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●『道教の美術』
さ4センチ近い図録を東京で開催中に購入し、それを見ながら大阪市立美術館に巡回して来るのを心待ちにした。



●『道教の美術』_d0053294_0362263.jpg大山崎で『民藝と仏教美術-柳宗悦のこころうた-』を見たその足で、会期の最終日の10月25日に行ったが、館内は満員であった。出品作数は420点ほどもあって、図録が電話帳のように厚くなるはずだが、東京とは表紙が違って、大阪独自のデザインと銘打っていた。だが、東京のデザインの方がいいように思う。絵画を中心に前期と後期で展示替えがあったが、日本にあまり馴染みのない道教というものを美術の方面から見ようという企画は初めてのことで、本年で最も有意義な展覧会ではなかったかと思う。時期を逸した感もあるが年内に感想をまとめておく。ところで、つい先日見たある韓国ドラマでは主人公の女性が占い師のもとに出かけてお札をもらう場面があったが、漢字を複雑に構成したような縦長の模様が赤で刷られたもので、今回の展覧会でもほとんど同じものが出品された。誰でも一度は似たものを目にしたことがあるはずだが、韓国では日本よりそうした古風な伝統を保った占い師がまだまだ多いように感ずる。これは別の韓国ドラマだが、主人公が自分を精神的に鍛えるために、壁面に「木鶏」という大きな筆文字を常に掲げている印象深い場面を含むものがあった。『老子』を読んだことのある人ならばそれが何を意味するか即座にわかるが、日本のTVドラマで主人公が『老子』の教えに学ぶという場面はまず考えられない。つまり韓国の方が日本よりも道教については身近であるはずだ。そのことは、今回の展覧会タイトルと一緒に印刷される白黒の巴文様からしてもわかる。その勾玉が「69」の形で円形を成す文様は、韓国の国旗の中央に描かれる太極文で、陰陽を示すが、天地や自然の姿を象徴する。道教の展覧会が開催されるのは、図録によればここ数年世界的にも研究が高まったことによるが、80年代からその成果があったらしい。ともかくそれは中国の国力の充実に伴ってのことであるはずで、日本がこうした展覧会を開催するところに、大きく台頭する中国に対する文化方面からの分析も怠らないという、したたかな意識も暗にうかがえて興味深い。戦後アメリカ文化に浸り続けた日本だが、地理的に、また歴史的につながりが深い中国とそう簡単に縁が切れるはずはなく、今後50年後はまた揺り戻しのような形で中国と大きく関係する文化が発展している予感がある。また、そういう状態に今後進むとしても、日本には今までのあらゆる歴史段階において芸術や文化の蓄積があって、それらを掘り起して解釈し直せば、戦後半世紀ほどの中国との断絶期間は何ものでもなかったというほどに一気に解消されるはずで、それほどに日本の芸術や文化は中国につながるものを保ち続けている。確かに中国との交流が途絶えた時期に日本独自の装飾的な芸術が発展し、それが形を変えながら現在の漫画文化にもつながっているが、そうした装飾文化でさえ、中国の存在、また中国との交流が前提としてあったために生まれたものという解釈をすると、やはり中国は無視出来ないことになって、従来の日本の芸術や文化がみな読み変えられることにもつながる。ともかく中国が世界的に見て圧倒的な経済力を今後誇り、日本が数多い先進国のごく小さな国のひとつに過ぎないことになった時、日本がどれだけ芸術や文化的に中国とは異なる独自性を保つ、生むことが出来るかという問題を今からよく見定めておく方がよく、そのためには、かつて日本が道教をどのように解釈してそれを作品に表現し、また生活に取り入れて来たかを再確認しておくことが必要であろう。
