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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●神戸の新長田に鉄人28号を見に行く
人28号の実物大が新長田に立ったというニュースが先頃報じられ、これは年末までに見に行こうと思った。



ルミナリエもついでに見ることにして、13日の日曜日は神戸方面に出かけた。まず阪神の尼崎駅で下車して『桜島と鹿児島ゆかりの画家たち展』を見た後、阪神高速の高架下で小型トラックでお菓子を販売しているおじさんに会って菓子を買い、その足で新長田に足を延ばし、帰りに元町で下車して食事をし、その後にルミナリエという4つの計画を立てた。尼崎で展覧会を見た後、阪神の岩屋駅で降りて国道2号線に架かる大きな歩道橋をわたると、日曜日は必ず営業していると言っていたお菓子のおじさんのトラックはなく、代わりにたこ焼きのトラックが停まっていた。1200円の阪急阪神乗り放題チケットであるので、1日に何度も下車することは出来るが、寒空の下を歩くことを思うと、予定どおりに事が運ばないと面白くない。高架下に行ったのが午後4時ちょうどだったので、おじさんはその前に店じまいしたとも考えられるが、たこ焼きの車ののんびりした様子からしてそれはなく、当日は店を出していなかったように思える。それで三宮に出て、新長田に行くことにしたが、筆者は同地に行ったことがない。阪神の係員に訊ねると、JRがいいと言う。地図で予め調べると、地下鉄の駅がJRの駅と同じ場所にあって、どちらで行ってもいいことがわかったが、JRの方が高いかと思ってまずJRの三宮駅に行くと、片道170円と安かった。これは地下鉄よりきっと安いと思い、そのままJRに乗った。5つほど先が新長田だ。車は別として、電車では三宮から先へはここ10年ほど行ったことがないので、窓からの眺めは珍しかったが、家内が東京と似ていると言う。高いビルが林立するからだが、神戸は海岸に山が迫っていて、蛇のように細い街並みが東西に広がっているため、浜側に目を向ければ、三宮から新長田までの間はずっとビルが見え続ける。新長田は10年前の阪神淡路大震災で大きな被害を受け、火事で商店街が丸焼けになったりしたが、何分行ったことのない場所であるだけに、どこがどう被害を受けたのか実感がない。実はこの10年の間、心の片隅でずっとそれが気になっていた。とはいえ、用がないので出かける気にもならない。震災から2、3年経た頃、元町の商店街の出入口近くに革靴を路上販売するおじさんがよくいて、筆者は黒のブーツを買ったことがある。なかなか足にフィットし、何年も履いたものだ。家内もその時買ったが、さっぱり足に合わず、さすが安物は駄目だと言っていた。その路上の靴屋は新長田から来たと話していたと思う。元町商店街に行くたびに、つまり大丸百貨店などに展覧会を見に行くたびに、目はそのおじさんを探すが、今は路上販売が厳しく取り締まられているか、あるいはおじさんはもう元町に出て来て売る必要がないほどに商売が元通りになったか、逆に商売の継続が困難でやめたかだ。靴の製造者が多く住むということから、新長田地区が家内工場の多い下町であることがわかる。大阪にもそういう独特の空気が漂う場所があるから、新長田がどういう街であるからは充分に想像出来る。
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 その新長田の震災後の復旧の様子はTVでよく取り上げられて来たが、街が元の活気を呈するのはなかなか難しい。古い街並みがすっかりきれいになるのはいいが、震災で亡くなった人は少なくないし、以前住んでいた中高年以上の人は、経済的な問題から同地に住むことが出来ず、一変した街は人と人の関係を変えてしまう。それはそれでまたアメーバのようにいずれ新しい人のつながりが出来るが、10年やそこらでは無理だ。そういう新長田の復興の大きな象徴として、同地に住んだことのある横山光輝の漫画『鉄人28号』のキャラクター・ロボットが高さ15メートルの実物大として駅から近い若松公園の一角に作る計画が数年前に持ち上がった。そして11月にそれが完成したのだ。筆者は小学校低学年の頃、『鉄腕アトム』よりも『鉄人28号』を好んだこともあって、年内に見ておきたいと思ったが、鉄人28号は想像どおりのもので、意外性はなかったが、ポーズがよく、またなかなかよく吟味された場所に立てられている。