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●アルバム『PHILLY ’76』解説、その2
影スタジオにザッパがメンバーと赴いて一緒に写真を撮るようになったのは、去年ザッパ・ファミリーが運営するサイトから有料でダウンロード出来るようになった、1969年発売のアルバム『マザーマニア』のジャケットが示すように最初期のマザーズからだ。



『マザーマニア』のジャケット写真は、『We’re Only In It For the Money』と同時期の撮影と思われ、ビートルズの『サージェント・ペパー』のジャケット写真に触発されてのことだろうが、次のフロ・アンド・エディを迎えてのマザーズの集合写真としては『Just Another Band From L.A.』のジャケット裏面がある。『マザーマニア』と違って裏側に回っているところにザッパのメンバー写真よりも、面白いイラストの方がアルバムの売り上げにはよいと考える戦略がうかがえる。アルバムでの使用が見られないので、メンバー集合はその後撮影しなかったように思われるが、実際は新メンバー編成による新ツアーごとにほぼ撮影を続けたと言ってよい。たとえば73年の『Over-Nite Sensation』の時期に撮ったザッパが前列中央に陣取った形で集合写真はよく知られる。本作『PHILLY ’76』のジャケットに採用された集合写真はそれと雰囲気がそっくりで、ザッパも笑顔で気分がよいようだ。『Over-Nite……』と同じ写真スタジオで撮ったと思えるが、そうではなくてもザッパの念頭に73年のマザーズがあったと思わせるに充分だ。それにしても今回の集合写真はみな勝手な服を着ながら調和しており、左端のレイ・ホワイトの赤いスタジオ・ジャンパーとその隣のパトリック・オハーンの紫のシャツ、そしてさらに隣にビアンカの金髪、そしてザッパの白シャツと、まるで毒気のある大輪の花を思わせるが、ザッパの音楽を知らない人がこの6人の集合写真を見てどんな音を想像するのかぜひ聞いてみたい気にさせられるほどに不調和で雑然とした空気が漂っている。もちろん中央に座るザッパの風貌が最も異様で、しかも得意満々であるところ、ザッパ・ファンは非常にわくわくする。だが、『Over-Nite……』の集合写真がアルバムに採用されなかったことを思えば、ザッパは本作を世に出すつもりであったとしても、本作のジャケット写真をジャケットの表側には使用しなかったことが想像される。その意味において、本作のジャケットはとても珍しく、ファンにとっては新鮮に映るが、これを逆に言えばザッパが本当は望んだと考えられる適当なイラストがなく、そのための穴埋めであって、そこにザッパの意思が反映されない一抹のさびしさ、あるいは海賊盤的なにおいを感じてしまう。とはいえ、このメンバー集合写真は海賊盤に使用されたことがなく、また公にされたことがないはずで、アルバムの内容をずばり表現している点で嘘がない。また、ザッパは新しいツアーを敢行する際に必ずと言ってよいほど過去の曲の新アレンジ・ヴァージョンをレパートリーに含めたが、それは本作でも同じで、その過去の焼き直しということもまた、計らずも本作のメンバー集合写真に出ている。
●アルバム『PHILLY ’76』解説、その2_d0053294_0151541.jpg

 本作を聴いてわかるが、ザッパはステージで宣伝することを忘れず、新作アルバムや、ツアーに合わせてのアルバム発売について観客に向って語っている。その新作とは『Zoot Allures』だ。ついでに言えば、同作のジャケットは表裏とも写真スタジオで撮影した写真を使用し、ザッパ以外にテリー・ボージオ、パトリック・オハーン、エディ・ジョブスンが映り、本作と比べるとレイ・ホワイトとビアンカが足りない。『Zoot Allures』は76年10月の発売で、大阪で演奏した「ブラック・ナプキンズ」を収録するところに、日本公演の思い出が色濃く反映されているが、同作のジャケット写真の撮影はレイとビアンカを雇う以前で、76年の5月から8月の間であろう。