娯楽映画として申し分のないの作品で、正月に見るのにふさわしかった。
息子が極度のアトピーで、全身肌が荒れてあまりの痛さに会社を休むことがある。年末は仕事が終わってすぐに帰って来るかと思っていると、痛みがひどくて部屋で寝ていると言う。正月休みくらいは帰省すべきであろうし、何度も電話してようやく31日に帰って来た。帰宅しても息子の部屋は筆者の本などで占領され、寝る隙間を確保するのがやっとで、そういう事情を知っている息子はなおさら帰りたくないらしい。結局4日間だけいたが、食事と睡眠がたっぷりであったせいか、肌の荒れは見た目にはかなりましな状態になって帰った。だが、それも今は元のひどい状態に戻っているだろう。息子が帰省しても家族3人で出かける場所と言えば、母の家と家内の実家程度だが、いつもは息子の車で行くところを電車で行くことにし、また家内の実家に息子は行かず、ずっと寝ていた。どうせそんなことになるだろうと思って、12月初め頃から筆者は3人で祇園会館で正月に映画を見るつもりでいた。TVでも盛んに宣伝していたジョン・ウー監督の中国映画『レッドクリフ』で、それを言うと、息子は珍しく納得してついて来た。それは3日のことだ。八坂神社でお参りをした後、神社斜め前の映画館に直行した。元日の昼には近くの松尾神社に参ったが、大変な人出で、みんな遠方に行かずに地元で参拝を済まそうという不況の表われに思えた。八坂も同じく押すな押すなの人出であったが、息子におみくじを引かせると「吉」で、これは去年と同じ、それでいいのだとまずは安心した。正月早々2番館で去年の映画を1年遅れで見るというのは、全くしけた話だが、どこにも行かないよりましか。祇園会館で上映する映画の3分の2は暇があっても見たくないが、3分の1の半分は時間を作って見たいと思う。『レッドクリフ』はそれほどでもなかったが、パート1と2を連続して上映してくれる点が見る気にさせた。今ではDVDをレンタルして見ることが出来るが、筆者の家のTVは全くの時代遅れの小型で迫力に欠けるし、またレンタルは面倒くさい。映画館で見た方が迫力があって感動も大きい。それに、内容をよくは知らないが、『レッドクリフ』はどこかコンピュータ・ゲームの映画化のようなところを感じ、息子も退屈しないだろうと思った。息子は面白くなければ寝ると言っていたが、逆に身を乗り出して全編を食い入るように見ていた。ひとまずは究極のアンキンタンによる思い出が出来た。筆者はと言えば、去年神戸の長田に実物大の鉄人28号を見に行った時、横山光輝の『三国志』を知らないゆえに、商店街のあちこちに建てられていた石像などにさっぱり興味が持てなかったので、『三国志』のちょっとした突破口になるかという思いがあった。そして結果的にそれは的中し、横山の『三国志』、もしくはその原作の『三国志演義』を読もうかという気になっている。だが、前者は60冊で、ネット・オークションで見ると8000円以上はしているし、後者にしても岩波文庫で10冊もあるから、簡単に読破は出来ない。気長に機会を待つとして、まず『レッドクリフ』の感想を書こう。
まず、題名が英語であるのは欧米市場を意識したためだが、日本でその片仮名表記が使われたのは若者に多く見てもらいたい思いからだろう。大ヒットするものはすべて10代から20代の若者を相手にする必要がある。これを中国の原題の『赤壁』とやると、日本ではおそらくその言葉を知る人は少ないはずで、またそうした人はこの映画を見るだろうか。ここはあえて『レッドクリフ』として、中国映画であることを暗にぼかした方が得策と考えたのではないだろうか。それは日本に中国を敵視するムードが一部にしろ強くあり、それを和らげるし、片仮名表記であればアメリカがどこかに加担して出来た映画かという気分にもさせる。それで思い出すのは、5、6年前に祇園会館で見た中国映画『HERO』だ。この映画は特撮をふんだんに使ったもので、筆者はさっぱり面白くなかったが、それは英語の題名であることも一因であった気がする。莫大な資金を要して作った映画は必ず大ヒットさせて資金を回収しなければならないという宿命があるため、どうしても中国だけではなく、日本や欧米からも賛辞を得る必要があるが、それが観衆への迎合となって内容が希薄なものになり得る危険性を常に強く孕む。中国映画の歴史にさほど詳しくないが、80年代半ば以降にチャン・イーモウ監督の『紅いコーリャン』や『菊豆』『紅夢』はよく記憶しているし、また録画したビデオには『芙蓉鎮』が手元にある。