素朴派のひとりとしてよく紹介されるボーシャンだが、今回は関西では初めての展覧会ではなかったかと思う。今さら素朴派でもないと思う一方、久しぶりに伊丹に行くのもいいので出かけた。

猛暑にうんざりしながらの最終日の1日前、28日のことだ。その日は美術館近くで花火大会があって、浴衣姿も混じって大勢の若者が同じ方向に向って歩いていた。閉館の6時までいたので、その足で人込みに混じって見に行くことが出来たが、帰りの電車の混雑を思うとその気が失せて、駅前のスーパーで買い物をして帰った。電車に乗って出かけると必ずスーパーに立ち寄る。見慣れない商品があったりするのが面白いからだ。それはいいとして、その日は昼頃に家を出て、まず大阪の歴史博物館に行った。実はその数日前の火曜日にも同館に行った。家内と同館内のベンチで待ち合わせをしたが、落ち合って初めて休館日であることに気づいた。時々そういう間違いをしでかす。それで28日に出直した。記録的猛暑の中を天六で降りて谷四まで歩いたから、先日の無駄足を家内は思い出し、ずっとぼやきどおしであった。だが、いつもとは違った道を歩いたこともあって、気になるものをいくつか見つけ、それはそれで筆者は得るものがあった。またそうとでも思わない限り、休館日に出かけてしまったこと、また28日に炎天下を歩いたことがあまりにしゃくに触る。何でも思いようだ。同じ経験でも損をしたと思えば損であり、得したと思えば得になる。その意味からすれば筆者が訪れる展覧会はどれもそれなりに意義があって、このカテゴリーで全部採り上げることも出来る。それをしないのは、得したと思える度合いの大きいものをなるべく採り上げるからだ。そして、このボーシャン展は行ってよかった。展示の最後の部屋にボーシャンの分厚い洋書が置いてあった。それをぱらぱらと見ると、今回の展覧会は代表作を案外多く持って来たことがわかる。数日前の火曜日は、歴史博物館が閉まっていたので地下鉄に乗って国立国際美術館に行き、その後はバスに乗って天保山のサントリー・ミュージアムにも行った。後者の展示の中に、ボーシャンの大作が2点並んでいた。それがいわば伊丹のボーシャン展の予告編のようになったが、サントリー・ミュージアムの2点があまりにしっかりと描かれていたのに、伊丹の会場は同じような小品がほとんどで、かなり失望した。ところが、いつもとは違って会場が3つに分かれ、その最後の3つ目の部屋に力作が占めていた。その3つ目の部屋の最後のコーナーに1冊の洋書がテーブルにあった。それを見ながら、何とも言えない喜びの気持ちが涌いて来た。そういう思いは20年や30年ぶりだろう。
その気分は即座に自分も油絵を描きたいという思いにつながった。それは描くことの純粋な喜びを筆者が知っているからで、誰かに見せるとか、展覧会に出すとかいった気持ちは全くない。描くことがただ楽しい。その気分をボーシャンの絵が涌き起こさせてくれた。そのことだけでもボーシャンが歴史に残る大家と言える。絵はさまざまで、ボーシャンのような素朴な、つまり独学の下手な絵を評価しない人は多いだろう。だが、絵はそうした人が思う以上にもっと広がりがあり、謎めいてもいる。何が本当の絵画であるかは誰にも決められないし、また決めている。そして決めるとして、それは許容力が大きいことが望ましい。筆者にも好き嫌いがあるので、誰かが評価している絵や画家を全くそう思わないことがある。それは許容力が狭いということになるが、いいものを見たと感じられる、そしてその気持ちが長らく記憶に刻印される対象にたくさん出会えるならば、自ずと筆者だけの世界が形成され、それなりの許容力がそこに内在するだろう。なぜこのようなことを書くかと言えば、先日NHKで松井冬子が登場し、自作について語っていた番組を見ていろいろと思うことがあったからだ。松井の絵は実際には見ていないので、その技術的なことははっきりとはわからない。本人は巨匠になりたいらしく、またそのようにみなされたいために大変な努力をし、また東京芸大も出た。そしてその絵だが、腹が切り開かれて内臓を晒す少女や、髪が異様に長い幽霊、藤の花房の下部が黒い蜂の集まりに変化しているなど、漫画や六道絵など、いかにも人を驚かせるに足るものばかりで、松井がいかにもTV向きでファッション・モデルにもなれるような顔立ちをしていることとあいまって人気者になっている。松井は男性が女性のヌードを描くのが許せないらしい。女の体を男が知ってたまるかというわけだ。この松井の態度に濃厚なレズビアン趣向を感じるが、それと同じように松井の絵は男あるいは何かを拒否して遠ざけるものを感じる。先に書いたように、絵画の世界は広大であるから、そういう松井の思いも含んで容認されるべきではある。だが、本当の絵画であるかを誰もが自分で決めるのであるし、松井が今後世紀の巨匠とみなされるようになっても、それをそう思わない人の意見も当然存在する。松井が巨匠になりたいと発言した時、筆者は無邪気な女だなと内心笑った。それは否定的な意味ではない。松井くらいの思いがなければ実際に巨匠にはなれないだろう。だが、そういう思いは内に秘めるものだ。それを堂々と言ってしまえば何だか白ける。松井はおそらく自分の陰部を人前に晒して平気、あるいはそうしたい欲求を持っていると思える。そういう女を好む男もいるので何の問題もないが、50年経って老婆になった松井がどんな絵を描き、またどんな自身の顔を作り上げているかを想像すると、それは松井の今の絵を見ていれば即座にわかる気がする。そして、そんな松井と松井の絵は何だがいじらしくて哀れを催す。筆者のこういう見方にはかなり女性に対する蔑視が混じっているかもしれない。女の画家を特殊なものと見る思いもあるだろう。これまでの女流画家の系譜にいかにも現代的な存在として松井が占めるとは思うが、その絵画がどれだけ人に愛されて巨匠とみなされるかは、松井本人のあずかり知らないところで下される。
