2009年06月14日●第 55 話
4年前の今頃、マニマンは大鳥居前の店でミニマニ・マフィンを買いました。そして雑な言葉で歌いました。
『マニマンは台所でテーブル上のマフィン屑を大きなしゃもじで集め、また肩からも屑を払い落としながら呟きます。「カップケーキが好きなニンゲンもいるけれど、放っておけばいいマニ!」
マニマンは得意げな態度で、砂糖シロップを詰めた先が尖った無菌の布地製の筒をひねりながら、緑色の少しのロゼッタを、自分でデザインした多肉的にも輝かしいマフィンのてっぺん近くに貼りつけます。そして続けるのです。「カップケーキ好きはいるよ。ぼくは、無は存在するし、また存在すべきと思うけど、神が造ったこの味気ない地では、食べ物の王子のマフィンと同じように高貴なものは存在しないんだマニ!」
♪キドリミさん、マニマンをニンゲンだと思っていたねー。けれどマフィンだよー。
♪マニマンの無知をー、キドリミさんがわかるまでー、マニマンは彷徨したー。
♪キドリミさん、マニマンをニンゲンだと思っていたよー。けれど小さな膨らみー。
♪そこを詰めればー、夜の叫び声は聞こえないー。』※
終わりは最初に考えておくべし。「おにおにっ記」の終わりは最初にあったと言ってよい。今回の投稿が一応2006年6月16日から始めた「おにおにっ記」の最終日だ。だが、予定はしばしば狂う。それは内心格好悪いと思うので、何事も予定どおりに進めるのがいいが、何百日も続けていると、当初の思惑とは違った事情が生まれもする。それで、予定していた形に締まりがなくなり、変更を余儀なくされる。「おにおにっ記」は全4幕のオペラのようなものとするつもりであった。それがフィナーレをつけ足すことになった。そして、そのフィナーレを何回の投稿で収めるか、これが流動的なある事情によって、当初、あるいは日々書きながらもいくつかのケースが考えられた。その事情を明かすのはもう少し先になるが、こだわりがあったことだけは書いておこう。それは美意識と言うほどのものではなく、形にこだわる姿勢ゆえの、筆者の面白がり精神の表われだ。そのため、全くそれが理解出来ないニンゲンもあるだろうが、放っておけばいいマニ! と、今日の投稿からもじったが、今日の投稿内容はザッパ・ファンなら即座にわかる。また、今回の写真を見て、それがどこで売られていて、何に由来するものかを知る人がどれだけいるか知らないが、ひとつだけ書いておくと、もちろん「おにおにっ記」を始める前に筆者は食べていた。それをいつか紹介しようと思いながら、「おにおにっ記」の最終回がよくて、しかもザッパの「マフィン・マン」の替え歌とともにと計画した。このことがどれほど面白いことかは、もっと後になって筆者がタネ明しをした時に、わかる人にはわかる。
「おにおにっ記」では当初替え歌をいろいろと登場させた。その元歌を知る人は少ないかもしれない。替え歌を含めたのは、オペラ的なものにしたかったからだが、全4幕では交響曲的か。そこにフィナーレがつくのは、ブルックナーの「テ・デウム」みたいなものでもある。この「テ・デウム」はブルックナーの第9交響曲の第4楽章が未完に終わった場合、その代わりに演奏するように、ブルックナーが生前語っていた。このエピソードを筆者は80年代に知った。それが「おにおにっ記」にも多少影響を与えている気がしないでもない。それはふたつの理由からだ。ひとつは別の作品に接続が可能なこと、もうひとつは未完ということだ。前者は、「おにおにっ記」は独立しながら、ある何かに付属、あるいは並行したものという意識を終始抱いて書き続けたことから説明出来る。後者は、長年続けたので、愛着が湧き、もっと書き続けてもいいかという思いと、前述の形云々で言えば、予定したきれいな形ではなく、むしろ突如意味もなく終わったという形もまたそれなりに真実らしくはないかという思いで、現在はそっちの方に気持ちが大きく傾いている。愛着と書いたが、実際こんな日常雑記でありながら、それが筆者の日々の生活そのものでもあって、毎回思いを込めた。それがどれほど読者に伝わるかわからないが、おおげさに言えばかなりの精力を費やし、また書くべき内容を日々探ることに快感があった。その理由は、「おにおにっ記」はそれだけで閉じた世界でありながら、筆者のあらゆる関心事に関連している点で大きく開かれていることで、日記でありながら独創の思いが常にあった。
