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●『ROCK SCHOOL(ロック・スクール)』
寒の今日、日が暮れるのが確実に遅くなっていることを実感した。ストーヴをまだつけない寒い仕事部屋でこれを書き始めるが、去年から気がかりであったことがようやく多少消化出来る。



東京のあるザッパ・ファンからザッパ関係の珍しいCDやDVDをよく送ってもらうが、去年12月に届いた9枚のうち、筆者の家で鑑賞出来なかったDVDがある。ヨーロッパのパル方式で録画されていたり、TVのデジタル放送をCPRM方式とやららで録画した盤は、筆者の家のDVDプレイヤーで見ることは出来ない。それで、正月の年始の挨拶がてらにあちこちの家に出かけた際、それらを持参して見せてもらったが、今日は昨日ようやく従姉の家で見たドキュメンタリー映画『ROCK SCHOOL(ロック・スクール)』について書く。その前に昨日の投稿の続きを書いておこう。姉の家で昨日見た読売新聞の朝刊には、ビートルズのリマスター・ボックスの3段抜き程度の広告があった。発売元は読売新聞系の通販会社で、送料込みで価格は35800円とあった。日本語の解説つきとあったが、商品の写真を見ると、日本盤にあるはずの帯が写っていない。東芝EMIの製品でないことは確かなはずで、どこの製作かの説明はないものの、筆者がネット・オークションで5500円で買った中国製に思える。ネット・オークションで個人の業者が輸入して販売すること以外に、読売系列の別会社が大量に仕入れて販売しているとすれば、合法的な商品であり、またそうならば、35800円支払わずとも、ネット・オークションで1万円までで買えることになって、本来その程度の価格が妥当に思える。次に、Oさんから送ってもらったDVDで、1988年5月1日、スウェーデンのストックホルムで収録された2枚組のザッパのライヴ映像について触れておく。映像は会場の隠し撮りで画質はかなり荒くて、またメンバーは小さく映る。また手ぶれが多いためもあって、全体の半分ほどはザッパの静止画像を加工してアニメ風にした映像に置き換えているが、音質は公式盤のように優れている。つまり、サウンド・ボードからの録音に画像を重ねたもので、音だけではわからない興味深いことが映像からよく伝わる。それはザッパが指揮棒を振る場面が多いことや、メンバーのステージでの位置、ドゥイージルとのギター共演、マイク・ケネリーとドゥイージルの息の合った身振り、そしてゲスト出演するキーボード奏者マッツ・エバーグとモーガン・アグレンの姿などだ。彼らの登場はステージのちょうど中ほど、「Big Swifty」の中間部ソロが奏でられている最中のことだ。マッツだろうか、彼は盲目で、モーガンは舞台の袖から彼の手を引いてボビー・マーティンの演奏するキーボードまで連れて行って着席させるが、ザッパのメンバーの演奏が途切れるない中、やおらパラパラとマッツは演奏を始める。それがなかなか巧みで、途中で「Echidna’s Arf」のメロディをわずかに挟みながら、やがて「T’Mershi Duween」で締め括る。マッツはザッパのバンドとどれくらいリハーサルをしたのか知らないが、ザッパの曲がよほど北欧に浸透していることを思わせ、ザッパとしてはマッツの演奏を見て悪い気はしなかったろう。また、この時の「Big Swifty」の演奏はアルバム『ジャズ・ノイズ』に収録されたものとはかなり趣が違って、より混沌とした様子がなかなかよい。マイク・ケネリーの姿は映像を撮影した角度からはちょうど陰になってほとんど見えなかったが、舞台上を動いてたまに姿を見せ、またそのギター音もよく聞こえる。ステージのほとんど最後近くになってドゥイージルが登場し、父親とギター・バトルを繰り広げるが、そうなるとマイクの姿はさらに目立たなくなるようだが、マイクはドゥイージルとくっついて派手な動きをシンクロさせるなど、仲のよさをよく示す。
