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●つまり、「祇園祭の宵山に酔いや回るる」につまる
け継いでいく祇園祭。今年1月、Sさんと見たのはこう題する展覧会と記録映画であった。その時から半年、季節は正反対に変わって、今は暑い夏、そして祇園祭だ。



●つまり、「祇園祭の宵山に酔いや回るる」につまる_d0053294_151826.jpg

昨日の午後、勤めが早く終わる家内が電話して来た。祇園祭の宵山なので出て来ないかと言う。宵山は人が大勢詰った歩行者天国になった道を屋台や山鉾を見て歩くだけで、京都に住む者にとっては珍しくない。だが、ここ5、6年はまともに宵山を見ていない。雨も上がったようなので、散歩にはいいかと思って早速着替えて電車に乗った。空模様が怪しいので傘は持った。待ち合わせは6時であったがが、20分ほど早く着いた。大丸1階で、そこはわかりやすく、また冷房が利き、長刀鉾のすぐそばでちょうどよい。結果を先に言えば、8時半までの2時間半を歩き通した。それで山鉾のだいたい3分の1を見たから、全部を見るなら1日かかる。歩いた順序を書きながら、以下よもや話をする。まず、6時に歩行者天国になったばかりの四条通りを、長刀鉾を横に見ながら大丸前から西に行き、四条烏丸を南に下がった。まだ明るく、人もさほどではない。広い烏丸通りの両側に、てきやの屋台が並んでいるのは壮観だ。これが南は高辻、北は蛸薬師通りか三条通りまで延びている。どちらかわからないのは、蛸薬師から南に下がったので、それより北の様子がわからないからだ。この烏丸通りの両側だけで300軒ほどの屋台と言うが、もちろん脇に入った道にも出ているから、1000軒近いのではないだろうか。ともかくこれ以上の多くの屋台が連なる祭りはないと思う。つまり、祇園祭は屋台の詰りだ。ほとんどこれを見るために宵山は人が集まるし、その人を見るのを楽しみにするのが正しい過ごし方だ。そして、若い女性は毎年好き勝手な浴衣を着るから、浴衣の流行を見るのにもいい機会だ。せっかくカメラを持参したので、帰りの蛸薬師烏丸を南下した時、屋台の種類を全部記録しておけばよかったと思ったが、後の祭りだ。そのまま四条烏丸から電車に乗って帰った。たぶん30種から40種と家内は言うが、50近いのではあるまいか。お好み焼きや串カツなど、ガスを使う屋台だけでも30はあるだろう。わずか1軒という珍しい店もるのかどうか、とにかく全体の3分の1しか回っていないのでわからない。烏丸高辻の五条警察前で屋台が途切れたので、Uターンし、そして仏光寺通りまで戻り、山鉾のある東を進んだ。通りに山鉾があるかどうかは、京都に住まなくても人の混雑具合ですぐにわかる。仏光寺通りに入って50メートルほど行くと、南側に蕪村の生家跡の石碑が立っている。これを数年前に確認した時と違って、石碑背後のあるいは隣の古い町家の木造の家が新しくなっていた。そうした京都らしい家屋の内部で、若い男性数人がア・カペラで何か厳かに歌っていて、それが通りから丸見えであった。高級そうな感じのレストランで、入店するのは金持ちか恋愛中のアベックくらいなものか。たいていはそのすぐ前の屋台で200円から500程度のフランクフルトやお好み焼きを買って食べるし、それが祭りの情緒であり、正しい過ごし方というものだ。
●つまり、「祇園祭の宵山に酔いや回るる」につまる_d0053294_1521888.jpg そのレストランを通り越して烏丸通りから1本西の室町通りを北上した。すぐに白楽天山、鶏鉾と続く。通りがかなり狭く、また人が多いので、正確にどこをどう歩いたか記憶は定かではないが、白楽天山を越えて綾小路通りを西に進んだ。そこは綾傘鉾がある。筆者は昔から祇園祭には必ずこの綾傘鉾を見る。道から入った大原神社境内に展示があって、そこには森口華弘が友禅で染めた傘の周囲を取り巻く飾り布が含まれる。これは桜、梅、萩、菊の4つの画題をそれぞれ染めた4点から成り、2メートルほど先に広げられて飾られている。造られたのは25年ほど前ではなかったかと思う。新調された年からずっと見続けているが、まだ汚れなどの劣化はほとんどない。これを見ていると、その右手すぐに鉾の古い模型があることに気づいた。大人が抱えてちょうどいい大きさだ。