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●「我が家から 徒歩一分に ダイヤ文 路面に四つ これは強運」
像を 何歳のもの 選ぼうか 迷う間に 撮る機失い」、「積雪に 家屋耐えれず ひしゃげれば 菱の文様 どこが目出たき」、「不規則に 規則あるとの 見立て屋は 森羅万象 見える記号に」、「単純な ものほどよきと 知る境地 齢重ねて あの世目の前」
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3日前にザッパ・ファミリーのサイトに『ボンゴ・フューリー50周年記念盤』を発注した。日本のアマゾンと発売日は同時ながら、2000円ほど安価で、少しでも安いほうがよい。昨日の投稿の題名の短歌(短気歌と呼ぶのがいいが)の最後を「紙袋持ち」としたのは、75年にザッパの前に現われた親友のキャプテン・ビーフハートは文無しで、紙袋ひとつを提げていたとの逸話を思い出したからだ。贅沢三昧で生涯食べて行けるミュージシャンは珍しい。金儲けにいかにも無縁のようであったビーフハートならなおさらだ。そういう人物ほど純粋で作品も素晴らしいかとなれば、それとは言えないが、TVに頻繁に登場するいかにも知性とは無縁な顔の芸人を見ていると気分が悪くなり、即座に切るか別のチャンネルに変える。TV番組は馬鹿を基準に作られているのだが、ネットも同じで、それで昔の本を好んで読む。今日の投稿は昨日の後半に書こうかと思いながら、二回に分けることにした。三越百貨店の紙袋の新デザインに採用された森口邦彦氏の訪問着は題名を知らないが、菱の文様を抽象化したものかと思いながら、全く菱の葉や実の形には見えない。菱の抽象化とは呼べず、花鳥風月とは関係のない純粋な抽象かもしれない。染織では最初にそうした純粋抽象があった。縦縞模様はその代表で、次に絣のさまざまな文様がある。絵文様を自在に染められる友禅染において、花鳥風月ではない幾何学文様を染めることは、斬新な試みと言えばそうだが、視点を変えると全くそうではなく、邦彦氏の染める文様のもっと複雑で独創的なものはイスラムのタイルに触発されたエッシャーの作品にある。それはさておき、昨日は花札の絵模様は極端化した記号と書いたが、植物はどれも同じレベルで単純化され得る形をしていない。楓は写実的に描いても花札に描かれるのと大差ないが、牡丹の花は実物は花弁の枚数が多く、花札に描かれるものは思い切りそれを減らして単純化している。それでも牡丹に見えるから問題ないと言う人は花を知らない。もっとややこしいのは松だ。これは若い頃と老いてからの形が全然違う。またどこから見るかによっても形は大いに異なり、誰もが納得出来る記号化は本当は難しい。それだけに画家にとって取り組み甲斐がある。とはいえ、能舞台の背後に描かれる松はほとんどどれも老松で、形もあまりに文様化してどれも変わり映えしない。そういう紋切り型の記号的な花を題材にする昔からの友禅に反抗するゆえの、邦彦氏のミニマル主義かもしれないが、別の理由は若い頃にフランスに学び、現代芸術の一派に感化されたからだ。
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2●邦彦氏のキモノの文様がそっくりそのまま三越百貨店の紙袋の新デザインに採用されたことは、父の華弘の代から同百貨店で個展を開催するなど、深い関係があったためだろう。老舗百貨店はどこももとをたどれば呉服を扱っていたから、その意味でも三越が邦彦氏のデザインを紙袋に使って広く世間に紹介することは律儀で的確な判断と言えはするが、現在から将来に向かう視座を取る場合、筆者はミニマルはもう終わった現象と思っている。つまり、古臭い。それで先月11日に紙袋を見た時、田舎じみていると感じた。ではどういうデザインがふさわしいかと問われるが、仮に同じような抽象文様になるとしても、もっと若い世代に委ねると斬新な空気をまとうはずだ。しかし老舗百貨店は若手に名誉ある仕事を任せないだろう。ついでながら筆者が20代の終わり頃に染めた本の装丁の写真を今日の最初に掲げておく。これは木綿にローケツ染めで、ミニマル主義を意識した。題名は「Mの変移」であったと記憶するが、Mの形にある菱型を意識している。今日の2枚目の写真はわが家から最も近い路上のダイヤ・マークで、珍しくも4つがほぼ平行して描かれる。見慣れているかと言えば、全く逆で「灯台下暗し」であった。家内の入院中に廊下に展示される「障がい者アート」の一作から注意するようになって、世の中には見ていながら注意を払わないものがあまりに多い。あまりと言うより、ほとんどすべてに近いものを無視しながら生きて死ぬ。路上の4つのダイヤ・マークは日本風に言えば四つ菱だ。菱は今は珍しくなったが、昔は救荒植物で、でんぷんを取るために積極的に栽培された。本来水中の雑草だが、人に役立つものとの意識があって、家紋に使用されるようになったのだろう。先に松の文様化について書いたが、松葉以外に幹や枝の形を工夫して描くことで松の文様的表現は多彩になり得る。面白いのは松の樹皮だ。今日の3枚目に嵐山の桂川左岸にある松のそれを載せる。この樹皮は誰でも一瞬で松とわかるものの、松の種類によって差があるのは当然で、いわば記号化しにくい。しかし樹肌のひび割れは偶然の産物でありながら、ある規則によっている面があることも確かで、昔の人は松の樹皮を描くのにどうにか単純な規則らしきものを見て取ろうとした。染織の世界では「松皮菱」という文様がある。これは横長の菱形を三つ上下に重ね、上と下の菱型は同じ大きさだ。その輪郭は稲妻模様に似ているが、まさか松の樹皮とはほとんどの人は思わない。しかし一旦「松皮菱」と呼ばれることがわかると、その単純な記号を実物の松の樹皮に探ろうとし、また妙に納得してしまう。ついでながら、「松皮菱」の三つ重ねる菱形の一番下を最大にし、一番上が最少、中間のものを中間の大きさにした文様は、冷却設備会社の「さんりょう」のロゴマークだ。「さんりょう」の「りょう」は菱で、同社は三菱系だ。
