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●5月のザッパ・カヴァー・ライヴ予告
●5月10日、京都三条河原町下がるの『DEWEY』にて、去年と同じくザッパニモヲの「母の日ライヴ」があります。顔馴染みの方、そうでない方もお待ちしております。いつものようにお土産を用意しますが、手製ゆえに数に限りがあります。


●5月24日も、大阪中津のLive Space「Vi-Code」にてザッパ・カヴァー・ライヴがあります。わたしへのインタヴューもあります。またやはり数量限定ですが、10日の「母の日ライヴ」とは違った手製のお土産を用意します。詳細は追ってお伝えいたします。
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# by uuuzen | 2025-02-24 11:33 | ●ライヴハウス瞥見記♪
●ムーンゴッタ・2024年12月
れた月 やがて戻るや 丸い皿 さらっぴんから また割れ始め」、「満月を 国旗に使う 国ありや 三日月好きな イスラムは問い」、「太陽が なければ月も 輝かず ただのあばたの 鈍い塊」、「今月も 満月の夜を 迎えられ 余は満足じゃ 豚饅も食べ」
●ムーンゴッタ・2024年12月_d0053294_00091298.jpg
今夜の満月はコールド・ムーンと呼ぶらしい。夜8時頃までは雲が出ていたが、「風風の湯」から帰る9時半頃には雲はすっかり消えて頭上にくっきりと浮かんでいた。少し右手に光る月は金星か、今夜はそれを含めて写真を撮った。どうでもいいことかもしれないが、今夜家内は85M奥さんから昔話を聞いた。85Mさん夫婦は大阪市内の鶴橋や阿波座界隈に長く住んでいたと以前聞いたが、今夜家内が聞かされたのは吹田に住んでいた頃のことだ。夫婦は犬好きで、嵐山に来てからは同じ自治会内の帯問屋の大の犬好きの夫婦と親しくなり、筆者は渡月橋近くで彼ら2組の夫婦が犬をそばに置いて談笑している姿をよく見かけた。親しくなったため、帯問屋の夫婦は85Mさん宅にある日メロンを持参した。85M奥さんは戸惑い、京都人にどう接していいかわからず、「風風の湯」で筆者の家内に相談した。85M奥さんはそれ相応のものはお返ししたと思うが、帯問屋の主人は間もなく亡くなり、その奥さんも2年ほど後に世を去った。筆者はご主人が亡くなってからも元気であったその奥さんと話したことがあって、意外な気がしたが、80代ではいつ死んでも不思議ではない。85Mさん夫婦は犬好きだが、現在のマンションでは飼っていない。それはさておき、85M奥さんが吹田市在住時、飼い犬の散歩でダルメシアンを連れた青年と顔を合わすようになった。犬好き同士で親しくなったところ、青年は「慶応義塾を出て今はユニクロに勤務しています」と自己紹介した。その言葉を筆者が聞くと男を信用しないか、軽い馬鹿だと思う。一方、同じく犬好きの若い女性がいて、彼女はダルメシアンに触発されたのか、また85M奥さんが勧めたのか、同じような高級な犬を飼い始め、青年に接近した。ある日、85M奥さんは青年にユニクロの社長の経歴について話すと、青年は何も知らなかった。おかしいなと思っていると、青年が嘘をついていたことが若い女性の話からわかった。嘘がばれて青年は転居したが、別の土地で見知らぬ若い女性をものにするために同じような嘘をついているだろう。それは一生治らない。まともな大人であればそういう男は簡単に見抜けるものだが、若い女性はたいてい簡単に騙される。家内の姪も大学時代に交際した男が阪大の医大生と言っていたのに、高卒の肉体労働者であることがわかった。学籍詐称で女をものにするのは今も同じだろう。女は男の価値を嘘かもしれない肩書で判断する。また男は嘘をつくほどに妙な度胸が具わって行く。馬鹿な女がいつの時代にもいて、馬鹿男を恰好いいと思う。それはお似合いの関係で、何の問題もない。

# by uuuzen | 2024-12-15 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●「パッケージ もっと遊べよ おっとっと 大人買いする 工夫はほしき」
きを 人は喜び すぐ忘れ 何かないかと スマホを見つめ」、「アイデアが 尽きて困らぬ 焼き直し そのうちバズる 数撃てばよし」、「わずかな差 見分けられぬは 素人か この世は広い みんな素人」、「おっとっと またポケモンか 手難きや 興味なけれど 買い物籠に」
