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●『ハンス・フィッシャーの世界展』
んるん気分になると言えばおおげさだが、展覧会のチラシ置き場を見ると気分が躍る。それで、遠方のために行かないことがわかっている展覧会でも、1枚入手することにしているが、今日取り上げる展覧会に関してはチラシを見た記憶がない。



●『ハンス・フィッシャーの世界展』_d0053294_17323714.jpg一昨日の2月28日に行って来たが、チラシは会場にも置いていなかった。今回に限って制作されなかったことはないと思うが、人気があって早々となくなったのであろう。会場で手わたされたのは作品リストのみだ。日曜日であったからか、この伊丹市立美術館としては珍しいほど多くの人々が来ていたことからわかる。同館ではたまに絵本の原画展をやる。今回もその一貫の企画展と思えばよいが、春休みもあって親子連れを当て込んだのであろう。その目論見は特に今回の展覧会の内容からして正しい。それは後述する。絵本原画展は同じ阪急沿線の西宮の大谷記念美術館でもよく開催し、また百貨店では常にどこかで開催されているから、全く珍しくはないが、個人展となるとやはり見たくなる。それに今回は初めて耳にする作家で、その興味もあった。そして通常の絵本原画展と違ったのは、フィッシャーが絵本専門の作家ではなく、画家としての仕事を持つかたわら絵本も作ったことだ。その点においてこの美術館が開催するにふさわしい一種の箔がある。ところで、前回同館を訪れたのはいつだろうかと気になったが、会場でそれが思い出せない。『宮武外骨展』かなと家内に言うと、そんなに前ではないとのこと。それで今チケットの束を調べてみたところ、『宮武外骨展』から半年後の2008年の夏に『「こどものとも」絵本原画展』に行っている。1年半ぶりの訪れだ。その間に同館に至る道筋に変化があった。駅から道路をわたってすぐ、狭くて短い商店街の道に入る。そこを抜けるとタイルを貼った寺の門前広場に出る。その広場は道路から一段高くなっていて、以前は石段だけであったのが、その左側を大きく壊して車椅子や自転車用のスロープに変わっていた。また、その先100メートルほどの白雪の長寿蔵レストラン敷地手前にあった大きな建物が、同じ白雪の酒蔵様式を模した木造の和風レストランに変わっていた。美術館に隣接して江戸時代の立派な木造建築を復元した旧岡田邸の建物が建っているので、それにも合わせた形だが、江戸時代の雰囲気を出すことで街全体のトーンを整える意味でとてもよい。その新しいレストランの斜め向かいには、7、8年前には酒蔵が建っていたが、震災のために疲弊が目立ち、結局取り壊された。今は鉄筋コンクリートで似た形のものが建ち、やはり味気ない。そう言えば美術館の道路を挟んで真向かいに回転寿司の「蔵ずし」がある。名前は江戸時代を思わせるのに、その建物はナマコ壁を模したキッチュ的外観で、いかにも安っぽい。階下が駐車場で、2階に店があるので、店に出入りする人が美術館の窓から真正面に見え、それが面白いと言うか興ざめと言うか、とにかくそれが現在日本の縮図だ。しばらく訪れない間にどんどん街は変わると思いながら、展覧会を見た後は岡田邸でコーヒーを飲み、その後駅の方向から少し外れて、阪神大震災直後、駅が臨時改札口を設けたために歩く羽目になった古い商店街を何年かぶりに歩いた。アーケードが立派になり、以前の雰囲気は減少していたが、同じ店が同じように経営してもいたので懐かしかった。
