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●テセウス柴刈り爺の心配、9
ングリの ドンとかまえる ドンらしさ ドンくさいとは 背高自慢」、「水分が 飛んで枯れるや 人も木も ドリンクゴクリ ココロハレルヤ」、「秋の朝 枯れ枝四束 野辺送り 清掃局の 人に委ねし」、「芝刈りの 爺の精気の 源は シヴァの神見て リンガを想い」
●テセウス柴刈り爺の心配、9_d0053294_16080343.jpg 急に涼しくなって油断し、一昨日の夜、上半身を裸同然で寝たせいもあって目覚めると咳が止まらない。年に一度はそういうことがある。猛暑で体が弱り、涼しくなった途端にその現実に見舞われたようだ。「風風の湯」でサウナに入れば治るかと思って昨夜そうすると、温まり過ぎたのか、睡眠中に汗まみれになり、半分目覚めながら家内が筆者の額に冷たいものを載せ換えていることを感じた。朝目覚めて訊くと、筆者の手があまりに熱く、すぐに階下に行って冷蔵庫で冷やしている熱取り用の何とかと呼ぶ凍らせたものをタオルでくるみ、筆者の頭に載せたそうだ。しきりに寝返りを打つのでそのたびにそれを移動させていたらしい。下着まで汗びっしょりで、朝目覚めるとどうにか風邪はややましになった気がした。今日は臨時に自治会館前で枯れ木その他不用品の回収があった。そのことを先月回覧文書で知り、春から保管しておいた枯れ木を持参することに決めた。あまりの猛暑で日陰のない裏庭では束ねる作業は無理だ。春に2束を作り、もう2束分の枯れ木は庭の片隅に積んでおいた。直径7,8センチの太めの枝はブロック塀に立てかけておいた。半年経てば乾燥すると思ったからだ。たまに確認すると、きなこのような粉がどの枝からもたくさんこぼれていて、虫が侵入して内部を食い散らしていた。それが軽くなる理由でもあるが、やはり水分が飛ぶからだ。残り2束の半分は数日前に作業を終え、最後の1束は昨日の午後に行なった。それら2束は春の2束よりかなり重いが、切ったばかりの時に比べるとたぶん半分ほどの重量になっている。重い2束は筆者が運び、春に束ねた細枝ばかりの2束は家内が自転車で運ぶ。今朝9時からの回収開始で、一番乗りすることにした。今日は展覧会巡りのために家内と神戸と大阪を回る予定を立てていたからだ。両展とも明日が最終日だが、天気がどうなるかわからないので今日行くことにした。何事も予定どおりことが運ぶと気分がよい。その最高のものが毎年春秋の枯れ木を4束作り、回収場所に運び込むことだ。先に着いた筆者が区役所の10人ほどもいる回収員と談笑していると、家内が着いた。筆者は素知らぬ顔をした。筆者が帰宅してから出発しろと言っておいたのに言うことを聞かない。4束は同じ紐で同じように括ってあり、同じ家のものであることはわかるが、別人が運んでいるのでわかるはずはないと家内は言い、「肝っ玉が小さいなあ」と筆者を非難する。係員は「お母さん…」と呼びながら、自転車の前後の篭から束を下してくれたと言う。回収場所から筆者らの姿が見えないところで落ち合い、一緒に帰った。
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# by uuuzen | 2024-10-05 23:59 | ●新・嵐山だより
●ブログ作成歩録107(ついに有料コースに申し込む)
のまま ラーメンすすり 省手間と 合理とずぼら 混同諫み 」、「たいていは 吾に非ありと 思うべし 未熟さ抱え 伸びる余地あり」、「二十年 ブログ続けて 一ギガを わずかに超えて 無料駄目」、「現実も 夢も出鱈目 気づく朝 庭に黄色の 蝶飛ぶは吾」●ブログ作成歩録107(ついに有料コースに申し込む)_d0053294_12094033.jpg このカテゴリーの去年3月21日の投稿に、ブログの画像容量がいっぱいになったことを書いた。1GBまでは無料で利用出来るのが、およそ20年投稿し続けてついに満杯になったのだ。実際は1GMよりわずかに超えて1023.98MBだが、なぜその超過分が許されていたのかはわからない。ともかく同じエキサイト社でもうひとつIDを取得し、それを非公開にしながらその新ブログに画像のみを投稿し、そのURLを引っ張って来ることでこの1年半を投稿して来た。