さて、今日は最終回ではなく、1回目の最終回だが、本当は明日の分であった。それは6月15日だ。これは「おにおにっ記」を始めたのがたまたま6月16日であることを念頭に置いての、輪を閉じる思いによる。明日予定していた分は、写真も用意しているから没にするのは惜しい。それでいずれ後日に投稿するが、このように、日々の投稿は必ずその日の出来事とは限らず、数日かもっと遅れる場合がある。日記には本来「今日」という言葉は不要だが、昨日や先日のことをしばしば書き、またもっと以前のことを「思い出し」シリーズとして書いたこともあったので、「おにおにっ記」は日記でありながら、時間の概念にあまりしたがっていない。そのことは、何度も書いたように、書き溜めた文章を毎日投稿する直前に校正し、時には大幅に書き変えたことにも表われている。場合によっては、タイトルだけ書いておいた日もある。だが、そのタイトルから投稿当日にまざまざと1年前に書こうと思っていた内容が思い起こされる。つまり、それほど筆者にとっては毎回印象深いことばかりを選んだ。ここで重要なことは、物事との瞬間的な出会いだ。それは1年程度では色褪せない。同じ行為は俳人などはもっと鋭敏に日夜磨いている。「おにおにっ記」は毎日ほぼ同じ字数でまとめた。そうしようと思ったのは「おにおにっ記3」を始めた頃だったか。時間の空いた時に、最初の投稿分から、内容は変えずにほぼ同じ字数で書き直したが、そこにも記録としての日記にこだわらない創作の思いが見える。このブログの読者の何人が「おにおにっ記」を初回から毎日読んだかと言えば、おそらくゼロだろう。それで、未来の読者のことを考えて、すっきりと形を整えた。それを終えたのは「おにおにっ記2」の終わりまでで、それ以降は手つかずだ。ただし、「4」は最初から字数を決めていたので、直すとすれば「3」のみかと思う。筆者は長文で書くのがもっぱらで、比較的短い文章で言いたいことをまとめるのが苦手だ。「おにおにっ記」はその学習ための場として大いに役立った気がする。この文章力を鍛える意味でも「おにおにっ記」は意味があった。文才のない筆者は、毎日こうした雑文のまとめを通して、徒歩徒歩とゆっくり努力しなければ、多少でもましな文章が書けるはずがない。
「おにおにっ記」を遡って書き直したのは、毎日書いている間に、まとまりのいい文字数がしだいに決まって来たからだ。そうしたことをつかむにも、何事も毎日続けるのがよい。また字数が決まって来たのには、別の大きな理由があった。それについてはまだ書かないでおく。ところで、この「フィナーレ」はまだ続く。ただし、2週間ほど中断する。去年の6月中旬から末までは書かなかったのだ。書かなかった理由はいくつかある。再開した理由は、まだ話題を提供しながら顛末を書いていなかったことがいろいろとあったことと、並行した仕事との関連だ。数年にわたって書き続けると、新しい発見もあるし、また書きたい内容も絞られて来る。そのことがまた面白かった。「おにおにっ記」は「お庭っ記」の意味も込めたので、自然と自宅裏庭の植物の話が多くなった。ところが、わが家の周囲の環境が今年になって激変の時期を迎えている。それを苦々しく思いながらも、「おにおにっ記」とは違うテーマが見つかったとも言えるので、その時代の変化に身を沿わせるのもいいかと思い直している。本当は仙人のように、もっと自然豊かな山奥に住んでもいいかと思わないでもない。だが、都会生まれの筆者では無理か。明日から2週間ほどは、春から中断していた駅前の変化のその後について書く。もちろん週1回は別のカテゴリーに長文を投稿する。前にも書いたが、週1回のその長文日をカレンダー上で結ぶとジグザグ模様となる。実はこれにもある意味を込めてのことだ。それを明らかにするのは、やはりもっと先のことになる。