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●『BAD LOVE~愛に溺れて~』
い愛とは何か。これは儒教精神からすれば不倫に決まっているが、それを主題に扱う韓国ドラマは90年代以降は特に増加しているのではないだろうか。



これは比較的健全な家庭ドラマがひととおりあれこれ変化を試み尽くされた後の状況としては必然だが、それをドラマ自体の自律的変化として見るのか、あるいはドラマは結局社会の変化に沿った産物であるという視点を取るか、人によって意見は違う。筆者はそのどちらでもあるという中間的な立場を取りたいが、ドラマというジャンル自体の中での変化を言うのであれば、韓国は日本より先んじて、韓国ドラマが扱うような家庭ドラマやトレンディ・ドラマにしても、みな20年や30年前にやり尽くしたものという見方も出来る。だが、これとて全部そのとおりではなく、韓国には戦後民主主義の思いテーマを扱った社会派ドラマがあって、それは日本では望むことは出来ず、またあえて避けて来たジャンルでもある。それはTVドラマはスポンサーがあるので、あまり硬い内容では視聴率が取れないという理由からだ。だが、NHKならそうした連続ドラマの製作も可能であるのに、不思議と政治の歴史を中心に据えたドラマなどはなかったし、今後もないだろう。それは国家が安定しているという見方も出来るが、それは呑気というものだ。韓国の方がまだ日本よりその辺りのタブーはなく、政治あるいは国家は自分たちが作って行くという国民意識が強いのではないだろうか。確かにかつての軍事政権の韓国では検閲が厳しく、とてもあからさまに政治を主題にしたドラマなど作られなかったろうが、表現の自由があったならあったで、日本は奇妙に暗黙の自粛のような思いが働き、政治の裏面や社会の矛盾を突くようなドラマは歓迎されない。その理由の分析はさておいて、話を戻すと、韓国ドラマは日本でさんざん作られたような内容ばかりではなく、やはり国民性の違いが大きく、その違いを見ることで、日本の現状がわかるのではないかというのが、筆者のこのカテゴリーのひとつの意味だ。それは最初に書いたように、儒教精神の差という問題に収斂すると感じているが、日本も江戸時代までは儒教を盛んに学んだから、その残滓のようなものはまだ存在していて、それが韓国ドラマの本質に反応するというのが正しいかもしれない。これはあまりに儒教だけに囚われた見方だと思われかねないが、あえて言えばそれほどに日本では儒教はすでに残滓としか言えないものになっているからだ。だが、儒教が盛んであろうとなかろうと、人間の本質は同じであり、ただ、儒教という一種の枷がどう精神に働き、それがドラマの内容に影を落とすかだけの問題と見ることが出来る。つまり、筆者は儒教精神が濃厚であるから、人間の精神が健全であるというう立場を全く取るつもりはない。むしろ、儒教精神があることによって、人は内面の欲望をより抑圧するであろう。だが、それもまたあまりに単純な見方で、そうした見方を全部わかったうえで、なおかつ儒教という教えを生んだ中国は人間の本質を見きわめ尽くしていたというべきではないだろうか。つまり、儒教をほとんど何も知らないで、儒教の悪いであろう部分をあげつらっても仕方がなく、せっせと韓国ドラマを見て分析し、日韓の儒教についても考えるのがよい。今後は中国の時代がやって来るようだから、その試みは無駄ではないどころか、むしろ絶対に欠かせないものではないだろうか。
 BAD LOVEというタイトルが韓国でもそうだったのかどうか知らないが、英語のタイトルにするところ、いかにもトレンディ・ドラマっぽくて、量産ドラマにふさわしい。ネットで調べると、このドラマの脚本は『火の鳥』を書いた人の手になるそうだが、『火の鳥』の貧しさから成功者となって行く内容とは違って、ここでは最初から会社の会長の息子と、パリ管弦楽団の団員になれるというほどの才能ある女性チェリストを主人公とし、貧困部分はほとんど描かれない。それほどに韓国経済の成長を反映していると見ることが出来るが、『火の鳥』に顕著であった苦労して成功するという主題はもう使い古されたものという考えが脚本家にあったからとも言える。とはいえこのドラマにも成功した貧しさから若者は登場するから、貧困の要素は忘れ去られてはいない。韓国ドラマでは必ず屋台で飲む場面が登場するが、それとは反対にホテルでの豪華な食事の場面もよく映し出される。この金持ちと貧困という両極端に、人間として性質がよいか悪いかが組み合わさってドラマが生まれるが、そうした筋立ての可能性はもう出尽くしているところがあり、後は演ずる役者や使用する音楽、ロケ地をどこにするかなどによって、変化をつけるしかない。また、お金をどれだけ費やすことが出来るかという面も大きい。経費に余裕があれば、それは美しい映像や豪華な衣装、膨大な数のエキストラといった点に特徴が出るが、そうしたものがあるから視聴率が高くなるかと言えば、案外、いや決してそうではないところが面白い。製作費をけちっていてもそれなりに秀逸なものはある。