とこが昨日の夕方、書き終わった『橋本関雪 生誕140周年』を投稿しようとすると、「HTTPエラー:500」が表示されて受けつけられない。調べると、そのエラーは相手側つまりエキサイト社に問題ありとのことで、障害が起きているのかと思った。しばらくしてまた投稿すると同じ状態だ。パソコンを再起動しても駄目で次に3階のデスクトップで試みたが、やはり同じ画面が表示される。そうして2、3時間経ち、しばらく休んでまた挑戦すると同じ状態だ。それにエキサイト社に障害情報が出ておらず、ほかの人たちは投稿している。そこで筆者に問題があることを思い、真っ先に気づいたkおとは、画像容量はもうひとつのブログで問題ないとして、文章の方だ。文章が占める容量は画像に比べるとごくわずかであろうが、塵も積もれば山のたとえのように、この1年半に書いた文章量はそれなりに嵩を取るはずだ。それで試しに『橋本関雪…』の投稿を冒頭の4首の歌だけにして、非公開で投稿すると今までどおりに即座に反応した。『橋本関雪…』の文章は原稿用紙21枚分だ。その半ばでついに無料コースの1GBを超えたのだろう。そこでどうしたものかとしばし考えた。画像は他に保管してある場所から引っ張って表示させられるが、文字はそういうわけには行かない。文字を画像データにすれば可能だが、そうすると文章中のリンクが出来ない。つまり文章は本ブログ内に投稿せねばならず、本ブログの無料コースの容量がいっぱいになれば毎月代金を支払って容量を増やすしかない。そこで昨日の深夜、クレジット・カードの番号を登録して最低限の有料コースを申し込んだ。すると一瞬で『橋本関雪…』の投稿が出来た。現金なものだ。WordPressでも無料コースはあるが、それも1GBまでだ。結局それを超えるデータ量ならば金を支払わねばならない。WordPressの最低コースは毎月500円ほどで、エキサイトならば270円で済む。もっとも諸物価高騰の昨今であるから、これがいつ倍になってもおかしくないが。
●ブログ作成歩録107(ついに有料コースに申し込む)_d0053294_12100546.jpg エキサイト社が倒産するとブログは全部消えてしまうから、安全なWordPressが本当はいいが、それに移動するにはエキサイトから他のブログに移し、そこからWordPressにふたたび移動させねばならない。エキサイト・ブログからは直接ダウンロード出来ない仕組みになっていているからで、そのサービスをなぜエキサイト社が行なわないかと言えば、それを許可すると簡単に他社に引っ越しされるからで、面倒な手間を踏まないことにはブログの乗り換えが出来ないようにしている。筆者は当初友禅などのホームページをヤフーで運営していた。ヤフーがそのサービスを止めたので引っ越しを迫られ、ヤフーが紹介していた方法で別の、もちろん有料の会社にデータを移した。その時の経験から本ブログを一旦他社に設けたブログに全部移し、そこからダウンロードしてWordPressに投稿し直す方法はわかっているつもりだが、現在と全く同じ画面やその他の機能がWordPressで再現されることはないはずで、20年の間にエキサイトに慣れてしまった部分を捨てる気には踏み込めない。それはさておき、1GB程度で20年間投稿した文章と画像が収まることは何と小さなことかと思う。今後の寿命を思えばもう1GBで充分で、昨夜慌てて申し込んだ有料コースの「容量無制限」の文字が何となく恐怖に感じる。人生は有限であるのに、無制限とはあまりに大盤振る舞いで、「容量2GB」というコースがなぜないのかと思う。筆者のこれまでの投稿スタイルからして人生が終わるまでに使う容量は2GBに及ばないに違いないからだ。それもさておき、「容量無制限」になったのであるから、この1年半、もうひとつの非公開ブログに保存している画像を全部本ブログに移すことがいいように感じている。つまり1年半前に無料を続けることでこだわったことが、有料にしたために却って面倒なことになった。この1年半の別ブログに保存した画像をそのままにしておいても表向きは全く差支えないが、いつかWordPressに移すとなると、ややこしいことになりそうな気がする。