人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●「ROCK LOBSTER」
き沈みの激しい流行音楽の世界、昨日の深夜は大阪のバンドだろうか、つっぱり男の4人組が出演していて2、3曲披露していたが、なかなかワイルドで、また面白い歌詞と音で感心した。



●「ROCK LOBSTER」_d0053294_15442644.jpgルックスからしてゴールデン・タイムに出演するような大人気を獲得することはまずあるまいが、ロックは本来そういうもので、世の中のはぐれ者が世の中の矛盾を毒づいて吐くところに意味もあり、また面白さもある。その意味で昨夜のバンドは不良のイメージが濃く、腹が座っていて頼もしい。日本で大ヒットする若者の音楽と言えば、みな同じように愛や恋についてマイナー・コードの多用で歌う。それにルックスがよければなおのことよい。子ども向きに歌わなければヒットしないのだ。日本文化は子どもが主導権を握っている。それで幼児ポルノを楽しむ輩も多いということか。それはさておき、そうした音楽を作って歌う方も、売れているからと自分の才能を過信し、大人物のように錯覚するから始末が悪い。これは1、2か月前のTV番組であったが、日本のあるロッカーが、現代の詩人はロック・アーティストと得意気に発言していた。だいたいロックをやる人間をアーティストと呼ぶこと自体傲慢もはなはだしく、筆者はいつもその言葉を聞くたびに腹が立つ。アーティストも軽くなったものだ。筆者は必ずミュージシャンと呼ぶが、ミュージシャンもアーティストの部類ではないかという問いに対しては、そう思う人は思えばいいと答えておく。で、現代の詩人はロッカーであるという意見は、ロックをやらない詩人は詩人ではないと言うことか。きっとそう思っての発言だろう。そこが傲慢と言うのだ。日本のメジャー・ロッカーでまともな詩を書くのがどれほどいるだろう。先に書いたように、ヒットするために今までのヒット曲を分解し、恐ろしく使い古された月並みな言葉を羅列し、そこに英語のフレーズも混ぜてみる。そういう歌詞のどこが詩というのか。売れているから何でも芸術であり、またそれがよいというものではない。芸術家は人から抜きん出ている存在であるならば、むしろ人から理解されることは稀で、大人気を得ることからはほど遠いだろう。現在では人気は巧みに仕組まれて作り出される部分が大きい。そして、そういう世界では売り出されるミュージシャンもまたひとつの駒に過ぎず、いくらでも次の替わりが待ち受けている。それはつき詰めて言えば、自由はないということだ。ロックが自由を標榜するならば、メジャーな会社から離れて、完全に孤立、独立した存在であるべきだ。それは華やかさが欠け、ほとんど誰にも知られないものとなりかめないが、それでも自由を守った点では真のアーティストと呼ぶべきものだ。詩人は自称するものであるから、ロックをやってそれが売れて現在を代表する有名な詩人と自惚れるのは勝手だが、そういう詩が詩集となって長く読み継がれて行くものになるかどうか、これは書くまでもない。売れた者勝ちという価値感をむしろ拒否する者の中に真の詩人や芸術家がいる。
 話を戻して、その過激な4人の演奏を紹介する番組のコマーシャル・タイムにわずか数秒だが、エレキ・ギターによるブギのリフが鳴った。それは筆者の好む音で、即座にThe B-52‘sを思い出した。それで、今月の思い出の曲を採り上げる回のネタが決まった。毎月月末にこのカテゴリーに書くようにしているが、候補がたくさん思い浮かぶ時と、そうでない時がある。気分が左右するからだ。ところが、The B-52‘sの音を思い出した途端、これが今の気分にぴったりであることに気づき、早速CDを持参して今聴きながらこれを書いている。とはいえ、筆者が所有するのは中古で買った1990年発売のベスト・アルバムのみで、知識は乏しい。The B-52‘sを初めて聴いた、また見たのは1979年の来日で、TV出演した時だ。いや、正確に言えば、その前に長寿番組の11PMで今野雄二が紹介した時に知ったが、それは一瞬にして筆者の心を捉えた。スタジオで演奏した時の様子を今も鮮明に思い出せるが、サングラスをかけたギタリストや、ブーファンのヘア・スタイルの女性ヴォーカリストがとても格好よかった。単純なダンス音楽だが、単純さの中にレトロ感覚と斬新さが同居し、洒落たアメリカそのものという感覚とあいまって80年代の音楽を予感させた。それでもレコードを買うというほどには至らず、忘れた頃になってCDを中古で買った。