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# by uuuzen | 2026-02-10 23:59 | ●新・嵐山だより
●「人間は 肉入り袋 穴空きの 衣服をまとい 紙袋持ち」
皮を 剥がずに煮るや 丹波栗 みそとせ前の 義父の手作り」、「懐かしき 味を求めて 手作りし 同じでなくも これ以上無理」、「Tシャツの 何でもありの プリントは 恐れ知らずの 無礼講主義」、「衣替え せぬは雀の 専売も 冬が来れば 厚手の下着」
●「人間は 肉入り袋 穴空きの 衣服をまとい 紙袋持ち」_d0053294_00133697.jpg 昨日載せた写真の舞妓が着るキモノは模様がよくわからない。赤い花は菊のようだが、菊なら黄色がいい。舞妓が着るキモノの文様は伝統的なものばかりで、花札に描かれる植物と同じく、記号化している。それは長年多くの絵師が描き続けている間に定まって来たもので、写実ではないが、写実以上に実物の植物らしく見える。それは記号として人々が認識しているからだ。写実に戻って各画家、各デザイナーが新たな記号化を創出しても、それらは一般人には見慣れた植物とは即座に認識されない。よほど描き手が人生の長期間を費やして繰り返し自ら考案した記号的植物を用いて作品を提出し続けない限り、一般人には浸透しにくい。それほどの盤石の地位を伝統的な植物の文様は保持している。それは誰でも自由に用いることが出来、そうして表現されたものは一定の完成度を持ったものと見てもらえるだけの包容力を持つが、当然描き手によって仕上がりの差は出るし、描き手独自の個性も発揮され得る。しかしもっと視野を広げると、また伝統的な文様を踏襲したくない場合は、伝統的記号化文様を脇に置きつつ、自分独自の解釈による新たな形すなわち斬新な記号性を持った文様を目指すことは可能であるし、そういう立場を筆者は推奨し、自らも作って来た思いはある。それはキモノに用いる文様だが、絵画としても鑑賞に堪えるものを目指すことは言うまでもない。その代表的画家が光琳であったが、光琳以降、多くの画家や意匠家を輩出しながら、光琳のような独自の、そしてきわめて簡略に描いているにもかかわらず、独自の個性を持った植物文様を超えるものはない。そういう見方が大勢を占めると、前述の舞妓が着るキモノの文様のように、昔の決まった形を繰り返し使うことに充足し、その伝統の停滞は長年を経るごとに重みを増し、もはや変えようと言う気分は湧き起らない。それが京都の伝統の強みとの意見があるが、古典をそのまま模倣し続けているだけのことで、創作とは関係がない。もっとも、伝統墨守を創作と考える向きには別で、何百年も続く老舗がもてはやされるからには、時代に応じて変えるという考えそのものが否定される。ところが京都は革新的な面があるから、傍流ではあるが、昔のままとは別に斬新な実験を許す気風もわずかにある。それが成功する確率はきわめて低いが、ある作家が存命中はそれなりにもてはやされ、狭いところで一世を風靡する場合は多々ある。そういうヒーローが登場すると必ず模倣者がたくさん出て来るので、彼らの仕事を見ていると、新しい、意味のある時代の芸術が登場したかに見える。
 以前書いたように、先月11日、家内の入院を見舞うために東京から義弟夫婦がやって来た。その時、手に提げていた紙袋に驚いた。どこで買ったものかは訊かず、また紙袋に印刷される文様が何かを言わなかったが、下町の名のない店の製品に見えた。筆者は即座に友禅染の人間国宝である森口邦彦氏のキモノをそのまま使用したものとわかったが、それだけに海賊製品かと思った。義弟夫婦はその袋から見舞いの品々をひとつずつ取り出し、袋も置いて帰ったので、今はわが家にあるが、家内が退院する日まで病室の家内専用の戸棚にあった。今日の写真はその戸棚に入った状態を撮った。森口邦彦氏とは会ったことがないが、父親の華弘のキモノは大好きで、昔は間近によく観察し、本人を何度か目にしたことがある。華弘の描く文様の代表は梅の花で、斬新な独自の境地に至った。しかし梅以外に多くの花を描いたとは言い難く、一点のキモノに用いる色も3,4色の少なさで、キモノ全体の文様として記号性を極端に進めて行き、たとえば10センチ四方を見ると、全体がわかる、言い変えれば10センチ四方の文様を繰り返して全体に適用するようなミニマリズムに進んだ。その行き着く先は花を用いず、幾何学文様となるが、その仕事を専門としたのが息子の邦彦氏で、今日の写真の文様もどういう植物を元に抽象化したかはわからない。