丸2か月ぶりにこのシリーズを再開する。今年の桜が満開になった直後から5月の終わり頃までに撮った写真を連続して掲載する。今日は4月9日の桜の林の様子だ。
その後も駅前を撮影し続けているが、現在は大きなクレーンが数本立ち、あっちもこっちも地面を引っくり返して大工事中といったところだ。阪急駅前広場は迷路のように通行者用の道がよく切り変わり、パッチワークのように部分ごとに工事が進んでいる。そのため同じ撮影地点の確保が出来ず、新たな場所を選ぶが、そこもすぐに立ち入れなくなる。竣功すれば元どおりの場所に立って同じ角度で撮影が出来るはずだが、以前地面上に目印にしていたものがなくなっているので、どこまで正確に出来るかは疑わしい。ホテルの建設は取り囲んだ塀の向こうなので、ほとんど外からは変化がわからない。だが、配り物で裏手に行く時があると、現場事務所などを含めて丸見えで、地下はすっかり鉄筋が組み上げられ、昨日は初めてコンクリート・ミキサー車がやって来たのを見た。来年の今頃には完成して、営業オープン間近になっているが、駅前広場の改装は今月中か来月には終わり、紅葉の季節の観光客は一新された駅前広場を通って渡月橋に向かうことになる。新しくなれば旧い様子はすっかり記憶から失せるが、写真を撮っておくと、後でこんな具合だったなと確認出来てよい。だが、それでも旧いものは旧いで、別段ありがたくもないか。人間は老齢化すると、かえって古いものを見たくなくなる気がする。絶えず新しいものがいい。老化を意識したくないからだ。そのため、老人は老人臭い人とはあまりつきあいたくないが、かといって若い者と同席すると、そのエネルギーに圧倒され、老人であることをいやでも自覚させられ、不機嫌になりがちだ。それに、筆者は思ってみるが、いくら地元の、またわが家のすぐ近くの出来事とはいえ、駅前のさまざまな変化を写真で記録することは、老人趣味みたいでいやな気もする。だいたい写真というものがそもそも老人にぴったりの趣味だ。若い人はあまりそんな記録の機器に興味を持たない方がいいと思う。記録は過去を向いているからだ。今撮ったなかりの写真でも過去であり、それを画像として留めることは過去をありがたがることだ。写真が示すものは、かつてそうあったということだ。筆者がこうして書くことも、書いた瞬間から過去になっているが、書いている瞬間はぎりぎり現在の最先端で、その最新の新しさに生きている実感が持てる。老人が過去を向かずに、新しいものを追いかけることで老化を忘れるとすれば、若者は逆に前からやって来る未知におののき、過去を向きがちなのかもしれない。
さて、この2か月で変化はいろいろあった。それをこの2週間で書いて行こうと思う。この2か月は猛暑のため、ほとんど仕事はせず、無為の日々であったが、自治会長の仕事は休むわけには行かず、また桜の林に関して大きな動きがあって、実は昨日は府庁に行って府会議員に面会するなど、ここではまだ書きにくいことが進行中だ。表面には出ないことを思ってこうした駅前の変化シリーズを始めたが、実際は全くその逆で、地元の代表者のような形になって動く羽目になっているため、ここで書くことがどこでどう影響が出るか予想がつかず、あまり触れない方がいいことも多いと感じている。それがまた自主規制のようでいやだが、それも経験、いつか洗いざらいぶちまけることもあるかと思う。と書けば、憤懣が溜まっていると思われるが、それもある。その憤懣を書くと、読む人も面白くなくなるだろうから、なるべく書かないことにする。あるいは書くとしても面白くなるようにしたい。損をしたと思ういやな経験でも、それが予期出来ない場合がある。予期出来ないからなおさら腹立たしいのだが、前からやって来る予期せぬ出来事の最大の理由は、筆者が自由業でいくらでも時間が取れることにある。それは言い換えれば仕事が暇な証拠だ。だが、実際は全く暇ではなく、この2か月は人生でそう何度もないほど多忙だ。であるのに、猛暑のために思うように行動が出来ず、やるべき仕事がどんどんずれ込み、今頃になって大慌てしている。ところが今年は国勢調査の年に当たり、その調査票を配り歩いたり、また先週は小学校で老人を200人集めて敬老の会を開催してその準備や出席に1日つぶれ、来週は体育祭でまた1日つぶれるといったように、予定でいっぱいになっている。それらの予定は全部ボランティアだ。定年退職した人なら暇潰しにもって来いだが、筆者のように自分で動いてなんぼの生活では、全く仕事にならず、人のよさ加減もここまでくれば勲章ものだ。前にも書いたが、自治会長は年に100回ほどのチラシの配布をしたり、また会合やらのために文書を年間30ほど作ってコピー屋に走る必要もある。そのほか会合や行事が2週間に1回ほどあって、これら全部をまともにこなしている筆者は、いい運動になっていると思うことにして、今年で2年目を務めているが、この調子ではもう2年ほどは担当せねばならない。ま、来年は少しは暇になりそうだからいい。自治会長をしていていいことが何かあるかと言えば、運動不足の解消程度だ。それ以外には何もないと断言出来る。役割がよく出来てあたりまえ、出来なければ謗られるで、よほど穏和な、あるいは面倒見のいい人でないと務まらない。筆者は本当はそのどちらでもないので、さっさと辞めたいのだが、後任者を見つける、あるいはそのためのルールを作ってからだ。そのルールというのが、今までに何ら書いたものがなかったので、一から筆者が用意しなければならない。そしてそれは住民の賛同を得なければならないから、さほど簡単なことではない。
自治会長をしていると、今まであまり話をしなかった人とよく話をするようになった。筆者は割合世間話が出来る方なので、あまり苦にはならないが、そんな話の中で思うことは、日本が老齢化に向っていることだ。筆者の自治会が所属する自治連合会は住民が7000人強だ。先日の敬老会で耳にしたが、小学生がこの10年で激減し、老人が4倍に増えた。そしてその傾向はまだ続く。ある自治会では、小学生が3人でしかも4年生ばかり、当分は新しい小学生がいないという。そのため、夏の地蔵盆は小学生のためではなく、老人の集まる祭りに移行してはどうかとの意見が出て、実際そうなりつつあるらしい。これはどの自治会も同じようなものだ。それで筆者が思うのは、膨れた自治会の数をまた減らせばいいということだ。最初、つまり数十年前は3つか4つしかなかったのが、今は14ある。人口が減少しているのであれば、自治会を減らすしかない。ところが、そういう意見は出てもまともに取り上げられない。自治会が統合すると、新たな会則や、見慣れない新たな顔が自治会長になって、ぎくしゃくするということなのだろう。一旦分離して増殖したものはなかなか統合しにくいのだ。これは日本の国政を考えればどうなのだろう。田舎では郡や村、町が統合して市になる傾向が強く、その逆はないようだが、道州制にするとか、大阪都にするという意見も統合だろう。その一方で地方の独立と言っているから、統合と分離が併存している状況か。小さな自治会とはいえ、それは日本の縮図であり、日本が抱える問題の最先端部分が最も早く露呈しているのではないだろうか。ともかく、時代は確実に変化して来ており、変えるべきものは変える必要がある。その変化のひとつが嵐山駅前の変化であり、また筆者のこのブログということだ。このブログもそろそろ2000日連続投稿になるので、何か一新したいとも考えている。カテゴリーをひとつ増やすということにしたいのだが、目下のところ妙案がない。