人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●ムーンゴッタ・2024年12月
れた月 やがて戻るや 丸い皿 さらっぴんから また割れ始め」、「満月を 国旗に使う 国ありや 三日月好きな イスラムは問い」、「太陽が なければ月も 輝かず ただのあばたの 鈍い塊」、「今月も 満月の夜を 迎えられ 余は満足じゃ 豚饅も食べ」
●ムーンゴッタ・2024年12月_d0053294_00091298.jpg
今夜の満月はコールド・ムーンと呼ぶらしい。夜8時頃までは雲が出ていたが、「風風の湯」から帰る9時半頃には雲はすっかり消えて頭上にくっきりと浮かんでいた。少し右手に光る月は金星か、今夜はそれを含めて写真を撮った。どうでもいいことかもしれないが、今夜家内は85M奥さんから昔話を聞いた。85Mさん夫婦は大阪市内の鶴橋や阿波座界隈に長く住んでいたと以前聞いたが、今夜家内が聞かされたのは吹田に住んでいた頃のことだ。夫婦は犬好きで、嵐山に来てからは同じ自治会内の帯問屋の大の犬好きの夫婦と親しくなり、筆者は渡月橋近くで彼ら2組の夫婦が犬をそばに置いて談笑している姿をよく見かけた。親しくなったため、帯問屋の夫婦は85Mさん宅にある日メロンを持参した。85M奥さんは戸惑い、京都人にどう接していいかわからず、「風風の湯」で筆者の家内に相談した。85M奥さんはそれ相応のものはお返ししたと思うが、帯問屋の主人は間もなく亡くなり、その奥さんも2年ほど後に世を去った。筆者はご主人が亡くなってからも元気であったその奥さんと話したことがあって、意外な気がしたが、80代ではいつ死んでも不思議ではない。85Mさん夫婦は犬好きだが、現在のマンションでは飼っていない。それはさておき、85M奥さんが吹田市在住時、飼い犬の散歩でダルメシアンを連れた青年と顔を合わすようになった。犬好き同士で親しくなったところ、青年は「慶応義塾を出て今はユニクロに勤務しています」と自己紹介した。その言葉を筆者が聞くと男を信用しないか、軽い馬鹿だと思う。一方、同じく犬好きの若い女性がいて、彼女はダルメシアンに触発されたのか、また85M奥さんが勧めたのか、同じような高級な犬を飼い始め、青年に接近した。ある日、85M奥さんは青年にユニクロの社長の経歴について話すと、青年は何も知らなかった。おかしいなと思っていると、青年が嘘をついていたことが若い女性の話からわかった。嘘がばれて青年は転居したが、別の土地で見知らぬ若い女性をものにするために同じような嘘をついているだろう。それは一生治らない。まともな大人であればそういう男は簡単に見抜けるものだが、若い女性はたいてい簡単に騙される。家内の姪も大学時代に交際した男が阪大の医大生と言っていたのに、高卒の肉体労働者であることがわかった。学籍詐称で女をものにするのは今も同じだろう。女は男の価値を嘘かもしれない肩書で判断する。また男は嘘をつくほどに妙な度胸が具わって行く。馬鹿な女がいつの時代にもいて、馬鹿男を恰好いいと思う。それはお似合いの関係で、何の問題もない。

# by uuuzen | 2024-12-15 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●温泉の満印スタンプ・カード、その70
の熱で 温泉あるは 言い切れず 冷泉沸かし 風風の湯はあり」、「ドルマンの 袖に包まる 心地の湯 夢見る胎児 思い浮かべつ」、「凍える夜 雀はどこで 夢見るや 明日の朝には 米撒く爺に」、「湯に煙る ガラスに描く 大円を 大団円の 人生想い」
●温泉の満印スタンプ・カード、その70_d0053294_18383912.jpg
