●尾道の千光寺
と尾道を入力してGOOGLEで検索し、最上段に掲載されるURLを開く。すると尾道の山腹にある千光寺に至る千光寺新道と呼ばれる石で舗装された坂にある豆屋が紹介される。



d0053294_931213.jpg坂下から上り始めると、すぐに右側にそそり立った石の崖があり、そのすぐ際に2メートル間隔ほどで数個の看板が立つ。その向い側が豆屋だ。小さな家内工場の裏口といった感じで、店舗らしき構えはどこにもない。主に観光客相手の店のようだが、どこから入ればいいか、またどこに商品が並ぶ棚があるのやらわからない。それで坂をどんどん上がった。今日はその坂の上の千光寺に行ったことを書くが、帰りがけにまたその店の前を通ると、先のURLに掲載される頭の剥げた老人が扉を開けながら、筆者の方を向いているのに出会った。筆者は豆好きで、買えるならば店を覗いてもいいかと思っていたが、家内はどこか別の工場で大量に作っているものを袋に小分けして売っているのではないかと言う。それもあるかと思ってそのまま通り過ぎた。後日ネットで調べると、ピスタチオも売ってして、これは皮つきのまま売られるのが普通であるので仕方がないとしても、輸入したものをそのまま小分け販売している。京都の五色豆のような自家製造の豆を思ったが、家内の言うことは多少正しいようだ。それでもあの立て看板はよく目立つ。狭い坂道の向いの家から、あるいは市から諒解を取っているのか、それが気がかりでもある。また、あの看板に描かれる店の主のイラストやあるいは文字は専門家に依頼したもののはずで、目を引きやすい。その分記憶に残ってしまう。先のURLの写真を見て面白いのは、坂の上から見下ろしたその角度だ。坂下にJRの線路が見え、その向こうの道路(国道2号線)にピザの宅配か、バイクが走っている。そしてもっと向こうに赤い十字架状の鉄骨が見える。それは海沿いに立つ海鮮の中華料理店だ。その店を通りの向こうに見つめながら入らなかったことは以前に書いた。ネットは便利で、筆者がその店の写真を撮らずとも、別の人がすでに撮って載せている。また、その写真で気になったのは、赤い十字架のすぐ右に赤地白抜きで「古本」の文字があることだ。実際は中華料理店より100メートルほど手前で、筆者が入った古本店は赤い十字架の左手にあった。そのため、その看板どうもにもが理解出来ない。それが気になり、ネットの地図で調べると、土堂2丁目ということがわかっただけで、地図には古本屋の名前は表示されない。古本屋があればほとんど必ず入ることにする。だが、マンガ中心に置く店が多く、期待に沿う店はほとんどない。その店もそうであった。
 こうして3月26、27日の1泊旅行の思い出を書いていると、次々に思い出す。思いは瞬時にその場所に行くのに、体がその場所にたたずむには半日ほどの時間がかかる。これがヨーロッパならば10数時間も飛行機に載らねばならない。その苦痛を思うとほとんど発狂しそうになる。であるから、筆者はあまり遠い場所のことは思い出さないようにしているが、よく遠い地に行こうとしている夢を見る。なかなか辿り着けずに途方に暮れる。そもそもその目的地がわからない。出会う人々に訊ねると、それはこっちだとか、知らないとか言われ、自分が本当にそこに行かねばならないのか、それがあやふやになって来る。なぜそういう夢を見るのか本当はよく自覚している。だが、それについては考えないようにしている。そのために夢に出て来る。その目的の場所は実際に存在していて、行く気になれば行くことが出来る。だが、行かない。その意味でそこは筆者には存在しない、またまだ見ない、今後も見ない場所だが、そのまだ見ない場所が夢の中で行き着かない場所として出て来る。さて、気まぐれにまた1泊旅行について書くが、今日を含めて残り3、4回か。そうこうしている間に別のことでまた書くことが溜まっているのではかどらない。その理由のひとつは、写真の加工が面倒なことだ。けっこう時間がかかる。そしてこうして長文と決めて書くのも時間がかかる。頭の中にあることを一瞬に吐き出すことが出来ればいいのに、ちまちまとキーを叩かねばならない。それが億劫で文章など書くのも読むのもまっぴらという人は多いだろう。万里の道も少しずつという覚悟を決めればいいのだが、それは過程を楽しむことと同義で、書くことが楽しいのでなければまず無理だ。先の遠い場所を訪れることも同じで、飛行機に10数時間も乗ることを楽しみと考えることが出来れば海外旅行は苦でなくなる。日本国内の旅でもそうだ。目的地に立つことのみが楽しいのではなく、電車に乗っている間も楽しんでやろうという思いがなければ苦痛なだけだ。そして、夢で言えば、今日もまたどんな予想外のものを見るかという期待めいた思いがなければならない。
