冬に似合う音楽と言えば、筆者にとってはサイモンとガーファンクル(何度も出て来るので、以下S&Gとする)を思い出す。

「冬」から「孤独」を連想し、それが「サウンド・オブ・サイレンス」やアルバム『ブックエンド』のテーマとなっている「思い出」や「老人」をさらに思い起こさせるからであるし、また「冬の散歩道」という、とても印象深いロック調のヒット曲があった。S&Gの何の曲を採り上げたいかとなると、初めてラジオで聴いた「サンウド・オブ・サイレンス」しかあり得ないが、それをやめて「アメリカ」にする。これは『ブックエンド』に収録されるが、シングル盤にカットされたのは1971年のようで、アルバムから3年後のことだ。人気があったので、そうしたのだろうが、アルバム向きの曲であって、シングル盤はあまりありがたみはない。当時日本のソニーがアメリカのCBSコロンビアと組んでレコードを出していたが、日本独自の編集物がS&Gに限らずに目立った。ミュージシャンよりもレコード会社の方が力が大きかったからであろうか。当時ビートルズはすでにそういうレコード会社の方針を禁止していたが、その2、3年の差というものが60年代にあって、今さらながらに大きかった気がする。つまり、それだけビートルズは売れてレコード会社に対して力を持っていたが、それは他のミュージシャンに与えた影響の点でもそうだ。ビートルズはフォーク系のボブ・ディランから多少の影響を受けた曲を書きはしたが、全体として見ればビートルズの方が世界に与えた影響は大きく、ディランもそのことを認めて、20年ほど前の新聞だったか、ビートルズの銅像を立てて全世界のミュージシャンは感謝すべきだといったような発言を載せた。S&Gはディランと同じユダヤ系アメリカ人だが、やはりビートルズの影響を大きく受けたと言ってよい。フォークによく分類されるが、ビートルズが出現したからこそ世に出た音楽で、ソフトなロックだ。特に『ブックエンド』がそうだ。このアルバムはビートルズの67年の『サージェント・ペパー』の翌年4月に出たが、主題曲を最初と最後に置いたA面は全体が組曲となっている。このアルバムを当時筆者はビートルズのようなうるさいロックは聴かないがソフトなフォーク・ソングは好きといった、あまり目立たない友人から借りて聴いたが、詩が実に味わい深く、また管弦楽器を使用した大人びた感覚とその出来ばえに大いに感心した。確かビートルズのホワイト・アルバムが出た後すぐの頃だ。ビートルズにはない味わいがあったからこそ、S&Gは世界的に有名になったが、それでも『ブックエンド』A面の老人について歌った曲は、ビートルズの「エリナー・リグビー」や「ホウェン・アイ・ム・64」に触発された感がある。それはともかく、友人に大いによかったと感想を言うと、その後レコードを買ってくれと言って来たが、当時ビートルズのレコードを買うだけで精いっぱいの筆者は買わなかった。だがずっと気になって、それから10数年してから中古の輸入盤を買った。買ってはみたが、針を落としたことが1、2回しかない。それほどに全曲の隅々までよく覚えているからで、冬の夜空の下、スーパーまで歩いて買物に行く間、どの曲も鮮明に細部まで脳裏に蘇らせることが出来る。そして、冬の寒さもまたいいものだとしみじみ思う。

「アメリカ」のB面「オールド・フレンズ」は公園のベンチにブックエンドのようにじっと座って日向ぼっこしている老人のことを歌うが、アルバム『ブックエンド』はLPではいかにもうすっぺらで、レコード棚にそれ自体では立つことが出来ず、当時筆者はそれが何とも不満であった。これがCDになると、どうにか1枚だけでも立つが、そう言えばS&GのCDは今に至るまで1枚も聴いたことがない。今年彼らは16年ぶりに来日したが、確か1940年前後の生まれのはずで、もう70近いはずだ。その彼らが「オールド・フレンズ」では70歳になることは恐ろしくも不思議なことだと、まだ遠い未来のことを歌っている。そしてその恐ろしく奇妙なことと思っていたことが現実のものとなり、予想に反してか、老人ホームや公園でブックエンドのように身をじっとさせて日向ぼっこすることにはならず、遠い日本にまで演奏にやって来るほどの元気さだ。それを言えばポール・マッカートニーも同じで、64歳になれば孫に囲まれてどうのこうのと予想を立てていたのに、その年齢を越えて相変わらず元気だ。もっと言えばジェスロ・タルもデビュー・アルバムでは自分たちを老人の姿に扮して写真を撮ったが、その写真と同じような老齢になってもまだ新作アルバムを出し、世界中をツアーしている。とにかく60年代に登場したロック・ミューシシャンはみな元気だ。彼らにとって何が一番よかったかと言えば、名声もそうだが、自分たちにファンがあって、元気で活動出来ることだろう。そう出来ている間は老いとは関係がない。