「
地の熱で 温泉あるは 言い切れず 冷泉沸かし 風風の湯はあり」、「ドルマンの 袖に包まる 心地の湯 夢見る胎児 思い浮かべつ」、「凍える夜 雀はどこで 夢見るや 明日の朝には 米撒く爺に」、「湯に煙る ガラスに描く 大円を 大団円の 人生想い」
今月から「風風の湯」はシルバー・デイが金曜日以外に毎週火曜日にも設けられた。マネージャーが変わってからはやがて火曜日は隔週でシルバー・デイとなったが、60歳以上が半額になるその日のみ利用するいわば最低級の常連客が目立つことから、マネージャーは火曜日もシルバー・デイにしたようだ。その日は600円で入湯出来るので、10枚8000円に据え置きされている回数券より割安だ。さて、
先月のムーンゴッタの投稿に書いた工繊維大の先生は車の免許を持たず、「風風の湯」には電車で来ているが、筆者と顔を合わせるのは週に一度ほどだ。また必ず話をするとは限らない。それにその先生が浴室にいるのは2、30分ほどで、筆者と話し込むと時計を気にする。最初に話をしたのは3か月ほど前だ。スタンプ・カードを利用しているかと訊ねると、知らないと言われた。60歳にはなっていないはずで、シルバー・デイは関係がない。週3、4回は来ているようなのに、スタンプ・カードも回数券も使わないことをフロントが指摘すると、関心がなさそうであったことをフロントから聞いた。経済的に心配がないというより、フロントと手続きなどをやり取りすることが面倒ゆえではないかと想像する。というのは以前書いたように外国人ではないかとの予想が、今日の話から当たっていたことがわかった。「ああ、このことを日本語でどう言うのかちょっと思い出せません」と言ったからだ。「どのお国の人ですか」と質問するのは失礼であるし、またそれはどうでもよく、筆者は建築関係の疑問などを話題として持ち出す。以前は日本の庭の話題を向けると、京都の有名な寺の庭はどこそこの業者が入っているなど、とても詳しかった。奈良の古い社寺にも造詣は深い様子で、友人に車で連れて行ってもらっていると言う。また、つい先日TVのニュースで知ったが、建築家の板茂が「世界で最も美しい美術館」としてベルサイユ賞を受賞した話題を向けたところ、板茂が紙の筒を使った建築や震災復興の住宅で有名になったことを教えられ、SDGsが喧伝される昨今にもてはやされる理由がわかった。ベルサイユ賞を獲得した美術館は外観をパステル・カラーで塗装したコンテナを並べて通路で結び、海辺に浮かんでいる。広島県下にある下瀬美術館とのことだが、蔵品の有無やどういうジャンルの美術作品を展示するのかは知らない。TVでは一瞬コンテナ際に二枚折りの琳派風の屏風が映った。野外設置であるので陶板か金属なのだろうが、その作品と展示は美しいとは言い難いものに見えた。またそこからこの美術館がおそらく最新の現代美術を展示することを思った。
展示室としてのどのコンテナにも窓がないように見えたが、先の先生によれば美術品の展示に窓は不要との意見だ。コンテナを10ほどつないだ美術館が世界一美しいかどうか異論があろう。筆者は行きたいとは思わない。しかしコンテナはどこへでも運べるし、移動不可能な建物よりはるかに安上がりで済む。美術展は展示する中身が主役で、展示場所は倉庫でもどこでもよいという考えがある。しかしそれは安上がりを旨とするいわば経済的貧しさが根底にあって、それが持続可能となることはあまり好ましくない。とはいえ、置く場所されあれば頑丈なコンテナはさまざまに使える。かつては使わなくなったバスや市電、貨車を改造して店舗や展示場として用いることがよく話題になった。その延長上にコンテナが使われるのは当然のことで驚きはない。先生はそういう例として堀川御池の少し東にコンテナ内部を染色の工房や喫茶店としている「コンテナ集合の建物」があることを教えてくれた。先生は少し考えながら西洞院通りを下がったところにあって、何気なく歩いているとコンテナを3階まで積んだ建物には全く見えず、ファサードは京町家風にしてあると言う。グーグルのストリート・ヴューで西洞院通りを調べると該当する建物がなく、油小路ではないかと思って堀川から下ると西側にすぐに見つかった。コンテナを積んでいるが、周囲の環境に馴染んで見える。建築費の高騰からか、あるいはコンテナであれば仮設建築とみなされて固定資産税その他、税金の面で得策であるのかもしれない。それに経営が難しくなれば簡単に撤去して、付近と同じビルを建てることが可能だ。ネットで調べていると嵯峨野にもコンテナを使ったカフェがあることを知った。嵯峨野のイメージにそぐわないが、そのそぐわなさが今は流行っているのではないか。法律を守りながら簡便で安価、そして意表を突いて話題性がある。流行が去ればさっさと撤去が可能ということがもてはやされている理由だろう。前言を繰り返すとそれは貧しい時代の仕方なき方策を逆手に取ったものに思える。SDGsを言えば、昔の京町家がそうであった。コンテナ店舗が増え続けると、Tシャツの高級化やあえてジーンズを破ったりして商品の差別化を図る考えも生まれて来るだろう。しかし昨今の新築住宅はスーパーにならぶ大量生産の商品と同じで、どれも同じに見え、陰影がなく、のっぺりとしていて、そういう家に暮らす人のライフ・スタイルも人格も同様になって行くだろう。日本の家屋から床の間がなくなり、江戸時代にあたりまえにあった掛軸も無用のものになった。それで屏風は形だけ今の美術家は受け入れ、野外展示が可能な素材で作る。板茂の建築思想は紙と木を本位にする日本建築の延長上にあるという話で筆者と先生は板茂の話題を打ち切ったが、コンテナを積み上げた「貸し倉庫屋」を見るにつけ、景観をぶち壊していると感じて嫌な気分になる。