2009年08月13日●第 99 話
40日ほど前、直径3、4センチのシャボン玉が飛来してマニマンの腕にくっつき、ようやく割れた時に白い粉が残りました。そんな奇妙なシャボン玉の写真が撮れなかったことが気がかりで、ついに先日マニマンはシャボン玉を買って来ました。そして、裏庭に飛ばしながら、替え歌を歌いました。
♪シャボン玉しゃぼんだー、しょぼんとしぼんだー、しぼんでしなびたー、しなびたらー死んだー
♪ウキウキUKIゴッター、浮いたーシャボンだー。
次から次へと七色の透明なゴッタが浮かんでは漂い、そして急にパチンと割れます。マニマンにはそれがニンゲンそのものに思えます。浮世に浮かぶはかない存在です。神様は気まぐれにシャボン玉遊びでシャボン・ニンゲンを製造し、飽きればまた別の遊びをするのです。ニンゲンが今を謳歌するのも、神様にとってはほんの一瞬の遊びです。でも、ニンゲンはそれを知っています。ですから毎日楽しく過ごしたいと思うのです。マニマンは今日も「おにおにっ記」のシャボン玉を浮世に飛ばします。その表面には七色の思いが映っています。中が見え透いていますが。※
「おにおにっ記 フィナーレ」は今日で終わり。というのは嘘で、しばらく中断する。去年書いた時にも中断を設けた。その理由はまたいずれ書くつもりでいる。去年と同じ中断日数を、明日から別の話題で埋めるというのではないが、だいたいその程度の日数になる。ざっと2週間だ。で、その中断を埋める内容は、前に中断していた「嵐山駅前の変化」シリーズの再開で、これは今年の春に撮っておいた写真を掲載しながら、大筋はそれにまつわる文章を投稿日当日に書くものだが、駅前の変化について毎日書くべき内容はないので、別の話題が多くなるだろう。「おにおにっき記」とは違ってリアル・タイムの日記になるので、その分新鮮だが、1年前に書いた「おにおにっき記」を読んでも古いことに思えないので、読み手も同じではないだろうか。それでも他人のブログを読んでいると、やはりそれが書かれた日というのは気になって、数年前のものは古くて価値がないように感じる。その意味で「おにおにっき記」はなおさら人気がないだろうと想像するが、ようやく自分でも面白くなって来たかなと思っている。そのようやく佳境に入って来た「おにおにっ記」はもう残りわずかだ。これは嘘ではない。