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●『朝鮮植民者-ある明治人の生涯』
き慣れない「朝鮮植民者」という言葉で、よく売れた本ではないだろう。日本の「植民者」と聞けば満州を思い出す人が多い。



●『朝鮮植民者-ある明治人の生涯』_d0053294_952596.jpg家内の父もそうで、ほとんど100歳近くで亡くなったが、晩年はハルピンの思い出ばかりを語った。朝鮮への植民者の経験談を綴った本がどれほどあるのか知らないが、この本の面白さに一気に読み終えた。270ページほどの中に掲載される写真は、数は多くないがどれもとても珍しく、また内容によく合ったものが選ばれている。入手したのはたまたまで、題名が気になって買ったのではない。まとめて安価で買った本の中に混じっていたのだ。だが、手にとって中をパラパラと見ただけで価値の大きなことがわかった。本とはそんなもので、数行読んだだけで価値がわかる。筆者が入手したのは裸本で、巻末に万年筆で「昭和四拾七年四月七日 三読」とあって、続けて名前が記されている。「拾」を使っているところ、筆者より最低でも10歳以上年配のはずだ。出版は同年三月中旬なので、発売後すぐに読み、しかもそれが3回であったことはよほど内容が濃く、感動したからだ。三回も読む本は珍しい。筆者にはそんな本はない。だが、この本はここで採り上げておきたいと思った。これほどの味のある、また有意義な内容を持つ本は珍しい。読み終えてすぐなので、考えがまだまとまらないところが多々あるが、今後この著者村松武司の別の著作にも目を通したくなった。故人となっているが、詩人であったようで、日本が見捨てて来たハンセン病と朝鮮に生涯関心を抱いた。さきほどネットで簡単に調べると、自分のことを「侵略者だ。そして朝鮮人だ」と他人には語っていたらしい。断わっておくと、これは朝鮮で生まれ育った日本人で、侵略者としての自覚を持ち続けたためだ。ネット上に氾濫する嫌韓派から言わせると売国奴ということになるだろう。それはさておき、この本が出た1972年時、筆者は21歳で、当時と現在の日本における嫌韓派の割合は減りも増えもしておらず、概して日本は朝鮮に興味を示さないままの状態にあると思える。ところが、この10年ほどは、日韓のワールドカップ・サッカーや韓国ドラマのブームによって、それ以前にはほとんど知られなかったNHKのハングル講座も好評で、韓国についての情報は飛躍的に増加した。だが、それだけのことと冷ややかに見ることも出来る。
 この本は著者の母方の祖父から聞いたことが中心になっている。父方の祖父もわずかに登場するが、寡黙な人であったようで、著者にはあまり思い出がない。そして著者は、概して一族の記憶は母方から伝わると書く。それが一般的に正しいのかどうかは筆者にはわからない。ともかく、母方の祖父は話好きで、孫の著者に向って事細かに自分の生涯を語った。その量は本にまとめられた倍であったそうだが、精神訓話的な内容で面白くないので著者は省いた。市井の無名人の人生であるので、本にする価値などないと思う人もあるかもしれない。だが、歴史の無味乾燥な記述を読むよりはるかに面白い。この本には歴史的な重要な出来事が各章の扉ごとに羅列されているが、筆者はそれを読まなかった。それらの歴史的な重要事件はほとんど著者の祖父の行動とは関係がない。いや、本当はそうではないが、朝鮮にわたって一旗上げようとした人にとっては、国家間の歴史的な出来事を身に染みて感じることがほとんどない。確かに著者の祖父は敗戦を契機に他の日本人と一緒に日本に引き上げるので、歴史に左右され続けた人生と言えるとしても、歴史の本からは全く見えない、実際は最も大事な個人的な経験や思いが随所に吐露され、それがとにかく面白い。小説家はこうした人々の語りや記録を下敷きに作品を書くが、この本は小説ではなく、実際にあったことであるから、重みが違うように感じられる。だが、文字になってしまうと、読み手は小説であろうと真実の記録であろうと、面白く読ませるものならば何でもいいわけで、そこに著者の文才が物を言う。そして、幸いなことに、著者は20歳で生まれ育った朝鮮を引き上げて来た後、文筆で生きるようになった人物であるだけに、祖父から聞いた事柄が見事に描写された。ただし、煩雑なところや、繰り返し、また説明不足が散見される。そうした点がもっと整理されていればと思うが、「三省堂ブックス」というシリーズの1冊で600円の価格からすればそれに見合ってもいる。この本は古書でも珍しく、またさきほど調べると図書館もほとんど置いていない。京都のどの図書館にもなく、大阪では1館だけあった。よほど売れなかったか、あるいは評価が低かったのだろう。惜しいことだ。復刊が望まれ、またそれ以上に話題となるべきものを持っている。