こうした作品は中国の近代を描き、またタイトルが漢字で、大ヒットはしたものの、若者相手の娯楽と呼べない作品であった。その延長上に、時代の要請と監督の挑戦もあって『HERO』が作られたのだろうが、80年代の中国映画の方がよいと思うのは、それだけ古い人間になっていることを示すだろう。あるいは、中国という国が大きく変わったかだ。そのどちらも正しいが、ここでは後者に注目したい。日本が「失われた10年」と言われる経済停滞した90年代に中国は躍進を開始し、今ではアメリカが中国なしではやって行けないようになっているし、その傾向はまだまだ進む傾向にある。そういう中国の躍進ぶりをよく示すのは北京オリンピックや上海の万博だが、その一方に『レッドクリフ』のような大型資本を投下した映画がある。今回はそれをよく感じた。この映画が『三国志』の一部を脚本にしていることは宣伝効果もあって日本ではほとんど誰でも知るし、またその背景には横山光輝の『三国志』や何人かの小説家による翻案作もあって、『三国志』という言葉からある一定のイメージを連想出来る下地がある。それは韓国も同じだろうが、欧米ではそこまで『三国志』はおそらく知られない。そのため、古い史実に基づきながら細部を面白く付加改変して明時代に書かれた『三国志演義』をネタに娯楽大作の映画を構成する時、監督はそれに忠実であるよりも、欧米人が見ても文句なしに楽しめる筋立てを考えたはずだ。筆者は『三国志演義』を読んでいなし、また横山の『三国志』も知らないが、それでもこの映画を楽しむには何の不つごうもなく、また映画が『三国志演義』とはかなり違うものであることはよくわかった。そのためにも『レッドクリフ』という題名であり、『三国志』とは言っていないのかもしれないが、『三国志』をよく知っている人々にも納得させるだけのものを残しておく必要があるから、この映画は今までに発表されたあらゆる『三国志』を調査し、そのうえさらに中国の映画史、あるいは世界の映画史から見ても何か特筆すべきものを付加しようという態度を持って、必ず映画館に足を運んだ人を感動させるだけのものを作ろうという綿密な計算を通じて撮ったものだ。
そうした立場を取る時に誰しも連想するのはハリウッド映画だ。そこで用いられている先端の技術をすべて動員し、なおかつ国際的に大きく売るには人気俳優の起用は欠かせないから、日本の有名俳優も使おうということになった。韓国の俳優を起用する考えもあったようだが、それを実施していればさらに話題になったかもしれないが、そのようにアジアの国境を取り去って映画を作るような時代になっているところが面白い。それが中国のしたたかな策略と言えばそれまでだが、ここは才能のある者は国境を問わずに大きなプロジェクトに起用される時代が来ていると読む方が楽しい。また、中国や韓国は映画作りでは日本より歴史が浅く、あらゆる面で日本をまだ手本にする必要があると見ることも出来る。だがこれは過去の話だろう。一昨日、京都文化博物館の映像ホールで見た『映画のふるさと』という1975年制作の京都の映画産業の歴史を紹介した47分のドキュメンタリーでは、西陣や清水焼という伝統産業しかない京都にどうにかして新しい産業として映画を生み出すという大正時代の意気込みが、半世紀後にはもはや斜陽化していることを伝えていた。それから30年後のこの『レッドクリフ』を思うと、映画は中国に今後主導権が握られる気がする。そんな中国のひとつの強みは何と言っても歴史の長さだ。アメリカはせいぜいカウボーイ時代に遡るしかないが、中国では1000年以上の史実に小説ネタがごろごろと転がっており、またそれらが時代を経て細部の付加がなされ、物語としてより面白い重層化が行なわれ続けた結果、古典でありながら現代的という表現がいくらでも可能となっている。それは文化大革命の時期の物語である『芙蓉鎮』とは違って、どのようなジャンルの映画も汲み出せる歴史的古さの強みがある。1800年も前のことであるので、映画化するには不明なことがかなり多いが、それは欠点に働かない。むしろ自由に描くことの出来る利点と考えて今回の映画も作られているはずで、そのような改変作業を経ても本体の『三国志』であることには変わりがないという、古典としての図太い重みが前提にあって、そのような物語を持っている中国の貫祿を見せつけられる。