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●『コーヒープリンス1号店』
琲の読みか、韓国ではコーヒーのことを「カッピ」「コッピ」と発音しているように聞こえるが、「コピー(copy)」はやはり「コピー」と発音するであろうから、「コーヒー」と混同しないのだろうか。



だが、「coffe」を「コーヒー」と発音するのも変わっていて、欧米人には通用しない。異国の文化をおかしいと思いがちだが、先方もきっとそう思っている。さて、先日「ウィロー・パターンのコーヒー・カップ」と題して投稿した際、そろそろ『コーヒープリンス1号店』について書こうと考えた。『ぶどう畑のあの男』の後、ユン・ウネが主演を務めたこの韓国ドラマ、去年夏に妹から借りたまま、長らく見終えなかった。正確に言えば、全17話のうち、最後の2話を残して数か月放ったらかしにしたまま、年が明けた。その理由は結末が予想出来て退屈であったことと、その反面、ユン・ウネの本来の女性としての姿が見られるかという期待があって、その楽しみを先延ばしにしたためだ。と、こう書くと奇妙に思われるが、このドラマはユン・ウネがウンチャンという名前の男としてコーヒー・ショップに勤め、やがてそれがばれて、コン・ユ演ずるコーヒー・ショップの主宰者である大金持ちの3世ハンギョンと結ばれるというラヴ・コメディで、ユン・ウネにとって初めての役柄を見せるものであった。だが、韓国でも批判されたように、ユン・ウネがショート・カットで男の衣服を着用し、男っぽい身振りと言葉を発しても、男にはほとんど見えず、ハンギョンがウンチャンを男だと長らく気づかないという設定はかなり違和感がある。また『ぶどう畑のあの男』で色っぽいユン・ウネを存分に見た後で、このドラマで同じものを求めると、全く肩透かしを食らう。それにこのドラマはユン・ウネを中心にしはするが、脇役たちの場面が他の韓国ドラマ以上に多く、ユン・ウネ目当てに見た人は失望を味わう。そう考えると、ユン・ウネの魅力は『ぶどう畑のあの男』で頂点に達し、その後は大勢いる同世代の女優のひとりという、目立たない位置に落ちたと言ってよい。このドラマの2年後にユン・ウネは別のドラマに出演したが、評判はよくなかったらしく、ますます人気の下火が感じられる。それは、溌剌としていた若さも30歳により近づき、その大人になった分、周囲からちやほやされなくなったことを示すが、なかなか韓国女優の命は短く、いい作品に次々に巡り合えばよいが、2、3年の不調が続くと、一気に新しく登場した才能に株を奪われる。ユン・ウネに似た女優は韓国にはほかにはおらず、また体格がよくて朗らかなところが見ていて楽しく、筆者はかなり注目しているが、このドラマでは泣く場面が目立ち、それはあまり感心しなかった。また、歌手出身のユン・ウネの演技はあまり上手ではないとされているが、今まで演じたドラマはみなコメディで、大部分は地のままでよかったのに対し、女性が最も急速に変化する20代半ばの時期にあって、それなりに成熟した演技を求められるようになっている。それは彼女に対する期待が大きいからであり、そうした批判をしっかりと受けとめて年齢相応の実力を見せるべきだろう。
 筆者がこのドラマを見たいと思った理由はユン・ウネだけではない。同じほどにコン・ユの演技が見たかったからだ。前にも書いたが、コン・ユは『乾パン先生とこんぺいとう』でさわやかで見事な演技を見せ、一気に彼に注目するようになった。現在のところ、韓国の男優の中では最も好きだ。そして、今回のドラマでも予想どおりの雰囲気を見せてくれて、ユン・ウネよりも彼のドラマであると言ってよい。そのコン・ユとユン・ウネがどう絡むかが楽しみであったが、ユン・ウネが男役という苦しい設定を除けば、ふたりはごく自然に恋人同士を演じた。さて、他の韓国ドラマと同じように2組の若い男女が登場するが、ハンギョルとウンチャンが結ばれるのに対し、もう1組のハンソンとユジュもめでたく結婚する。