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●「WANT TO BUY SOME ILLUSIONS」
レンダー(HOLLAENDER)という作曲者名がこの「Want to Buy Some Illusions」という曲名にクレジットされている。今日採り上げる曲はウテ・レンパー(Ute Lemper)の1992年のアルバム『ILLUSIONS』の最初と最後に収録されている。



●「WANT TO BUY SOME ILLUSIONS」_d0053294_9425938.jpgそしてヴァージョン違いであることがアルバムの一体感を高めていてなかなかよい。このアルバムにはマレーネ・ディートリヒが歌った曲、エディット・ピアフの曲、同じくシャンソンの「枯葉」、あるいはモンクの名曲「ランウド・ミッドナイト」など、よく知られる曲のカヴァー演奏が収録されているが、それらに混じってこのアルバム・タイトル曲はとても新鮮で、ウテのために書き下ろされた新曲のように響くが、実際はそうではなく、戦前の曲だ。つまり、通常はほとんど知られない曲であるために新鮮に響くのだが、ある曲の古い新しいという感覚は、その曲を知っているかそうでないかで大いに決まるところがある。このアルバムに収録される他のホレンダーの曲は「Black Market(ブラック・マーケット)」、「Jonny,wenn du Geburstag hast」(ジョニー、あんたの誕生日はいつなの)」が収められているが、どちらもとても印象的でアルバム中、特に光っている。毎年晩秋になるとウテの歌声が聴きたくなるが、彼女のCDを最初に入手した場所は記憶が定かでない。1枚は京都十字屋の中古CDセールで、別の1枚はドイツ文化センターの蔵書整理セールだったような気がする。ともかく中古を安価で買ったのは確かだ。ウテのアルバムで筆者が愛聴するのは最初に聴いた『ILLUSION』で、ウテの人気が高まっていた90年代半ばだったが、売場に見つけた時に迷わずに買った。このアルバムは今ではネット・オークションでは数百円でよく出ていて、一時はよく売れたが今では流行遅れの古い作品と思われているのだろう。そして彼女の歌をこのカテゴリーで取り上げようと思ったのは、ブログを始めてすぐのことで、秋になればと思いながら毎年その機会を逸した。それはどの曲を採り上げようかと迷いがあったからで、実はこうして書いていても同じ気持ちが去らない。ウテはクルト・ワイルの曲で有名になったのであるから、本来はワイルの曲を採り上げるべきだろうが、それはまたいつか書きたいと思う。ワイル曲を除いた彼女のレパートリーの中で採り上げたい曲となると、やはりホレンダーか。ロンドン・レーベルが「ENTARTETE MUSIC(頽廃音楽)」と題して96年だったか、ヒトラーによって退廃的な音楽と烙印を押された作曲家たちのCDを20種類ほど発売した。現在廃盤で全部を揃えることは中古でも簡単ではなくなっているが、その中の1枚にウテが歌う『キャバレー・ソング』がある。1933年にヒトラー政権が誕生するまでのワイマール時代のベルリンのキャバレーで歌われていた曲をカヴァーしたもので、6名の作曲家の作品18曲が採り上げられているが、半分がホレンダーの作品だ。フリードリヒ・ホレンダーの顔や姿の写真が同アルバムのブックレットに掲載されるが、小柄な男で丸顔気味、男前とは言えない。だが、1930年だったか、ヒトラー政権誕生以前の封切りだったマレーネ・ディートリヒ主演の映画『嘆きの天使』にホレンダーは俳優として登場し、またディートリヒが歌う「Falling Love Again」も作曲したから、20年代のドイツではとても有名であったことが想像出来る。俳優兼作曲家となると先頃死んだ森繁久弥を思い出すが、国際的に有名となるとホレンダーにかなわない。それはさておき、ホレンダーとディートリヒとの関係からして、ディートリヒは「イリュージョン」も歌ったことがあるのかもしれない。
