●『朱蒙(チュモン)』
蒙は高句麗の初代の王の名前だ。それをこのドラマで知った。高句麗は。高松塚古墳などとの関連で、日本でもよく知られるが、今の北朝鮮から満州に広がる国家であったため、日本にいては北方の騎馬民族といった程度の意識しかない。



朝鮮の美術はいろいろと紹介されて来て、筆者はそれなりに展覧会を見ているが、高句麗と言えば『高句麗文化展』を即座に思い出し、その図録を引っ張り出した。1985年に開催された展覧会で、もう25年もなる。北朝鮮の中央歴史博物館所蔵の壁画やその模写、復元衣装などを展示したもので、壁画はピョンヤン近くの高句麗の王墓にあったものだ。だいたい4世紀半ばから200年後までのものを展示した。朱雀や白虎、青龍、玄武はキトラ古墳の壁画の源流になったもので、このドラマでは3本足の烏ヤタガラスが象徴的に何度か登場し、日本の神話時代も似たようなものでったのだろうと思わせられた。朱蒙はキリストより以前の伝説的人物で、その墓は鴨緑江の近くにあったと思うが、後代にピョンヤン近郊にも造られた。それほど後の代にも憧れの眼差しで見られる王であった。ほとんど神話として伝わる人物だが、わずかな記録をもとに面白いドラマを作ろうと意気込まれ、今から3年前に放映された。今までの韓国TVドラマの視聴率を塗り替える大ヒットを記録し、当時その評判を聞いていた。全81話で、これを毎週1話見ると1年半かかるが韓国では週2話だったのだろう。筆者が見たのは地元KBS京都で、毎週9時から11時まで2話連続放送で、40週間で放映が終わった。それでも1年近い。筆者の見たものは1話当たり45分程度で、これは韓国で放映された長さの6割だ。このあまりにカットの多い編集が、元の深みをどれだけ削いだかと思う。また、吹き替え版であったので、これも印象がかなり違うだろう。朱蒙役のソン・イルグクの声が途中で変わったのは驚いた。王になった時に貫禄を出すために、落ち着いた声質がいいと判断されたからだが、もちろん韓国のオリジナルはそうなってはいない。ソン・イルグクはこのドラマで初めて知った。最初はとっつきにくい感じを抱いたが、そのうちに馴れて、格好いいと思えるようになった。美形ではないが、王としての風格がある。また、高句麗(コグリョ)の王になってからの演技も上手で、髭が似合っていた。ちょっと若いという気もしたが、朱蒙は40歳で亡くなったそうで、若い顔の王は正しい。40で亡くなった王が神話化されることのは、それほど波乱に富み、生まれるべくしてこの世に出て来た、またその一方で、夭折したゆえの一種の哀れさ、むなしさも感じさせる。だが、古代の王の40という享年はさほど短くもないかもしれない。偉大な人物ほど、風のごとく人生を駆け抜ける。朱蒙もそのひとりというわけだ。
 このドラマがなぜ韓国で驚異的な視聴率を稼いだか。筆者には正直なところわからない。前半は面白かったが、後半は少々間延びして、人気のあまり長引かせたことがよくわかった。韓国ドラマではそれは普通に行なわれる。81話を50話程度に凝縮すればよかったのではないだろうか。筆者は熱心に見た方ではない。確か数回は見逃した。それでもあまり物語が進展していなかったので、話の筋をつなぐことが出来た。筆者なりにこのドラマの人気ぶりを考えると、ほかの韓国の人気ドラマにも共通することだが、国の誇りを描いていることだ。それを朱蒙が代表して背負っている。高句麗は北に前漢と接していて、その脅威がありながら朱蒙は周辺の小さな部族国家を統合し、朝鮮の国家の礎を築いた。その独立心が視聴者に歓迎されたのだ。当時は前漢と手を結んで他の部族を滅ぼそうとする勢力があったが、このドラマではそれは卑怯な存在として断罪される。強大な中国に対して事なかれ主義を取るのではなく、知恵を絞り、人々が結集してその侵略的行為を排除しようという思いが朱蒙に集約された形のドラマだ。