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●『生誕130年記念 菊池契月展』
床に入って書き忘れていたことを思い出した。『日蓮と法華の名宝展』でのことだ。第2室でベレー帽を被った30代ほどの目立つ女性がいた。



●『生誕130年記念 菊池契月展』_d0053294_0345184.jpg何かの拍子にその女性は振り返り、筆者と一瞬目が合ったが、あまりの美人にびっくりした。藤原紀香似で、背が高くて長髪、一緒にいた50代後半とおぼしき男性に笑顔で話しかけていた。しばらくその女性の姿から目が離せなかったが、5分ほど後に、いつもお互い勝手に見ることにしている家内の姿を見つけたので、その女性のことを言うと、ふーんと言ったきり信じなかった。ところが、30分ほどして家内が笑顔で筆者のもとに駆けつけて来た。その女性を間近に見たとのことで、藤原紀香以上の美人で、とにかくびっくりしたと言う。そして、舞台女優か何か人前で演じる職業をしているのでなければあのような雰囲気が出るはずがないとも続けたが、そう言えば周囲を圧倒する貫祿がある。男というものは、普段見かけないよほどの美人を間近に見ればたじろぐと思うが、そのことは美人が大好きという感覚とは全く別物だ。筆者は館内でその美人を見た時、ただぽかんとしてしまっただけで、話しかけたり、その女性のことをいろいろと知りたいとは思わない。むしろ知らないままで、驚いたという感情だけで充分だ。それは簡単に言えば、筆者好みの美人ではなかったからだが、好みではなくても美人としては認める。筆者は女性の好みが変わっているのか、俳優やタレントで美人と呼ばれる人の大半を少しもそう思わない。最近で言えば、有名パチンコ業界の社長と結婚した伊東美咲が、車だったろうか、あるTVコマーシャルに出ていた時、その美しい正面顔にとても驚いたが、それだけのことで、他のコマーシャルでは全くそうは思えないどころか、美人としては下の方と感じる。かといって理想の美人の顔を思い浮かべることが出来ない。たまたま道で擦れ違ったり、何の拍子に今まで見たことのないタイプの顔に接した時に心に刻まれるだけで、まだ究極の美人には出会っておらず、また出会えないだろう。断っておくが、これは自分の顔を棚に上げての単なる好悪の話であり、自分と釣り合う意味で美人を云々しているのではない。筆者好みの女優やタレントがいないわけではなく、今まで何人かそうした女性がいたし、またいるが、そうした女性が離婚や何やかやでTVにあまり顔を見せなくなった後、たまにかなり違ってしまった表情を晒す場合、かつての美人がいったいどこへ消えたのかとさびしくなる。それは老けたからという理由ではなく、生活に疲れて美が曇らされていることをもったいないと思うのだが、女性の美は顔形もそうだが、心の持ち方で決まるということだ。筆者が現在の芸能人やタレントにほとんど美人がいないと思うのも、その点を考えるからだ。昔、ある雑誌に今東光が若者の悩みに答えるコーナーがあって、そこで若者はキャンディーズの3人の誰かを死ぬほど好きで、この気持ちをどうすればよいかと質問していた。筆者はその3人のどこが美人なのかさっぱりわからなかったが、今東光は芸能人やタレントの女性にろくなのがいないと答えて、筆者は全くそのとおりと思ったものだ。人前に顔を晒すことが商売である女性は、美で人に媚びることが欠かせず、それは本当の美からは遠くなる要素だ。
