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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●平安神宮の神苑を歩く
得は気分がよいか悪いかで計られる。あるいは支払った代価に見合う価値があるかどうかだが、代価に見合う価値に対する思いは人さまざまだ。



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さて、今日は月末の長文日だが、それは明日に回して別のことを書く。昨日は炎天下の中、大阪と伊丹に出かけて展覧会を見た。猛暑の中、谷町4丁目の交差点北西角で信号待ちをしていた時、ちょうどその付近の小さな植え込みを、ひとりの赤銅色の肌をした逞しい初老の男性も混じるなか、ほうかむりした老婦人が10人ほど箒で清掃していた。それを監督している清掃局職員が、場所と日時を書き込んだ小さな黒板を清掃された植え込みの横に立て、デジカメで写真を1枚撮った途端に横に停めてあった黄色い清掃トラックに全員別れて乗り、さっさとその場を離れて行った。信号待ちをのほんの数十秒の出来事だ。暑い真昼なので作業を急ぐ気持ちはわかるが、驚いたのは植え込みの周囲がタバコの吸い殻や菓子のビニール袋などゴミが散乱していたことだ。つまり、本当に植え込みのすぐ際だけを清掃し、写真も角度を計算してゴミが写らないようにしたのだ。昨日書いたレレレのおじさんとは違って、給金をもらいながらまともな仕事をしていない。どうせすぐに通行人がゴミを捨てる大阪であるから、それで充分という考えもあるだろう。ゴミを平気で捨てる大阪人がいて、それをまともに掃除しない市の職員だ。植え込みの端から数十センチ横にある目立つゴミを拾わず、植え込みの中に隠れているものだけをきれいにすればいいということか。ならば植え込み横の歩道に黒板を立てて写真を撮る意味がわからない。大阪の財政が苦しく、沈没寸前とよく言われる。昨日目の前で見た雑然過ぎる掃除の仕方を見れば、いかに無駄に税金が使われているかがよくわかる。多くの場所を回る必要があるので、1か所を重点的に掃除出来ないという理由もあるだろう。だが10人もの大人がいて、どこをどう掃除しようというのか、みんな盲目なのだろうか。これでは大阪市の住民は誰しも支払った税金に見合うサービスを受けておらず、損だと思うことは必至だ。
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 不愉快なことを思い出したのでついでに書いておく。23日にも大阪に出た。地下鉄のホームに立って電車を待っていた時、筆者の右手に60歳半ばとおぼしき背の低い白髪の多い初老の男が歩いて来て、聞こえよがしに「チェッ」と舌打ちをした。すぐにそちらを向くと、男は恐い顔をしながら筆者の背後を歩いてホームの端に行き、そこで立った。ホームにはほかに筆者から数メートル離れて2、3人しかおらず、また筆者がその男の通行の邪魔になったはずはない。自分の歩む方向に人が立っていることが気に食わなかったのだろうが、いい歳の男が舌打ちして通り過ぎるとは情けない。ごく普通のサラリーマンか役所勤めといった風情で、その仕事ぶりが目に見えそうな気がした。ついでに思い出した。今年1月頃のことだ。松尾橋を歩いていた時、前方に60代半ばほどの男3人が歩道いっぱいに前後横並びになっているのが見え、筆者は間もなく追い着いてその背後を歩いた。小さな会社のサラリーマン、あるいは区役所あたりの職員といった感じだ。それとも学校の先生かもしれない。松尾橋の歩道は狭く、大人がふたりしか横並びになれないから、自転車がやって来ると身を縮めてそれを避けねばならない。そのため、自転車は車道を走ればいいようなものだが、バスやダンプがよく通り、とても危ない。何年か前、筆者は自転車でその歩道を走っていて、前方を歩いていた老人が急に左から右へと歩む位置を変えた。ブレーキをかけたのが間に合わず、筆者は老人にぶつかるのを避けるために自転車ごと車道に転がり落ちた。幸い車の切れ目であった。ダンプが背後に来ていてば即死だっかかもしれない。上着を数か所擦り切り、腕や足の擦り傷と打撲で済んだが、前を歩いていた老人は自分が歩むコースを変えたための出来事とは知らず、ぽかんとして筆者が車道に倒れているのを見下ろしている。こういう時、「おっさんのせいでこんなことになった」と怒鳴る者もあるかもしれない。だが、筆者が猛スピードで走っていたため、とっさの事態にうまく対処出来なかったとも言える。話を戻すと、筆者の前をいい気分で歩いていた3人の男たち向って、自転車に乗った同世代の男が近づいて来たのが見えた。3人は縦一列になって道を譲るしかないのでそうしたが、自転車が通り過ぎる瞬間に、太ったひとりが「おっさん、車道を走らんかい!」とからかい調子で怒鳴った。