これは現在の韓国も同じ考えのはずで、そこが人々の心を捉えた。ナショナリズムを煽るドラマと思われかねないが、案外そういう印象は覚えない。むしろ、日本で同じような古代の神話をもとに面白いドラマが出来ないのが不思議だ。そこには神話すなわち天皇に結びつき、NHKが右傾化したと思われたくないと考えているかもしれない。また古代を描くと、どうしても高句麗との関係を描かねばならず、はるかに先進国家であった高句麗から屈辱的な立場を強いられて面白くないと考えているのかもしれない。つまり、歴史的に見て、古代は日本は後進国で、それをわざわざドラマ化する必要はないという考えだ。であるからか、むしろ韓国は逆にこうした古代を主題にしたドラマをよく作り、歴史の長い国であることを外に向って主張する。だが、古代だけではなく、韓国ドラマは割合あらゆる時代を主題にするから、日本以上に歴史好きな民族なのだろう。また、朝鮮半島にはいくつかの国が併存した時期があって、それらの国が中国や日本と手を結ぶなど、日本ではちっと考えにくい闘争が多かった国土でもあり、その闘争心がいい意味でも悪い意味でも朝鮮民族の気質になっていると思わせられる。いい意味は、世界を見定めて経済競争に邁進するといった部分だ。その勢いづいている今の韓国経済を背景にこのドラマが生まれたことを考えればいいだろう。成長、拡張に自信がついた時に、国土がはるか広大であった高句麗に思いを馳せるということだ。
 さてこのドラマでは朱蒙が古地図を入手し、かつては広大な広大な領地を所有していたことを知り、それで自らを鼓舞してその領地を前漢から取り戻そうとする下りがある。それはかつて自分たちの先祖が持っていたものを戦いによってふたたび自分たちのものにする決心であり、ここに韓国と日本の竹島の領土問題が微妙に影を落としていると見ることは出来るだろう。同じことは、たとえば今TVをにぎわしている尖閣諸島の領海を巡る中国と日本の緊迫した関係にも言える。領土問題は朱蒙の時代から、つまり国家が成立した時代から変化がない。これがなくなるのは、国家がなくなった時だが、そんな時代がイマジン出来るのかどか。
 朱蒙が初代の高句麗の王となった後700年間国家が保たれた。朝鮮半島はいくつかに分裂し、それらとの間の戦いがよくあったから、いかに高句麗が強固な国家を長年にわたって築いていたかがわかる。そういう強さを現在の韓国が憧れ、朱蒙を再評価したということだが、今も朝鮮半島は国家が二分し、それを統一する強力な人物を待望する思いが、このドラマ作りに反映したと見ることも多少は出来るかもしれない。ドラマの完成後、主役のソン・イルグクを初め、数人の俳優がピョンヤンにある朱蒙の墓を詣でたそうだが、北朝鮮は文化的な観光ならば歓迎するという立場だ。だが、北朝鮮の人々がこのドラマを密かに回し見て、韓国の国力に感嘆するということになるかもしれないし、また北朝鮮の指導者たちが、こうした莫大な費用をかけて製作されたドラマをどのようにして見るのか、そんなことも気になった。いつか北朝鮮が、自力で朱蒙を主役にしたTVドラマを作る時代が来るかもしれない。その時は本当に朱蒙の馬が駆け巡った山河でロケがされるはずで、筆者はそれを見たい。というのは、このドラマのには見慣れない山地が盛んに映り、中には明らかにコンピュータ・グラフィックで合成したとわかるものもあったが、韓国のスタッフは朱蒙の活動範囲をいかに本物らしく見せるかに大いに苦心したはずで、あえて北方的な景色を見せようとしたようだ。それは衣装や道具などの時代考証の点でも言える。