 それを思うのは、一昨日NHKの討論番組で韓国と日本の若者をスタジオに集め、また崔洋一監督や、NHKのハングル講座で馴染みの准教授など、各界の有名人がコメンテイーターとして参加した番組を多少見たからだ。あまり真剣に見なかったが、印象深い場面があった。長髪のスポーツマン・タイプの日本の青年が発言した。日本と朝鮮は併合していたであるから、一緒になって、つまり同じ連帯意識を持ってアメリカと戦争することがなぜ出来なかったのかという質問をし、それに対し崔監督があまりにも歴史的なことに無知でこうした討議に参加する資格がないと強い口調で叱責した。それは憤り過ぎと思わせられたが、それほどに日本の青年は無知で、それに反して現代史を徹底して学校で教えられる韓国の同世代の若者を登場させることに、そもそもこの番組の狙いがあって、そうした落差がわかるだけで充分な番組と言ってよかった。そして、日本の若者の無知と、それから来る偏見は、たとえばこの『朝鮮植民者』を3回読むとかなり改善されるのではないかと思う。だが、悲観的な見方をすれば、おそらくこの本は今後もほとんど見向きもされないだろう。その理由はいくつもある。まず、日本は、また韓国もそうだが、戦後はアメリカと深く関わって国の経済を発展させて来た。そのため、アメリカ文化については詳しく、また貪欲に吸収しようともする。そうしたアメリカ崇拝の思いからすれば、何もわざわざ時代に遅れている発展途上国の韓国に興味を持つ必要はないという思いだ。人間が現金なもので、利害から物事を考える。韓国に旅する日本人が多いのは、男なら女が安く買えるというキーセン遊び、女ならブランド物が免税店で安価で買えるといったことから最初ブームになった。それは今もかなりの部分には残っているだろう。先に書いたように、その後韓国の経済的大発展があり、また韓国ドラマのブームによって、純粋に韓国の文化に魅せられて韓国を旅する者が増えた。それでも最も安価な海外旅行先という条件が大きい。簡単に言えば、「上から目線」だ。それを微妙に感じる韓国人は今なお日本人を心から許さない。それはかなり理由があって、豊臣時代の昔から日本は約束を破って朝鮮半島を蹂躪して来たからだ。だが、日本の学校ではそうは教えないだろう。つごうの悪いことはみんな隠しておく。その主義は日本からは今後もなくならない。これも戦争関連として先日、色づけされた戦時中の白黒フィルムを見ながら若者の意見を聞くという番組があった。そこで笑ったのは、ヒトラーがロシアとの約束を平気で破って侵攻し、結局敗退したことだ。いかにもヒトラーらしい狡猾さとドジぶりを見たが、それは豊臣秀吉もいわば似たようなもので、現在の韓国は今でも豊臣軍を破った将軍の像をソウルやプサンに大きくそびえさせている。それは、ある意味では日本のそうした何をしでかすかわからない不気味さを思ってのことだ。約束を破るのは戦争であればあたりまえという反論がある。だが、一方的でしかも寝耳に水の侵略は、お互い今から戦いますよと戦争を宣言することとは違う。
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 話を戻すと、日本の若者が日韓併合前らその後の朝鮮半島との関わりの歴史に疎いのは、言うまでもなく、学校がほとんど教えたがらないからだ。教えてもつごうのいいように教える。それは韓国も同じという意見があるだろう。もちろんそれはあるに違いないが、その前にまず日本はあまりにも教えない。であるから崔監督に一蹴される意見を吐くような若者が今もごく普通に多く存在する。だが、韓国のことをさっぱり知らなくても日常生活に全く不便することはない。稀にハングルを学ぼうとする若者がいるが、今から30年前には日本の知識人でハングルを自在に話す人は日本に10人もいなかったろう。今もそれと大差ないから、日本では今なお英会話が大きな商売となり、先にも書いたようにアメリカを媒介として日本と韓国がつながっているという格好にもなっている。そうした現在の日本と韓国の交流状況は今後大きく様変わりすることも予想されるが、その前に日本が踏まえておくべきは、日韓併合、つまり今から100年前の日本と朝鮮半島との関係を日本人の経験談からよく知っておくことだ。それがこの本によくまとめられている。そのために復刊され、広く読まれるべきと思う。話がまた逸れる。今NHKの大河ドラマでは竜馬をやっていて、たまに筆者も見る。なかなか意欲的な仕上がりで、娯楽として楽しい。だが、竜馬も含めて従来のNHKの大河ドラマはもういい加減終わってもいいのではないかと思う。竜馬のことはみんなよく知っていて、ドラマにすることで竜馬が赴いた各地の景気もよくなるという経済効果は確かにある。だが、NHKがそれだけが目的ではさびしい。この本を読みながら筆者が思ったのは、これをそのままNHKが大河ドラマにすればいいということだ。それは画期的なものになるだろう。この本の著者の祖父は竜馬が死んで数年後に生まれた。また父方の祖父は竜馬の亡くなる数年前に生まれている。つまり、竜馬の子ども世代が朝鮮半島にわたった最初の植民者なのだが、それは日韓併合をずっと遡る。そして著者の祖父が語っているように、日韓併合前と後とでは、植民者は覇気ががらりと変化した。覚悟が違ったのだ。それはいいとして、英雄とされた竜馬はドラマに最適だが、どこにでもいるような一植民者ならばドラマの主役になり得ないとNHKは思うかもしれない。