 男が女の美に憧れ、理想の女性を追うとして、それはよく世間で百人斬りや千人斬りと言うように、数多くの女性を遍歴する場合もあるが、肉体交渉を重ねて出会う女性の美人度が増す一方のはずがなく、ただ同じことを繰り返すに過ぎない。レオナルド・ダ・ヴィンチも女性の顔の不思議に囚われたひとりと思うが、『モナ・リザ』を描いたのは現世では理想の女性に出会えず、また出会えたとしてもその美は不変ではないから、自分でそれを描き、凝固させたかったのではないだろうか。そして『モナ・リザ』に表現された美は、結局女性の美を謎を深く留めただけで、美の理由を明かすことはなかった。だが、それでいいのだと思う。さて、今日取り上げる菊池契月だが、京都駅の伊勢丹百貨店内で開催されていて、10日に訪れた。契月は小野竹喬と同じく京都で活躍した日本画家で、竹喬より10歳年長、去年生誕130年を迎えたが、竹喬に比べると人気が劣るようで、今回は百貨店の狭い会場だ。竹喬より人気がない理由は、竹喬とは全く反対に人物画ばかりを描いたからでもあるし、また鏑木清方のように東京の画家ではないからだ。明治維新以降、美術の中心は東京に移り、京都の画家は過小評価気味となった。また、風景画は飾りやすいのでよく売れるが、人物画はさっぱり売れず、それもあって契月はかなり損をしている。だが筆者の好みを言えば、契月は竹喬よりはるかに偉大と思う。筆者が最初に契月の作品をまとめて見たのは、手元の図録から1982年8月13日であることがわかる。それからほとんど30年経ったが、契月の代表作は京都市美術館に保存されていることから、時々それらを見る機会がある。そしてそんな時、筆者はいつもほれぼれとし、また契月のような人物画を描いた才能が他に見つからないことを思う。そう言えば、女性を描いた関西の日本画家としてもうひとり北野恒富がいるが、どちらかを選べとなると契月に軍配を上げる。だが、筆者は契月のあらゆる時代の作品が満遍なく好きではなく、昭和1桁時代の作にほとんど限られる。年齢で言えば50代前半だ。契月は65で亡くなったが、それを予期してか、50代前半が最も充実した、契月らしい、代表作と呼んでよい作品を次々と描いた。それらの作品は現在が無理なら、100年、いや50年後には全部まとめて重文にすべきと本気で思う。
●『生誕130年記念 菊池契月展』_d0053294_1324171.jpg 契月は大正11年1月から1年間ヨーロッパを訪れた。43歳のことで、入江波光が同行した。竹喬は前年に麥僊らと訪れている。京都のそうした日本画家は洋行後、それぞれ新しい画風を模索し始めるが、契月はヨーロッパの古い人物画の模写などを通じ、新しい日本の人物画を描くことを自らに課す。82年展にも出品されたが、今回も最後の部屋にフィレンツエなどで模写した聖母や天使像などが10点ほど並んだ。それらはルドンの色彩を思わせるパステル画で、どれもスケッチブックでの縮小模写だが、ジョットやフラ・アンジェリコらしき作品が中心で、そうした中世末期からルネサンス初期の宗教画に魅せられたところが、その後の契月の女性を描く人物画に大きく影響するところが面白い。契月はそうした西洋の宗教画の模写を通して何を学んだかだが、色や形ではなく、その高い精神性だ。現在の創画展にはピエロ・デラ・フランチェスカの壁画の模写を毎回出品する画家がいるが、よく写しているとは思うものの、それはほとんど創造とは呼べない。ピエロ・デラ・フランチェスカの壁画をいくら好きだからといっても、それをそのまま同じように描くことがそれほど楽しいことで、また意味があるだろうか。そこにはピエロ・デラ・フランチェスカの残骸があるだけで、精神性において匹敵するものを描くという気概は何ら伺えない。その点、契月は現地で多少模写しただけで早々とその特質を把握し、またそれをそのまま模倣しても日本独自の、自分の創造としての作品が出来ないことを知った。だが、たとえばジョットの壁画に見られる背景のラピス・ラズリの青は、それだけできわめて美しい色彩で、その魅力に囚われると容易にそこから抜け出せないほどの魔力がある。日本画も同じように顔料を使うので、契月は帰国後早速その青色を同じように背景に大きく用いた。