坂本冬美の「また君に恋してる」がヒットしている。筆者にはどうしてもビリーバンバンのオリジナル曲の声に似合っている曲と思えるが、それを演歌系の女性が歌うのがまたいいのだろう。

TVで坂本冬美がこの曲を歌っている姿を見たが、手振りが今ひとつ決まっていないと感じた。ビリーバンバンならギター抱えて歌うのでそんな手振りは不要だが、マイク片手に歌うとなると、歌詞に応じたドラマを歌う姿で示さねばならず、この曲でそれをやるのは坂本冬美にとって難しいことではないかと思う。また、この曲の聴かせどころは、曲名を歌う部分のみで、そのほかはほとんど印象に残らない。そのため、なぜ話題になるのかいささか理解に苦しむが、コマーシャルで使用するにはその印象深いわずかなメロディがあるだけでよく、そのためにヒットしたと言える。この曲の全部が印象深いとすれば、すでにビリーバンバンが歌った時に大ヒットしていたはずだ。ここで断わっておくと、筆者は女性歌手の中では坂本冬美が最も好きだ。そして、大人っぽいキモノ姿よりも洋服の方が若く見えていいと思っている。そのため、この曲を歌う時は洋服を着てほしいが、コンサートやTVで歌う時は演歌歌手らしく、いつもキモノだろう。一度イメージを作ってしまうとそれを壊すのは難しい。だが、この曲で脱皮するのではないだろうか。さて、オリジナルよりもカヴァー演奏の方がヒットすることは昔からよくあることで、カヴァーの方があまりにヒットしたため、オリジナルを知らない場合が多い。これは先日知ったが、筆者が10歳の時にフランク永井がヒットさせた「君恋し」は、大正時代の曲だ。子どもでも印象によく残るメロディで、筆者はビートルズに夢中になる以前にこうした歌謡曲にすっかり刷り込まれていた。この年齢になると、そうした原体験的な古い曲がしきりに蘇る。あえて聴きたいほどでもないが、名曲であることを大いに認めたい気持ちがある。そんな曲として最近よく思い出すのが、トム・ジョーンズの「ラヴ・ミー・トゥナイト」だ。筆者はてっきり70年代半ばかと思っていたが、ヒットしたのは69年だ。そう言えばそうで、007の曲を歌ったり、また「シーズ・ア・レイディ」など、ぞろぞろと当時のヒット曲を思い出す。だが、どれか1曲となればやはり「ラヴ・ミー・トゥナイト」だ。
EP盤の解説を読むと、69年のサンレモ音楽祭で歌われた曲をカヴァーしたもので、原曲は「恋の終り(ALLA FINE DELLA STRADA)」(「終わり」ではなくそう書いてある)で、若手男性歌手のジュニア・マッリとイギリスの人気グループのカジュアルズが組んで歌ったという。題名からわかるように作詩はイタリア人による。それをイギリス人が新たに作詩して、トムに歌わせた。原曲は失恋の歌のようだが、トム・ヴァージョンは愛の告白で、まるで正反対だ。そんな作詩でも許可されたのが面白いが、それよりなるほどと思ったのはサンレモ音楽祭で歌われたことだ。60年代後半は日本でもサンレモ音楽祭の曲はいくつも大ヒットした。それらは当時世界的に大きな流れになっていたビートルズ以下のロック曲が並ぶ日本のヒット・パレードをにぎわしていた。ビートルズもいいが、そうしたイタリア、あるいはフランスからもたされる曲もまたなかなか味があって、たまにシングル盤を買ったりもした。60年代や70年代に生まれたロック・ファンは後からビートルズを聴き、60年代を想像するが、当時日本でどういう歌謡曲やロック以外の洋楽がはやっていたかを知らない。また資料で知ったとしても、実感に乏しいだろう。自分たちで書いた曲を自分たちで演奏することをビートルズは始めたが、それまでは流行歌手は歌うだけで、作詩と作曲は別人が担当した。10代の筆者がビートルズに夢中になったのは、全部自分たち自身でやるという独立心で、その姿勢は現在の筆者の仕事など、さまざまなことに大きな影響を与えている。そして、ビートルズに比べるとプレスリーは作詞作曲をしない分、とても時代遅れの存在に見えた。となると、トム・ジョーンズも同じで、声だけが独特に古いタイプの流行歌手に過ぎないと思い、まともに聴いたことがなかった。ところが不思議なもので、名曲は勝手に耳奥に住みついて、ほとんど全曲をそのまま再生出来るほどだ。