ともかくザッパを含めて4人では、スタジオで録音は出来てもザッパが望む厚い音を発するツアーは出来ず、ザッパはヴォーカリストを欲した。そして、カラフルな音にするには男女を揃えたい。そこでレイとビアンカが雇われたが、本作に封入されるブックレットにはビアンカの思い出が綴られており、そこにはザッパはビアンカにいいギタリストを知っているかと訊ね、それでビアンカと一緒に演奏していたレイ・ホワイトがザッパに紹介されたことが書かれる。黒人女性のビアンカが参加した分、従来のマザーズにない華やかさが表現出来たが、これは『Over-Nite……』でティナ・ターナーの参加を得てザッパが黒人女性のパワフルな声を好んだことを引く継ぐ。ところが『アラウンド・ザ・ワールド 1973』と題する海賊盤では、「Coffee」とクレジットのある黒人女性がヴォーカルを担当しており、ゲストの形にしろ、黒人女性をステージに参加させる例はすでに73年にあった。その試みがよかったのでザッパは本格的に雇おうとしたのであろうが、75年11月3日の、本作からちょうど1年前としてよい、同じフィラデルフィアでのステージではノーマ・ベルを参加させており、以前から布石は見られた。だが、せっかくのビアンカの参加は、76年10月下旬から11月上旬にかけての10数回のステージのみに終わった。
 ザッパがビアンカの麻薬服用を許さなかったためと言われるが、ビアンカ参加の録音をザッパは生前発表しなかったのは、よほどビアンカの行為が裏切りに思えたからか。雇う際に徹底して麻薬の使用禁止を申しわたしたはずで、それを破るほどにビアンカはザッパに雇われている主従関係を理解しておらず、思い上がっていたことになる。ビアンカがいなくてもザッパはツアーを続行出来るし、ザッパ以外のメンバーは誰でも別人と交換が可能だ。また、ザッパの望むように演奏出来ない、しない者は去るしかない。そのことをよくわかっているメンバーだけがザッパと長く関係を保ち、またザッパの死後もザッパについて尊敬の念で語っている。また、メンバーが自分の意思でザッパのもとを離れることをザッパは許可したし、そうして出て行ったエイドリアン・ブリューのような、ごく短期間だけ在籍したメンバーは、ザッパについて意見を述べる資格はないとは言わないまでも、長期にわたってザッパと行動をともにした他のメンバーに比べて多くを述べることは出来ず、説得力は乏しい。ましてやビアンカのようにクビになったメンバーについては、その音楽的才能は認めるとしても、基本的にはザッパのことを理解出来なかった人物とみなすべきだろう。ザッパが雇用を含めて契約にうるさかったのは数ある訴訟からもよく想像出来るが、ビアンカを切った後はまた日本公演の時と同じようにザッパを含めて5人編成となって、77年3月までヨーロッパを巡業する。その時の模様を収録した海賊盤として、2月のパリのものがある。いかにも寒い時期に5人の音であるからなおさらその音は寒々しい印象が強いが、ある意味ではちょうど1年前の日本公演に通じる。だがメンバーは、ドラムスのテリー・ボージオのみ同じで、ナポレオン・マーフィ・ブロックが同じく黒人のレイ・ホワイトに、キーボードはアンドレ・ルイスからイギリスのと白人のエディ・ジョブスンに、ベースはロイ・エストラーダから若手のパトリック・オハーンにそれぞれ交代して、小編成ではあっても演奏に差がある。特にエディはヴァイオリンを担当して、73年のジャン・リュック・ポンティの代わりをした。ザッパ生前にはエディのまともな演奏がレコードになったとは言い難く、その点前述の77年2月のパリ公演では「ブラック・ナプキンズ」のソロを担当するなど、海賊盤がファンが抱く不満を解消する役割を負っていたが、今回の新譜はようやくエディのヴァイオリン・ソロが堪能出来こととなった。

●2003年3月28日(金)深夜 その1
