陳述書がブックレットに印刷されている。今回のブックレットは表紙を含めて32ページで、ルビのような小さな文字がびっしりだ。
虫眼鏡の必要がない筆者にそれを使って読まないとかなり疲れると思わ、早速そうして読み始めたが、慣れないのですぐに疲れた。それでほとんど各ページ数秒の凝視をしただけだが、それでも大体の流れはわかる。最初のページから説明せずに、まず陳述書から見よう。1985年9月19日づけで議会に提出したもので、これを当日ザッパは議会で弁護士を伴なって全部読んだ。CDにはその日が明記されていないので、同じ文書を後日別の場所で読んだ可能性がなきにしもあらずだが、この辺りのことはザッパがどのくらいの回数をこうした場所で自分の意見を述べたのか、その資料が明らかにされていないのでわからない。ところが、ブックレットの別のページに10月24日づけのロサンゼルス・タイムズ紙の記事が掲載される。そこに見られるザッパの写真がブックレット表紙の別角度から撮ったカラー写真と同じで、記事にはザッパがワシントンDCで陳述したことが書かれ、この5ページにわたる陳述が、このロック・アルバムの歌詞が子どもの教育上好ましくないとする議員の母たちの運動に対する牽制行動の中でハイライトであったことがわかる。記事を書いたのはリップ・レンスで、この人物は後の『ザ・イエロー・シャーク』のアルバムで解説を書く。ザッパとのつながりはこの記事を書いたことによるのだろう。記事は議会に7人の議員が同席したことを書くが、彼らの発言は録音されてアルバム『検閲の母に出会う』の「ポルノ戦争」という長い曲に使用される。この曲はザッパのこの一連の抗議行動の頂点かつ記念碑的な仕事で、遺作となった『文明第3期』に大きく関連し、ザッパ後期の陰鬱なムードを代表しているところがある。そのことは改めて書きたいが、議会で自分の意見を述べたことをそのまま作曲に活用し、しかもそれを即座にアルバム化するところにザッパの本領がある。また、シンクラヴィアを使って作曲していたことが幸いして『検閲の母に出会う』は急いで発売することが出来たが、当時ザッパのシンクラヴィア曲がどのような量で完成していたかは明らかにされず、結局『文明第3期』ではどの曲も凝りに凝ったアレンジが施され、85年時の形がわからないようになっている。その初期の素朴な形が、たとえば今回のアルバムの最後に収録される「ビットバーグのレーガン」で、『文明第3期』の大半はこの時期にオリジナルが出来ていたと思う。
さて、ブックレットに印刷される陳述書は、前もって書いたもので、ザッパは議長に紹介されながらそれをまず棒読みする。その速度がかなり早く、つまずくことがないのは、かなり練習したこともあるだろうが、元来ザッパは人前で話すのが得意で、それはコンサートで培ったものだ。そのため、この議会での発言は、初めて出会った議員たちと即興で火花を散らしながら演奏するジャズさながらで、ザッパはそのことを思って、同じくシンクラヴィア・アルバム『ジャズ・フロム・ヘル』の題名を導いた気がする。陳述はまずザッパのひとり舞台だが、それはいわば音楽で言う主題の提出部だ。それが終わった後に各議員とのやり取りが順に始まる。それは議員たちの声が、話すことが商売であるからみなそれなりに落ち着き、ドスが利いている。また女性議員が混じるので、全体的にはオラトリオのように聞える。そこがザッパ単独のインタヴューとは違って、まだ何度か聴く気にさせるところで、ゲイルの狙いもそこにあったのだろう。この手のCDは英語を理解しない、あるいはブックレットの細かい文字を読みたくない、さらには音楽と直接関係がないと思う人にはほとんど価値がないが、ザッパのこうした活動が作曲と分かち難く結びついていたことを知るには、製作されてよいものであるし、また新たな発見があるだろう。さて、議員の周囲には聴聞客が詰めていて、その臨場感は議員とザッパのやり取りで時に湧き起こる爆笑によって、ライヴ・コンサートの様子を思わせる。ブックレットの文字を追っていてわかることは、5ページのあちこちを飛ばしていることだ。特に後半はこのCDには含まれていない。おそらくブックレットに印刷するという理由でゲイルが削ったか、あるいはザッパが当日読み飛ばしたかだが、後者より前者の確率が高い。饒舌な部分はカットし、議員とのやり取りの面白い部分をより示そうというのは、こうしたCDでは当然の処置だろう。