 チラシに話を戻す。チラシは大抵裏面に簡単な内容を書いてあるのでこうしてブログに書く時にとても便利だ。それがないとなれば記憶に頼っていい加減なことを連ねるしかない。今回は生誕100年記念だ。フィッシャーは確か1909年生まれ、没年は1958年であったと思う。長命と言うほどではない。ドイツ語名からはドイツ人かと思うが、スイス生まれだ。スイスとなるとパウル・クレーだ。クレーは半分ドイツ、半分スイス人だが、ヒトラーが政権を握った1933年にスイスに亡命し、その7年後に死ぬ。それはスイス人としてであった。その7年の間に地元でどのような画家と交流したかは、クレー展の図録の簡単な年譜からはわからない。だが、ピカソが訪問したのは有名な話であるし、そんなに有名であれば若い画家が会いたいとやっても来たであろう。今回のフィッシャー展の図録を、地下の展示室のソファに座ってパラパラと目を通したところ、そこにクレーの教えを受けたと書いてあった。それを読むまでもなく、地下展示室にあった絵本以外のフィッシャーの作品を見ると即座にそのことがわかる。ほとんどクレーと言ってよい作品もあり、クレーよりさらに神経質で、またマックス・エルンストの画風を混ぜたようなところがある。鳥を画題にする点が特にそう思わせ、エルンスト様式をもっと現代風、つまり1950年代風のモダンにした画風だ。それが今ではえらく古いものに見える。当時は斬新な様式であったのだろうが、その斬新さがそっくりそのまま一気に時代遅れのものになったかのようだ。また、フィッシャーのそうした絵画はクレーと同様、線描を主体にしたもので、フィッシャーが線の画家であることをはっきりと示す。それは絵本でも同じだ。そして、フィッシャーは線をきわめて流動的に扱い、単純な表現の一方で装飾的と言えばよいか、過剰な線の集合で鳥や鳥風の人間をよく表現し、その線の過剰さが狂気につながって見える。それは絵本では見られない仕事で、絵本は子ども向け、それ以外の絵、版画は鑑賞絵画の自負を持って描いたと見てよい。そのギャップに戸惑うが、絵本で表現したものがそうした鑑賞用の独立した画面に影響を与えているのは当然で、その共通点を見るのも面白い。そうした共通点として気づくのは、鳥(特に鶏)や猫など、フィッシャーの身近にいたと思われる動物だ。フィッシャーは猫が好きであったようで、絵本の主人公に仕立ててもいるが、猫が好きな画家が猫を題材にする時、そこには狂気の雰囲気が入り込みやすい。猫はヒステリックな性質に似合う存在で、じっとしてもその過激な情感が漂っている。そして猫好きの画家が猫を描くと自ずとそれが表現される。フィッシャーの絵にもそれが明確にある。それは猫好きにはとても楽しいものだが、そうでない者にとっては不気味に映る。今回は絵本をまず見て、最後に地下に降りて絵本以外の作品を見たが、フィッシャーの画業は絵本に最高度に発揮にされたと思える。
 フィッシャーは絵に関係するさまざまな仕事をした。大きな壁画をチューリヒの国際空港に描く一方で教科書にも挿絵が採用され、画家兼イラストレーターと呼ぶにふさわしい。あまり体が丈夫ではなかったようで、そのために寿命も短かった。伝わる写真を見れば、クレーのような眼光の鋭さはなく、人のよいごく普通な感じが漂う。今回一部の原案が展示されたチューリヒの国際空港の壁画は、中西勝の晩年の装飾的で華麗な作品によく似ていて、その点さすがヨーロッパの時代の先取り感覚を思う一方、動物を得意とした、あるいは動物しか巧みに描くことが出来なかった才能の限界を見る思いもする。そこにフィッシャーのある意味での人間嫌いのような性質を垣間見るが、動物だけでも躍動的かつ魅力的に描く才能があれば充分だ。彼の絵本を見てわかるように、それらの卑近な動物は、みな写生ないし観察を尽くして特徴を把握したもので、その手腕には他の画家の真似が出来ないものがある。筆ではなく、ペンによってそれら鶏や猫、犬、鴨、蛙などの姿をいとも簡単に、また瞬間的に描いたように感じさせるが、その奥にはそうとうな努力があったに違いない。それを簡単に描いたかのように見せるところにプライドがあって、またそうした態度がなくては人を感動させることは出来ない。筆者がうらやましいのは、そうした小動物を周りに飼って、あるいはいくらでも近所にいて、写生するのに不便を感じなかったことだ。それほどフィッシャーの住んだ場所が田舎であった、あるいは時代が古かったのかもしれないが、そうした人間の周囲にごく普通に生きている小動物ですら今は周囲に見えず、そのため動物に愛情を抱いて、そのうえなおそれらを主人公として絵本なり絵を描くことが困難になってしまった日本の現実を思う。