ドラマは結局作り話であり、作り事めいた部分はどのような経費をかけようが絶対になくならないから、ならばそれほど費用をかけずとも面白ければよいということになる。その面白さは、経費不足によるチャチなセットや撮影、あるいは脚本の未熟さであってもいっこうにかまわない。B級はそれなりに面白く、経費的に超A級でありながらあちこち小さなボロが見えている作品よりはるかに好ましい。その意味で言えば、このドラマは、A級に属するものでありながら、全20回は少し長く、最後の4回分は間延びしてよけいなものであった。終わりよければすべてよしであるのに、このドラマはその点で見事に失敗している。見所は、3年ぶりにドラマ出演した主演のクォン・サンウと、その相手役のチェリストを演ずる女性イ・ヨウォンのふたりの演技だが、筆者は特にイ・ヨウォンの表情の変化が面白かった。彼女は最初はふっくらとした顔で、とてもにこやかに演じていたのに、ドラマが進むにつれて、製作スケジュールが厳しかったのか、ほっそりとやつれて来る。それにドラマの内容に沿って、笑顔を見せなくなる。その一種のうっとうしさがこのドラマの大きな印象となったのは残念だが、同じくクォン・サンウもいつも怒ったような顔つきで、せっかくのふたりの愛情ドラマも現実感が全く伴わない。
 さて、韓国ドラマではいつも芸術に携わる配役が設定されるが、このドラマではイ・ヨウォン演ずるナ・インジョンがまずそうだ。彼女はひとり娘で、それほど金持ちではないが、チェロの演奏家として育てられた。その彼女がある日恋に落ち、妊娠までしてしまう。恋に落ちた相手は、ある大企業の会長の娘の夫スファンだ。済州島のリゾート・ホテルの竣工式があって、そこに演奏家として呼ばれたインジョンだが、一方で時期の社長になるとばかり思っていたが、その希望が絶たれたスファンと、迷路の公園でばったりと出会う。スファンは自分が妻子持ちであることを隠して接し、後でそれを知ったインジョンはそのことをなじるが、妊娠していることを知ってそれでもかまわないと、なお関係を保つことを選ぶ。そのことがスファンの妻、つまりスファンが勤める会社の会長の娘に発覚し、インジョンは姦通罪で訴えられ、しかもチェロが演奏出来ないように手首に大怪我を負わされ、そして流産する。この辺りの筋立ては韓国ドラマ特有の激しさがある。頼りないのはスファンで、女房に全く頭が上がらない。それは貧しい境遇からのし上がって、会長の娘を妻にしたという弱みもあるからだが、野心家の彼がちょっとした気の緩みから、インジョンを玩んだという描き方かと言えば、だいたいはそうであっても、そこはやはり肉体関係にまで発展するふたりであるから、スファンは女房にない何かをインジョンに見たし、インジョンもスファンが好みのタイプであったと見るしかない。実際筆者が面白いと思ったのは、スファンと抱き合う場面でインジョンの最高の笑顔が見られたことだ。その後インジョンがクォン・サンウ演ずるカン・ヨンギと恋仲に発展しても、インジョンは同じような笑顔を決して見せない。それは、不倫から流産した女という設定であるから、心から笑顔になれないという脚本家の指示にしたがったのであろうが、それを割り引いても、イ・ヨウォンはクォン・サンウよりも、スファンを演ずる俳優の方が好みであったからではないだろうか。それはさておき、インジョン役は難しいが、イ・ヨウォンはよく演じていた。彼女は映画『子猫をお願い』に出ていたから、筆者は見たことがあるが、記憶にない。知的な印象が強く、韓国でも得難い女優ではないだろうか。さて、カン・ヨンギだが、これはスファンの義弟という役柄だ。スファンの妻の父、つまり大会社の会長が妾に生ませた子どもで、その出自もあって、会社経営には興味がなく、渡米して画家として活動しようとしているが、会長の金婚式が済州島で催されるというので帰国した。そこでインジョンとはちょっとした出会いがあったが、お互い意識せず、先に書いたよりに、インジョンは同じ場所、同じ機会にスファンと恋に落ちる。
 スファンとの仲をその妻によって絶たれ、手首も傷つけられたインジョンは、パリ管弦楽団入りの夢を諦め、チェリストもやめる。物語は3回目に入って早速それから5年後を描く。サンチョクだったか、韓国ドラマでは盛んに使われる海辺の街に舞台が移る。そこでインジョンは小さなフランド・チキン屋を経営している。そして近くの島に廃校があって、そこを買い取って農園を作り、父と暮らそうとしている。5年前の事件で母は死に、父は寝たきりになってしまったのだ。そのようにひっそりと暮らしているインジョンだが、スファンの会社は同地を開発することになって、ある日車で出かけたスファンはインジョンを目に留める。そして、アメリカからヨンギも帰国して、その島の廃校にやって来る。ヨンギは5年の間に心に大きな傷を負っていた。それはアメリカで同棲していた恋人が手首を切って自殺し、それを自分のせいだと罪の意識にさいなまれていたのだ。この女性は、最初の回では済州島のリゾート・ホテルのエレベーターの中でヨンギとセックスの絡みシーンを演じて、女優としてはいかにも2、3流の印象が強いが、その最初の回だけの出演かと思っているとそうではないところがやはり韓国ドラマで、後半になって、瓜ふたつの別人役で登場する。