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●「GUTE NACHT」
い内容はなるべく書きたくないが、暗い内容を凝視して書くのは本当は暗い気分でないからだろう。シューベルトもきっとそうであったと思う。



●「GUTE NACHT」_d0053294_0244843.jpg今日取り上げる「グーテ・ナハト」は、シューベルトの歌曲集『冬の旅(WINTERREISE)』に収められる24曲の初めに位置する。最初に「おやすみ」と題する曲があれば、その後この組曲の物語がどう展開するか、その「冬の旅」という名前からしておおよそ想像出来る。この名曲については多くの研究があって、門外漢の筆者はそこにつけ加えるべき意見は何も持たないが、元来音楽を聴く、その目的というのは、「楽しみ」であって、また音楽を聴こうとする態度は積極的な思い、つまり前向きのエネルギーがなくてはならず、「音の楽しみ」の音楽とは「生きる楽しみ」と同義と考えたい。そのため、31歳で夭逝したシューベルトが、失恋の悲しみを自分のものとして深く経験し、その思いにぴったりの詩を見つけてこの『冬の旅』を作曲したとしても、そこには絶望や死への憧れだけにはとどまらない「生きる力」を見出そうと考えたと思いたい。とはいえ、こうして書いて三島由紀夫のことを思い出している。三島のように決定的な作品を仕上げた後、自殺してしまう作家もあって、死への望みと生きようとする考えはそう簡単に片づく問題ではない。だが、シューベルトは自殺したのではない。腹を壊したことが原因で死んだのであり、やはりまだまだ生きたかったのではないかと思う。その生へ向く力が、この『冬の旅』の最後の「辻音楽師」に表現されているともよく語られるが、そうした研究は詩とそれに沿う音譜を分析し、そこにシューベルトの内面を読み取ろうとするもので、そうしたつぶさを研究が積み上げられ続けるほどに『冬の旅』は世界中の音楽ファンから愛されている。さて、シューベルトの曲で筆者が最初に知ったのは、確か中学生の音楽の授業で聴いた「魔王」だったが、同じ頃に「菩提樹」も習ったと思う。つまり、シューベルトは歌曲で最初に知ったが、その後にピアノ曲の「楽興の時」や交響曲『未完成』なども知るようになって、その短命さも相まってシューベルトと言えば花のようにはかない、美しい曲をイメージするようになった。それは基本的には今も変わらず、シューベルトはベートーヴェンと同時代を生き、また彼を大尊敬したが、全く違う音楽世界を表現したことに驚く。ベートーヴェンの影響を受けた曲も確かに存在するだろうが、若くして亡くなったにもかかわらず、独自の音楽を書いたところに天才と呼ばれるゆえんがある。ベートーヴェンを尊敬するあまり、ベートーヴェンの亜流で終わればシューベルトの名は残らなかったが、『冬の旅』は絶対にベートーヴェンの真似の出来ない音楽であり、また『冬の旅』だけでもシューベルトの名前は永遠に語り継がれると思う。それほどに価値のある曲集で、筆者はこの曲集のことを脳裏に思い浮かべるだけで、この世に生まれてこの曲集に出会えたことを感謝したくなる。
 今から20年前ほど前、シューベルトのピアノ曲のCDを安価で何枚か入手した。ラド・ルプーやルドルフ・ブフビンダーの演奏で、おそらく名演と呼ばれるほどのものではないのだろうが、その独特の渋い味わいに感嘆し、一時期盛んに聴いた。だが、シューベルトの本領でもある歌曲は、仕事の最中にBGMにしていたNHK-FMでたまに耳にすることがあったにもかかわらず、どこがいいのかさっぱりわからず、本格的に聴く機会はなかった。それは気楽に聴くロックに比べると、BGMとしてあまりに静かで寒々しく、また歌詞の意味もわからないので、なおさら耳の奥には忍び込まなかったのだ。縁のないものは仕方がない。いくら国宝級の作品が眼前にあっても、それにさっぱり魅力を覚えることがないままに死が訪れるということは誰にもきっとあって、それでいいと思う。