赤と黒で染めた正方形を120度傾けて三つ突き合わせた箇所は「三菱」の変形と言ってよいが、華弘のキモノに菱の文様を描いたものがあって、それにイメージの源泉があるかもしれない。ミニマル主義は最小単位を執拗に繰り返すことだが、同じ単位の繰り返しではなく、ミニマル音楽からわかるように単位がわずかずつ変化して行く特徴もある。この紙袋の文様は、「三菱」はどこも同じ大きさだが、それをつなぐ群青色の三つのV字線は幅が次第に細くなる、逆に見れば太くなっている。そこが見どころなのだろうが、筆者はこういう製図のような幾何学文様をキモノ全体に描く辛気臭さは持ち合わせていない。花鳥風月から遠いこうしたミニマルな無機質の文様であるので、紙袋のデザインに使っても違和感はないのだろうが、筆者はこの紙袋を製作したのは田舎のデザイナーで、販売も地方に限るだろうと想像した。そこで気になって調べると即座にわかった。三越百貨店が50何年ぶりかに紙袋のデザインを変えることにし、邦彦氏のキモノからそのまま使ったのだ。キモノは人の体を包むものであるから、キモノの文様がそのままで紙袋全体に使われることにさして疑問はないが、筆者は現在のTシャツ文化の「何でもありのプリント文様」がこういう形で現われているように思える。筆者は全くTシャツ派ではなく、ジャケット下にTシャツ姿という「格好いい」格好の否定派であるので、たとえば自分が染めたキモノの文様を紙袋に使いたいという申し出があれば拒否する。

# by uuuzen | 2026-02-09 22:59 | ●新・嵐山だより
●「舞妓さん 雪にはしゃいで 舞い上がり 滑って転ぶ 人見て笑い」
Xに 独り言して すぐ忘れ 灯って消えて 消えては灯り」、「雪景色 舞妓の顔を 思い出し 色白美人 京に珍し」、「祇園にも 雪は降るかと 空見上げ 京の外れの 嵐山冷え」、「部屋の中 摂氏十度は まだましと 外の雀の 暮らし思えば」
●「舞妓さん 雪にはしゃいで 舞い上がり 滑って転ぶ 人見て笑い」_d0053294_00174377.jpg 天気予報どおり、昨夜は雪が降った。朝はゆっくり眠って十時少し前に起きて窓を開けると、先月25日の初天神よりも多くの雪が裏庭に積もっていた。朝一番の筆者の仕事は雀に米を与えることだ。昨日その容器の蓋をどこに置いたのか、2,3分後に記憶が飛んでどこを探しても見つからない。置き場所はいつもほぼ同じであるから、探すのは数秒で済むはずなのに、終日気になって探しても出て来ない。自分の老化を実感させられるが、何日か経って予想外の場所から出て来る。それが腹立たしいので徹底して探すのがいいが、30分ほど粘り続けても出て来ないとなると、その時間を無駄にしたことが腹立たしいので、『どうせどこかに転がっている』と思って探すことをさっさとやめるほうが精神衛生上はよい。それにその蓋として使えるものは台所にいくつもある。今朝は先月25日と同じように、雪が積もる裏庭の写真を隣家とともに2枚撮った。雀のためにどのような場所で米を撒いているかの写真も3枚撮ったが、それらを紹介するとなると段落数が5,6になって原稿20枚ほどの長文を書かねばならない。それで今日は裏庭の雪景色ともう1枚の写真のみを使う。ついでに書いておくと、今朝のような雪でも雀に米を撒く場所はほとんど雪がなく、濡れてもいない。上方に葉の生い繁る椿の大きな木があるからで、雀は雪や雨にさほど当たらずに米をついばめる。ただし、同じ場所で時には百舌鳥に襲われ、一瞬で命を失うことがある。そのことが頭にあったので、米を撒く場所の写真は雀にとって天国であるかもしれないが、同時に断頭台のような場所でもあることを思い、撮りはしたが、あまり美しくないと思い直した。天国のような場所に地獄が待っているとなると、米の撒き場所をもっと工夫する必要があるが、今よりいい場所がない。これもついでだが、雀用の古米は玄米で、毎日1合の8割程度を与える。寒さが頂点になる今時分は多目にし、来月には減らし気味にする。食べるものが自然の中で多くなるからだ。今日は裏庭に出ただけで、買い物などに出かけなかった。それで時間がたっぷりとあったかと言えば、読書している間に時はすぐに過ぎ去る。運動不足になりがちだが、長靴を履いて隣家の裏庭の2株の蘇鉄に積もった雪を払い、その際全身雪まみれになった。雪が積もったままでも枯れる心配はないはずだが、雪の重みは蘇鉄にしても嫌だろう。雪は降り続けるので、葉に載った雪をすっかり払い落すことは不可能だが、葉が雪の重みでだらりと垂れ下がる様子はつらそうであるから、そこは本来のぴんと張り切った曲線を描いて全方位に伸びた状態であってほしい。