 さて、1988年はザッパが最後のロック・ツアーを行なった年で、それから5年後に世を去る。ザッパ人気はドイツや北欧などで根強く、ドイツでは毎年ザッパナーレ(ZAPPANALE)という、ザッパの曲を演奏するバンドが集結して野外コンサートのお祭りである。去年が20回目で、逆算すると1990年から始まったことになるが、これが正しいかどうかは資料を調べる必要がある。筆者はザッパのコピー・バンドにあまり関心がなく、ザッパナーレについて詳しく調べたことがないが、ザッパのバンドに在籍した主要メンバーの多くが今までに出演し、また20年も続いているところ、ザッパ・ファンで知らない者はいない。だが、ザッパの名前を勝手に冠したフェスティヴァルであり、ザッパの妻ゲイルはそのことを認めていないと、訴訟を起こす構えであるとのニュースが去年伝わった。ザッパとその曲を讃えるためのファンのお祭りにもいちゃもんをつけるゲイルだが、ゲイルにすればザッパの曲を演奏するのであれば、ギャラをきちんと支払ってもらって、また許可も取ってほしいということなのだろう。ザッパナーレはザッパの銅像が飾られるドイツのバート・ドーベランという田舎町の野原で毎年7月に5日間程度開催されるが、何人ほどの観客が集まるかは、今日取り上げる『ROCK SCHOOL』からよくわかる。この映画では2003年、14回目のザッパナーレの様子を伝えるが、画面からざっと見積もると700人から多くても1000人程度に見える。日本に何万も集める野外コンサートが日本にあることを思えば、これは全くしょぼい数だが、ザッパのカヴァー・バンドだけが登場することを思えば、それと似たようなフェスティヴァルはどこにもないはずで、しかも20年も続いていることは驚異ですらある。それほどにザッパの音楽には熱烈なファンがドイツにはまだいる。ザッパナーレの規模が尻上がりに高まった来ているのか、その逆なのかは知らないが、ともかく『ROCK SCHOOL』がザッパ没後10年目のザッパナーレを伝えるのは、ザッパ・ファンとすれば必見と言ってよく、またザッパとアメリカのロック事情の一端を知ることにも少しは役立つ。
 さて、Oさんは『ROCK SCHOOL』をTVから録画したが、その番組は『松嶋×町山 未公開映像を観るTV』で、11月に放送された。日本では未公開だが、DVDはアマゾンで入手出来る。また、アメリカでは17才未満が観ることの出来ないR指定を受けたが、それは「Fuck」の4文字が連発されるからだ。6、7年前だが、『School Of Rock』という学校とロックを組み合わせた青春映画があって、筆者は見たいと思いながらその機会を逸したが、その物語の元になったのが、元ギタリストで、今は「ROCK SCHOOL」という学校をフィラデルフィアで経営しているポール・グリーンという男だ。ポールの年齢は、この映画では2002年11月に生まれた自分の子どもにザッパの音楽を聞かせてあやしている場面があるので、1960年代後半から1970年前半辺りの生まれ、つまりドゥイージルと同世代と思える。若い頃はロック・ギタリストとして活動し、その頃のスリムな顔つきの写真も紹介されるが、一向に売れない生活を中年になっても続けて行く辛さに耐えられず、ロックの演奏を教える方に回る。そうして設立したのが「ROCK SCHOOL」で、当初自宅で17人の生徒を抱えた。それが生徒による初ライヴをする1997年には9歳から17歳までの男女200人を擁するまでに成長する。地元で評判を呼び、子どもたちを託そうという親が増えたのだ。映画の前半は数人の子どもに焦点を当て、ポールの教え方の熱血ぶりが紹介されるが、ポールは自分でも語るように、学校を離れるとごく平凡でまともな男で、学校で教える時の痛烈な言葉や激しい身振りはあくまでも子どもたちを発奮させるためのもので、叱った子どもには後でちゃんとフォローする言葉をかけることも忘れない。またなかなか茶目っ気のある男で、ただスパルタ式に恐い顔で教えるというのとは違って、子どもたちもきつい言葉の裏に愛情を感じているし、実際子どもたちはよく笑う。しかしポールが語るように、この学校に来る子どもたちは、天才的に音楽の才能を持った者ばかりではなく、むしろさまざまな事情を抱え、普通の学校ではいじめられっ子であったり、社会的に適応出来ない異端児が中心だ。簡単に言えば、そんな子は芸術家になるしかない。ポールは音楽療法でそうした子どもに生きる勇気を与えようとするが、ポールの厳しい練習について行くことが出来ずに脱落する者が出て来る。だが、ポールの教えから何かをつかみ、ポールを父に次いで尊敬する男と思ったりする。また、ポールは音楽を教えるが、それよりももっと広く創作することの楽しさとプロ意識の伝えることに主眼があり、学んだ者がその後哲学や文学、演劇などの方面に進んでもよいと思っている。これは教育の根本思想をよく理解していると言うべきで、筆者がこの映画で最も関心したのはポールのその発言であった。