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●アルバム『GREASY LOVE SONGS』解説、その1
信されたザッパ・コムからのいつもの画像メールをたった今開いたが、いつもとは違ってどういうわけか真っ白なままで見ることが出来ない。きっと筆者のパソコンでは見ることが出来ないフラッシュ画像と思う。



メールのタイトルは「母の日」であるから、何か発売されるか開催されるか、あるいはマザーズの結成記念日を単に祝うものだろう。さて、4月19日にMUSIC TODAY CYUTOMER SERVICEから『GREASY LOVE SONGS』を発送したとのメールが届いた。BARFKO-SWILLに注文したものを、別の会社が発送する。BARFKO-SWILLの実態は昔映像があった。ザッパ家の内部で、発送担当者は男性がひとりだけであったようだ。未着や破損などのトラブルがおそらく多かったのだろう。それで専門の会社に委ねることになった。それはさておき、アメリカ在住の大西さんからは21日に届いたとのメールがあった。筆者は連休明けには届くと思っていて、昨日は強い予感があった。そして昼前に郵便局に用事で出かける時、小雨が降って来たので予定を変えて足を延ばして買い物には行かず、郵便局の往復で済まそうと考え、そうした。玄関まで20メートルのところに戻って来た時、ちょうど郵便のバイクが発進するのが見えた。慌ててその近くに走りよると、配達員はこちらを振り向いて、本アルバムを密閉した段ボールのうすい包みを手わたしてくれた。小雨が降っていなければ、手に入れるのは1日後れ、これを書くのも明日になった。早速封を切ろうとしたが、密着段ボールはなかなか簡単に中身を取り出せない。プラスティック製のケースであればまだいいが、紙ジャケのうすいものだと、折ってしまうかもしれない。以前はクッション入りのもっと小さな封筒に入っていたが、それでは破損の危険が大きかったのだろうか。ともかくどうにか焦る気持ちを押さえて段ボールをはがして取り出し、次にラップをむしり取り、そしてようやくCDを取り出してラジカセで聴き始めた。ステレオは3階にあって、ここ2、3か月は3階に上がらないので聴いていない。パソコンの横にTVとラジカセがあって、それを同時に聴きながら、パソコン向ってこれを書いている。こんな「ながら族」は珍しいかもしれない。
●アルバム『GREASY LOVE SONGS』解説、その1_d0053294_1048524.jpg 大西さんからジャケット写真など内容について聞いていたが、それをなぞることになった。まず、ジャケットだが、紙製で、しかも鏡のような銀の光沢がある。また大西さんの言うように、音がぐんとよくなって、ラジカセでもそれがよくわかる。『CRUISING WITH RUBEN & THE JETS』の13曲が前半に収録されて、その後に8曲が追加されている。そのうち5曲が『CRUISING WITH …』に含まれる曲の別テイク、2曲が会話、1曲が「VALERIE」だ。この曲は『BURNT WEENY SANDWICH』の最後に含まれるものよりもっと素朴な演奏でモノラル録音だ。これは誰しもと思うが、ザッパの全アルバムの中で『CRUISING WITH …』はおまけ的な印象がある。筆者のように60年代の音楽をリアルタイムで経験した者にとってもかなり古臭いものに聞こえた。だが、最初に聴いた時の印象は、60年代半ばの時代とはまた違った、やけに明るく、また懐かしいような空気だ。それをうまく説明することは難しい。それがいったいどこに由来するものか、筆者はずっと気になりながら今まで来た気がする。アメリカの、しかもロサンゼルスに行けばそれが案外感じられるかという気はしたし、今もそう思っているが、その一方でその空気はザッパがかつて体験した思いがかなり反映したもので、『CRUISING WITH …』の発売当時にロサンゼルスにいたとしてもおそらく筆者が感じた懐かしさのような、またそれでいてそれがどこに由来するかわからない不思議な空気を誰もが感じたのではないだろうか。話がややこしくなるが、ここでつい一昨日の話をする。筆者は久しぶりに散髪屋に行った。そこはいつも60年代のアメリカン・ポップスをBGBにしている。店長の好みなのだろう。店長は筆者と同じか1、2歳年長だ。流れる曲の9割りは筆者は知っているが、たまに知らない曲がある。つまり初めて聴く曲がある。だが、紛れもなく他の知っている曲と同じ時代のものであることがわかる。どの曲も同じ時代の空気が流れているからだ。それは幾分録音特性にもよる。まろやかな音と言えばよい。それに曲調だ。それらを模倣して60年代的サウンドを作り上げることは今までによく実行されて来たし、これからもそうだろう。ところがそれは60年代そのものにはならないし、またその必要を思って作られてもいない。そうした行為は回顧趣味ばかりとも言えない。新しいものを作り出すには、過去のものを知る必要がある。過去の遺産があって、そのうえに新しいものが出来る。ザッパはそのことをよく知っていたし、その意味で伝統主義者と言ってもよい。そして、自分が子ども時代に好んで聴いた音楽を、自分が成長して演奏しようと思った時、過去に聴いたのと全く同じ空気感をかもし出すことの不可能をよく知っていたはずだ。同じように演奏することは簡単だが、そのことによって同じ空気を表現出来ることにはならない。演奏は必ず時代を反映する。それは機材が違う、演奏者が違う、聞き手も違うなど、何から何まで違っているからだが、そのずれがありながら、一方では昔の音楽であるゆえの昔の空気も内蔵するから、ある意味ではグロテスクなものが出来上がる。そのグロテスクさをザッパは多いに理解し、また大いに好んだ。また、伝統主義というものはみなグロテスクであり、世界にはグロテスクが満ちている。特に新しくて強いものをあまり生めなくなっている現在はますますグロテスクと言ってよい。

