人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●飛び出しボーヤ、その86
符の文字 書いて貼ろうか サロンパス 痛い痛いの 飛んで出て行け」、「ボウヤ氏の 名前飛び出し 野望燃ゆ 生は賭けなり よい子は眠れ」、「4月馬鹿 年度始めに 真理告ぐ 嘘にまみれた 世界を知れと」、「平和時も 愚者がのさばる 人の世と 子どもも気づき 無邪気装う」
●飛び出しボーヤ、その86_b0419387_01122249.jpg
京都市内を歩いてさまざまな店を紹介するTV番組が筆者の知る限り、ふたつある。そのひとつはケーブルTV会社の制作によるもので、1か月ほどは同じ回が繰り返し放送されるので見落としはないと言いたいところだが、たいていは他の放送局の番組を見るのでどの区のどの街角がこれまで紹介されたのかほとんど知らない。筆者が見たことのある回は三つ四つで、それだけに印象深い。家内は筆者が3階にひとりで閉じこもっている間に割合その番組を見るようで、いちいち筆者に言わないが、先月27日に家内と一条通りを西大路通りから東に向かって歩き始めたところ、間もなく妖怪を象った大きな人形が店の前に置かれているのを見て、家内は「前にTVで紹介していたので知っていた」と口にした。先日書いたように筆者はそのおよそ2週間前の14日にひとりで一条通りを堀川通りから天神通り付近まで歩いた。その道の千本中立売から西に入って最初の北に入る道までの区間を除けば、初めてのことで、小旅行をした気分になった。そして今度は家内と歩こうと決めた。ついでに書けば14日の翌日から家内と出かけた27日の前日までは左胸の帯状疱疹がひどく、痛みのためにほとんど外出しなかった。それほど長く家に籠って半ば寝たきりになったことは生まれて初めてで、考えようによっては一条通りを歩いたことが祟ったのかもしれない。というのは、一条通りは千本通りから西大路通りまでは商店街になっていて、町起こしのために2016年から妖怪をテーマに10月に客寄せの祭りを開催しているからだ。家内はそのことを前述のケーブルTV会社の番組によって知っていた。そのため一緒にその商店街を歩きながら、店舗前に置かれる手製の妖怪人形を見ても珍しがらなかった。今日の4枚の写真のように、「飛び出しボーヤ」の0型を基本にした妖怪は初めて見るものであり、しかもどれもよく出来ている。今日の最初の2枚は14日に見かけた。残りの2枚は27日に見つけたが、たぶんこの4点で一条通りの商店街に置かれる「飛び出し妖怪」はすべてと思う。ただし、雨天が続いたので店内に入れたままにされたものがあったかもしれない。0型を元にした変異型の「飛び出しボーヤ」は三条商店街のとある店前にいくつかあるが、京都市内の他の商店街では存在しないだろう。伏見の大手筋商店街にはないし、河原町の繁華街にもない。しかし宇治や山科にはあるかもしれない。さらには「飛び出しボーヤ」0型の人気が続く限りは今後新たに作られて設置されることは大いにあり得る。
●飛び出しボーヤ、その86_b0419387_01124275.jpg
 27日に一条通りを歩いた時は、14日には南下した天神通りを東に折れたので存在に気づかなかった大将軍八神社の境内に入って写真を撮った。それらはいつか「神社の造形」のカテゴリーに投稿するつもりがあるが、その機会はないかもしれない。一条通りの商店街はその神社に因んで大将軍商店街と呼ぶようだが、先日書いたように、一条通りは東西に一直線ではなく、途中で中立売通りとだぶった形になっている。大将軍商店街と断っているのは西大路通りから宥清寺の少し手前の中立売通りと交差する付近までで、そこから東は先日投稿した写真に文字が見えるように「北野商店街」と呼ばれるが、それは七本松通りまでの150メートルほどのようだ。その先は千本通りまで南東に下る中立売通りで、商店街の名前もそれに応ずるのではないだろうか。となれば西大路通りから千本通りまで続く商店街は3つが東西に連なり、それぞれに棲み分けていて、通りの雰囲気もそれぞれ異なる。3つの商店街のうち、西方が大将軍商店街で、そこでのみ「飛び出し妖怪」の看板が置かれていた。最も古い雰囲気の商店街は3つの中央の北野商店街で、悪く言えばかなりさびれている。東方の中立売通りの商店街は千本通りに近いこともあって勢いがあるように見受けられるが、京都市内では馴染みのスーパーの「フレスコ」ではない、同地のみのそれなりに大きなスーパーがあって、27日は買い物をして帰った。ついでに書いておく。買い物が終わってレジに向かうと、ほぼ同時に50代のコート姿のかなり目立つ女性が籠いっぱいに商品を詰め込んで筆者らの後ろに並んだ。優しい雰囲気の知的な美人で、筆者は何度か目をやると、彼女はそれに気づいたようだが、格好が近所の住民という雰囲気ではない。彼女は筆者らからわずかに遅れて店を出た。そしてスーパー前に停めていた光沢のある肌色の車に荷物を載せ、筆者らとは反対の西に走り去った。スーパー前の中立売通りや一条通りはきわめて車の往来が少なく、平気で通りをゆっくりと歩いて横断出来る。そのため、とても京都市内とは思えず、それゆえ小旅行をした気分になれたのだ。地方のさびれた商店街を思えばよく、それほどに界隈の西陣の機織り業が衰退したことを示している。最低一家一台の車社会になって数キロ離れた大型スーパーを利用することがあたりまえになり、大将軍商店街や北野商店街の客は地元の高齢者が目立つこととなった。先の女性はどこに住んでいるのかわからないが、スーパーの前に車を5分や10分程度停めても文句を言われない便利さから利用しているはずで、同様のことは嵯峨の丸太町通り沿いの小さなスーパーでも見られる光景だ。大型スーパーは品揃えがよいとしても、大き過ぎる店内は買い物には不便なところもある。それに小さな地元スーパーは生き残りの戦略から独特の商品を扱う場合がよくある。