駅前に大丸百貨店が入っているジョイ・プラザという高いビルが建つが、その裏手に鉄人28号は立つ。ジョイ・プラザがいつ出来たのか知らないが、震災後ではないだろうか。付近では最も背が高いビルで、震災で被害を受けなかったとは考えにくいからだ。鉄人はすっかりそのビルの陰になって、ビルから向こう側に回り込まないと見えない。これが少々残念だが、人々を駅前のそのビルの奥に誘導するにはその方がよい。また、鉄人が向く方向に商店街のアーケードの半円形の口が見える。これがなかなかよい。筆者は商店街がすぐ近くにある街で育ったので、商店街を歩くのは大好きで、鉄人を見ながら、思いはそのアーケードに向かっていた。その商店街は新長田のすっかり焼けた商店街として何度もTVで映ったが、震災当時の新聞の写真などから比べると、通りの幅は倍ほどに広がったと思える。そして通りの両端はみな洒落たビルの店舗になって、大きな地震が来てもびくともしない感じがある。すっかり焼けてしまったために、全く以前とは違う商店街を作り上げることが可能になったのだが、その新しさは日本中どこにでもある商店街そのもので、おそらくかつての庶民的なにおいの強い場所とは全然違っているはずだ。それを幾分さびしく感じながら、ともかく商店街が途切れるところまで歩くことにした。すると、200メートルほどだろうか、すぐに大きな道路が横切るのが見えた。国道2号線とその上に架かる阪神高速だ。その信号を待つ間に筆者が感じたのは、同じく阪神高速が頭上に架かる大阪の心斎橋筋商店街、あるいは阪急東商店街だが、それらよりもっと道路幅があるためか、よりさびしい雰囲気を感じた。ともかく、国道2号線をわたってまだ向こうに一直線に大正筋商店街が続いている。家内は人影がまばらなその商店街をさらに進むことをいやがったが、その大きな道路をわたる直前、つまり商店街のひとまずの切れ目の右手に、60代だろうか、夫婦がお好み焼きと回転焼きを作って売る店があった。そこで小休止することにした。
●神戸の新長田に鉄人28号を見に行く_d0053294_1048404.jpg

 通常、家内はそうした半ば露店のようなところで物を食べることは断固拒否するが、その時はよほどお腹が空いていたのだろう。そう言えば、もう5時過ぎですっかり暗くなっている。300円の豚玉を頼んだところ、かなり大きい。スチール製の小さなテーブルに着いてふたりで半分ずつ食べたが、回転焼きを焼いているおじさんが箸をもう1本手わたしてくれた。そういう親切がかつての新長田の下町情緒を示しているように思えた。それに、ピカピカになった大きな商店街に並ぶ店で1枚300円のお好み焼きとは、東京では考えられないはずで、いったい何枚売って、その夫婦は食べて行くことが出来るのだろう。筆者らが食べ終わった後、続々と人が買いに来ていたが、安いこともさることながら、夫婦の優しい印象が大きな理由に思える。回転焼きは3、4種あって、1個80円だった。お好み焼きのソースやマヨネーズの味が口の中に残っている状態で今度は甘いものをという気にならず、腰を上げて国道2号線をわたった。初めて歩く商店街の珍しさが手伝ってか、どの店もそれなりに特徴があるように思ったが、喫茶店で休むこともせず、またお好み焼きで少々空腹が満たされたので、どこかで食べようかということもせずに、とにかく先、つまり南方向に歩いた。300メートルほど進んだところで、家内が今度はたこ焼き屋を見つけた。さきほどと同じように店の脇で食べさせる小さなコーナーがあって、40代とおぼしき女性が焼いている。いや、正確に言えば、すでに焼き上がって時間が経った20個ばかりを温めていた。8個で200円。これは安い。それでまた1人前だけ注文して家内と半分ずつ食べた。家内がこうした場所で食べるのはほとんど生まれて初めてと言ってよいが、客は他におらず、また商店街を歩く人もまばらとなれば、誰かに見られて恥ずかしいという思いも減ずる。それに、寒さと空腹から食欲が勝利したのだ。たこ焼きを食べながら思ったのは、かつての道幅の狭い大正筋商店街でもこの店は同じように営業していて、もっと客が多かったであろうことだ。だが、かつてと同じように驚くほどの安価で商品を提供し、また同じように下町の雰囲気さながらのテーブルや椅子などを用意しているところに、経営者の心意気を見る思いがする。そして、ふとテーブルの片隅を見ると、そこに「新長田ガイドマップ」と印刷された商店街の店の位置を記す地図があったので、それを1枚もらった。そして地図を見ながら、顔を商店街の向かい側の店に向けると、頭上を通路が走っている。地図でそれを確認すると「地下」と表示があるので、実体がよくわからないが、新長田駅からその南の次の駅である駒ヶ林駅まで続いている。空中通路は部分的にあって、そのほかは地下通路でつながるのだろうか。とも、震災後に商店街を整備して、ビルを連ねて建て、そこに店を入れた時に同時に造ったものだろう。