また、芸術に興味のある人でも、国宝や重文、あるいは世間で評判になっているといったことで、自分が本当にさして感動もしていないのに文句なしにその作品を持ち上げる人があるが、そうした人は実際のところは何もわかっていないことが多い。だが、真価をわかっていなくても、国宝であるという世間の評価に自分の考えを合わせておけばひとまず自分が芸術をよく認識していると自惚れることは出来るし、また世間的には恥をかかずに済む。そして、美術よりやっかいなのが音楽だ。これは時間をかけてじっくり聴く必要があるし、クラシック音楽となると、1、2回聴いた程度ではよさがわかるはずがなく、次のメロディがどう展開するかを頭の中で繰り広げられるほどに聴き込まねばならない。そしてそれは暇も金もかかることであって、クラシック音楽の有名どころをおおむね知るだけでも一生かかるが、そんな中から名曲中の名曲、自分の人生にとってかけがえがないと自分が納得出来る作品に次々と出会って行く楽しみをしみじみと味わえる人だけが、絶えず未知の音楽との出会いを楽しみにして日々を過ごす。そして筆者にとってのシューベルトだが、特に歌曲の真価が長年理解出来なかった筆者は、いつかそんな日があるかとも考えずにいた。だが、出会いは時としてやって来る。80年代後半にドイツ文化センターによく通うようになり、やがてその図書室で本やCDを借りるようになった。当初は同センターで映画や展覧会を見に行っていたが、催しの案内を封書で送ってもらえるようになり、それから頻繁に通い始めた。同センターは岡崎の美術館から近く、展覧会を見た後、立ち寄るのに便利であったのだ。ここ数年は足を運ばなくなったが、図書室の資料を借りるのが有料になり、また映画や展覧会がめっきり減ったからだ。それはドイツの経済事情を反映しているのかもしれないし、また館長の主義にもよるのだろう。パソコンのメールで案内を送ってもらうようになってもう5年以上になるが、筆者の記憶では足を運びたいと思う催しがその間に一度もなかった。
 さて、今はどうか知らないが、同センターの図書室にCDは少なかった。現代音楽のものも多少あったが、どれも地味なものだ。そんな乏しい品揃えの中に、バリトン歌手のクラウス・オッカー(Craus Ocker)という初めて目にする名前の初老の男性が歌う『冬の旅』と『美しき水車小屋の娘』の2枚があった。筆者がドイツにザッパのコンサートを見に行く直前のことで、91年か92年であったはずだ。『冬の旅』は1991年2月の録音で、発売後に同センターに寄贈され、それが図書室の資料となったのだろう。ブックレットがドイツ語、英語、フランス語、そして日本語の表記があって、日本語の印刷はいかにもワープロの文書を版下にして印刷したらしく、大手のレコード会社のような洗練された版組ではない。その点が自費出版を思わせるが、デジタル録音で、ハンブルクのambitusという会社から発売されている。日本語表記があるのは、オッカーが日本と関係が深く、日本でもかなりの数を捌けると見込んだからであろうか。ともかく、借りて帰ったそのCDを聴いて仰天した。今まで何度か聴き流して来たシューベルトの代表的組曲が、全く違った様相で自分の前に一気に鮮やかに姿を見せた。『冬の旅』は冒頭曲「おやすみ」からしてたちまちその世界に囚われた。24曲は構成が緊密で、どの曲も欠かせないが、筆者は文句なしにこの最初の曲を好む。24曲をカセット・テープに録音して何度も聴いたが、93年頃に三条寺町の十字屋で確か取り寄せで買うことが出来たと思う。筆者の『冬の旅』へののめり込みようは、傍から見れば恋人に焦がれるように見えたに違いない。楽譜もすぐに買って、何度も楽譜に照らし合わせながらオッカーの歌声を追い、また一緒に歌ったものだ。そして毎年寒い頃になると、自然と『冬の旅』の特に「おやすみ」を思い浮かべ、歩きながらそのメロディを口ずさみ、涙ぐむ。