●飛び出しボーヤ、その86_b0419387_01130417.jpg
 宥清寺は何とか宗の本山で、堂々たるたたずまいの門は、大将軍八神社とともに歴史の貫禄を示している。大いに気になったのは宥清寺西端の中立売通りに面した大きな空き地だ。それが何であるかがわからない。金網で囲われ、中には入れないようになっている。以前は学校か何かの施設があったのだろうと家内と言い合ったが、今グーグルのストリート・ヴューで調べると最新映像は2年前の5月で、そこに4階建ての公団住宅のような建物が4、5棟建っていたことがわかる。21年3月の撮影ではわずかに洗濯物が干され、自動車も停められているが、その後全員が転居したのだろう。大きな樹木は伐られ、建物は全部取り壊されて空き地になった。北方の上京警察署はそのままの状態で、いずれ公的な施設が建つとして、上京警察のすぐ北は北野天満宮で、またこの新たに出来た広大な空き地の西端の七本松通りの向かい側の佛教大学のミュージアムには10年ほど前に何度か出かけたことがあることを思い出した。そのミュージアムを少し下がると一条通りだが、ミュージアムから南には歩いたことがなかった。京都だけではないが、道を挟んで町並みががらりと変わることは多々ある。京都市内に長年住みながら、知っているのは数多くの点であって、それらが面となっていない場合がある。ある点から少し外れるとまるで未知の別世界で、そこに踏み込むと旅行気分になれる。そこから既知の点に至ると頭の中で既知と未知が結びつき、面としての地図が形成されるが、それは永久不変ではない。長年あったはずの宥清寺西の公団住宅らしき鉄筋コンクリートの建物はすっかり消え、いずれ何かが建てば町の雰囲気は変わる。となれば昔の様子を知っていた人がその場所を訪れると新たな未知を発見する。同じことは町並みに限らない。人や知識も知っているわずかな点が何かのきっかけで結ばれて線となり、さらに関心を深めると面と化す。それはともかく、北野商店街沿いにあった公団住宅が消えたことによって商店街のさびれ具合は強まったはずだ。活性化を目論むには妖怪に因むお祭りもいいが、人の居住を増やすことだ。ただし上京区となると公団住宅でも新しい建物には安価では住めないだろう。スーパーを出た後、筆者は六軒町通りを北上してかつて叔父が機織り業を営んでいた建物を探そうと言ったが、家内は拒否した。確か車が通れない細い道沿いに家はあって、グーグルのストリート・ヴューでは表示されない。それに新たな建物に変わっているはずで、筆者が朧気に記憶するたたずまいはもうないはずだ。そのようにして町並みも家も個人の記憶も失われて行く。変わらないのは社寺のみと言いたいところだが、出世稲荷神社が移転したことを思えば、社寺も永遠不滅ではあり得ない。何もかもなくなって妖怪のみが跋扈するか。古い店が並ぶ商店街は味わいがあってよいが、大将軍商店街ではマンションが建設中のようだ。
●飛び出しボーヤ、その86_b0419387_01131773.jpg

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

# by uuuzen | 2024-04-01 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●「路傍にて 拾いしひとつ 球(たま)の根は 百日過ぎて 咲くは紫」
孫に 遺す金なし 潔し 蓄財難し 自足はさらに」、「寝転びて 暮らし続けて 足が萎え 歩けず転び 寝たきり暮らし」、「暖冬の 予測当たりて 春遅し 薔薇の蕾は 開かず枯れて」、「花見上げ くしゃみ連発 しわくちゃ爺 照れの笑いも ないよりはまし」
●「路傍にて 拾いしひとつ 球(たま)の根は 百日過ぎて 咲くは紫」_b0419387_21180060.jpg
左乳首下の帯状疱疹は9割方治ったが、チクチクする痛みは残っている。一方、一昨日の夜から突如右足のアキレス腱が腫れ、歩く速度は激減し、一歩ずつ足を引きずる始末だ。帯状疱疹ゆえの運動不足が原因と思うが、生まれて初めて痛みを抱えながら足を引きずって歩く姿に年齢を感じている。頑健を自認する人でも確実に老いは忍び寄り、思うように身体が動かないことに精神も参る。気力活力が充実しているのはせいぜい70代半ばまでで、筆者はもう数年しか残されていないのかと思ったりもする。先日左胸の痛みを抱えながら、昔の知人の個展に出かけた。面会するのは四半世紀ぶりだ。会場は旧平安画廊で、そこでかつて画廊主の中島さんやまた銅版画家のヨルク・シュマイサーと談笑したことを思い出しながら、今は中島さんもシュマイサーもこの世にいない現実を噛みしめた。