邦題をどう訳すか難しいアルバムだ。マイクの第2作目で、ビートルズの『リヴォルヴァー』がそうであるように、アルバムの収録曲中にアルバムの題名が出て来ない。
この題名と、アルバム・ジャケットに写る赤い糸で結ばれた古ぼけた鋏にどういう関係があるのかわからないが、前作『HAT.』と同様、地味なデザインのジャケットによって、どういう音楽かわかりにくく、かなり損をしている。赤い糸が結ばれる鋏はブックレット内部にも写るが、それはジャケットに写るものと違って新品だ。そして鋏の下に短い髪の毛が散乱しているように見えるが、これは散髪屋が使う鋏で、マイクの父ジョセフ・パトリックがかつて散髪屋をしていたのかとの想像も働く。ブックレットの裏面にはその父の生没年が記され、本アルバムが、1994年7月3日に72歳で1日足りずに亡くなったばかりの父に捧げられたことがわかる。『HAT.』以降、マイクにとってもうひとつの大きな出来事はザッパの死で、本作でもマイクは最後の曲をザッパに捧げている。ブックレット裏側には2枚の写真がある。1枚は元気だった頃の笑顔の父で、もう1枚は父のそばに小さなマイクがいて、その隣に5、6歳のマイクと、マイクと揃えの赤いブレザーを着た兄マーティが写る。「赤い糸で結ばれた縁」とよく言うが、それはアメリカでも同じなのだろうか。英語の「糸(thread)」には人間の寿命の意味もあるから、本作はザッパや父の死、あるいはマイクに生まれた女の子のジェシに関係していると考えるのが妥当だろう。つまり、生と死を同時に見ることになった時期の作品で、その点で前作よりも深刻な雰囲気に満ちると言える。アルバム・タイトルは直訳すると「その埃のひとつを蒸せ」となるが、これでは意味がわからない。そこで「boil」を「おでき」との意味と考え、「埃のような小さな吹き出物」、つまり「小さなできもの」と訳すのがいい。そしてそれが何を象徴するかだが、本アルバムそのものか、収録される30曲のひとつずつを指していると考えるのもよいし、日常のちょっとした出来事か、あるいはマイクに出来た本物の吹き出物かもしれない。
『TAR TAPES』の5本のカセットから感じることだが、マイクはアマチュア性を強く感じさせる。技術的に劣るという意味ではなく、華麗な芸能界には無縁と言ってよいからだが、自分が好きなことを好きなようにしているという点で偉大なアマチュア、つまり悪く言えば自己満足、よく言えば芸術家だ。売れようが売れまいが、自分の感じたことをすべて作曲と演奏に捧げる。そのアマチュアの精神が、たまたま誰か強力なマネージャーに見出されて一気に売れることがあると、いわゆるプロという言葉がふさわしい状態になるが、マイクはその意味でのプロではなく、また使い捨てされてすぐに忘れ去られるという悪い意味でのプロではない。マイクのアマチュア的なところは、『HAT.』や『TAR TAPES』、そして本作のジャケットを見ればよくわかるように、どうもセンスがあまりよくないところからも言える。その私小説的な趣は中に詰め込まれている音楽にも当てはまるが、そこには流行の音楽に擦り寄るという態度はなく、いわゆるプロの音楽家たちの作品をやや離れた位置からつぶさに分析し、それらの語法を巧みに改変応用して自分の言いたいことを発するという立場だ。そのため、マイクの音楽は新しい流行を率先して生み出すものではなく、マイクと同じように私小説的に作曲演奏を試みようとする若い音楽家たちにより歓迎されるだろう。スタジオにこもって凝った録音をすることと、ライヴ活動を途絶えさせないマイクの方向性は、いわば音楽作りをする者たちにとって最適な鑑と思えるが、そうした若者はビッグになる、つまり正真正銘のプロになることを第一の目的にするのであれば、とてもマイクの音楽に歯が立たないであろう。その意味において、マイクは表現者としてザッパ的であり、どうにか食べて行けるのであれば、自分の好きな音楽をやり続けることをのみ望んでいるように見える。だが、ザッパがそうであったように、ひょんなことで曲が大ヒットして有名になる可能性がなきにしもあらずで、その夢もまた忘れてはいないことは、マイクが歌うポップス調の曲がよく示している。そして、そのことにマイクの音楽を聴いていると、「売れないポップス」のわびしさを感じてしまうのも事実だ。だが、万人が同じようなヒット曲を聴いて満足する時代ではないし、マイ・ブーム、マイ・ミュージックとしてマイクの音楽を絶賛する思いは充分に理解出来る。
