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●こんぴらカフェ
茶店にあまり入らなくなったが、気になるところやまた少し歩き疲れた時には入る。3月26、27日の1泊旅行の際には、食事以外に2か所の喫茶店に入った。



●こんぴらカフェ_d0053294_165775.jpgそのひとつが、昨日最初に掲げた「百花若冲繚乱」ご観覧マップにも記される、こんぴらさんに出来てた新しいカフェ・レストランだ。高橋由一館での「百花若冲繚乱」展、そして奥書院で若冲の「花丸図」、椿書院を見た後、さらに階段を上って御本宮に行く気力がなかった。今回も絵馬堂を見たかったが、そこに行くには確か御本宮まで一旦上がってからであったはずで、気力が失せた。それで椿書院から社務所門を出た後、御本宮への階段を左に見ながら、真っ直ぐに進んだ。そっちの方面に道が続いていたこと、またカフェがあるらしく、人が少なからず往来していたからだ。すぐに地面にコーヒーカップを描いた大きなシートが貼る場所に来た。どうやら、谷にカフェが新たに出来たようだ。それは木造の建物の陰にあって、また山の斜面を利用して造られたもので、こんぴらの景観を崩してはしないが、急にタイル貼りの直方体の建物が眼前に出現して、あっと驚かせるものがある。斜面を土で埋め、その上に木造で日本建築の茶店を建てる方法もあったろうが、地盤を固めるのに工事費はかなりかかるし、そこに喫茶店を造るだけでは意味がほとんどなかったに違いない。それで東京のど真ん中にあってもおかしくない洒落たカフェ・レストランが建てられたのだが、鉄筋コンクリート造りであるので、工事は簡単ではなかったろう。このカフェの名前は「神椿」と言う。昨日書いたように、椿書院の障壁画を製作中の画家が外装のタイル画を手がけ、その画題に因んでそのような名前がつけられた。ということは、椿はやはりこんぴらにとって大きな意味のある木なのかもしれない。カフェの外観は、椿書院の床の間の壁面のみを埋めていた染め付けで椿を描いたタイルと同じもので、内装の壁もそれが貼られていた。つまり、現代風の建物を椿の木の絵で埋め尽くすことで、少しでも自然との調和を考慮したということなのだろう。その染め付けの絵は焼く前のタイルをおそらく体育館のような広い場所に貼りつけるのと同じ順に並べて、ダミ筆で一気に描いたもののはずだ。ところどころに直径2、3センチの青い点が見えたが、筆から釉薬がしたたり落ちたのだ。それは愛敬ということで別段気にならないが、椿書院の床の間とは違って、葉が繁茂し過ぎといってよく、マティス風のすかすかした一方で瀟洒な味わいの素描とは違って、かなりごちゃごちゃとしていて、真っ青になっているタイルがかなり多かった。李朝の磁器を見てもわかるように、染め付けは本来もっと淡白なものだ。だが、ここではそういう味わいをもとから考えていない態度がある。もっとも、建物全体が白っぽく見えることで、訪れる人たちが白けた気分になることを避けたとも考えられる。
●こんぴらカフェ_d0053294_161369.jpg