だが、「プロ意識」は言うのは簡単だが、なかなか厳しいもので、17歳までの子どもにどれほど理解出来るかだ。いや、筆者は必ず理解出来るものと思う。大学を出ても何をしていいかわからないと真顔で言う大人が蔓延している日本からすれば、この映画はアメリカという国に苛烈な競争や孤独が存在することをはっきりと想像させるが、どんな職業でもプロ意識を持つようになって初めて一人前になる。そうした自覚を音楽を通じて子どもに認知させるという態度は、日本の江戸時代で言えば職人の親方であり、寺小屋の先生であり、あるいは寺の和尚に見られたが、それが「何でも自由」主義になった戦後は、特にモラトリアム期を長く続ける若者が続出し、口ではいつでも本気を出せば自分は何でも一角の人物なれると自惚れているくせに、現実的には死ぬほどの努力をしたことがなく、またそれを格好悪いことと思って高を括って救いようのなさだ。そして30、40の年齢になっても何のプロ技術も身につかないまま、屁理屈だけは人一倍の救いようのない人柄になっている。
 そういう若者は、そうなる前に本人が真に尊敬出来る人物に出会えなかったことがひとつの大きな不幸で原因なのだが、この映画ではその点がごく明快で単純だ。つまり、教師はポールであり、その意見や考えに生徒たちは絶対服従しなければならない。その姿もまた昭和30年代の日本ではごくあたりまえに存在したもので、儒教的と言えばよいだろうが、日本では親と子、先生と生徒の境界が限りなく少なくなり、親が先生に、年下が年配者に平気でため口を利くようになった。そして、それがアメリカ並みの平等主義であると思っているから情けない。先生が生徒に強圧的に教えるのは気に入らないと文句を言う生徒があれば、ポールの学校は義務教育でないのであるから勝手に辞めればいいだけの話だ。ロックは反逆の音楽であるから、身勝手なポールのような教師に教えてもらわなくても、さっさと自分勝手に演奏すればよいと思う者もあろうが、それで本物のプロ根性が身につくかどうか。ポールは、授業料をもらっているからには、また子どもたちを預かっているからには、それなりの成果を出してみせるという考えだ。そして、それは日本の塾のように、ペーパー試験でうまく点数を稼ぐテクニックだけを教える、つまり短絡的な才能だけを突出させて機械のような人間にすることが目的ではなく、手足を使う努力を通じて何かを着実に磨き上げる、そしてそうして得た技術によって音楽を合奏するという協調性であり、ポールの学校に来るまでは自殺志願を何度もした子どもでもそれを一切考えなくなるというから、よほどポールの教育方針は子どもたちに効果を発揮している。生まれた時に臍の尾が首に巻きついたままで、発育不全で成長した男子がポールの学校に入学した。そしてベースを担当するようになったが、あまり上達せず、逆上したポールの言葉によって、その子は学校を辞めてしまう。それでもポールを恨んではおらず、学校で学べたことで確実に成長した自分を感じている。ポールにすれば、その子の演奏技術の限界を見て、怒鳴られて辞めたとしても、また別の道があるし、もうその道に進んでも問題はないと感じたのだろう。つまり、子どもひとりずつを見ての対応で、それが本当の教育というものだ。その子が音楽から離れて別の道に進んだとしても、努力して何かをつかむことの必要性と楽しさを学んだのであるから、きっと堂々と人生を歩むはずなのだ。少なくともそういう道を示すことがポールの考えで、たまたまポールの学校はロックを介するだけのことだ。ともかく生徒たちは、親の勧めもあるが、ポールから何かを学ぼうと思ってやって来ているわけで、学校ではポールは絶対主義者だ。そして、そのポールが子どもたちの課題曲として絶対視しているのがザッパの曲であるから、結局子どもたちはザッパを通じてプロ根性と音楽の楽しみを見出すという教育方針だ。