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 以前に書いたように、JRの尾道駅舎で観光地図をもらった。その左端、つまり西端に駅が位置している。そこから出発して東に歩けばよいという内容だ。これは駅から西には見るところがないという意味でもある。筆者が泊まったのはその駅から西で、観光地から外れる場所だ。実際駅から西は開発途上にあり、モダンな建物が建っている。これからもそうなって行くだろう。では駅から東はそうした開発がないかと言えば、ひとまず高層建築はない。だが、千光寺の境内から眼下を見ると、ぽつぽつと背の高い直方体のビルが見える。それは駅から西なのかもしれないが、歴史的家並みを麓まで守っているとは言えないことになる。尾道は古い寺が多いところで、山の中腹の各地に井戸を掘って生活用水をまかなって来た。そうした井戸は130ほどあって、今も使われているものがあると言う。それだけでも尾道が昔のままの部分が多いことが想像出来るが、千光寺新道を上って行くと、10年か20年前にはきっとなかったと思わせられる背の高い新建材の家が突如立ちはだかったりして、確実に風景が変わって行っていることがわかる。限られた土地であるから、よそ者がやって来て住みにくいと思うが、その分、街の結束力があって、景観は保たれやすいだろう。また、観光客相手に商売するとしても、物がたくさん売れるわけではなく、自分の家で自分で小さな商いをするというのでなければ経営は難しい。ともかく、有名な観光地であるので、普通の家でもちょっとした店をやっていることが多く、それはそれで尾道全体が小さなテーマ・パークのような趣があって微笑ましくもある。もらった地図には歩くコースが青や赤で印刷されていて、それにしたがって歩いた。だが、筆者らが歩いたのは千光寺までで、それから東には行っていない。つまり地図で言えば東半分は歩いていない。心残りというほどでもないが、いつか機会があればその半分も踏破してみたい。地図の端から端まで歩いても5キロだ。2時間半ほどで足りるが、途中で休憩もするから、やはり半日以上は要する。急いで歩いても印象に残らないことが多いが、印象に残すために旅をしたり散歩するわけでもないので、別段そそくさと歩いてもちっともかまわない。結果を言えば、こうして書いていてしきりに思い出すのは、石段を降りている時、その両脇に老松が1本ずつ立っていて、その形がなかなか面白く、しばし振り返りながら見つめたことだ。それがどこであったか、さきほど懸命に地図を調べたのに、わからない。たぶん海福寺脇の石段だったと思う。ネットで調べてもその石段、しかもその両脇の松を写した画像は見つからない。いや、誰かが掲載しているかもしれないが、探しようがない。また、そんなに気になるのであれば自分で撮ればよかったが、電池力を気にしながらであったので、つい逃した。あるいは、見ている時は別段何とも思わなかったのに、後で記憶がかえって鮮明になったのだ。ある意味ではどうでもいいことをそのようによく覚えているのが人生であり、旅である。で、その別段どおってことのない石段と松を見るためにまた尾道に行くとなると、半日かかるから、その時間を思うだけで発狂しそうになる。思いは一瞬に到達するのに、体は面倒なことだ。こういう考えはきっとネット社会の悪い面が染みついたせいだ。あるいは老化の兆候だろう。
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 林芙美子の銅像が商店街の入口にあって、そのすぐ北の道から山手に入った。そこから芙美子像を見下ろすと、数人の年配の観光客が談笑しながら写真を撮っていた。その銅像はネットでたくさん画像が出ているので、筆者は撮るつもりが最初からなかった。すぐに小学校へ続く石段があった。もちろん学校には行かず、その手前で道を逸れて東に向う。すると持光寺の境内に出た。おばさんが箒で地面を掃いていて、また犬を連れて散歩している人がちらほらいて擦れ違う。おはようございますと声をかけ合うが、向こうは観光客と知っていても、案外不気味に思っているかもしれない。筆者の前になったり後ろになったりしながら、若い男性が一眼レフのカメラを持って走り回りながらあちこち写真を撮っていた。細いしかも生活に使う山道であるので、家の扉のすぐ前を通る。地図に記されているコースなので仕方がない。地元の人はそのように大勢の観光客がすぐ目の前を終日通り過ぎることを迷惑がっていないだろうか。筆者ならいやだ。持光寺の境内から、来た道を振り返ると、小学校の校舎が少し見えた。それがなかなかいい光景で、戦前から雰囲気が変わっていないことを想像した。寺はだいたい昔のまま保存されるから、寺の多い尾道は寺のおかげで景観保全に役立っている面が大きい。地図のコースでは道はさほど曲がりくねっていないのに、実際はかなり入り組み、迷路を歩いている気分だ。持光寺では平田玉蘊という江戸時代の女流画家の、作品画像入りの石碑が建っていた。京都に学んだ画家ということで、尾道と京都の距離を思った。次に行ったのが光明寺だ。ここには陣幕久五郎という江戸末期の横綱の手形入り石碑があった。そう言えば、以前書いたように、尾道には有名人の手形があちこちにあった。その最初がこの横綱のものということか。尾道出身ではないが、尾道出身の相撲取りの弟子になったのだ。尾道は相撲に縁が深いのか、ファンが多いのか、千光寺のある公園には、90年代半ばの若貴ブームの頃、尾道場所が開催された後に作った、若貴や曙など、手形入りの巨大な石碑があった。尾道のいったいどこで開催され、また力士たちがどこに泊まったのか。気になることもあるが、それ以降尾道では開催されていないのだろう。それはさておき、光明寺から海福寺の横に出て、そこからどう歩いたか記憶にない。たぶんまた光明寺に向って石段を上り、途中で東にさらに進んだのだ。地図によればそこに宝土寺があるが、その境内には入っていない。そして千光寺新道の真下に出て、豆屋の前を通り、そこから石段をずんずん上がって志賀直哉の住んだ家を見た。そして、最初に目指した千光寺に行った。