それを言えば本ブログはエキサイトだけで完結しておらず、画面右のカテゴリーや年度別の投稿はヤフーでデータを確保していたものをほかの有料会社に移し、そこからリンクさせていて、筆者のブログはそれなりに複雑な手間をかけている。そのことも含めてWordPressひとつで完結するならば利点は大きいと思うが、腰を上げてそれを断行するにはかなりのエネルギーを要し、日々新たなことをブログに書いている状態では、またさまざまな雑事が次々とやって来る生活では、気分も時間も余裕がない。それでともかくエキサイトの有料コースに申し込み、容量が無制限になったので、それを利用した何か新たなことが出来るのかと思い始めている。
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# by uuuzen | 2024-10-04 12:10 | ●ブログ作成歩録
●「花火鳴り 犬猫隠れ 赤子泣き 若い夫婦は 夜空を眺め」
ギリスに 意義ありますと フランスは キリギリスにも フラダンスさせ」、「ごろつきが 語呂合わせして 付き合うは 神になりたき 身なり雷 」、「爆弾を 花火代わりに 使い合い 家なき子泣き やがて緑が」、「花真似て 花火の花の 広がりは 出鱈目拒み 整列見事」
●「花火鳴り 犬猫隠れ 赤子泣き 若い夫婦は 夜空を眺め」_d0053294_19402113.jpg 一昨日投稿した先月28日夜に撮った花火写真は、翌日の29日の昼頃に投稿用の加工を行なった。その日の夜の2回目の花火を前にデジカメの記録媒体の空きを設けねばならないからだ。写真を加工しながら、無闇にシャッターを押し続けた割りにまあ上手く写ったかと思った。見晴らし、見通しのよい場所に立ったからで、家内の言うように阪急嵐山駅前で撮らなくてよかった。29日の夜はカメラ持参で「風風の湯」に行った。その帰りに花火を鑑賞して撮影するためだ。本来なら露店風呂かサウナから花火を見る時間だが、28日と比べてどのような写真が得られるかに関心があって、同じ場所に立って同じ状態で撮ることにした。花火は8時半からの5分間の打ち上げで、8時20分にはフロントで家内と待ち合わせをする必要がある。これはいつもより1時間早い。家内は早い目に湯から上がって休憩室で待っていた。外に出ると対岸の「花のいえ」辺りからマイクの声が聞こえる。たぶん嵯峨側のほうが見物客は多い。筆者は打ち上げ場所から30メートルほど離れ、花火を真下近くから見上げる格好だが、対岸からは首をそこまで曲げる必要はない。8時半はもうどの店も閉まっているので、この花火を大阪の人が知ればわざわざ嵐山まで来るだろうか。5分で終わった後、どこで休憩することも出来ず、そのまま電車で繁華街に出るとしても、もう9時を過ぎている。一杯飲めば終電でということになって、8時半の打ち上げはかなり遅いと思うが、警察その他の要請もあるのだろう。つまりあまり大勢やって来られると警備が大変で、また9時を過ぎればもう寝ている人がいて、安眠妨害の苦情が出る。半世紀前と違って娯楽はたくさんあり、花火を騒音と思わないでも、全く関心のない人もある。「風風の湯」の常連の嵯峨のFさんもそうで、花火の時間を知らず、「風風の湯」にいながら見なかったと言う。さてこれで経済効果がどれほどあるのか。一昨日書いたように渡月亭の主は花火の継続に熱意を公表しているが、商店主たちが嵐山の名物に育て上げるためにたとえば半世紀続けるとして、その間に時代がどう変化するかは誰にもわからない。花火が歓迎されるのか、その反対に、反対運動が起きるのか、主催者は自腹を切って地元住民をも楽しませているという気持ちであろうが、それがこれからの世代にどう伝わるかは予想がつかない。筆者はこの花火が毎年あってほしい。地元商店主が出費を惜しまないのは見上げたことで、その組合に「花伝抄」やその他の他府県や外資の大企業は入っていないはずで、この花火は地元で営業を続ける企業の矜持があってのことだ。
