「
紙魚飼いの 蔵書部屋にも 寿命あり 万物は是 集まれば散る」、「生ゴミを 肥料に変えたし 庭はなし 持続可能の 言葉は虚し」、「メリハリは ハリーメリーの 仲のよさ 急ぐハリーを メリーは笑う」、「男尊は 女卑に結びつ ダンジョンに 永久に叫ぼう 男女解放」

今日も思いつくまま書く。即興ということだが、本カテゴリーの投稿は必ず3段落、また1段落当たり1150から1200字までと決めている。1段落当たりの字数は本ブログの投稿すべてに共通する。いつの間にかそうなった。書きながら段落内の字数を何度か計算するので10秒かそこらの小休止はある。また即興とはいえ、頭の中にあることしか出て来ず、夢と似ている。夢は目覚めた時、思い当たることがある。そうでない場面のほうが多いかもしれないが、目覚めて最も気になることは、最近何度か思っていたことと大きく関係している。そのことから考えると、こうして書き進むことは、普段考えながら忘れていることが話の流れで突如思い出されることと言ってよい。つまり普段考えていなければ書く内容は乏しいものになる。であれば、こうして書くことが夢に似ているとなれば、内容な夢同様に出鱈目ということになる。それでは文章とは言えず、3段落すなわち400字詰め原稿用紙9枚ほどを結論めいたことで終えることを念頭に置かねばならない。本音を言えば毎回それは全く考えない。書き進むうちに、何となく話がまとまって来て、そのことにひとまず満足して終える。ザッパのギター・ソロはそれが始まる前のヴォーカルつきの主題の変奏で、楽譜に書いた旋律の音階に沿ったメロディを紡ぐが、ソロの終わりのメロディは主題の一部で、それをザッパが奏でると他のメンバーはギター・ソロの終わりを認識する。つまりザッパは自分が書いたメロディを毎回ステージで即興で変奏する。それは新たなメロディの発掘を目指したものだ。即興のソロを楽譜に起こしてそれを他の人物が演奏することはベートーヴェンの時代の時代からあったし、ザッパもその可能性を自曲で試したことがある。ザッパの場合、その即興のソロが予想外に面白いものと思えたからで、大部分のソロは言葉は悪いがゴミとして処分された。また主題の変奏とはいえ、時にそこに別の主題に発展する演奏が生まれる場合があった。しかしそれは普段の練習で発見しながら、ほとんど忘れていたものだろう。つまりザッパのソロは夢と同じだ。それはいいとして、寸時を惜しんでギターの練習を続けたからこそ、膨大なゴミの中から珠玉の旋律が生まれた。となれば、ザッパのそうしたソロを逐一模倣してもほとんど意味はなく、自己流に練習を重ねるしかない。筆者はブログを続けて20年になるが、母が死んだ夜に初めて短歌を詠み、ブログに毎回4首載せることにして今に至る。数えたことはないが、投稿回数からして少なくても3000から4000首は作っている。

ところが、その練習がどういう形で結実するかの期待はなく、投稿した尻から忘れている。長文本位の筆者が言葉を選んだ短歌ないしそれもどきがどれくらい作れるのかと思った時、最低でも3000首は詠もうと決めた。ただそれだけのことで、他者の評価は全く気にしておらず、箸にも棒にもかからないでよしの思いだ。練習量の多さを誇りたい人は他者の創作を厳しい目で見がちだ。そこに評価に値する技術があるのかどうかとまず見る。しかし技術は拙いが、作品全体が何となく独特で面白い場合はよくある。それを世間では「へたうま」と称して来ている。「へたうま」も卓抜な技術あってのことと捉えることは可能で、技術と芸術作品の関係は一面的には言えない。ザッパの曲はプロのミュージシャンでも演奏困難なリズムとメロディが多く、ザッパは抜群の技術を誇ったと言える。それは何度も言うように自己に多大の練習を強いたことの自信と自負による。そういうザッパの人気が日本でさほどないのは、日本人が好むロマンティシズムの要素がほとんどないからで、「ダーティ・ラヴ」という曲の題名から即座にわかるようにザッパはロマン主義以降に盛んになった写実主義の立場にあった。ところが歴史的にロマン主義が全滅したかと言えば、いつの時代にも古い時代の主義は見直され得るから、当然ネオ・ロマンの思想や芸術はある。時代を画したいいものは永遠に廃れないからだ。それでザッパ像をどう捉えるかによってたとえばザッパ曲のカヴァー演奏も変化する。そこには時代と国の差が影響するのは当然として、特に日本では歌詞の解釈や英語で歌うことの困難さがあって、欧米にはないハンディキャップがある。それゆえ誤解も混じるかもしれないが、別の見方をすれば、予想外の面白いカヴァー演奏をもたらし得る。そうした演奏についてザッパがどう思うかだが、ザッパの曲はレコードがひとまずの完成作ながら、ザッパはその発表以前も以後も、メンバーの違いもあって絶えず編曲した。すなわちザッパ自身が自作曲をカヴァーしたから、未熟な技術による演奏は論外として、演奏者の個性のある解釈は喜んだはずだ。ザッパがいない今、その技術の熟達度は誰がどのように決めるかという問題があるとしても、どれほど多くの客に歓迎されるかどうかにひとつの指針はあろう。ネットが存在しない70年代であったか、開高健は「今は優れた才能は誰かが注目して埋もれない」と言った。このことはネット時代になってより言えると見てよいが、玉石混交はいつの時代も同じとして、人々がネットで玉を探すことに日々勤しんでいるかどうかとなれば、石を玉と錯覚する人は却って多くなっているのではないか。贋玉が評判を得るのはいつの時代も同じだが、練習の絶対量の多い存在は贋にはなりにくい。技術だけしかない作品もあるが、技術のないものより長生きする。練習の多さは嘘をつかない。