大正13年(1924)の「立女」だ。これはふたりの天平時代の美人を描く畳2枚ほどの作で、正倉院の「鳥毛立女屏風」の女性をジョットの壁画の青地に貼りつけたような静謐な空気が支配する。今回顔を接するほどに間近で観察出来たが、ごく目が細かい絹地にまず全面に青を刷き、画面下半分はそのうえに金泥を重ね、そうして出来た下地にふたりの女性を描いて、女性の背後に地の青がうすく透けている。これは女性の体躯を避けて背景の青をきれいに刷くことが出来なかったからだろう。また、青地が透き見える人物像は、その分背景に溶け込み、そのことが女性の奥床しさや神聖さを表現しているように思えるが、悪く言えば影のようで、陰気臭い。おそらく契月はそのことを感じたのだろう。その後は同じような方法では描かなくなるし、またジョットを思わせる青地も使用しない。つまり、イタリア絵画の表面立った影響はこの1作で早くも終わった。それは契月の意思の強さと独創性をよく示す。
 イタリアで名画をさんざん見た後、契月は日本画にどのような方法が残されているかを考え、間もなくやまと絵に着目したのは竹喬と同じと言ってよく、結局昔の日本画にあったものを再発見しつつ、そこから新しいものを目指すという方法であった。だが、ジョットなどの宗教画を見たことが無駄であったのではなく、それらを見ることなしに後の契月の画風はなかった。「立女」には日本にも中世やルネサンスに劣らず古い絵画があるという自負が見えるが、そこに描かれる女性の表情は、早くも後の線主体の人物像と同じ気分を持っている。悪く言えば陰気なそれは、しとやか、無口、引込み思案、憂い、病的、短命などなど、快活とは正反対の消極的な言葉を次々と連想するが、美人薄命という言葉を思い出せばよい。この世のものとは思えないほどの美ははかなく、消えやすいものなのだ。そのことを契月はよく知り、そのかすかなものを描こうとした。筆者が竹喬より契月を持ち上げるのは、その描線の鋭さと潔癖さだが、竹喬の筆致は近くで見るとごく雑と言ってよい場合がとても目立つのに対し、契月の線は虫眼鏡で拡大して見てもすみずみにまで全神経がこもっている。そうした線を引く時、契月の家族は物音ひとつ立てることが許されなかったというが、それはそうだろう。それほどに張り詰めた線で、筆者はそれを82年展で見てたちまち契月を偉大な画家と思うようになった。だが、線の美しさだけではなく、色彩もまたどれほど熟考のもとに選ばれ、ていねいにムラなく塗られていることか。小さな針のような塵までも許さない仕上がりで、日本画という脆弱な素材を思うと、契月の作品が1000年後にどのような無残な状態を晒すかが心配だ。契月の線は、あるいは漫画家によるペン先からも生まれると言う人があるかもしれない。実際契月の洋行後の、線を主体にし、その間に色を埋めた作品から漫画を思う人は少なくないだろう。だが、筆者に言わせれば、精神性の高さが比べものにならない。漫画にも精神性が込められていると反論する人があるだろうが、そういう人は契月の作品を目を5センチ離した距離からつぶさに観察し、そして1メートル引いて全体から立ちのぼる空気を感じるのがよい。そこには漫然さは微塵もない。であるからこそ、現代の漫画時代は契月の作品を理解しない、あるいはわかっても評価しない、あるいは評価しても好まない人は多いと思える。つまり、契月の作品はあまりにも清潔で神経が張り詰めているため、見ていて辛いという感情だ。それは宗教絵画の特徴でもあるが、西洋の宗教画を模写した契月は、宗教画を描きたいというのではなく、宗教画のような清純無垢な精神をたたえた絵を描きたいと思ったのだ。そうした絵画が漫画と表向き似るところがあっても、内容は正反対のものになる。漫画は商業を前提にした、つまり大多数の人に歓迎されることを狙うが、契月は自作を理解する人が少なかろうが、そんなことは少しもたいしたことではないと思ったろう。わかる人がわずかでもいればいいのであって、そうした人が契月の名声を支え続ける。
