「
終止符を 書いて手直し 繰り返し 最初の熱気 失せて凡作」、「美はなくも 果てなき仕事 露わなり 評価を拒む 作の価値とは」、「元気さが 何よりの美と 悟る子の どの作も似て ただの下手くそ」、「上手下手 わからぬ者の 自惚れは 老いて直らぬ 人に笑われ」

昨夜は気になっていた今年の切り絵を投稿し、そのついでに今日は
切り絵のホームページの一部をリニューアルした。20年ほど前に作って以来のことで、作品が探しやすくなった。300点に満たないが、順に題名を見て行くと、今でも大いに気になってよく覚えていているものと、ほとんど記憶にないものとがあって、前者は20年ほど経ったとは思えない。筆者の切り絵は他者の反響を聞いたことがほとんどなく、どれほどの人が存在を知っているかはわからない。ネットでの公表は不特定多数の人に見てもらえる可能性を持っているが、流行歌と同じようなもので、ほとんど知られない場合の方がはるかに多い。反対に「バズる」という言葉で大評判になることが稀にあることも流行歌に似て、ネットに投稿する人は同じ労力を費やすならば何千、何万倍もの人に届くことを期待する。しかし「バズった」投稿は歴史に残って何十年後にも多くの人の目に触れるかなれば、花火のように一瞬の出来事で、バズった頃に役目を終えている。バズるに越したことはないが、それを期待しない人はいる。それは最初から諦めていて「負け犬」的かと言えば、そうとは限らない。多くの人に知られなくても製作に励むことは普通のことで、満足の行く仕事が出来ればそれでよいと考える作家こそが本当の作家だ。しかし満足の行く作品はめったに生まれない。それで幻滅して自殺する場合があるが、筆者は気楽なのでそこまで自作に対して不満を抱えない。出来不出来のあることは当然で、不出来が続けばたまによいものが出来る。それは努力を怠らないことを意味している。さて、昨日は今年の天龍寺での節分会で展示された版画「熊と柿」について触れた。その画像を紹介するために今日は当日撮った地元の児童、生徒の書画の写真を載せる。毎年同じ先生が指導しているせいか、あるいは学習指導要綱にしたがっているためか、作品は変わり映えしないが、今年は小学生の低学年による全紙にサイズの書があった。絵画では戦前に回帰したような、水墨画を手本にした作があって目を引いた。前者は手本なし、後者は印刷物を参考にした模写的な作だが、義務教育では書は元来手本どおりに書くことを強いるので、自由奔放に書いた大きなへたくそな文字ではあるが、画面いっぱいに伸び伸びと書かれていて好感は持てた。それに比べると、水墨調に黒一色で描かれた作は、京都の四条円山派の伝統を知ってほしいとの教師の意図は理解出来るとしても、鯉を描いたものはやはり古臭く、水墨画の刷新は無理で、頂点に達した技術の取得もそうだという気にさせられる。