●「花火鳴り 犬猫隠れ 赤子泣き 若い夫婦は 夜空を眺め」_d0053294_19405429.jpg 一昨日書いたように、日本中チェーン店だらけで、どの国道、県道沿いも同じ眺めになって来ている。1970年代、本格的な高度成長期からのチェーン店の出現によって、日本中同じ味が同じ価格で提供されるに至り、同じような顔とスタイルの美女美男が毎月マスメディアに登場することになった。それを「味気ない」と言うのだが、その意味を今の若者は知らない。第一彼らは味をわかっているのか。大型チェーン店で安価なものばかり食べ、手作りのよさを知らない、知っても縁がなく、ロボットじみた人物ばかりになって行く。挙句AI時代とやらで、画一的でなければ気持ち悪いとまで思う若者ばかりになるだろう。さて、今日の投稿は私小説的なことを書くつもりでいたが、公にするのはかなりまずい。ほのめかすことですらそうであるので、もどかしさに悶えるが、仕方がない。今日の写真を撮るのに、28日以上に真剣になった。しかし思った形に開く花火の花にカメラが反映せず、2,3秒遅れの反応によって半分以上が真っ黒けの写真であることを確信した。カメラの反射神経の連携がうまく行かないのは筆者の技術不足だ。隣りで家内が話しかけるのを苛立って無視しながら、撮影不能のピー音が鳴るまでシャッターを押し続け、それが終わったのは4分ほど経った頃で、最終の4、5発一斉打ち上げを撮ろうと思っていたことが徒労に終わった。しかし写真の加工を始めると、28日ほどでもないが、同じ枚数のどうにか使える花火写真は得られた。さて、花火が終わった直後、帰宅するために振り返ると、3メートルほど前すなわち狭い道路の反対側で花火を鑑賞していた60代夫婦の奥さんが筆者に声をかけた。暗がりなので顔も姿もほとんど判別出来ないが、彼女らは背後から筆者らを花火の間、見ていたことになる。ご夫婦のご主人は今年の時代祭に裃姿で歩いてもらえることになり、先月初めて顔を合わせ、花火の後が二度目であった。礼儀正しいご夫婦で、時代祭の参加に快い返事がいただけたことはありがたい。奥さんはどことなく謎めいて不思議な魅力を持っていて、花火が終わった直後に彼女から「こんばんは」と言われた時はぎょっとした。ほぼ真っ暗で、顔がわからないはずであるからだ。立ち話は出来ないこともないが、家内は面識がない。それですぐに帰途に就いた。彼女と擦れ違う際、彼女は「ああ、奥さんですか…」と言った。その声は家内には届かなかったであろう。すぐ近くに住んでいても長年顔を知らない人は大勢いる。花火のような一瞬の人生で、何もよくわからないままにすぐに過ぎ去って行く。クリスティン・レイクランドの89年のアルバム『FIREWOKS』(花火)はいみじくもその題名をつけたものだ。デビュー・アルバムを出した30歳頃の彼女の格好よさに匹敵する女性を筆者は今のところほかに知らない。ここから全然別の話になるが、前述のように書くことは出来ない。
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# by uuuzen | 2024-10-03 23:59 | ●新・嵐山だより
●「早合点 恥じて言い訳 しておけば いいわけないの 謗りを逸らし」
の目を 見上げて寝入る 童には 木目印刷 いと味気なき」、「木を使う 気遣い知らず プラがいい 人も不要で ロボットばかり」、「根が張るは 値の張る木とは 言わねども 根上がりの松 値上がりを待つ」、「土の中 根の絡まりは 人知れず 男女の絡み 同じく闇に」
●「早合点 恥じて言い訳 しておけば いいわけないの 謗りを逸らし」_d0053294_16353780.jpg 先月10日に裏庭にあるグミの木について書いた時、題名を「グミの木の 根元に生えし 双葉あり 九か月経ち グミの子と知り」とした。グミの木の根元から生え出て来た新芽であり、また1本の茎につく葉はグミの成長した葉と違ってほとんど波打っていないが、幼葉であればそういうものだろうと思い込んだ。4,5日前、今年の秋の枯れ木回収日にいつものように人の胴体ほど嵩のある枯れ木4束を整理するために隣家の庭に入ったところ、ブロック塀の際に名の知らぬ木があまりに繁茂しているので、適当に手で折った。その時に撮ったのが今日の最初の写真の上だ。下は先月10日にも載せたが、グミの根元近くに生えている同じ木の枝だ。