●「WANT TO BUY SOME ILLUSIONS」_d0053294_9433290.jpg 『キャバレー・ソング』によってウテは、『イリュージョン』で予告した形のホレンダーら退廃音楽作曲家の作品を数年後に改めてまとめて採り上げたことになるが、そこにはドイツ人という強い自覚があってのことと思うが、レコード会社の作り上げたイメージもかなり大きいだろう。古い流行歌をまとめた『キャバレー・ソング』は、あまり似たような企画がない点で資料的価値が大きく、またウテという新しい才能によって斬新に蘇った録音はきわめて娯楽性に富んで楽しく、ホレンダーらの曲はとても100年近い前のものとは思えない。古い曲が現在に蘇ることは、クラシック音楽と同じだが、ワイル歌いとして人気を得たウテはクラシック畑寄りの歌手と言える。だが、ウテはミュージカル『キャッツ』や『キャバレー』に出演し、87年にアルバム『キャバレー』を発表したから、ショー・ビジネスの世界から出た才能だが、88年にワイルの『三文オペラ』のポリー役で有名になるのはごく自然な流れであった。それはワイルの作曲家としての立場にも重なる。ワイルは1900年にデッサウに生まれ、ヒトラー政権後にアメリカに亡命してミュージカルを盛んに作曲して1950年にニューヨークで亡くなったが、20世紀前半ではとても重要な作曲家であるにもかかわらず、それほど録音が多い方ではない。その点、ウテがポリー役を歌ったロンドン・レーベルの『三文オペラ』はCD1枚で通して全曲を楽しめる便利さもあって、ワイルの録音としては特筆すべきものとなった。そして、同アルバムでウテの歌声は確かによく目立っているし、アルバム・ジャケット裏面にはウテの顔のみが印刷され、特別扱いと言ってよい。この売り出し方からもわかるように、ウテが美人でスタイル抜群ということをどのアルバムでも示していた。63年生まれであるから、もう50歳近いが、近年のアルバムは筆者は知らない。『キャバレー・ソング』のジャケット写真は表と裏の2枚があり、片方はセピア色で1920年代の化粧、もう片方はそれとはまるで人が違って見える今風で、この2種のウテの顔写真はウテの本質と方向性を如実に示しているが、当初はどちらかと言えばレトロな雰囲気を売りにした。つまり、オリジナル曲本位のポップス歌手と言うよりもクラシック系の歌手として流行から超越したイメージだ。だが、どのような音楽でも時代性を刻印するから、『ILLUSION』にしても『キャバレー・ソング』にしても当然20世紀末をよく反映している。そうした時代性を最も感じさせるのは、94年のアルバム『危険な愛』だ。これはフランスの作曲家のフランス語による書き下ろしの曲ばかりで構成され、またバックの演奏がやはり当時そのままの無機質的な味わいをよくたたえたアレンジで、今聴くと『ILLUSION』以上に古臭く感じる。書き下ろしの曲ばかりのアルバムは流行歌手の大きな夢だが、ウテは『危険な愛』の後、ポップス・ロック界の有名どころに曲を委嘱してまとめたアルバムも出して、レトロ・イメージからの脱却に懸命なところがあったが、古典的な流行歌を歌って人気を博した後、オリジナル曲で名声をつなぎとめるには、オリジナル曲が古典的な名曲のように立派であらねばならない。だが『危険な愛』はフランス語あるいは作曲家の才能にもよるのか、何度も聴く気がしない。大事なことはまず曲がよいことで、歌手はその次と思えばよい。それはあたりまえだが、それでもウテの魅力というものがある。そこで、ウテの歌う古典的名曲を、そのオリジナル・ヴァージョンを同時代的に知っている人が聴けばどんな感慨を懐くのだろう。たとえばやはりピアフやディートリヒのオリジナルの方がいいと言うのか、あるいはウテの方が新しい時代感覚でよいと言うのか。戦後生まれの筆者にはわからないが、録音を聴き比べることは出来る。そこで思うことはウテの声や伴奏のアレンジが今風であるため、作曲が戦前であってもそうは感じず、ウテへの書き下ろしに思える。