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●『ヒランクル』
手元にドイツ・アルプス地域の詳細な地図がないので、ヒランクルという地名がどこに位置するかわからない。旧西ドイツ南端はスイスとオーストリアに接しているが、有名なロマンティック街道の南端から西へ50キロほどにヒンデラングという街があり、どことなく名前が似ているのでこのあたりではないかと思う。



この映画の脚本と監督はスイス出身のシュタインビッヒラーという人だ。1966年の生まれ、95年からミュンヘン映画・テレビ大学で学び、その卒業制作にとして『ヒランクル』を撮り、2003年バイエルン映画賞などを獲得したというから、かなり恵まれたスタートを切ったことになる。バイエルンはドイツでも最も大きな州で「美しい風景と豊かな地方色」と、手元の週間朝日百科には形容されているが、『ヒランクル』はまさにこの言葉で表現出来そうだ。だが、ケストナーがヒトラー政権のベルリンを離れてミュンヘンからチロル地方に避難した時、チロル人がその美しい風景とは逆にいかに冷淡であったかと書いていたように、美しい風景の中にかえってドロドロとした人間の愛憎劇が渦巻いているのが現実で、この映画も一言で形容すればそうなる。シュタインビッヒラー監督はカメラマンとライターとして長く活動を続けて来たそうだが、スイスやバイエルンのアルプス地方は自分の故郷でもあって、どこをどう撮影すれば最も効果があるかなどは熟知しているに違いない。この地元意識はこの映画の2日前に観た『シュルツェ…』と同じで、ふたりそろって東西ドイツの南部を代表していると見ることも出来る。しかし、映画は全然違う。手元のチラシのごく簡単な記述によると、『ヒランクル』のような郷土映画は、50年代、60年代にドイツで量産されたドイツ特有の人気ジャンルであったが、それがニュー・ジャーマン・シネマの台頭以降はあまり撮られることがなかったらしい。久々に郷土映画のヒット作が出て、また新たな歴史が始まるのであろうが、バイエルンがドイツ最大の観光地であることを考えてみれば、国としてもこうした映画を積極的に作って海外に買ってもらうことは重要な政策と思っているかもしれない。ちょうど『冬のソナタ』が、今までほとんど外国人には知られなかった韓国東部のロケ地を一気に有名にして大勢の観光客を引き寄せていることと同じように、この『ヒランクル』によって改めてバイエルン南部のアルプス地方を訪れてみたいと思う人が、少なくともヨーロッパやドイツにはあると想像する。それは映画の冒頭が、主人公の若い(と言っても30歳ほどだが)女性レーネがベルリンから列車に乗ってドイツ南部へ向かうシーンがしばらく続くことからもよけいに勘繰らせる。ベルリンのような大都会に住む人でもきれいな空気を吸いたいと思えば、列車にすぐに飛び乗って300キロほどでミュンヘンに着くから、これは東京大阪間より近いわけで、充分観光誘致の効果はあると思える。ドイツのかつての郷土映画はそうした意義も副次的に大いにもたらせたことは疑い得ないだろう。これは日本でも同じではないだろうか。50、60年代の邦画には地方の観光地をことさら映したものがよく目につくからだ。
 『シュルツェ…』の時と同様、何の前知識もなくて観に行ったが、文化博物館は雨天のためか人の入りは少なく、映像ホールの半分以上の席が空いていた。しかも映画が始まって1時間と経たない間に10人は席を立って外に出て行った。これだけでこの映画がどれほど退屈かが想像出来るが、実はそう考えるのは早計で、1時間以上経った頃から衝撃的な急展開が用意されている。ほとんどそれは、今までどうも今ひとつよくわからない、退屈だなと思っていたことを一気に解消するようなショックで、推理小説の映画化の趣と言ってよいほどだ。しかし、そうした映画の筋立ては古典的なものであり、この映画に関して言えば、トーマス・マンの小説にありそうな宿命の家族劇という感じがする。また、どこか韓国のTVドラマにも似ていると言ってもよい。90分の映画にまとめるのもよいが、脚本を各登場人物の内面と生活をもっと詳しく描くことで拡張し、長い連続TVドラマに仕立てあげることは簡単だろうと思う。そう思えるところがまた郷土映画のゆえんなのだろう。けっこう世俗的な内容であるので、その意味でヒットする確率は『シュルツェ』より数倍も高いと思う。そして、一方では美しい自然をさまざまな角度で巧みに撮影し、人間の内面のドラマと対比するというやり方だ。同じストーリーをベルリンの街中で描いてもおそらくただ暗いだけの内容になって、これほどの話題作にはならなかっただろう。