それは「おやすみ」に歌われる男の気持ちに感情移入してのことだろうか。あるいはシューベルトがその詩に出会い、それに作曲したという事情をあれこそ想像し、またそのシューベルトがわずか30歳で独身のまま亡くなったということも考え併せてのことだろうか。ともかく長年かかってようやくシューベルトの真価に触れたことの幸運を思い、シューベルトの天才にただただ敬服する。そして、世界で最も美しい、永遠の歌を作曲したのはシューベルトであると素直に認めることが出来るが、そう思えるようになったのはクラウス・オッカーの歌声からであって、世界的に有名な他の歌手の録音もその後買って聴いたが、オーカーほどの感動はなかった。ここにクラシック音楽の不思議がある。世界的に有名と言われるものが必ずしも万人に感動を与えることはなく、あまり知られない人の作品に本当に身に染み込む味わいのあるものがある。どちらもシューベルトが死んで150年以上も経ってからの録音であることには変わりなく、より知られない歌手のものが価値が劣るとは断言出来ない。さて、クラウス・オッカーの歌声を知った後、さらに出会いがあった。ある日新聞を見ていると、クラウス・オッカーのリサイタルが京都の盲学校で催されるという記事に出会い、家内と見に行った。93年であったと思うが記憶が定かではない。オッカー以外にも女性たちが歌い、またオッカーはリストやシューマンの曲など取上げ、シューベルトを歌わなかった。学校の教室での催しで、観客はごく少数で響きもよくなかったが、筆者はオッカーの歌声の美しさにただただ感じ入って、歌詞の意味がわからぬまま涙が溢れて困った。その時の主催はその後「光の音譜」を設立する西村ゆりさんが中心になっていたが、同じ場所でオッカーが今度はシューベルトの『冬の旅』全曲を歌う機会があって、そこに筆者はCDを持参し、リサイタルが終わった後に西村さんとオッカーが廊下の向こうからやって来るのを捕らえてサインをもらった。ジャケットにあるように、それは94年2月23日のことだ。その年の秋に「光の音譜」の第1回主催の音楽会として烏丸今出川下がるのアルティでオッカーの『冬の旅』があり、これも見に行き、また2002年に開催された時にも行った。結局3回聴いたことになるが、その後オッカーの音沙汰を知らない。現在87歳になるが、2002年のリサイタルでも声は変わらず、艶のある歌いっぷりであった。その時前の方の席で、歌う姿を手帳サイズのスケッチブックに描いた。
●「GUTE NACHT」_d0053294_0262839.jpg
 『冬の旅』も『美しき水車小屋の娘』も詩はシューベルトと同時代、同じように30少々の年齢で亡くなったヴィルヘルム・ミュラーのもので、非常に優れたものではないとよく言われている。シューベルトは凡庸な詩と秀逸なそれとを見分けることが出来なかったような言い方だが、とても多作でしかも未完成作が多いシューベルトはほとんどどの曲も即興的に書き、凡庸な詩でもそこに何か見所があればそれを採用する気になったのではないだろか。それはともかく、『冬の旅』の24曲はミュラーの詩の順番を多少変更していて、詩の世界を一連の組曲として音楽で解釈し直す際に、そのままでは具合が悪いことを認識していたと考えてよく、シューベルトがそれほど詩をよく分析したことを示すだろう。そして、シューベルトがその詩に曲をつけたいと思ったのは、それだけ詩の世界が自分の思いを代弁すると思えたからで、そこにシューベルトの恋愛観を見ることも可能かもしれない。ベートーヴェンもそうであったが、あまり男前でなく、また金持ちでもないというのでは、理想の女性がいたとしても生活力の不足から結婚までは難しかったと思える。現在では有名な芸術家や芸能人、小説家はまるでシューベルト時代の貴族や王様のような暮らしが可能となっていて、女性も群がるが、その分、ベートーヴェンやシューベルトのような本物がいなくなったと言えるかもしれない。