これはウテの才能が優れているからだ。そして、『危険な愛』がつまらないのは、曲の普遍性が低いためで、ウテがピアフやディートリヒのように歴史に深く記憶されるには、時代にあった名曲を書く才能との出会いが必要だ。もちろんそれをよくわかって有名どころに曲を依頼しているのだが、現在がピアフやディートリヒが活躍した時代と同じように激動中かどうかだ。これは数十年経ってみなければわからないものの、第1次、2次世界大戦のような大きな戦争がなく、芸術活動は全般に停滞気味で、大物の出現が見込めない気がする。
 ワイマール共和国は第1次世界大戦後からヒトラー政権誕生までの短期に終わったが、当時ベルリンはパリと並んでヨーロッパを代表する都市で、当時の都市文明は現在のそれとほとんど同じだ。ポップスと言えば日本ではアメリカのそれを即座に思い出すが、1920年代のベルリンに歓楽街があり、そして大人が遊ぶキャバレーがあって、そこで演奏される歓楽の音楽があった。一方では映画という娯楽も盛んで、そこでは音楽を必要としたから、戦後アメリカのポップスの祖先的流行歌がベルリンでは大いに作曲された。ベルリン生まれのマレーネ・ディートリヒはそうした歌手ではまず思い起こされる代表で、たとえばビートルズも彼女のワイマール時代の「Falling Love Again」をハンブルクのクラブでカヴァー演奏し、レコードにもなっていて、現在のポップスと戦前のドイツの流行歌のつながりはそうしたことからも容易に想像がつく。ビートルズはロックンロールのミュージシャンとして位置づけられるが、実際はロックンロール登場以前の曲をも学んで作曲の糧とした。そこがビートルズ曲の普遍性のひとつの理由になっている。筆者がビートルズの「レディ・マドンナ」を最初にラジオで聴いた1968年は10代後半であったが、当時即座に1920年代の空気を感じた。同曲のレトロ感覚は、ポールが「Falling Love Again」をカヴァーした時に培ったものかもしれない。あるいは、ビートルズの4人の世代からすれば、ワイマール共和国はさほど遠い国の遠い時代ではなかったのだろう。そこには20世紀のヨーロッパをひとつのまとまりで考えるべき問題があるように思う。そして、ウテが20世紀末頃になって登場したことは、ヨーロッパにワイマール文化が忘れ難く刻印されていて、その価値を絶えず検証し、また積極的に認めたいという思いがあるのではないだろうか。話は変わるが、藤原紀香がミュージカル『キャバレー』に出ていることを先頃のTVで知ったが、その一方でウテの『キャバレー』のジャケット写真を見ると、そのあまりに決まったポーズと比べて、紀香はあまりにも素人じみてまた味噌臭く見える。「キャバレー」という語彙はヨーロッパのものなのだ。そしてそれを背負ってウテは登場した。「キャバレー」の言葉から「退廃」を連想するのは誰しもであろうが、それが芸術と無縁であることは全くない。20世紀の芸術はその「退廃」を積極的に主題にして取り組む態度の中から真に価値のあるものが生み出されて来た。そして、むしろ「退廃」を言い始めたヒトラーやナチの方が頽廃荒廃していた。物事はすべてそうで、何事かに対して偏見に凝り固まった意見を吐く連中は自分たちがそういう存在であることを世間に向かって示している。ついでに書いておくが、筆者はウテの姿や歌から、70年代の映画『愛の嵐』を思い出す。ユダヤの少女がナチの将校に犯され、戦後将校がかつての身分を隠してひっそりと生きている時、かつてのユダヤの少女は指揮者の妻としてその男の前に現われる。ふたりは昔を思い出し、また性交渉を持つ。かつてその少女は将校の前で上半身裸でキャバレー・ソングを歌わされ、その場面が特に有名だが、少女が好意を持った男性の首を将校が切り落として小さな箱に詰めて少女にプレゼントするといった衝撃的な場面も忘れ難い。戦争中の物語であるので、性と死が隣合わせにあり、またユダヤを支配するナチという構図もあって、男女の関係は平和な時代の平凡な愛の物語とは全く違うものになるが、死と隣合わせの、そして倒錯した愛を考える時、ワイマール時代からナチの時代はひとつの究極のそのモデルを生み出したように思う。そして、ヨーロッパ人はそれをよく記憶しており、それがウテのような才能の出現を促したのではないだろうか。