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 手元に千光寺公園ガイドマップというイラスト地図がある。これを歩いている時に見ればよかったのに、それを忘れた。イラストは桜が満開で、公園が桜の季節がもっとも美しいことがわかる。このイラストの数分の一ほどしか歩かず、それが惜しまれる。見たかったものがいくつかあるからだ。市立美術館は最初から見る気はなかったので惜しくはない。見たかったのはたとえば田能村竹田の像だ。このすぐ際を歩いたのに気づかなかった。ネットで調べるとすぐにその銅像がどういうものであるかがわかるが、それにしても竹田が尾道に滞在したことがあるという理由だけでこうした銅像を建てるのであるから、観光に力を入れることが一筋縄ではない。その点、京都はまだしも、たとえば大阪は腐るほど多くの歴史的素材を抱えながら、それを大いに活用しているとはとうてい言い難い。さて千光寺は市街地が広々と見下ろせてた。その景色を見るだけでも尾道に行った甲斐があった。パノラマ写真として3枚つなぎで撮ったが、筆者のパソコンの画面幅では雄大さは感じられず、またせっかくの画像の細かさも潰れてしまう。千光寺のすぐ隣に三重岩という巨大な鏡餅型の岩があった。別に囲った門のすぐ向こうに位置していて、その中に入って見上げた。岩の前に弘法大師の像があったのは、千光寺が真言宗であるからだ。四国に近いのでそれは理解出来る。大人は鎖を伝ってその岩のてっぺんに上ることが最近また出来るようになったようだが、筆者は下で見上げるだけにした。巨大な岩がなぜそんなところにあるのか。おそらく山から切り出してそのように重ねたのだろう。志賀直哉ゆかりの家に向かう時、うろうろしていると、漁師のような2、3人の年配者から声をかけられ、千光寺には巨大な岩があるから見て帰るように言われた。そして大阪城の石垣はここから持って行ったとも聞いたが、岩を産するので有名なのだろう。そう言えば持光寺の山門は岩で出来ていることをネットで知った。筆者らはその門から境内に入らなかったので見なかった。
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 岩で思い出す。三重岩を見た後、美術館に向って舗装された道を歩いて行くと、掃除をしている人や観光客がちらほらいた。そして大きな平らの岩が斜面に横たわっていて、その一画に写生に最適な場所という小さな看板とともに、鉄製のひとり座りのベンチがあった。正確に言えばそれはベンチではなく、直径15センチほどの太い鉄パイプを逆U字型に曲げて岩にひとつだけ埋め込んだものだ。すぐ近くの看板には、多くの画家がこの位置から目前の風景を描いたと書いてあった。それで筆者も挑戦した。だが、ベンチは高く、足元が岩にあまり届きにくく不安定だ。それに筆箱を岩に置くと、いちいちベンチから降りる必要がある。小さなスケッチブックをせっかく持参していたので、それを使う機会と思いながら、ほとんど曲芸的な格好で鉛筆を走らせることになった。横に小さな棚でもあればいいのだが、自分の膝の上に筆箱とスケッチブックを抱え、きわめて不自然な格好で描いた。画家たちはこんなベンチではなく、そのベンチが埋め込まれている岩に座ってゆったりと描いたに決まっている。だが、その大きな岩に座ると、傾斜があって、その向こうに柵はなく、そのままずるずると滑って崖下に落下しそうな気がする。眼下の景色は先に書いたように、直方体のビルがところどこに見えた。また向いの島は造船所があって、あまり風情はない。とにかく半ばいらついてさっさと仕上げた。背後にアベックがやって来て覗こうとしたのでなおさら慌てた。全く気分の乗らなかったが、いつものように記念に切手を貼りつけ、そこに風景印を押してもらおうと決めた。それで千光寺新道を下がって、JRの線路下を潜り、すぐ目の前の商店街入口を左に曲がったところにある郵便局に行った。そこに位置することは前日の散歩で知っていた。土曜日なので郵便局は休みだが、横手の休日用の窓口が開いていて、そこで切手を買えるし、風景印を押してもらえることも知っていた。優しい局員は筆者に押させてくれた。ひとりの中年男性が間近でそれを見ながら笑顔で何やら語って来た。珍しいことをするなと思ったのであろう。全くへたくそなスケッチだが、画像を掲げておく。
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by uuuzen | 2010-06-13 09:36 | ●新・嵐山だより | Comments(0)


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