 契月は西洋絵画を見てかなりショックを受けながら、どの国、どの時代でも本当の絵は大差ないと思ったであろう。線を選んだのは、西洋の絵にはない特質と考えたからだが、確かに仏画や契月の線主体の作品は西洋にない伝統だ。だが、契月は見なかったかもしれないが、ギリシア時代の壷絵には線画があって、それらは工芸画に思われるかもしれないが、肉体の構造を熟知したうえで、しかも的確かつ流麗な線で表現した人物画として、また中世やルネサンスの宗教画の一種の陰鬱さを持たない明朗な絵画で、契月がそうした赤絵や黒絵の壷をたくさん見たならばどう影響を受けたかと思う。
●『生誕130年記念 菊池契月展』_d0053294_0364370.jpg 以下に契月の作品を見て行くが、初期作については触れず、先に書いたように50代前半の作品のみを概観する。今回は82年展より出品作はかなり少なかったが、展示替があったか、あるいは京都展は会場の狭さから作品を絞ったのだろう。長野からの巡回展だと思うが、82年展には並ばなかった作品もぽつぽつあって、図録は買わなかったが、82年展より充実していたろう。契月は長野出身で、「細野」という姓だが、17で京都に出て、18で菊池芳文の弟子になり、27でその長女と結婚し、菊池家に入った。「菊池契月」にはKが姓名ともにあって、それがいかにも潔癖な画風によく似合っている。これが細野契月ではもっと別な画風になったと思える。さて、まず大正15年(1926)の作に「赤童子」がある。不動明王の脇児で、等身大より少し大きい赤い童子を描いた作で、今回は出品されなかったが、京都市立美術館では数年前に展示され、その迫力に改めて驚き、今もその記憶が鮮明にある。絵具の美しさと童子の表情や形態が見事に一致し、新しい宗教画、そして新しい日本画が出現している。契月は赤い顔料を好んだようで、それを平面的に均質に塗るが、それらの赤が作品ごとにみな違うため、一点ずつが違って、しかもどれも完成度が実に高く見える。「立女」もそうだが、「赤童子」も二度と同じようなものを描かなかった。また、宗教画に描かれる人物は性別を越えたたたずまいがあるが、契月の人物画はみなそれに通ずる。「赤童子」がそうであるのは当然としても、同年に描かれた「経正」に大きく描かれる座った武将も、男らしさを感じさせず、平家の物語の悲劇性のみを伝える。「赤童子」も「経正」も完璧という言葉がふさわしい作品だが、その後も契月は完璧そのものの作品を次々と描く。昭和2年(1927)の「敦盛」は同じく平家の人物を描くが、男子がほとんど女子に見え、また白描風である点が従来にない新しい手法で、これ以上高い気品の作は同時代の日本画にはほとんど見当たらない。そして、このような悲しい物語に題材を得るところは、ジョットの描く聖母が悲しみを内面に秘めていることの影響とも考えられるが、契月自身がそうした人間の哀れさをよく知っていたからであろう。「立女」「赤童子」「経正」「敦盛」はみな人物画とはいえ、昔の人物を描いたもので、契月が次に考えたのは同時代の人物だ。昭和3年(1928)の「南波照間(はいはてろま)」も今回出品されなかったが、沖縄に旅して同地の女性ふたりを描いた大作で、切手にもなっているほどよく知られる。この作品の傾向も1点限りで、しかも「敦盛」的な気品を保ちながら、ふたりの女性がかもし出す慎ましやかで不思議な気配は、一度覚えれば忘れられない。また、この作品で契月が力を入れたのは人物だけではなく、背後の景色だ。それは「経正」で描かれた、いかにもやまと絵からの引用というレベルを越えて、写生を元にし、しかも色彩的に人物と見事に調和している。ルネサンス絵画から近代の西洋絵画を見据えた作と言ってよく、しかも幻想性豊かで、契月の代表作としてよい。