●神戸の新長田に鉄人28号を見に行く_d0053294_10492253.jpg ふたたび軽く腹ごしらえをしてまた大正筋商店街を南下し始めたが、終点の暗闇が見えていた。また、大正筋商店街に交差する道の奥を見ると、銀色の電灯の連なりが見えるさびしい商店街であったが、地図によると、昭和筋商店街、西神戸センター街と名づけられているので、大正時代に出来たと考えられる本筋より後に出来たものであることがわかる。だが、逆にそれらの商店街は大正筋とは違って、レトロな雰囲気がまだ残っており、震災以前のままのように見えたのは皮肉だ。アーケードつきではないため、夢の中に出て来るようなさびしい雰囲気を感じ、疲れていなくても、そこに足を踏み入れたいとは思わなかったが、きっとそれは真っ暗な夜空であったからで、真昼であれば思いが違ったと思う。家内を放っておいて、筆者ひとりが勝手にさっさと歩いて大正筋商店街の終点間近という場所に来た時、右手に横山光輝の記念館のような小さな施設があることに気づいた。ちょっとしたパン屋程度の大きさで、中に入る店がなかったので、そうした無料の公開施設にしたような雰囲気だ。5時半で閉まるが、それまでまだ15分ほどある。30人ほどの人が入って満員だ。施設の半分はグッズを販売しているが、その部分はもう閉まっていた。残り半分の半分は10人ほどが見るようになっているミニミニ・シアターで、若松公園の原寸大鉄人28号の企画から完成までの様子が10分程度の映像となって、繰り返し上映されていた。これがなかなかよかった。どういう形の鉄人がいいか、これを公募し、若手の造形デザイナーの作品が選ばれたのだが、氏が言うところによれば「ファイト、一発」のポーズだ。その模型を金属で数十倍に拡大するのを請け負ったのは岸和田のとある会社で、そして若松公園でどのような手順で設置されたかもていねいにドキュメントされた。鉄人の両足の下には不可さ5、6メートルほどのコンクリートの基礎を打ち、そこにボルトでしっかりと固定した。鉄人が地震で倒れるということがあってはならないからだが、製作費にいくら要したかの説明がなかった。お金は商店街の人々が出し合ったのかどうか、多少気になる。テープカットは28人が参列したが、その場面を見た時、筆者はこみ上げるものがあった。筆者と同世代の、鉄人で少年時代を送った人々が新長田の商店を背負っているはずだが、彼らが鉄人を復興のシンボルにと考えたのは、戦後のマンガが大きな役割を担っていた事実を伝え、横山光輝もきっと大いに喜んでいるだろう。鉄人を発表した時、横山はまだ20代前半であったが、天才とはそういうものだ。映像によると、鉄人の塗装は錆びにくいペンキが刷毛塗りされているが、鉄人の足には早速子どもたちが登ったりしているので、塗装が剥げるのは案外早いかもしれない。そうなればまた塗ればいいだけの話で、この点は問題ない。また、当初の案では鉄人の色合いはもっとシャープでメタリックな輝きがあったが、それは没になって、くすんだ色合いが採用された。このくすんだ色合いは周囲との調和を考慮したのだろう。鉄人28号の丸みを帯びた形やカーキ色は戦後すぐの漫画であるため、かなり戦闘機や軍艦に近い印象があるが、そのレトロな雰囲気は新長田の街にはふさわしく、ガンダムの派手さはとても似合わない。施設のもう半分の半分には、鉄人28号に対決したロボットの小さな模型がたくさんあった。筆者は曲線が多用されたバッカスというロボットを記憶していたが、その名前は間違いであることを知った。それはともかく、壁面には横山のもうひとつの代表作である『三国志』についての解説があった。先に書き忘れたが、大正筋商店街にはこの漫画からいくつかのい人物が選ばれて、石の大きな彫刻が立てられている。横山の『三国志』が有名なのはよく知っているが、筆者はそれを読んだことがない。