朱蒙の時代の人々がどのような服を着ていたか、またどんな形の部屋に住み、どんな家具調度に囲まれていたか、あるいは宮殿や寺院はどういう形であったかなど、誰にもわからないのでどのようにも描けると言ってしまえばそれまでだが、最初に書いたように、高句麗時代の壁画がかなり豊富に残っているし、また同時代の中国文化の強い影響を受けていたはずであるから、そこはかなり妥当なところを描くことは出来た・だが、とてもあり得ない花瓶など、時代錯誤は免れ得なかった。そこまで細部を注視している人はいないと考えるならば、それはしょせんTVドラマに過ぎないと侮られる。高句麗の壁画群は日本の高松塚古墳とは規模があまりにも違い過ぎて、当時いかに先進国家であったかを示すが、一方で寺院の発掘からはその大きさがわかり、宮殿も推して知るべしということになる。壁画は朱蒙の時代より400年ほど後のものでも、当時は現在ほど流行の変化は目まぐるしくなく、おおよそ似た衣装や建物であったと考えてよい。ま、そんなことで、ドラマ用に大掛かりな建物のセットが造られたが、他のドラマに使い回しするのかと、そこがとても気になった。日本ではあり得ない大規模なセットで、TVにしては費用がかかり過ぎているなと思わせ、意気込みがよくわかる。最初の方の回ではエキストラも大量に出演し、映画並みの迫力ある場面が多い。これがやがて登場人物の心理描写や対話といった室内の場面、あるいは人物に絞った場面になるので、そこはスタジオのセットでも間に合い、お金のかけどころの場面はかなり減退する。それがつまらないというのではないが、お金をたくさんかけた場面とそうでない場面を比べると、後者が圧倒的に多いのは言うまでもなく、やはりTVドラマだなと思ってしまう。
 それは登場人物の性格の描き方があまりに紋切り型であることが目立つことからも感じた。たとえば朱蒙には血のつながらない兄がふたりいるが、どちらも狡猾で、特に2番目の兄は終始どうしようもないいい加減な、行き当たりばったりの人物として描かれる。これは演ずる俳優がイメージが固定してかわいそうで、そのコミカルなほどに狡猾な人物と凛々しい朱蒙が対比され、いやでも朱蒙が格好よくならざるを得ない。王として神格化されるほどの人物であるから、高潔な精神の持ち主であったと思いたいのは誰しもで、実際そうであったことだろう。でなければ民衆がついて来ない。このドラマではよく民衆の話が出て来る。民衆が餓死寸前になった時、朱蒙らは兵糧を回してまでも助けようとする。肝心の兵士が腹ペコでは士気が高まらないが、民衆を無視するような支配者は、結局国家を建てても長くは続かないという朱蒙すなわち脚本家の考えだ。それは現在の韓国の政治の一面を見る思いがする。また、高句麗が建国されて力をつけて行くのは、先進技術を開発したという設定で、これは漢に対抗する武器、つまり強靭な鉄製の武具をいかに開発したかだ。コミカルな脇役としては欠かせないイ・ゲインがモパルモとして登場するが、このイ・ゲインの人のよいキャラクターはどのドラマでも同じで、それがまたかと思わせられるにもかわらず、やはり面白い。こういう脇役がドラマの性格を大きく決定づける。この日本語吹き替えがモト冬樹と知って驚いた。モト冬樹はなかなかの才能だ。モパルモは苦心しながら、朱蒙の励みに応え、ついに朱蒙の願いどおりに頑丈な剣や鎧を開発する。この点は百済の物語であった『ソドンヨ』に通じる。こうした部分は教育的な部分として文部省推薦ものだ。同じような教育的な部分は、宮殿や寺院の建築、調度、衣装、文具などで、また巫女の存在もそこに含めてよい。特に巫女の衣装は、鮮やかなドラマとして印象づけるためにあまりの派手な色合いと衣装で、これには笑ってしまった。国家の行く末を占う巫女という特別かつ重要な存在であるから、衣装も思い切り他の人とは違っていたという考えもわかるが、化学染料丸出しの色合いは韓国ドラマのひとつの弱点で、もう少し妥当と思える色合いにならないものかと思う。ウェディング・ドレスのような衣装を着た巫女が洞窟の中でひとり暮している場面が何度もあり、どこでどう仕立てたか、土で汚れはしないか、また汚れたもの川で洗う時は代わりの服があったのかなど、つまらぬことを思ってしまう。鍛冶職人が熱心に粘りのある鉄を開発しようとしているところに、当時重要な工芸部門であったはずの染織だけが、その製作場面を一切映されないのは、教育的観点からこのドラマを見る人は興醒めする。その点『ソドンヨ』は目配りが利いていた。