内装が新たなになった画廊の出入口から寺町通りを見ると、真正面の店は変わったものの、右手の寺はそのままで、かつてその寺の境内にシュマイサーと彼の知友が並んで入って行った様子を思い出した。筆者のみが記憶するその映像を反芻しながら、人生とは何であるかを漠然と考えもする。個展を開催した女性とは毎年年賀状を交わすだけの間柄で、お互いどれほど老化したかを知らないのは当然で、筆者はブルゴーニュ産の赤ワインを1本引っ提げて画廊に入ったところ、彼女は筆者が誰かわからず、別人と勘違いした。無理もない。四半世紀経てば名乗らねば誰かわからないことはよくあるだろう。帰り際に初めて彼女の年齢を訊くと、77歳とのこと。筆者は年齢に似合わないファッションで、その珍しさをしきりに褒められはしたが、77歳まで5年しかない。「毎年個展を開催してくださいよ」「もうその元気がありません。今回の作品もみな昔のものです」過去の作品で個展を開くのであれば筆者はいつでも可能だが、新作展にこだわりたい。ところがやりたいことが山積している状態では本職の友禅で新作に挑戦する時間がどれほどあるだろう。数多くの写生をし、それを元に小下絵をいくつか作り、その中から1点を選んで原寸大の下絵を描き、そこから生地に青花で写し、糸目を引き、糊伏せや彩色など数百時間を費やして作品を作ったとして、一度の個展ではそれをほしがる人にはまあ出会えない。それで創作を諦めたというのではないが、昔の方法とは違うことを考えねばならない。それにはネットを活用すべきとして、SNSを通じて他者に強い関心を抱き、そこから直接の出会いに結びつくことはきわめて稀なことではないか。出会うべきことや人との縁の割合は昔も今も変わらないと思う。
●「路傍にて 拾いしひとつ 球(たま)の根は 百日過ぎて 咲くは紫」_b0419387_21181923.jpg 先月24日に堂本印象美術館に行き、東側の階段の坂に菫の花を見かけて写真を撮った。筆者のカメラの性能によるのだろう、紫色が鮮やかに写らず、画像加工ソフトで色目を調整した。3日前にまた同じ美術館に家内と出かけ、同じように東の階段を上ったが、菫は今日の最初の写真のように南天の木の根本にわずかにまだ咲いていた。思えば筆者は藤やヴィオラなど、紫色の花を題材に作品をよく作って来た。紫色をなぜ好むかと考えるに、その原点に筆者が小学生の頃、母が毎年のようにヒヤシンスの球根を買って来て、水栽培用のガラス鉢で育てていたことに思い至る。家に庭はなく、近隣にもまともな花や植物のない地域に育った筆者にとって、その紫色の花は専用のガラス鉢の水に射す窓からの光と相まって、鮮烈な印象を与えた。今月22日は地元小学校の卒業式に来賓として出席したが、卒業生57名の半分の女子のほぼ全員が振袖に袴姿であることに驚いた。貸し衣装としても親は出費が大変だろう。流行とはいえ、みな同じでは面白くない。それはさておき、ヒヤシンスの紫の花で想起するのは、これまで何度か書いたが、筆者が小学校の卒業式で着るために母が古いセーターを解いて数日徹して編んでくれたVネックの毛糸のセーターだ。片袖が濃い青紫で、その他は紺であった。男子のほとんど全員が黒の詰襟の制服姿であることを予め知っていた筆者は、色が揃っていないそのセーターを着たくなかったが、卒業式にふさわしい服がほかになく、結局そのセーターの下に白シャツ、そして黒ズボンの姿で卒業式に臨んだ。今日は母の葬儀からちょうど丸3年で、母の愛を素直に受け止めなかった昔の自身を恥じ、自分で編むか、毛糸を選んで誰に編んでもらうか、今は同じ色合いのセーターを着たいと思っている。話はまた変わる。去年12月23日に節分祭で燃やされるお焚き木を取りまとめて平安神宮に持参した時、丸太町通りの歩道で球根がひとつ落ちているのを拾った。細い紙帯にヒヤシンスと書かれ、半世紀以上前に母が毎年のようにその球根をひとつ買って家の台所で水栽培していたことを思い出した。だがどういう色の花が咲くかわからない。白やピンクもあるからだ。水栽培用の鉢は所有しないので、裏庭で空いた素焼きの鉢に新たに土を入れ、その中央に球根を埋め、毎朝水をやった。およそ百日経って蕾が現われ、紫の花であることがわかった。2枚目の写真は一昨日、3枚目は昨日撮った。やはり強烈な紫色が写真では再現されず、何度も色目を調整して印象に近くした。絵具で紙に描けば思う色が出せるが、もっといいのは染料で絹地に染めることだ。ヒヤシンスはキモノの柄にはなりにくいので、同じ紫をほかの花に適用する。毒草のトリカブトはよさそうだが、その模様を染めたキモノが似合う女性を想像出来ない。着たいと言う女性がいれば面会はしたい。
●「路傍にて 拾いしひとつ 球(たま)の根は 百日過ぎて 咲くは紫」_b0419387_21183134.jpg

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

# by uuuzen | 2024-03-30 21:40 | ●新・嵐山だより
●「豆撒いて 鬼を退治の 立春は 杉の花粉の 飛散で悲惨」
きの 親はおらずも 子は育つ 愚か賢き 問うな人の世」、「3月の 陽射しよき午後 ひとり行く 古き町並み ダンプが走る」、「古き町 家壊されて 駐車場 いずれ家建ち 若き夫婦が」、「体力が 落ちて鈍るや 気の力 死なぬ限りは また気は戻り」