 茶道、華道、柔道、剣道など、日本は何でも「道」にしたがるが、その「道」と道教の「道」とどう違うのか、「道教」という言葉に馴染みのない日本からすれば、なかなか具体的なイメージを懐きにくいが、筆者のような世代ではまず小学校の土曜日午前中の第4時限目の授業であった「道徳」という言葉を思い出す。もっとも、これは孔子の儒教と関係するもので、江戸幕府が学問の中心に儒学を据えて忠孝の教え説いたことにつながるところが多分にあった。「道教」は英語では「TAOISM」であり、今回の展覧会でもその言葉が用いられているが、「タオ」は日本でもよく知られる。たとえば筆者は今手元に『タオのプーさん』という本を引っ張り出した。アジアの民俗文化に関する出版が多い平河出版が1989年に出したもので、A.A.ミルンの『くまのプーさん』を道教から解釈し直した内容だが、著者はアメリカ在住の1946年のベンジャミン・ホフという男性で、著者紹介の欄に「長年タオイズムに深い関心をもち、毎日タオイスト・ヨーガと太極拳をしている」などとある。イギリスのあまりにも有名な子ども用の本に道教を結びつけて、くまのプーさんが予想以上に深遠な物語であることと、道教をわかりやすく説明しようとするこうした本が書かれるほどに、欧米では以前から道教を広める動きがあったことがわかるが、それから見れば今回のこの展覧会はまさに遅過ぎるかもしれない。『タオのプーさん』から少し引用する。「空(くう)はごたごたした心を清め、精神的エネルギーのバッテリーを充電する。それなのに、多くのひとが、孤独を思い出させるといって、空(くう)を恐れる。……ごたごたが詰まった心の空虚さを捨てて、なにもないことの充実感を発見するのだ。なんにもないことの値打ちを語るぼくたちの好みの話に、日本の裕仁天皇の逸話がある。……ことのほかいそがしいある日のこと、天皇はなにやら約束があって会見の間へいそいでいた。ところが行ってみると、そこにはだれもいない。天皇は大広間のまんなかへ進みでると、しばらく無言で立ち、それからからっぽの空間に向かっておじぎをした。そして、お付きの者たちをふり返ると、にっこり笑っていった。「こういう約束をもっと予定に入れておかなくてはね。こんなに楽しかったのは、ひさしぶりだ。『道徳経』の第四十八章で、老子は書いている。「知識を獲得すれば、日々ものが増え、知恵に到達すれば、日々ものが減る」……。」 文中の『道徳経』は後でも触れるが、『道経』と縮めることもあり、また老子の書いた書物で単に『老子』とも言う。『道経』と「道教」はややこしいが、「道教」の教えを書いたものが『道経』と思えばよい。「道教」の経典として『道蔵』もあるが、これは明代に出来たものが。また、「なにもないことの充実感」という下りは、禅や「若冲」を思い出させるが、道教は「教」であるので、仏教や儒教と並列されるべき教えつまり宗教として解釈する立場と、『くまのプーさん』に書かれるように老荘思想として捉える方法もある。また、「TAOISM」という言葉は道教と老荘思想を指すので、この西洋で神秘主義のひとつとして用いられる言葉を持ち出すと、なおさら話が込み入って捉えどころがない気分になるが、今回の展覧会では宗教としてまず位置づけ、そこに中国の民間信仰との融合の諸相も作品を通じて見るという立場を取っている。当然予想されるように、不老長寿や無病息災、富裕な生活を願う民衆の思いは中国だけに限らず、人類共通のものであるから、朝鮮や日本でも容易に道教の民間信仰性は浸透し、地域に応じてそれなりの変化も遂げて来たが、どこまでも生え続く根の最先端部から道教を見つめることも可能で、今回は最後の章に「拡散する道教のイメージ」と題して日本の現代美術における道教的な作品の展示までもが紹介された。
 420点の作品を12の章に分けての展示であったが、小展覧会をシリーズとして1年にわって毎月開催すればもっと内容がじっくりと把握出来ると思える。幸い図録は各作品の説明も充実しており、作品の意外な大きさを知るためには会場を訪れる必要があるとはいえ、この図録は今後の道教関係の展覧会開催のひとつの指標になったと言える。各章を順に書くと、1「中国古代の神仙思想」、2「老子と道教の成立」、3「道教の信仰と尊像」、4「古代日本と道教」、5「陰陽道」、6「地獄と冥界・十王思想」、7「北斗七星と星宿信仰」、8「禅宗と道教」、9「仙人/道教の神々と民間信仰」、10「道教思想のひろがり」、11「近代日本と道教」、12「拡散する道教のイメージ」となるが、4以降が日本と道教のつながりを示す。展示は国宝や重文を多少含めるが、全体にあまり馴染みのない彫刻や絵画を中心にするため、新鮮でありながらも美術品としてあまりありがたみがなく、勉強熱心な人向きというのが実感で、日本における道教の認識度の低さを再認識する。図録に、魯迅は道教がわかれば中国の大半がわかるといった意味の発言をしたことが書かれるが、その理由として、「中国で生まれた唯一の宗教であり、現代に至っても中国人の人生観や世界観の根幹をなし、東アジアの思想や文化、芸術のベースになっている」と続く。