 朱蒙は弓の名手だ。朱蒙の父はヘモスという名で、漢に対抗するタムル軍を率いる勇敢な戦士であった。ヘモスをホ・ジュノが演ずるが、このホ・ジュノが死ぬ回までがこのドラマの最も面白い部分だ。ヘモスには親友のクムワがいて、一緒に闘った仲だが、ヘモスを失ってしまう。ところが、ヘモスは盲目になりながら、クムワが知らないまま、クムワの国家扶余(プヨ)の牢獄に20年ほども幽閉される中、クムワはヘモスの子である朱蒙を自分の子として育てる。朱蒙の母はヘモスが死んだものと思いながら、クムワの側室になるが、正室が陰湿な悪役で、クムワとの間に生んだふたりの王子も同様の性格、そして朱蒙を事あるごとに殺そうとする。そうして朱蒙は成人するが、ある日牢獄に盲目の老人ヘモスが捕らえられていることを知り、弓や剣の技を教授される。もちろんヘモスはそれがわが子であることを知らず、朱蒙も父であることを知らない。なぜヘモスが幽閉されたかだが、巫女が未来を占って、やがてヘモスの子が扶余を滅ぼすことを思ったからだが、瀕死のヘモスを殺すことをしなかったのは、まだその時期ではないと考えたからだ。結果巫女の予感どおり、朱蒙はクムワの息子たちを凌駕する力を持つ。ドラマの結末が最初からわかってしまうところがあり、それが81話もどう転換しながら続くかだが、話は大方の予想を裏切って進展する。そこが人気が持続した理由でもあるだろう。毎回山場を設ける必要のあるドラマなので、何度も危機に瀕しながら朱蒙が生き延びる場面が多いのは言うまでもないが、そこに韓国ドラマならではの恋愛物語を絡めることで、女性が見ても楽しいものを心がけている。実際巫女が政治の重要な部分を司るほどに、古代は女性が国家の命運を左右したから、このドラマにたくさんの女性を登場させて王や王子を裏で操る、あるいは励ます場面は欠かせない。朱蒙は女にも持てたという設定で、これは王になる男としては当然か。だが色情魔であってはいけない。あくまでも優しく、そして粋でなければならない。そんな格好いい男は世界共通で、またいつの時代も変わらない。本当の朱蒙がどうであったかは知らないが、40で死んだのであれば、いつも馬に乗って闘っていたかもしれず、このドラマに描かれるほど女性には縁がなかったかもしれない。そうそう、伝説では朱蒙は最初女の尻を追いまくる人物となっていて、この点はドラマでもそう描かれた。そういうごく普通、あるいは全く頼りないとも言ってよい人物が王の風格を持ち始めるという描き方は、これもどの国の偉人伝にもあって珍しくはない。概して韓国ドラマの主役はそういうやんちゃな人物を起用する。生まれた時から神童であったというよりも、かえってその方が普通の人々の賛同を得やすく、ドラマに持って来いなのだ。同じような人物は上田秋成の晩年の小説にも登場する。これは思い方によって人はいつでもがらりと生まれ変わることが出来るとする考えで、仏教に由来するのではないか。
by uuuzen | 2010-09-25 21:38 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画


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