●アルバム『PHILLY ’76』解説、その2_d0053294_0225517.jpg昨夜は午前4時前に床に入った。寝不足が続く。午後から大阪に出て久しぶりに友人と飲んだが、出かける直前に予定していた切り絵の5点目を仕上げた。蛍光灯を手元に当てるとはいえ、薄くて小さい紙にナイフで細かく切る作業を深夜にするのは、昼間でも同じ蛍光灯をつけているのであるから、目にはよほどよくない。色紙の色合いが昼と夜では違って見える。若い頃のザッパは昼間でも部屋を暗くして仕事をしていたし、晩年でももっぱら録音は深夜であった。それはザッパの音楽性に大きな影響を与えているだろう。今月の5点の切り絵はどれも暗い色合いになったが、それはテーマに反応したことと、やはり深夜の作業ということも関係していると思う。さて、大阪で飲めば帰宅するのはいつも最終電車だ。パソコンのメール・チェックを済まし、この日記を始めた。すでに1時15分を回っている。今夜は何を書こうかと思いつつ、津和野と萩への旅行に関することが頭に浮かんで来たのでそれにしよう。津和野に着いてまず、鯉が水路に泳ぐ通りに連れて行かれた。ガイドブックを見るとそこから郵便局まで500メートルであったので、25分後にはバスで別の場所に移動せねばならないのを承知で、妻を置いておいてひとりで津和野駅前近くのその郵便局に向かった。予想したとおり、津和野のふるさと切手の在庫があった。それを買ってハガキ大のスケッチブックに貼り、風景印を捺してもらった。去年の広島でも長崎でも同じことをしたし、最近では宇治の万福寺に行った時も近くの郵便局でそうした。どこの郵便局員も慣れた対応であるので、風景印を求める人はおそらく毎日あるのだろう。風景印を得てすぐに元の場所に戻り、水路の鯉を同じページの余白部分に色鉛筆で描いた。切手と風景印だけでは面白くない。余白部分の方がはるかに大きいので、そこに何かを埋めたくなるのは貧乏性のなせるわざであろうが、自分だけの記念のものをとなると、そこに絵でも描くしかない。それでバスの出発まで5分ほどしかなかったが、急いで鯉を3匹描いた。切羽詰まる方が真剣になり、絵もうまく描ける気がする。自分がこれでよいと判断できるまで描き込むのだが、その描いている時の5分から10分というのはたぶん真剣な眼差しで、他人は近寄り難いのではないかと思う。一泊二日旅行の間、残念ながら郵便局で風景印が捺せたのはその1回限りであったが、ホテルや寺などに用意されている記念スタンプを押して、その余白にまた風景を描くということをしきりに行ない、絵は全部で7枚になった。どれもごくわずかな時間を見つけて、考えているより先に描き始めていた。個人旅行ならばもっとたくさん描く時間があるが、それは本職の画家の特権だろう。本職はプロと言い換えてもよいか。このプロについて今回の旅行では思うことがあった。15000円ほどの旅行代金については昨夜書いたが、これは昼食や秋芳洞への入場料などのオプション料金を含まないものであるので、実際はもっとお金は必要になる。それはいいとしてこの15000円の配分はどうなっているのだろうと、妻がざっと計算した。バス運転手、ガイド、添乗員の3人の経費と旅館宿泊費に大別されるとして、順にそれらを概算予想すると、15000円の代金は10円単位で厳密に計算された限界ぎりぎりの料金であろうということであった。旅行会社間の競争があるから、無闇に値を吊り上げるとたちまち客は来ない。そこで旅行会社も旅館も、客がないよりかは少しでも儲けがある方がましとばかりに、綱わたりのような危ういバランスで価格設定しているように思える。そうした人目を引く価格は見事というほかはなく、そこにプロ意識を見ると言えば大袈裟に響くかもしれないが、決してそうではない。添乗員はベテランで愛想はよかったし、ガイドも教育は行き届いている。それに何よりも1000キロを無事に運転し続ける寡黙な運転手はプロ中のプロだろう。自分の仕事を完璧にこなしてあたりまえというそうした人々の姿を見るのは実に気持ちがよい。こうした団体旅行の思い出のよしあしの大半はそうした人々の笑顔に左右される。個人旅行ももちろんいいが、時にはこうしたプロ根性のある人々の、お決まりの流れ作業とはいえ、見事としか言いようのない実務の運行を見るのは楽しい。