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●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』
にて 見張り居眠り 揚羽舞い 敵も眠かろ しばし休戦」、「ひらひらと 蝶の飛来に 和むれば 敵の狼煙に 気づき罵り」、「お京はん 半休取って 停車場に 尼が先かと 半信半グー」、「完熟の りんご傷つき 加工用 かっこ悪いしも 手加え化けり」
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_b0419387_18163977.jpg
今月11日に寝屋川で見たコンサートについて去年と同じ題名で投稿するが、9月10日にムジークシューレ大阪でプログラムに挟んであった告知チラシの題名が去年と同じになっているのでそれに倣う。そう言えば今回のステージ背後の横長の垂れ幕も去年と同じものを使用している。「第〇回」という表記があれば歴史がわかっていいと思うが、今回のプログラム裏面に来年のこのコンサートは10月27日に同じ場所で開催されるとの告知があり、連絡先として記される長野邦子さんに筆者のこの投稿内容が伝われば、来年のチラシに「第〇回」と記されるかもしれない。ところで先月1日、金森さんに9月10日のムジークシューレ大阪での吉田親家アコーディオン門下生による演奏会に行ったことをメールで告げると、10日に返事があった。そこに先日投稿した梅田のアサヒスーパードライでのユニットコンサートの開催予告チラシの画像が添付され、そこには「第8回」とあった。当日会場でもらったチラシでは赤い数字は7になっていた。金森さんの添付画像は右上隅に「校」とそして「正」らしき文字があって、金森さんは校正刷りの画像をネットで見つけたか、丸尾さんから送ってもらったのだろう。それはともかく、関係者が7回目を8回目と間違えるほどにアコーディオン奏者は恒例のコンサート回数に無関心と見える。で、9月10日の大阪本町でのコンサートに金森さんの姿はなかったが、スーパードライに続く、つまりおよそ2週間後の今回の京阪アコーディオンクラブのコンサートに、去年と同じく筆者より先に訪れ、そして筆者より前の席に姿が見えた。今回筆者は充分間に合う時刻で出かけたのに、慣れない京阪電車で、各駅停車に乗った。特急その他が何台も追い越して行くことにようやく気づいて樟葉で乗り換えた。寝屋川市民会館に着くと開演の1時半から10分ほど経っていた。去年と同じ小ホールであるのに、その場所がわからず、慌てて学校の職員室のような部屋に駆け込むと、「すぐ後ろです」と言われた。「小ホール」の文字が消えかかっていて全く目立たないのだ。黒く塗ることは簡単であるから、来年は配慮してほしい。なぜこんなことを書くかと言えば、筆者がそのドアが開けっ放しにされている職員部屋を出るや否や、チラシを手にした60歳くらいの派手な身なりの女性が「この場所はどこやのん! わからへんがなっ!」と大声で怒鳴り込みながら部屋に入った。彼女は筆者以上に小ホールを探し続けたのだろう。せっかく壁面に大きな文字で「小ホール」と書くのであれば、消えかかっていては駄目だ。だが、この投稿を寝屋川市の職員は読まないだろう。
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_b0419387_18240368.jpg 先月29日のユニットコンサートでは丸尾さんは風邪を引いてマスク姿であった。今回具合を訊くといちおう治ったとのことで、マスクを外していた。今日は最初に当日の演奏順を無視してユニットコンサートに出演したYMO(吉田親家、丸尾知子、小野寺彩香)トリオのマスクなしの写真を掲げるが、去年と違って筆者は最前列に座れず、カメラが違って操作がよくわからず、ユニットコンサートの時と同様、全部ピンボケになった。それでも3人の表情は人格を表わしていると思う。面白いのは左端の小野寺さんの真面目一徹の表情だ。彼女は今回もバッハの管弦楽組曲第2番から演奏したが、9月10日では最初に弾いたロンドを省き、ポロネーズとバディソヌのみで、また前回と同じようにわずかに演奏にためらいがあった。真剣に挑んでも難曲ということなのだろう。筆者は彼女の微笑みを見たい気がして、今回は話す機会がないかとかすかに期待した。コンサート終了後、金森さんの手配によって会場後方に陣取って丸尾さんを囲んでしばし談笑が出来たが、椅子の後片付けを手伝わないことが終始気になった。そして積み上げられた椅子がホール内の収納庫に移される中、小野寺さんがこちらに小走りでやって来て筆者の右脇を通り過ぎた。一瞬彼女と目が合った気がしたが、筆者は邪魔と思われたかもしれない。ともかく演奏中の彼女の表情とはわずかに違って、女性らしさが垣間見えた。演奏が終わって安堵していたからだろう。こう書けば筆者は何を期待して演奏を聴きに行っているのかと訝られるが、女性に限らず、人前で姿を見せながら何かを表現する場合はそれなりの色気はほしい。媚とは違って自然と滲み出る笑みだ。それがあったほうが客は楽しめる。