また、わずかにザッパの発言の音を加工して、より面白く聞かせようとしているが、同じ考えは、CDに含まれる最後の1曲以外の各冒頭に2、3秒挿入されるシンクラヴィアの音にも言える。こうした音は独立した曲からカットしたものかどうか、やはり大量にシンクラヴィアの音源が眠っていることを思わせる。全13曲で、最後の1曲以外がザッパの語りであるが、その旨は記されないし、また各曲の演奏時間の表示はブックレットにもなく、この点は不親切だ。また、最初の陳述書を公聴会で述べて議員とやり取りする曲が最も長く、2曲目はメリーランドでの同様の場からの録音、他10曲は比較的短いザッパのインタヴューから抽出された素材であろう。それに「汝……することなかれ」という古めかしい文体で統一されているいるのは、ゲイルのアイデアで、それを担当したのはMOSESとなっている。これはモーゼの十戒になぞらえたユーモアだが、ザッパの発言から10の重要なものをファンは神から授かった言葉として受け留めよということだ。明日に続く。
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●2003年4月5日(土)夜 その2駅から記念館に行く途中に思い出したことがあった。司馬とは連載でペアを組んだ画家の須田剋太の絵をたくさん飾るお好み屋が近くにあるはずで、帰りはそこで食べることにした。ボランティアのおばさんに訊ねると知らないと言うので、受付に行った。知的な感じの女性がいて、すぐに地図を出して場所を示してくれた。同じことを質問する人がたくさんいるのだろう。駅とは反対方向に5分ほど歩いたところある。この店もTVで2、3度紹介されているのを見たが、司馬や須田がよく利用していたのだろう。ある日店主が依頼したのかあるいは須田が勝手に寄贈すると言ったのかは忘れたが、そのお好み屋がお好みであったらしい須田はどんどんと自作を無料で持ち込み、たちまち店は美術館のような様相を呈した。お好み屋は大きな通りに面した建物の2階にあった。だが場所が少々わかりにくいのが難点だ。店のあるところまで来ているというのに入口がわからずうろうろした。もう帰ろうかと思ったが、人に訊ねてようやくわかった。店内は黒光りしていて西洋民芸調だ。100人は入れるだろう。『伊古奈』という屋号であるのに客はわずか数人で、ウェイトレスは暇を持てあまして椅子を熱心に磨いていた。焼き肉店にでもすればもっと儲かるかもしれないが、あちこちにかかる須田の書や絵がそれでは似合わないだろう。木の床は懐かしい油引きで、ガラスコップや取り皿はみな本格的な民芸品だ。そうしたものを用いているだけでも店の風格を感じた。だがあくまでも庶民の食べ物のお好み焼きであって、気取りのないところがよい。須田はきっとそういうところが気に入ったのであろう。格式張った美術館に所有されるのが画家の本望かもしれないが、本当はもっと一般の人々が気軽に出会えるような場所で展示されてこそ絵も生きる。本物が展示されている店には本物の味が生まれるであろうし、そうして真剣な画家と真剣な味のプロとが対話し合うことは、普通の人々が日常的に利用する店として理想の形ではないだろうか。「花幻」と大書した書や「お好み焼き」「赤とんぼ」といったカラフルな切り絵調の書は店にはよく似合っていた。記入された年号を見るとみな88年5月だった。BGMはたぶんパット・メセニーだろう。それもまた心地よかった。お好み焼きは税込みで800、900、1000円の3種しかなく、自分で焼くのだが、量が多い。京都の倍だ。やはり大阪は安い。支払いを済ませて階段を降りようとすると、「こちらの方も見て行って下さい。この店に入った人は無料ですから」と若い男が隣りの部屋を指し示した。そこは棟続きで、喫茶店になっているらしかったが、誰も客はおらず、たぶん今は展示場専門かもしれない。須田の作品が30点ばかり壁を埋め尽くしてあって、お好み店よりは数は多い。ちょっとした美術館だ。色紙で切り絵を作った後に出るような色とりどりの紙の切り屑を絵に部分的に散らした作は須田の晩年には多いが、そうしたものがいくつかあった。その小さな色紙は夜景を描く時に使用されるとネオンを連想させるし、文楽人形やおいらんの場合は色気を暗示する。去年の夏にひとりで長崎に行ったのは、須田が夜景で一番美しいのは長崎だと言ったからで、須田の長崎の夜景を描いた絵にはこの小さな切り紙の散りばめ効果が使用されているのかもしれない。いや、きっとそうだろう。お好み屋と同じ経営者がすぐ隣りの別の建物で喫茶店を経営している。TVで紹介されたのはその店内だ。