そして、日本では生活に深く根ざしているが、信仰の対象にはならなかったとも書かれるが、「生活に深く根ざしている」というのは、日本に伝わった仏教は道教の要素が付加したものであって、日本は中国文化を輸入する中で知らず知らずのうちに道教を要素を享受していたことを指す。この点は重要で、日本が意識的に中国を排除しようとしても、すでに生活の中に定着している習慣が中国に由来するものであって、ここ20年ほどの間にアメリカのハロウィーンの輸入して、菓子店が10月の終わり頃にこぞってカボチャ型の飾りを道行く人に見せるというのとは、歴史的長さや重みが比較にならないほどに大きい。つまり、意識しない、あるいは知ろうとしないだけで、「生活に深く根ざしている」は事実なのだ。1「中国古代の神仙思想」は老子以前の神仙思想についての章で、韓国ドラマ『ソドンヨ』の最初と最後に登場する香炉と同形のものなどが展示されたが、紀元前の中国の工芸の中で筆者が注目するのは雲気文を描く壺などだ。この勾玉を長く引き伸ばしたような雲気の形は、現代でもそのデザイン力を凌駕するものがないと言ってよいほど魅力的で、絶えず戻るべき意匠の源として評価したい。そうした神仙模様は中国の山河を見てのもので、山水画がやがてそこから出て来るが、自然と同化する、自然から力を得るといった、自然とつながる思想というものに、西洋とは大きく異なる自然観、人間観、生活観、芸術観が中国にあったことがわかる。そしてそれを言葉で体系化したのが紀元前5、6世紀の老子で、『老子』の最初には「道可道非常道(道の道とすべきは常の道にあらず)」と書かれる。簡単に言えば、これが道だと言うようなものは道ではないということで、前述した茶道、華道、柔道、剣道などの「道」をここに照らすと面白い。それらは長年の研究の中で限界までに無駄が省かれ、ひとつの型を構築しているが、その型をそのまま覚えればその道の極みに到達出来るという考えは本当は不自然であるだろう。完成したかに見える茶道や華道はもはや本当の茶はいけばなの道ではなく、それを否定しながらさらに先へ進もうというのが正しい道ではないか。老子の言い分に照らせばそういうことになるが、実際の茶道や華道はそのあたりのことはとっくに予想して、型はあるがその型の中に自由もあって、対峙する人に応じて道は広がっていると説くだろう。
 それはともかく、筆者が小学生の頃の「道徳」の授業は、確か5年生か6年生の時に「HR(ホームルーム)」という横文字に変わった。そして道徳の教材として利用されていたさまざまな物語を載せた副読本が廃止され、クラス全員で教室内で何か決め事をして遊びましょうといった時間に変わった。筆者はこの無駄な時間をあまり好まず、ほとんど記憶にないが、逆に「道徳」の時間に先生が読み聞かせてくれた話は子ども心ながらに感心した。それは後の学生運動で先頭に立ったような人物たちからすれば欺瞞に満ちた儒教精神を純真無垢な子どもたちに植え込むものということになるのだが、戦争に加担する大企業や政府を批判した学生運動で先頭に立った人物が、結局大企業に勤める出世主義にころりと身を翻した様子を見れば、どっちが欺瞞的であったかだ。よい話はよい話で子どもに教えるのはいいことだと筆者は思うし、それを学校で教えず、家庭だけに押しつけるのであれば、学校は学習塾と同じで、人間形成にとって重要な役割を放棄したことになる。「道徳」の授業で教えられたさまざまな話は、その裏に江戸時代の身分制度や天皇崇拝などを是認する意図が巧みに隠されていたのかどうか知らないが、筆者は年少者は年配者を敬うという態度は今も持っているつもりであるし、それが悪いことだと人から言われる筋合いはないと思っている。日本に国家がまだなかった時代に中国で書かれた『老子』は、それだけでも人間のあるべき姿を見通していると思えるし、それが国家に妙に使用されるのは、それを扱う連中がつごうよく読んでいるだけであって、『老子』全体はそのこととはほとんど関係がない気がする。実際のキリストと現在のアメリカが何の関係もないのと同じようなものだ。キリストのことが出たので話を戻すと、今回の展覧会は「キリスト教の美術」と対になるようなものを想像すればイメージしやすい。「キリスト教の美術」を深く知るためにはまず『聖書』の内容をいろいろと知る必要があるが、その意味で今回の展覧会は『老子』の世界をある程度知っておくとよく、それが2「老子と道教の成立」に当てはまる。