また記憶に留まりやすい。丸尾さんはステージ上で笑顔を見せる場合がある。その瞬間を捉えたのが今日の最初の写真の右端だ。これは実によく丸尾さんの本質が出ている気がする。あまりのピンボケに彼女は笑うだろうが、彼女らしい温かみ、一種の大胆さがこの1枚の写真から伝わるはずだ。しかし無表情を通す小野寺さんであるから、YMOのふたりの女性は相性がいいのかもしれない。これがふたりとも女性らしい色気を発散すると、吉田さんは指運びを間違うことがあるかもしれない。というのは全くたちの悪い冗談だが、ユニットコンサートでのYMOのステージ写真はまるで色気がなかった分、今回は写真から3人の表情が、そしてそこから性格が伝わるのではないかと思っている。マスク姿を言えば、去年と違って今年は進行役の米谷麻美さんがそうなった。今日の4枚目の上の写真の左からふたり目が彼女だ。彼女と9月10日に少しだけ話したことは以前に書いたが、筆者はいささか変質気味と思われたであろう感触が伝わった。実際そうだが。したがって黙って訪れ、無言で立ち去るのが本当はよい。それが男の色気というものだと言いたいところだが。
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_b0419387_18242153.jpg 今回は「旅にまつわる名曲を中心に」とチラシで謳われ、短い休憩を挟んでの三部構成であった。話を戻すと、小ホールの後方扉を開けて中に入ると演奏は始まっていて明かりは落とされていた。右手の受付で署名し、プログラムを受け取った後、丸尾さんから声をかけられた。彼女はホール後方中央にいて、コンサートの録画を確認していたのだろう。空席を勧められて後方左手に座ると2,3列前に金森さんの姿があった。先に書いた怒鳴った女性はやや遅れて入って来て筆者の斜め前に着席し、休憩のたびに、また演奏途中で席を移動し、やがてコンサートが終わる前に姿を消した。席を変える別の女性にも気づいたが、コンサートが終わりに近づくとかなりの人が会場から消えた。それで去年よりはさびしい客数であったが、入場無料ではそういうものかもしれない。あるいは選曲による。ヒットした歌謡曲であれば一緒に口ずさみする楽しみがあるが、そういう曲ばかりではカラオケと変わらない。それで旅をテーマにしながら、誰がどういう曲を演奏するかで悩みがあるだろう。ただし小野寺さんのバッハ曲のように旅とは無関係と言ってよい曲を含むところに、演奏者の好みの曲を優先したい思いが伝わり、よく言えばバラエティに富む内容だが、何をどういう順で聴いたのか記憶に残りにくいとも言える。それが客が次第に姿を消した理由に思える。しかしこのコンサートはプログラムに記されるように会員を募るためのものでもあって、披露曲が幅広い必要はある。興味と知識の幅の大きな開きがある客層を思えば今回のような選曲は妥当だが、こうしたコンサートを通じてアコーディオンを奏でたいと思う人がどれほどいるかとなると、絵筆を持って水彩画を描くという手軽さからは遠く、楽器の重量を思えばなおハードルは高い。そこでピアニカやハーモニカという選択肢はあるし、今年も披露されたオカリナなら、持ち運びは楽で価格も安い。今年も4人のオカリナを吹く女性がステージに上がり、「オー・シャンゼリゼ」「ゴッドファーザー 愛のテーマ」「コンドルは飛んで行く」の3曲を演奏した。メンバーの入れ替わりがあったのかどうか知らないが、去年より技術は上達していて面白かった。3枚目の最下段の写真がその演奏中のものだ。土笛の音色でのハーモニーはアコーディオンとはまた違って本物の鳥のさえずりに近く、演奏を聴きながら筆者はメシアンならどう感じたかと思った。カラオケで歌う自己満足から一歩進んで、こうした楽器で他者を楽しませることの広がりを期待したいものだ。プログラムには4人の女性に長野邦子さんの名前がある。彼女は3枚目の写真の最上部にあるようにまず吉田さんと一緒にアコーディオンを演奏し、オカリナの演奏では左端に位置した。彼女が京阪アコーディオンクラブの連絡先になっていることは、アコーディオン歴60年、今年80歳と紹介されたことから当然だ。
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_b0419387_18244211.jpg 話は前後する。筆者が会場に入った時、ボロディンの「中央アジアの平原にて」が始まっていた。当日最初の曲で、4人のアコーディオン奏者による合奏だ。編曲は去年も出演した男性の小野田幸嗣さんで、彼はひょっとすれば京阪アコーディオンクラブでは唯一の男性会員かもしれない。「中央アジア…」は小野田さんの編曲で、こういうクラッシク曲を演奏するのはやはり吉田さんの影響か。プログラムには吉田さんについて、京阪アコーディオンクラブ講師とあって、全関西アコーディオン協会理事長とも書かれる。それであちこちのアコーディオンのコンサートに引っ張りだこなのだろう。「中央アジア…」はプログラムでは「オープニング 旅の途中で」と記され、なるほど馬か驢馬に乗っての旅を思わせる曲だ。次に「ソロ・アンサンブル」とあって3曲が演奏された。