耳奥に突如蘇る古い曲がある。最近妙にこの「青いカナリア」が思い起こされる。なぜかと考えるが、よくわからない。

まだこのカテゴリーに取り上げていないが、その予定のある曲に「青」がつくものがある。それを思っていたので、連想したのかもしれないが、それだけが理由でもなさそうだ。ネットで調べてわかったが、この曲はダイナ・ショアが1953年に録音したもので、その頃筆者は2歳だったが、ラジオでこの曲がよく鳴っていたことをはっきりと記憶する。当時のヒット曲は息が長く、数年はラジオで聴くことが出来て、60年代初頭になってもまだたまにラジオで鳴っていた。そのように何年にもわたって聴いた曲であるので、意識するまでもなく記憶に深く刻まれた。だが、記憶をたどると、最初に聴いたのはやはり2歳頃のような気がする。となれば、筆者はラジオでビートルズを聴き始めるずっと以前に、アメリカのポピュラー・ソングの洗礼を受けていた。そうしたことがあったので、新出のビートルズの音楽の斬新さがよくわかり、それを即座に受け入れることが出来たのだ。ここで思うのは、筆者と同じ年齢の友人、知人たちだ。彼らはほとんどビートルズに露骨な拒否反応を示したが、それはおそらく筆者のように赤ん坊の頃からよくラジオが鳴っているという状況で暮らしていなかったからと思える。その分、彼らは何をしていたかだ、きっと外で遊んでいたか、ラジオをかけっ放しにすることはなかったのだろう。あるいは音楽に鈍感であったかだ。わが家でも朝から晩までラジオをかけることはなかったはずで、幼少の頃を思い出すと、うす暗くて静謐な室内が浮かぶばかりだ。そうであるから、ラジオから鳴る音楽にはよけいに反応したと思える。筆者は音楽に敏感と言うのではなく、音全般にそうであったと思う。筆者が幼児の頃のラジオ番組が音楽ばかりやっていたのではないことはあたりまえで、朗読やニュース、落語、歌謡曲、邦楽、童謡その他、今のラジオ以上に多彩であったが、母がどうも洋楽を好み、そういう番組を中心にダイヤルを合わせていたのは確かだ。だが、このカテゴリーには書かないが、筆者はこの「青いカナリア」を聴いたのと同じラジオで、たとえば日本のコマーシャル・ソングなども盛んに聴いてよく記憶しており、それらの歌詞やメロディが自分にある程度の影響を与えていることを自覚する。つまり、洋楽だけ聴いて育ったのではなく、歌謡曲にもどっぷりと染まっている。だが、不思議とそういう曲はあまり思い出さない。その理由がよくわからないが、おそらく洋楽にあって歌謡曲にない独特のサウンドやメロディが記憶に異物的により深く刻まれやすかったのだ。そこが、最近になってふとまたこの曲をよく思い出す理由である気がする。日本でヒットした理由というのもそこではないだろうか。日本は日本にはなくて、咀嚼出来るものを受容して来たはずだが、この曲はその意味で大ヒットの条件をよく備えていたのだ。
これも同じくらいに遠い記憶だが、筆者が子どもの頃、小鳥を飼うブームがあった。近所では何軒もが手乗り文鳥を買っていたし、筆者もよくそれを触らせてもらった。今なら鳥インフルエンザもあって、そのような趣味を持つ人はごく限られる気がするが、小鳥をペットにする時代が50年代の大阪にはあったのだ。あるいは筆者の近所には。その理由のひとつにこの曲のヒットがあったのではないかと睨んでいる。筆者の身近にはカナリアを飼っている家もあったが、青の羽色はどうもなかった記憶がある。それに本当に青いカナリアがいるのだろうか。筆者はそれを見たことがなく、また確認しようとしたこともないが、今こうしてワープロで書きながら、ネットで調べるとすぐにわかるなと思っている。だが、今は青いカナリアがあるとしても、それはこの曲の大ヒットの後に作り出されたか、日本に入って来たかもしれない。ま、それはいいとして、物心ついた筆者がこの曲のメロディと、「青いカナリア」というかなり幻想的な曲名を結びつけて、異国情緒を感じ続け、そこに無意識のうちに多くのものを学んだ気がする。そしてそれを分析するようになるのは大人になってからのことだが、この曲の分析をするのは今この場が初めてであり、2歳頃の遠い記憶の正体を書き留めておこうというわけだ。