書道は手本に忠実に書くことを指導されていると思うが、絵画ではそうなっていないことは、バランスが取れているのかそうでないのか。手本は立派な作であって、その構成美に少しでも近づくためにそっくりに書くことを指導する意味はわかる。基本を理解しなければ完成された美を超えることは出来ないという考えだ。しかし絵画ではその点は揺らいでいる。明治になって児童や生徒の美術教育は四条円山派が完成した「付け立て」技法と、輪郭をきっちりと描いてその内部をたとえば着色するという、「付け立て」とは対になる古来の描き方の二種を教えることになったが、その基本には書と同じく模写があった。戦後は自由を尊び、そういう古臭い教え方は撤廃され、また子どもたちも画集などによってピカソがどういう絵を描いたかを知っているので、自由に描いて元気さに満ち、誰のものにも似ていない個性を賛美する方向に変わって来たのであろう。天龍寺の節分会で並ぶ絵画は教科書にしたがってある一定の枠組みを教師は設けているはずだが、その範囲内で子どもたちはさして不自由を感じずに自由に描いている。先日地元の小学校から児童たちの書画展の案内が来て、興味はあるものの、足を運ばないことに決めた。天龍寺の節分会で毎年展示される嵯峨の小中学校の作品とほとんど変わらないだろうと思うからで、特に目立つ作品はままあるだろうが、それらも教師の指導の範囲内でのもので、学校の教育からはみ出た自由作品はないだろう。絵画の場合、テーマや技法の指示がなければ子どもたちは戸惑うからそれは当然のことだ。子どもたちが本当に描きたいものは帰宅して勝手にやればよく、そうした作は公にされない。こうして書きながら念頭に置いているのは妹の孫のHのことだ。Hは帰宅して好き勝手に描いていて、それらの絵は学校の教育とは無関係の自発的なもので、美術の先生が見れば戸惑うだろう。「アール・ブリュット」に属するタイプの絵で、そうした絵を義務教育では教えないからだ。その意味でHは大人びているが、大人が描いたにしてもHの絵はかなり変わっている。超緻密が持ち味で、そのように描くことを本人が好むからには親も教師も放任しておくしかないといわば戸惑っているようだが、Hの描く緻密さはたとえばデューラーの銅版画や木版画にはかなわない。デューラーの作は気の赴くまま出鱈目に描いたものではなく、どの線も点も写実を基本として的確に配され、絵は一定の意味を持っている。途方もない緻密さは後でついて来たもので、何を描くかが先にあった。しかしHが好きで買ったルイジ・セラフィーニの、解読出来ない文字と奇妙な挿絵で満たされる中世の写本に触発された一冊の本のように、一部の愛好家の獲得によって名声も収入を得られるほどに、画家は多額の収入をさして必要としないから、Hの自由奔放な意味のない絵が人気を博する可能性はある。

要は自発的にどれほど多作であり得るかが重要だ。その点Hは誰の命令を受けることもなく、暇さえあれば描いているようで、そろそろ将来の進路を視野に収めねばならない時期になっている。妹は好きなことをしてくれるのは何よりだが、大人になって自活出来る収入があるかどうかを心配している。その現実的な発言はあまりに味気ないが、妹一家は大の資産家であるから、それを食いつぶしてもHは一生困らないはずで、好きな道に進めばいいと筆者は思っている。心配があるとすれば、セラフィーニ以外の正統な美術史に関心を抱き、先のデューラーなどの天才の画業を目の当たりにした時、自分の画力を客観的に評価出来るかどうかだ。その点について妹はたとえば草間彌生を引き合いに出し、彼女のように自由奔放に描いて作品を量産しても世界的人気があることを言い、美術史をひととおり概観して自分の作品がどういう位置にあるかを考える必要はないといったことを言いたげだ。Hの小中学校で美術の授業での作品を筆者は知らないが、学校で教えられる絵画や技法には関心がなかったのだろう。オール2の成績では京都のどの美術高校、大学にも進学出来ないそうだが、その成績でたとえばデューラーの凄さが理解出来るかどうか、筆者にはわからない。デューラーでなくても、たとえばわが家にはシュマイサーの銅版画が10点ほどあって、それらの画面のごくわずかな部分の線にもシュマイサーならではの個性と抜群の技術力があることをHが見抜けるかどうか。見抜けたとして、自分は自分という強力な個性が完成していれば、その後の生涯は現在の描法をそのまま続けるだけで、後は仕上がる作品にファンがつくかどうかだが、経済力に問題がなければ売ることを心配しなくてよい。つまり、今のまま好きに描き続ければよく、筆者には何も言うことがない気がしている。またHはセラフィーニの絵の模写に興味はなさそうで、美術史に収まらず、現在の流行や流派に属さずとも独創的な仕事を成し、そのことで世界的に有名になれる実例をセラフィーニの本に見て取ったのであれば、それはそれでたいしたものだ。純粋芸術を理解せず、限界芸術でも充分に名を成すことは出来る。絵が好きな子どもは百人にひとりはいるが、彼らの多くは成人すれば絵の道に進まず、進んでも生活のために、美術教師以外ではイラストレーターや漫画家、アニメーターになる。あるいは京都であれば伝統工芸の世界がいろいろとあるが、染織よりかは陶芸向きに思えるので、妹にはそう言っておいた。どのような表現者でも賛辞もあれば非難もある。筆者のようにそのどちらもない無名であっても、本人は気分よく生きているのであるから、Hに最も言いたいことはそれに尽きるし、Hはすでにそのように生きているようだ。視野が狭いと批判されても、視野の広い作品が必ずしもいいものになるとは限らない。