そして、この2組は陽と陰と言ってよい好対照を見せるが、4人のうちウンチャンのみが貧しい家庭で、他の3人は経済的にはかなり恵まれた位置にいる。そうした対照はいつもながらの韓国ドラマを思わせる。登場人物はこの4人にコーヒー・ショップで働く独身男性3人と、中年男女3人、そしてハンギョルの両親と祖母で、ウンチャンのような若い世代から老齢まで、やはりいつもの韓国ドラマらしく幅広い世代を登場させ、またハンギョルの祖母の息子や孫に対する絶対的権力がかなり誇張気味に描かれるところは、このドラマを日本でリメイクすることの困難さを伝えている。つまり、儒教的な部分はしっかり押さえたドラマで、従来の韓国ドラマと大きく一線を画するものではない。また、主役級の4人の男女だけではなく、脇役の物語にかなり見所があって大家族主義的なドラマとなっているが、それは現在の日本のドラマからはかなり抜け落ちている部分ではないだろうか。このドラマは全体的には20から30代向きだが、ウンチャンの母と近所の肉屋の主人との恋、またコーヒー・ショップの実質的な店長と言ってよい独身中年男性が、ばったりと元妻と出会ったりする場面など、細部をていねいかつ面白く描いていて、脇役全員が存在感を放っている。また、これは脚本上いささか余計と思うが、ハンギョルは金持ちのドラ息子のようでいて、出生が複雑で、ドラマの中間辺りで両親の子ではないことをハンギョル自身が悟る。実はハンギョルの父はある女性が好きであったが、その女性はハンギョルの父の母、つまりハンギョルの祖母に結婚を反対されたらしく、ハンギョルの父の友人と結婚し、そしてハンギョルを生んだ。だが、間もなくハンギョルを残して両親は死に、ハンギョルの父はハンギョルを引き取って育て、その過程で現在の妻を娶った。そして、家族は穏やかに過ごしているが、ハンギョルの父は母に対して、自分は好きな女性と結婚出来なかったとぽつりと言う場面がある。祖母が息子の結婚に際して昔文句を言ったことをまだこだわっているハンギョルの父は、せめてハンギョルには好きな相手と結婚してほしいと願っているが、祖母はウンチャンを一目見て気に入らず、手切れ金をわたしてでも別れさせようとする。この辺りもまた韓国ドラマお決まりの手法だ。ハンギョルはそのような出自を知ってもあまり取り乱さず、いつものように両親や祖母に接するが、その態度はこのドラマの性格からは好ましい。一方、ウンチャンは父がおらず、母と妹との3人で暮らしているが、母は外で働いたことがない。そのため、ウンチャンは早朝牛乳配達をし、昼間は中華料理店の配達、またテコンドーの教師をしたり、母や妹の栗の皮むきやぬいぐるみの目玉つけなどの内職を手伝っている。そうした健気なウンチャンは、料理の配達で別世界の住人のハンギョルと出会う。また、ドラマの登場人物を必要以上に複雑に絡ませるために、ウンチャンはハンギョルとは別に、ハンソンの家に牛乳を配達している時に、ハンソンの飼う犬と仲よくなり、そのうちハンソンと淡い恋が芽生えるという設定がドラマ前半に用意される。
 ハンソンは音楽家で、放送局に作品を提供している。彼は画家であるユジュと以前交際していたが、ユジュは別の男がいるアメリカに行ったにもかかわらず、ソウル戻って来てハンソンとよりを戻したがっているという設定だ。簡単に言えばハンソンもユジュも自立していて、おまけに芸術家であり、お互いなかなか素直に折り合えない。ハンソンはユジュに振り回されていることを苦々しく思いながら、ユジュを忘れられないでいるが、そんなところにウンチャンが登場し、一気に彼女に魅せられる。また、ユジュはハンソンの従弟ハンギョルもよく知り、ハンギョルもユジュに気がある。そんな金持ち3人の間にウンチャンが割り込むが、ウンチャンは職を失ってとにかく安定した職業に就きたがっている。そして、ハンギョルもアメリカ帰りで、祖母からはふらふらしていないで家の仕事でもしろとコーヒー・ショップを任される。