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●「THE WINDMILLS OF YOUR MIND」
期というものを感じさせるのがちょうど今頃の過ごしやすい日々だ。先日までの猛暑はどこへやら、半袖ではもう肌寒く感じる。



●「THE WINDMILLS OF YOUR MIND」_d0053294_16454813.jpgそんな季節の循環を人間が感じるようになるのは、満1歳を過ぎてからだと思うが、自然の移り変わりにしみじみと思いを馳せるようになるのは思春期か、あるいはもう少し前か。とにかく四季のはっきりしている日本では、季節の移ろいに敏感になって、それを感じることが人生の楽しみになっている。そして夏の次の秋が芸術の秋とは呼ばれて、四季の中では物事をじっくりと考え、物思いに耽るには最適な季節のように思われている。これは実際そうだ。筆者は猛暑が続いた日々は何もせずに家の中の一番涼しいところで寝てばかりいたが、涼しい気配が感じられた途端、急にやる気が出て来た。と本人には思っているが、それが普通一般の姿であって、真夏をゴロ寝で過ごすのは普通のまともな人のやることではない。先日、大阪の野崎観音界隈をTVが映していた。大阪にもこんなところがあったのだと認識を改めたが、早速ネットで調べると、江戸時代の子どものはやり歌に、「のざきかんのん十六羅漢、うちの親父は働かん」というのがあったらしく、この語呂合わせのユーモアに笑ってしまった。全く筆者はその「働かん」で、羅漢様のはしくれか、その出来損ないであるなと思った。だが、それなら涼しい秋になってもゴロ寝を続行せねばならないか。いや、ゴロ寝をすれば風邪を引く。それでパソコンに向ったまま居眠りしている。秋になってエンジンがかかったと思っても、夏バテが出始めて、本当のところは何もはかどっていない。それで気づけばもう9月の終わりで、すぐにクリスマスがやって来る。とにかく月日の経つのが年々早い。それは昔から思っていたが、なおさら思うようになった。
 毎月最終週には思い出の曲をひとつ採り上げることにしている。なるべく季節に合った曲をと考えるが、今月はいろいろと頭に音楽が鳴り響き、どれを採り上げてよいか昨日まで決まらなかった。ところが、夕方スーパーに行く途中、即興で短調のメロディがすらすら思い浮かべることが出来て、「ああ、この曲を書き留めておくとちょっとした名曲になるかな」と思い、一方では二度とそのメロディが脳裏に思い浮かばないことを知りながら、脳の別のところが動き出して、今日採り上げる「風のささやき」が鳴り始めた。それで今日はこの秋らしい曲について書くことに決めた。このシングル盤を筆者は2種類持っている。どちらも1969年に買ったもので、もう41年になる。41年後にこのように思い出して書くことは夢にも思わなかったから、人生は長く生きてみないことにはわからないと言えるが、1年という周期を41回繰り返しただけのことで、それに飽きているとも言えるかもしれない。人間長生きしても100回周期を繰り返すだけだ。100回も四季を味わえば充分だろう。ユルスナールの小説に30何回かの四季を見て、それで充分と思って死んでしまう母親が登場する。自殺ではないが、30数年生きて子どもも生めば、充分に人間としても役割を果たしたという思いだ。これはこれで理解出来る。だが、そう書いたユルスナールが80半ばまで生きたし、同性愛者で子どもを作らなかったから、四季の繰り返しについて本当はどう思っていたかはわからない。それはともかく、41年前、筆者が18歳の時になぜ乏しい小遣いの中からこの2枚のシングル盤を買ったのかと言えば、もちろん好きであったからだが、なぜ好きであったかは、季節の周期、特に秋のムードをこの曲に感じていたからだ。それを今から自己分析するつもりでいるが、41年前と今とでは、筆者の本質、気持ちにはほとんど何も変化がないことを改めて思う。顔に皺が増え、染みも出来ている分、精神も老化しているに違いないが、思い出の曲の味わいというものは不思議と当時の気分がそのままいつまでも保持される。
●「THE WINDMILLS OF YOUR MIND」_d0053294_16461956.jpg さて、買った2枚だが、1枚はノエル・ハリソン、もう1枚はダスティ・スプリングフィールドが歌う。前者がオリジナルで、男性ヴォーカル、そして速度が早いため、あっけなく終わる。それでいつも2、3度繰り返して聴く。後者は女性で、オーケストラをバックに力強くゆったりと歌うので、聞き終えると満腹感があって一度で充分だ。ダスティ・ヴァージョンは1969年5月に発表、夏頃にかけてヒットした。ノエル・ヴァージョンも同時期だったと思う。筆者が先に買ったのはダスティ盤だが、その後レコード店でノエル盤を見つけて買った。最初にノエル盤がほしかったのに、それが見つからなかったのだ。それで仕方なしにダスティ盤を先に買った。