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●アルバム『GREASY LOVE SONGS』解説、その4
命的な出会いというのは、その出会いをその後の人生でどれほど長く記憶するかどうかにかかっている。



それは特に男女間での場合が多いが、ザッパが交際した女性の中で性交渉を持った者が、ザッパの没後、次々とそのことを本に書くなどして、いわばザッパ・ファンの中では有名になっている。それを墓下のザッパはどう思っていることだろう。そうした女性たちが売名行為のためにそんな話を暴露しているのか。そこは日米の風土や気質の差があって、一概にそうとは言えない場合もある。そこは個々の女性の人柄に大きく関係することであって、発言のニュアンスや、また顔写真、あるいはザッパがどうその女性と長く気分よく付き合ったかだ。ただし、男は誰でも妻に悟られないように自分のつごうのよいように女性を扱うし、いわゆる夫の浮気を知った妻は、夫をなじるよりも愛人の方に牙を向けがちで、その間にある夫は家庭を壊す気がなければ、また隠れて愛人と会うか、あるいは疎遠になる。そんな例がザッパにあったことを大西さんが昨夜知らせてくれたインタヴュー記事で知った。とても面白い内容で、ザッパの音楽に関することも多少発言されていて、一気に読んだ。最近のザッパ関係の記事では特筆ものだ。その女性は、今はロレーン・チェンバレンLorraine Belcher Chamberlainという名前で、ザッパと知り合ったのは64年頃のことだ。その頃はロレーン・ベルチャーLorraine Belcherという名前であった。ザッパにはピーター・ロールPeter Lorreと自己紹介し、ザッパはピートPeteと呼ぶようになった。そして、その名前はアルバム『フリーク・アウト』のジャケット見開き右上の人名簿にも載る。つまり、ピートはザッパがゲイルと知り合う前に出会っていて、その後もザッパとは長年断続的に交際があった。出会いの様子はインタヴューに詳しく書かれているが、映画のようにその時の様子が目に浮かぶ。ピートにとっては運命的な出会いで、それはまたザッパもそうであったと言ってよい。そのため、このインタヴューをゲイルが読めばどのような気持ちになるかと思う。チェンバレンを名乗ったのは、彫刻家のジョン・チェンバレンと結婚したからだが、なかなか奔放な女性で、68年にマンガ家のクレイ・ウィルソンS. Clay Wilsonと関係を持ち、今は病床にあるウィルソンを看護している。その点はかなり一途で健気、かいがいしくもある。ザッパが魅せられたのは、そういうピートの性質であったと思える。インタヴュー記事には70年代遅くにピートとザッパが隣合わせになった写真が大きく紹介されている。ザッパの陰に隠れて小さく写っているので、若い頃の顔が今ひとつよくわからないが、それでもザッパ好みのかわいい魅力ある、どちらかと言えば小柄な女性だ。ネットで調べると、65年のふたりが抱き合う写真も見つかる。ザッパはまだ髭を生やしていない。ピートは深く付き合ったのが、ザッパ(音楽家)、チェンバレン(彫刻家)、ウィルソン(画家)ということで、才能のある男性が好きであったことがわかるし、そうした男からも愛される何かを持っていた。女の中には金に最も興味のある者がいるが、そういう女性はそういう男性と知り合うし、世の中は何事もうまく事が運んでいる。ピートの現在の顔を見ると、なかなかしっかり者に見え、また快活な感じがあってよい。インタヴューはいずれ加筆されて本になるらしいから、これでザッパの60年代半ばの様子が一気によくわかるようになるだろう。
●アルバム『GREASY LOVE SONGS』解説、その4_d0053294_026777.jpg

 インタヴューから伝わるザッパの妻ゲイルとの確執は、結局妻対愛人の座の差に尽きるが、その陰でザッパがどう思っていたかという問題がある。ピートは常識ある、またどちらかと言えば控えめな女性であるから、ゲイルの悪口をあからさまに語らないが、それでも死期が近づいていたザッパに全く取り合ってもらえなかった恨みを持っていて、ザッパが自分に遺した何かがないのかと語っている。これは遺産の分け前がほしいという意味ではない。ゲイルより先に出会い、その後も密かに会って心を通わせていたふたりであるから、ザッパが死の前に自分に何か言いたいことがなかったのかという悔しさだ。