最初の「DOMINO 」はムジークシューレ大阪でも演奏されたが、どちらもかなり高齢の女性だ。ただし今回は吉田さんの編曲で、長野邦子さんが中心となって吉田さんは伴奏に終始したと思う。2曲目は「枯葉」で、3枚目の中央の写真の加宮はつねさんがひとりで演奏した。3曲目に小野田さんがやはりソロで「思い出」を弾いた。これは元はドルドラという作曲家のヴァイオリンとピアノのための曲で、午後に紅茶を飲みながら聴くのがふさわしいような優美さがあって、「旅の途中」と言われればそのように想像する。この後にオカリナの演奏があって休憩となったので、金森さんの近くに移動した。第2部は「旅のいざない」と称し、最初に小野寺さんのバッハ、次は「澄みわたる景色」と題してYMOによる「芭蕉布」「明日に架ける橋」「村の娘」の3曲で、後2者はユニットコンサートでも演奏されたので、YMOとしてのレパートリーはよく知られる新旧のポップスが中心ということになるか。舞台の演奏者は目まぐるしく変わり、筆者の写真撮影も忙しかった。次に登場したのは「週末の酒場」と題し、丸尾さん、ベースの矢田伊織さん、打楽器の小野田さん、そして米谷さんの4人によるブラジルのフォホーの2曲で、米谷さんは観客に向かって週末の酒場にいるように踊ってほしいなどと言ったが、その勇気のある者はいない。そう言えば去年と同様、米谷さんとともに司会を務めた林敏夫さんもピエロになり切れないおとなしさが目立った。この4人の演奏の写真は不採用とし、次に5枚目の上の写真だ。左から順に矢田さん、米谷さん、そして御大の杉村壽治さん、そして丸尾さんで、「煌めく情熱のダンス」と題し、最初に杉村さんがタンゴで歌謡曲としてもよく知られる「小雨降る径」をソロ演奏し、次に米谷さんが矢田さんと丸尾さんを招き、揃った4人が「杉村壽治とメッチャムーチョス」と名乗ってタンゴの代表的名曲「エル・チョクロ」と「カミニート」を披露した。その時の様子が4枚目の上の写真だ。
 タンゴの名曲をたまに聴くとしばらくは小中学生であった頃を思い出し、当時の大人がとても大人びていたように思う。また杉村さんはタンゴ好きで、その点がひょっとすれば吉田さんと異なるのかもしれない。さてまた休憩を挟んでゲストのパパガイオスの登場となった。丸尾さんと矢田さんのデュオで、矢田さんは海外から取り寄せたというアコースティックのベースを奏でた。その様子を撮ったのが4枚目の下で、丸尾さんは曲に合わせて衣装を替えるサービスぶりだ。9月10日と同じく「イル・ポスティーノ」を演奏したが、今回は倍ほどの長さであった気がする。次に懐メロ歌謡曲のメドレーで、「丘を越えて行こう」「花の東京」「星の流れに」「高原列車は行く」「月がとっても青いから」が演奏され、これらは杉村さんが長年担当したラジオののど自慢大会の伴奏を意識したものであろう。耳慣れたメロディにたちまち一緒に歌い出す客が目立った。TVの通販で6,70年代の日本のポップスのCDがレコード会社のレーベルを越えてよく発売されているが、戦前から昭和20年代までの歌謡曲が丸尾さんのような世代によって、しかも懐かしい感じがするアコーディオンによって演奏されることはレトロブームのひとつであろうか。今回会場で一緒に口ずさんだ人たちは70代後半から上の世代のはずだが、そういう人たちが亡くなった後、懐かしいメロディには違いないとして、歌詞を新たに覚えて歌おうとする若者がどれほどいるだろう。そう考えると杉村さん世代まではよかったが、丸尾さんがこうした曲をこれからも長年演奏し続けるとして、それを歓迎する客を見込めるかどうか。丸尾さんはそんな先のことを考えずに、今回の客層、そして杉村さんが演奏することを前提にしたサービスの気持ちが大きいのかもしれない。また純粋にこうした過去の流行歌が楽しく、演奏を通じて分析し、得られるものがあると考えるからだろう。それにこうした懐メロを作曲した人や歌った人たちはみな高学歴で、真にいいものを創ろうという覚悟があった。それは高尚な芸術ではないとの自覚がありながら、結果的に莫大な数の人を楽しませ、時代の明るい側面の空気を形成したから、その意味では芸術と称していいものとなった。ただし時代は変わるし、人の好みや価値観も変わり、明るさやそのネガとしての悲しさのわかりやすい表現一辺倒では物足りなくなり、さらにはそういうものを恥ずかしいとさえ思う人が増える。そのことを承知でなお昭和前期から20年代までの歌謡曲には掘り起こすべき何かがあるのかもしれない。筆者と同じ年齢の近所のOさんは三橋美智也の曲が年齢を重ねるほどに懐かしいと言う。筆者はその気持ちは大いにわかりながら、遠くでそう思っているだけで充分という気がし、常に未知の音楽を求めて来ている。それはあてのない旅と言ってよく、役割を自認せず、期待もされないから気楽なものだ。