●『生誕130年記念 菊池契月展』_d0053294_0371854.jpg 切りがないので、今回筆者が改めて感激した作品について書く。昭和6年(1931)の「朱唇」だ。ここにはひとりの若い女性が描かれている。その笑顔は5年後の対作品「吉法師・竹千代」の「竹千代」すなわち少年の織田信長とは姉弟のように似ているが、「朱唇」から「竹千代」を導いたのではなく、おそらく実在の人物にいろいろと出会う中で、契月の中に理想の若い女性や、また信長への思い入れから、好みの表情や顔形を見定めたのだろう。それはある特定のモデルの写生を通じた作かもしれず、またいくつかの顔の合成かもしれないが、どちらも漫画的な単純な線描でありながら、立ちのぼる香りの何と気高いことか。「朱唇」の女性は唇を赤く塗るので女性とわかるが、「敦盛」以上に顔がふっくらとして男っぽいと言ってよい。にもかかわらず、やはり若い健康な女性で、その体温が伝わり、声まで聞こえて来そうだ。この女性の眼前にはきっと男性が座っているに違いない。構図がこれ以上のものが考えられないほどに完全だが、色彩も同じように見事で、鷹の羽模様の小袖の黄土色、花菱と白い桜模様の裳は、黄土色や背景の白茶に実によく釣り合っている。技術的に一点の迷いも欠点もなく、また精神性においてもこのような清新な女性を描いた作が他にあるだろうか。契月の代表作、また昭和前期の代表的な人物画として、将来国宝に指定されるべきと思う。「朱唇」に描かれるような女性は現代にもいると思えるが、桃山時代の着衣としたことから、契月は昭和初期にもそのような女性がすでに稀であったことを知っていたと思える。その一方、契月と同時代の女性を描いた作が昭和7年(1932)の「少女」だ。これはまさに昭和初期にいたと思わせるに足る清楚な女性で、現在の美人の基準には合わないだろうが、筆者はここに描かれる女性を見ながら契月の思う理想の女性を考えてしまう。この絵を描いた時、契月は53歳であったから、「少女」の少女が契月の理想的女性というのは不自然な話だが、それでも女の性を秘めながら、それをどこかで越えている女性というものを追い求めた結果、こうした作品を描くことになったと思える。「女の性を秘めつつ性を越えている」というのはなかなか理解されにくいかもしれないが、『モナ・リザ』を思えばよい。また、昭和9年(1934)の「早苗」と題する作品がある。今回この作品は同じ構図ながら、やや異なる2点が並べて展示されたが、どちらも横顔の、しかも優しそうで賢そうで、しかも色気が漂う中年女性の立ち姿を描き、その表情は年齢的にはこの作品を描いた契月に釣合いながら、やはり「女の性を秘めつつ性を越えている」と言ってよい。筆者はこの絵に描かれる女性とどこか緊張しながら話が出来ればきっと楽しいだろう、そしてそれ以上は望まないといった感情を抱くが、それは「朱唇」の女性も同じだ。筆者の理想的な女性もきっとそんな女性かもしれない。つまり、筆者の理想は絵の中にしか存在しない。今回チケットに印刷された昭和8年(1933)の「友禅の少女」は、契月が友禅染の美しさをよく知り、またそれを絵画に最大限に適用出来るカラリストとしての才能を持っていたことを伝える。昭和9年(1934)の「散策」に描かれる女性もまた契月的な美人で、どこかに憂いを漂わせる。こうした人物画ばかりを描いて契月は収入がどうであったのかと、そんなことをつい考えてしまうが、そんなことはどうでもよく、美しい女性を描く数々の名作を残したことだけが重要なのだ。
by uuuzen | 2010-01-17 00:37 | ●展覧会SOON評SO ON
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