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●『サン・ミケーレ物語』
暑にどこかに出かけるでもなし、わが家の最も涼しい場所に寝転んでうたた寝をする毎日で、この猛暑がいい加減どうにかならないかと思う。



●『サン・ミケーレ物語』_d0053294_1933976.jpg仕事は3階でやるが、あまりの暑さに部屋にいる気になれない日々が続いている。クーラーのある部屋に移動すればいいようなものだが、机を運んだりするのが面倒だ。その気になるまでが大変で、これは老化のためかと思う。だが、その気になれば動きは早く、なぜもっと早く行動しなかったのかと自分でも呆れる。思えばすぐなのに、その思うがなかなかだ。それで、筆者の今年の夏休みは旅行するのでもなく、ほとんど無為に過ごすか、読書三昧になった。長編はなかなか読みこなせず、目下読んでいるものもいつ終わることか。途中で放り出して何年も経ってしまうかもしれない。面白い本に出会えれば一気なのに、そういう本はあまりない。それでまた身近に置いてある富士正晴を読み返すことになるが、再読すると細部がよりわかって面白く、これなら3度目も読めると思う。そういう味のある本はやはり日本語で書かれたものだ。翻訳ものはこなれた日本語が期待出来ず、原語の構文が目に浮かぶ。それで、再読するならば原書でと思う。最近そんな本に行き当たった。アマゾンでその原書を購入し、翻訳で読んでいない章を読み終えてからこのカテゴリーに感想を書こうと思いながら、どういうわけかいまだに本が届かない。アマゾンでこんなに届くのが遅いことがあったろうか。発送状況などを調べようと思いつつ、暑さでそれが面倒、ついそのままだ。その最近読んだ本というのがスウェーデン生まれの医師アクセル・ムンテが書いた自伝で、『サン・ミケーレ物語』と言う。これほどの名著は珍しい。あまりに面白いので、正直なところ、ここで紹介するのが惜しいほどだ。本当にいいものはひとり占めして他人に知らせたくないもので、この本もそういう類に属する。筆者がこの本を知ったのは、先に触れた富士正晴つながりだ。富士はこの本を一時期愛読していたようだ。そのことは富士は書いておらず、富士に接した人が思い出として書いている。そのことを筆者が読んだ。富士がこの本を読んだのは戦前の出版で、それは『ドクトルの手記』と題されている。実はこちらの方を最初に読みたかったのに、なかなかか見かけない古書で、またあっても値段が高い。それで仕方なくと言おうか、戦後の1965年に出た久保文という女性の訳したものを買った。だが、後書きを読んで知ったことには、筆者が読んだ65年版は全訳ではなく、売れ行きを懸念して数章がカットされた。全訳は70年代になって同じ紀伊国屋書店から出た。これも絶版になっていると思う。『ドクトルの手記』という題の方がこの本の実態を的確に表わしているが、ムンテは『THE STORY OF SAN MICHELE』と題したようで、『サン・ミケーレ物語』が正しい。
 全訳ではなくてもこの本の面白さは充分に伝わる。これほどの濃い内容を持った自伝はそう滅多にあるものではない。富士がこの本を面白いと思ったのは、ムンテのきわめて行動的な人生と、その過程で遭遇したエピソードの豊富なことが的確に語られているからだろうが、そういう波乱のある人生を歩むことの出来る人間とそうでない人がある。この本は開高健が強く助言して翻訳出版の運びになったと、久保文が後記に書いている。富士と開高は同じ大阪が育んだ小説家で、ムンテのこの本を開高が絶賛したことは、本を読めば即座にわかる。ムンテの活動的なところは開高にもあるからだ。だが富士は全くその反対で、ほとんど茨木の田舎を出なかった。にもかかわらず、あるいはであるからこそ、富士はこの本を愛読した。筆者はムンテと開高、富士の3者を思い浮かべながらこの本を楽しんだが、その一方で痛切に思ったのはヨーロッパという一体となった地域性だ。それを日本で思えば中国や韓国を含めた東アジア圏となって、そういう思いがあったので、先週はこのカテゴリーで『朝鮮植民者』を取り上げたのだ。ムンテの生き方は、日本の明治の朝鮮にわたった一田舎人にもある程度共通していた。スケールの大きさと言おうか、あるいはきわめて動物的で人間的、つまりあたりまえに行動的な人生だ。今でもそれは可能であるにしても、現在の日本ではそういう意識は稀薄だ。狭い日本にこもっていても充分食えるので、若者は海外で暮したがらない。筆者はもうそんな年齢ではなく、ムンテのような生き方がうらやましい。