●「豆撒いて 鬼を退治の 立春は 杉の花粉の 飛散で悲惨」_b0419387_18394631.jpg
2月中旬にシャツの襟が被さらない首の右後ろに吹き出物がひとつ出来た。爪で潰そうかと思いながら放置し、それが消える2週間ほど経った頃、心臓の上部が痛み始めた。今までにないことで少々心配したが、心臓ではなく、皮膚に赤い発疹がいくつか出来ていて、それが肌着に触れて痛むことがわかった。発疹は増え、今掌に収まる範囲に広がっている。じっとしていても痛く、眠る時は右肩を下にしなければならない。肌着が膿で汚れるので、家内は帯状疱疹ではないかと言う。昨日は朝から熱があり、終日横になっていたが、夕方になって「風風の湯」に行く直前に計ると38.5度だ。ネット情報によればサウナには入らないのがよく、湯に浸かるのはかまわないとあった。風呂から戻った後、いつもより4時間ほど早く寝て、いつもと同じ朝10時過ぎに起きると、37.5度であった。帯状疱疹として、花粉症が原因だろう。花粉が飛び始めた2月中旬から花粉が収まる5月いっぱいまでの約4か月間は、老化による体力の衰えから毎年発疹に悩む。備忘録として何か事がある日は数文字でこの文章を書くファイルに順次記しているが、去年5月のある個所を次に引用する。『23日:午後スーパー帰りに悪寒、24日:寝込み、25日:寝込み、26日:体温下がる、「風風の湯」で桶忘れる、満印カード、27日:寝込み、28日:寝込み、29日:寝込み、雨の中「風風の湯」で桶見つける、30日:雨上がる、熱高い』つまり下旬の1週間ほどは体調が悪化し、5日間は寝込んでいた。それが今年は2か月早く訪れたかもしれない。今月下旬は種々の用事で外出しなければならないのに、この調子ではどうなることか。今回発熱した理由は一昨日税務署に申告に出かけ、その後、気になっていた市内の道を5,6キロ歩いたことによるだろう。花粉が舞う中、マスクをせずに歩くと、吸い込んだ花粉が体内で悪さをするのは当然で、防毒マスクを被って出かけるべきだが、そういうファッションがそろそろ流行するのではないか。防毒マスクがいやなら杉花粉のない地域に行くのがよく、日本では釧路や宮古島とのことだが、どちらも4か月の滞在はかなりまとまったお金が必要だ。それで筆者は発疹で血まみれ、痛みに苦しみながら連日布団の中で呻き、腹いせでこういうことを書いて少しでも痛みを忘れる。それはさておき、今日は一昨日出かけた際に撮った写真から3枚載せる。最初は一条戻り橋で、2枚目はその東の畔で満開になっていた桜で、数人の外国人が見上げて写真を撮っていた。筆者が橋に着いてから去るまでの間ずっとで、たぶん10分ほどは同じ場所で花見をしていたであろう。
●「豆撒いて 鬼を退治の 立春は 杉の花粉の 飛散で悲惨」_b0419387_18400240.jpg
 2枚目の写真を撮るのが当日の目的であった。そのことの詳述は後日とするが、いつのことになるかわからない。早ければ数日以内、遅ければ数年後だ。目下筆者は新たな関心事を抱き、それについての資料集めと読書の必要があり、充実したことを書くにはかなりの日数を要し、数日後では序的なことしか書けないが、今日はさらにその序だ。一昨日は右京税務署から西大路通りを市バスで北上し、北野白梅町で降りた。そこから北野天満宮に至る東に向かう道はこれまで何度も歩いたが、今回は一条通りを東に歩き、堀川通りの一条戻り橋まで行くことにした。帰宅して調べると西大路一条通りがあることを知った。筆者は今出川通りを東に向かい、最初の信号を南にわたってすぐの東向きの細い道に入った。それが一条通りと思ったのだ。ところがすぐに突き当たりが見え、右折すなわち南下した。やがて右手の電柱に「大将軍八社」を示す看板があって、そこに寄って写真を撮るつもりが、一条通りに出てそれを東に向かうと見つからなかった。これも先ほど調べると西に向かうべきであった。一条通りは商店街になっていて、多くの店舗前に妖怪を象った置き看板があった。京都に長年住みながらその北野商店街を歩いたのは初めてで、やがて今日の3枚目の写真の場所に着いた。三叉路で、付近が歴史的に有名な場所であることを謳っている。そのまま商店街を東に進み、やがて千本中立売に出た。その時に気づいた。筆者の母方の叔父が昔西陣の帯を織っていた頃、千本通りに出るひとつ手前の北へ上がる道を少し入ったところで工場を所有していた。そこに最後に訪れたのはもう30年ほど前だ。機織り業は廃れ、代わってマンションが増えた。先の三叉路付近でも家を取り壊し中で、ダンプが出入りしていた。同じことは千本通りから東の一条通りでも見かけた。それはそうと、千本中立売から北が一条通りのはずで、大きなパチンコ屋の前に出た。その店の北端み道の西を見通すと、それが一条通りらしく、その先がどこかと西に歩いた。すると3枚目の写真の三叉路に着いた。つまり一条通りは三叉路で途切れ、北を少し上がって東に進まねばならない。無駄足を踏んだようだが、たまたま叔父が住んでいた家付近を歩いたことはよかった。西陣辺りの古い町家もいつまであるやらで、西陣の機織り業が盛んになる以前は街路はまた全く違っていたろう。何事も少しずつ変わって行く。幼児と老人が同居するからには当然だ。ところが多くの人に長年記憶されるものが稀に生まれる。それを培うのが人間らしきことだ。京都にはそうしたものが重層的かつほとんど無数に存在している。一条戻り橋の写真を撮りたくなったのも芸術の関心による。それは現在大多数の人が知らないことであっても、作品があればそれを新たに見つける人がいる。