確かにネットの普及によって、そうした動物の画像はいくらでも入手出来るが、そうしたものを大量に用意してもフィッシャーのように命あるものとして描くことは出来ない。それは生命力の問題で、動物を実際に間近に見てじっくり観察を通すことでしか獲得出来ない。そのことはフィッシャーの絵本にも言える。フィッシャーが作った数冊の絵本はいずれも自分の子どものために描いた。わが子に対する愛情から作った絵本は、結局は万人を感動させるだろう。愛情が溢れているからだ。フィッシャーのわが子に対する愛情、そしてわが子に示したかった動物に対する愛情が、それらには表現されている。それを手に取る子どもたちは、父の愛情と、動物に対する愛情のふたつを同時に受け取り、それ以上の幸福はないのではないか。そうしたことは人間の生活としてはあたりまえであったが、そのあたりまえが現在はなかなか手の届かないものになっている。絵本の役割の重要性を思う時、フィッシャーの行為は真先に思い出されるべきものと思う。
 さて、第1会場の最初に展示されたのは、ドイツの一枚ものの版画による物語絵の伝統にしたがってフィッシャーが描き直した絵本の原画だ。その元の版画は1枚の絵に、ある童話の起承転結の全場面を順に描いたもので、本のように何枚も紙を使用せずに済む。紙の価値がまだ大きかった時代の産物だろうが、4コマ漫画のように画面を小さく分割しているのではなく、画面にたとえば蛇行した道が上から下まで通っていて、絵を見る者はその一番上から順に登場人物、動物の対話を読み取って行く。つまり、同じ登場人物が何度も描かれる。この異なった時間の共存画面は、日本の絵巻やルネサンスの絵画にもあった手法で、物語を表現する苦肉の策でもある。フィッシャーはその手法をもっと凝縮した。そのため試行錯誤をかなり要したであろうし、またこの絵を手に取って子どもに物語を説明するにも才能がいる。それはかえって読み手にも聞き手にも想像力を逞しくさせる効果があり、もっと見直されてよい形式だ。展示されたのは原画もあったろうが、半分以上はリトグラフによる複製であった。銅版画かとも思ったが、フィッシャーの作品の中に、スイスのある石版画工場から注文され、その工場の作業工程を1枚の絵にまとめたものがあったので、石版画に違いない。それはともかく、フィッシャーはその一枚ものの童話を7、8種描き、それがまとめられて1945年に『メルヘンの絵本(Marchenbilder)』と題されて世に出た。この前年に『ブレーメンの音楽隊(Die Bremen Stadtmusikanten)』、45年に『いたずらもの(Das Lumpengesindel)』、47年に『たんじょうび(Der Geburtstag)』、そしてこれは同じ年だろうか、『たんじょうび』の続編である『こねこのぴっち(Pitshi)』を描いている。自分の子どもたちに1冊ずつ順に絵本を作ったのだが、そうした絵本が公に出版されるようになった経緯は知らない。まず子どもにプレゼントして、反応を見た後、出版社に持ち込むつもりであったのだろうか。子どもにプレゼントした手づくり本は、刊行されたものと大きさもデザインも同じで、版下であるためのやや雑な点もあるが、ほとんどそのまま印刷された。また手作り本は手書き文字の場合と、その上に写植を貼りつけたものがあったが、写植があるものはすでに出版が決まっていたからであろう。また、絵本によって文章量が比較的多いものがあって、これは大人が読み聞かせるものだろう。1951年の『るんぷんぷん』は、横にやけに細長い本で、動物たちのパレードをテーマにして言葉が一切なく、画家フィッシャーとしては文字をなるべく使わない方向が理想ではなかったかと思う。絵本で人気が出たためか、『長ぐつをはいたねこ(Der Gestiefelte Kater、英題はPuss in Boots)』はアメリカの出版社から注文され、主人公の猫のキャラクター設定にフィッシャーは大いに苦労したようだ。わが子に描くこととは違って、依頼ということでかまえたのであろう。これらの絵本は前述のように、ほとんど線が主体で、そこに赤や黄、緑、青などの色をわずかに塗っている。原画と絵本の仕上がりが比較出来る展示もあったが、線描きは同じなのに、着色がわずかに異なっている。これは印刷段階で色を新たに塗り直したからだが、その最後の版下作業が必ずしもそれ以前の試し描きより成功しているとは言えない箇所もあった。そのことはフィッシャーが着色作業をかなり素早くこなしたことを示すが、それは線描きも同じで、充分訓練した後の即興だけでしか得られない味わいに信頼を寄せる方向だ。ディック・ブルーナとは全く正反対の手法で、その手腕はより画家的で、デュフィに近い。