スウェーデン人のムンテは若い頃にパリに出て医師免許を取り、有名な流行医師になってやがてナポリ湾に浮かぶカプリ島の古い教会を買い取ってそこを改造して住む。北欧人が太陽に憧れてアルプスを越えることは昔からあたりまえのようにあることなので、別段驚くほどのことでもないが、古代遺跡で埋まるカプリ島の一部を地元住民との交流を通じながら整え、そこに隠遁して住むという生活は、理想的な人生の満喫と思える。この本を読んだ後、ムンテの私的な謎が次々と思い浮かぶが、そこにはムンテが生きる過程で支払った犠牲も含まれるはずで、それを一切書かないところに、またこの本の深い味わいがある。つまり、書かれていることはみなどれも飛びっきり面白く、書かれていないこともあれこれ想像すれば、そのこともまた面白い。
 「面白い」と何度も書いた。どのように面白いかと言えば、筆者はまず視覚性に富む描写が映画を見ているようで、アメリカが昔この本を映画化したのではないかと想像した。そうではないかもしれないが、そうであってもいいほどにこの本の内容は映画的だ。それほどに起伏のある話が続く。ひとりの男がこれほど豊富な体験をするとは、全くうらやましい限りで、それに引き換え、筆者のこのあまりにも無味乾燥過ぎる人生を思う。この本に書かれる100分の1でも、筆者には人に面白く伝えるべき経験があるとは思えない。そうであるから、この本を読んでいると、これは全部作り話ではないかとさえ思えて来る。つまり小説だ。だが、この見方は完全な的外れではないだろう。どこを取っても面白いこの本の中で、ひとりの小説家が登場する章が特に印象的で、ムンテはその小説家にある意味では対抗する思いでこの本を書いたのではないかとさえ思える。その小説家とはモーパッサンだ。モーパッサンとムンテは何度か話をしたことがあった。そしてムンテから見たモーパッサンは、モーパッサンの小説の本質を鋭く抉るかのようで、その表現そのものがモーパッサンの短編小説とそっくりと言ってよい。モーパッサンがいかに天才的であったと同時に無理な生活をしたために命を縮めたかが書かれていて、いわばムンテはモーパッサンを嫌い、それと正反対の人生を送った。とはいえ、ムンテがモーパッサンやその先輩格のフローベールやゾラなどの小説を読みこなしてこの本の文体を練り上げたはずで、医師でありながら文筆の才に長けていたことが、この名著を生んだ最大の理由に思える。そしてそこが富士や開高の愛読するところとなった理由でもある。つまり、いくら波乱万丈な人生を歩んでも、それを的確に面白く伝える才能がなければ他人には伝わらず、歴史に残らない。これは経験が大切でも、本にするには、それと同じかそれ以上にそれを表現する才能が重要であることを示し、またこの本がムンテの本当の経験ではなく、半ば以上創作が混じっていても全くかまわないことをも示す。つまり、自伝は真実が書かれるべきとは限らず、書かれた内容が真実らしければいい。そして、この本は全部本当の経験でありながら、それ以上に真実らしく書かれているため、全部が創作に思えるほどだ。そのことがまた面白い。
 この本の「面白さ」は、ムンテが出会った人間たちが的確に描写されていることだ。愛すべき人物たちが中心となっているが、そうではない人物も含まれる。そこが一級の小説としての条件も具えていることとなって、ムンテは明らかに人生で出会った人物のうち、思い出すのもいやな者を含めることで、本を面白く仕立てることに留意している。そういうサービス精神が医師としてのムンテにもあったため、人気の開業医として一時期名を馳せ得た。当然同業者の話も多く、そういう中でムンテがいかに他の医師とは違っていたかもよく伝わる。そして、人を助ける仕事をしながら、ムンテ自身が窒息しそうになり、ついにはカプリ島に逃げ出したことは、幸福を追求する人間としてごく自然に思えるし、またそこがいかにもヨーロッパ人であるようで面白い。つい先日、1年ぶりにある有名企業に勤務する部長Mと話をする機会があった。Mは毎月2度は海外出張する生活を今も続けているが、長年住んだスコットランドの思い出が一番大きいようで、いつもイギリス人のライフ・スタイルについての話が出る。Mは開高と同じように釣りが好きで、定年後は毎日釣りをして生活出来るようにと琵琶湖畔に家を建てた。それほどであるから、イギリス人の生活は人類の最先端を行っていると思っている。Mが言うには、共働きして年収800万円クラスのイギリス人は、毎日始末して生活し、年に1回か2回海外旅行をする。カナリア諸島などに行って、何をするでもなく、ただのんびりとして帰って来る。それに引き換え、日本人はせっせと新しい商品を買い込み、短い休暇をみんなが出かける場所に押し寄せて費やす。