しか展示されなかった。それとは違って山崎は、戦後は歴程の後身的な日本画の前衛グループのパンリアルに所属し、大作を相次いで描いた。今回は1949年までに絞り、また歴程とパンリアルを前後に置いて、その間に戦争を挟む形で作家たちの活動を捉えたもので、戦後も描いた山岡の仕事はパンリアル的な大作でなかったのか、紹介はなかった。歴程はすぐに戦争によって活動が断ち切られたが、戦争画家の作品として今回は福田豊四郎の1942年の「英領ボルネオを衝く」が目立った。船の甲板にひしめく兵士の群像を画面下に描き、画面左半分はロープの梯子を上る若い兵士を描く。そして画面左上隅には日本軍の戦闘機が飛んでいる。水陸両方でボルネオに上陸した様子を描くが、海の波の描き方はその5年前の四曲一双屏風「涛」に全面的に駆使される様式の転用で、戦争画を描いても個性を出すところが画家の性と言おうか、一種の物悲しさも覚える。戦争によってせっかく芽生えた日本画の前衛が中断されても、京都を本拠とするパンリアルがさらにそれを突き進めた。三上誠や下村良之介は有名でよく見る機会があるので、今回は山崎の大きな屏風作品が10点ほど並んで壮観であった。山崎はこれらの作品のうち、中国を兵士として歩いた時の記憶をたどって早速1941年に描いた殺風景な風景画を、死ぬまで手放さなかったそうだ。そこには写生的でもあり、また抽象的でもある、そして実際は記憶によって描いた心象風景であることによって、山崎が獲得した独自の世界が広がっている。それは心に負った傷を癒す行為であったかもしれないが、中国の広大で荒涼とした国土は、必ずしも戦争体験が山崎を打ちのめしたばかりではないことがわかる。その4年後、山崎のパンリアル時代の大作は、シュルレアリスムに染まった画風で、色彩も華やかさを増す。筆者はそうした四曲屏風を見ながら、その材料費のことを考え、またアトリエにどのようにそうした大作群を保存しているのか、画家は経済的に大変だなと思った。パンリアルは京都市美術館で開催されるが、大作主義であるので、最初から美術館での展示を前提に、つまり人に見せることを思って描く。そして、見る人はごく限られるのだろうが、見る必要のある人が見るので問題はない。その見る必要のあるわずかな人の存在がいつの時代にもあることが、画家を励ます。前衛主義者とはそんなものだ。
by uuuzen | 2010-10-15 14:08 | ●展覧会SOON評SO ON
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