ザッパがピートと別れた理由は、ザッパがスタジオZでわいせつなことをまだ19歳のピート相手にしたという理由(もちろん冤罪)で65年3月に逮捕されてしまい、スタジオは閉鎖、ピートは引っ越し、一時音信が途絶え、その頃シアトルでピートが最初の結婚をしたことによる。だが、ピートは手紙をザッパに書いてザッパが電話し、離婚を勧められたピートは離婚、そしてロサンゼルスに引越す。ザッパのような男に出会った後では、ピートはもはや他の男では物足りなかったのだ。離婚を勧めたザッパはかなり無責任だが、他の男のものになったので惜しいと思ったのか。その頃、ゲイルはムーンを妊娠していたから、67年頃だ。ザッパとピートの出会いは、ザッパがまだ有名になる前のことで、その点でもザッパはピートを信頼出来たはずだ。有名人になれば、打算的に、あるいは肉体目的で接近する女は少なくないだろうし、そうした女にはない、心身ともに知り尽した古い馴染みの女というものは、有名になればなるほどおそらく気になるのではないか。ふたりの出会いは本当に自然でひょんなことだ。それが面白い。近頃ネットにあるように、物ほしそうに出会いを求めて動くということでは全くない。ザッパがピートに出会った頃は、ザッパは最初の結婚をして、それが破綻していた。その最初の妻とのエピソードも書かれていて、離婚の理由もほのめかされる。そして、その理由はピートに出会ったことで満たされたと言ってよい。ピートとザッパの関係は続き、ピートは録音に参加することもあった。やがてふたりの関係に気づいたゲイルは猛烈に怒り、ピートを出入り禁止にしてしまう。また60年代半ばだろうか、ピートはザッパに自分についての曲を書いてほしいと言ったが、ザッパはラヴ・ソングが嫌いでそれは実現しなかった。そのラヴ・ソングが『CRUISING WITH……』には詰まっている。それらの曲のいくつかはスタジオZ時代のものが含まれる。そしてザッパが『CRUISING WITH……』を発売したのは、ピートが曲を書いてほしいと言ったこと、そしてピートの存在の欠如が何らかの影響を及ぼしているように思える。男は女性への思いから作品を生むことが多い。それにしてもピートがザッパとの性交渉を暴露して、ザッパが迷惑しているかどうかを想像すると、ピートの自然な語り口、そして献身的にウィルソンを看護する現在の姿を見れば、全部許すと思える。それに、70歳近い者が、若い頃の性関係を語っても、そこにはあっけらかんとして微笑ましいものがある。少なくともアメリカの、そしてピートには。

●2003年4月1日(火)夕方 その2
●アルバム『GREASY LOVE SONGS』解説、その4_d0053294_027351.jpg話はまた変わる。一昨日観た展覧会『ピーターラビットの世界』は、絵本作者のベアトリクス・ポターの人柄を知るにはとてもいい機会であった。彼女は学校には行かずに家庭教師に教育を受けるのだが、当時はそんな人は多かったのだろう。ユルスナールも父親の蔵書を読んで育ち、学校には通わなかった。それでも立派な仕事を残せるのであるから、学校教育が本当にいいことばかりなのかどうか疑ってみることも必要だ。学校教育なるものが今ほどなかった時代でも人々が今より劣っていたはずはないし、現在30歳近くまで学校で学ぶ者が、その後どれほどのたいしたことを世に成すかと言えば全く怪しいものだ。税金の無駄遣い同然のことが高等教育で行なわれ続けているとさえ思える。辻まことが『蟲類図譜』で教育というものをからかってカリカチュアにしていた。その点は多少は同感だ。特に学習塾の先生という人種は、点の取り方を効率的に教えるだけでとうてい教育者などではなく、商売人でも下の部類だろう。この意見には個人的怨みが含まれるが、ま、それはいい。ベアトリクスは家庭が裕福で、幼い時にラファエル前派の有名画家などが家庭に出入りしていたこともあって、自然と絵の才能も芽生えた。また自然豊かなところに住んでいたために、実物観察を通じた博物学も身につけて行く。そんな中から『ピーター・ラビット』のシリーズ絵本が生まれて出て来るのは、ごく当然の事と思える。今の日本ではまず彼女のような才能は出ないだろうし、出ようがない。確かにそれ風の作品やもっと上手に動物を駆使した絵本を作る才能はあるかもしれないが、それはただそれだけのことで、イギリスの風土から出るべくして出て来たようなベアトリクスとは桁も何も全然違うだろう。幼いベアトリクスの机が展示してあった。その引き出しの中にきれいにアンモナイトの大きな黒い化石が2、3詰まっているのが印象的であった。イギリスのグレートブリテン島中部の西に位置する湖水地方にはカンブリア山脈が走っていて、古生代のカンブリア期の化石を産出する。