また、ベートーヴェンやシューベルトの才能を当時の人がどれほど正確にわかっていたかとなると、知る人のみ知るで、これは現在でもほとんど同じであって、あまり知られないところに本当の優れた才能がいたりすると思える。結局、昔も現在もほとんどの人は本物の芸術家などすぐ横にいても気づかず、また現在ベートーヴェンやシューベルトの音楽を愛する人も、すぐ横にベートーヴェンやシューベルトと同じような才能を持っている人がいてもそれがわからない。生誕200年の1997年だったか、シューベルトの死は梅毒を患っていたことが原因という意見が出た。これは娼婦と交わったことを示すだろうが、昔新聞で読んだところによると、それを信じたくないファンがいる。だが、シューベルトが娼婦館に通ったあげく、性病から体力が落ち、食当たりをこじらして夭折してしまったとしても、そのことでシューベルトの才能が過少評価されるだろうか。そういうシューベルトが汚らわしく、そのため作品も同じように清さ一点張りではないと見る向きがあるとすれば、それは人間や芸術というものを見誤っている。娼婦と交わる一方で、このように崇高な作品を生んだところにむしろシューベルト、人間の奥深さがある。「おやすみ」に歌われる男の行動に筆者はシューベルトの姿をだぶらせるが、この曲で男がおやすみと扉に書きつける相手の女性は、次曲の歌詞からわかるように男を裏切ったのであり、そのことに失望した男は女性のもとを静かに去るという内容だ。女の母が結婚まで勧めたのに、女が男を裏切るというのは、女を娼婦と同一視することもあるいは可能で、シューベルトが娼婦と交わって梅毒に罹ったということにも結びつくような気がする。そのように想像すると、『冬の旅』がえらく下品な作品に思われてしまうが、女に裏切られた男が孤独の旅に出かけ、死を思いながらどうにか生きる希望をわずかに見出すかもしれないというところで組曲は終わり、シューベルトのように31歳をとっくに越えてその倍の年齢に近づいた筆者から見れば、かなり青臭い話ながら、青年の純粋な思いと行動として納得も出来る。筆者にもそんな若い時代があったし、人並みに恋愛もして、この男の思いがよく理解出来るからだ。
 ビートルズの「ノー・リプライ」という曲を中学1年生の時にラジオから聴いて筆者はえらく感動したが、そこで歌われる男の思いと、シューベルトのこの「おやすみ」はよく似ている。どちらも失恋の歌であり、男の内面の叫びを歌う。テンポもよく似ていて、歩く速度で歌われるが、冬の散歩中に筆者が「おやすみ」をよく思い出すのは、歩く速度にぴったりとしているからだ。そして、この歩みは恋人から遠のいて行くもので、部屋で眠っている恋人を思いながら男は冬の寒い道を違う町へと旅立つ。歌詞の冒頭の単語は「Fremt(よそ者)」で、よそ者としてやって来た自分はまたよそ者として町を去るとまず歌われる。恋人と知り合って、本来ならば自分は見知らぬ町で腰を据えるつもりであったかもしれないのに、それがよそ者のまままた町を後にするという設定は、男の深い孤独を端的に表現している。この男と同じような境遇の人物は現在の東京ではたくさんいるはずで、『冬の旅』が永遠の名作であるのは時代に左右されない人間の本質を歌い上げているからだ。男は眠っている女を起こさないようにして扉を閉めて去るが、そこから想像出来るのは、不実な女であることを知りながら一緒に寝た後、ひとりで起きて夜にこっそりと部屋を、そして町を去る男の姿だ。それは、「ノー・リプライ」が女が部屋にいるにもかかわらず返事をくれず、戸外で立ち尽くす振られた男の気持ちを歌うのに対して、男は女に対して優しい態度を貫き、その姿に男のより深い悲しみを見る。不実な女なら罵倒してさっさと別れればよいのに、男はそうせずに、ひとりで死を選ぼうと旅立つ。それは全く現代的でないと言う若者もあるだろうが、さまざまな恋愛が存在するのであって、純粋なそれを前にして人は笑うことは出来ない。そして、この『冬の旅』は通常はバリトンやテノールなど、男性歌手が歌うので、男の気持ちを歌うものと頭から思いがちだが、女性歌手が歌う場合もあり、女性が男のもとから去ると想像してもよい。どちらにしても眠る恋人のもとから去る姿は映画を見るようなところがあり、その光景をいろいろと想像出来る楽しみもこの曲にはある。