●「舞妓さん 雪にはしゃいで 舞い上がり 滑って転ぶ 人見て笑い」_d0053294_00181915.jpg さて、家内が入院した病院で最初に気づいた絵が今日の最初の写真の舞妓のイラストだ。これは12月26日の夜9時に救急車で病院に運ばれ、家内にずっと付き添っていた筆者に対して、家内の病状を集中治療室に近い小さな部屋で説明する医師の背後の上方に貼られていたもので、廊下やエレベーター内などにも貼られている。「明日の朝まで脳内の出血が止まらなければ死んでいる可能性がありますので了承してください」と説明を受けながら、筆者はぼんやり空を見、この舞妓のイラストを見るともなく見ていた。『舞妓がなぜ病院の注意書きに使われているのだろう』という不思議さを感じながらで、その疑問めいたことは今も去らないら。京都の病院であるので病院の事情を説明するのに美人の舞妓の顔がいいと判断されたのだろうが、桂は田舎で舞妓とは関係がない。それでも舞妓をあえて使用するのは、西の果てにあっても京都市内の病院であるとの矜持と、患者や見舞い客への一種のサービス精神によるだろう。そしてどうせなら写実的で美人がよい。しかしこのイラストの舞妓が美人であることは認めながらもどこか漫画的、つまり画家によって作られた顔で、現実に存在する舞妓ではないのではとも思う。村上華岳がよく描いた舞妓のほうが恥じらいが顕著で、はるかに純粋で色っぽいとの思いも馳せたが、華岳の絵を使っても大多数の人はそのよさを知らない。それはともかく、舞妓という記号を用いることは京都らしいが安易な発想だ。とはいえ、ほかにどういう絵がふさわしいかとなると、人物となれば舞妓以上によい絵面はない。そしてこのイラストの顔は陰影がなく、写真を元に明暗を強調加工したものではないかとも思ったりもした。そうした写真加工では細部の粗は消し飛び、理想像を描いたような絵になりやすい。しかしそうであればモデルの舞妓の許可が必要であるから、モデルが特定されないような舞妓像を画家に描かせた可能性がやはり大きい。そうであればどことなく現実味の乏しい顔の雰囲気に理解が及ぶが、舞妓を記号として見せたいからには目論見は成功している。ただしその記号性は「飛び出しボーヤ」のようなあまりに単純化した漫画であれば、病院内ではふざけ過ぎの不謹慎として受け止められるから、そこは写実に見えつつ、モデルが特定出来ない顔がよい。話題を変える。とはいえ、以前書いたことだ。集中治療室から出て個室や4人部屋に移ったある日、家内はコーヒーが飲みたいと言った。看護師らが飲んでいるその香りに反応したのだ。それで筆者は湯を沸かして魔法瓶に入れ、ドリップ式の容器や濾過用紙とともにコーヒー豆を挽いたものを持参しようとしたが、容器が見つからず、数日探し回った。濾過紙はないものと思って100枚買ったのに、数日後、同じほどの量をめったに開けない扉の中に見つけた。結局家内から必要はないと言われ、院内でコーヒーを淹れることは諦めた。
●「舞妓さん 雪にはしゃいで 舞い上がり 滑って転ぶ 人見て笑い」_d0053294_00191644.jpg 家内はコーヒーの香りが漂って来た時は無性に飲みたくなったが、4人部屋に移ればすぐ近くに患者の糞尿が入ったおまるが置かれているなど、傍迷惑を考えればコーヒーの香りを漂わせることは自粛すべきだと考え直した。次に家内が欲したのは鯛焼きだ。食べたくなった理由は知らない。脳内に出血したので、本人も予想のつかない一種の妄想が浮かんだのだろう。それは完全に収まっておらず、2,3日前にはこれまで見たこのない変な夢を見たと言う。夢は変なものであるから家内の言う意味がよくわからないが、ロボットのような機器しか出て来ない夢で、それが不気味であったと言う。筆者はそのロボットは集中治療室で家内を取り囲んでいた機器で、麻酔で何日も眠りながらもどこかで自分のベッドを見下ろす想像力が働き、それが夢になって出て来たのではないかと意見した。するとそれとも違うようで、奇妙なロボットしか出て来ない嫌な夢と言う。それはさておき、鯛焼きは麓のスーパーでは冷凍ものがありそうだが、少し離れたムーギョでは小型の鯛焼きがいくつか入った冷凍商品を何年か前に見た。それを買って来て談話室の電子レンジで温めればどうかと提案したが、やはりそこまでする必要はないと言う。その日、麓のスーパーで「回転焼き」が4個入った冷凍商品を見かけ、よほど買おうかと思いながらも籠に入れなかった。翌日そのことを家内に言うと、「回転焼きと違って、鯛焼きがいい」とこだわる。三条商店街に行けば手に入るが、買いに行く時間がない。しかし今朝家内に言った。「雪が降ってるけど、嵐電の嵯峨嵐山駅前に鯛焼き専門店があることを思い出したから散歩がてらに行こうか」すると家内は、「もう鯛焼きを食べたい気持ちがとっくになくなった」と言う。筆者は鯛焼きよりも姫路の御座候すなわち大阪では「回転焼き」と呼ばれるもののほうを好む。それは「太鼓饅頭」とも呼ぶが、「たいこまんじゅう」を「まいこたんじゅう」(舞妓胆汁)と言い直して昔からひとりで笑っている。先日京都TVで山科の和菓子屋が紹介され、銅鑼焼きの中央に「夢」の焼き印を押して販売している様子を見て、田舎じみてセンスがよくないと思った。同じ夢なら悪夢にすべきで、筆者なら銅鑼焼きを太鼓饅頭に見立て、あるいは回転焼きに形を変え、また舞妓の胆汁では美味しい連想を誘わないので、サングラスをかけた舞妓が短銃をこちらに向けているイラストの焼き印を作る。物騒なその舞妓の姿は京都らしくないと言われるだろうが、それくらの奇抜な洒落をしなければ老舗に対抗出来ない。鯛焼きはどの店もその鯛の金型がほとんど同じで変わり映えしないが、TVでは斬新な形の鯛や他の形の魚を象った商品を紹介していたことがある。「舞妓短銃」という新たな太鼓饅頭の商品名を登録する店があれば、その焼き印ないし商品ロゴのイラストを筆者が描いて差し上げよう。

# by uuuzen | 2026-02-08 23:59 | ●新・嵐山だより
●『PARALYM ART(パラリンアート) 障がい者アート』