 さて、『ILLUSION』はどの曲も素晴らしく、またアルバムとしての構成、曲の選択や配置もよい。聴いていると、この世においてウテの声以外に何もいらないという気分になるほどだ。本当を言えばこのアルバムのどの曲でも今回の文章のタイトルにしてよいのだが、ウテのオリジナル曲と錯覚するものとなるとタイトル曲がよい。この曲を最初と最後に収録することは、このアルバム中で最重要でしかも彼女にとってもお気に入りで、彼女の歌手としての性格をよく示すと考えてよい。ウテの名前はドイツ系だが、フランス語や英語でもよく歌う。どの言語も巧みだが、一番ウテらしいのはやはりドイツ語で、Rの巻き舌の発音は聴いていてナチを連想させ、どこか演技じみて面白い。そうしたドイツ語の発音のきっぱりと断定的な、そして勇ましい雰囲気がウテの魅力で、それは日本の「私は無抵抗で、ただかわいいだけの存在です」といったロリータ風とは正反対だ。また、このアルバムを聴いていて筆者が痺れるのは、ウテが大声で張り叫ぶ箇所だ。単に声量があるというのではなく、ドラマティックに歌うのがうまい。声量云々で言えば黒人女性歌手を初めとしてわんさと存在するが、ウテはその美貌に似て、声が透き通っていて混じり気がない。だが、自分で作詩作曲しないウテのような歌手は、年齢を重ねれば美貌も衰え、下火になるのは目に見えている。実際ウテの人気はそのようにしてこの20年はヨーロッパ中からアメリカに広がりながらも、デビュー当初の圧倒さは次第に減少して来たのではないだろうか。現在のウテの人気が相変わらず高ければ、古いアルバムもそうは見られないのだが、現在の人気度から『ILLUSION』を聴くと、安売りされるのもわかるような気がする。だが、ワイルを歌った歌手として今後長く記憶されるのは間違いがない。頽廃芸術とされた絵画ほどには頽廃音楽はよく知られていないが、それは演奏を聴く機会がないからで、そういう穴をウテの登場は少しは埋めたところがある。ウテの魅力にはワイマール時代の歌手の影が大きく重なっていて、そこがアナクロなのだが、現在人としてのウテ、すなわち今熱い流行人としての魅力がもう半分あって、ウテの歌を聴く人は、時代を超えて変わらぬ歌の魅力と、時代に応じて登場して来る新たな流行美人歌手というふたつの側面を同時に味わう。「Want to Buy Some Illusions(幻を買わない?)」の歌詞は、女性が歌えば、束の間の楽しみを男に売ろうとしている売春婦の思いのように受けとめることが出来る。前半だけ訳すと、「幻を買わない? ちょっと使い古しかも? とても楽しい幻なのよ。砂の上に高くそびえて天国のような気分なの。言葉では説明出来ないわ。この狂気の天国の中ではね。あなたは痛みを伴う愛の中にいるのよ。」となるが、「使い古し」という言葉から売春婦の若さを過ぎた体を思うと、これはほとんどベルリンのキャバレー・ソングが流行していた時代に描かれたオットー・ディックスの「痛みを伴った」絵画を連想させる。また、女が何か面白く珍しい骨董品を客に売ろうとしている姿を思うのもよい。筆者にすればそれは初めて買ったウテの中古のこのアルバムでもいい。音楽もまた幻だ。特に安っぽいCDに詰め込まれているものは。となれば、「Want to Buy Some Illusions」とは、このCDを買えというメッセージということになる。
by uuuzen | 2009-11-26 09:43 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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