 カフェを運営しているのは東京の資生堂パーラーだ。これはカフェ経営の話をどちらが持ちかけたのかは知らないが、ついにこんぴらも東京資本と手を結んだかという気がする。それよりも思ったのは、確かに長い階段を上ってこんぴらに参る人々のために、境内に一服出来るカフェ・レストランがあるのは便利だが、そのために麓の店が迷惑しないかということだ。こんぴらあっての門前町の店の経営も成り立つのであるから、こんぴらが土地を提供するなりして何を経営しようが勝手ということなのかもしれない。とはいえ、「神椿」で一服した人が麓でまた喫茶店に入ることはまずないから、何となく仁義なき行為に思える。以前書いたように、麓のどの店も「百花若冲繚乱」展の大きなポスターを貼って、門前町としてはこんぴら側の宣伝に大きな役割を果たしている。ところが、筆者のようにごく稀にこんぴらに行く者は、新しい洒落たカフェが出来たとあれば、足はそこに向くし、その分麓の店に落ちる金は少なくなる。持ちつ持たれつの思想からすれば、こんぴら境内のカフェは麓の店が参入すべきと思うが、その役にふさわしい貫禄のある店がなかったということか。またそれが駄目なら、京阪神の店という発想が妥当ではないか。ところが、神戸はなかなか100年続くそうした店はなく、京都ではどこが出店しても他店からいやみが出てまとまりがつかなかったのかもしれない。そこで資生堂パーラーとなったのかどうか知らないが、このことによってこんぴらの宣伝が東京にまず行き届き、また京阪神や四国の、いわゆる田舎者にとって東京がこんぴらに来たということで、憧れの眼差しで見られるという効果をも狙ったのかもしれない。観覧マップによると、一流のシェフの味を堪能してくれと書いてある。だが、カフェ・レストラン程度で一流の味もないだろう。筆者はコーヒーを頼んだところ、確かにおいしかった。だが、図抜けているというほどでもない。それは何とも不機嫌になることがあったからだ。
●こんぴらカフェ_d0053294_173255.jpg

 店内はほぼ満員で、階下が騒々しいので何事かと思っていると、貸し切りで結婚式の披露宴の最中であった。筆者が座った位置から真横下は吹き抜けになっていて、花嫁、花婿の姿が丸見えであった。男性は日本銀行に勤務云々と聞こえたが、東京まで行かずとも、地元にこんな洒落た空間があって、とても便利ということなのだろう。だが、正直なところ、階下のマイクの音が階上に響き過ぎて、静かな気分でコーヒーを味わうどころではなかった。一般人が階上に多く出入りするような場所での披露宴はいかがなものか。芸能人でもあるまいし、もっと隔離された神聖さを味わえる場所がいいではないか。今はそうではなく、全く見知らぬ他人にも自分たちの結婚を知ってほしいのだろう。そして、その幸せいっぱいの若者の見せつけ主義を、お金を払って無言で受け入れるべき、いや祝福することがセンスのよい都会人と無言の圧力をかけて来る。だが、それは個人の甘えであって、また経営者の傲慢ではないか。筆者はコーヒーをそそくさと飲んで10分ほどで外に出た。階下で披露宴をする時は、階上も貸し切りにすべきと書いておきたい。あるいは階下と階上を完全に壁でふさぎ、音が相互に響きわたらないようにすべきだろう。観覧マップには「雄大な大自然と調和する」と謳ってある。外観はそのことに留意したとしても、内部は東京都内の店と全く変わらない。つまり、こんぴらの中に大都会の一部が引っ越して来たわけで、その騒々しさを売りにしている。それは本来門前の店が担当すべきであって、そこには神の領域とそうではない市井が区別されていた。ところが、神聖であるべき空間が雑踏同然だ。そういう意見が門前町から出なかったのだろうか。先日書いたように、筆者は世界中どの場所、どの家、どの部屋の一角もみな価値として差がないと思っている。であるから、こんぴらに東京のカフェが出現しても元の林と同じであり、雄大な大自然と調和していようがしていまいが、それは考えひとつでどうにでも変わることと思う。これは何が出来ようがかまわないという意味ではない。別の場所で価値あると思われているものを移設したところで、その場所の価値が上がることはないという意味だ。人への便利のためか、あるいは単に金儲けのためか。椿書院の床の間のタイル壁は、カフェ・レストランで全開しているから、椿書院とカフェ・レストランは兄弟であり、そして神はカフェに存在するという技術監督の考えなのだろう。帰りがけにレジのところで、名刺サイズのカードを1枚取った。裏面には「はっぴいくんくらぶ」とあって、ケータイでアクセス出来るサイトの宣伝と、はっぴんくんというキャラクターのマンガ顔が描いてある。表はカラーでフルーツ・パフェの写真だが、これを食べるのであれば岡山であろう。その話はまたいつかに。
by uuuzen | 2010-05-04 01:08 | ●新・嵐山だより
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