 『シュルツェ』と大きく違う点はほかにもある。それは俳優が全部プロであることだ。卒業制作としての作品にこうしたプロの有名俳優をずらりと揃えることが出来るのはそれだけ成功すると見込まれたからだが、脚本段階でそれが約束された監督は実に運がよいと言わねばならない。新しい才能があれば積極的に投資しようという人が欧米にはまだたくさんいることを証明し、日本ではまず考えられないうらやましいことだ。映画を観ていて思ったが、どの俳優もみな美人美男ではなく、しかもどこかで見たような顔をしている。気になって調べてみたらやはりそうであった。主人公レーネの、ヒランクルに住む父親役は、ブルーノ・ガンツをもっともっと悪役にした顔で、名前をヨーゼフ・ビーアビヒラーというが、ヘルツォークの映画『ガラスの心』と『ヴォイツェック』で70年代半ばにデビューしていることがわかった。『ヴォイツェック』はその昔ドイツ文化センターで観たが、その時クラウス・キンスキーとエーファ・マッテス、それに楽隊の太鼓手役のビーアビヒラーの3人が重要な俳優で鮮烈な印象を与えていた。一兵卒のヴォイツェック役のキンスキーは、妻役のエーファ・マッテスが浮気女で太鼓手と深い関係にあることを知り、ある日ついに大柄な太鼓手に歯向かう。その時に殴られる太鼓手は大きな熊のような印象があったが、それはそのまま『ヒランクル』でも健在で、しかもこの映画では若い女と浮気しながら自分も妻に間男されていたという役柄で、何となく『ヴォイツェック』での役をそのままずっと後年まで引きずって来たかとも思わせられる。最初に定着した配役はなかなか後年になっても覆せないのは日本でもドイツでも同じではないだろうか。それはさておき、30年前にヘルツォークの映画でデビューしたビーアビヒラーが今は若手監督のデビュー作に重要な役で出演するというのは面白い。このようにして監督や俳優がつながってドイツ映画の歴史が続いて来ている。また、ドイツ映画では監督は気に入った俳優と長らくコンビを組むこが多く、たとえばヘルツォークと言えばクラウス・キンスキーが即座に思い浮かぶが、案外ビーアビヒラーもシュタインビッヒラーから今後も声がかかるかもしれない。あるいは声がかかるのはレーネ役の女性かもしれない。しかし、この女性はセックス・シーンも体当たり的にこなしていた割りにはエーファ・マッテスほどの強い印象はなかった。
 アルプスの風景は山に興味のある人には特別なものがあるだろうが、筆者にはそれがない。そのため、きれいな山岳風景を見てもそれがどこだかほとんどわからないし興味もない。だが、この映画ではそうした思いを裏切るものがあった。それは垂直に立つ岩山でのロケ・シーンで、その岩山の高さは100メートルほどと思うが、日本にはない風景で絵としても面白かった。その岩山を麓から写すだけではなく、頂きに登って見下ろすシーンもあって、実際どのようにしてそこに登ったのかはわからないが、そうした労苦はヘルツォークがさんざんやったことでもあって、映画では当然とはいえ、監督の意気込みを見た気がした。そしてその岩山はどこかで見たことがあると思って、帰宅して確認した。それはバルテュスの大きな絵で、タイトルは『山(夏)』と言い、1937年に描かれたものだ。手元の図録をあちこち読んだが、この絵の風景がどこかはわからない。描かれた当時、バルテュスがアルプス地方を旅した記録もないが、ここに描かれている岩山は映画に登場する印象的な岩山とほとんど同じものだ。またこの不思議な絵は中央に背伸びする若い女性が立ち、その傍らには中年の男や女性、さらに奥には別の男女が3人描かれていて、何だか『ヒランクル』に登場する人物たちのバラバラの関係をそっくり連想させて面白い。また『ヒランクル』は裸で泳ぐ重要なシーンがふたつあって、夏の出来事であることがわかるが、その点でもこの絵と共通している。案外監督はバルテュスやこの絵が気に入っているのではないか。バルテュスにおける性の扱いもこの映画のそれと何となく近いものを感ずる。次に、映画には重要な音楽だが、最初と最後に若い男性がギターの演奏で静かに歌う曲以外はたいしてなかったように思う。効果的に使われていたのは、レーネが演奏するバッハの『ゴルドベルク変奏曲』で、このドイツの古典もいかにも監督の好みを示していた。レーネの母親は貴族の出身という設定であったが、これはバイエルン州ならいかにもあり得る話で、どこかヴィスコンティの映画に通ずるような趣味の表われと言えなくもないが、映画をより古典的な雰囲気にすることに貢献している。さらに監督の古典好みを言えば、リルケの有名な詩がたびたび引用されていたことだ。結局このリルケの詩が映画における家族たち登場人物の結末を暗示するように使われていたと考えてよい。そのことは映画のほとんど最後でレーネの弟が語る言葉によってもわかる。このリルケの詩は筆者は10代後半で知った。手元に本がないのでここでは正しいことが書けないが、リルケの代表的なものだ。あらゆる物は落ちて行くがそれを支える手(これはもちろん神の大きな手)があるといった内容で、波瀾があった家族も、バイエルン・アルプスの自然が昔から変わらないようにまた同じように生活して行くということを、その詩の引用で示していたのだろう。映画は夏の風景が雪が降り積もる場面に変わることで締め括られるが、それも家族のトラブルが取りあえずは収まったことの暗示に思える。それは『ゴルドベルク変奏曲』がそもそも安眠を誘うようにとバッハに作曲依頼されたことからも補填的に説明されるだろう。誰も自殺などせず、また刃物で傷つけたりもしない(ただし、野うさぎが殺されるシーンはあった)映画で、その点は後味は悪くはなかった。だが、いかにもヨーロッパの映画で、日本でリメイクしても全く受けないだろう。
by uuuzen | 2005-07-03 23:36 | ●その他の映画など
●『シュルツェ、ブルースへの旅立ち』 >> << ●『反則王』

時々ドキドキよき予告

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