今月から「風風の湯」はシルバー・デイが金曜日以外に毎週火曜日にも設けられた。マネージャーが変わってからはやがて火曜日は隔週でシルバー・デイとなったが、60歳以上が半額になるその日のみ利用するいわば最低級の常連客が目立つことから、マネージャーは火曜日もシルバー・デイにしたようだ。その日は600円で入湯出来るので、10枚8000円に据え置きされている回数券より割安だ。さて、先月のムーンゴッタの投稿に書いた工繊維大の先生は車の免許を持たず、「風風の湯」には電車で来ているが、筆者と顔を合わせるのは週に一度ほどだ。また必ず話をするとは限らない。それにその先生が浴室にいるのは2、30分ほどで、筆者と話し込むと時計を気にする。最初に話をしたのは3か月ほど前だ。スタンプ・カードを利用しているかと訊ねると、知らないと言われた。60歳にはなっていないはずで、シルバー・デイは関係がない。週3、4回は来ているようなのに、スタンプ・カードも回数券も使わないことをフロントが指摘すると、関心がなさそうであったことをフロントから聞いた。経済的に心配がないというより、フロントと手続きなどをやり取りすることが面倒ゆえではないかと想像する。というのは以前書いたように外国人ではないかとの予想が、今日の話から当たっていたことがわかった。「ああ、このことを日本語でどう言うのかちょっと思い出せません」と言ったからだ。「どのお国の人ですか」と質問するのは失礼であるし、またそれはどうでもよく、筆者は建築関係の疑問などを話題として持ち出す。以前は日本の庭の話題を向けると、京都の有名な寺の庭はどこそこの業者が入っているなど、とても詳しかった。奈良の古い社寺にも造詣は深い様子で、友人に車で連れて行ってもらっていると言う。また、つい先日TVのニュースで知ったが、建築家の板茂が「世界で最も美しい美術館」としてベルサイユ賞を受賞した話題を向けたところ、板茂が紙の筒を使った建築や震災復興の住宅で有名になったことを教えられ、SDGsが喧伝される昨今にもてはやされる理由がわかった。ベルサイユ賞を獲得した美術館は外観をパステル・カラーで塗装したコンテナを並べて通路で結び、海辺に浮かんでいる。広島県下にある下瀬美術館とのことだが、蔵品の有無やどういうジャンルの美術作品を展示するのかは知らない。TVでは一瞬コンテナ際に二枚折りの琳派風の屏風が映った。野外設置であるので陶板か金属なのだろうが、その作品と展示は美しいとは言い難いものに見えた。またそこからこの美術館がおそらく最新の現代美術を展示することを思った。
 展示室としてのどのコンテナにも窓がないように見えたが、先の先生によれば美術品の展示に窓は不要との意見だ。コンテナを10ほどつないだ美術館が世界一美しいかどうか異論があろう。筆者は行きたいとは思わない。しかしコンテナはどこへでも運べるし、移動不可能な建物よりはるかに安上がりで済む。美術展は展示する中身が主役で、展示場所は倉庫でもどこでもよいという考えがある。しかしそれは安上がりを旨とするいわば経済的貧しさが根底にあって、それが持続可能となることはあまり好ましくない。とはいえ、置く場所されあれば頑丈なコンテナはさまざまに使える。かつては使わなくなったバスや市電、貨車を改造して店舗や展示場として用いることがよく話題になった。その延長上にコンテナが使われるのは当然のことで驚きはない。先生はそういう例として堀川御池の少し東にコンテナ内部を染色の工房や喫茶店としている「コンテナ集合の建物」があることを教えてくれた。先生は少し考えながら西洞院通りを下がったところにあって、何気なく歩いているとコンテナを3階まで積んだ建物には全く見えず、ファサードは京町家風にしてあると言う。グーグルのストリート・ヴューで西洞院通りを調べると該当する建物がなく、油小路ではないかと思って堀川から下ると西側にすぐに見つかった。コンテナを積んでいるが、周囲の環境に馴染んで見える。建築費の高騰からか、あるいはコンテナであれば仮設建築とみなされて固定資産税その他、税金の面で得策であるのかもしれない。それに経営が難しくなれば簡単に撤去して、付近と同じビルを建てることが可能だ。ネットで調べていると嵯峨野にもコンテナを使ったカフェがあることを知った。嵯峨野のイメージにそぐわないが、そのそぐわなさが今は流行っているのではないか。法律を守りながら簡便で安価、そして意表を突いて話題性がある。流行が去ればさっさと撤去が可能ということがもてはやされている理由だろう。前言を繰り返すとそれは貧しい時代の仕方なき方策を逆手に取ったものに思える。SDGsを言えば、昔の京町家がそうであった。コンテナ店舗が増え続けると、Tシャツの高級化やあえてジーンズを破ったりして商品の差別化を図る考えも生まれて来るだろう。しかし昨今の新築住宅はスーパーにならぶ大量生産の商品と同じで、どれも同じに見え、陰影がなく、のっぺりとしていて、そういう家に暮らす人のライフ・スタイルも人格も同様になって行くだろう。日本の家屋から床の間がなくなり、江戸時代にあたりまえにあった掛軸も無用のものになった。それで屏風は形だけ今の美術家は受け入れ、野外展示が可能な素材で作る。板茂の建築思想は紙と木を本位にする日本建築の延長上にあるという話で筆者と先生は板茂の話題を打ち切ったが、コンテナを積み上げた「貸し倉庫屋」を見るにつけ、景観をぶち壊していると感じて嫌な気分になる。