これは祓いのようなもので、それを通じて2歳頃の記憶を確定しておきたいのだ。それは音楽を多少知り、また文章を書くことの出来る年齢になったからであって、幼い頃の記憶を客観視出来ることが何よりもの理由だ。さて、筆者が手にする「青いカナリア」は価格が370円で、ジャケットはカラーであるので、初版ではなく、10年ほど後の再版もののはずだ。ネットで調べるとSP盤があるようで、それが初版かもしれない。大ヒット曲したので、根気よく探せばSP盤ではない45回転のシングル盤の初版が入手出来ると思うが、あまり有名過ぎて、ある時期大量に破棄されたこともあり得るか。話を戻して、この曲は明るいものではなく、「青」から連想されるように孤独感が強い。どういう歌詞内容かもちろん知ることはなかったが、ジャケット裏面に歌詞が載っている。題名の下にVic Florinoとあって、これは作曲家の名前と思うが、イタリア系のようだ。歌詞を直訳する。「青いカナリア、彼女はとてもブルーな気分。叫んで溜め息をつき、あなたを待つ。青いカナリア、丸1日中彼女は歌おうとする。雄のカナリアはタンゴを歌い、甘く子守歌を歌うでしょう。彼はあなたのブルーな気分を追い払ってくれるでしょう。だからどうか泣かないで、いとしいあなた。青いカナリア、そんなに悲しまないで。わたしはすることがわかっているから、この曲を歌うのに長くはかからないわ。そしてあなたと一緒に家に飛び去りましょう。」 タンゴという単語があるのは面白い。タンゴがはやっていた時代なのだろう。シングル盤のジャケット裏の解説によると、ダイナ・ショアはテネシー州ウィンチェターからニューヨークに歌手志願で上京するが、その立身出世主義を持ち合わせていたところは、この歌詞を歌うことに説得力を持たせたことと思える。彼女は郷里にいる時に「ダイナ」を得意な曲としていたのでそれを芸名にそのまま使うようになったが、最初に彼女を発掘したのは、ザヴィア・クガートというから面白い。クガートの曲については先般このカテゴリーで取り上げたが、そのオーケストレーションの華麗さは今聴いても斬新で色褪せていない。そのクガート楽団の歌手となったダイナ・ショアはラテン音楽を歌って人気を上げ、その後ヴォードヴィルの大御所の目にとまってひとり立ちする。その後はラジオやTVで盛んに活動し、自分の番組を持って不動の地位を築き、女性歌手では最も有名な存在となった。日本ではこの曲がダントツで有名だが、アメリカ本国ではそうではなかった。そこが日米の好みの差として掘り下げる価値のある問題と言ってよい。
歌詞は、女性が籠の中のカナリアに託して自分の恋人への気持ちを歌っているという、タイトルからそのまま想像されるような陳腐な内容だ。2歳当時の筆者はそんなことを知るよしもなく、それでいてこの曲に馴染んだのは、まずカナリアの鳴き声を模した効果音の多用だ。これは本物のカナリアの声なのかどうか知らないが、どうもそうではなく、玩具か、たとえばクガートが用いるようなラテン音楽で用いる楽器ではないだろうか。この鳥の効果音を用いる曲作りは、ビートルズの「ブラックバード」に影響を与えている気がするが、あるいは効果音を用いるポップスがこの曲以前にあって、この曲と「ブラックバード」は同じ根から生え出たものだろう。「青(BLUE)」が曲名につくことは、先の歌詞に見たように、ブルーな気分を歌うからだが、作曲にブルースを意識するという点もあるだろう。ダイナ・ショアにはもろブルースの「夜のブルース」というヒット曲がある。テネシー州の生まれであるので、ブルースをレパートリーにするのは当然で、それを歌いこなせなければ歌手としてやって行くことは出来なかったと言ってよい。だが、「青いカナリア」は黒人のブルースを感じさせない不思議なメロディをしており、そこがまた日本の好みに合った点ではなかったかと思う。今手短にメロディを拾ってみたが、Eを基音とした5音音階にAマイナーとAメジャーが組み合わさっている。「雄のカナリアはタンゴ云々」から始まるサビはAメジャーで展開するが、明るい感じに転調する割りには、黒鍵を3つ使用して、それまでのメロディとは鮮やかに対立して不安感を逆に漂わせる。