 絵本に描かれる動物や老婆はみな感情がよくこもっている。筆者が驚いたのは『いたずらもの』に登場する2本の針だ。通った糸が腕のように表現されているのだが、針を擬人化し、しかもその表情づけまでしっかりと行なっている。日本の昔話にも物が動くようなそんな話があるが、針と糸を物語に登場させることは、それだけ日常的にそれが子どもたちにとっても馴染み深いものであったからだ。そのこともまた現在の日本ではそうではなくなってしまったのではないだろうか。針と糸はどの家庭にあるとはいえ、普段よく使用する人は少なく、子どもたちもそれを重視していない。この針の擬人化はフィッシャーの好みであったようで、『るんぷんぷん』にも描かれていたと思う。『いたずらもの』はストーリーも面白く、これを読んで笑う子どもの顔がよく想像出来る。無銭飲食をして平気な雌雄の鶏などの動物たちを主人公とし、教育の観点からはかなり問題があるが、子どもたちは、動物たちのそうした愉快な行為があくまでも空想のもので、人間の狭い社会の約束事に束縛されないものであることをよく知っている。フィッシャーの描く動物の動きの表現がリアルなことは、日本の『鳥獣戯画』と比肩するほどと言ってよく、フィッシャーはそれを複製写真で知っていたかもしれない。また、図録によればフィッシャーは日本語訳された自分の絵本を見ていた。そして日本の平仮名の方が自分の絵本には似合うと言っていた。このことはフィッシャーの絵の躍動感をよく伝えるし、『鳥獣戯画』に近い雰囲気であることを説明する。平仮名は柔らかい曲線の集まりで、フィッシャーは自分の絵本の絵もそのことを意図したものと思っていたのであろう。フィッシャーは絵本に兎も描いている。そのぴょんぴょんと跳ねながら進む様子を、駒撮りフィルムのようにあらゆる姿形で連ねていて、それらひとつずつの兎の形は、よく見れば現実にはあり得ない唐草模様の曲線の固まりを部分的に持ちはするが、ぱっと見は動いている兎そのものだ。これは写真を使用して跳んでいる兎を克明に描いても獲得出来ない形で、動いているものをそのまま見て即興で写生し、その行為を重ね続けて手にした一種の様式だ。同じことは鴨や鶏にも見られるが、鴨の場合、ほとんど点描に近い小さなその形からでも、まさに体を左右に揺らしながらのよちよち歩きが表現されている。そんな動物の中でフィッシャーが最も得意としたのはやはり猫だろうか。『長ぐつをはいたねこ』の原画では、本の箱や見返しの全面に印刷された、猫の小さな顔の輪郭がずらりとハンコのように並べられた絵が最後に展示されていて、これがとても面白かった。包装紙としても通用するもので、猫の顔はどれも違うが、100個に2、3個は目の形を描き入れている。これが実際は2色で刷られて目玉は白抜きで表現されたが、その目玉のない顔の輪郭だけの方がよい。この猫の顔の輪郭の羅列は日本版の見返しにも当然使われていて、絵本作家だけではなしに、さまざまな分野で絵を描いたフィッシャーならではの才能の片鱗を見た気がした。そうした生命を写し取った絵本を手にしたフィッシャーの子どもたちは幸福であった。またその子どもたちの笑顔を見たフィッシャーもそうであった。スイスはドイツよりもイタリアに近い分、そうした陽気さを獲得出来たのだろうか。
by uuuzen | 2010-03-02 17:33 | ●展覧会SOON評SO ON
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