枝はしなやかで柔らかくて細いので刃物なしで充分なのだが、背丈以上の箇所に生えているものは脚立に乗る必要がある。そうなれば脚立から転がり落ちないために大きな枝切り鋏で切るが、それを取りに戻るのが面倒なので、地面に近い10本か20本ほどの枝だけをもぎ取ることで済ました。その時に気づいたが、その細い枝は先月10日の投稿に載せたグミの木のそばに生えて来ている1本の茎と同じではないか。つまりブロック塀の下を潜り抜けてわが家のグミの木の近くに新たなに勢力を伸ばして来ているのだ。それは1年や2年ではなく、もっと長い間に少しずつ地中を這い続け、合歓木や藤、そしてグミの根の隙間を通り抜けてちょうどいい場所に双葉が顔を覗かせた。気長に考え続け、機会をうかがって正体を現わす。見事に逞しい。人もそういう根性を持っているが、その根の性質を名前の知らない隣家の庭に毎年猛烈な勢いで生える細い枝の集合とそこから派生した1本の枝によって今回知った。それはいいとして、グミの木の根の養分を吸い取る算段であれば早速刈ってしまうべきだが、根は地中を這っていて、いつでも伏兵を登場させる用意がある。筆者はせっかく育っている木はなるべきみんな仲よく暮らしてほしいので、この名前の知らない木を邪険に扱うには忍ばない。それで他の木を強引に侵さない程度に毎年剪定しているが、地中のことはわからない。このグミモドキ木は春になれば細かい小さな白い花を房状に大量に咲かせ、強烈な揮発性の香りが漂うのでそれなりに面白いが、グミの実を何年も成らないのはこの木に根をやられているせいかもしれない。グミの木は死んだK従兄の形見で、枯れ死させるわけにはいかない。今日の2枚目の写真は裏庭から見た隣家のその木で、写真はわかりやすいようにトリミングした。実際はもっと繁茂してグミの木は肩身が狭い。
●「早合点 恥じて言い訳 しておけば いいわけないの 謗りを逸らし」_d0053294_16360642.jpg

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# by uuuzen | 2024-10-02 23:59 | ●新・嵐山だより
●「英恵さん 花火の前に 話したね 洟出て寒い 鼻息聞こえ」
ンと聞き 無残残念 残酷と 残る言葉は 残酷残暑」、「5分でも 花火は花火 打ち上げの 終れば家で 打ち上げの酒」、「花火見て 誰の出資か 気にはせず 金ある人の 蠱惑思惑」、「若者の 花火迷惑 言う人が 花火祭を 指折り待ちて」
●「英恵さん 花火の前に 話したね 洟出て寒い 鼻息聞こえ」_d0053294_17451622.jpg 去年はわが嵐山東自治連合会が50周年を迎え、その行事と記念誌の発行があった。記念誌は3000冊少々印刷された。これは自治会に加入しない世帯を含めて全戸配布された。50周年記念の行事を司る委員会のメンバーに筆者は途中から参加要請があって、小学校の会議に3、4回出席した。それはいいとして、記念誌は筆者の参加前にページ割りその他が決まっていたが、筆者は異議を唱え、その最大の目的であった部分は受け入れられた。そのことを実現させるのに動き回るのは筆者で、時間がかなり取られたが、50周年の節目であるのにあまりに歪な編集であったことはかなり改善された。文章を書く必要があって、わが自治会から4人すなわち4軒に事情を説明し、思いを聞き出す必要があった。そこでひとつ気になったことがあった。料理旅館の渡月亭は現在4代目が経営しているが、社長のHさんからメールで届いた文章は、コロナ禍の間に始まった嵐山の花火を今後も継続したいという思いであった。嵐山の花火は50年ほど前に毎年あったと聞くが、筆者が嵐山に住むようになった45年ほど前にはなかったので、長くは続くかなかったのだろう。花火で嵐山を知ってもらおうとしなくても、じっとしていてもTVその他が常に嵐山を宣伝してくれるからではないだろうか。奈良も同様だ。じっとしていても客がやって来るので、大仏商法と言われるが、一般的には商売に胡坐をかくと言われる。それで経営が成り立っている間はいいが、コロナによって客の思いや動きは変化し、また日本が大国ではもはやないと言われて嵐山は外国人観光客頼みになって来ている。