●『京阪アコーディオンクラブ・コンサート』_b0419387_18244211.jpg 去年も今回も丸尾さんの出演がなければ多彩さは保てるとしても華やかさに欠けたであろう。しかし彼女は関東在住となり、今後どこまで関西のアコーディオン・コンサートの出演に応じられるか。そう考えると彼女は関西まで旅をして出演し、今回のテーマが「旅」というのは何となく彼女に符合している。さて第3部は「旅」と題する4曲だ。前半の「草原のマルコ」とアメリカの「センチメンタル・ジャーニー」は加宮、米谷、小野田の京阪アコーディングクラブのメンバー、後半2曲は今日の5枚目の写真のように他のメンバーが加わった。この5枚目の上中下の写真は本来横並びのメンバーで、左から順に矢田、小野田、加宮、小野寺、米谷、丸尾、そして服装からしてオカリナのメンバー、右端は長野さんだろう。小野寺さんが微笑んでいるのがよい。そしてオカリナの4人ともかどうか知らないが、アコーディオンも演奏することがわかる。アコーディオンが7台では音の厚みがひとしおだが、大先生ふたりを除いたこのオールスターで、松本伊代のデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」と、これは偶然か、先月亡くなったばかりの谷村新司の曲「いい日旅立ち」が演奏された。そして拍手に応えたアンコールとして、現在のNHKのTVドラマに因み、また丸尾さんと矢田さんのコンビであるパパガイオスが演奏した懐メロ・メドレーにも関係して、プログラムにはない「東京ブギウギ」が合奏された。「草原のマルコ」はひょっとすれば最近再放送をNHKで見たマルコ・ポーロを主人公にした確か80年代のアニメのテーマ曲かと思ったが、確かめていない。なおそのアニメは再放送を全編を見ていないが、教育的観点からもよく出来た作品であった。コンサート終了後、金森さんが丸尾さんに少し時間があるかと声をかけ、去年とは違って丸尾さんは立ち話に応じた。筆者は話すことが思いつかなかったが、金森さんは今夜大阪に泊って明日の難波のとあるライヴに行かないかと誘った。というのはかつて丸尾さんが在籍したバンドが出演し、金森さんは彼女が飛び入りで出演出来ないかと考えたのだ。丸尾さんは泊まってもいいが、すでにそのバンドは自分たちで活動しているのでそれを邪魔したくないといった風のことを言った。それはそうだろう。今の丸尾さんは単独ないし矢田さんとライヴハウスでオリジナル曲を演奏する一方、今回のようにいわば何でも来いのレパートリーの豊富さだ。筆者は丸尾さんが在籍したバンドを知らず、口を挟まなかったが、丸尾さんのシャツが赤地青の小さな連続模様であることに目を奪われ、「目がちかちかしますね」とよけいなことを口走った。「煌めく情熱のダンス」にふさわしいシャツを彼女は選んだのだ。「目がちかちかと煌めきます。お洒落ですね」と言えばよかった。また彼女は少し痩せて見え、そのことも言った。それは嫌われるもとだ。次回は黙って訪れ、黙って帰るか。
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# by uuuzen | 2023-11-25 23:59 | ●その他の映画など
●461モンブラン、大阪市『ふくしまてんこもりEXPO 2023秋』にて
唐使 見当するも 運任せ 学ぶことこそ 命となれども」、「情熱を 燃やし続けて もしやあり もやし野郎も 香具師も情あり」、「山の下 森に降り積む 白い雪 はかなきかなと 広し道行き」、「遠くから 目立つ帽子の ピエロかな 今日はお祭り 生演奏も」
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今月5日の「原田しろあと館」での461モンブランの演奏会、終了後に質問したいことがいろいろあったが、男性数人の山下カナさんを囲んでの談笑が終わりそうになく、筆者は森祐介さんに今度はいつ演奏するのかと訊ね、「大阪の福島で」との返事を聞いて会場を後にした。その福島区での演奏が12日であることを彼らのツイッターで知った。11日は寝屋川で丸尾丸子さんが参加するアコーディオンの演奏会があり、翌日も大阪に出かけることはかなり億劫だが、天気がよければ出かけてもいいかと考えた。そして当日の朝、家内に大阪に出るかと訊く前に窓の外を見ると、あいにく曇天でとても寒い。さてどうしたものか。1時間ほどの間に家内に三度訊ね、そして雲の隙間から陽が照り始めたのでついに出かけることにし、家内は大急ぎで化粧を始めた。家を出たのは11時過ぎで、12時半から演奏は着いた時は終わっているか、あるいは最後の1、2曲は間に合うかと思った。演奏を最初から楽しめないならば出かける意味はあまりないが、以前から見学すべく入手していた施設のチケットが2枚ある。それを手提げ袋に放り込んだ。ごくたまにしろ、筆者と大阪に出ることを家内はとても喜ぶ。そして住み馴れたはずの京都より断然大阪がいいと言うが、筆者は大阪でも京都でも場所によりけりで、結局どういう人が近くに住み、親しくなれるかだ。それは大阪でも京都でも同じだ。しかし、たとえば豊中の高級住宅地に住む文化度の高い人は、筆者のような貧乏人は相手にしない。文化度は経済力に比例すると言う人がいるが、文化人は貧乏人からでも輩出する。最近金森さんから、筆者の昔の文章にストラヴィンスキーの「アゴン」についての記述があるが当時日本でその曲はレコードが発売されていなかったのにどうして聴いたのかと質問された。82年にストラヴィンスキー生誕百周年記念として定価72000円のLP31枚組が日本に200セット直輸入され、当時31歳の薄給の筆者はその1セットを無理して買った。わずか1行を書くためにそういう覚悟は時に必要だ。つまりは貧乏人でも知を求めて大胆な金遣いをする場合がある。さて、梅田に着くと小雨が降っていた。慌てたために傘を持って出なかった。JRの環状線の乗り場まで上るのが億劫で、一駅先の福島まで歩くほうが早いと思いながら結局環状線に乗った。電車はホームで2、3分停まったままで、やはり歩いたほうがよかったかと苛々し始めた時にようやく動き始めた。フェスタが開催中の駅南西にある公園には行ったことがないが、小雨でもあってその方角に走ると、すぐにアコーディンの音色が響いて来た。