これがたとえば日本ならば卑弥呼になるだろうが、それと中国との関係を描けば、どうしても卑屈なものにならざるを得ず、日本映画は最初からそうした古代の歴史ものには手を出さないという暗黙の了解があるかのようだ。また、『レッドクリフ』はおそらく横山の『三国志』からも着想を得ているはずだが、そうであったとしても中国側はそのことを隠す必要がないと思っている。横山は中国の『三国志』という物語がなければ描くことが出来なかったからだ。横山の『三国志』と今回の映画の差は多々あろうが、映画が好ましいと思うのは、5時間ほどでコンパクトに『三国志』前半の赤壁の戦いの場面がよくわかることだ。そしてその迫力が漫画の比でないことは明白で、大画面の映画の面白さというものを『レッドクリフ』は非常によく表現し得ている。
それは戦闘場面だ。簡単に言えば人の殺し合いで、形を変えた日本のチャンバラ映画、あるいは第2次世界大戦映画と言ってよいが、日本で言う川とは規模があまりにも違い過ぎる巨大な長江の両岸で行なわれる船団の決戦は、両陣営の頭脳合戦の心理描写を基礎に持っているので、将棋や碁などのゲームに近い一進一退のスリルがよく表現されている。それでもそうした戦闘シーンを好むのはもっぱら男子であるということをよくわかっている監督は、観客動員の観点から女性の登場を大きく意図した。そのため、男女の愛という別の大きな要素がこの映画のもうひとつの見所にもなっているが、むしろ女性こそが大活躍する映画と言うべきで、孫権側の周瑜の妻である小喬、妹の孫尚香のふたりが決戦の勝敗を決める重要人物となっている。そのふたりがいなければ孫権は曹操軍に勝てなかったはずで、この女性の重要性の強調は、現在もしくは21世紀の女性時代を思わせて面白い。だが、そこが娯楽的、漫画的な部分であることもまた確かで、あまりにもうまく事が運び過ぎる点は、史実とかけ離れた空想であることを強く感じさる。また、合戦であるので勝敗はつきもので、物語をわかりやすくする、あるいは観客を楽しませるために悪者と善者を区別する必要があり、曹操を悪、それに攻められる小国の孫権(呉)と劉備(蜀)の合同軍を善に仕立てている。この点は『三国志演義』ではそう単純ではないであろうことが想像出来る。曹操の本物の墓がついに発見されたというニュースが年末にあったが、後漢の丞相にのぼり詰めたほどの男で、そう簡単に悪役とされるような人物ではない。この映画がいかにも長編の『三国志演義』の一部分を描いていると思わせられるところは随所にある。たとえば曹操は、軍を南下させる目的は周瑜を滅ぼし、その妻の小喬をものにしようと思い、自ら小喬の姿を想像して絵に描いて恋焦がれる。そして小喬によく似た女を長江に浮かべた80万の軍隊の中枢部である軍艦にはべらせるが、観衆はてっきりその女が小喬と対決するか、あるいは曹操を操るのかと思わせられるにもかかわらず、結局女はほとんど目立った動きをせずにちょい役で終わる。これは肩透かしと言ってよい。曹操にとってそんな女のひとりやふたりはどうでもよいということなのだろうが、やがて赤壁の戦闘開始の時刻を少し遅らせるために小喬が周瑜に黙ってひとりで曹操の軍艦に乗り込んで行った時、曹操は呆気なくその魅力に参ってしまう。そして小喬の策略のために敗退することになるが、この点は『三国志演義』ではどう描かれるのだろう。小喬は新人の女優が演じたが、おてんば娘の孫尚香は『少林サッカー』で見た顔だなと思って帰宅して調べるとやはりそうであった。孫尚香は男に混じって兵士になって大活躍をする。敵陣に乗り込んで、腹に巻いた木綿の生地に敵陣の船の配置を描き込んで戻って来たり、また諸葛孔明とは伝書鳩で連絡し合ったりするが、彼女と曹操側の若い兵士との間のラヴ・ストーリーも挟まれる。これは5時間の映画が可能にした盛りだくさんな内容で、戦闘場面ばかりの無粋さを回避したためだ。伝書鳩が見下ろす曹操軍の船団は、コンピュータで作った画面なのか、なかなか臨場感があって最も印象深い場面のひとつであった。同じように印象に残る場面は、曹操軍が霧の中にやって来る周瑜軍の空の舟に一斉に矢を射る場面で、周瑜軍は10万本をまんまとせしめる。