施設では横山以前に日本で『三国志』がどのように紹介されて来たかの簡単な説明や本の展示もあったが、片仮名混じりの和本は明治のものだろうか。もちろん江戸時代から読まれていたが、横山はそうした日本の『三国志』ブームをよく知ったうえで、それを漫画で描き直すことを思いついたのであろう。その点がいかにも戦前育ちの人物に思える。ガンダムやウルトラマンとなれば、そういう戦前の教養とは関係が減少するともかく、この小さな施設が商店街の終わりにあるのはなかなかよい。だが、そのことを若松公園の鉄人のすぐ近くでもっと大きく宣伝すべきだ。そうすれば鉄人を見に来た人は、商店街を必ず歩き、店に入ることにもなる。
 5時半直前のその横山光輝記念館を出たが、奥の暗がりの中に風呂屋が見えた。それがとても意外であった。さっさと引き返す家内にかまわず、筆者はその前まで行ってみた。「扇港湯」と縦書きの味わい深い書体の赤いネオンが、懐かしさをしみじみと漂わせていて、一瞬筆者は自分が小さな子どもで、母に手を引かれてその中に入って行くような気分になった。筆者は小さな頃、よくそうして母と一緒に風呂屋に行ったのだ。そのことを思い出して、筆者は泣きそうになった。そして大きな孤独感に襲われたが、それは首を左手に向けると、さらに商店街が続いていて、そこがさきほど見た昭和筋商店街のように、さびれて見えたことにもよる。大正筋商店街のようにピカピカではなく、震災に遇っていないように見えたが、たこ焼き屋でもらった地図によると、六間道商店街とある。100メートルほどの長さだ。横山光輝は駆け出しの頃、この商店街に住んだと記念館では説明があったが、そのために記念館は同所に設けられたのだろう。六間道商店街の東端は駒ヶ林駅で、そこから新長田まで一駅なので、六間道商店街を歩いてみるのもよかったが、家内の姿がとっくに大正筋商店街の彼方に消えている。それを追いながらも、記念館の向い側に立って赤いネオンが構図の中央になるように扇港湯の写真を撮った。トリミングなしで舌に掲げる。寒さのあまり、せっかく充電して来た電池がすっかり利かなくなっている。もう1枚赤いネオンのクローズ・アップをぜひとも撮りたかったが、電池の力は戻らなかった。新長田のどの場所が最も焼けたのか、10年前の新聞などを調べるとわかるが、どうやら扇港湯近辺はさほど被害を受けなかったのか、家並みは古いままであったような気がする。そして思ったのは、こんな寒い夜ではなく、真夏の暑い昼頃に歩けば楽しかったのではあるまいかということだ。もう二度と新長田に行くことがないだろうが、どうかもっと活気が戻って、多くの人が訪れて楽しい場所になってほしいと思う。大正筋商店街を戻って新長田駅から元町に出た。そこで何か食べた後、ルミナリエを見るつもりであった。だが予想に反して、元町商店街の中はルミナリエの点灯を待つ一方通行の人々で溢れ返り、遮られた鉄柵のために向こう側に行くことが出来ない。元ヤンキー風の40代らしい女性は警官に詰め寄って、「すぐ目の前のその店に行きたいのに,なんで何百メートルも大回りしなあかんの」と怒っていた。実際は何百メートルどころか、1キロほど歩かねば、10メートル目前の店に辿り着くことは出来ない。それほどにルミナリエを見る人の長大な列が元町商店街からさらに延びて駅前の車道にまで回り込んでいた。筆者はルミナリエをもう何度も見たが、今年は一番人が多かった気がする。当日は最終日から1日前の日曜日でもあるので、きっとそうだったのだろう。それに寒さもまだましであったからなおさらだ。最後尾に並べば、点灯の6時からおそらく2時間ほど経ってルミナリエの場所に到着するはずで、その時まで食事を我慢することは出来ない。それにトイレにも行きたいし、すっかりルミナリエを見る気分は失せた。それで阪急で一気に梅田に出て、地下の食堂で200CCほどのビールつきの定食を頼んだが、たったそれだけの量で顔がすっかり赤くなった。結局予定したことの半分しかこなせなかったが、それほど気分が疲れてもいた。その本当の理由は衝撃的な出来事があって、それについてずっと意気消沈して考えていたからだが、ここでは書かない。
●神戸の新長田に鉄人28号を見に行く_d0053294_1050345.jpg

by uuuzen | 2009-12-20 10:50 | ●新・嵐山だより
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