綾傘鉾の巡行参加が復活したのは、確か華弘が傘飾りを造った年であった。鉾と言うにもかかわらず、ただ大きな傘を持ってその周囲を獅子舞が踊るといった小規模な運行になって今に至っている。だが、昔は大きな車輪のついた鉾があって、そのてっぺんにこの傘がついていた。若い男性の係員がいたのでしばし話をした。鉾の最も太い木材は2本必要で、これは年輪がよく詰ったものでなけれが重量を支えられないらしい。台湾などの外材ではだめで、伊勢神宮に育つようなものがいいと言う。これはなかなか入手困難で、鉾を造るには億単位のお金が必要らしい。それでもすぐ近くの大船鉾は今年辺りから鉾の復元を計画しているではないかと話を向けると、わが町内もいずれそうしたいとのことであった。最初に書いた「受け継いでいく祇園祭」展にはこの焼失した大船鉾の胴懸や鉾の先頭に取りつける飾り具が展示されていた。鉾は毎年解体された後、部材や飾りはまとめて1か所に補完されるとは限らない。そのため、大火に遭っても、全部が燃えてしまうことがない。綾傘鉾や大船鉾は、車輪など鉾の基本体の木材は燃えたが、それ以外の装飾品は残った。そしてお囃しも忘れないように毎年奏でられて来た。残るは鉾本体だ。これを今年から復元しようというのだ。祇園祭は町衆のものであるから、そうした復元、あるいは新調はみなその山や鉾を持つ町内が費用を持つのだろう。これは億単位のお金を出せるほどの裕福な家が多いからでもある。昔から室町通りは呉服屋が集まっている。京都の染織業界は日本全国の豪華なキモノや帯を産出し、室町界隈の呉服業者はそれらを日本中に売り続けて来た。キモノは豪華という言葉の代名詞であったと言ってよい。今の宝石や時計、超高級のブランド品を全部まとめても追いつけないほどの豪華はキモノがいくらでもあった。そして、日本中の大金持ちから一般庶民に至るまでのすべての人々を相手に莫大な利益を上げたのが京都の呉服商人であった。その末裔が今でも健在であるから、鉾のひとつやふたつなど安いものとも言える。事故があってから、今は本物の稚児が乗るのは長刀鉾だけになっているが、その稚児になるには何千万円かの寄付は必要だ。そこにもいかに別格的な大金持ちが祇園祭に携わっているかがわかる。町衆の祭りとはいえ、それは京都の中心部の一部の人々がやるもので、右京区や左京区、それにもっと離れた西京区や山科区の住民には何の関係もない。前にも書いたが、祇園祭に携わる現在の住民の中には、大勢の人々が観光でやって来るのはむしろ迷惑でそっとしておいてほしいと言う者もある。そんなことで、筆者は祇園祭に関心があまりない。それに、先に書いたように、宵山は祇園祭で最も人が集まる日だが、その夜の魅力は山鉾よりも屋台と考える人が多いのではないか。この屋台は毎年流行を反映して、少しずつ店の内容が豊富になり、またテントの文字も派手になっている。ここで思うのは、江戸時代の祇園祭でのこれらの屋台だ。もっと数が少なく、夜はロウソクの明かりでわびしい雰囲気であったに違いない。そのふっとさびしさを感じさせるものが祭りの本質でもあったと思う。それが今では数十万の人が2キロ四方の区画を埋め尽す。だが、それもまた祭りの本質ではあろう。
●つまり、「祇園祭の宵山に酔いや回るる」につまる_d0053294_1547329.jpg

 綾傘鉾から西に進み、新町通りに出てそこを四条通りまで北上した。この間に屋台でフランクフルトと鶏の唐揚げをビールを買って食べた。もちろん家のかたわらで立って食べる。小雨が少しぱらつき、傘を指して食べた。その後、四条通りを東に進んで月鉾まで来た。もう空は暗くなりかけている。10人ほどの男性が脚立を立てて鉾の写真を撮っている。マスコミ関係だ。帰宅した後TVのニュースを見ていると、ちょうど月鉾前のその角度からの映像が流れた。時間が違えば筆者が映っていた。四条室町の交差点に立つと、東西南北、どの通りにも山鉾が見える。それでその4方向の写真を撮った。だが、そういう場所は室町通りには綾小路通りとの交差点にもある。撮影後、室町を北上し、菊水鉾、山伏山を見て、綾小路を右に折れて占出山を見た。山伏山の近くで広島風お好みを買って食べた。家内はまずいと言う。こうした屋台の食べ物でおいしいものをと思う方が間違っている。