●2003年3月31日(月)深夜 その1
●アルバム『GREASY LOVE SONGS』解説、その1_d0053294_10493744.jpg夜から雨が降り出した。振袖は無事に納まって卒業式の着用に間に合った。その後すぐにまたキモノを作ってほしいとの依頼があった。今度の着用日は5月11日だ。明日あたりから本格的に下絵を考えて作業に入らなければならない。5月の連休は仕立て屋も休みたいであろうし、4月末までには染め上げなければならない。1か月間では出来る仕事は限られている。さきほどemiさんのホームページに、先日作ったばかりの4月分の切り絵が5点展示されているのを確認した。ラヴェルのピアノ組曲『鏡』の5曲に想を得て、そこに今のイラク攻撃のイメージをだぶらせた。今回ばかりは5点作るのは無理かと思ったが、いつもぎりぎり間際になってから閃きがあり、今回もそれに助けられて一応は思いどおりのものが作れた。粘り勝ちと言ってよいだろう。次は何を切り絵の題材にしようかと常にぼんやりと考えてはいても、いざ切る段になると最初の思いを強化する何かが頭に浮かぶ。朝日新聞の4コマ漫画が面白いと先日書いた。そうした4コマ漫画作家の毎日のアイデア捻出の重圧を想像すると、それだけで尊敬の念を抱いてしまう。それは切り絵を毎月5点作ることとは全然違って、毎日が切羽詰まっている。訓練でアイデアがすぐに湧くようになるのであろうが、それがプロというものだろう。筆者の切り絵は本職の間のお遊び程度のものだ。それでもホームページに載り、いつでも誰でも見られるのであるから、それなりに真剣に作る。作品の仕上がりに満足ができないものは展示したくないし、またマンネリにならないように目を配っているつもりでもある。ただし完全な左右対称の絵であるため、やがて固定化は免れないだろう。その限界を見定めたいので、それがわかるまでは続けたい。元来左右対称の形はたいたい退屈だが、一方で厳然とした印象を与えやすい。ましてや正方形の色紙を使用して、いつも必ず四囲には細い枠を作っているから、なおさらきっぱりとした印象を与える。それは筆者の好みでもある。ザッパも言っていたが、作品化には「枠」が必要だ。これは制約と言い換えてもよいだろう。制約をあえて設けない作品作りもあるが、概してそういうものはつまらない。ダダはすべての主義や制約を解き放ち、旧来の芸術行為の全否定を建前としていたが、それはそれで作家個人の個性ゆえの特色もあって、そこからまた独特で新たな芸術が生まれて来た。先日カルスト高原に行った際、今年はここ20年ぶりほどの遅い草焼きであったことを聞かされた。すすきなどの草花がまだ焼かれたばかりで、地面は黒々としていた。この調子では春の小さな草花が咲くのも遅れるかもしれない。それはいいとして、ダダの運動はその草焼き、あるいは焼き畑といった行為に似ている。旧来のものを一旦全部破壊してしまうと、その後からまた新たなスタートができる。また、そのようにして人間は出発し続けなくてはならない。そのダダでさえもダダという枠組を持っていたことが後になってますますよくわかるようになった。筆者が切り絵行為で今考えている「枠」は、15センチ角の普通の色紙から色の違うのを2枚だけ使用し、できる限りは縦ふたつ折りの左右対称の構図、そして周囲は5ミリ幅にするということだ。この3つの条件のどれを変更してもそれなりの新しい「枠」はできるが、「枠」を広げるのはアイデアが枯渇し始めてからでも遅くはない。個性的であろうと思えば、この最初に決めた「枠」を可能な限り墨守し続ける方がよい。五七五の定型の俳句と同じことだ。その制約の中で限界を目指すことが深みのある多様性を生む。規則を緩めるとそれなりに面白いものができるが、緩め過ぎると面白さが曖昧になる。そんなことを再確認しているのが、思わぬ形で始めるようになった切り絵のおかげだ。これも元をただせば芋銭の掛軸の贋物をつかまされたことがきっかけになっているから、元はもう充分に取ったと考えよう。切り絵はスキャナーで画像を撮るので、その分作品としては実物にかなり近いとの思いがあることも、作る気になった理由のひとつだ。筆者が本職で作るキモノや屏風などは最低でも縦横2メートル四方はあるから、インターネット上の画像ではどうしても作品のよさが伝わらないと危惧している。デジカメで撮影するにしても、その写し方によって作品が全然違ったものに見えるし、実物の触感などは期待できない。だが切り絵はだいたいは原寸大に近い状態でパソコン画面に展示されるため、キモノよりははるかに現実感が得られる。とはいえ本物の切り絵と、それをスキャナーでコピーしたものとではやはりいつも不満がある。色が違うし、細部が潰れるからだ。色は補正できるとはいえ、実物とは印象がそうとう違う。スキャン時の解像度を上げるとさらに鮮明になるが、データ量が多くなり、ホームページの容量がすぐに足らなくなる。さきほどは新作展示されたばかりの画像を見ながら、「こんなものではなく、もっと実物は線もシャープだし色も鮮やかなのになあ」と首をかしげてしまった。インターネットは便利だが、本物のありがたみを忘れてしまう危うさも孕んでいる。さて、今朝も渋る息子を叱り飛ばして、ようやく病院に行かせた。爪が曲がって生える性質であるらしい。それが肉に食い込み、爪を切る時に黴菌が入ってしまうようだ。薬をもらったからひと安心だと思っていると、今日は全くそれを飲んでいないらしい。どこまでも反抗する気のようだが、やっと病院に行っただけでもましだ。
by uuuzen | 2010-05-11 10:50 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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