そんな貧しさはイギリスに比べて100年は後れているとMは言うのだが、実際そうなのだろう。筆者は新しいモノをほとんど買わず、その点はイギリス人並みだが、海外旅行してのんびり時間を過ごす経済的ゆとりは全くない。これではどうしようもないただの貧困となりそうだ。Mにムンテのこの本の話をしたが、それはイギリス人的なバカンスの過ごし方をヨーロッパ人は昔から持っていたこと言いたいためだ。ムンテが島の一部を買い取った頃は、カプリ島はほとんど知られない土地であった。だが、ムンテのこの本がきっかけとなって、今では世界的に有名な観光地になった。また本に描写される様子とは違って、今では海岸から島の頂上に至るまで道路がきれいに整備され、ムンテが見たのとは違う光景が出来している。それはムンテが望むところであったろうか。経済的余裕があればこの島に行ってみたいが、ネットでは多くの画像が掲載され、現地に赴かずとも行った気分になれるし、またムンテ時代とは著しく変わってしまった何かさえも感じる。そのため、そういう島にわざわざ訪れることは、イギリス人のカナリア諸島行きとは違ってかなり貧しい日本的発想にも思える。
 「サン・ミケーレ」はヴェネツィアに浮かぶ墓の島の名前でもあって、そこに遺言によってストラヴンスキーの遺体は葬られた。この本の「サン・ミケーレ」はカプリ島の古びた教会堂で、ムンテはそれを入手して修復した。そういうものを個人が入手出来るというのが面白いが、当初はムンテ自身も信じられなかった。買えることを知りながらすぐに手を打たず、そのままパリに帰って仕事を続け、やがてまたサン・ミケーレを所有したい思いにかられて、結局猛烈にお金を貯めるべく仕事をして入手する。ムンテは美術品にも詳しく、そうしたこともこの本には書かれている。そうしたモノよりも、自分の書斎をかまえる理想的な場所を求めたところに、精神的な満足を追求する人間は最後にどういうところに行き着くかをよく示していると思える。ムンテは東洋的な文人と言ってよく、その生涯は文人の理想郷を思い求めた行為の連続であった。この本を面白いと思うのは、そういう文人的な夢をかなえたムンテの幸福が見事なことで、前向きな気持ちになれるところだ。そういう桃源郷的な満足は開高もまた生涯追い求め、また富士にあってはそれを自宅でかなえていたところが日本の現代もまだ捨てたものではないと思える。いや、ムンテの時代でもムンテの生き方はあまりにも変わっていて、ほとんど誰からも理解されなかったであろう。モーパッサンや、あるいは同じ医者仲間とも違って、ムンテは都会を捨て、知識人など皆無な島の辺鄙なところに住むことを願ったのは、ほとんど世捨て人と言ってよい。にもかかわらず、この本がヨーロッパやアメリカで爆発的に売れ、ムンテの名を不朽のものにしたことに対し、日本ではほとんど話題にならず、今もなお一部の人にしか知られないのは、どういう理由からか。ムンテは、日本で言えば幕末の1857年生まれで、1949年に亡くなった。第2次世界大戦が始まってスウェーデンに帰国し、スウェーデンがドイツ側についたため、イギリスに帰化した。この本の初版は1936年にイギリスで出たから、最初に英語で書かれた。スウェーデン人がフランス語、イタリア語、英語を自在に操るのは珍しくないが、英語で書かれたために開高健は読むことが出来たし、またヨーロッパを旅した時に何度もこの本の評判を聞いた。その点から推して、富士の方が先にこの本の魅力を知っていたと考えてよい。また、スウェーデン人が書く英語なので、おそらくさほど難しい表現はないと想像される。そのため、筆者はまだ読んでいない数章を英語で読もうと思っている。最後に書いておくと、開高健はムンテを思わせる赤ひげ的な医者である近藤駿四郎に出会い、それがこの本の日本語版を世に出す思いをより促した。この本の感動的な場面はいくつかある。その最も大きなものは、サン・ミケーレの整備を手伝った無学文盲の老人についてのムンテの思いだ。そこには人間を愛するムンテの深い思いが表現されていて、思わず涙がこぼれる。大げさかもしれないが、今までに読んだ本で最も面白く、周りの人にはそのように吹聴している。

●12年後の追記。『サン・ミケーレ物語』の最初の全邦訳は岩田欣三による『ドクトルの手記』で、昭和15年(1940)に「上巻」、翌年に「続巻」が発刊されています。
by uuuzen | 2010-08-23 23:59 | ●本当の当たり本
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