●平野郷を歩く
んこ(頑固)という名前の日本料理店がある。本店は大阪の梅田か十三だったと思う。



どちらの店にも行ったことがあるが、Mと10年ほど前に梅田店に行った時、その店のロゴマークである頑固な顔とよく似た、眼鏡をかけたスーツ姿の男性が出入り口や厨房の近くに立って目を配っていて、オーナーだと直感した。知的な印象から、さすが各地に店を持つ人物に見えた。がんこは京都にも進出し、三条河原町東や二条木屋町下がるにも大きな店をかまえる。どちらにも何度か行ったことがあるが、二条木屋町の店は鴨川沿いにあって庭が広くて素晴らしく、うまく権利を買い取ったものだ。このがんこが大阪でも同じように風格のある古い家屋を買い取って店にしていることを知ったのは5、6年前のことだ。天王寺の大阪市立美術館を見た後、JRの駅に向った時、目の前のビルに大きな垂れ幕が下がっていて、そこに「がんこ平野郷屋敷店」と大書してあった。大阪で生まれ育った筆者は、平野には子どもの頃に父親に連れられて一度行ったことがあるだけで、詳しく知らない。夏に旅行しなかったので、今日は見知らぬ平野に行った思い出を書く。ところで、2か月前に伯母が亡くなった時、母が弔問に訪れたある女性を見て、遠い昔に見た顔で、平野に住んでいたはずと言った。その遠い昔とは50年以上も前のことで、その言葉を聞いて妹はついに母がぼけて来たかと思ったが、母が若い頃に一度会ったことがあるというその女性の素性を、直後に別の人からそれとはなしに聞くと、母の記憶は完全に当たっていた。母が見覚えのあるその女性は平野に今も住み、父の知り合いだったのだ。その後商売が成功してかなりの富豪になったそうで、平野に買っておいた土地がその役に立ったらしい。それはともかく、母の記憶の確かさに驚いたこととは別に、筆者は父に連れられて平野に行った時の記憶が蘇った。その記憶とは、これまで何度も反芻して来たものだ。多くの人に囲まれて筆者が父から紹介されたこと、また訪れた家の外観、内部、周辺の町並み、そして夕暮れの時間帯など、そして特にどういうわけか部屋の壁に骸骨の人体図の大きな図面が貼ってあったことを思い出す。その骸骨があまりに突飛な記憶なので、筆者はそれを思い出すたびに夢だったかと思うが、父に連れられて平野に行ったことは確実で、そのことを母も知っていることから、骸骨の図はやはり本当にその家にあったものだと記憶することにしている。
 平野がTVでよく紹介されるようになったのは、町起こしブームのせいだ。そのため日本各地の田舎から平野に訪れる自治体があるらしい。平野の中でも最も古い地域を平野郷と呼び、どの町にもあるように、「本町」という町名がついている。戦災に遭わなかったこともあって、古い街並みがよく保存されている。その中でも中心的役割を占めるのが全興寺で、その境内に駄菓子の博物館があったり、また隣接する木造の建物は喫茶店を兼ねた平野郷を紹介する博物館になっている。平野に一度行きたいと思っていたところ、京都の画廊で知った北藪和夫さんの個展が全興寺の境内で開催されることを本人からの案内はがきで知った。それは2年ほど前のことだが、その時にもやはり平野には行かなかった。ところが、ようやく去年の秋と今年7月に訪れた。去年の秋は、天王寺の美術館に行ったとある金曜日のことで、その日は地下鉄の1日乗車券が600円ほどで販売されていることを知って、それを買った。そして美術館を見た後、地下鉄で天王寺より南東にある平野に下りた。初めての場所なのでどこがどうなのかさっぱりわからない。勘を頼りに歩いていると、高齢の女性が古い長屋の一軒の前にいて、その人に訊ねた。すると、その女性とさきほどまで話をしていた40代の女性が走り戻って来て話を聞いてくれた。平野のTVでよく紹介される古い地域は大きな通りをわたって10分ほど東に歩いたところにあるとの話。その言葉にしたがって歩くと、それらしき道に来た。その通りに入るとすぐに古い地蔵さんをまつる木造の立派な祠があった。その日はカメラを持参していなかったので、目に焼きつけることで我慢し、そのまま通りを北進すると、5分ほどでTVで紹介された喫茶店を兼ねた博物館が見え、早速休憩がてらに中に入った。客はまばらで、筆者はラムネを注文して店主の男性としばし話をした。話好きの店主は平野郷の見所を印刷した地図を1枚手わたしてくれながら、平野がいかに歴史のある町で、しかも独立心に富んでいるかを説明する。今はその面影をたどるのは困難だが、平野はかつて周囲を堀で囲んで外敵の侵入を防いでいた。古代から知られた地域で、豪族がいたのだろう。注文したラムネは昔のガラス瓶のままで、瓶の権利金を支払って生野区の町工場で中身を詰めてもらっていると言う。そこで思い出したのはNがかつて言っていたことだ。Nは筆者より1歳年長で住吉の生まれ育ちで、中学生の頃からラムネの瓶を自転車で運ぶアルバイトをした。確か平野まで走ったと言っていたから、昔は生野まで上がらずとも、住吉により近い平野でもラムネ工場があったのだろう。平野も広く、シャープ電気のある区域と平野郷とはまるで街並みが違う。平野郷の周囲は田畑が多く、工場が昭和時代に多く出来た。