# by uuuzen | 2024-12-06 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●クロッキー帳のスパイラルを取り外す
然の ものを描いて 不思議知り 飽かずに眺め 似たもの思う」、「練習は 続けることに 意味ありて 止めた途端に 劣化始まり」、「長年の 空白の後 再開し 手慣れの戻り すぐに得られず」、「写生とは 座禅のごとき ものなりと 無言で見つめ 考えもせず」
●クロッキー帳のスパイラルを取り外す_d0053294_15331351.jpg
この2年ほどは描きたくなる鶏頭の花を見かけた時は写生している。写生はまずは描きたくなるものに出会う必要がある。職業柄、花ばかりだが、昔は親戚の子どもの顔を描いたこともあって、それらは大事に保管されているようだ。自分で言うのも何だが、描いた顔の表情は世俗さが消えていて、かなり理想化して見える。漫画的という意味ではない。その理想化は、筆者が相手に聖性を感じて描いたといったおおげさなことではなく、描く行為の無心さが顔を借りて顕現したと思っている。しかしその物言いもおおげさであり、いかにも自分の描く行為が聖なるものであると自惚れているように受け止められる。これは前に書いたと思うが、甥の結婚式で、新郎新婦は街中の似顔絵店で描いてもらった2枚の色つきの漫画絵をみんなに披露した。顔の目立つ部分をグロテスクに誇張した絵で、最初にそうした絵を描いた人物が戯画化する着眼点を描くことの好きな若者に教えているのだろう。もちろん誇張部分が異なるので違う顔になってはいるが、そう思わせるほどにグロテスクさでは共通している。そうした絵を1000円か2000円で描いてもらう行為は遊び感覚としてはわかるが、結婚式という人生最大の重要な場所でみんなに見せるものではない。しかし芸術を理解しない平均的平凡な若者の代表と思えば落胆もしない。何が言いたいかと言えば、顔を描く行為は神聖なことで、美人や男前に作り変えて描く必要は毛頭なく、ありのままに描いてなおその絵に永遠性と言える何かが感じられるものでなければ、画家としては平凡ということだ。これは芸術行為すべてに言える。子どもでも楽器を演奏したり、油彩画をそれなりに描いたりする。音楽家、画家を自認するのであれば、その表現に人生や存在の真理を一瞬でも感じさせないことには無意味だ。さて、鶏頭の花を写生し始めた2年前、久しぶりに昔まとめ買いしておいたマルマンのクロッキー帳の新品を引っ張り出した。スケッチブックは中身は画用紙で、表紙が固く、描きやすいが、クロッキー帳は紙は薄くて表紙も柔らかい。筆者は植物の写生に昔からマルマンのロゴである赤と桃色の丸が上部に並び、またSLの記号のついたものを使っている。それ以前に別の表紙のものを10冊ほど使ったが、それが廃版になったのでマルマンのものを買うようになった。赤と桃は青と水色のものもあって、後者も何冊か持っているが、下絵の構想用として使っている。中身がクリーム色で表紙が黒の製品もあるが、筆者は茶褐色の表紙、中身は真っ白のものしか買わない。どれも100枚綴りだ。
●クロッキー帳のスパイラルを取り外す_d0053294_15334292.jpg
 2年前に鶏頭を描き始め、先日その1冊が残り7,8枚になった。アマゾンで5冊まとめ買いすれば、送料はわずか300円で、1冊750円ほどで買える。20年ほど前に京都の画箋堂で買ったものは裏表紙下隅に550円のシールが貼ってある。その価格からすれば750円は妥当だ。画箋堂まで行くのは面倒で、アマゾンで注文しようかと思いながら、ひょっとすれば新品が1冊くらいあるのではないかという気がした。調べると予想どおりで、1冊あった。その隣りにもう1冊かなり新しいものがあって、中を見ると20年ほど前に描いたウドの絵が最初にあって、10枚ほど描いたままで放置していたことがわかった。