修正を施した写真があたりまえになった時代、そしてデジカメで簡単に写真が撮れるようになってから、紙に焼いた写真をアルバムに貼ることがすっかりなくなった。
それは、もう若くないので、写真を撮って自分の姿を確認したくないからでもあるだろう。その代わり、ごくたまにでいいから写真館で撮影してもらいたいと考えるようになった。とはいえ、そんな写真は息子が成人した時に家族で撮ってもらったきり、もう7年経ってしまった。つまり、筆者の写真はこの7年ほどの間、まともなものは1枚もない。それだけ筆者にとって写真の存在が軽く、またどうでもいいものになった。家内が言うには、この2、3年で急速に筆者の人相が変わり、以前とは違ってあちこち崩れて来たとのことだが、鏡を覗き込むと、眉間に鬼のような縦皺が2本あって、『おにおにっ記』を長く続けたため、本当に鬼になって崩れて来たたなと思う。しゃんとしていたものが崩れ出すのは、ちょうどソフトクリームやかき氷が溶ける状態を想像する。きっと人間はソフトクリームみたいなものだろう。時が経てば自然と崩壊する。そしていずれぺしゃんこだ。そうなり始めるカウントダウンが還暦あたりの年齢だが、人によって差があり、50代に入ってすぐにその兆候が現われる人もある。筆者の体が崩れ始めている兆候は、眉間の皺を除けば、まず頬に2、3の染みが目立って来たことだ。これは20代に盛んに帽子を被らずに炎天下で写生したことのつけだ。その頃も帽子を持っていたが、面倒なのでほとんど被らなかった。今頃になって被ってももう遅いが、多少は染みの増殖は抑えられるかもしれない。女でないので、染みくらいどうでもいいと言えばそうだが、それが目に見えてはっきりして来たのを知ると、脳細胞にもきっと同じような染みが出来ていることを想像する。老化、つまり崩壊の始まりだ。それで、本当にその崩壊の始まりが顕著になっている今、写真館で肖像を撮ってもらって、遺影に備えるのがいいかもしれないと思うが、7年前に家族3人で撮ってもらった時のことを思い出すと、ちゅうちょさせることがあった。息子ひとりの写真とは別に小さなサイズだが、店主のサービスで家族3人のものを1枚撮ってくれると言うので、3人で言われるがままにポーズを決めた。そして撮影後、その場で画像を見せられた。つまりデジタルカメラであったのだ。それが何となく腑に落ちず、それなら高いお金を払わずとも、自分でデジカメで撮るのとそう変わらないかと思った。とはいえ、写真館で撮るのは雰囲気が改まるし、またライティングが違うのでいい写真が撮れる。カメラよりもむしろ照明の技術なのだ。本当はそうした町中の写真館ではなく、肖像写真専門の写真家に撮ってほしいが、そういう人に出会わない。また出会っても高価だろうし、筆者がその人を気に入るかどうかわからない。そう言えば筆者は自分が気に入る自分の写真はほとんどない。
デジカメが登場した時、それはすぐに画像が修正出来るという技術が真っ先に利点と認識された。写ってしまうよけいなものを、後で修正して好みの画像に仕上げるというのは、真実を写すではなく、まるで虚偽を作り上げることで、写真は写真とはとても言えない。そして人々はもうそうしたことを充分知っている。映画でもそうだ。リアルに見えてもそれは完全な作りもので、ほとんど夢に出て来るものがスクリーン上に映像として見える。そういう時代になった今、たとえば画家の活動の意味がどこにあるかと改めて考えさせられるし、またそういう何でもありの画像、映像の時代という空気に慣れると、人間は多少のことでは驚かなくなる。どんな絵、映像を見ても、さほど驚かず、またすぐに忘れてしまうから、画家や映画監督はなおさら刺激の強い、つまり悪夢のようなものを提供しようとする。そしてさらに人々はそれに慣れ、現実が限りなく悪夢と変わらないことに進むが、実際現実は悪夢であると言ってよいので、それは正しい姿であるかもしれない。そういう画像、映像の時代の人間はそういう環境に慣れて、自分もそういう悪夢的な身なりなり化粧なりに染まるのは自然の流れであろうし、すでにそういう時代になっている気がする。