すると背後のふたりはそれに合わせて大笑いし、自転車の男は振り返りざまに震え声で「何言ってやがる!」と言い返し、猛スピードで走り去った。3人の男は社会的にもそれなりに地位のありそうな人物で、子どももいることだろう。おそらくひとりではおとなしいくせに、3人集まると恐い者なしで、平気で暴言を吐く。そういう常識のない、下品きわまる男に見合う妻がいて子どもがいる。こういう連中とは関わり合いなく生きて行きたいが、そういうわけにも行かないのが現実だ。暴言は二度と出会わない他人であればまだ多少理解出来るが、それなりに交際して来た間柄でもそういうことがあったりする。そして言葉は口から出た途端、元には戻らないから、暴言を受けた方は、暴言を放った者から遠ざかるしかない。それに最初からそういう人物と見抜けなかった自分を責めるべきだ。ところが、最初に書いたように、ただ構内に立っているだけで接近して来た男に舌打ちされることがある。これのもっとひどいのが通り魔事件だ。自分を責めるべき条件はどこにもないにもかかわらず、そういう不愉快に遭遇するのがこの世の中だ。それはいつどこであるかわからず、気にしすぎると切りがない。不平が多くて不機嫌な人物は自分でそういういやな人間になることを選んでいるのであるから放っておくしかない。どうせそんな態度ならば誰も相手にしない。
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 気分の悪いことは「損」だが、その損をこうして書くと、ネタとなったことで「得」になると言える。ただし、それは筆者個人の思いで、こうした文章を時間を費やして読む人はそれなりに面白いことを期待するから、そうでない場合は損だと思う。他人を念頭に置く時、その他人にとって得になるような、つまり面白い時間を与えることが出来るかどうかを考える必要がある。それはサービス精神の表われであり、また人を楽しませるためにどこかへりくだる思いが混じらないとも限らず、そのサービス過剰が時として鼻持ちならないものに化する。芸能人にはそういうことがしばしば見受けられるが、それを自覚する芸能人は実にうまく笑いに変換して自分のなすべきことを完璧に実行する。またそうした面白がらせるサービス精神は学校の先生にも今は求められていて、それから逃れた位置にいるのは学者くらいなものだろう。ところが、学者の研究でも面白いことは必須条件ではないだろうか。また、学者本人は自分が面白いと思うことを研究するわけで、その面白味を他人にそのまま伝えるのでなければ学問の意味もない。そのため、学者にも他人を想定した面白味発揮のサービス精神は欠かせない。このブログも同じような思いがあって、自分の楽しい経験を楽しく工夫して書き、それを楽しく読んでもらいたい。とはいうものの、このような長文は全くの時間の浪費で、筆者も読者も何の得にもならないという意見もきっとある。それをどこかに自覚しながらでなければ、鼻持ちならないサービスの押しつけということになる。さて、以上は今日書きたいと思っていたことの枕だ。書き忘れていたことを今朝思い出したので、それを今から書く。なぜ思い出したかと言えば、加工した写真を普段は開かないMOディスクのファイル内に見つけたからだ。その写真を見た時、以前その写真について書いたはずなのに、なぜそのファイル内にあるのかわからず、早速先月の投稿を調べた。するとまだ書いていないことに気づいた。猛暑のせいで、書いたと錯覚していたのだ。いや、実際はどのカテゴリーに書けばよいか迷いがあって、そのままになったというのが正しい。ともかく、せっかく加工した写真があるので、今からそれをネタに書く。
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 正確な日を調べるのが面倒だが、写真を撮ったのは先月の23日頃のことだ。その日は細見美術館に『中国の小さなやきもの』を仕事帰りの家内と待ち合わせをして見に行った。猛暑で、当然家内は河原町三条から岡崎まで歩くことをいやがる。つまり行きなれた道をたいして面白いと思えない展覧会を夫とふたりで見ることを損と考える。それに美術展ひとつを見るだけで岡崎に出るのは筆者も損と思うから、もうひとつ目的があった。それは自治会長をしているおかげでもらった平安神宮の神苑を無料で拝観出来るチケットを使うことだ。7月末が確か期限で、それまでに使わねばもったいないと考えた。ふたりまで拝観出来る券で、自治会長をする限り毎年もらえる。これは自治会が平安神宮にまとめて寄付をしていることに対する御礼だ。この無料拝観券を使ってわかったが、この券は受付けの巫女は回収せず、何度でも使用出来るようだ。それがわかっていれば燕子花の季節に見ればよかった。ちょっと損した気分だ。なぜなら7月下旬となればもう花はほとんど咲いていない。だがスイレンが見頃で、しかも予期しなかったことに、すぐ隣の池には菱の葉がたくさん浮いていた。