心は 何かと問われ 楽しさと 答えて開く 次の問題」、「言葉には ならぬ思いの 溢れしを 手を動かして 点と線埋め」、「賞められて 勢い増すや 力技 やがて世間を 広く見渡し」、「したきこと 出来ずに老いて 目覚めしが 根気続かず 運気もなしに」
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入院中の家内を見舞うのに毎日必ず歩いたのが50メートルほどの病棟をつなぐ廊下で、その長さの半分は専門家が描いたイラストを拡大して壁に貼りつけ、奧の方、つまりエレベーターに近い半分は壁面に絵画が展示出来るようになっていて、10数点の額縁入りの絵が飾られていた。エレベーターに最も遠いところの壁面に説明書きのポスターがあって、「パラリンアート」と題していた。定期的に展示替えされているのかどうか知らないが、同ポスターにサムネイルの形で紹介される作品は22点で、その全部が展示されていなかったので展示替えはあるだろう。どのくらいの月日を置いて全作品が別の新たな作品に替えられるのかは知らないが、有名な画家の複製画を展示するよりははるかによい。同ポスターに「社会保障に依存せず、民間企業、団体などからのご協力のみで、障がい者の“自立推進を継続できる仕組み作り”を目指しています。」とあり、また2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて2018年から「パラリンアート世界大会」が開催されるとも書かれ、2018年の前年頃から展示され始めたのだろう。全部実物とは思うが、ならば同ポスターはこの病院での展示だけのために作られたことになるから、精巧な、そして縮小の複製かもしれない。22点ではあまりに少なく、その100倍ほどの数がなければパラリンピックにひっかけた「パラリンアート」という呼称はふさわしくない。「障がい者」とあるだけで、知的障碍者を含むのかどうかもわからないが、人生半ばで心身に障害を受ける人はたくさんいるので、「障がい者アート」という一種の色眼鏡で見ることはよくないと思うが、障がい者の「自立を推進」するために民間企業や団体などの継続的協力を得るということは、展示されているような絵画を継続的に購入してもらうのか、あるいは障がい者を雇用するのかと言えば、後者がよいに決まっていて、作品は障がい者が障害を理由に就職できない現実があることを広く伝えるためのものではないか。パラリンピックに出場する人たちは運動能力に優れているが、美術の才能のある障がい者にも光を当てようということだろう。となれば楽器を演奏する障がい者の出番もすでに設けられているかもしれない。また、芸大美大を卒業して障がい者になった人もいるはずだが、彼らの作品がパラリンアートで紹介されれば玄人そのものに思われるであろうから、義務教育以降、絵画の専門的学習を受けて来なかった障がい者の作品を扱うと想像するが、ポスターはそういう情報を提供せず、まずは絵画そのものに対峙して感じ取ってほしいとの思いを伝える。
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 これらの作品は「アール・ブリュット」とみなしてよいものもあれば、健常者と何ら変わらない作品もあって、その点で「障がい者アート」という色眼鏡はやはりどうかと思うが、どの作品も素朴な味わいがあって、平たく言えば癒しの効果がある。それは先日の天龍寺での節分会で展示された小中学校の子どもの作品とはやや違うもので、上手に描こうという、他者に見せる気持ちに乏しく、描く行為に充足しているように見える。「アール・ブリュット」の絵画は強迫観念が背後にあって、不気味さをひとつの特徴とするが、これら10数点にはそれがなく、美術の専門家からすれば単なる素人絵画として看過されやすい。先日来、本ブログに書いているように筆者は目下鶴見俊輔の『限界芸術論』を読んでいるが、鶴見は同書の題名をこう定義する。1960年の文章だ。「今日の用語法で「芸術」とよばれている作品を、「純粋芸術」(Pure Art)とよびかえることとし、この純粋芸術にくらべると俗悪なもの、非芸術的なもの、ニセモノ芸術と考えられている作品を「大衆芸術」(Popular Art)と呼ぶことにし、両者よりさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品を「限界芸術」(Marginal Art)と呼ぶことにしよう。」これら三つのカテゴリーのどこに「障がい者アート」は属するかとなれば「限界芸術」が最もふさわしい。限界芸術が時代を経て純粋芸術に昇格するかどうかの問題を鶴見は書かないが、限界芸術が大衆に広く歓迎されることはよくあるし、また大衆芸術が時代が大きく変わった将来、「純粋芸術」とみなされる場合があることは誰にも否定出来ず、これら三つの分類は現在においての大方の意見の一致した見方と捉えるのがよい。人間は一生の間に親しく話す人数はごく限られ、たとえば愛する身内や親しい人が描いた凡作や駄作であっても、それを大事にして家に飾ることはよくある。市場的価値は全くなくても、名画の複製よりははるかによいと思う人は多い。となると、純粋芸術の価値は認めつつ、そのような手の届かない作品よりも生活の中で安定した雰囲気をもたらしてくれる身内や知友の「心優しい」作品のほうがはるかに生活に彩を添えてくれる。ましてや億単位のお金で取り引きされる純粋芸術は神々しいかもしれないが、ごく一部の資産家の愛玩物のようになって汚らわしいとさえ思う人はあるだろう。となれば、純粋芸術の価値は自分には無関係で、もっと卑近な限界芸術を好むという態度は理解出来るし、その延長上に「障がい者アート」はある。しかしそれは金で買いたいというほどのものではなく、「素朴に描いてあって気持ちがいい」という思いを起こすこと、つまりそれは絵画鑑賞の基本だが、病院の患者や見舞い客が廊下を通る時にたまに立ち止まって眺めることで役目を終える。名画であってもそれは同じで、見つめて何かを感じるところに価値がある。