もちろん、デジカメやSFXを駆使した映画に無縁の古い人は今もいるし、そうした人々の間では昔のままのライフ・スタイルや考えが染みついているが、いずれそうした人は全部世を去る。そして今生まれて来て間もない人が大人になった頃は、すっかり考えが違っているかと想像するが、その一方で、今の老人の考えが何らかの形で若い世代に伝達されるはずであるし、そうがらりと世の中が一変するとは単純には言えないことも思う。そのため、一部の古い人が思うほど、ネット社会、デジカメ社会がこのまま進んでもさほど心配、つまり昔の人の考えが完全に時代後れのものとはならない気がする。

さて、3月下旬に1泊旅行した時の思い出をぽつぽつと思い出しては書くことにしているが、今日は尾道でのことだ。志賀直哉の住んだ家のかたわらにある、いわば尾道のメインストリートと言ってよい石畳の坂を下っている時、ふと左手の家の端に、チラシ程度のカラー写真が貼ってあった。確か観光局が設置したものだったか、それは尾道の宣伝用に撮られたもので、坂を3、4人の中年の男女が上がって来ている様子を捉えている。季節は初夏のようだ。広告用の写真であるから、その写真を見て誰しも尾道に行ってみたいと思わせる必要があるし、その写真はそれなりにその効果が発揮されていたように見える。ところで、坂の多い町は、京阪神では神戸辺りを真っ先に思い出す。確かにそれは独特の情緒があっていいものだ。そうした街として筆者は韓国のプサンを思い浮かべるが、尾道よりもっと複雑で、しかも大きく、湾も入り組んでいる。尾道はその点、かなり小さく、また神戸とは違ってレトロさが濃い。それだけ街が貧しいと言っていいのかもしれない。だが、それが独自の味であって、そこに落ち着きを見出す人は多いだろう。何でも現代風に洒落てしまうと、老いた人は疎外感を味わう。話を戻して、その坂で見かけた写真を左目で見ながら、右目はその写真に写る実際の風景を見た。すると、どうも同じではない。何が違うかわかるのに数秒かかった。その観光写真には、電信柱と電線がすべて消されている。その写真が撮られてから電線が張られたのではない。それでは地元の人々はランプで生活せねばならない。また、京都祇園のように、市がお金をかけて電線を地下に埋めるということまで尾道はまだ豊かではないだろう。観光写真はプロのカメラマンが撮り、後でしっかりと電線と電信柱を消したのだ。そのため、随分と清潔な感じがしている。筆者はその貼られた観光用の写真と実際の風景が1枚の写真で見比べられるように角度を決めてデジカメで撮影したが、シャッターを押したのは1回限りだ。それに筆者の古くて重いデジカメは、カメラの裏面に液晶画面があるにはあるが、写す対象をそれで確認しながらシャッターを切るには電池力がすぐに消耗するので、昔のカメラのようにファインダーを覗きながら撮る。それで、後で見ると観光写真は写っていなかった。それでもその写真と全く同じと言ってよい角度は収まったし、そこに電線と電信柱が写っていることはよくわかる。その尾道にとっての最も有名な坂が、いわば捏造写真によって宣伝されていると非難するつもりは全くない。そうした風景の欠点を消去するのはデジカメ時代ではごく当然で、すでに許される行為だ。雑誌のきれいな女性モデルでも、そのまま実物どおりの写真ということはあり得ない。皺を全部取り、腰の膨らみを少し削り、肌のほくろや染みもなくす。それはもう嘘として非難されることではないのだ。それに不思議なことに、実際にそうしたモデルを目の前にすると、そのオーラによって誰しも写真以上に美しいと感じるものだ。尾道にしても同じで、その坂を上り下りしながら、電線や電信柱が邪魔で目障りと思う人はまずいない。人は見なくてよいものを自然と見逃す心の優しさを持っている。それをあげつらうことは悪趣味と思われる。であるから、筆者も肖像写真を撮ってもらった時、遠慮なく頬の染みを消してくれと言おう。ただし、筆者が貫禄のオーラを持つことが先決で、それは全く無理な話であるから、肖像写真など柄に似合わない。そのため、筆者には遺影がきっとない。