そして、そういう曲として「ラヴ・ミー・トゥナイト」がある。40年前とはとても思えないほど新鮮味があるが、その後のディスコ・ブームを予告しているようなダンサブルな速度でもあるからだ。アレンジとしては、ハーブ・アルパートとティファナ・ブラスが大いに参考にしたメキシコのマリアッチ風味を利かせ、広がりのあるオーケストと男女のバック・コーラスを使う。ソロ・ヴォーカリストの曲にはこうしたオーケストラを使うことはとても多い。筆者はそういう曲をビートルズを聴く以前に馴染んでいたが、ビートルズがやがて4人で演奏するスタイルから次第に音楽を複雑化させ、最後にはオーケストラも女性バック・コーラスも使うようになった時、ビートルズも大人になったものだという気がした。とはいえ、その頃筆者はまだ20歳前だった。そのほとんど3倍の年齢になった今、トム・ジョーンズのこの曲をつくづくよいと思うのは、筆者もようやく大人になったからかもしれない。
トムに関係する思い出がある。母方の姪の5人姉妹が京都にいて、大阪に住んでいた筆者は1年に一度程度はそこに遊びに行った。70年代半ばだったか、その姉妹の中の下から2番目の10代半ばが洋楽に目覚めた。そしてLPレコードが20枚かそこらあって、レッド・ツェッペリンなどのロックに混じってトム・ジョーンズの1枚があった。筆者はかなり意外で、こんな男臭いタイプの男がいいのかと訊くと、大好きと言っていた。まだ男を知らない十代の女子が、男の気配というものをそうした流行歌手に認めて心をときめかせることは全くよく理解出来る。またその動物的とも言える素朴な反応の仕方が、筆者にはとても新鮮であった。トム・ジョーンズと言えば、中年女性だけに人気があるとたかをくくっていたが、十代のファンがいることは、それだけ男のフェロモンが写真や声から大量に発散されていた証拠で、さすが世界的な有名歌手と納得もした。ところが、面白いことにその姪はトムとはどこも似ていない男性と結婚した。10数年経ってから、その姪にまだトムのファンかと聞くと、驚いたような顔をしながらそれを全否定した。そして、むしろトムのような男は大嫌いと言った。それもまた何となく理解出来る。若い頃に一時夢中になったのは、まだ男というものを想像の中で思うだけであったからだ。そして、おそらくトムのような男性は周りをみわたしてもどこにもおらず、現実と空想の世界が違うことを悟ったのだ。これと同じ経験がもうひとつある。それはもっと古い話で筆者が小学生の頃だ。これは以前に書いたことがある気がするがもう一度書いておく。夏休みになると必ず京都の親類の家に泊まりに行ったが、隣に3、4歳年長の女性がいてよく遊びに来ていた。子ども心ながらも頭がよくないことはわかったが、人はよく、筆者とはよく話をした。その女性の家には雑誌『平凡』の付録だろう、飯田久彦の顔をカラーで印刷した小さなポスターが貼ってあって、彼女は大ファンだと言っていた。筆者にはさっぱりその魅力がわからなかったが、飯田の人気は当時絶大で、十代の女性が熱を上げるのは自然なことだったろう。ところが、それから2年かそこらした時、その女性に飯田のファンかと訊ねると、まるできたないものを見たような顔をしてそのことを否定した。飯田の人気は当時もう下火になっていたから、それに素直に反応しただけのことだ。その後その女性に会わなくなったが、10年ほどして消息がわかった。20代になって自殺したのだ。とても驚いた。頭が弱く、また優しそうな彼女でも、死ぬほどの悩みがあったのだ。飯田のことをたちまち忘れるほどであったならば、なぜ深い悩みも捨て去ることが出来なかったのだろう。