今回のライヴの最後に登場した紫狂乱さん率いるBWANAは5人編成で、当夜彼が舞台で話したザッパの来日公演時と同じだ。何年か前、彼はザッパが演奏した京大西部講堂でザッパのカヴァー演奏をしたいと語った。1976年当時彼は20歳と聞いたが、それから半世紀、日本初のザッパ・カヴァー・バンドとしてザッパ曲を演奏を続けて来ている。特徴は全く別の意味の日本語で歌うこと、またLPヴァージョンをなるべく忠実にカヴァーすることにある。前者についてはザッパが歌詞をつけなかった曲、たとえば「グリーン・ジーンズの息子」に歌を載せる場合があって、歌詞は創作している。後者に関してはザッパや他のメンバーのソロを忠実にコピーすることは至難の技でもあって、曲の構成のなぞりに留まっているが、今回は「なぞなぞ紹介」の曲も演奏し、それらのセットにザッパの日本公演時のテーマを組み合わせるなど、紫さんの履歴を回顧する向きが強かった。西部講堂でのザッパの演奏はメンバーの技量の高さにもよるが、凄まじい迫力で、その忘れ難い記憶に接近しようとする態度は、青春云々のロマン主義ではなく、今現在の自己を生きている心地に保ちたいからだ。また人前でたまに演奏するからには全力投入は当然で、それには多大の練習は欠かせない。今回会場の音響のよさもあったかもしれないが、これまで筆者が聴いて来た中では最良の仕上がりであった。紫さんのギター・ソロもザッパと同じく各フレーズの冒頭のわずかな無音の「溜め」がこなれていて、ザッパを髣髴とさせた。サックス奏者は76年のザッパの来日時のナポレオン・マーフィ・ブロックの位置にあって、今回ヴォーカルを担当した曲がいくつかあった。黒人のプロの歌唱力にかなうのは不可能だが、それなりによく頑張っていた。ザッパのライヴの魅力の半分は各メンバーのソロで、特にザッパのギター・ソロがライヴの魅力の3分の1は占めていて、その分カヴァー・バンドはギタリストの技量に多くを負う。以前書いたように、紫さんのソロがザッパのように10分程度続くようなものであってほしいが、考えてみれば今の紫さんは30代のザッパの倍ほどの年齢で、今回彼がステージで語ったようにいつ死んでもおかしくない高齢に達している。それは筆者も同じだ。曲の合間に紫さんは自転車で走っている最中に田んぼに落下し、肋骨を傷めたと語った。その笑いを交えて話す表情には長年ザッパの音楽を愛して来た、言い変えれば20歳で本物に出会えて今までやって来た幸運をありがたく思っていることが伝わった。情報が大氾濫するネットで今の若者はそういう運命的な出会いが出来るだろうか。懐疑に囚われ続ける人が正直に凄いと認める表現に出会うことは一瞬で恋をすることと同じで、ロマン主義そのものだが、そのことを嘲笑する人はさびしい。ザッパは人間の醜さを描きながら、いつもそれに明るい笑いを混ぜた。