●「パッケージ もっと遊べよ おっとっと 大人買いする 工夫はほしき」_d0053294_15334730.jpg
週に二度ほど嵯峨のスーパーに家内と出かけるが、必ず中ノ島公園を横切って渡月橋南詰めに至る。その際、5,6年前に設置される現場をたまたま見かけたポケモンのマンホールの蓋 の脇を歩く。その蓋は飛翔する鳳凰で、SNSに大量の写真が挙がっているはずだが、今なお外国人観光客がその蓋をスマホで撮影している様子によく遭遇する。ポケモンについて全く興味がなく、そのマンホールの蓋にも関心はないが、時代は常に進むのに新しいことに興味を持てなくなる人はいつの時代でも多いし、筆者も素直に自分が時代遅れの人間と認めねばならない。老若男女の誰もが新しい何かに興味を示すという状態は不気味なことだ。ポケモンで言えば筆者はその最も有名なピカチューという黄色い猫か狐のようなキャラクターを昔最初に見た時、その尻尾が直線で構成された稲妻型であることに新しさは感じつつ、何か規則破りの、新奇なものを生み出すには何でもありの方法を見る気がして、あまりいい気はしなかった。そのピカチューの尻尾はたとえば文字のデザインで言えば全体がゴシックであるのに最後の一画が明朝体になっていることに似て、面白いかもしれないが、美しいと言えるものではない。漫画であるのでどのような奇天烈も許されるであろうが、自在に動くピカチューの尻尾が常に直線のジグザグの形をしているというのはやはり変で、少しも面白くない。そのピカチューの尻尾の形ひとつでポケモンの全体が推し量られる気がするのだが、それは偏見とは言い切れない。それはともかく、「おっとっと」におけるピカチューがどのように表現されているかを凝視したことはなく、ジグザグの尻尾がどのように動くかも知らないが、ピカチューの輪郭を小さなスナック菓子で象るには尻尾よりもまずは耳や体躯であるはずで、ジグザグの尻尾は添え物に過ぎないだろう。しかしその添え物に内在する違和感、あるいは子どもにとっては大いなる好ましい形象なのだが、いずれにしても「おっとっと」の商品開発部のデザイナーはピカチューを小さな菓子に象る際、その尻尾をどう表現するかはかなり悩んだと想像する。「おっとっと」のキャラクターはある生き物や物体の全体像を象ることが前提となっているが、恐竜シリーズでは2個や3個の菓子をつないで恐竜一頭を構成するアイデアが登場し、そのことから推せば、いずれポケモンの新シリーズの「おっとっと」として、ピカチューを3,4個の菓子で構成される可能性がある。そうなった時、確実に直線のジグザグの尻尾のみの菓子が登場するはずだ。
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 そのジグザグの尻尾のみで子どもはピカチューとわかるのは言うまでもない。筆者ですらそれは判別出来る。となれば、ピカチューの最大の発明はその尻尾ということになりはしまいか。昔ポケモンがTVアニメで放映された時、画面の明暗は瞬時に何度切り替わって子どもが失神したという事件があった。その頃、その画面がどういうキャラクターがどういう行為をしたのか興味がなかったが、考えてみればピカチューという名前のピカは光や稲妻を表わすかもしれず、それで体が黄色いのかもしれない。またピカチューが閃光を発するキャラクターであれば、尻尾が稲妻の形をしていることは不自然ではなく必然と言える。しかし現実の稲妻は直線のジグザグではなく、やはりピカチューの曲線で描かれる体躯に尻尾のみ直線というのは様式的に不自然だ。だがあえて不自然を狙って印象づけることが現在は大流行している。ただし全体が不自然であっては格好悪いという意識が前提にある。全体としては正統的であるのに部分が不自然というのが格好いいとされる。ヴィヴィアン・ウエストウッドのパンクを基本にしながらも古典的な制服のデザインを強調した服はその一例で、ポケモンの登場はパンクあってのことだろう。また日本の美術展覧会のポスターやチラシの文字デザインにおいて、明朝を基本に一部の画をゴシックや絵にするなど、明らかに一風変わった視覚デザインで衆目を集めるアイデアがよく使われている。文字だけではなく、題名の言葉にも及び始め、いわゆる若者言葉が使われるようになって来ているうえ、それは図録所収の文章にまで及んでいる。展覧会はなるべく多くの若者に見てもらうのがよく、迎合というのではないが、敷居を低くすることは重視されるべきなのだろう。