●『PARALYM ART(パラリンアート) 障がい者アート』_d0053294_01102951.jpg
 さて、先月18日、筆者の上の妹夫婦が見舞いにやって来て、妹は長男の長男すなわち孫の描いた絵をスマホでいくつか見せてくれた。数年会っていない間に中学2年生になっていて、相変わらず絵を描くことが好きだが、学校の成績がオール2で、よい高校は無理だろうと言う。好きな絵の道に進んでくれるのはかまわないが、それで食べて行けるかどうか心配とも言う。肝心の絵は、黒の細ペンで下書きなしに思いつくまま超微細な抽象文様を連ねたもので、数時間は没頭し、疲れるとペンを置くため、どの絵も周囲に中途半端な余白を残したままとなっている。同じような様式の絵は60年代のサイケデリック時代によくあって、本人はそういうものをどこかで見たのだろう。子どもの作画は必ず最初に何かに影響されてのことで、そこから真の創造をどう広げて行くかが画家としての生涯をかけての戦いだが、中学2年生で美術史に関心がなく、自己流で「アール・ブリュット」風に根を詰めて描く行為に快感を覚えていれば、そのエネルギーを持続させてしかも長じてそれなりの生活を支える収入を求めるとなれば、周囲の理解は当然として、的確な指導者とネットを使った巧みな宣伝が必要になる。幸い妹夫婦は大の資産家で、理解もあるようなので、孫の才能を活かす方法を今後多くの人の意見を参考にしながら模索して行けばよい。筆者と対面して話すことがあれば、その孫は筆者から感化されるかどうか、それはわからないが、中学2年生で美術史に大いに興味のあった筆者とは違うので、アカデミックな勉強は目指さないほうがよいし、目指したところで成績優秀な絵好きにはかなわない。とはいえ、その孫が現在の技法と画題のままではもっと優れた才能にたやすく模倣されるから、何をどう描くかを今後自分で見出す必要がある。孫くらいの絵の才能は100人にひとりはいるので、それで将来収入を得るのはよほどの幸運が舞い降りる必要がある。それはさておき、妹家族は孫の絵の才能は筆者の血と言うが、筆者は孫のような絵を描かなかった。小学生半ばから畳一枚分の大判画用紙に鉛筆一本で超精緻な模写をよくしていて、写実主義が好みであった。そういう絵は一枚も残っていないが、妹の孫が見れば参考になるかと言えば、中学2年生で自己流で描いて好みの画風は定まっていているし、本物そっくりの写実を鉛筆一本でこなせるから絵がうまいとは言えない。筆者は画用紙の中に対象をどう収めるかに留意し、額縁に入れて飾ることを建前としたが、孫の絵はアメーバの増殖のように天地左右がなく、これで完成という画面の枠を意識していない。そこがオール2の成績の限界かと思わないでもないが、とても優しい性格で、学校の先生を初め、周囲の大人に気に入られているというから、どうにか大人になって自立出来るだろう。絵以外のやりたいことが今後見つかる可能性はあり、筆者は妹に陶芸を勧めた。
●『PARALYM ART(パラリンアート) 障がい者アート』_d0053294_01104955.jpg 話を戻す。病院の連絡廊下の壁面に飾られる「障がい者アート」のうち、最も目を引いた作は先日部分を紹介した「通勤」と題する作品だ。今日はその全図を載せる。画面右下に自転車で通勤する作者を描き、作者名は「TAEKO OOBA」とある。どういう障碍を持っているのかわからないが、自転車通勤出来ることはわかる。その通勤を生き甲斐としているような楽しさが伝わり、本人にとって環境のよい仕事場であることが想像出来る。一部は写真を見て描いたかもしれないと以前書いたが、絵の中にある「安城牛乳配達所」の文字を頼りに調べると、安城市に絵とよく似た建物が見つかった。それが今日の2枚目の画像だ。この牛乳配達の工場に勤務する作者と思うが、建物には絵のような「森永カルダス」やその他の文字がない。最も大きな差は路上の白い菱型マークの2個だ。それで別の場所かと思わないでもないが、菱型マークは作者の家の近くのものかもしれない。そのことを合わせて考えるに、写真を参考にせず、記憶に頼った絵と言えるだろう。工場では単純作業に従事しているのだろうが、そういう仕事でも勤務が楽しいという思いが率直に伝わり、筆者は毎日この絵の前に立ち止まった。今日の3枚目の写真は「カラフルウォーキング」と題し、作者は田久保静とある。女性だろう。この絵はフンデルトワッサー張りで、「一流の芸術家と称される者でも画家はみなどこか精神障害があるのではないか」との妹の意見を思い出させる。