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●「(GET YOUR KICKS ON)ROUTE 66」
かしいから採り上げるというのではなく、採り上げることでひとつのけりをつけようという思いがある。この「ルート66」もそんな曲だ。このレコードを見て、またステレオで初めて聴いたのはMの家であった。



●「(GET YOUR KICKS ON)ROUTE 66」_d0053294_18394384.jpg何年前なのか定かでない。30年ほど前のことか。Mは筆者と同じ年齢だ。しかもごく近くで生まれ育った。大きな男子で、母に言わせると1、2歳頃までの筆者はよくMに殴られて泣いていたらしい。Mとはどういう関係かと言えば、赤の他人だ。母から聞くところでは、母が筆者を妊娠している頃、銭湯で同じようにMを妊娠している女性に会った。昭和20年代半ばのことで、今のように各家庭に風呂があるという時代ではなく、みんな銭湯に通うのが普通であった。筆者が通ったいくつかの銭湯はまだそのまま今も営業しており、大阪は50年経ってもあまり銭湯事情は変わっていない。それはさておき、母とMの母親は仲よくなり、そのうちMの母親は筆者の母の家に遊びに来るようになった。それが筆者もMも生まれてからも続いたが、Mの母親はすぐに離婚したか何かで、Mを連れてわが家に一時転がり込んで来たこともあったという。たぶん1か月かそこらだと思うが、昭和20年代では間借りする人も多く、他人の家にある日急に住むことはさほど珍しくなかった。1、2歳の筆者とMがふたり並んで家の前で写っている写真が何枚かある。筆者はベルベットのフードつきのかなり豪華そうなコートを着ている。母に言わせると最初の子でもあって、かなり高いものを買ったとのことだ。隣に映るMは、それに引き替え、白いよだれかけをして、いかにも粗末な身なりだ。父親がいるのといないとの経済的差がそうさせたのだろう。だが、間もなくわが家も父がいなくなって、経済状態はMの母親以上にどん底となる。なぜなら、Mの母親とは違って母には筆者の下に女の子がふたりいたからだ。その様子を見て、Mの母親はしきりにどちらかひとりでも養子に出して暮らし向きを立て直した方がいいと勧めたそうだ。それを母は頑として聞き入れなかった。母とMの母親の付き合いは長年続いた。一緒の職場で働いたこともある。Mの母親は筆者の母より3、4歳上で、今は90歳ほどだろう。ひとりで八尾に住んでいて、もう交流はない。そして、Mは10年近く前に亡くなった。
 Mと筆者は同じ年齢であるから、小学校も中学校も同じであった。ところが、筆者の記憶にはほとんどない。Mは体格がよかった割りには運動に秀でていたわけでもなく、また勉学はさっぱりだった。そのためでもないが、小学校の3、4年生まではお互いの家を行き来したが、それ以降はお互い違う友人が出来た。その数は筆者の方が何倍も多かったようで、遠目に見るMはどこかさびしげであった。中学の卒業アルバムを去年だったか、繰っていると、Mの写真がなかった。それで筆者の中学校時代の何人かの友人に訊ねた。すると、誰もMのことを覚えていない。じっくり考えたところ、Mは中学2年か3年の時に転校したことを思い出した。Mは筆者にとてもやさしかった。笑顔で「こーちゃんはえらいなー」といつもほめるのが癖で、自慢話のようなことを筆者に語ったことは一度もない。背が高く、体格もいいので、不良に絡まれても平気という印象があったのに、実際はその逆で、喧嘩を避けるようなところがあった。小学3年の頃か、わが家から近いMの母親の実家か親類の家に何度か遊びに行き、その窓から下の通りやその向こうの原っぱをぼんやり眺めて遊んだ。その記憶が今も鮮明だ。また、その後Mは2キロ南方の新築の1戸経てに引越した。そこには一度だけ学校帰りにMに連れて行ってもらったことがある。がらんとした部屋の鴨居に額入りの複製絵画があった。それはとても鮮烈で、やはり今も思い出すが、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」であった。それはほとんど筆者が最初に遭遇した西洋の名画だ。Mは全くそんなことには無関心で、今にして思えばなぜそういう複製がMの家にあったかが不思議だ。Mの母親は決して絵のわかる人ではないからだ。また、Mの母親がなぜそんな新築の家を入手出来たかも謎めいている。Mはしかし、あまり嬉しそうでもなく、筆者ともさほど話は弾まなかった。Mと筆者はさっぱり関心事が違っていたのだろう。ところで、わが家の近くに、少し自閉症気味の同世代の女の子がいて、別の小学校に通っていた。Mはどういうわけかいつの間にかその女の子と仲よくなっていて、一度筆者の前でその女の子の通りかかるのに声をかけて話し出したことがある。そして笑顔でこんなことも言った。「○○ちゃんはものすごくかしこいからなー」それはおべんちゃらだったのか、それとも本心だったのか、とにかくMは自分より勉強が出来る者には誰でもそんなことを言っていたことがその時にわかった。そして、筆者はその女の子が全く賢いとは思えなかったので、Mは人を見る目がないなと思い、また何だか腹立たしかった。結局筆者はその女の子とは一度も話さず、そのうち引っ越してしまったようだ。子どもは大人と同じで、一瞬で自分と相性が合うかどうかを判断するし、またその判断はいつも正確だ。