筆者は家内と話す時に若者言葉をあえて使うことがある。たとえば「スゲー」だ。それを連発するのは少しも対象を「凄い」とは思っていないからで、いわば批判的に使っている。それよりも筆者は家内だけに通じる言葉を絶えず作り出している。たとえば「カムチャッカ半島」で、これは「無茶苦茶」の意味だ。TVで野球の空振り三振の場面を見た時はすかさず「空堀商店街!」と言う。「トンデモナイ」は「何でもTOY」と言い換えるし、とにかく家内相手に始終カムチャッカ半島だ。さて、「おっとっと」のピカチュー・シリーズには興味がないので、以前買ったデザインの箱のものをまた買った。初めてのことだがまあいい。中身の菓子は以前とは違うものが混じっているはずで、どれがどのキャラクターかさっぱり関心がないが、とにかく白い皿にだぶりのない形を全部並べて写真を撮った。これらのキャラクターを諳んじている子どもはその才能をいずれ別の対象に発揮して新たな大発見を為すかもしれない。そういう教育的効果も幾分かは狙って「おっとっと」の企画室は調査と研究をしているだろう。物価の上昇が悩みとは思うが。
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# by uuuzen | 2024-12-10 23:59 | ●新・嵐山だより
●温泉の満印スタンプ・カード、その70
の熱で 温泉あるは 言い切れず 冷泉沸かし 風風の湯はあり」、「ドルマンの 袖に包まる 心地の湯 夢見る胎児 思い浮かべつ」、「凍える夜 雀はどこで 夢見るや 明日の朝には 米撒く爺に」、「湯に煙る ガラスに描く 大円を 大団円の 人生想い」
●温泉の満印スタンプ・カード、その70_d0053294_18383912.jpg
今月から「風風の湯」はシルバー・デイが金曜日以外に毎週火曜日にも設けられた。マネージャーが変わってからはやがて火曜日は隔週でシルバー・デイとなったが、60歳以上が半額になるその日のみ利用するいわば最低級の常連客が目立つことから、マネージャーは火曜日もシルバー・デイにしたようだ。その日は600円で入湯出来るので、10枚8000円に据え置きされている回数券より割安だ。さて、先月のムーンゴッタの投稿に書いた工繊維大の先生は車の免許を持たず、「風風の湯」には電車で来ているが、筆者と顔を合わせるのは週に一度ほどだ。また必ず話をするとは限らない。それにその先生が浴室にいるのは2、30分ほどで、筆者と話し込むと時計を気にする。最初に話をしたのは3か月ほど前だ。スタンプ・カードを利用しているかと訊ねると、知らないと言われた。60歳にはなっていないはずで、シルバー・デイは関係がない。週3、4回は来ているようなのに、スタンプ・カードも回数券も使わないことをフロントが指摘すると、関心がなさそうであったことをフロントから聞いた。経済的に心配がないというより、フロントと手続きなどをやり取りすることが面倒ゆえではないかと想像する。というのは以前書いたように外国人ではないかとの予想が、今日の話から当たっていたことがわかった。「ああ、このことを日本語でどう言うのかちょっと思い出せません」と言ったからだ。「どのお国の人ですか」と質問するのは失礼であるし、またそれはどうでもよく、筆者は建築関係の疑問などを話題として持ち出す。以前は日本の庭の話題を向けると、京都の有名な寺の庭はどこそこの業者が入っているなど、とても詳しかった。奈良の古い社寺にも造詣は深い様子で、友人に車で連れて行ってもらっていると言う。また、つい先日TVのニュースで知ったが、建築家の板茂が「世界で最も美しい美術館」としてベルサイユ賞を受賞した話題を向けたところ、板茂が紙の筒を使った建築や震災復興の住宅で有名になったことを教えられ、SDGsが喧伝される昨今にもてはやされる理由がわかった。ベルサイユ賞を獲得した美術館は外観をパステル・カラーで塗装したコンテナを並べて通路で結び、海辺に浮かんでいる。広島県下にある下瀬美術館とのことだが、蔵品の有無やどういうジャンルの美術作品を展示するのかは知らない。TVでは一瞬コンテナ際に二枚折りの琳派風の屏風が映った。野外設置であるので陶板か金属なのだろうが、その作品と展示は美しいとは言い難いものに見えた。またそこからこの美術館がおそらく最新の現代美術を展示することを思った。