松井とは正反対の画家がボーシャンと言えば、あまりにも単純な見方を晒すことになる。ボーシャンを素朴で下手うまの画家などと簡単にくくってしまうのはよくない。ボーシャンの絵が今も評価され、巨匠とみなされるのは、素朴という言葉を超えて絵画の面白さや謎を大きくはらむからだ。きれとは単純だとか、そういう見方を遥かに超えて、松井の絵画以上に気持ち悪くて不気味な側面すらある。松井のように人を驚かせようとはせずにそうなっている絵画は貫禄があって、しかも恐い。先に筆者はボーシャンの絵を見て自分も楽しく描いてみたい思いを抱いたと書いた。だが、正直に言えば、それは思うままざくざくと絵具をキャンバスに塗りたくる行為の楽しさとは別に、そうして出来上がる絵の不思議さを思い起こしていたからだ。その不思議さは、人に見せて上手だと褒められるようなものを期待したものではない。むしろ期待されない、理解されないことの方を多く望んでいるかもしれない。そして、まず人に見せるという思いが欠落している。自分が自由に描くことがただ満足で、絵はその場で破棄してもかまわない。そして、ボーシャンもそんな思いで描いたことがあったのではないか。ここが言いたいところで、またそこが松井とは何か本質的に違うことに思える。巨匠とみなされるには東京芸大程度は出ておくべきだと思ったと、松井はなかなか現実的なことを言う。それは実際にそうだろう。自由の最後の砦であるはずの芸術が、本当はその正反対で、東京芸大など一流の芸大出でなければ画商もつかず、世に出ることも巨匠とみなされることもないような、最も不自由な世界となっているのが現実だ。その意味で松井は最初から巨匠の道をまっしぐらで、本人の思うようにその肩書きを手に入れるだろう。だが、絵は広い。芸大出の絵だけが絵だけではない。いや、芸大出の絵ほどつまらないものはないとも言える。ボーシャンは1873年生まれで、これは明治6年だ。絵を描き始めたのは40代半ばで、戦争で作図に従事し、絵の才能を自覚したことによる。独学で描き始め、やがて才能に注目する有名人が出て来る。40代半ばは大正時代であるから、いくら独学とはいえ、当時の空気、時代の流れに感化されなかったはずはなく、シュルレアリスムの観点からも見ることは出来るだろう。だが、筆者が感じたのはもっと広いヨーロッパ世界の歴史の蓄積だ。根なし草的な画家ではなく、しっかりと養分を蓄えた土壌の中から必然的に生まれて来た才能で、しかも自然そのものといった風格がある。そして、そんな画家を巨匠とみなすフランス絵画のふところの大きさを見る。一流の芸大を最低限出ていなければ巨匠になれない日本のちっぽけさとは違って、何と自由で、おおらかで、素直で、そして謎めいていることか。
謎めきは、ボーシャンが現実をそのまま写生しなかった画風に負うが、それだけではない。たとえば今回のチケットやチラシに使用されたが、自分が生まれ育った自然の中に果物をたくさん並べた絵がある。シュルレアリスムで言うデペイズマンの技法だが、ボーシャンはそんなことを知らずにこの絵を描いたであろう。脳裏にある理想的な光景が思い浮かんでいたのだ。頭が少し足りない素人画家がよくやりそうなと受け取る人もあろうが、仮にそうだったとしてどうだと言うのか。東京芸大を出るような頭も賢く、技術もあるような人だけが絵画を司ることが出来て巨匠となる道が開かれていると自惚れること自体にすでに真の巨匠の道は閉ざされているのではないか。ボーシャンはギリシア神話や聖書の世界を好んで描いた。それはチケットに印刷されるような静物画とは違って、中世のイコンやルネサンスの壁画を連想させる。神話や聖書には現実にはあり得ない世界があって、それを描くことを好んだところにも、ボーシャンがシュルレアリスム時代の画家であることを納得させるものがあるが、流行の都会的なそれとは大いに違って、ボーシャンの絵画はもっと素直で図太く、真実味がある。シュルレアリスムを言えば松井の絵も多分にそうだ。だが、そこには大きな背景は感じられず、閉鎖的な個人のつぶやきがただ感じられる。それは日本の現代のすべての表現者に共通したことで、日本の悲しみとも言える。深く張る根を持てず、永遠に浮き続ける、吹けば飛ぶようなか弱い草だ。ボーシャンの絵はその正反対のものを感じさせる。ボーシャンの故郷は岩肌が多く露出した風景に恵まれたトゥーレーヌ地方の田舎で、そこの園芸師の息子として生まれ、有名になってからも故郷に留まった。そして、その田舎の光景が何度も姿を変えて絵に登場するが、ボーシャンが田舎を出てパリに住めばそうした作品は生まれなかったであろう。神話や聖書の世界を題材にした絵でありながら、クールベが描いたような自然の豊かさがよく伝わり、ボーシャンの絵は盛りだくさんな内容を持っている。そして思うのは、ボーシャンのような画家は日本のどこかに今いるのではないかということで、その思いからは、誰もが今すぐに絵を描いて楽しく過ごせるという思いが導かれる。これは得であり、こんなよき連鎖を感じさせるボーシャンこそ真の巨匠ではないかと思う。「絵がこんなにいいものは」といったしみじみした思いは、松井の絵からはおそらく感じられない。