2年前に鶏頭の花を写生し始めた時、その1冊の残りから使うべきであったのに、うっかりしていた。写生はすべて描いた日づけを記し、またクロッキー帳は描いた順に番号を打っている。今使用中の1冊を使い切った後、ウドを描いて残り90枚をそのままにした1冊に戻って描き続けてもかまわないが、クロッキー帳の表紙に通し番号と、描き始めと描き終わりの年月を記しているので、その規則を破ることは気に食わない。そこでクロッキー帳の綴じ代の螺旋状の針金を見ると、天地の端をわずかに曲げてあるだけで、それをラジオペンチで螺旋形に戻せば、後は針金全体を回転させればクロッキー帳から外れる。ただし、描いた中身を交換するには2冊のクロッキー帳の針金を外し、またそれを戻さねばならない。場合によっては元に戻すことが出来ず、針金ではなく、細い紐で綴じなくてはならないかもしれない。思い立てば早速行動。今日の最初の写真はクロッキー帳の表紙の上に文鎮を置き、針金を外しているところだ。最初は針金全体を回転させるのにかなり力を入れる必要があって指が痛くなるが、半分ほど外れると後はとても簡単だ。綴じ直しは予想とは違ってはるかにたやすい。2枚目の写真は右が外した20年前のウドの写生で、紙が薄いので次ページの絵が透けて見える。3枚目は最初の10枚ほどが最新の鶏頭の写生で、残りは新品で、表紙の赤丸に41と書いた。これは41冊目の意味だ。綴じ直したもう1冊は表紙の「Oct.2005」の下に「Nov.2024」と書き足し、赤丸の中にもちろん40と記した。40冊で合計4000枚の写生はさほど自慢出来る数ではないが、鶏頭を描くのに1枚当たり最低1時間は要している。そう考えると人生のそれなりの部分を費やして来たと思う。何冊目の何ページに何の植物を描いたかは別に記録してあって、それをパソコン上のデータに移せば、瞬時に目当ての花の写生が検索出来る。ずらりとクロッキー帳が順に並ぶ様子を見ると感慨深いが、筆者が死んだ後、全部ゴミになるはずで、そう思うと悲しい。だが今の気分は50冊は描きたいことで、20年のブランクはあったが、また各地を歩いて気に入る花を見つけて描きたい。
●クロッキー帳のスパイラルを取り外す_d0053294_14255579.jpg


# by uuuzen | 2024-11-23 23:59 | ●新・嵐山だより
●阪急嵐山駅前広場の渡月橋への誘導表示
野に入る 赤き矢印 太文字で 電車降りれば みな導かれ」、「紅葉に かけた赤文字 目立ち過ぎ 注意喚起の 裏の意図とは」、「ぞろぞろと 民家の前を 歩くより 林を抜けて 目の前は川」、「紅葉狩り するほどの赤 もう稀な 嵐山には 人のみ多き」
●阪急嵐山駅前広場の渡月橋への誘導表示_d0053294_18411339.jpg
今日の写真は今日撮った。嵐山駅前の広場の北端に渡月橋に行くにはこちらという方向を示す垂れ幕が道路フェンスにステレオのように2枚貼られた。昨日か今日設置されたはずだ。これはどこが設置したのだろうか。たぶん阪急だろう。また警察と相談してのことかもしれないが、当然自動車の誘導用では全くない。今は嵐山の紅葉を求めて阪急嵐山駅を利用する客が最も多い週末で、道がよくわからない観光客に教えようということだ。今日は冒頭の4首の歌に言いたいことはおおよそ書いたが、ひとつ残っていることがある。この垂れ幕は去年はなかったと思う。あってもこのように目立つ文字ではなかった。渡月橋への近道を指示することは観光客にとってはありがたいが、地元住民もそうだろうか。確かに矢印とは反対の左手に行くと民家があるので、そこを大勢の人が歩くのは住民からすれば鬱陶しいが、民家ばかりがあるのではない。写真の2枚の垂れ幕の間がホテル「花伝抄」の玄関で、左端は昔から営業している「カフェらんざん」で、建物の側面に「COFFEE」の文字が見える。この喫茶店の玄関は矢印とは反対方向にあって、らんざんにすればあまりいい気はしないだろう。そう想像してみると、矢印方向に歩くと、阪急電車を利用した人は、必ず17日にプレ営業を始めた紅茶とカヌレを売る小屋の前を歩くことに気づく。その売店は阪急所有の土地に建ったから、阪急としては宣伝を兼ね、また売り上げ増進を狙って、この垂れ幕を駅を降りれば真正面に目につくフェンスに貼りつけたのではないか。それは地元住民への配慮ではあろうが、所有の土地で営業させる店への便宜でもある。