そして物語に大きな起伏をつけることになるが、それはかなり脚本の練り不足の感が否めない。それはさておき、廃校をヨンギは買い取っていたが、その前にインジョンが買っていた。つまり業者は二重売りをして、さっさと姿をくらまし、インジョンは大損をすることになる。消沈したインジョンは、ヨンギに交渉し、結局廃校をアトリエとして改造する大工たちの食事を提供する仕事を与えられ、その間にヨンギとの間に恋が芽生える。だが、ふたりは自分たちの過去を隠している。そうこうしている間に、サンチョクの開発話が進み、業者がある老人施設を壊すという段になって、インジョンはそれに抵抗するなど、スファンの会社とも対立して行く。一方ヨンギは会社経営に全く興味がなかったが、会長は自分の後継者として娘婿のスファンではなく、ヨンギに与えたいと思っていながら、スファンのかつての不倫を知るなどして、心労から急死する。そうなれば俄然ヨンギは会社経営に関心を示し、友人から片腕となる者を呼び寄せるなどする。野心のあるスファンは自分が後継者になることを画策し、そのかたわらヨンギと恋仲になっているインジョンを離婚してまでも取り戻そうとする。そしてヨンギのインジョンへの恋心をそぐために、かつての自殺したヨンギの恋人そっくりな女性を見つけて、ヨンギに接近させる。その女性は単なる金目的であったが、次第にヨンギに恋心を抱き、インジョンを敵視する。かつて熱烈に愛した恋人の生まれ変わりであるかのような女性とインジョンの前にあって、ヨンギは愛情を試されることになるが、インジョンを選ぶ。そして、スファンの画策は成功せず、それどころか脳の病気を発生し、手術をして一時は持ちこたえるが、結局死んでしまう。
 ドラマは後半になって、スファンの妻を加えた女性3人、そしてヨンギとインジョンの5人が絡み合って複雑に展開するが、その内面が個々によく描かれているかと言えば、先に書いたように成功しているとは言えない。スファンが若くして死んでしまう設定は、かつて未婚の女性を妊娠までさせたという、儒教精神からすれば許されない非人道的な行為から当然のことと受け入れられるだろう。そして、相手が妻子持ちだとわかった後でもなお交際を求めたインジョンもまた、手首に怪我を負わされ、おまけに両親も失意のまま死ぬという、当分の間は悲惨な末路として描かれるのもまた、韓国人ならば理解出来る話であろう。インジョンとスファンの恋はBADであったわけだ。となれば、この物語はヨンギは脇役ということになりかねない。だが、そのヨンギも妾の子という設定であるから、ある意味ではBAD LOVEの落とし子だ。大会社の会長が正妻以前に妾に子を生ませたという話は別段珍しいない。そうした話は大会社や貧乏、また儒教が盛んであるかどうかも全く無関係で、人間である限り、いつまでもどこでもある。だが、そうしたものをいちおうはBADとして人の心に植えつけておかねば、社会が乱れてうまく機能しないというのは、ごくあたりまえの人間の思いであって、それがあったからこそ、動物とは違って人間の社会が築き上げられて来た。だが、ここで問題なのは、やはり愛とは何かという問題だ。妻がいても、男はさまざまな事情や条件が重なって、ある女性に愛の思いを抱くことはあるし、それが一歩進んで子まで儲けることもある。そういう問題が少ない方が社会全体の規律保持からは望ましいだろうし、それをよくわかって儒教も続いて来たが、社会が優先して個人が没していいのかどうか。そこを考えれば、BADと認識されていることでも、愛の言葉によって、それが一概にBADとは言えないものと化す場合はあるし、そのような一種の余裕を社会が残しておかねば、たとえばBAD LOVEの結果生まれて来た子の進むべき道がない。この物語で面白いと思うのは、妾の子が遠慮もあって、自分だけが父親の男子であるにもかかわらず、会社経営に興味を示さず、芸術の道に進んでいるという設定だ。これはなかなかよい。芸術とは本来そのようなものだ。何か心に傷のようなものがなければ、頭でっかちか、単に手先が器用なだけの作品を作ることに終わる。芸術は心の最も奥深いところに関係するものであるから、それは心のさまざまな試練を受けるべきなのだ。いや、それしか方法がないと言ってよい。インジョンもまた不倫経験を経て、いくつもの試練を経たが、結局心に傷を負った者同士、つまりインジョンとヨンギは、1年の別離期間を経て結ばれるところでドラマは終わる。このドラマではとても激しい気性を演じたスファンの妻だが、最後は子どもを連れてアメリカに移住する。インジョンにとっては最大の敵は目の前からいなくなったという設定で、でなければヨンギと結ばれることもなかったであろう。数多い韓国ドラマの中で、必見ものとはとても言えないし、見た後はさっさとすぐに忘れてしまったが、心にどこか引っかかる部分があって、書いておくことにした。
by uuuzen | 2009-06-17 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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