 ザッパ人気は日本ではかなり低い。知名度はあってもまともに音楽を聴いた人は少なく、聴いたとしても理解出来ない、評価しない人は多い。そのため、この映画はほとんど悪意的に評価されるかもしれない。「怒鳴り散らすポールが、わけのわからないザッパの音楽を無垢な子どもに擦り込もうとしている」といった読み方をする人は、まずザッパはわからないし、アメリカの本物の良心的なロックもわからない。先のベースを弾いていた子は、地元の新聞記者からインタヴューを受けた後、記者についての感想を語る場面がある。「文章が小学生みたいに下手で……」などと、その子は記者に対する思いを静かに述べるが、その場面からは、自殺を3度もしかけたその子の繊細な感情をいかに無知な大人が傷つけるかがうまく表現されており、ポールの学校や、またザッパの音楽に対してアメリカでさえもまだ本当に理解していない様子も伝わる。監督はドン・アーゴットで、映画の前半は1997年のブラックサバス・ショーに出演するまでの子どもたちの練習事情、そして後半はザッパ曲の練習から、2003年のザッパナーレに子どもたちが出演したことまでを取り上げるので、5、6年を要して撮影したものとわかる。ザッパナーレでは子どもたちはアイク・ウィリスの後、ナポレオン・マーフィ・ブロックの前に登場するが、出演者表にはマイク・ケネリーの名前もあった。そう言えば、マイクはこの学校で学んだ第1期生と思えるほどに、どこか素人的な感じがあり、また素直で、しかもザッパを尊敬している。つまり、ポール・グリーンというロック教育家は、マイクのような世代から出現が予告されていたと思える。ザッパナーレの舞台で子どもたちはまず「ゾンビー・ウーフ」を演奏するが、そこで歌う女子やギタリスト、サックス奏者などは映画の前半では登場せず、生徒が増えて行ったことがわかる。「ゾンビー・ウーフ」の次にはナポレオン・マーフィ・ブロックがフルートとヴォーカルで参加して、子どもたちとき一緒に「インカ・ローズ」を演奏するが、その後舞台裏では今は亡きジミー・カール・ブラックが子どもたちの演奏にコメントするなかなか温かいシーンがある。その後夜になって、ちらりと舞台にアイク・ウィリスの姿も見えるが、そうしたことはザッパ・ファンであければわからず、また興味もないだろう。
 ポールがプロ根性を叩き込んでも、まだあまりに幼い子どもの場合は、身長が低く、声変わりもしないために、舞台に立っても学芸会の雰囲気は否めないが、それでも人前で何かを主張した自信はその子を成長させるだろう。ポールは子どもたちに、ザッパのステージが3時間の間、1秒も観客を退屈させなかったこと、またわざわざお金を払って会場まで来てくれる観客を思えば、演奏が疎かに出来るはずがなかったといったプロ根性について話すが、そうした大人の真面目な思いを子どもはしっかり胸に刻むだろう。前半に登場する12歳の神童ギタリストのC.J.タイウォニアックという男子は、自分の背丈もあるほどのギターを抱えてザッパナーレの舞台に登場して喝采を浴びたが、最初から目標はプロのギタリストになることだ。映画の後の解説でわかったが、彼は今、スティーヴ・ヴァイと同じようにバークレー音楽学校に進んでいるそうだ。また、フォーク系の歌が得意で作曲もする、アーミッシュでもある女子は、声もよくてシェリル・クロウの曲を歌ったりして、ポールから将来はジョニ・ミッチェルのようになるかもと才能が認められているが、やがて簡単なギター・コードを弾くだけの自分から目覚めて、もっと難しいザッパの曲の存在を知って音楽的な成長を自覚する。ここでもある人は、「フォークのどこが悪い、複雑なザッパの曲がフォークより優れているとするのは真実ではない」などと的外れなことを主張するかもしれないが、まだ自分の音楽の何ほども確立出来るはずのない17歳までの少年少女に、簡単なコードを奏でられるだけで音楽家と褒めそやす方が全くの無責任と言うべきだ。子どもであっても、音楽的に高度であるザッパの曲をカヴァー出来るようになることこそ、ひとつのことに没頭する努力を伴い、それによって人間性が育つという自覚を持つことだ。そこにはプロの実力とはどういうものかをいやというほど見て来たポールの信念が裏打ちされている。ポールはギタリストとして有名になれなかったが、教育者を自覚し、実際その才能があったのだ。ポールの学校の現在全米に50か所もあって、大コンサート・ツアーをするまでになっているという。この映画によってアメリカではザッパがよりロック界の巨匠と目されることになったと思うが、残念ながら日本では未公開であり続けるだろうし、また公開されても誤解する者がいるだろう。それだけ日本のロックはアメリカとは違って技術的にも音楽的にも高度なものが少ないのだ。
by uuuzen | 2010-01-06 00:20 | ●その他の映画など
●ビ-トルズ・リマスターを聴く >> << ●マイク・ケネリーのアルバム『...

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