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 家内は筆者の20メートルほど後を着いて来る。人混みの公園に入ってステージを探すと、赤い布を敷き詰めたステージに461モンブランが演奏中ですぐに「情熱大陸」が始まった。たぶん最後の曲だ。416モンブランのツイッターには、10月に高槻富田の寺で彼らが演奏した時、筆者が知る男性は駆けつけると最後の「情熱大陸」の演奏中であったと書き込んでいた。筆者らはそれと同じ体験をした。フェスタは思ったほど人は多くなく、客席もまばらに見えた。山下さんを真正面に見ながら筆者は接近し、5メートルほどのところに達した。すると筆者の笑顔に彼女は気づき、笑みを返した。その瞬間が得られただけでも出かけてよかった。筆者はその時の彼女の姿を忘れないだろう。ふたりの演奏中の写真を右や左に移動して3枚撮った。雨粒はやや多くなり、4分弱の「情熱大陸」が終わると係員の男性が舞台下手の大きなスピーカーにビニール袋を被せ、461モンブランは隣りの白テントに入った。公園の隅にさまざまな売店のテントがあり、筆者らは福島県の物産テントで少し買い物をし、その近くのテントでは昭和時代の福島を捉えた白黒写真を眺めた。ステージの方角を見ながら写真を2枚撮り、461モンブランの姿がないかと遠くを眺めると、人混みの中に山下さんが見えた。彼女もこちらに気づき、すぐにふたりは走って来た。筆者のキャットビーニーの帽子が目についたのだろう。今年の時代祭の時と同様、筆者は探してもらう相手から目立つ姿、特に帽子を被ることにしている。筆者は矢継ぎ早に416モンブランに質問した。メールで訊ねるよりも手っ取り早いからだ。やがて山下さんは楽器が雨に濡れて気になることを言い、筆者は話を止めた。家内は黙ってそばに立っていたが、帰宅した後、家内の知らない話を筆者が多くしたと言われた。それに筆者の顔がくしゃくしゃで見ていられないと言ったが、まあ仕方がない。雨の下での立ち話の内容はここには書かないが、森さんに一週間前と同じく次はどこかと訊ねた。「神戸です。その後は年内は予定が入っていません。」多忙を理由に筆者は追っかけファンにはなれず、遠くて高槻辺りでの演奏でなければ出かけない。それはさておき、たぶん間に合わないと思いながら、最後の曲に触れられて運がよかった。筆者の聴きたいという情熱のおかげか。公園内の時計を見ると演奏が終わったのは1時5分ほど前で、約25分の演奏であったことになる。曲目は知らないが、4,5曲のはずで、「原田しろあと館」での演奏の後半部と同じと考えていいだろう。ということはその程度の長さのセットをいくつか保持し、制限時間とギャラの関係もあってセットをひとつかふたつにするのではないか。もちろん2,3曲の異動は絶えずあるはずで、それはある程度は演奏場所に合わせると想像する。レパートリーの全部を聴くには数十以上のステージを見る必要がありそうだ。
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 福島区での演奏はここ数年続いているとのことだ。「原田しろあと館」でも同じで、他の多くの場所もそうだろう。それは彼らがどの会場の主催者にも人気があることを示している。そうした定期的に演奏可能な場所を数十か百ほども持てば新規開拓の必要はない。ただし、定期演奏場所がいつまでもあるとは限らず、またファンを飽きさせないためにはレパートリーを変え、増やす必要もある。もちろんふたりはそんなことは承知で、着実にファンを増やして行くに違いない。416モンブランはいわば筆者が初めて自発的かつ強く焦がれるように演奏に接したいと思ったミュージシャンだ。それは山下さんの女としての魅力が第一義であるためでは全くない。ふたり揃った美しい見栄えと演奏が実に見事であるからだ。そのことは文章では伝わらない。京阪神を拠点に演奏するふたりの演奏を間近で接するには、ツイッターで告知される演奏会に出かければよい。今のところはまだ入場料はライヴハウスのようには高額ではない。ふたりは多くの人がよく知る曲をレパートリーにするとはいえ、コンサーティーナとアコーディオンとなると編曲は必要だ。その妙味が彼らのどの曲にもある。それに「情熱大陸」では中間部にソロの絡みがあって、それが原曲にあるのかないのか、あるとすればどう違うのか、興味が湧く。