『ブックエンド』には、アート・ガーファンクルがニューヨークとカリフォルニアのユダヤ人の養老院で収録した老人の会話が入っていて、「あなたは幸福か?」という問いに老人たちは力なく答えている。「ブックエンズの主題」と題する曲の歌詞の最後は、「I have a potograh.Preseve your memories;They‘re all that’s left you.(ぼくは1枚の写真を持っている。あなたたちも記憶を大事にするだね;残るものはそれだけなんだから)」というもので、これがアルバムA面の結論と言ってよいが、その写真というのが、たとえばアルバム・ジャケットに写る、リチャード・アヴェドン撮影のS&Gのふたりで、このアルバムを末長く覚えておいてほしいということにもなっている。そして、筆者はアルツハイルマーに罹らなければ、死ぬまでこのアルバムを覚えているはずだが、それはS&Gにしても同じであって、「記憶だけが人生に残るものだ」と言っても、その記憶さえも保証されないのが人間であって、その無常感といったものは、このアルバムにはよく漂ってもいる気がする。その点でこのアルバムは当時としては、また今でもだが、虚飾をはぎ取って人生の真理を垣間見せている点できわめて重要で価値あるものとなっている。彼らの一番よく売れたアルバムは70年の、そして最後となった『明日に架ける橋』と思うが、名曲は確かに入ってはいるが、アルバムの出来としては筆者は断然『ブックエンド』を評価する。また、「明日に架ける橋」に歌われる、孤独な人を励ます歌詞内容は、かなり薄められた形で現在の日本の若者向きポップスに浸透し切って、それがいかにも嘘っぽくて鼻白むが、『ブックエンド』を経て同曲に至ったS&Gの場合は、さすが貫祿が違うと言うか、説得力を感じたものだ。
話を「サウンド・オブ・サイレンス」に戻す。筆者が初めて同曲をラジオから聴いたのは1965年の14歳で、当時レコードを買う余裕がなかった。ようやく近所のレコード屋で買ったのがその3年後であったと思う。その時、シングル盤を買ったはずだが、4曲入りのコンパクト盤だったかもしれない。記憶が定かでないが、そう言えば、どういうわけかジャケットも覚えていない。おそらく山道のようなところをS&Gが歩みながら振り返ったところをやや上方から撮った有名な写真だったと思うが、それに該当するシングル盤は存在するものの、表側に「GOLD DISC」の金文字が印刷されていて、また見開き内部の記述も筆者の記憶とは異なる。以前書いたが、そのシングル盤は友人に貸したりしている間に紛失したが、中袋の丸い穴から覗く中袋内部の白地部分に、万年筆の横書きで細かい文字を連ねて同曲の感想を書いていた。ちょうど丸の内部にぴたりと収まるように工夫し、筆者が書いた初めてのライナー・ノーツだった。それと同じレコードをこの2、3年、ネット・オークションで探し続けているが、何度も違うジャケットで発売され、最も古いジャケットの盤、つまり1965年の初版も知ったが、それではない。かといってその他のすべては「GOLD DISC」やそれに類する文字があって、また映画『卒業』のサウンドトラット盤の2種も存在するが、どれも筆者が買ったものとは異なる。ともかく「サンウド・オブ・サイレンス」の大ヒットはS&Gの名前を世界的なものにし、日本では由紀さおりが同曲を模した「夜明けのスキャット」でデビューしたりもした。アメリカのミュージシャンあってこそ登場した日本の歌手は大勢いたし、これからもそうだろうが、筆者が日本の曲をほとんど聴かないのは、影響を受けたものより、影響を与えたものを聴く方がはるかによいからだ。だが、影響の受け方とその後の咀嚼によって微妙に本場ものと違った味が出て来るのは事実であるし、それはそれでまた別に評価すべきことでもある。そういう傾向はすでに60年代にあって、いずれまた採り上げたいと思うが、その意味も含めて60年代は面白い時代であった。筆者にすればそれはシングル盤の時代で、70年代に入った途端にアルバム主流の時代となって、シングル盤は味が減少した。アルバム主流の時代を作ったのはビートルズで、その顕著な例が『サージェント・ペパー』だが、ビートルズのアルバムが一体感を念頭に構成され始めた顕著な例は『ラバー・ソウル』からで、ポール・サイモンは確か1970年頃のインタヴューで好きなアルバムを『ラバー・ソウル』と答えていた。その言葉は『ブックエンド』で明確に証明された。だが、S&Gが偉大であるのは、ビートルズもそうであるように、ある特定のジャンルの音楽のみを見つめなかったことだ。ビートルズを凌駕する、あるいは比肩する作品を生み出すのであれば、作品そのものの構造を分析するのではなく、作品が生まれる背景を知って、その方法論を習得する必要がある。