ノエル盤はあまり売れなかったのではないだろうか。濃いベージュ色地にノエルの写真を配したジャケット・デザインは、この曲の雰囲気に見事に合ってセンスがよい。この曲はスティーヴ・マックイーンとフェイ・ダナウェイが主演した68年公開の映画「華麗なる賭け」の主題歌に使われた。シングル盤を買った当初、筆者はそのことを解説から知ったが、映画を見なかった。映画を見たのは72年だったと思う。映画の内容は銀行強盗とそれに魅せられる女刑事の物語だったか、ほとんどきれいさっぱり忘れた。一番覚えているのは、セスナ機でマックイーンとダナウェイが飛ぶ場面にノエルのヴァージョンが最初から最後まで流れたことだ。だが、その映像を見る前に筆者なりにこの曲を味わっていたので、映画の映像を伴なって聴くことはどこか夢を壊される気がした。この曲を書いたのはミシェル・ルグランだ。41年前に聴いた時は、誰の作曲か全く気にとめず、ただ歌詞を矢継ぎ早に発しながらたたみかけるようなノエルの歌い方はシャンソンらしいな思った。今にして思えばそれは当たっていたことになる。ルグランの曲は「シェルブールの雨傘」で以前に取り上げたので、本当は一作曲家一曲の建前としているこのカテゴリーにはふさわしくないが、ま、歌手が違っているのでよしとしよう。そう言えば今月はシャンソンでも採り上げようかと思った。秋はシャンソンが似合う。あるいはこの曲のような短調か。
 この曲がヒットした時、ビートルズの「ヘイ・ジュード」がラジオからよく鳴っていた。ビートルズを聴く一方で、筆者がこんな映画音楽のレコードを買っていたことは、好きなものは好き、自分でいいと思うものはいいという立場を取っていたことをよく示す。ビートルズが解散し、その後人気が不動になってからファンになった人は、ビートルズを絶対視して、他を排斥しがちだが、そういうファンはつまらない。自分で何がいいかを選択したのではなく、大方は誰かが作り上げた評判にしたがっているだけで、その評判を自分の味方にして意見を言う、つまり自分を大きくふくらませた地点で物を言うから、始末に悪い。「風のささやき、何それ? 一発屋のしかも目立たない曲やろ」で終わりだ。それはさておき、「風のささやき」の題名は原題の直訳ではなく、当時の好みを反映している。これも以前このカテゴリーで採り上げた曲に「雨のささやき」がある。60年代はホセ・フェリシアーノの人気が大きく、このノエル・ハリソンの曲も同じジャンルに含められると思われたのだろう。ノエルはイギリスの俳優レックス・ハリソンの長男だ。筆者はレックスの名前は知るものの、出演映画を見た記憶がない。学生時代のノエルはスキー選手として有名で、オリンピックではイギリス代表にもなったことがあるそうだ。卒業後俳優となり、一方でシンガー・ソング・ライターとして活動した。声質はなかなかよい。それはこの「風のささやき」からもよくわかる。B面はノエルの作詞作曲のフォーク調の曲で、ジョン・レノンのビートルズ解散後のソロ・アルバムに含めてもいいような仕上がりだ。これがジョンの歌であれば世界的に知られたが、ノエルの曲であればそうはみなされない。能力がありながら、陽の目をさほど見ない才能はわんさかいる。ノエルもこの曲の大ヒット以外には知られず、また俳優業もどうなっているのだろう。父が偉大であっただけになおさら父の没後は世間は冷たかったのかもしれない。今調べるとノエルは今年76歳になっている。筆者が41年前にレコードを買っているのであるから、それも当然か。筆者もすぐにその年齢になる。運がよければ。
 ノエルもダスティもイギリス人で、作曲のルグランと合わせて、この曲はヨーロッパ好みが反映している。映画の脚本を見たうえで作詞作曲がなされたのかどうか、おそらくそうだと思うが、とすれば『華麗なる賭け』のストーリーと合わせて考えなければならない。この映画の原題は「The Thomas Crown Affair」で、「トーマス・クラウン事件」とでも訳そうか、サスペンスものであると言ってよい。トーマス・クラウンはスティーヴ。マックイーンが演じたが、「Crown(王冠)」という名前が主人公の豪華な生活を示し、邦題の「華麗なる」に結びついたのだろう。主題曲の「The Windmills of Your Mind」は「心の風車」で、これはトーマス・クラウンのことを言っていると思うのもよし、そうではないと考えるのもよい。さて、この曲は、伴奏は冒頭と最後に実に印象深いオーケストラの短いフレーズがあって、その間をノエルの歌声が全部占める。伴奏は控えめで、右スピーカーからかすかにシンバルの音が聞こえて来るのがよい。ほとんどノエルの歌声しか記憶に残らないが、ダスティ盤も同じと言ってよい。だが、まだバックの演奏は主張が強く、アレンジもこってりと厚みがある。そのため、「風のささやき」という表現からすればノエル盤はまさにぴったりで、一陣の風のごとく曲が過ぎ去る。