『三国志』では有名な武将が何人もいるので、この映画ではそれらの人物をどう描くかが大きな問題となったであろう。筆者が最初に感動したのは劉備軍の関羽だ。この映画では「矛盾」という言葉を生んだ中国らしく、やたら「矛」と「盾」が登場するが、軍勢の中から突如盾が開いたかと思うと、矛を持った関羽が登場する場面がある。それまで姿を見せなかった長い髭の大きな男がにゅっと出て来るその場面は、関羽の仕草を見事な角度で捉え、今まで絵画などでよく見知っていた関羽の本当の姿を見た思いがして、『三国志』の読者でもファンでもなくても思わず唸ってしまう。その一場面を見ただけでも、どれほどの計算を尽して映像を作っているかがよくわかる。関羽を演ずる俳優はなかなか印象的ないい顔で、モンゴル系らしく、NKHの大河ドラマにもフビライ役で出演したことがあるらしい。劉備軍でもうひとり目立つのは趙雲だ。胸を刺されたりしながらも大活躍するが、最も華々しいのは映画の最後、曹操軍に人質となった小喬が殺されかけた時、槍をまるで棒高飛びの棒のように使って階上に一気に飛び移り、落下しようとする小喬をつかもうとする。実際はそんな芸当は不可能なだが、娯楽映画であり、またハリウッドのアクション映画では常套手段だ。「矛」と「盾」に話を戻すと、「盾」がやたらと活躍する映画で、兵士が盾をびっしりと隙間なく戦車のように並べて進む場面がある。そしてその盾の隙間を狙って矢や矛が飛び交い、兵士の足を残酷に引き切る曲がった矛も登場したが、1800年前の兜や武具がそのようなものであった証拠はないだろう。ほとんどこの映画の「矛」や「盾」は西洋の中世のものを思わせ、時代からすれば数百年は早い気がする。また、船団の戦いでは火薬が多用される。火薬は中国が最初に見出したもので、ここにも一種の歴史の誇りが見える。また諸葛孔明は連続使用出来る弓矢を発明して兵士に使用させる場面があるが、あまり焦点が合わず、また威力に乏しいため、1800年前にそんな武器があったとは思えない。
筆者が注意深く見たのは、後漢の若い皇帝や孫権などの玉座の背後の衝立で、その装飾模様がいかにもそれらしいことに感心した。それらはいわゆる雲気文で、古代の発掘品をよく参考にしている。その重厚さやリアルさは韓国のTVドラマの比ではなく、100億という制作費を納得させる。同じように史実に忠実な点は、たとえば漆塗りの木製の両耳つき酒杯で、これを使って曹操が酒を飲む場面がある。飲むと言えば、小喬が曹操に茶を立てる場面がある。そして茶を嗜む極意を言いながら曹操の人柄を批判するが、なかなか文学的な場面でよい。それを言えば小喬が隷書で「平安」という文字を書く場面がある。また自国の子どもたちを大事に思って、「乃子(すなわち子)」と書きながら、「乃」と「子」で「孕」、つまり自分のお腹に周瑜の子が宿っていることを暗に周瑜に伝える場面がある。それらの書はなかなか上手だが、もっと驚くのが、ひげもじゃの張飛の書だ。張飛は書が巧みであったと『三国志』には書かれるそうだが、映画ではそこを踏まえて書の上手な俳優を起用したのだろう。代役ではなしに、すらすらと見事な隷書を書く場面がある。そうした書の内容、あるいは船上で吟ずる曹操の詩などは、みな『三国志』をよく知る人にはよくわかるに違いなく、またそれなりに物語に合致したものであるだろう。映画音楽は日本人が担当したが、ほとんどジェスロ・タルそっくりで、しかもあまり印象に残らない。それよりも印象深かったのは、諸葛孔明が周瑜と共同して曹操と戦うことを提案しに訪れた時、ふたりが琴をお互い奏でる場面だ。ロックで言うギター・ソロの掛け合いだが、耳のよい周瑜は孔明の奏で方の呼応具合によって、孔明の意図を理解する。これも『三国志』にそうあるのかどうか、やはり一度読む必要がある。さて、映画は長いため、1日に2回しか上映していない。そのため、またパート1を最初に見るためには、朝一番か午後3時半の部を見る必要があった。立って見たくないので、八坂神社を早々と引き上げたが、映画館に着いたのは30分前。ひとまず中に入ってベンチに座って待ったが、その間30分、ずっと戦闘場面の激しい音が聞こえていた。それを耳にしながら家内は面白くない映画だと言い始めた。30分後、人が出て来るのと交代に中に入ると、予想とは違ってガラガラ状態。外に出たのは8時半だったろうか。息子の機嫌はとてもよかった。それで安心した。それから食事することにし、迷いながら、まだ息子が行ったことのない、四条河原町下がるにある新装開店した桃園亭に行った。そこでもガラガラ。夜景を見下ろしながら3人とも1800円の定食を食べ、エレベーターで下に下りると、ホールには関羽の等身大のブロンズ像が立っていた。格好いいことは好ましいが、家族3人の正月の過ごし方はまことにつつましく、格好と言えるものなどどこにもない。