本アルバムにはとても細かい字で歌詞とともにマイク自身による曲の解説が載るが、マイクの歌からわかるように、マイクはとても多弁で、そのことがマイクの生活や活動についてふんだんな情報を与えてくれる。このほかにマイクは自分のホームページで本アルバムを含めて今までの録音について多く書いているので、資料不足に困ることはなく、後はCDを繰り返し聴けばよい。本作の収録時間は約75分で、まだ収録すべき曲の余裕があったことをうかがわせる。前作は『TAR TAPES』からの再録が少々含まれたが、それは今回も同じで、15「My Dilenma」、24「There Have Been Bad Moments」がそうだ。前者の15は、ドラムスをジョー・トラヴァースが担当しているが、ジョーはゲイル・ザッパの片腕となってザッパが遺した録音をCD化する役割を負うと同時に今はドゥイージルのZPZのドラマーとなっている。この曲に関してブックレットには「ファンカデリック 1972、汗抜き」という言葉が見られる。ザッパもジョージ・クリントン率いるパーラメントやファンカデリックの音楽からギター・リフを模倣した曲も書いたが、マイクの場合はザッパのバンドとは違って黒人メンバーがいない分、「汗抜き」となるのもより当然だが、マイクの狙いはファンクをファンクらしく演奏するのではなく、ファンカデリックのギタリストの発した音色や癖を模倣し、それを自作に味つけにちょっと使用するという感覚だ。そうした手法として、マイクでないとわからない小さなものがたくさんあるはずだが、ザッパ経由で改めて知った曲、あるいは直接ザッパの音楽から取り入れたものが目立つと思える。後者の24は、題名がいかにもこのアルバムの発売時期にふさわしく、まるで本作に収録されるために以前に作曲しておいたようなところがある。それもまた赤い糸の縁であるかもしれない。
前作のアルバムでもそうであったが、どのようにして録音したかを明示しておきたいところがマイクにあって、その点もミュージシャンを目指す人向きのアルバムと言えるが、1「Sooth」にもそうした説明がある。マイクは家で8トラックにキーボード・パートを録音し、それを持参して2時間後にスタジオに行くと、ドラムスのトス・パノスと、タブラ奏者のサトナム・ラムゴトラのふたりがジャミング録音した音源がちょうど同じ長さで、マイクはその赤い糸的な偶然の一致に驚いた。そしてその録音をキーボード・パートと合成して曲を作った。「Sooth」は「慰撫」の意味で、歌詞は詩的かつ超現実的、歌い方はフォーク調で優しい。夢についての曲を書くマイクであるので、別段不思議ではない歌詞だが、タブラの音や歌詞に「Arcana」が出て来るところは、60年代のヒッピー文化の名残や、また東洋の神秘主義に興味があることを感じさせる。2「’Cause of Breakfast」は一転してずっしりとしたロック・サウンドが鳴り響く。マイクの解説によると、曲名はマイクが4歳頃、「どうして?」と訊ねられるたびに、返答に困って「朝御飯のためだから」と言っていたことに由来する。マイクの父がその言葉を覚えてくれていたというが、マイクが両親を敬愛することはブックレットの記述の最後に書かれており、そのことはマイクの音楽性を知るうえで大切だ。マイクが愛情豊かに素直に育ったことはその音楽によく表われているはずで、その点はザッパと通ずるものがあるだろう。ジョン・レノンのように、幼少時に愛情が不足した状態で育って表現者になった場合、ひりひりした情感、そして時としてそれは強力な真実味となって作品にこもる場合が少なくないが、マイクの場合は幸か不幸がそれとは異なる。つまり、ジョン・レノンよりもポール・マッカートニーに近い音楽性で、サンディエゴ住まいという温暖な土地柄もあって、マイクの音楽は総体的に明るい。そして本作は身近な人物の死と誕生が交差して、いささか感情が高ぶっているところがあるが、歌で叫ぶにしても、その基底には肯定の思いがあって、後悔の苦みは感じられない。