●「豆撒いて 鬼を退治の 立春は 杉の花粉の 飛散で悲惨」_b0419387_18404222.jpg

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

# by uuuzen | 2024-03-16 18:47 | ●新・嵐山だより
●「加工して 美から遠のく 効果とは 知性不足の なせるわざなり」
罰か 花粉因みの アレルギー 痒き発疹 痛み血まみれ」、「出歩けば 花粉まみれで くしゃみかな 植え過ぎ杉で 子孫に害が」、「杉花粉 役に立たぬか 糠床に 混ぜて漬けるや バイオ培王」、「売茶翁 今は生きれず 何を売る 売り手不要の 自販機時代」●「加工して 美から遠のく 効果とは 知性不足の なせるわざなり」_b0419387_20215356.jpg 先ほどイギリス王室のキャサリン妃と子ども3人が一緒に撮影された家族写真に加工の跡が見られるとして配信が撤回されたとのニュースがあった。早速その画像を調べたところ、今日の最初の写真の赤い矢印のように、シャーロット王女を抱えるキャサリン妃の左手首上端で、王女の髪の毛が一部不自然に白っぽく、その箇所を含む横方向の帯状に加工した痕跡がわかる。たぶんキャサリン妃の左の指と甲が暗く写っていたので、その全体をわずかに明るくしたのだろう。筆者はキャサリン妃の左手がおかしいというネット情報によって画像を拡大して加工箇所を発見したが、その指摘がなければ疑わないし、わからない。一部を明るくする加工は形を変えることとは違って加工の範疇に入らないと思うが、社会の階層の頂点に立つ王室であれば許されない事情はわかる気はする。下々に模範を示さねばならないからだ。しかし同じほどの有名芸能人から無名の一般人は、SNSに載せる写真は加工のし放題だ。それどころか整形手術でもはや原型を留めない不気味な顔を自慢する若い女性をネット上でたまに見るが、喜劇的ホラー映画が現実に浸食し、美しい顔とは何かをなおのこと考えさせる。知性を伴なった顔が美しいと言われても、大多数の知性とは無縁の人たちは見栄え重視になるのは致し方がない。それはさておき、先ほど筆者は家内に家の中で顔を撮影してもらった。今日の残り3枚がその写真で、その最初のものはキャサリン妃の手首に加工跡があることを知る直前に加工を施した。それはマフラーの下からわずかに覗く黄色のシャツが筆者の肌と同じ色に写り、首元が不自然に見えたからだ。それでシャツの肌色を元の黄色に変えたのだが、そのわずかな加工でも非難される時代がやって来るのだろうか。またそういう加工をAIが確認出来るとして、さらにAIでは見抜けない加工技術が登場するはずで、「よく見せたい」という人間の意識が変わらない限り、つまり美を求める人間の本性が変化しない限り、画像加工はなくならない。それどころか、加工とは手を加える、すなわち手作りで、これは人間の本質だ。筆者の本職は手のみで作る友禅染で、筆などの道具は使うが、機械は使わない。ところが完成したキモノをその技術を知らない人が目の当たりにしても、すべて手染めであることがわからず、版画か印刷したものに思うようだ。今や魚や野菜でも工場製品と変わらないものになり、観光客がレンタルするキモノも帯ではインクジェット・プリント製品が登場し、縫製は当然ミシンで、消耗品扱いだ。
●「加工して 美から遠のく 効果とは 知性不足の なせるわざなり」_b0419387_20221121.jpg 今日の2,3,4枚目の写真を撮ったのは、去年12月に撮った写真が不出来であったからだ。それはわが家の前で家内に撮影してもらい、筆者以外に邪魔なものが入った。その箇所を消すのが面倒で没にした。撮影した理由は被っている帽子を示すためだ。ネット・オークションで入手した黒色の綿製品で、手作りだ。筆者は毎年耳たぶにしもやけが生じ、血が滲んでいた。暖房費をケチった生活が明らかにわかるので、家内は何年も前からそれをどうにかしろとうるさかった。「風風の湯」での知り合いの嵯峨のFさんは部屋に冷暖房を一切入れずに過ごしているが、わが家ではストーヴはたくさんあるものの、ガス管工事でガス・ストーヴは使えなくなり、またデロンギのオイル・ヒーターは3台もあるのに電気代が異様に嵩むために使っていない。それで昔の電気ホーム炬燵に電気カーペットを併用し、ストーヴを使っていない。そのために耳たぶにしもやけが出来る。外出時は耳たぶを覆う帽子を被ればいいと考え、去年11月にネット・オークションで手ごろなものを見つけた。ただし真っ黒は無粋で、自分で装飾を施すことにし、ヴィヴィアン・ウエストウッドのズボン裾をカットした生地を転用してアップリケを施すことにした。その作業の途中で、大阪福島のとある公園での461モンブランの演奏があった11月12日に被って出かけたが、その後作業を続け、12月上旬に完成した。それからはスーパーなど外出の際はほぼ必ず被ることにし、耳たぶにしもやけが生じなかった。しかし今年は暖冬であったから、その帽子を被らなくても、しもやけにはならなかったかもしれない。