この章でまず目玉作品であったのは、牧谿の有名な「老子像」だ。この水墨画は一時行方不明になっていたと思うが、現在岡山県立美術館にある。牧谿筆とあるが、実際はその可能性はかなり低いだろう。だが、非常に印象深い作品で、一度見ると忘れられない。そして、同作に描かれる、まるで痴呆に見える老人が老子というのは、かなり納得し難い思いもあるが、逆に案外老子がこういう表情をしていたと思うのも面白い。この章の後半の展示は書の拓本であった。筆者は以前は書にほとんど関心が持てなかったが、ここ2、3年はかなりじっくりと見るようになっている。自分の名前にある「大」や「山」はたいていの古い書には含まれるので、それを探すだけでも面白い。筆者は「大」の字を筆で書く時に、今もなお収まりの悪さを感じ続けているが、さすが千年以上前の書はそれが堂々としており、「大」の一字だけ比較しても時代の空気が伝わって来る。また、中国の古い書の拓本に気に入ったものがあって、機会があれば買いもしているので、今回はこの章は特に面白くもあった。
 3「道教の信仰と尊像」に展示された絵画はチベットのタンカに似たけばけばしい色合いの尊像で、日本の各地に所蔵されていながら、今まであまり顧みられることがなかった。仏教以前の道教は礼拝すべき偶像を持たなかったが、仏教の影響によって彫刻や絵画で尊像を表現するようになり、仏教の寺院に相当する道観にそれらを祀り、僧侶に相当する道士が儀式を執行するようになった。石彫りの「道教三尊像」やその拓本が展示されたが、知らない人が見れば釈迦像と間違うだろう。またこれらの尊像は、神社に祀られる平安時代の木彫りの神像を思い起こさせたり、あるいはギリシア・アルカイック時代やエジプトの彫刻も連想させる古風な趣がある。宗教が発展するには為政者の保護が欠かせないが、唐の王朝では帝が「李」という姓で、老子と同じであったため、仏教より重要なものとして道教が保護された。この点が日本との大きな違いだが、日本における道教は4「古代日本と道教」の章で展示された。中国とは違って日本には神道があり、それが仏教と習合するが、その過程で道教が役割を果たしたという。まだわからないことがさまざまにあるらしいが、今後研究が進んで日本と道教との関係がもっと根深いもので、改めて中国を理解しようという方向に歴史は進むだろう。5「陰陽道」、6「地獄と冥界・十王思想」、7「北斗七星と星宿信仰」は、題名から内容が想像出来るが、これらの各章単独で大きな展覧会が今後開催されることを期待する。特に印象深かったのは、「地獄と冥界・十王思想」の部屋の中央に飾られた京都常念寺の「十王像」だ。閻魔大王を初めとする地獄の役人である、高さ40センチほどの13個の木彫座像で、彩色は剥落しているが、欠けが見られず、よくぞ保存されて来たと思える。横一列に勢ぞろいしている様子を見ると、素朴な子どもなら地獄の存在をすぐに信じるほどに恐い。筆者は「道徳」の授業やあるいは近所の大人たちから、嘘をついては地獄へ落ちるといった戒めを聞かされていたが、戦前までは民衆への教えに、寺に所蔵されるこうした像、あるいは十王を描く絵画が一役買ったのだろう。8「禅宗と道教」では、宇治の萬福寺所蔵の「華光菩薩倚座像」、そしてそれとそっくりな表情をした長崎の晧台寺所蔵の「大権修理菩薩倚座像」が、図録からは想像出来ない大きさで会場を圧していた。前者は笵道生の作と考えられ、後者も同一人物か近辺にいた人物の手になると思えるが、この二体はどこから見ても日本の仏像とはあまりにもかけ離れた中国人そのもののような人間臭いもので、日本の禅寺には中国から道教の像がもたらされていながら、それを模範として似たものが作られなかったことがわかる。9「仙人/道教の神々と民間信仰」は明時代の絵画や工芸品で道教関係の図像を示し、江戸時代の美術に関心のある人ならばよく知るが多いだろう。この展覧会は来年1月23日から2か月間、長崎歴史文化博物館でも開催されるが、長崎で見るとまた印象が違うことだろう。長崎はひとりで一度行ったことがあるが、また行きたい場所のひとつだ。
by uuuzen | 2009-12-30 00:36 | ●展覧会SOON評SO ON
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