単なるエピゴーネンと、オリジナリティの高い作品を生む芸術家の差はそこにある。「アメリカ」は『ブックエンド』A面の3曲目に収録され、冒頭は2曲目の終わりとわずかに音が重なっている。これはビートルズのホワイト・アルバムの最初の曲「バック・イン・ザ・USSR」と次の「ディア・プルーデンス」と同じ手法だが、シングル盤では冒頭がフェイドインの形を取って、アルバムの1曲目の最後の音を聞こえないように処理している。「アメリカ」のみのマスターテープを使用すればフェイドインにする必要はなかったが、S&Gの理解を得られなかったのだろう。歌詞は全体が女性と男性との対話の形を取り、ふたりが孤独を感じながらヒッチハイクに出かけてアメリカを回る様子が描かれる。ヴィム・ヴェンダースのロード・ムービーを見るような趣があるが、ヴェンダースはS&Gより数歳年下ながら、同世代と言ってよいから、同じ感覚を共有したのだろう。日本でも70年前後は世界各地を見て歩くという若者が増えた。そして、そうした世代にS&Gの音楽は大いに受けた。
筆者はロックンロールが大好きで、フォークは日本のものも含めてほとんど関心がなかったが、「サウンド・オブ・サイレンス」はエレキ・ギターの音が終始鳴り響き、その「沈黙の音」という、いかにも詩的な題名に注目させられた。「サウンド・オブ・サイレンス」の後にもS&Gの曲はラジオから流れたが、「冬の散歩道」はブギウギ的なリフが鳴り響くロック調の曲であったし、また「アイ・アム・ア・ロック」はやはり題名にどきりとさせられ、またその「ロック(岩)」はロックンロールにもつながるとも感じ、旧来のフォーク・ソングとは一線を画すふたり組と認識したものだ。「サウンド・オブ・サイレンス」が当初生ギター1本にS&Gの声のみの録音であったことを知ったのは、映画『卒業』に同曲が使用されてから日本で改めてヒットし直して以降のことだ。エレキ・ギターなど、バックにロック調の音を重ねて重厚なヴァージョンを作ったのは、S&Gを見出したレコード会社のプロデューサーで黒人のトム・ウィルソンだが、トムがいなければS&Gは世に出なかった。S&Gにすれば勝手に作品に手を加えられたのは気分の悪いことだが、トムとしては才能を認めて売り出したグループであるのに、アルバムの売れ行きが散々で解散同然のS&Gを見兼ね、それで「サウンド・オブ・サイレンス」を加工してシングル盤にするという計画を立てた。それが予想以上に大ヒットし、S&Gは第2弾目のアルバムを作ることになるが、ここからはどういうサウンドが好まれるかを読み解くプロデューサーの力腕の重要性を思わせられるし、また世界的有名になるには、本人の才能もさることながら、背後に手助けをする人物の必要を思う。トムの勝手な加工は、レコード会社と新人ミュージシャンの力の差もあってのことだが、デビューしたばかりのミュージシャンがいっぱしの芸術家をきどって、レコード会社の意見を全く受け入れず、結局芽が出かかったのに、その後消えてしまうというケースは日米ともに多いことだろう。ミュージシャンがアーティストと呼ばれるようになった今ではどうか知らないが、現在はレコード会社もミュージシャン側も、過去のヒット曲のあらゆる要素を研究し、それらをうまく分析しながら緻密な戦略を立てて売り出そうとするはずで、60年代のように、何がどうヒットするかわからないという状態はかなり減退しているのではないだろうか。だが、いかに知識があり、また何でも演奏出来る才能があったとしても、必ず大ヒット曲を生み出せるとは限らない。むしろ、そうした計画性を越えたものが常に求められている。そして、そうした計画性を越えるものは、結局表現者が個々にさまざまな方向を向いて独自性を多く獲得することの中から育まれるもので、S&Gが有名になったのもその度合いがきわめて大きかったからだ。トム・ウィルソンはビートルズをプロデュースしたジョージ・マーティンに比肩する。トムはフランク・ザッパの1966年7月のデビュー・アルバム『フリーク・アウト』をプロデュースしたことでもよく知られが、ザッパはS&Gより後に世に出たことになる。だが、「サウンド・オブ・サイレンス」のような大ヒット曲を放たず、前述したように、70年代に入ってのアルバム時代をザッパは歩んだ。そして、『ブックエンド』に先んじて第2作目のアルバム『アブソリュートリー・フリー』は、AB面ともに組曲形式に曲が並ぶ。筆者がそれを知るのは70年代に入ってからで、ビートルズやS&Gにはない音楽があることをザッパに見た。それはラジオの洋楽ヒット・パレードの番組とは無縁で、最新の音楽をラジオの聴き流しから絶えず知るということとは別の、積極的に自分から音楽を見出すという行為を促した。そのことは案外S&Gが歌う「アメリカ」の歌詞のように、アメリカの実体を自らの足で孤独のうちに見聞することに似ている気がする。