 Mはひとりっ子であったため、母親はMに期待し、またMはその期待を受けていつも大人びた行動を示そうとしていた。それはたとえば、Mが10代半ばで酒もたばこを覚えたことだ。Mの母親が勧めたのだ。Mの母親は石原裕次郎が大好きで、Mをそのように格好いい男に仕立てたかったのだ。そして、Mは母親の期待を受けて、だんだん裕次郎に似て来た。ただし、ヘア・スタイルと体格だけだったが。10代半ばの頃にMは転校していたので、どういう暮らし向きかは知る由もなかったが、たまにMの母親はわが家に遊びに来て近況を知ることが出来た。そんなMの母親が八尾に新しい家を買って転居したので、一度家族みんなで遊びに来いと言った。それが中学2、3年の頃だ。近鉄電車の最寄りの前から徒歩10分ほどのところに家があった。その後筆者らはMの母の世話があって、Mの家の斜め向い側の家に転居することになるが、それは筆者が20代半ばのことで、その頃Mは東京に出て仕事をしていたので、会うことはなかった。そのため、Mの家に上がったのは2度ほどしかない。最初に行った10代半ば、Mはステレオで「ルート66」をかけてくれた。Mの母もMもそのTV番組が大好きで、それでレコードまで買ったのだ。そのTVドラマは筆者もよく見た。筆者の年齢では誰でもそうだろう。1962年から放映されたから、筆者が11歳の時からだ。そのテーマ曲は、意味がわからぬまま全部歌詞を覚えているというほどで、Mもそうであったに違いない。サントリー・ウィスキーの安物の大瓶を飾り棚に何本も並べた小さな部屋で、MもMの母親も御機嫌で、Mの母親はMが逞しそうなのがとても自慢であった。男は体が勝負で、体の弱い者は格好よくないというのが信条であったのだ。その次にその部屋に入ったのが10年ほど後だ。その時確かMはいなかった。ステレオはまだそのままあったが、埃がかぶって、「ルート66」のジャケットも色褪せて見えた。それからMに会ったのは何度あったことだろう。2、3度だろうか。26歳頃か、一度駅まで車で乗せてもらったこともある。その時のMは昔と同じように、「こーちゃんはえらいなー」と言った。そうそう、その後心斎橋でMが背の高い女性と歩いているところに出くわしたこともある。彼女だと言って紹介してくれた。その女性と結婚し、子どもが3人生まれたことをずっと後で母から聞いたが、やはり東京で暮しているらしかった。中古車販売の仕事で、しかも外車を扱っていると言っていた。筆者がよく知る、そしてかなり切れ者の叔父の片腕となって働いていたのが、やがて商売が思わしくなくなり、ついに離婚もしたと聞いた。その頃には八尾の母親の家に帰っていたとようだが、筆者は京都暮らしで、たまに八尾に帰っても会うことはなかった。そうこうしているうちにMが呼吸器系の重い病になって、酸素ボンベを転がしながら歩いているということを母から聞いた。若い頃からのたばこが原因か、あるいは酒も祟ったのかもしれない。そしてある日、発作的に自分で管を全部外して死んだ。自殺ではないが、それに近い死に方かもしれない。葬儀はなかったが、子どもたちは弔ったであろう。あれだけ頑健な体をしていたMが、案外病気に弱かった。
 Mはいつも母を喜ばせることを言った。そのことをMの母親が自慢気に筆者の母に語り、そのたびに筆者は母から「おまえは夢もなく、全く甲斐性もない」と叱られた。Mが母親を喜ばせる言葉は、いつかダイヤを買ってやるとか、いつかハワイに連れて行ってやるといったもので、そういう言葉を聞いて喜ばない母親はいないだろう。だが、筆者は全くそんな出来もしない夢で母を喜ばせるつもりがなかった。だが、母に言わせると、それが駄目らしい。男は多少の嘘やはったりを言うのがよくて、真面目過ぎるのは何の魅力もないと言うのだ。母はMの母親に似て、どちらかと言えばヤクザ者が好きだ。筆者を見ては「おまえはお坊さんみたいやから、お坊さんになったらよかった」とも言うほど、堅物に見えるようだ。母の父がまた豪傑と言ってよい語り草になっている人物で、母はその血を最もよく引いている。そして筆者は顔も性質も父方の血を大きく引いている。だが、どちらか片方の血を引くことはあり得ないから、筆者は母にも似ているだろう。