●「GUTE NACHT」_d0053294_0301832.jpg 『冬の旅』は全曲で70数分あって、LP時代では2枚組で販売されたが、CDではどうにか1枚に収まる。その中で「おやすみ」は、オッカーの歌では5分27秒あって最も長い。オッカーからサインをもらってから半年後の1994年8月にドイツで録音された2枚組CDに、『冬の旅』全曲をオーケストラでアレンジしたものがある。筆者はこれを発売と同時に買ったが、CD2枚に収めるだけあって、24曲の大半は演奏時間が長く、特に「おやすみ」は9分39秒もある。オーケストラ用に編曲したのはハンス・ツェンダーで、演奏はアンサンブル・モデルン、歌はバリトンのハンス・ペーター・ブロホヴィッツによるが、このCDはピアノ伴奏を充分聴き慣れた人にとってはかなり衝撃を与えるだろう。そしてやはり「おやすみ」が最もよく出来ていて、ツェンダーがシューベルトの内面に入り込んで、女のもとを去る男の内面にこれほどの激情の嵐が渦巻いていたであろうことをよく納得させる。シューベルトはピアノ伴奏用に作曲したのであるから、それをわざわざ他人がオーケストラ用にアレンジする必要はないと言えるが、管弦楽曲も書いたシューベルトであるので、『冬の旅』を作曲した時に多彩な音がシューベルトの脳裏に鳴り響いていたと考えるのも一興であるし、それをどう描くかは、ラヴェルがムソルグスキーの曲や自作のピアノ曲を管弦楽用にアレンジしたことも思い起こせば、現代の作曲家にとって挑戦意欲をそそる問題であろう。ツェンダー編曲の『冬の旅』はどれほど日本で話題になったのかは知らないが、この10数年、筆者は毎年冬になると思い出す。そして思い出すだけで胸が高鳴る。「おやすみ」は最初雪を踏み締めるようなとても静かな音から始まり、歌が聞こえるのはほとんど4分経って以降だ。冒頭から1分30秒ほど経ってフルートがようやくシューベルトのピアノ伴奏のメロディを奏でるが、それが明瞭な形を帯びるのはさらに2分以上も経ってからで、この異様に長い前奏部分はシューベルトの原曲をあまりにも意訳したものとして批判する人もあるかもしれない。だが、男の後ろ髪を引かれるような歩みをこれほど見事に表現したものはなく、表現主義の芸術運動を生んだドイツならではの表現とも言ってよい。オーケストラがこのようなリアルな、そして暗示的な音を生み出すことが出来るというのも面白く、筆者はこの前奏部分をとても好む。アンサンブル・モデルンの演奏はさすがで、ザッパの曲を演奏した後の演奏を納得させる。それにしても92年に筆者がオッカーの『冬の旅』のCDに出会い、やがてアンサンブル・モデルンが演奏するヴァージョンにも巡り会えたのは何か必然のようなものを感ずるが、そもそもオッカーの歌にたちまち魅せられたのは、筆者の思いが『冬の旅』の歌詞によく反応する経験を経ていたからだ。そうした経験はどんな人でも経験するかと言えば、そうとも限らない。経験からある種の感覚が成長していなければ、何かに反応するということはない。その意味からして、芸術は万人のもののようでいて、実はごく限られた人にとってのみ切実なものではないか。そしてシューベルトはそのごく限られた人が永遠に存在し続けることをよく知っていたのだ。
by uuuzen | 2010-01-29 00:27 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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