たまに聴くが、やはり面白い。コピーするのは簡単であろうが、それがThe B-52‘sの音楽を貶めることにはならない。ギターはブギの変形リフを終始刻むだけで、ロックにつき物のギター・ソロのパートがない。これがまたよい。筆者はヴェンチャーズの音楽ではサイド・ギターの音を熱心に聴いた方で、そのためもあってThe B-52‘sのギターを大いに好む。そのギターに男女のヴォーカルが重なるのが彼ら曲の特徴で、どの曲もみな共通した味わいがあって、ベスト・アルバムからどれか1曲を選ぶのは難しいが、ジャケットにロブスターが写っているので、「ROCK LOBSTER」にした。実際この曲は全13曲のうち最も長い7分弱あって、また曲も変化に富む。あれこれと過去の名曲を思わせる部分があるが、それは愛敬というもので、また自分たちのものにうまく消化している。過去のロックの要素を引用するのはどんなロックでも言えることだが、それを正面切ってやりながら、なお自分たちのオリジナリティを色濃く出すのは簡単ではない。The B-52‘sのオリジナリティは先にも書いたように、明らかなレトロ感覚とその更新性にある。それはただの過去の模倣ではないかとの意見もあろうが、ほとんどそのようでいて、紛れもなく80年代の音がある。
 B-52は日本に大空襲をもたらしたB-29という爆撃機のその後に造られた機種だが、それをバンドの名前としたのは、女性ふたりが頭を大きく、高く見せるヘア・スタイルにしたためと言われるが、ブーファンの髪型が爆弾に見えるということか。これは前に書いたことがあるが、ザ・スミスのマキシ・シングルのジャケットに、ブーファンの髪型をした50年代のイギリス(アメリカかもしれない)の若い女性の白黒写真を使用したものがある。ブーファンは悪趣味のひとつと言われるが、前髪をグリースで固めて突っ張らせる男性と同じで、いわば下層階級の不良がするようなものだ。だが、筆者はそういう若者の気分は変に澄ました若者より好きだ。そうした突飛な格好で人より目立とうとする人物の気持ちは理解出来る。本人たちはそういう格好が上品な人たちからひんしゅくを買うことはよく自覚している。自覚しているからこそそういう格好をするのだ。つまり上品さに対するいやがらせだ。そこには自分たちは上品な上流社会に絶対に入り込めない絶望の自覚がある。それが人間としての腹の据わり方をさせる。そして、そこから格好よさの自覚や潔さが生まれる。それに若者はエネルギーが溢れているから、とにかくそれを発散させるために、単純なリズムで踊りたくなる。躍ることで現実を忘れるということもあるだろう。音楽とは元来そういうものだ。ブーファンの髪型の女性が派手さを競い合って、格好よい男を奪い合う。そうした様子は何と光り輝いた動物的でまた人間的かと思う。そして、そんなブーファン女を上品な女は馬鹿らしいと謗るかもしれないが、本当に馬鹿なのがどっちはわかりはしない。新しい文化はいつもそうした下層階級の若者が生んで来たし、それが上流社会に浸透した時点で洗練さが加えられ芸術と呼ばれるようになる。いつも下層階級は上流階級にあらゆるものを供給し、それでいて何ももらえないどころか、下品とさげすまれる。ともかく、ロックはそういう若者が支持して生まれて来たし、そういう若者たちのものなのだ。その気持ちを忘れてはロックを聴く資格はないだろう。とはいえ、The B-52‘sがそうした下層階級出身の若者による不満のぶちまけ的音楽かと言えば、そうではない。では知的で金持ちの連中がやっているかと言えばそうでもないだろう。ジョージア州の出身であるから、一応はそれなりに南部のしきたりがまだ生きているような社会と結びつけて考えることは許されると思うが、アメリカではデビュー当初はヒットせず、イギリスで好まれたというほどに、先鋭的であって南部らしくはない。あるいは逆に考えればこういう音楽が南部から出て来たために、そこにイギリスや北部にはない、一種奇妙な洗練が付与されたとも思える。