 展示室としてのどのコンテナにも窓がないように見えたが、先の先生によれば美術品の展示に窓は不要との意見だ。コンテナを10ほどつないだ美術館が世界一美しいかどうか異論があろう。筆者は行きたいとは思わない。しかしコンテナはどこへでも運べるし、移動不可能な建物よりはるかに安上がりで済む。美術展は展示する中身が主役で、展示場所は倉庫でもどこでもよいという考えがある。しかしそれは安上がりを旨とするいわば経済的貧しさが根底にあって、それが持続可能となることはあまり好ましくない。とはいえ、置く場所されあれば頑丈なコンテナはさまざまに使える。かつては使わなくなったバスや市電、貨車を改造して店舗や展示場として用いることがよく話題になった。その延長上にコンテナが使われるのは当然のことで驚きはない。先生はそういう例として堀川御池の少し東にコンテナ内部を染色の工房や喫茶店としている「コンテナ集合の建物」があることを教えてくれた。先生は少し考えながら西洞院通りを下がったところにあって、何気なく歩いているとコンテナを3階まで積んだ建物には全く見えず、ファサードは京町家風にしてあると言う。グーグルのストリート・ヴューで西洞院通りを調べると該当する建物がなく、油小路ではないかと思って堀川から下ると西側にすぐに見つかった。コンテナを積んでいるが、周囲の環境に馴染んで見える。建築費の高騰からか、あるいはコンテナであれば仮設建築とみなされて固定資産税その他、税金の面で得策であるのかもしれない。それに経営が難しくなれば簡単に撤去して、付近と同じビルを建てることが可能だ。ネットで調べていると嵯峨野にもコンテナを使ったカフェがあることを知った。嵯峨野のイメージにそぐわないが、そのそぐわなさが今は流行っているのではないか。法律を守りながら簡便で安価、そして意表を突いて話題性がある。流行が去ればさっさと撤去が可能ということがもてはやされている理由だろう。前言を繰り返すとそれは貧しい時代の仕方なき方策を逆手に取ったものに思える。SDGsを言えば、昔の京町家がそうであった。コンテナ店舗が増え続けると、Tシャツの高級化やあえてジーンズを破ったりして商品の差別化を図る考えも生まれて来るだろう。しかし昨今の新築住宅はスーパーにならぶ大量生産の商品と同じで、どれも同じに見え、陰影がなく、のっぺりとしていて、そういう家に暮らす人のライフ・スタイルも人格も同様になって行くだろう。日本の家屋から床の間がなくなり、江戸時代にあたりまえにあった掛軸も無用のものになった。それで屏風は形だけ今の美術家は受け入れ、野外展示が可能な素材で作る。板茂の建築思想は紙と木を本位にする日本建築の延長上にあるという話で筆者と先生は板茂の話題を打ち切ったが、コンテナを積み上げた「貸し倉庫屋」を見るにつけ、景観をぶち壊していると感じて嫌な気分になる。

# by uuuzen | 2024-12-06 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●クロッキー帳のスパイラルを取り外す
然の ものを描いて 不思議知り 飽かずに眺め 似たもの思う」、「練習は 続けることに 意味ありて 止めた途端に 劣化始まり」、「長年の 空白の後 再開し 手慣れの戻り すぐに得られず」、「写生とは 座禅のごとき ものなりと 無言で見つめ 考えもせず」
●クロッキー帳のスパイラルを取り外す_d0053294_15331351.jpg
この2年ほどは描きたくなる鶏頭の花を見かけた時は写生している。写生はまずは描きたくなるものに出会う必要がある。職業柄、花ばかりだが、昔は親戚の子どもの顔を描いたこともあって、それらは大事に保管されているようだ。自分で言うのも何だが、描いた顔の表情は世俗さが消えていて、かなり理想化して見える。漫画的という意味ではない。その理想化は、筆者が相手に聖性を感じて描いたといったおおげさなことではなく、描く行為の無心さが顔を借りて顕現したと思っている。しかしその物言いもおおげさであり、いかにも自分の描く行為が聖なるものであると自惚れているように受け止められる。これは前に書いたと思うが、甥の結婚式で、新郎新婦は街中の似顔絵店で描いてもらった2枚の色つきの漫画絵をみんなに披露した。顔の目立つ部分をグロテスクに誇張した絵で、最初にそうした絵を描いた人物が戯画化する着眼点を描くことの好きな若者に教えているのだろう。もちろん誇張部分が異なるので違う顔になってはいるが、そう思わせるほどにグロテスクさでは共通している。そうした絵を1000円か2000円で描いてもらう行為は遊び感覚としてはわかるが、結婚式という人生最大の重要な場所でみんなに見せるものではない。