これは祭りの雰囲気を楽しむためのもので、ジャンク・フードの最たるところを面白がる必要がある。普段食べないものを食べるという、一種のハレとしてそうしたジャンク・フードはあまりにも貧しい食べ物には違いない。だが、年に数日あるかないかの祭りに店を張る人々の生活を支えていると思えばよいではないか。以前何かで読んだが、日本の自殺者にはこうしたてきやの割合が多いと言う。不安定な収入にもよるのかもしれない。祇園祭は昔ながらと言いながら、少しずつ時代に即して形も変わって来ている。今思い出したが、佐世保バーガーが1軒あった。節分の吉田神社境内の時と同じように若い男ふたりが焼いていたが、やはり同じように価格が表示されていない。そのため、誰も足を止めない。値段を表示しないのはこの佐世保バーガーだけだ。何か理由があるのだろうか。大の大人であれば値段を訊いては、買わないわけには行かないか。「いくら?」「800円」「高いなー、もっと負けてよ」というように話が出来ればいいが、そういう根性のある人は少ないだろうし、また嫌われるかもしれない。それにこんな返事が返って来るかもしれない。「お客さん、このデッカさを見てよ。これで800円はめっちゃ安いよ。ほんとは1000円やけど、今夜は800円に負けているんやから」「いやあ、そのデッカさがひとりでは食べんのん無理やから、半分ほどでええんやけどなあ。せやから負けて言うてんけどなあ」「おっさん! 半分に切ったらバーガーにならへんで。それに負けてたら儲けあらへんやん。佐世保バーガーのデッカさは値段に合ってるで。それが嫌いやったらマックのやすもん食べとけや!」「何を! この若いやつめが! わしを誰と思っていやがる!」と、ここで客との喧嘩が始まるかもしれない。なので、価格を表示して下さい。800円では買いませんけど。
●つまり、「祇園祭の宵山に酔いや回るる」につまる_d0053294_153287.jpg そう言えば、占出山を見た後、烏丸通りに出る角で、学生らしき男性ふたりが持参したクーラーボックスを開けて瓶入りのジュースとビールを紙コップに入れて1杯500円で売っていた。屋台とは違って、無許可のゲリラ商法だ。何人かが買っていたから、一晩でかなり儲かると見える。話を戻して、祇園祭の時代に伴なう変化は、鉾の復元や装飾品の新調よりも、祭りに付随するてきやの内容の方が大きい。それこそが時代を映す鏡だ。祇園祭に歩行者天国がなく、またてきやが排除されるかもっと縮小されると、先に書いた山鉾の住民の言葉のように、もっと江戸時代のようなひっそりとした祭り情緒が戻るだろう。それもまた今後あり得ることかもしれないが、現在まで受け継がれて来たてきやが規則を守り、さきほどの佐世保バーガー売りと客との言葉の交わし合いの妄想のように、別段事件と言うほどの不祥事が起きない限り、今後もてきやは軒を連ねる。占出山は神社の境内で前懸や胴懸の綴織を展示していた。筆者は初めてそこを訪れたが、見応えがあった。やはりどこも同じようなてきやの屋台ではなしに、こうした歴史のある山や鉾の飾りを間近に鑑賞するというのが祇園祭の醍醐味だ。とはいえ、それらを見るには長い人の列に並ばねばならない。1年ではとても全部の山鉾を見ることは出来ない。占出山を楽しんだ後、烏丸通りに出た。相変わらず両側に屋台が詰る。烏丸通りのような広い道の両側に屋台が1キロほど続く光景は、空前規模の夜店として見事なものだ。烏丸を南下し、四条烏丸の地下に入った。そこはこれから宵山を見ようと電車を下りる人々で騒然としていた。全体の3分の1ほどとはいえ、最も人が多く集まる区画を一周した。どこか座ることもなく、またちょっとした食べ物で2時間半を人にもまれながら歩くのは、ほとんど苦行だ。缶ビール1本で酔いが回ったのは、空腹のせいばかりではない。それでも若い人は楽しそうだ。外人も多く、みな祭り気分に浸っているのがわかる。筆者にとっての祇園祭は、毎年とにかく懸命に仕事している季節で、今年もまたそうであった。いま、まだその真っ最中だ。山鉾の町は祇園祭の7月はほとんど仕事しないと言う。金乏人には無縁の話だ。祇園祭の宵山に酔いや回るる。
by uuuzen | 2010-07-17 15:04 | ●新・嵐山だより
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