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 店主は平野郷を今のように有名にしたのは隣の全興寺の住持で、町並みの保存に尽力し、また地元の活性化つまり観光化に余念がないと言う。そして店主は時計を見ながら、残念ながらもう5時を過ぎたのでその境内にある駄菓子博物館には入れないと続けた。その話で初めて知ったのが、全興寺がすぐ北隣であること、また「せんこうじ」と発音することであった。店主からもらった地図を見ると、がんこ平野郷屋敷店までは北東2キロほどもある。とてもそこまで歩く気になれず、また「がんこ平野郷屋敷店」と名づけられてはいるが、正確に言えばJRの加美駅前にあって、全興寺を中心とする平野郷とは無関係なのではないか。それはいいとして、話が一段落した後、店を出て道をさらに北に進んだ。するとすぐに古い商店街に交差した。最初に見かけた地蔵の祠から商店街までは300メートルほどか。平野郷の地域は思ったほど広くはなく、その中心の通りの両側は、どちらかと言えば古い格式のある大阪情緒に満ちた家が並び、貧乏人は住んでいないだろう。そう言えば最近見たTV番組に、住友家の古文書を所蔵する当代がその辺りに住んでいて、大阪市南部では最も歴史と風格のある地域と言ってよいだろう。また濃厚なレトロ感覚は、50年ほど前に戻ったような錯覚をさせる。その意味で平野郷に住みたいと思うが、筆者が買えるような安い売り家はないに違いない。さて、商店街の右を行けば東、左を行けば西で、しかも地下鉄の駅方向だ。右手にまず進んで商店街の外に出て、それから逆にまた南下すればいいと一瞬思ったが、その気力がなく、左に折れて南下した。やや閑散とした商店街ながら、古い風格のある店が多く、近くの住民の暮らしのレベルがわかる。商店街の終点を左に折れて駅の方角に歩を進めたところ、小さなスーパーが目に入ったので、そこに入って買い物をした。果物や野菜が泉州産で、平野が大阪の南部であることを実感させる。スーパーから出て南方の大通りに向かう間、町中の小さなグリルや、またいかにも大阪らしく半屋台のモツ鍋店などが並んでいる。それに昭和30年代のままの家が目立ち、それがまたよい。1時間少々の滞在であったため、日を改めてまた訪れる必要を感じた。だが、その次という機会がまたなかなかない。それにもう一度出かけても最初の感動を越えることはないのをよく自覚しているが、妙に気になった場所があり、そこを歩いて見たかったのだ。その気になった場所とは、商店街を歩いていた時に見かけてそのまま通り過ぎた一画だ。廃業したためか、歩む右手つまり北側に一部開けた場所があって、薄暗い商店街に明るい光が射し込んでいた。そして、その奥100メートルほどの突き当たりに懐かしく思わせる家が見えた。その100メートルほどの道を歩いて、その奥にある家の前に立ちたいと思ったが、帰りを急ぐこともあって、一瞬目にしただけで終わった。
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 思いを満たすために、6月にまた平野に足を延ばした。前回と同じ道をたどりながら、地蔵の祠の写真を撮り、また全興寺境内をゆっくり堪能し、境内から商店街に抜けて商店街の東の端にも出てみた。全興寺境内の駄菓子博物館は日曜日しか開いておらず、また思いを残すことになった。境内は北藪和夫さんの個展が開催された時、どこにどう絵を展示したのかと思わせられるほど、思ったほど広くはない。町中の狭い区域をどう有効利用して面白いもので充たすかという考えに貫かれていて、住持の大阪人ぶりがはっきりと伝わる。商店街を西進して中ほどのところに、筆者の脳裏に刻まれた一瞬見かけた懐かしい家とそこに至るまでの道があった。家内を先に行かせて、ひとりでゆっくりと歩いた。道とはいえ、それは本当は通ることが許されない私道であることを知った。マンションが建って、そのために空き地を作る必要が生じ、その道を設けたのだ。管理人らしき男性がその道を掃除していた。そのかたわらを筆者はごくあたりまえのような顔をして突き当たりの家まで行った。家の前は商店街に平行した南北の道で、まっすぐに長く延びている。そして懐かしいと感じた家は2階建ての間口の大きな手芸店であった。そのような家は大阪では昔はどこにでもあったのに、今はほとんど建て変わった。商店街を歩きながらその家をちらりと見て懐かしく思った理由は何か。それを自問して即座に思い至ったのは、T字路であることだ。もちろんTの横棒が手芸店とその前の通りで、縦棒が商店街から抜ける100メートルほどの私道だ。筆者が生まれ育った家の前の道もT字路で、家の前を左に行っても右に行っても突き当たりに家が塞ぐ形で建っていた。それは通りがずっと奥まで続いてどこまでも家で塞がれることがない光景とは違って、筆者にとっては普遍的な町並みとなっている。そうしたT字路は簡単に言えば横丁で、下町の最たる光景だが、そういうところに生まれ育ったことは今さらどうしようもない。そんなT字路は京都にもあることにはあるが、筆者が知る昭和30年代の家並みとなると、きわめて珍しいだろう。それに先に書いたように、平野郷でさえもマンションが建って古い家並みが失われつつある。100メートルほどの私道をゆっくり往復しながら、筆者はT字路を懐かしく思う自分を自覚し、それがわかっただけでも平野にまた降り立った意味があったと思った。