ならば『おしん』はなぜヒットしたか。それに『おしん』には描かれなかった、もっと国際的な、そして大切なことがこの本には書かれている。また、この本の波乱万丈な人生はたいていの韓国ドラマの脚本によく似ていて、韓国でむしろドラマ化されると思える。日本がこの本に書かれる日本人や時代を大河ドラマで採り上げることを思わない限り、日本と韓国の若者の意識の差は固定化されたままであろう。そして、NHKは今後もこの本を顧みず、夢にもこういう植民者の姿をドラマに仕立てようとは思わない。NHKは戦争に加担したことを先日は司会が少し意見していたが、その体質はこれからも変わらないのではないか。今のどうでもいいような歴史的有名人ばかりを大河ドラマにしていることからもそう思える。
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 この本の著者は祖父の恥を晒すことになるが、自分が伝えておかなければ歴史の中に消えてしまうと思った。そして本の面白いところは、何十年経っても誰かが目に留めることだ。この本にはここで書き切れないほど感動的な、また印象深いことが満載されている。祖父は日本が戦争に負けた時、日本に帰らずに朝鮮に永住するつもりでいた。ところが財産没収やその他、混乱の中で帰国をよぎなくされた。祖父は下関出身で、末っ子であったため、朝鮮にわたって一旗上げるしかなかったが、鴨緑江をわたってすぐ、満州の最南端の地で商売をしたこともあるほどで、朝鮮半島の各地を歩き回った。それは現在の韓国の若者以上に半島の風土を詳しく知っていたことを意味し、日本にたまに行っても心は朝鮮にありで、朝鮮で骨を埋める決心であったことは理解出来る。だが、朝鮮の植民者はみな朝鮮で儲けていずれ日本に帰ることを考えていた。そのため、朝鮮では農夫は肉体労働をせず、乞食になる者もいなかった。そして、著者の祖父は東京の下町で日本人の乞食を見て驚愕し、朝鮮の方がいいとも考える。そこにはいい暮らしが朝鮮で出来るという思いがあったからだが、そればかりでもない。敗戦になっても朝鮮で住みたかったのは、自然豊かな田舎で慎ましやかにせよ、ゆったりと老後を暮らす方が、今さら日本に帰って暮らすよりいいと思ったからだ。そこには愛国心はないかもしれないが、長年暮した風土を愛する気持ち、つまり植民者特有の逞しさがあって、さすが明治人かとも思わせられる。また、この祖父は日本人が米を食べ、満州や朝鮮の田舎の農民がコーリャンを主食にしているにもかかわらず、みな筋骨逞しいことに驚く。そして国は奪われたかもしれないが、中国も朝鮮も亡国となならないと思う。さらに、そうした人々が素朴で純粋で、初めて会った祖父に貧しさからは想像も出来ないほどのご馳走を振る舞うことに打たれる。そういうことがあったために、敗戦後もそうした人々の近くに住もうとした。だが、祖父が、あるいは著者の父や自分までもが朝鮮人を理解していたかとなるとそれは疑問と書く。植民者としていかに優しく接しても、朝鮮人からすればそれは対等な存在ではなかった。農夫として土を耕すこともなく、商売で儲けていずれは日本に帰る。朝鮮の植民者はみなそう考えていた。であるから敗戦とともに一斉に引き上げた。財産没収などの騒動があっても、なお朝鮮に踏みとどまって、在韓日本人が在日朝鮮人のように数十万もいたならば、戦後の日韓の歴史は全く違ったものになったろう。この本の著者は、見たことのいない日本を思い浮かべながら半島で生活し続けて、成人後に日本で暮らすことになった。その姿は祖国を見たことのない在日朝鮮人と多少重なるところがある。本に書かれるエピソードにこんな場面がある。同じ植民者としてソウルに住んでいた日本人がいて、その一家の同世代のYと一緒に著者は勉強していた。玄関の前にはコスモスが咲いていた。そこに朝鮮人の学生が通りかかって、その花にきれいな様子に感嘆しながら、少しもらえないかと言った。するとYは、「バカヤロー、きさまなんかにやるために植えた花と思うか、帰れ」と罵声を浴びせた。著者はコスモスをほしいと言った若者の背を遠くまで見続けた。だが、Yをたしなめなかった。それは勇気がないばかりではなく、植民者の3代目として日本を見たことがなく、支配者となり得ない自分を恥じたゆえだ。Yのような人物は現在もなお嫌韓派として大勢いるだろう。著者はおそらくそう思ってこの本を書いた。そして、戦後の日本で生きた著者はこうしたエピソードを刺のように記憶し続け、心を朝鮮の人々に同情した。歴史を教科書で教え学ぶことも大事だが、こうした民間人の記憶を掘り起こし、積み重ねる作業を地道に続けない限り、本当に国家間の友好などやって来るはずがない。
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by uuuzen | 2010-08-17 23:59 | ●本当の当たり本
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