また、ダイナ・ショアの歌い方もうまいが、そのサビ部分の最後「あなたと一緒に家に飛び去りましょう」は、A音にトントンと下がり戻り、よく印象に残る部分となっている。歌詞の言葉とメロディがよく合致した部分なのだ。そういう点はビートルズもたまに本能的なうまさで作品化した。そして下がり切ったA音からまた主旋律の冒頭のE音につながるが、この主旋律の5音音階は、Eマイナーともメジャーとも言える5音から成り、Eが「ブルー」、四度上のAが「カナリー」という言葉に充てられて、このふたつの音でカナリアの鳴き声を象徴している。だが、曲の背後に鳴り響くカナリアの効果音はごく普通の鳥か、もしくは無粋な機械音といった感じでそのような抑揚はない。サビの歌詞に「彼はあなたのブルーな気分を追い払ってくれる」とあるのは、作曲上ではそれまでの物哀しい雰囲気を長調に転調することで払拭していることに呼応するが、Eを基音にする5音音階の中に半音箇所があるものの、それは黒人のブルースに見られるブルー・ノートの半音とは違う。EとAは完全四度の協和音で、この曲が半音を意識させるのはむしろサビの長調の部分だ。全体に単純な曲だが、歌詞と曲が見事に合っていて、そこに鳥の鳴き声や、オンド・マルトノのような音を思わせる女性の一種亡霊のような歌声が背後にかぶさって、小さな籠に捕らわれている情景とともに不安感がよく表現されている。そうした不安感は半音を効果的にメロディに置くことで表現出来るが、ブルースはその典型と言ってよいだろう。
この曲から53年という時代を読み解くことも可能かもしれない。歌詞にある希望は、たとえば後に坂本九の「上を向いて歩こう」といったポップスに通ずるように思える。今は不遇だが、夢を持って生きようというこの曲の歌詞が、当時の日本では受けたのだ。だが、アメリカでは彼女の代表曲にはなっていない。手元に昔NHK-FMで録音したダイナ・ショアのカセットがあって、今引っ張り出して来て聴いているが、代表曲は何と言っても「ボタンとリボン」だ。これは日本でも大ヒットしたが、筆者はそのカウボーイ・ソングよりも、断然このどこかスリリングな「青いカナリア」を好む。ビートルズをさんざん聴いた耳からすれば、ビートルズの先駆をなしている気がするし、そう思えば日本でビートルズが異常とも思えるほど歓迎されるに至った理由として、こうした洋楽のヒットが下地にあったことを思わないわけには行かない。この曲をこのようにして記憶して書くことの出来る世代は筆者より上と思うが、ビートルズを2歳の頃に聴いて今熱心なビートルズ・ファンになっているような人々に、こうした名曲がビートルズの出現の10年前にあったことを一度は思ってもらいたい気がする。ビートルズが突然変異のような存在で、図抜けた天才と持ち上げるのはいいとしても、それは多分にレコード会社の戦略、あるいはイギリスのアメリカに対する優越感もあってのことだ。アメリカのポップス界あってのイギリスのそれであって、その逆はなかった。ビートルズ以前のアメリカの洋楽の奥深さを知ると、なおのことビートルズが必然的に歴史の中から浮かび上がって来たことがわかるだろう。そうだとして、2歳の頃の筆者が今こうしてこの曲をレコードで聴き直し、そしてこのように分析して書くことはどういうこれからの行動につながるのかと思う。これからの筆者は、「この曲を歌うのに長くはかからないわ。そしてあなたと一緒に家に飛び去りましょう。」とこの曲が歌う理想郷としてのホームに戻りたいと思っているのかどうか。その理想のホームとは、2歳の筆者にすれば、静謐な、たいして家具の何ものもない貧しい家の一部屋で、そこがまざまざと思い浮かびながら、そこにこの曲がラジオから鳴り響いているのは、何とも寂しげな光景であるから、そこから脱出して今ここにいる方がはるかに幸福に思えるが、その反面、その失われた遠い日々があって今の自分があることを思うと、それをそのまま受け入れるしかないことも実感する。何だか感傷を鑑賞しているようなところがあるが、この曲にはそういう味わいがあるのだ。