同様のカデンツァは「リベルタンゴ」ではもっと長く披露された。筆者が所有するピアソラの74年の同名タイトルのCDヴァージョンではメンバーの即興はなく、461モンブランの演奏より退屈だ。ということは、ふたりは編曲以外に即興の才能も持ち、それをさらに磨けばジャズ・ミュージシャンとの共演は可能になり、活躍の場はさらに広がる。山下さんはジャンルに関係なく、いい曲は演奏したいとツイッターに書く。その態度もよい。世代の差から筆者はアニメの名曲を知らないが、「原田しろあと館」で演奏されたそうした曲は聴き応えがあった。それは編曲のせいも大きいだろう。とにかく瞠目すべき才能のふたりだ。オリジナル曲にこだわるミュージシャンはライヴハウスを拠点にする。その暗い洞穴のような場所とは違って野外あるいは「原田しろあと館」のような特別の場所での昼間の演奏は聴き手を選ばない。それは461モンブランの望むところだろう。となれば彼らはほとんど満たされた境遇で活動をしている。今回筆者は山下さんにオリジナル曲を提案した。シンガーソングライターになることを勧めるのではなく、「情熱大陸」のような器楽曲でよい。表現への情熱があればカヴァー演奏でもオリジナル曲でも他者を感動させ得るが、461モンブランならではの看板曲があってよいと思う。山下さんのツイッターの自己紹介文の最後の言葉「パニック障害、限局性恐怖症」に対して筆者は言うことがないが、ひとつだけ書けば、筆者の度が過ぎた会話やこうした文章が強すぎる刺激を与えないことを願う。
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# by uuuzen | 2023-11-15 23:59 | ●その他の映画など
●461モンブラン、豊中市『原田しろあと館 オータムフェスタ』にて
を巻き 眠る乞食の 笑みし顔 我も生きるや 空蝉の世を」、「生と死は 対にあらずや 死も生きる この刹那こそ 永久と知れば」、「奏すれば 音の調べは 空を舞い 人の心に 届くと願い」、「見せかけの 大きさを恥じ 赤子見て 唇噛みて 秋雨の降る」
●461モンブラン、豊中市『原田しろあと館 オータムフェスタ』にて_b0419387_02135209.jpg
今月に入ってすぐ、5日に豊中の曽根で開催される461モンブランの演奏会に家内と行くことを決めた。そのことを家内に伝えると、いつものごとく「ひとりで行き」の返答であったが、筆者は決めたことはほとんど実現させる。当日の朝、服装の準備を始めると家内も一緒に行くことを当然と思うようになった。それはさておき、当日の朝、筆者は火山が噴火する夢を見た。夢は目覚める直前のものをよく覚えている。わが寝室の窓から嵐山から苔寺に連なる山が真正面に見えるが、夢ではその山の連なりが晴天下で緑豊かに見えた。そして視線を右手すなわち嵐山に移すとやや遠方に白くて尖った山があった。「ああ、モンブランだな」と思った途端、それが噴火した。即座に幾筋かの臙脂色の溶岩が山裾をこっちに向かって流れ下り始め、数秒後にはわが家まで到達した。大慌てでベランダの下に逃げ込むと、溶岩はベランダを覆い、見上げたベランダの下から溶岩が血のように滴り始めた。避難しようとしたところで目覚めた。窓の外は天気がよく、夢と同じ山の連なりがあって、当然ながら右手奧にモンブランはない。「どういう意味の夢か」と思いながらで階下に行って家内にその夢について話した。さて、筆者としては初めてのことだが、461モンブランのツイッターに会場の人数制限に関して質問しておいた。曽根まで出かけるからには制限人数を越えたために会場に入れないでは困るからだ。筆者は最近よく会合に遅刻するが、当日は気を引き締めてやや早い目に家を出て、開演30分前に着いた。曽根と言えば毎年「文化の日」に若冲の重文の襖絵が見られる。改めて調べるとその西福寺は小曾根にあって、最寄り駅は服部天神だ。筆者は今回の演奏会場の「原田しろあと館」のある曽根駅での下車は初めてで、帰り道も日和はよく、例によって道に迷いながらも山手の高級住宅地を通り抜け、とある店で現在地を訊ね、ようやく目当てのスーパーに到達したことは楽しかった。演奏会場はかつてサンルームとして使われた居間の一室で、光がよく入るガラス扉は演奏前に白いカーテンで遮光された。灰色の折りたたみパイプ椅子が並べられていて、25名限定であった。開演間近に予備の椅子がいくつか使われ、満席となった。筆者は最前列の左端、隣りに家内、その隣りに会場の建物から徒歩5分の家に住む高齢女性が陣取った。休憩の喫茶時にも親しく話したところ、彼女は毎月東京までN響のコンサート目当てに行くとのことで、なかなか文化度の高い暮らしをされておられる。そういう人は筆者が暮らす嵐山地域にはたぶん、いや絶対にひとりもおらず、曽根が別世界の文化地域に思える。●461モンブラン、豊中市『原田しろあと館 オータムフェスタ』にて_b0419387_02140716.jpg 3日に書いたように461モンブランの演奏を最初に見たのは先月29日、大阪梅田の老舗ビアホールにおいてだ。アコーディオン・ユニット他が8組出演した。