トム・ジョーンズはイギリス人で、よくプレスリーを比べられたようだ。だが、ふたりを並べると、全く共通点がないように思う。トムの声の迫力はほとんど黒人に近いもので、ジェームス・ブラウンをむしろ思い出す。シングル盤の「ラヴ・ミー・トゥナイト」のジャケット写真は、葉巻にワイン、金のブレスレットといういでたちだ。本当はこれは第2版で、初版は暗い室内で撮影した、ほとんど顔が判別出来ない写真を使っている。それは渋くていいが、曲のイメージとは似合わない。そして、第2版のこの1枚の写真は、トムの全真相をあますところなく伝えていると言ってよい。とはいえ、本当のトムがこの写真から想像するような派手なライフ・スタイルであるのかどうかはわからない。案外知的で静かな暮らしをしているかもしれない。解説には、「いったいなんの職業を経験したら、あのような男くさい声が出せるのだろうか」とあってなかなか面白いが、声は別としても、その全身から発散されるオーラは、農夫か山男、あるいはアメリカならばカウボーイそのものであり、似た男は案外いるところにはたくさんいるような気がする。そして連鎖的に思いたくなるのは、この曲の歌詞でトムが歌う相手の女性、つまりトムに釣り合う女性だ。それは当然女性フェロモン出まくりであらねばならず、それに比べると、日本のギャルなど、まるでてんぷらのカスみたいなものだ。そして、もう少し想像をふくらませると、当時トムのコンサートに駆けつけた女性たちだ。その世代は30代以上ではなかったかと思う。トムは1940年生まれであるから、この曲をヒットさせた時は29であった。となると、やはりそれと同じかそれ以上の年齢の女性であろう。また、この曲から明らかなように、アレンジの華やかな広がりはショーそのものと言ってよく、実際ラス・ヴェガズでショーをしたが、そうした歓楽の街に集まってトムのショーを楽しむのは中年以上であろう。その中年女性の心のときめきが、筆者にはこの年齢になってまことに人間的であるとよく理解出来る。そして、そういう女性を楽しませるトムの姿はとても格好いいいと思える。そこには正直な、そして動物的な男女の交歓がある。それは音楽のひとつの意味でもある。いや、音楽の意味はそれに尽きるかもしれない。特に流行歌とはそういうものだ。それに、この曲はずばり、「今夜愛して」だ。日中では恥ずかしくて口に出来ない言葉だが、それをそのままストレートに、ライオンのようなトムが歌うのは、実にエロティックでいいし、感動ものだ。詩の内容はあまりにも単純で、サビの部分は、「何かがぼくの中で燃えている。それは否定出来ないものだ。ぼくの中からきみの姿を消すことが出来ない。今夜ぼくを愛しておくれ」とあって、一緒に歌っていて思わず吹き出してしまうが、それでもこういう言葉でささかれて気分を悪くする女性はいないだろう。ともかく、簡単な歌詞であるので、初見ですぐに一緒に歌える。そして、2度、3度繰り返して歌っていると、カラオケに行った気分になって、とても気分がよくなる。
メロディを拾ってみると、Dマイナーだが、Eフラット、B、Cシャープも使う。つまり白鍵はみな使う。そのためか、あまり湿っぽくない。恋の終わりから熱烈なラヴ・コールへと歌詞が転換出来たのもそのせいだろう。その明るさの部分をマリアッチ・タイプのトランペットがうまく表現している。マイナーの切なさは焦れる男の気持ちということで、この曲が名曲であり得ているのは、そうした巧みな舞台の設定もある。そして原曲がオペラを生んだイタリアで書かれたことに納得もさせられる。このヒットを日本で誰がカヴァーしたのだろう。比肩出来る声を持つ歌手はちょっと思い浮かばないが、尾崎紀世彦なら歌いそうか。だが、歌ったとして、ラス・ヴェガス的な華やかな演奏演出は無理で、またそうした場所に参加する資格のありそうな女性もあまりいないように思える。トムは現役で歌っているようだ。サーの称号ももらったようで、イギリスでの貢献度も想像出来る。イギリスでは男性のヴォーカリストの系譜がそれなりにあって、そうした中でトムは最も目立っている。歌唱力があることが人気の理由であるはずで、それは生まれ持った資質と、やはり磨きをかけて作り上げたもので、そこを人々は認め、サーの称号も得たのだろう。この曲が最初の大ヒットのはずで、デビューは5、6年を遡るが、当時はビートルズ全盛でトムの出番はほとんどなかったのだろう。また、歌手になる前に何をしていたかは知らないが、日本の演歌歌手と同じようにさまざまな職業をしたか、あるい場末で歌っていたのかもしれない。70年代前半にトムはヒットを放てなくなり、その後日本のナツメロ歌手のような存在になったと想像するが、ま、数年でも世界的に有名であったことでもいいではないか。実際この「ラヴ・ミー・トゥナイト」は数十年後も人々を感動させるに違いない。そして、再カヴァーされることもあるかもしれない。