 昔ヨーコ・オノが話していたことに、今のロック音楽に自分の影響を感じるというものがあった。それはThe B-52‘sの女性ヴォーカリストの発声を念頭に置いた意見で、実際ヨーコの類のない叫びをThe B-52‘sはうまく取り入れている。「ROCK LOBSTER」はその代表と言ってもよい。この曲から女性の声を省けば面白味は半減する。そこからは、彼らの音楽は前衛的なものをよく研究し、また計算して独創を考慮したものであることが想像出来るが、その点が知性や洗練さを感じさせ、50年代のロカビリー路線とは一線を画する。80年代のニューウェイヴのバンドはみな同じように知的で、言葉を替えれば線の細さがあって、それが悪い意味で日本のロックにも影響を与えた気がするが、The B-52‘sはまだ知性を売りにするようなところからは外れていて、どこにでもいる兄ちゃん姉ちゃんが演奏しているという身近さがよい。その身近さはブーファンの髪型で主張しているということなのだが、その不良がやるバンドという売り方はザ・スミスとも共通したものだ。80年代は不良のパンクとエリートの洗練度をどのような割合で合わせ持つかによってさまざまなバンドが位置し、そこには本物の不良の入り込む余地はほとんどなかったと言える。そのもどかしさを80年代の若者はみんな感じていて、そこから外れた者は本物の不良になって警察沙汰の生活に浸るしかなかったであろうし、それは今もこれからも変わらない。では、The B-52‘sはどういう若者に歓迎されたであろう。知的な戦略を持ったバンドであると見る人は評論家的な眼差しを持っていて、幸福な生活が保証されてもいる人だ。その一方で、The B-52‘sのどこが知的であるか全く理解せず。ただリズムの乗りのよさに体を揺らす若者も多いだろう。そして、そういう人たちにも歓迎される音楽という点がなかなかよい。踊って楽しんで終わり。そう思う人は大勢いるし、そういう人の需要にぴたりとはまることはミュージシャン冥利にもある意味では尽きる。そのかたわらでわずかでも自分たちの音楽の独創性を評価する人があることを理解出来るからだ。また、The B-52‘sはほとんどそんなことも考えずに、好きな曲を好きなように演奏していたらこうなったというのが真実ではないだろうか。
●「ROCK LOBSTER」_d0053294_15445920.jpg ジャケットの素っ気なさはベスト・アルバムであるからかと思うが、デビュー・アルバムからして同じように50年代風のすかすか感とレトロ感だ。そこにもザ・スミスに共通する好みと知的な思いがある。この50年代風のあっけらかんとしたジャケット・デザインは、音楽に見事に均衡しており、見れば見るほどに味がある。そして明るいのがよい。その点はやはりイギリスのザ・スミスとは大いに違ってアメリカ南部だ。ジョージア州はフロリダ州の上に位置するが、全くその気候と言ってよい光が漂っている。これはイギリスでヒットしたのは、その明るさからだろう。明るいから、筆者も何度も繰り返して聴く。何か物事をどんどんやろうとする時にちょうどいい音楽で、桜が満開になろうとしている今、実に楽しい。今5曲目の「WIG」が鳴っている。86年の曲だ。途中でシタール風のギターが鳴り、また会話部分があってザッパの『ジョーのガレージ』のある曲を思い起こさせるが、おそらく同アルバムを聴いて触発されたのは間違いがないと思える。歌詞はざっと拾い読みすると、ナンセンス漫画的なものばかりで、男女の愛について歌っていないのが実によい。そんなものは勝手に恋人同士が個人的にやるもので、公にする曲で歌うものではない。「ROCK LOBSTER」は、ロブスターがロックを踊るような新しいリズムのダンス音楽かと思うとそうではなく、海に行ったところ、岩かと見えたものがロブスターで大騒ぎをしたといった歌詞内容だ。これもあほらしい漫画のようで、その徹底さ、湿気のなさを筆者は大いに好む。ザッパの「溺れる魔女」をいささか思わせるが、ザッパの方が少し早いのだろうか。The B-52‘sの活動がどう展開し、どう人気が下火になって再結成したのかは知らない。また知るつもりもない。このバンドの与えた影響がどのようなものであったかも知らないが、単純なリズムとギターの伴奏に乗せたヴォーカルはメロディアスでしかも声色もきわめて多彩で、楽器の演奏部分は模倣が簡単でも、歌はそうではないだろう。単純な伴奏で歌うのはシャンソンと同じで、歌う技術が高くなければならない。簡単そうに聞こえてもその点、The B-52‘sはカラオケではきわめて歌いにくいはずだ。歌うのは彼らに任せて、聴く者はせいぜい陽気に踊ればいいということだ。
by uuuzen | 2010-03-30 15:45 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●嵐山駅前の変化、その21(広場) >> << ●嵐山駅前の変化、その22(駅舎)

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?