しかし芸術を理解しない平均的平凡な若者の代表と思えば落胆もしない。何が言いたいかと言えば、顔を描く行為は神聖なことで、美人や男前に作り変えて描く必要は毛頭なく、ありのままに描いてなおその絵に永遠性と言える何かが感じられるものでなければ、画家としては平凡ということだ。これは芸術行為すべてに言える。子どもでも楽器を演奏したり、油彩画をそれなりに描いたりする。音楽家、画家を自認するのであれば、その表現に人生や存在の真理を一瞬でも感じさせないことには無意味だ。さて、鶏頭の花を写生し始めた2年前、久しぶりに昔まとめ買いしておいたマルマンのクロッキー帳の新品を引っ張り出した。スケッチブックは中身は画用紙で、表紙が固く、描きやすいが、クロッキー帳は紙は薄くて表紙も柔らかい。筆者は植物の写生に昔からマルマンのロゴである赤と桃色の丸が上部に並び、またSLの記号のついたものを使っている。それ以前に別の表紙のものを10冊ほど使ったが、それが廃版になったのでマルマンのものを買うようになった。赤と桃は青と水色のものもあって、後者も何冊か持っているが、下絵の構想用として使っている。中身がクリーム色で表紙が黒の製品もあるが、筆者は茶褐色の表紙、中身は真っ白のものしか買わない。どれも100枚綴りだ。
●クロッキー帳のスパイラルを取り外す_d0053294_15334292.jpg
 2年前に鶏頭を描き始め、先日その1冊が残り7,8枚になった。アマゾンで5冊まとめ買いすれば、送料はわずか300円で、1冊750円ほどで買える。20年ほど前に京都の画箋堂で買ったものは裏表紙下隅に550円のシールが貼ってある。その価格からすれば750円は妥当だ。画箋堂まで行くのは面倒で、アマゾンで注文しようかと思いながら、ひょっとすれば新品が1冊くらいあるのではないかという気がした。調べると予想どおりで、1冊あった。その隣りにもう1冊かなり新しいものがあって、中を見ると20年ほど前に描いたウドの絵が最初にあって、10枚ほど描いたままで放置していたことがわかった。2年前に鶏頭の花を写生し始めた時、その1冊の残りから使うべきであったのに、うっかりしていた。写生はすべて描いた日づけを記し、またクロッキー帳は描いた順に番号を打っている。今使用中の1冊を使い切った後、ウドを描いて残り90枚をそのままにした1冊に戻って描き続けてもかまわないが、クロッキー帳の表紙に通し番号と、描き始めと描き終わりの年月を記しているので、その規則を破ることは気に食わない。そこでクロッキー帳の綴じ代の螺旋状の針金を見ると、天地の端をわずかに曲げてあるだけで、それをラジオペンチで螺旋形に戻せば、後は針金全体を回転させればクロッキー帳から外れる。ただし、描いた中身を交換するには2冊のクロッキー帳の針金を外し、またそれを戻さねばならない。場合によっては元に戻すことが出来ず、針金ではなく、細い紐で綴じなくてはならないかもしれない。思い立てば早速行動。今日の最初の写真はクロッキー帳の表紙の上に文鎮を置き、針金を外しているところだ。最初は針金全体を回転させるのにかなり力を入れる必要があって指が痛くなるが、半分ほど外れると後はとても簡単だ。綴じ直しは予想とは違ってはるかにたやすい。2枚目の写真は右が外した20年前のウドの写生で、紙が薄いので次ページの絵が透けて見える。3枚目は最初の10枚ほどが最新の鶏頭の写生で、残りは新品で、表紙の赤丸に41と書いた。これは41冊目の意味だ。綴じ直したもう1冊は表紙の「Oct.2005」の下に「Nov.2024」と書き足し、赤丸の中にもちろん40と記した。40冊で合計4000枚の写生はさほど自慢出来る数ではないが、鶏頭を描くのに1枚当たり最低1時間は要している。そう考えると人生のそれなりの部分を費やして来たと思う。何冊目の何ページに何の植物を描いたかは別に記録してあって、それをパソコン上のデータに移せば、瞬時に目当ての花の写生が検索出来る。ずらりとクロッキー帳が順に並ぶ様子を見ると感慨深いが、筆者が死んだ後、全部ゴミになるはずで、そう思うと悲しい。だが今の気分は50冊は描きたいことで、20年のブランクはあったが、また各地を歩いて気に入る花を見つけて描きたい。
●クロッキー帳のスパイラルを取り外す_d0053294_14255579.jpg


# by uuuzen | 2024-11-23 23:59 | ●新・嵐山だより

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