その写真を撮ったのは言うまでもない。広い庭を回っていても炎天下は変らず、家内は不平不満を吐き出し続けた。いくら無料拝観券が手元にあろうが、こんな猛暑に庭を散策することもなかろうと言うのだ。もっともな話だ。だが、筆者はその家内の思う損に同意するつもりはない。自分勝手だが、どんな経験でも思いようであって、誰も歩いていない平安神宮のしかもその神苑をふたりだけで歩くというのも贅沢な話ではないか。こうして書いていて、人気のない広い庭のあらゆる角度を思い出し、それは今まで何度も訪れた中では最も印象深い経験でもあった。しかし、これは損な経験と書くのがいやで、無理して得したと思い込んでいると思われるかもしれない。どう思われてもいいが、とにかく真夏の平安神宮の神苑に行って来てそれなりによかったのは確かだ。平安神宮を訪れる前に見た細見美術館の展覧会は、タイトルどおり中国の小さな焼き物が展示されていた。多少は書くべきこともあるが、ひとつ大いに気になったものを売店で見かけ、それについてもっと調べるなりしてから展覧会の感想を書く方がいいと思い、結局調べられないままになっている。そのため、1か月前の平安神宮と細見美術館行きについては今頃になってこのカテゴリーに吐き出すことになった。
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 平安神宮の神苑の最後に茶店が出来ていた。前回行った時にはなかったと思う。付近にそうした喫茶店がきわめて少ないので、これはなかなかよい。だが、始末家の筆者は宇治金時のかき氷を食べたいなと思いながら入らなかった。かき氷でも1000円近くするのが常識の世の中になって、それなら食事した方が得とケチ根性を持っている。で、休憩もせずにまた炎天の中を徒歩徒歩と細見美術館の方角向に向った。京都会館の裏手を通ると、大きなトレーラーが横づけされていた。五木ひろしの公演がその夜にあって、五木の顔がトレーラーの横っぱらに描かれていた。大物歌手となると機材運搬も大掛かりだ。それを通り過ぎて細見美術館の近くに来た時、見慣れない光景に釘づけになった。工事現場を仕切る鉄の扉が数枚閉ざされていて、そこに蔦の写真が印刷されている。よく見ると点々と色どり豊かなラベルが無数に貼られている。それは数軒先の細見美術館に入場する際にひとり1枚もらえる日替わりシールで、曜日によって色が違う。これを身体のどこかにつけることを受付で求められるが、美術館を出た後は不要になる。それでみんなはそれをその鉄の扉に面白がって貼りつけているのだ。あまりに枚数が多く、遠目には印刷された模様に見える。ジャンプして高い位置に貼ろうとする者もあって、鉄の扉数枚はちょっとした無名の人々の共同作品と化している。これを工事中に家の住民が迷惑として細見に訴えれば、細見としても何らかの手立てを打つ必要がある。現在のところはそうはなっていないようだが、現在と言っても1か月前のことで、実際はわからない。細見美術館のシールの群れを筆者は面白いと思って写真を撮った。だが家内はそうでもなく、そのままさっさと先を行った。何が損か得かは人によってさまざまだ。特に家内と筆者は価値感が異なるから、家内が損だと言ってプリプリ怒っても筆者はいつもしごく平気な顔をしている。そして、そんな筆者の顔を見ながら家内はいつも「あんたはホンマに強いな。あまりにもいつも元気やから感心するわ」と笑顔で言う。つまり損とは言いながら、結局はつまらないことでも何か得ることがあると思う性質の筆者を見ることで、家内は得した気分にかろうじてなり得ている。損や得はほんの些細な見方の変更でどうにでもなる。思いようなのだ。そうそう、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』だったか『ハックルベリー・フィン』だったか、トムかハックルは悪戯した罰としてペンキ塗りをさせられる話がある。当然いやなことだが、それを笑顔でしていると、周りに子どもたちが集まって来て、何がそんなに楽しいのかと興味津々となる。そこでトムかハックはみんなからお金をとってペンキ塗りをさせる。塗るべき塀がなくなった後も子どもたちはペンキを手放さず、そのまま地面にも白いペンキを塗る始末であった。損が得となることの見本としてこれ以上面白い話はない。マーク・トウェインの作り話なのか、実際の経験談なのか、深い真実がこのちょっとしたエピソードにも潜んでいる。得するには舌打ちや暴言は論外で、感謝の笑顔で何事にも挑まねばならない。きっとそこには得なことが隠れている。
●平安神宮の神苑を歩く_d0053294_1223012.jpg

by uuuzen | 2010-08-29 12:23 | ●新・嵐山だより
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