カフェらんざんのマスターと今年の春先に話したところ、昔は8割が一見客、2割が地元住民が利用していたが、近年はその割合が逆転したという。この2枚の垂れ幕を見ると、阪急電車を利用する人はカフェらんざんには目が向かない。SNSの時代、カフェは工夫次第で一見客が急増する。それは営業努力だ。客の8割が地元住民が占めるのであれば、昔と同じメニューと味で充分営業が続けられるだろうが、そうとばかりは言い切れない。京都では何代も続く老舗の和菓子屋がいくつもあるが、そういう店でも新商品を開発し、宣伝に余念がない。流行商売である喫茶店ではさらに時代を読んで先駆ける精神は必要だろう。この赤い垂れ幕にはSNSによる戦略と似たような作為がちらつく。紅葉が過ぎ去れば撤去されるが、来春やまた秋はどうなるか、その変化からまた新たなことがわかるだろう。嵐山が賑わうのに比例して紅葉は駄目になって来ていることは気のせいか。

# by uuuzen | 2024-11-22 23:59 | ●駅前の変化
●「届けらる 今年は早き 守護札を 各自治会の 長に配りし」
社札 眼につく場所に 飾らねば 罰が当たると 畏怖するがよし」、「自転車で 配り回るや 守護の札 要らぬ人には 迷惑がられ」、「お賽銭 五円を投げて 福あるか ただよりましと 神は思うか」、「悪いこと あれば思えや よかったと もっと悪きが なくてましだと」
●「届けらる 今年は早き 守護札を 各自治会の 長に配りし」_d0053294_18171088.jpg
今日の写真のものは去年は11月末に届いた。今年は2週間早かった。去年は家内が受け取ったのでどういう人が持って来たのかわからなかったが、今年は筆者が応対し、紺色のスーツ姿の20代らしき男性に意外な気がした。外注かもしれない。「平安神宮守護」は写真とは別のもう一包みがある。「節分火焚串」は50本で、14人の自治会長や筆者が個人的に知る人に配って墨書してもらう。1本200円だ。2000世帯ほどあるので50本は簡単に協力してもらえるようなものだが、去年は10本が白木のまま返却され、慌てて知り合いを回って記入してもらった。平安講社の代表としてそんなことまでせねばならない。副代表がふたりいるので彼らにももちろん頼むが、筆者も含めてひとり当たり2本で、やはり大部分は自治会長にお願いするしかない。しかしわずか200円でも支払いたくない人がいて、平安神宮が文化の神を祀ることを説明しても無駄だ。自治会長には平均3本配るが、自治会長、副会長、会計の3名で1本ずつ分担すれば済むのに、副会長や会計に頼むのが嫌な自治会長がいる。自治会長の夫婦で2本、子どもに1本で、3本はわけなく書けると思うが、現実はそうではない。14の自治会に配るのに、火焚串と守護札を世帯数で比例割りしてそれを大きな封筒に入れ、また去年とは文言や日付を書き換えた用紙1枚をコピーして同封し、学区の世帯地図を見ながら配る。ここ1週間ほどは雨天でない限り、嵯峨で鶏頭の花を写真しているが、今日はそれを正午少し過ぎに終え、午後から上記の作業に取りかかり、自転車で2時間ほど要して配り終わった。作業が終わった途端に雨が降り出した。記名された火焚串とあまった守護札の返却期限を来月10日としたが、遅くて去年と同じ来月23日に平安神宮に持参する。2週間ほど余裕を持ったのは、白木で返却された場合、知り合いに頼み込みに行く日数を思うからだ。守護札は去年と同じく自治会加入世帯のみに配った。それでは1500枚ほどあまる。おそらく自治会加入とは関係なく全世帯に配布すべきだろうが、未加入世帯は迷惑がることもある。近所に未加入の大金持ちがいるが、長年ゴミ袋を他人の土地に捨て続けて平気で、今夏筆者は口頭でこんこんと注意してやった。そういう常識欠如の家には守護札は配りたくない。どうせ「勝手にポストに入れるな」と言い、すぐに捨てるだろう。それで今年も1500枚はそのまま平安神宮に返す。去年わが自治会で守護札に対して1000円を自治会長に手わたした高齢女性がいた。その1000円を思い出し、今日返却しに行った。「これは無料です」

# by uuuzen | 2024-11-21 23:59 | ●新・嵐山だより

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?