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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●椿書院の障壁画
椿書院という名前の建物が金刀比羅の奥書院に続いて位置しているのを、「百花若冲繚乱」展の観覧マップで知った。



●椿書院の障壁画_d0053294_011506.jpg

若冲の障壁画「花丸図」を見た後、そのまま順路にしたがって左に庭を見ながら廊下を歩むとすぐにその書院に誘導される。その書院の壁や襖には椿の藪が全面に描かれている。部屋の片隅にこんぴらのロゴ入りのジャンパーを着て座っていた係員のおばさんとしばし話をした。TVでも何度か紹介されたことのあるある画家が金刀比羅宮の別当と昔からの知り合いで、現在その画家は金刀比羅宮の文化芸術監督を担当しており、何年か前から取りかかっているのがその椿書院の障壁画製作であるとのことだ。椿を画題にしているために書院をそう呼ぶのだろうが、なぜ椿かと言えば、その画家がこんぴらの境内を散策していて目にとめ、書院に描くのはふさわしいと思ったからだ。あるいはこんぴらにとって椿は特別の花なのか。廊下からそれら作製中の障壁画を見ることは出来るが、2、3年中断されているらしく、完成はまだ先だ。係員は、中断している間にその画家は九州に行って焼き物に挑戦していたと言う。その作品である染め付けのタイルは、椿書院の床の間の壁面にだけ貼り詰められていた。そのタイルは、白地に青で椿の葉を主に描いているため、明るい印象はあるが、筆者はトイレの壁を連想してしまった。いや、そう感じる人は決して少なくないだろう。その画家がフランスで描いた作品はTVで見たことがある。壁に何層もの絵具を塗り、最後に白を塗った後、壁面に下絵を描き、絵具をかき落とすことで下に塗った絵具を見せるという、昔誰でも小学校の図画工作の時間に習った手法で完成させたものだ。係員によると、その作品を画家と一緒に見るためのツアーが先頃組まれ、盛況であったそうだ。椿の大障壁画が完成すると、こんぴらはまた大きな宣伝をするだろう。話を聞きながら、染め付けのタイルの床の間を数メートル先に見ながら、筆者は、その画家はマティスを思ってそうしたタイルを用いることにしたのではないだろうかと思った。太い筆でざくざくと描く様子はマティスによく似ているからだ。また焼き物を障壁画のある部屋の中心になる床の間に貼るのは、異物挿入によるショック的効果に見えたが、タイルと知らなければ、それは下絵のように見える。ともかく、襖の著色による椿とは全く釣り合いが取れていない。また、鴨居のところどころに椿の林のサービス・サイズの写真が押しピンで無造作に留めてあった。筆者なら鴨居に少しでも傷をつけるのはいやだが、椿の枝や葉が、勢いあまってか、あるいは故意にか、柱や鴨居にも中途半端に描かれている。これを係員に質問すると、消さないとのことだ。さらに説明によると、絵は白い壁に直接描くのと白い紙を貼った襖に描くのとでは絵具が乾くと色が違って見え、そのことに画家は後で気づき、それで絵の完成が後れていると言う。何とも無様なことだ。小品で実験することをせずにいきなり襖や壁に描いているのだが、ミケランジェロのような画家がフレスコを描くのとはわけが違う。
 絵はどれも未完成に見えるから、これらはみな下描きで、最終的にはきっちりと描き直すとてっきり思って、さらに質問をぶつけてみたところ、そうではなく、順に完成していると言う。ほとんど色あせている小さな写真は何の役にも立っていないように見えたが、まさかそれをもとに描いているのではないだろうと思っていたが、案外そうではないのかもしれない。椿を描く大作と言えば、誰でも速水御舟の散り椿の屏風を思い起こす。椿書院の障壁画をそうした伝統的な、綿密な下絵を作って破綻なく描かれた作と比較することは出来ない。ほとんど筆者には現場でそのままスケッチした作品、つまり即興的な作品に見えた。その見方は正しいだろう。簡単に言えば現場製作主義の油絵と同じで、画風はフォーヴィズムを思えばよい。そうした障壁画があってもよいが、若冲の「花丸図」を見た後では、ただの雑な絵に見える。障壁画も時代に応じて変わるべきという考えはわからないでもない。だが、日本の書院造りという伝統的な建物のその内部空間であるからには、それに見合った伝統的技法による絵画が見たいし、またそうしたものでないと、結局は似合わないのではないか。時と場の考えがまだ日本には生きているしと思いたいし、現代的な作品ならば、もっとそれにふさわしい展示空間がある。芸術家は思うまま何をやってもよいとは限らない。特に障壁画となると、部屋の雰囲気を大きく左右し、庭やその周囲との調和も計算しなければならないだろう。それは古い考えで、思いっきり斬新なものでもよいとの考えでそうした作品が描かれているに違いないが、筆者には斬新にも見えなかった。斬新を言うのであれば、コンピュータで描いたような絵にするか、いっそのこと壁面全体に液晶パネルを組み込んで、常時風に揺れる椿の実際の映像を映せばよい。いや、冗談ではなく、本気でそう思う。それはこの画家が描く椿が、花はあまり目立たず、葉がやたら込みって、その分一見写生に忠実と思わせるからだ。そんなに実際の椿の林をそのまま画面に定着させたいのであれば、写真でいいではないか。また、実際は写生に忠実でもない。葉1枚に何本もの線を引いているが、素描をそのまま本画としたいのだろうか。
 荒々しい筆致で鴨居や柱にまで絵具を塗りつけ、その一方で床の間に未完成そのままを思わせる染め付けのタイルを貼り詰めるという行為は、これが仮に一画学生の考えならば、こんぴらは許しただろうか。TVを通じるなど、一旦有名になった者は、何をやっても許される風潮がある。だが、その一方で現在の日本画家に速水御舟の技術に比肩する者が皆無であり、また日本の伝統的な障壁画の技術をたとえ持つ者がいても、おそらく月並みな作品しか描けないだろう。それは若冲の障壁画を描き直した岸駒に作品を見ればよくわかる。「花丸図」は宣伝になっても、岸駒を見たいとは誰も思わないだろう。岸駒がそれであれば、その後の日本画家は推して知るべしで、現在に見合った才能を持つ画家を見つけることは難しい。それを思うと、椿書院は大きな実験をやっており、その点において意義は認めるべきか。何十年かあるいはもっと先、別の才能が現われるかして描き直しが妥当と判断されればそうすればいいのであって、仮の姿と思えばいい。実際そのようにして若冲の障壁画は岸駒によって描き変えられた。いつの時代でも描く才能はいくらであるが、それがしかるべき場に出会って適切な仕事を与えられることはむしろ珍しい。製作の依頼者はだいたいにおいて絵のことに無知であり、人選は情実やその他、才能とは無関係のところで決まる。また、誰が何をどう描いても批判は受けるという反論もあるだろう。とはいえ、よしわるしはある。何かはっとさせるもの、そういう気配、それが芸術の命であり、それがないものはいくら何年も費やした作品であってもすぐに忘れ去られる。椿書院が最終的にどのように見えるかはまだわからない。椿書院を後にしながら、筆者なら椿を題材にどのような障壁画を作製するかを思っていた。昔筆者は近くの寺の境内に椿を写生し、それらを組み合わせて観音開きの友禅染め屏風を1点作った。パソコンの画像では実際の雰囲気や色目には遠いが、下に掲げておく。
●椿書院の障壁画_d0053294_0123589.gif

by uuuzen | 2010-05-03 00:13 | ●新・嵐山だより
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