彼女が化石に興味を抱いたとしても不思議ではないだろう。ちなみに三葉虫は古生代の代表的な生き物だが、古生代末期に姿を消し、次の中生代にアンモナイトが登場する。アンモナイトはぐるぐる巻きで三葉虫に比べて形は面白くない。今でもありそうな貝で、味も想像できる。やっぱり多少グロテスクだが三葉虫が肉も多くてうまそうだ。ペアトリクスはまたナショナル・トラストの運動に賛同し、彼女の死後は彼女が買っておいた広大な土地が手つかずのまま今に伝えられているというから、環境保護を身を持って実践した先駆者でもあった。やはり日本の絵本作家とはスケールが違う。これもついでながら、ナショナル・トラストという言葉を初めて知ったのはビートルズのホワイト・アルバムにあるジョン・レノンの「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」の歌詞においてで、もう35年前のことだ。話がどんどんそれて行く。また視点を移そう。メノウ標本箱のすぐ隣りには箱入りの1個の丸い墨が飾ってある。古墨というほど古いものでもないが、中国製の美術的な墨の一種だ。これとは別に以前ネット・オークションで同じ中国の古墨を買った。どの程度古いかは知らないが、100年は越えないはずた。もっと古い数百年前の古墨も当然あって、それらは何十万円もする。そんな枯れた墨はそれなりのよい味を出すらしいが、そのためには硯も大事だし、また絵や字を書く方の腕もそれらに見合っていなければあまり意味がない。それに紙のよしあしもある。学校で習字を習っただけでその後はほとんど筆と墨を使用したことがないという人が日本でも多くなるにつれて、もはや古墨がどうのと言っても、その価値が全く理解できない人が多数派になるだろう。ワープロやパソコンのタイプライターがなお拍車をかける。そうなってしまえば毛筆の能筆家や水墨画家はどこか別世界の存在で、誰が名手でそうでないかの価値基準もわからなくなり、一方でデジタル・アートといった何やら怪しげな横文字芸術家が大きな顔をして歩くようになる。それでもそれが時代の流れだとして歓迎する向きもある。話がまた変わるが、それは骨董の世界でも同じだ。たくさんの人々がほしい物は価値がどんどん上がる。せいぜい数十年前のブリキの玩具ひとつが数十万の値がついたりしているが、それは何だか鑑定家といった連中の巧みな商売が元になっている気がする。そしてそんな鑑定家はびっくりするような豪邸に住んでいる。玩具鑑定家は詐欺師顔に見えて仕方がないのだが、誰よりも早く価値のない玩具を収集し始め、マスコミにうまく乗ってそれらの価値を高めたおかげで莫大な収入も得ているから、それなりの先見の明は買われるべきか。それにしても伏見人形の最高に価値のある古いものでも15万そこそこであるのに、そうした昭和の玩具がその何倍もするというのは謀略としか思えない。いつか価値が暴落するのではないだろうか。まだあまり誰も目をつけていないもので気に入ったものに出会いたいものだが、それは将来の価値を期待することよりもただ身近に置きたいという欲求だ。500円のメノウ標本も同じことで、そんな安いもので充分楽しく遊べるのは幸福なことだ。そうそう、伏見人形で思い出したが、こうしてワープロを打っている目の前には伏見人形もたくさん並んでいる。自宅でネット・オークションをするようになった途端に伏見人形にはあまり興味がなくなった。出物はチェックはしているが、いいものは必ず高値がつくし、2000円程度で気に入ったものしか買わないようにしている。それで自然と買うものがほとんどない状態だ。置き場所がもうないことも熱が冷めている理由だ。本やCDがあちこち横積みになって来ているし、ついに階段にまでそれが溢れ始めている。そんな状態の中で30センチの大型の三葉虫など買えば、そりゃ妻も家出する気になるだろう。何がほしいかと言えば、今はもう一部屋あればと思う。だが、部屋が余裕があればあったで、また物が増えるに決まっているから、だんだんと処分するに限るとある人から聞かされた。やはりネット・オークションに今度は売り手として登場する番か。今日はエイプリル・フールだが、出かける用事もなくて、一歩も外出せぬまま日がとっぷりと暮れてしまった。ここでひとまず休止してまた深夜に続きを書こう。
by uuuzen | 2010-05-15 00:29 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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