それはこの絵が精神障碍者が描いたのであればフンデルトワッサーもそうであったという意味で、フンデルトワッサーのような才能は埋もれているだけでどの時代のどの国にもいるのだろう。有名になるかそうでないかの差は才能はもちろんとして、出会いの運も大きく支配する。4枚目は「上がり鯉」と題し、「NOON」という人が描き、性別や年齢はわからない。東洋画のめでたい古典的な画題を色鉛筆でカラフルに濃淡を描き分け、仕事がていねいなのもよい。パラリンピックは勝敗が明確な教護だが、こうした絵画は鑑賞者が好めばよく、またその人数が多いほどに名作とは言い切れない。絵画は描画技術の産物だが、その技術に甲乙をつけるとすれば、たとえば「手本に忠実に描くこと」という前提が必要となる。絵画は手本どおりに描くことに留まらず、戦後は特にそういう美術教育がなされ、戦前の臨模は否定された。書道でもそうなって来ているのかどうかは知らないが、絵画は書とは違って美の基準があまりに曖昧で、必ずしも均斉の取れた構築美を最良とはしない。時代によって好まれる絵画の傾向は変わって行くが、今は意外なもの、一瞬ドキリとさせるものがもてはやされる時代で、個性的であるほどに注目の的になりやすい。しかしそういう個性は作者本人が変革を続けない限り、簡単に消費されて飽きられる。
●『PARALYM ART(パラリンアート) 障がい者アート』_d0053294_01111692.jpg


# by uuuzen | 2026-02-07 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●飛び出しボーヤ、その99
とし物 冬場に目立つ 手袋の 片方のみの さびしさ二倍」、「どうせなら ともに逝きたし あの世にも 生があるなら 死を考えず」、「手をつなぎ ゆっくり歩く 老夫婦 昔見たこと 早くも我に」、「労りの 言葉と態度 つい忘れ 後で反省 それまた忘れ」
●飛び出しボーヤ、その99_d0053294_00495823.jpg
今日も鶴見俊輔の『限界芸術論』で気になる箇所があった。『見る雑誌の登場』と題した52年10月の文章で、筆者が満1歳と2か月の頃のものだ。『「平凡」や「明星」の魅力に中心はなんだろうか。…「平凡」や「明星」を、床屋さんなどで順番を待つ間に見ている時には、日本国内での解放地区が、東宝きぬた撮影所や松竹大船撮影所であるかのような幻想にしばらくとらわれる。われわれもまたそういう幻想にとらわれるということ、そのことの中に、われわれもまたうわ皮をはぎさえすれば心の中に大衆を持っていることを示している。こうした感覚を維持することができれば中共やソヴィエトが解放地区であることを前提として国民に説くと言ったような一方的な話し方とは別な道を工夫することができる。とざされた人間関係になやんでいることでは、われわれみんな同じなのである。』最後にはこうある。『お正月を迎えて、開かれた人間関係のまぼろしはしばらく、お酒の力を借りてまたカルタ会などのあそびの力をかりて、社会をおおうであろう。この中にある根本的な真実、「平凡」や「明星」の人気中にもあり、また私たちがソヴィエトや中国に対してかける期待の中にも同時に存在する根本的な真実は、私たちにとってもっと開かれた自由な人間関係がほしいこと、そしてそれが、私たちの間にこんにちまだ作られていないことである。』昨日はディスコミュニケーションの必要性について引用したが、一方で鶴見は日本に「開かれた人間関係」がまだないことを書く。「開かれた人間関係」がどういうものかは理解しにくい。筆者が10代後半の頃、アメリカでは年齢の上下に関係なく親しい間柄ではフレンドリーに互いに名前を呼び捨てにすると年配者から聞かされた。鶴見はそういうアメリカ式の人間関係を理想としていたのだろうか。またソヴィエトや中国に「開かれた人間関係」を期待していたとして、現実は共産主義国家にそういう人間関係があるのかとなれば、期待し過ぎであったと言わねばならず、鶴見はどういう人間関係を「開かれている」と思っていたのだろう。話は変わる。筆者は鶴見の講演を目の当たりにした直後、面会を申し込んで15分ほど対座して話をしたことがある。鶴見は予告なしに対話を申し込んだ筆者を拒否出来たが、快く引き受けていただいたことは、ある意味では「人間関係に対して自分は開かれた状態にしておきたい」との気持ちの表われと受け取ってよい。一方、筆者は本ブログを誰でも無料で読めるようにしてはいるが、会ったことのない人のコメントを手放しでは歓迎せず、「開かれた人間関係」の一部を閉ざしている。
●飛び出しボーヤ、その99_d0053294_00510597.jpg