それはともかく、筆者はそういう親をくすぐる言葉を吐くMを内心快く思わないといったことは全くなく、MはMで母親を喜ばせるために必死なのだと、むしろ同情した。そんな親孝行の鑑のようなMだが、その後Mは母の貯金をごっそり持ち逃げしたり、また家を抵当に入れてしまうなど、母を喜ばせた言葉とは全く正反対の行動をし続けた。それでもMの母親はMを許し続けた。客観的に見ると、Mは母離れ出来ず、Mの母親は子離れが出来なかったのだ。そして、Mは50になったばかりの頃に死んだ。ダイヤモンドを買ってやらず、ハワイにも連れて行かず、むしろ老齢の母をひとり残し、しかも離婚したために母親は孫にも会えない。ごくたまに、懐かしがるのではなく、筆者は「ルート66」のオレンジ色のジャケットを思い出す。Mは英語の歌詞内容をさっぱり理解しなかったはずだが、その同じジョージ・マハリスが歌うレコードが筆者の手元にある。Mの形見ではない。ネット・オークションで入手したもので、今では簡単に、しかも驚くほど安価で買える。筆者がよく記憶する方はナッキング・コールのヴァージョンで、それはラジオからよく鳴っていたからだろう。それはシングル盤になっていると思うが、ネット・オークションでは見かけない。今改めてレコードに印刷されるマハリスの顔を見ると、Mの面影があることに驚く。Mはレコードを少ししか持っておらず、繰り返しこの曲を聴いたと思うが、母親の期待から、マハリスに似ることを望んだのかもしれない。
 TVドラマ「ルート66」はマハリスともうひとりの若者が国道66号線を車に乗って旅をし、その間さまざまな出来事に遭遇するというもので、ロード・ムーヴィーであった。その点でヴェンダースに何らかの影響を与えた気がする。スタインベックの小説「怒りの葡萄」やその映画化にもルート66は登場する。この曲の歌詞にもあるように、シカゴとロサンゼルスを結ぶ2000マイル以上の大幹線道路で、ドラマの設定には事欠かない。今は一部の道しか残っていないらしいが、TVドラマ「ルート66」を懐かしがる、そして筆者世代の金のある者はかつての夢をかなえるべく、ここを走ることも少なくないだろう。外車好きのMもそんな夢を抱いたかもしれない。この曲の歌詞で誰もが最も最初に覚えるのはタイトルのGET YOUR KICKS ON ROUTE 66だろう。これは日本語に訳しにくい。「キック」はもちろん「蹴る」であるから、道路を蹴ってどうするかと思ってしまうが、これは車が急発進するイメージを思えばよく、つまり格好よさの言い換え表現だ。それに「キック」は接触であり、路面を自分で走るという、生々しさの表現だ。となれば、曲を聴いているだけでは駄目で、国道を実際に走って振動を体感する必要がある。そういう触覚の重視はロック世代の大きな特質ではないだろうか。「ボディとソウル」のボディの方が大切さで、それがあってソウルも光るという考えだ。この曲で筆者よく覚えているのは、サビで街の名前が続けて歌われる部分だ。それらの街がどこに位置して、どんな様子であるかはさっぱりわからないが、最後にサンバーディノが出て来るのはザッパ・ファンならおやっと思う。となればザッパもこの曲からつながっていることになるが、実際曲はロックンロール調で、ザッパのデビュー前の60年代前半とよく似ている。レコードのレーベル面には作詩作曲者としてB・トループという名前が印刷されている。ネットで調べると、トミー・ドーシー楽団のボビー・トループという人物で、戦争から復員して家に帰る時にルート66を走り、そこで曲名の部分のメロディと歌詞を思いついたらしい。1946年のことだ。ロック登場前であるから、その頃の演奏はもっとジャズっぽかったに違いない。その後ナット・キング・コールが歌ったという。それは50年代末期か。曲がヒットしたのでTVドラマ化ということになって、そしてジョージ・マハリスがカヴァーした。軽快なロックンロールがビートルズ登場前夜のアメリカを感じさせる。ついでながら、裕次郎の「嵐を呼ぶ男」は1957年だが、途中ドラムをアドリブで叩く裕次郎がボクシング用語を連発する。それは「ルート66」の街の名前を羅列して歌うことにヒントを得たと思う。もちろんそんなことを思うのはこの年齢になってからだ。だが、ほとんど半世紀前にそうした曲を聴いた時の記憶は今も鮮明で、レコードに針を落とすと、懐かしいというより、自分が少しも成長していないことを思い、また時間の不思議さに頭がくらくらして来る。赤ん坊の頃はともかく、Mはいつも筆者に優しかった。そんなMの思い出にこの曲を採り上げておこう。
by uuuzen | 2010-05-31 18:40 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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