一方ダスティ盤はダスティの歌もオーケストラも単調なフレーズの繰り返しを劇的に盛り上げるために、ノエル盤以上に細部に凝っている。それはまさに「心の風車」をより修飾した行為で、ダスティ盤は題名を深く解釈し直している。だが、短く単調なノエル盤にもフレーズごとに微妙な変化が施され、歌に山場がある。その山場に至った瞬間、筆者はいつも涙ぐむが、その一瞬の感動的な部分がよくて、このレコードを買った。そのな涙ぐむ山場はダスティ盤では全くそうはならず、堂々たるプロの女性歌手の歌いぶりにほれぼれさせられる。エンターテインメント性においてははるかにダスティ盤が勝り、それはそれで聞き物だが、筆者はかすかな、脆い何かを伝えようとしているノエル盤がより詩的で秋にふさわしいと感じる。そして、ノエルでなければ当時どんな男性歌手がこの歌を歌うことが出来たであろうか。今スコット・ウォーカーを思い出したが、彼は重過ぎて似合わない。シナトラもこういう早いテンポの曲は駄目だ。クリフ・リチャードではロック過ぎるし、プレスリーではもっと違う。結局ノエルの歌声が一番いいように思える。
 ノエル盤もダスティ盤にも歌詞が印刷されている。またネットで調べるとコードつきの歌詞もすぐに見つかる。それらを比較すると、どれも一部分が違っている。レコードの歌詞カードはおそらく聞き取りであるから、間違いが多いだろう。たとえば後半の後半部にこんな下りがある。「When you knew that it was over, were you suddenly aware That the autumn leaves were turning to the color of her hair」(それが終わったと知る時、君は急に気づくかな。秋の葉が彼女の髪色に変わることを。)「それが終わった」の「それ」が何を指すかは、誰しもこのフレーズの前の何かを思うが、そうでもないようだ。歌詞はイメージが次々と変転し、その言葉の連発が脳裏にイメージをカラフルに変化させる。うがった見方をすれば当時の麻薬とつながったロック音楽からの影響も感じさせ、またフランスの象徴派の詩にも接近しているかもしれない。話を戻して、この歌詞の最後の言葉「the color of her hair」がノエル盤では「the color of a hair」(髪の色)、ダスティ盤では「the color of despair」(絶望の色)となっている。些細な差かもしれないが、この曲の雰囲気に「絶望」はない。筆者が涙ぐむ山場というのは、後半の始まりだ。「Keys that jingle in your pocket, words that jangle in your head; Why did summer go so quickly? Was it something that I said? Lovers walk along a shore and leave their footprints in the sand; Is the sound of distant drumming just the fingers of your hand?」(ポケットで鳴る鍵の束、君の頭の中はジャングルのような言葉、なぜ夏はそんなに早く過ぎ去る? それはぼくが言ったことか? 恋人たちは岸辺を歩き、砂に足跡を残す。遠くの太鼓の響きは君の手の指か?) この下りもノエル盤とダスティ盤はわずかに言葉が違っているが、違ったところで、元来言葉の断片を脈絡なくつなぐこの詩ではあまり大筋に変化はない。その意味においてこの曲の歌詞は日本の歌ではほとんどあり得ない内容と言えるが、散りばめられる言葉がみなそれなりに詩情があるので、聴きなれると言葉から即座にイメージが脳裏に立ち上り、そのめくるめく連続性が、過ぎ去った夏の思い出と言えばいいか、何とも秋を感じさせる。それは山場の歌詞「なぜ夏はそんなに早く過ぎ去るのだ」にもよく表現されている。ノエル・ハリソンはこの曲で代表される存在になっている。「働かん」老齢になってこの曲を反芻しながら、「なぜ人生の夏はそんなに早く過ぎ去るのだ」と思っていることだろう。筆者もこの40年が一瞬であった気がする。今20代の若者は、筆者がそういうことを書くことに実感がなく、おっさんの戯言と思うに違いないが、20代半ば、いや数歳の子どもの面影にすら筆者は老人の翳りを見ることがしばしばある。せいぜい若い恋人たちは岸辺を歩いて足跡を砂場に残すことだ。だが、足跡はすぐに消え、季節の周期を繰り返し、気づけば老齢に達している。であるからどうしろと言うのではない。せいぜい好きな曲を聴き、変らぬ自分を自覚することだ。
by uuuzen | 2010-09-30 16:46 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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