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 ぜひもう一度見て歩きたいと思っていたT字路はさほどでもなかった。そのため写真も撮らなかったが、こうして書いていてそれなりに思い出すことがある。大きなマンションが建って出来た私道だが、以前は細い路地があったのではないだろうか。というのは、その私道のマンションの向い側には古い民家が何軒かあって、そのうちの1軒は玄関が開いて中が丸見えであった。老いた婦人がひとり座ってTVを見ていたが、そのわびしさと大阪らしい開けっぴろげな様子は、大きな鉄筋コンクリートのマンションとはいかにも対照的で、私道に踏み入れたわずか1、2分の出来事はやはりわざわざ出かけて得た確たる記憶に思える。だが、筆者はレトロ感覚を懐かしがってそれに浸っていたいタイプではないから、平野郷に住みたいとしても、それはかつて大阪のどこにでもあった情緒を求めてのことではなく、古い歴史もあって何となく住みやすいからだ。それは車がなくては生活出来ない郊外ではなく、地下鉄と徒歩でどこにでも出かけられる気安さによる。あるいは平野郷に自動車は似合わないと言えばよい。いかにも町でありながら、徒歩で生活の必要なものは何でも揃うというのが筆者の理想で、そういう地域は京都市内にはいくらでもある。さて、私道を戻ってまた商店街に入り、向こうから戻って来た家内と合流した。家内にすれば筆者がなぜそんな横丁に行きたいのか理由がわからないし、また面倒なので筆者も説明しない。合流した後、商店街を西に行ったが、2、3人の児童を連れた40代の女性が向こうからやって来て擦れ違った。その女性は京都でもめったに見かけない、いかにも品のよい小柄な美人で、平野郷にはよく似合っていた。それでまた平野郷の印象をよくした。それから数分後に去年と同じスーパーに立ち寄り、そしてかつて南海の路面電車の駅があった跡地を確認した後、前回と同じ道を歩いて駅に向った。その間、この8か月で変わったことがいくつかあることにも気づいた。レトロの雰囲気のある清潔そうなグリルは閉店し、また大通り沿いにあった屋台的な安価な飲み屋もなくなっていた。去年の秋はそこで70代の老人がひとりでポツンと500円のチューハイを飲んでいて、その光景があまりに大阪的で心が和んだものだ。大通りに出て、その歩道を駅に向おうとした途端、角に建つ学習塾らしき建物の壁にドクロの旗が張りつけてある光景を目にした。去年秋にその前を通った時には気づかなかった。写真を撮ろうとすると電池が切れている。次に平野に来る機会があるかどうか。また来たとしてもその旗があるかどうか。そう思って電池を温めることにした。幸いと言おうか、西日が正面から強く射し、握った電池は数十秒で汗ばんだ。そしてカメラに挿入すると、1回だけシャッターを押すことが出来た。そうした一連の光景を塾の前で人待ちをしているらしい中年男性がずっと見るともなく見ていた。筆者と同世代か。見慣れないおっさんが行ったり来たりを繰り返し、何を撮ろうとしているのかと内心いぶかっていたようでもあった。そのドクロ旗と同じものを祇園祭の宵山で屋台の背後に見かけた。その時に撮った写真は7月17日の『つまり、「祇園祭の宵山に酔いや回るる」につまる』の最初に掲げた。その写真を最初に掲げたのには理由がある。平野で撮った写真の最後が同じドクロ旗で、7月17日の投稿直後に本当は今日の文章を書きたかったのだ。あまりの猛暑にそれが1か月以上ものびのびになってしまった。ちなみにこのドクロ旗は『ワンピース』と題する人気漫画に登場することを先日知った。ドクロのデザインは古来多いが、これはなかなか上手く、筆者は気に入っている。平野の遠い思い出に、全身の骸骨を印刷した紙が壁に貼ってある室内に筆者が招き入れられたことは先に書いた。その平野に行って最後に目を留めたのがドクロ旗とは、なかなか意味があることではないか。
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by uuuzen | 2010-08-27 08:16 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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