筆者は丸尾丸子さんの演奏目当てで出かけ、どの出演者もそれなりに面白く、最も強く印象深かったのは461モンブランであった。モンブランは「白い山」の意であるから、「461」はよけいと思うが、この数字に込めた意味があるのかもしれない。レザニモヲの963さんや38さんに通ずる数字の当て字で、ただのモンブランでは洋菓子に間違われるので461をくっつけたのかもしれない。若い男女のデュオで、女性の山下カナさんがコンサーティーナ、男性の森祐介さんがアコーディンを奏でる。ふたりの見栄えは実によい。また演奏も息がぴったりと合い、技術も素晴らしい。15分の休憩を挟んで前後それぞれ30分ほどの演奏会で、全曲が終わった後、筆者は少しだけふたりと話すことが出来たが、森さん曰く、レパートリーは200曲ほどあるらしい。筆者は音楽に限らず、表現者は多作であるべきと思っているので、416モンブランには大いに感心する。名作は多作から生まれる。たとえば二、三千曲書いた中から運がよければ数曲の名曲が生まれる。したがって三、四十の作曲では名曲が生まれ出る可能性はない。ただし、461モンブランの200のレパートリーにオリジナル曲は含まれないのではないか。おそらく彼らの本領は暗譜による名曲のカヴァー演奏で、乞われればどこにでも出かけて演奏する。その立場にあれば、よく知られる曲を演奏することになる。それは酒場などを流しで演奏するミュージシャンと同じ立場にほとんど等しいが、そう思えば先月29日の老舗ビアホールでの演奏も形を変えた流しの演奏と言える。ただし、酔客の求めに応じて演奏するのではなく、自分たちが得意とする曲を披露する点でライヴハウスでオリジナル曲を演奏するミュージシャンと変わらない。違う点は客層だ。ライヴハウスを訪れる人たちは目当てのミュージシャンのオリジナル曲を主に聴きたい。ところがそのオリジナル曲が優れた作品で演奏もそうとは限らない。筆者の少ない経験で言えば、むしろ自己満足気味なミュージシャンが目立つ。それゆえファンの数はごく限られ、とてもプロとは言えない。ところが461モンブランは演奏で人を楽しませることを第一に捉えていて、またその演奏はふたりとも自己愛が露わではなく、むしろストイックさが伝わる。筆者が好感を抱くのはその点だ。ライヴハウスで演奏するミュージシャンは押しなべて自己愛が目立ち、それを魅力と思う客が集まる。レパートリーの多さはそれだけ練習時間が長いことを意味する。そうであれば自己愛に浸り切る暇はない。より多くの人に演奏を見てもらう、聴いてもらいたいという立場にあれば、ひたすら練習を重ね続けるしかない。そのことを416モンブランはよく知っている。●461モンブラン、豊中市『原田しろあと館 オータムフェスタ』にて_b0419387_02142394.jpg 今回は狭い部屋での演奏でもあってマイク設備はなく、筆者のすぐ眼前でふたりは演奏した。こんなことは初めてで、御前演奏される貴族気分が味わえた。最初の曲が終わった後、山下さんは筆者の身なりを褒めた。全身ヴィヴィアン・ウエストウッドという年甲斐もない格好で出かけたが、山下さんも演奏時の着衣に気を配っていて、それがまた好感が持てる。出会いは一期一会で、真剣勝負ということを彼女は気遣っている。そのことが演奏から伝わる。眼前での演奏でふたりの指使いがよくわかり、一音のミスもない素早い演奏に家内も大いに感心し、筆者に説得されて出かけたことを喜んだ。最前列右端に位置した須磨の山手からやって来た中年男性のファンから聞いたが、山下さんは枚方、森さんは神戸に住むという。そしてこれは森さんが演奏の合間に語ったが、ふたりは結婚していないとのことだ。これは追っかけをするファンには重要事だろう。結婚したと知ってファンをやめることは自然でもある。自分だけの憧れのミュージシャンや芸能人という夢が打ち砕かれるからだが、ミーハーなファンを集めるのが目当てでない場合は話は別で、大方のファンは才能に惚れる。先ほどストイックという言葉を使ったが、461モンブランのふたりは常に一定距離を保ってステージに立ち、変にべたべたしたところを感じさせず、清潔感が伝わる。だが不思議に思うのは、枚方と神戸に離れて200曲もレパートリーがあるのはどういう練習をしているのかだ。また選曲をどのように決めているのかと思うが、今回はビアホールで聴いた曲がほぼ演奏され、「りんごの唄」や最後の「情熱大陸」がふたたび楽しめた。アイルランドの曲が演奏されるかと期待したがそれはなかった。最も気に入った曲は「リベルタンゴ」で、ピアソラの使うバンドネオンとコンサーティーナやアコーディオンが違う楽器であることが説明された。山下さんは主に主旋律を、森さんは和音を担当することが多いが、高音のコンサーティーナのメロディがアコーディンとハーモニーを紡いで行く様はふたりのたたずまいにぴったりだ。演奏終了後、ある高齢男性が老人施設でボランティア演奏をしないかと質問し、山下さんは戸惑いつつ「お金は頂いております…」と答えた。後で家内はその質問に憮然とし、「仕事に対価を支払うのはあたりまえ」と筆者に言った。全くそのとおりで、461モンブランのふたりはプロ意識をもって仕事をしている。またCDを作っていないのかとの質問には、考えてみるとの返事であった。これは喜ばしいことだが、カヴァー曲だけではなく、オリジナル曲を含めてほしい。帰り際、筆者は森さんに今朝見た噴火の夢を話した。その迫り来る溶岩のような演奏であったことになるが、溶岩から逃げ出した筆者の行為は何を意味するのか。それはともかく、文化度の低い田舎の嵐山で461モンブランの演奏会が開けないものかと思っている。