ハンギョルは店を全面的に改装し、人を雇う必要が生じる中、ウンチャンは「コーヒー・プリンス」という店名からわかるように、男しか雇わないというハンギョルを騙す格好で、男になり切ってどうにか雇われることに成功する。だが、ハンソンやユジュ、それに店員たちのほとんどはウンチャンが女であることを知りながら、それをハンギョルに言わない。そのようにして店が始まり、祖母と約束した3か月で3倍の増収に成功するが、その間に徐々にハンギョルはウンチャンに魅力を感じる。ウンチャンを男と思って自制し続けるが、ついに男でもいいと一線を越えようとする。女であることを隠し通せなくなったウンチャンはハンギョルに女であることを打ち明ける。ハンギョルは騙されたことがショックで、ウンチャンを解雇する。その後は祖母が折れ、ハンギョルとウンチャンは和解、そして結婚、一方ハンギョルはユジュと結ばれる。こう書くと身も蓋もないが、このドラマはこのような筋を追うところに味わいがあるのではなく、脇役を含めた全員の仲のよさを味わう点にある。たとえば日本語をわずかに話す店員のソンギは、ワッフルを屋台で焼いていたところをスカウトされたが、恋の悩みを抱えていて、そのことは回を追うごとに顛末が示される。またお調子者で女の尻ばかり追っている店員のハリムの恋の手管も結末が用意されている。そしてもうひとりの店員ミニョブは不精髭を生やした無骨な大男だが、ウンチャンの妹を天使と崇めている。なかなかふたりの恋は成就しないが、最終回ではこれも収まるところに収まる。ソンギ、ハリム、ミニョブの3人はよくぞこれだけ違う雰囲気の男を集めたと思わせるほど配役は絶妙で、このドラマには欠かせない。
 物語の結末を書くと、ウンチャンはハンギョルから結婚を申し込まれてふたつ返事でそれを飲んだのではなく、今まで自分は何事も中途半端であったので、自分の力でひとつのことをなし遂げたいと言って、5年ほどパリスタの資格を取るために外国で学びたいと言い始める。今すぐにでも結婚したいハンギョルはそのことに反対するが、祖母がウンチャンを見込んで2年間、店の命令としてイタリアへ留学させる。その間のウンチャンの母と妹の生活は、仕事で留学するのであるから面倒をみるという約束で、晴れてウンチャンは留学する。この「その後の展開」を見せるのも韓国ドラマのいつもの手口だ。ウンチャンは2年を3年に延ばしたいハンギョルに伝えて失望させるが、黙って2年後に帰国し、女性らしい姿で店にこっそり姿を見せる。その時ハンギョルは、今度は女の店員ばかりの「コーヒー・プリンセス1号店」オープンのために面接をしているところであったが、ウンチャンの登場によって同店の安泰な結末が予想されるところでドラマは終わる。このドラマのために実際にあった店が借りられ、ドラマでもその様子がわかるように大改装が行なわれた。ドラマの後、そのままの状態で営業を続けているようだが、広々とした雰囲気のよさそうな店で、韓国に行けば訪れたい場所だ。数年前にソウルに行った時、ミョンドンのとある喫茶店に入ってエスプレッソを飲んだが、韓国の喫茶店は日本より歴史がはるかに浅く、洗練度が劣ると感じた。こうしたドラマが作られること自体、現在の韓国では若者向きの洒落たコーヒー・ショップが大いに求められていることがわかるが、このドラマに描かれるように、イタリアで技術を学んで帰る若者がいて、日本とは別の方向で韓国らしい店がどんどん登場する予感がある。つまり、日本を模倣をせずに、また遅れていたからこそ、日本ではあまり見られない店が登場するという面白さだ。そのため、韓国の喫茶店事情が遅れていると侮っていては、新しい喫茶店文化が韓国に生じていることが見えなくなるかもしれない。そのようなことをさらに感じたのは音楽だ。このドラマは音楽が従来の韓国ドラマにはないロックを中心にいていた。どういう種類かと言えば、今これを書きながらBGMにしているギャラクシー500の音楽がとても似た雰囲気をしている。激しくシャウトするのではなく、90年代のマイナー・コードを多用した、どちらかと言えば学生バンド的なアンニュイな雰囲気に満ちた音楽で、筆者はあまり好まないが、そうした音楽がこの2007年に作られたこのドラマに用いられている点に、韓国の現在のロック事情を見た気がするし、このドラマが描くコーヒー・ショップにとてもよく似合っている。だが、そうした音楽を使用するのは確かに特徴的だが、ハンソンとミジュの関係を象徴するにはぴったりでも、ハンギョルとウンチャンの明るいふたりには全く似合わない。その意味で、もっとほかの音楽を使用していれば同じ映像でも雰囲気はがらりと違ったと思う。