3「The Desire Effect」はフォーク調で印象深いが、筆者はジェスロ・タルのアコースティク曲「Dun Ringill」を思い出す。だが、歌詞は全く違って、この曲はラヴ・ソングだ。5は8秒の曲、8、9も20秒、30秒と短く、それらの前後の別パートかと思わせられ、続けて聴いていると曲の区切りがほとんどわからないが、こうした気分転換用の断片曲を挿入するのもザッパによく見られる。10「Good Mornig,Sometime」はビートルズの曲を思い出させるが、2分足らずと短く、最後の音の絞りが雑だ。11から13の3曲は、12「百万年前の1988年」を挟んで全体を「ドルフィン」とひとまとめに名づけてよいが、ほとんどザッパの70年代半ばのインストゥルメンタル曲や80年代後半のシンクラヴィア曲と同じ雰囲気を持つ。それを自覚しながらあえてこうした曲を書いたものだろうか。14「Bullys」は3人で演奏したとは思えないハードなギター・ソロ曲で、6分近い長さがある。本アルバムでは唯一のギター・ソロ曲だが、ザッパの演奏を思わせ、またソロが終わって最後の1分ほどはがらりと音が静まって、やはりザッパのシンクラヴィア曲に似た密やかな雰囲気のメロディが流れる。さて、本作を繰り返し聴いていると、ちょうど14までが記憶に残りやすく、そして最後のザッパに捧げた打楽器曲の3曲でまた耳をそば立てることになる。それらを除く15から27のうち、ザッパを想起させる曲は、1分少々の16「Helen Was Brash」の中間部に厳かに登場するアルペジオで、ギター・ソロ曲「Deathless Horsie」を思い出させる。それを前後で挟む素早いリズムとマイクの押し殺した声の短い歌が1曲の中で同居する様子は、とても目まぐるしく、また意外性があり、マイクの音楽のひとつの本質がよく出ている。17「Weekend」はハードなギター・サンウドにマイクの歌が乗り、メロディはニルソンの曲に似たものがあった。その意味でこの曲はジョン・レノンが歌ってもさまになるだろう。
19「Blameless」は題名から想像されるように、1に通ずる優しい感じの曲だ。20「That Claim-Jumping Swine,O’Bannon」、21「Faithful Axe」は合計で2分半ほどだが、前者は16の一部を挿入したインストゥルメンタルのコラージュ、後者はビーフハートの音楽をもっと派手にした感じでマイクの歌声は本アルバム中、最も唐突で異物的に聞こえる。22「Natty Trousers」は19に似るが、最後にまた16の短い挿入があって、こうしたメロディの断片の回帰はザッパによく見られるが、ビートルズの『アビー・ロード』B面の手法も思わせる。23「Scotch」は「自分にとっての悪い噂を消し去れ」と歌う、17タイプのハードなギターとヴォーカル曲で4分ほど、24は23に似るがやや単調で、また5分ほどある。25「Fang,Tang,The Valentine Bear」はマイクのふたりの子どもヴィヴとジェシについての愛らしい器楽曲で、自宅で録音された。スティーヴ・ヴァイにも同じような家庭的な曲があった。家族を支える、また支えられるという思いが音楽活動の大きな原動力で、そうした家庭思いは音楽性の基本的な部分に大きく影響するだろう。26「I Will」はビートルズに同名曲があるが、こちらはアコースティック・ギター片手に40秒ほど歌うもので、また「23 Vocals」とあるのは、マイクが自分の声を23回重ねて録音したことを示し、多重録音好みが極まっている。27「In The Bone World」はその題名が示すように、前半は各楽器のパートを部分的に聞かせ、後半は、11から13の「ドルフィン」に似る。さて、最後の3曲「The Old Boat Guy」は全部で7分半の長さだが、ザッパの『チャンガの復讐』に収録される打楽器曲の「ザ・クラップ」の拡大版を思えばよい。古いボートに乗ってザッパが去って行った夢を見たのだろうか。「光るロイ」とともに、マイクの幻想的な想念をよく示す曲だ。最後に娘ジェシへの思いを歌うかなり気が張り詰めたような様子のマイクによる無伴奏の歌が入るが、これも自宅録音だろう。ザッパや父が死んだが、マイクには妻やふたりの子がいる。悲しみと守るべきものを同時に思うマイクの心情がストレートに伝わるような曲だ。CDケースは透明で、底にはマイクの妻の胎盤内画像が印刷されているのが見えるが、生まれる前のジェシだろうか。本作は『HAT.』よりも全体に重厚で、より奇妙と言われているようだが、ザッパを聴き慣れた人にはさほどでもない。1曲ずつ区切って聴くと構成がよくわかり、きわめて馴染みやすいのではないだろうか。さて、マイクのアルバムについての感想、次は2枚組のアルバム『Half Alive in Hollywood』を取り上げるが、いつになるかはわからない。