それはともかく、耳を覆えば外気に触れる割合は激減し、昭和時代の貧乏人の象徴であったしもやけが出来ないことは子どもでもわかることであったのに、72の爺さんがようやく腰を上げてそのしもやけの対処を半分自作の帽子で行なった。そのことは特筆しておいてよいと判断し、こうして写真つきで投稿しておく。耳当て箇所の裾端にホック・ボタンを自分で縫い付け、その雌雄ボタンをはめると顎を完全に覆うことが出来る。そうなると風が吹いても耳は万全で、音もよく聞こえるので不便はない。なお、この帽子を被る際のマフラーは必ずセサミ・ストリートでお馴染みのクッキー・モンスター柄で、30数年前から着用しているお気に入りだが、その紺と青の色合いは半手作りの帽子の色合いとほぼ同じであることが面白い。セーターも同じ色合いのものを所有するが、面倒なので今日の撮影では着用しなかった。因みに写真の多色のセーターも3,40年前のものだ。スーパーに行く際も写真の帽子とマフラーで、風を通さないコートは着るが、たぶん「変な爺さん」と目立っているだろう。実際そうであるとの自覚があって気にしてはいない。「今年こそ 耳にしもやけ 作らぬと 耳当て帽子 作りすっぽり」
●「加工して 美から遠のく 効果とは 知性不足の なせるわざなり」_b0419387_20222653.jpg もう一段落書く。2、3週間前から早くも花粉の飛散が伝えられた。去年の筆者は花粉症から発疹が特に両脚に生じ、それが5月半ばで治った。アメリカの大西さんから贈ってもらったヒマラヤの岩塩を湯に溶かし、「風風の湯」に行かない日、つまり1日置きにそれを膝がすっぽり収まる容器に熱湯で溶かし、発疹患部を温めることを続けて完治したが、今年は5月中旬までまだ2か月ある。それまでの間、今年の花粉症が筆者の身体にどういう影響を及ぼすか。いいように考えれば、去年免疫が出来て今年は花粉の被害はないと思いたいところだが、すでに花粉の害を被っている。今朝西院でのライヴを誘う金森さんにメールした内容を繰り返すと、終日両眼が痒く、瞼を擦り過ぎて皺だらけになり、またくしゃみが出始めると10回ほど続く。そして手元には洟をかんだティッシュの山で、上半身に発疹が生じて来た。特に気になったのは1週間ほど前からの心臓の上の痛みだ。何の兆候かと心配したところ、昨日「風風の湯」でその箇所を見ると、発疹が生じていた。その付近に同様のものが数か所あって、背中にもいくつか生じているが、特に痛む部分にバンドエイドを貼りつけた。心臓ではなくて皮膚なので安堵してはいるが、去年の経験からすればやがて発疹は全身に広がり、完治までに1か月は優に要する。また両脚に数十か所となれば歩くのに苦労するから、今はじっと我慢の爺だ。ここ2、3日は外出しないのに何となく疲れを普段以上に感じ、10時間ほど眠った。体が花粉と対決しているのだろう。数日前に「風風の湯」で親しくなった太秦のMさんに露天風呂で話したが、子や孫のために日本中で植えた杉の手入れをする人がおらず、また外国産の木材の価格に勝てず、放置されたまま花粉を撒き散らして今や4人にひとりが花粉症で困っている。後代によきと思って為すことが負の効果をもたらす事例で、そのことを確定させないためにも杉山を有効利用すべきだが、人口減少と、金にならない話には誰も関心を持たないので放置される。それを教訓とするならば、親は子どもや孫のことを思わず、好き勝手をやるべきだ。まあ筆者はそのように生きているが、それはそれで子どもが迷惑するはずで、結局誰しも自分が信じることにしたがって生きるしかなく、また誰でもそうしている。何が言いたいかと言えば、必ず子孫のためになるという驕った考えは、大多数の人に迷惑をかけかねないことだ。せっせと杉を植え、他人に迷惑をかけないことが美徳と教えた先人は、今の花粉症で苦しむことをどう思っているのだろう。あたりまえに考えて杉山は不自然そのもので、それが人間に害を及ぼすことは賢い子どもなら気づく。植林者の子孫がいるのであれば杉をどうにかしてもらいたい。杉を植えたのは将来金になるからで、金儲けをたくらむ連中はろくなことをしない。下の写真はそういう人物に見える。
●「加工して 美から遠のく 効果とは 知性不足の なせるわざなり」_b0419387_20224189.jpg

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

# by uuuzen | 2024-03-11 20:30 | ●新・嵐山だより
●「白衣着て 吐く息白し 看護師の 部屋の掛軸 白衣観音」
まぶし ゆっくり食べて 暇つぶし 迷惑客の 私物化麻痺し」、「観音の 官能感じ あかんのん おふざけだめよ お口お塞ぎ」、「駄洒落爺 お洒落な服で 笑い福 はははと歯見せ 婆ははにかみ」、「時勢見て 自制すべきと 自省すも むらむらむくり 無理なき男」
●「白衣着て 吐く息白し 看護師の 部屋の掛軸 白衣観音」_b0419387_16091673.jpg