 このドラマはMBCでは初めての女性監督によるものだが、全17話という中途半端な数字は好評のため1回延長したからだ。最高視聴率は30パーセント近かったが、途中少しだれ気味になったので、全17話は少し長い。最初に書いたように、ユン・ウネ見たさで期待すれば幻滅するが、ほんの少し、ユン・ウネが華やかに着飾る場面がある。ハンソンが、ウンチャンを見ていると明るい気分になり、ある日ウンチャンを連れてパーティに出かける。その時、ハンギョルもやって来るが、ウンチャンを見ながら彼女とは気づかない。それほどにウンチャンは女性らしく変身していたのだが、そんなことは実際にあり得ず、せっかくのさまざまなリアルな設定にもかかわらず、ユン・ウネの男装だけは説得力がない。で、ユン・ウネの女性っぽい場面をもっと見せてほしかったが、最終回もそれは満たされないままであった。ドラマの最後、制作風景や制作者たちの姿がおまけとして映った。韓国ドラマでは車を運転する場面のアップが必ずある。このドラマの場合、それがどのようにして撮られたかがわかったが、トラックを並行して走らせながら撮影し、荷台に乗った監督がマイクで演技を指示するなど、予想以上に大変な作業で、そうした舞台裏がわかると,ドラマの見え方がまた違う。制作スタッフは30人ほどだろうか、ほとんどみな若者に見えたが、仲がよさそうで大家族主義がそこにも現われている気がした。ドラマのムードを支配するのは、そして若者向きのドラマではなおさら、演ずる者とそれを背後で支える者たちが普段から打ち解けている必要があるだろう。そうした多くの人々の中でユン・ウネが期待どおりの、また自分で納得出来る演技が出来たのかどうか、ともかく新しい役柄の挑戦は確かで、従来にはなかった優しい情感溢れる作品に仕上がった。それは悪役が出て来ないからで、そうした設定でもドラマが仕上がることを示した点だけでもこのドラマは価値がある。だが、家計を支えるために健気に働くウンチャンが大会社の跡取りに嫁ぐという設定は全くのシンデレラ・ストーリーで、いいことをしているときっと幸運が舞い込むということを信じたい、また人々に信じ込ませたい楽観主義が見える。実際は貧乏人は生涯そのままであり、そういうことをよく知っているからこそ、せめてこうしたドラマで鬱憤を晴らすのだろう。ハンギョルが実の両親に育てられなかったにもかかわらず、両親も祖母もハンギョルを温かく見守り、将来を託すというのも現実的ではないように思うが、そうした複雑な事情を抱えて育ったから、ウンチャンのように貧しいが健気な女性を求めるというのはよく理解出来ることで、脚本家は理想と現実をしっかりと見ている。ウンチャンのような女性は苦労の連続であってもそれをそうとは思わないだろう。ウンチャンは素直にハンギョルが好きになったのであって、財産目当てではなかった。それが大事なものとは言えないかを韓国ドラマは繰り返し描くが、実際そのとおりで、好きな人が横にいて、健康であれば、何をほかに望むことがあろう。そのことをこのドラマは伝えているし、ユン・ウネはその役柄にぴったりであった。
by uuuzen | 2010-01-18 00:07 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
●『生誕130年記念 菊池契月展』 >> << ●アルバム『PHILLY ’7...

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