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●2003年3月26日(水)津和野、萩、秋吉台へ一泊旅行のため休み●2003年3月27日(木)深夜 その1切り絵を今作り終わったばかりだ。今度は成功した。絵をかなり変更し、台紙用色紙は昨日津和野で買った和紙を使用した。1200円したので買うのをためらったが、25色入っていて、その中の1枚が気に入って買った。その1枚を台紙にすればいい効果が出ると判断したのだ。さて、津和野と萩を一泊二日で駆け足で観光して来た。おとといは睡眠3時間で6時に起き、急いで服装を整えて、妻と一緒に梅田の集合場所まで行った。みんな集まっていて、最後の到着であった。今回の旅行は2週間ほど前に決めた。予約がいっぱいで諦めていたが、旅行会社からキャンセル客を伝える電話があり、数日前に急に行くことができるようになった。40名ほどの定員で、バス1台がほとんど毎日のように春の間、同じ場所を訪れる。そんな団体旅行であるので、価格も旅館やバス会社と協力してぎりぎり安い限界までに設定されている。他社との競争原理も働くからだ。出発日によって3000円ほどの差があるが、ちょうど今の時期は天候が不安定でもあり、また桜の季節にはやや早いので、ひとり15000円ほどで済んだ。格安であちこち連れて行ってくれるのはいいが、強行軍が予想された。行く直前になって図書館でガイドブックを借りて来た。バスに乗ってようやくその本を開くと、訪れる先は山口県のあちこちを点在していることがよくわかった。電車を使用して自分で訪れると3日でも回れないかもしれない。さて、筆者が小学生6年生だった頃、国定公園シリーズ切手の発売が数年前に始まっていた。国立公園切手はモノクロ印刷なのに、格が落ちるはずの国定公園切手がカラー印刷であったのが不思議であったが、近所の本屋でそうした近年発売の記念切手が未使用状態で1枚円20円ほど、つまり額面の倍の価格程度で1枚ずつ透明な小さな袋に入って売られていた。大きな台紙に20枚ほどホッチキスで止めてあって、ほしいものをひとつずつもぎり取って買うのだが、当時は切手収集ブームで、発売されて間もないものが倍の価格でもよく売れたのだ。まだ発売日に郵便局で並んで切手を買うことを知らない時は、たまにそうして切手を買った。こんな話はどうでもいいが、その国定公園切手の最初の発売が『秋吉台』の2種の10円切手であった。今、立ち上がって切手カタログを見たが、この切手の発売は1959年3月だ。筆者が7歳半の頃だ。2枚の切手は「カルスト高原」と「秋芳洞」で、現在の切手商の販売価格は250円と450円だ。国定公園切手では最も値打ちがある。とはいえ今やチケット・ショップでこうした記念切手が額面で販売されている。もうとっくに切手収集ブームは過ぎて、値打ちが上がると思っていた記念切手がむしろ価値が下がって、ほとんど誰も振り向かない。昔はその10円切手で封書が送れたのに、今やその8倍になっているから、大事に保存しておいた記念切手を使い切ってしまうおうと思っても、かなり損をした気分になる。筆者は値打ちが上がるから収集した(今もしている)のではなく、図案が楽しいから集め始めたが、「カルスト高原」と「秋芳洞」の図案も脳裏に焼きついていて、いつかこの絵の場所に行ってみたいと思い続けて40年経った。その後、日本は高速道路が出来てバス・ツアーも格安になった。そのおかげで誰もがたいしたお金を支払わずに「カルスト高原」と「秋芳洞」の現物を見たその日に帰宅できるようになった。今日の昼下がりにカルスト高原で写真を撮り、その後すぐに秋芳洞に入って写生などをしたことがもうすでに思い出となっているが、手元の切手カタログを開いて「カルスト高原」と「秋芳洞」の2種の切手を見つめながらこれを書いていると、12歳の頃の自分が見た記憶が混じって奇妙な感じだ。そうだ。言いたかったことは切手の図案がずっと心にあって、その図案の場所に行ってみたかったので、いくつか用意されていたバス・ツアー・コースから津和野と萩を巡るものを選んだのだ。妻は20歳の時に津和野や萩を訪れていて、カルスト高原や秋芳洞にも行っている。それでも30年近く経っているので、今日の秋芳洞はかなり様子が違っていたそうだ。添乗員に訊ねると、鐘乳洞内部を新たにトンネルを掘って、見学できる箇所を拡張したとのことであった。訪れる人もぐんと増えたであろうし、そうなるともっと観光客が来てほしいから、さらに見るべきものを増やし、しかも便利なようにあちこちを整えることになる。鄙びた雰囲気がそうして失われるが、たいした産業がなく、人口減少の一途を辿る運命にあるそうした地方都市は観光資源を開発して税収アップを図るほかはない。