阪急嵐山駅前に12年前に出来たホテル「花伝抄」はコロナ以降は連日ほぼ満室で、花伝抄経営の「風風の湯」に勤める人から聞いて知ったが、宿泊率は100パーセント以上の場合があるという。これは同じ部屋を1日に2組が利用することがあるからで、たとえば朝入室して午後3時にチェックアウトし、その後に別の客が入るので、作業員はてんてこ舞いらしい。2年前に渡月亭の大女将と飼い犬の散歩で「風風の湯」の前で会った時、彼女は花伝抄の全室の窓に明かりが灯り、しかも毎日そうであることに感心していた。もちろんそれはどのようにすれば同じような集客が出来るのかという羨みの気持ちからだ。「風風の湯」には大きな畳敷きの休憩室がある。最初の計画ではその場所はレストランになるはずであった。ところが地元の旅館や喫茶店などが客を奪われると反対し、休憩室にさせることに成功した。法律上、レストランにしても問題はなかったが、地元の古い経営者たちと摩擦を生じさせたくなかったのだ。
●「英恵さん 花火の前に 話したね 洟出て寒い 鼻息聞こえ」_d0053294_17455771.jpg 当時自治会長をしていた筆者はその話し合いに何度も参加し、「風風の湯」の当初の設計図を持っている。それはともかく、「風風の湯」のオープンと同時に、駅前の喫茶店が電話注文を受けてコーヒーなどを「風風の湯」の休憩室に運び始めたが、何年か前からその姿を見なくなった。休憩室が午後9時15分には客を追い出すからで、若者は風呂を出た後、バスか電車で河原町か京都駅に行ってしまう。天龍寺前の商店街や阪急嵐山駅前の喫茶店は午後6時に閉まり、食べ物や飲み物は終日開店している阪急嵐山駅前のコンビニで買うしかない。そうして駅前に座って食べる外国人観光客は朝から晩まで見ない日はなく、コンビニは最近リニューアルしてゴミ箱を撤去したので、彼らの多くは容器を路上にポイ捨てする。日本が貧しくなって来ていることの一端はそこからもわかる。これはJRの駅が日本中どこも似たようになって来た頃と大型店舗が日本中に出来たのが同じ時期で、地元住民経営のわが自治連合会地域に三つあった小さなスーパーが10数年前にすべて閉店したことも軌を一にしているし、人口がもっと多い嵯峨や太秦ではまだかろうじて小さな地元スーパーがあるが、客のほとんどは大型スーパーに車で向かう。さて話を戻すと、地元自治連合会の50周年記念誌に、渡月橋の社長は花火も50周年を迎えるほどに毎年開催したいとの抱負を書いた文章を寄せた。その花火は渡月亭が加入している地元商店主の会が費用を負担し、自治会住民や観光客は無料で楽しめる。宣伝がどこまで届いているのか、電車で訪れる人もある。わずか5分の打ち上げだが、ここ数年続き、打ち上げ場所も決まっている。自治連合会内の桂川の河川敷で、嵯峨の「花のいえ」の向い側だ。今春配布された記念誌によって地元住民は花火の開催を知りはしたが、日程まではわからない。先月上旬、家内と嵯峨のスーパーに行く途中、嵐山通船の敷地と道路を隔てる壁にこの花火の開催を知らせるポスターのあることに気づいた。走りながら日付を見ると9月28,29日、午後8時半とある。まず28日、家内は阪急駅前の広場からも充分に見えると言うが、迫力ある写真のために間近まで行こうと言い、家内が歩いたことのない近道を暗がりの中、歩いた。家を出たのは8時25分頃で、歩いて1,2分で狙った場所に着く。ブログの投稿のためにカメラを持参し、5分間の花火の間、ほとんどファインダーを覗き、記録メディアの残余がなくなるピー音までシャッターを押し続けた。夜では反応に2,3秒要し、撮った写真の半分は真っ暗か、花火とはわからないものとなった。今日の最初の写真は最も出来栄えのよい1枚で、残りは花のように見える部分のみトリミングして縦に並べた。うまく写ったのは8枚で、この2倍は没にした。筆者の目の前の若い女性はスマホで動画を撮っていた。
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# by uuuzen | 2024-10-01 23:59 | ●新・嵐山だより

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