頭の中のもやもやがむくむくと湧き立つことは常にたくさんある。その中から何となく決着がつきそうな、つまりもやもやが解消出来そうなことは、よっこらしょっと決心と行動を経て手応えを得る。筆者はそのことをブログに書いておきたい性分で、以前に投稿したことの落とし前をつけたいからだ。もっともそのことは筆者のみが気にしていることで、ブログの読者は筆者が次に何を書くかを全く知らず、またそのことを期待している人もないから、筆者の落とし前的ブログ投稿はひたすら自分が納得して楽しいだけだ。他者にそのことは伝わらないと思うが、書くのであればまずは自分が楽しいことを最優先すべきで、表現とはみなそうあるべきと筆者は思っている。とはいえ、SNS時代ではそれが自慢となり、他者に対するマウント取りに映り、批判の対象になるから厄介だ。さて、先月24日の投稿に布石として書いておいたことがある。12日の兵庫県立美術館での資料室で探した本が24日に訪れた歴彩館にあって、そこでコピーを撮ったことだ。歴彩館に訪れた理由はそのコピーだけではなかったが、新風館で461モンブランの演奏を聴くために、より時間がかかる調べものは次回にと諦めた。そのコピーした資料は18年前の春に東福寺で開催された展覧会では、ガラスを隔てずに明兆の作品などを目の当たりに出来た。京博での展覧会はそれ以来で、そして空前の大規模展であった。それもあって会期中に展示替えがあり、目当てにした「白衣観音図」は見られなかった。売店で図録を確認すると、1ページ大にその大幅の著色の掛軸が掲載されていた。ただし観音の顔部分の拡大図はなく、その図版では顔の幅は1.5センチほどだ。明兆の作品を紹介する大きな画集があるが、筆者はそれを確認したことがない。またあっても「白衣観音図」の顔部分の拡大図はたぶんない。なぜ拡大図を求めたかと言えば、18年前にその顔の部分を実作品を目の前にして鉛筆で模写したからだ。そのことは当時ブログに投稿し、今も鮮明に思い出せる。特別な経験はいつまでも新鮮だ。結婚式のようなよきことが離婚で幻滅の記憶になるのと違って、裏切られないことは人生の糧だ。
 改装前の京博では申請すれば写生は許可された。ただし常設展示の作品で、当然のことながらガラス越しだ。平成館が出来てからはそういう写生はたぶん許されないのではないか。観客の邪魔になるし、また海外の美術館や博物館でよくあるように、作品に危害を加えようとする連中がいる。そう考えると、18年前に筆者は明兆の「白衣観音図」を初めて目にし、すぐにそばにいた若い男性係員に声をかけ、携帯していたはがきサイズの写生帖に模写していいかと尋ねたところ、快い返事がもらえたのは鷹揚な時代であったことになる。それは同展の鑑賞者が筆者しかおらず、誰も模写の許可を求めなかったので、その修行僧らしき若い男性は虚を突かれたのだろう。筆者は早速手提げ袋から鉛筆を1本取り出し、左手で厚さ1.5センチほどの写生帖を持ち、眼前の「白衣観音図」に対峙した。大きな絵で、下部は巻き上げてあり、ちょうど鑑賞者の目の高さに観音の顔が位置していた。ただし、最も近づいても距離は1メートルあり、もちろんそれ以上顔を接近させると、横にいる係員は注意するから、直立不動で消しゴムは使わず、手直しが利かない一発勝負で描くしかない。それはいいのだが、写生帖はごく小さい割りに分厚く、閉じシロ箇所を押し広げ続けなければならず、立ったままの姿勢では思いのほか描き辛い。つまり観音の顔を身動きせずにそのまま描くこと、せいぜい5分程度で描き、手直しが利かないこと、係員のすぐそばであるといった非日常的諸条件での模写で、極度の緊張を保った。ただしそういう緊張は好きだ。なかなかよく出来たのではないかと満足し、係員に礼を述べ、最寄りの日赤病院内の郵便局に直行し、そこで切手を1枚買って記念印を押した。そしてその写真をブログに投稿したが、左端の閉じシロが完全に広げられないので、絵の左端は実物より短縮状態で写るほかない。投稿後、その模写が実物とどれほどさがあるのかが気になり続けた。それで去年12月の東福寺展に出かけた。その時、展覧会を見た後に家内と一緒に日赤病院前を通って東福寺に行ったが、その歩みのルートは18年前とちょうど反対方向であった。家内と一緒であったのはお互い健康であったからで、そのあたりまえのことをそう思わずに感謝すべきだ。筆者は72、家内は70で、18年前に観音の顔を模写したことを思えば、18年後の筆者は90になっている。その年齢まで生きられない可能性が大きいだろう。生きたとしても心身の自由が利かず、思うようなことは満足に出来ない可能性が大きい。肺が悪く、リウマチで毎月医者に診てもらっている家内は、家内の母や姉の寿命を考えれば90までは無理で、元気な間に楽しもうという気になるが、特に贅沢をするというのではなく、気の済むようにしたいことをするという日々の平凡な繰り返しにある。
●「白衣着て 吐く息白し 看護師の 部屋の掛軸 白衣観音」_b0419387_16095754.jpg 10年前に家内は両方の肺に疾患が見つかり、癌の疑いがあって手術した。幸いなことに癌ではなかったので手術は案外早く終わったが、もう片肺は薬で治療することになった。その費用がわが家からすればあまりに高額で、結局その薬を服用せずにやがて済み、今は別の薬を処方してもらっているが、当初の薬もまた驚くほど高価で、しかも効き目がなく、却って体はおかしくなった。若い医師はもっと高額の薬を勧めるが、たぶん薬代だけで毎月50万円は必要だろう。筆者は薬を服用せず、たまに寝込むことがあっても自力で治す。医者や薬がないものと思って生きている。医者も薬もないと覚悟すれば無茶な暮らしはしない。