 「開かれた人間関係」は「誰もが平等で分け隔てなく会話が出来る状態」を意味しているとすれば、筆者はごく些細だが、今日も「風風の湯」で数人の常連と話に花を咲かせた。文字どおり裸のつきあいで、学歴や年収、年齢は気にせずにお互いに世間話をする。それはディスコミュニケーションをひとまずは意識してのもので、あまり私的なことには立ち入らない。ただし本人から話題にする場合は別で、そこからより親密になることはよくある。有名人であった鶴見は普通のサラリーマンの何十倍もの親しい人を持っていたので対談集が何冊も出版出来たと思うが、対談することと他愛のない世間話は違うから、鶴見にとって「開かれた人間関係」が乏しかったとして、どういう話し相手を欲していたのだろうか。「明星」や「平凡」に載る芸能人の写真は一般人に「開かれた人間関係」の幻想を撒き散らし、その風潮はビートルズが登場して後、さらに増幅して今は地下アイドルのファンになって直接手を触れ合うことに変わって来ている。そのことから、幻想は相変わらず盤石でありながら、肌の温もりを若者が求めているように見える。その温もりがSNSで満たされるかと言えば、それを契機に実際に会わないことには何事も始まらず、ネットは万人に「開かれた人間関係」を即座に用意しているように見えて、直接の出会いのハードルは高い。詐欺が横行しているからにはなおさらだ。さて、今日の最初の写真は先月20日に撮った。家内が入院していた病院の西端に大きな駐車場があってその北隅に地蔵の祠があることを知ったので、それを目前にするために病院の敷地を一回りした。そのことは先日何度かに分けて書いた。白梅が咲く写真も載せたが、その木の少々北側に最初の写真の「飛び出しボーヤ」の看板があって驚いた。巨大な病院と老人ホームが並ぶ地域であるから、なぜ車が子どもの飛び出しに注意せねばならないのかと思ったからだ。しかし地蔵尊があることは地蔵盆が開かれる証であろうし、また病院の西北には豪華なマンションが建っていて、そこに児童が住んでいて不思議でない。そう思いながら写真を撮った。またこの「飛び出しボーヤ」の描き手に思い当たることがあった。それが今日の2枚目の写真だ。これは病院への途上にあって昔からよく知っている。同じ描き手であることは一目瞭然で、となれば同じ年度に描かれたこの看板が、家内が入院しなければ、そして家内が筆者を見晴らしのよい談話室に案内しなければ、病院西端の駐車場周囲にあることに気づくことはなく、いわば最初の写真の看板は筆者に向かって突如飛び出す格好で姿を現わした。驚いたあまり、裏面を撮影しなかったが、翌21日に撮った2枚目の看板はしっかり裏面を確認し、裏表の様子を並べた。しかしこの「飛び出しジョーヤ」はこのシリーズ投稿の初期に紹介したかもしれない。
●飛び出しボーヤ、その99_d0053294_00501745.jpg 3枚目は「ライフ・イン京都」に至る西手の道に近いところにある。上下とも市販製品で、1,2枚目の手製より何年も後に設置されたはずだ。上の蹴り上げる女子は青いパンツを履き、白パンツの次世代製品だ。これが次には青の半ズボン姿に修正される。簡単なイラストの女子のパンツに欲情する大人がいるとは思わないが、単純な記号でも色欲にスイッチが入る大人が生まれて来ているとしても不思議でない。それほど漫画やアニメが日本を覆い尽くして来ている。そのことの予感を鶴見が『限界芸術論』に書いているかどうかは、まだ半ばまでしか読んでいないのでわからないが、「開かれた人間関係」が広く作られていないことは確かだろう。ネット社会はそれを拡大したかに見えて、却って孤独が蔓延して来ているとも言えよう。4枚目の写真は22日に撮った。右上隅に先日投稿した野仏の群れを収め、また左端に筆者が乗っているオレンジ色の自転車の後輪を写し込んだ。筆者は嵯峨のFさんから譲ってもらった自転車に今も乗っているが、病院通いには買い物をするために前後に籠のある、家内専用の自転車を使った。梅津の従姉の旦那さんから無料でもらったもので、チューブを交換しつつもう10年は乗っている。4枚目は文字のみの看板で、同種のものはこの看板より山手にもあって、10年ほど前に本ブログで紹介した。病院のすぐ下にある小学校のPTAが作ったもので、20年は経たないと思うが、10年以上前であることは確かだ。この小学校区内の道の数分の一しか走ったことがないので、未知の「飛び出しボーヤ」の看板はありそうだが、わざわざ調べる気力も時間もない。20日は病院西側の駐車場に沿う道を往復し、先日書いたように保育園や児童館があることを知った。午後3時過ぎには小学生が数人ずつ、あるいは単独で小学校から坂道を上って児童館に入って行く。中にはそこを通り過ぎ、さらには今日の最初の「飛び出しボーヤ」のすぐ際も過ぎて北に歩む男子も見かけた。その子の背中のランドセルを見ながら、下町に育った筆者はその子が大人になった時、幼ない頃のどういう景色を最も思い出すのかと想像した。金持ちの子と思うが、それは下町育ちよりも孤独ではないだろうか。私立の中学や高校に進学すると、友人は経済的にほぼ同じ者ばかりで、勉強は出来るが、「開かれた人間関係」がほしいなどとは思わない、要するにそれが想像出来ない、人間味の少ない孤独な大人に仕上がるのではないか。それでは駄目だと、1,2枚目の写真に描かれる子どもが怒り、驚いていると深読みする遊び心を宿してほしいが、無意識のうちにこれら手製の「飛び出しボーヤ」は児童たちの記憶に深く刻まれる気はする。今日で20日に撮った「大量の」写真は全部投稿した。明日からは病院内部で気になったものについて写真とともに書くが、もう1週間から10日で「入院見舞い記」を終える。
●飛び出しボーヤ、その99_d0053294_00515876.jpg


# by uuuzen | 2026-02-06 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)

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