そしてそうした人々の背後に予約電話を受けつける人がいて、またそれよりも前に旅行パンフレットを作る人、それをデザインする人、印刷する業者などなど、あらゆる人々のプロ意識のうえに客が15000円を支払うだけで、個人ではとうてい同額では不可能な旅行商品が出来上がっている。それを考えると、そうしたツアーに参加する者もまた何らかのプロ意識が必要ではないかと思える。この場合「プロ意識」より「マナー」の言葉がよいが、15000円の価格設定の見事さを充分にわかるには、よく楽しみそして他人に迷惑をかけないということだ。旅館の料理はふぐ会席という宣伝で、添乗員は笑いながら「ま、値段から予想してどの程度の料理か期待を大きくしないでください」などと言っていたが、実際に出た料理は15000円のツアー料金からすれば限界を越えた豪華さに思えた。いくら団体でたくさんの客が一度に来るとはいえ、高価なふぐが形をいろいろに変えて盛られており、「ふぐ会席」の名目だけは間違ってはいなかった。美食目当ての旅行ではないので、別にふぐなどどうでもよかったのだが、その涙ぐましいほどのサービスぶりを見ていると、儲けを極端に少なくしてでも、とにかく好印象でお客には帰ってもらいたいとの旅館側の思いはよく伝わった。伏見でのリンゴのように、どうせ二度と来ない客と思えば市価の倍でも取ってやれと思うところもあるのが現実だが、この萩の旅館は様子が全く違った。今回の旅行で最も感激したのはその旅館の社長の姿であったのだが、それを今から少し書いておく。夕食は個人割りの部屋か大広間かあらかじ
め選択できたが、大勢の参加者と並んで食べるのは嫌いではないので、迷わずに大広間にした。仲居さんは数人いたが、全員無地の紺色のキモノ姿で、社長の躾がいいのか、みなてきぱきした動きで気持ちがよかった。ふぐ会席が半分以上終わろうとしている時に、仲居頭が「あの、みなさん、ゆっくりとお召しあがりください。社長が今隣の広間で踊っていますが、もうすぐこちらの舞台にやって来て2曲ほど踊りますので」と言った。隣の大広間にも団体ツアーが入っていた。襖一枚であるので、マイクで増幅された社長の挨拶や踊りの伴奏曲は丸聞こえであった。2曲と言っていたのが4曲になり、もうその頃にはこっちの広間のふぐ会席はほとんど誰しも食べ終わっていた。そうして社長が入って来た。袴姿だ。70代半ば彫りの深い顔立ち。山口県は男前が多いことで有名らしいが、この社長もかつてはその部類に入ったであろう。なかなか礼儀正しく、まずそれに感心した。しかもその様子がいかにも商売人といった風ではなく、もてなしが好きでたまらないといった感じだ。最初に社長が詩吟を伴奏に踊った。その内容は白虎隊の悲劇といったような、何か明治維新に因んだ内容だったと記憶する。2曲目は仲居のひとりで、名取を持っていると社長に紹介された。恰幅がよく、いなせな感じのおばさんだ。聴いたこともない演歌の伴奏で、扇を使用して見栄を切りつつのなかなかの踊りであった。普段は仲居の目立たない仕事でも、踊りの時だけはまるで別人になったかのような顔つきと仕種で、言葉は適当ではないにしても、とにかく格好がよかった。美人では決してないし、若者にはまるで何のことやらわからない踊りではあろうが、そんなことは別にして、踊る間の顔つきや無駄のない動きなど、何も知らない人が見ても美しいとしか言いようのないものであった。それでお金を稼いではいないので決してプロではないし、1泊1万円から宿泊できる田舎町の二流旅館の仲居の踊りに過ぎないのだが、そこには紛れもないプロ根性を理解している何かがあった。社長の踊りの時もそうであったが、見ていて胸に迫るものを覚えた。

by uuuzen | 2010-01-20 00:23 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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