好きなことを好きなようにするというモットーだ。6回結婚したアラン・ホヴァネスは、写真で見るとかなり温厚な紳士で、女性に事欠かなかったのだろう。それも才能で、また長生きの秘訣に違いないが、年寄は清潔感と才能と経済力がなければ女性は振り向かない。たいていは経済力があっても芸術的才能は皆無で、清潔感もないが、それなりの女性が好む。清潔感と芸術の才能があっても貧乏人では話にならず、やはりホヴァネスは特別であったと納得する。話が脱線した。家内が肺の手術で入院する少し前だったと思う。ネット・オークションで楊柳観音を描いた版画の掛軸を入手した。絵は上手ではないが、観音の上に一辺20センチほどの方印が捺され、それが般若心経の篆文による全文であることに感心した。絵よりもその方印に惚れたのだが、絵は嫌味がなく、1日の大半を家内が過ごす部屋にかけておくと、何となく見守られている気分になる。その楊柳観音図が功を奏したのか、家内の肺疾患は癌ではなかった。それ以降、その観音図の掛軸をずっと掛けっ放しにしている。もちろん護符の思いからで、筆者は迷信深くはないが、不吉なことは避けたいし、部屋に飾るのであれば気持ちのいい絵がよい。それには変に芸術家を気取った作品は駄目で、無欲さを感じさせるものに限る。それはともかく、その楊柳観音の版画軸を買ったのは、その8年ほど前に東福寺で白衣観音の顔を模写したことが影響している。その絵以外に明兆の同様規模の大幅は10点ほどあったと思うが、同じく正面顔を描く達磨大師ではなく、観音を選んだのは、その顔の清らかさに魅せられ、350年ほど前に若冲も同じように目の当たりにして同じ感慨を抱いたことを想像したからだ。つまり若冲がらみで、白衣観音の模写から半年ほど前に豊中の西福寺で若冲の鶏図を色鉛筆で写したことと対にしたかった。どちらも渋い顔をされずに模写が許されたのはありがたかった。模写は本に頼れるが、実物を目の当たりにすれば緊張感が違う。鑑賞者と同じ場所から同じ距離を取り、鑑賞者がいない合間を狙ってのわずかな時間であるから、拒否される理由がさしてないようだが、許すと際限がなく、粗相を働く者が出て来る。
●「白衣着て 吐く息白し 看護師の 部屋の掛軸 白衣観音」_b0419387_16093701.jpg 今日の最初の写真は左が18年前に筆者が模写した明兆画の「白衣観音図」の顔部分だ。右は歴彩館でコピーしたその全図で、安価な白黒を選んだ。その顔部分を筆者の模写と同じ大きさになるように拡大し、2点を並べると模写の不正確さがわかる。初めて見た絵を下準備なしですぐさま描いたので、なおさら筆者の癖、内面が露わになった。原画は長年四つ折り状態で置かれていたようで、向かって左の眼に太い縦皺があるが、その欠損を補ってあまりある優美さと貫禄がある。こうした絵は手本があるのが普通で、明兆も中国から将来された絵を模写したか、大いに参考にしていたが、そうした定形に頼ることによる没個性さよりも明兆の個性が滲み出ている。筆者の模写は顔幅が少し狭く、顎に向かって尖り気味であるのは、卑俗な現代人の顔からの感化がありそうだ。また口がわずかに大きく、その点にも観音ではなく人間、すなわち俗物性が出ている。これは18年経って原画と比較してわかったことで、描き終わった時はあまり気づかなかった。また明兆画の実物を模写し、18年後にこうして画像を比べ、ブログに投稿する人はたぶん筆者だけで、こういう話題を自己満足ながら面白がる。模写の拙さを伝えて目障りになることを自覚するが、筆者の拙さは明兆の画技の素晴らしさの伝達に役立つ。「白衣観音図」の全図は原寸大で模写して自室に飾りたいと思わせる。観音のひざ元に小さく描かれる善財童子は横顔だが、その身を乗り出す仕草はこの絵を見て感動する人全員の思いを代弁している。京博での東福寺展でも展示された明兆の素朴な着衣の上半身の自画像は、人柄をあますところなく伝える。筆者は雪舟の自画像よりはるかにこの明兆の顔を好む。明兆こそは日本最大の画家であったと思うが、それは禅宗が真に力を持っていた時代に生き、東福寺の僧であったからだろう。若冲時代は売茶翁が言ったように、十中八九の僧侶はいわばろくでなしであった。それから250年ほど経ち、今はどうか。政治が、家やTVに登場する醜悪の権化のような男女を見ていると、日本の衰退ぶりは誰の目にも明らかと言いたいところだが、こういうことを唱えれば、「それはお前の戯言だ」という非難は確実にある。一方では宗教無用論が目につくが、1970年の日本の万博ではまだ仏教を前面に押し出していた。それは明治から続く万国博覧会における日本の伝統であったのに、次の大阪夢洲で開催される万博では仏教は見向きもされない。そのことは日本がこの半世紀で仏教を重視せずに忘却し、新興宗教全盛となった実情を示すだろう。となればどういう芸術家が登場し、歓迎されるかは充分想像出来る。ところで、コロナ以降はめぼしい展覧会がめっきり少なくなった。それも日本が貧しくなって来ていることの一端だろう。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

# by uuuzen | 2024-02-28 23:59 | ●新・嵐山だより

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?