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# by uuuzen | 2023-11-08 23:59 | ●その他の映画など
●『第7回ユニットコンサート』、アサヒスーパードライ梅田にて
●『第7回ユニットコンサート』、アサヒスーパードライ梅田にて_b0419387_02124685.jpgから 白蛇出でて 吉祥や アコーディオンの 蛇腹広げて」、「陽が注ぎ 地では鳴らせよ 各楽器 ともに歌えば 丸き人の輪」、「ビヤ樽を みなで飲み干せ 酔い騒げ 楽師も出番 終わり加わり」、「一瞬の 気がかりたどり 縁結ぶ 酒を飲んでも 気の冴え保て」10月10日の金森さんからのメールに今日紹介するコンサートのチラシ画像が貼付されていた。大阪西天満の「あいおいニッセイ同和損保フェニックスタワー」の地下1階にあるビアホール「アサヒスーパードライ梅田」が会場で、ワンドリンクとおつまみがついて2000円だ。このコンサートだけのために出かけるのはもったいないので、気になっていた展覧会を難波でまず見ることにした。ところが筆者は必ずと言ってよいほど道に迷う。それに初めて歩く道で見かけた蘇鉄の写真を撮ろうとすると、電池切れであることがわかった。その単3電池を買うためによく知る大型スーパーに向かってから、展覧会場まで歩いたが、時計を持たないので時間がわからない。会場に入ってすぐに係員の女性に訊くと、1時半とのこと、展覧会場を10分ほどで後にして大急ぎで演奏会場に向かった。フェニックスタワーは初めて訪れるが、遠目に目立つ。出入口を入って女性の受付に訊くと右手を指し示され、長い螺旋階段を降り切るとビアホールがあってコンサートは始まっていた。出入口脇のテーブルに女性が2,3人いて、2000円を差し出すときょとんとされた。スマホ予約の客が大半のようで、テーブル上にあった10数枚のチケットも多くはそうだろう。「もう二番目のグループが演奏中ですけど」と言われ、ともかく大きな扉から入るとたぶん百数十人の客で、空席が見当たらない。しばし茫然として受付に戻り、事情を説明すると、「座席分のチケットを販売しましたから必ず空いた席はあります。着いて来てください」と言われ、扉近くの大きなテーブルの端に導かれた。隣りに70代の男性が6,7人陣取り、筆者は場違いなよそ者気分だ。その空席は仲間が来る予定か、空けておきたかったのだろう。筆者の気分が落ち着き始めた頃、3番目のグループが演奏した。アルマトリオと言い、男女のアコーディン、そして女性のフルートだ。ただし筆者はドリンクとおつまみを受け取るために会場の中央を横切って向こうの突き当りまで行かねばならなかったので、落ち着いて聴かず、写真も撮らなかった。ビールは500円で、それを飲まずにカルピスにした。おつまみは想像以上に豪華であった。席に戻って一息し、当日の目当てで、次に登場するYMOの演奏に気持ちを整えた。Mは丸尾知子さん、Yはアコーディオン界の大御所で現在92歳の吉田親家さん、Oは小野寺彩香さんだ。筆者は吉田さんと小野寺さんの演奏を去年11月に寝屋川市民ホールで初めて接し、今年9月10日の大阪での演奏会も見た。今日の最初の写真の下側がYMOで、3人もマスクをして顔はよくわからない。
 とはいえ、そもそも筆者のカメラの性能が悪く、今回の写真はみなぶれた。それでも雰囲気は伝わるだろう。話を戻すと、この86年の歴史があるというビアホールは初めて知った。扉の脇の壁に昭和時代の白黒写真が10点ほど飾られていた。間近で見ていないが、アコーディオン奏者も写っていたようだ。途方もない高さのこのビルはまだ新しく、ビアホールがビルの建て替え時に造り変えたのかどうかだが、地下はそのままで地上部分のみ建て替えた可能性もある。筆者が大阪で勤務していた半世紀ほど前は、ビアホールはいつも曽根崎通りにあるミュンヘンを利用した。よく覚えているのは、眼鏡の長身男性が突如立ち上がって「オー・ソレ・ミオ」を歌ったことだ。なかなか達者で、喝采を送る人や黙って聴き入る客もいた。ビアホールではそのように酔った勢いで歌うことが許されるのだなと思ったが、今はどうだろう。当時はカラオケがなく、喉自慢を披露したい人は歌声喫茶に行くか、ビアホールで勝手に歌うしかなかった。ミュンヘンは今も同じ場所にあると思うが、舞台はないはずだ。アサヒスーパードライのビールは86年前にはなかったので、今回会場となって店は別の名称であったはずで、またアサヒビールの経営でもなかったかもしれない。10月末日で閉店とのことで、今回のコンサートはそのお別れ記念となった。当日の司会の年配女性はかなり手慣れていて、来年のこのユニットコンサートは場所を変えて行なうとのことだ。ビアホールが閉店になるのは若者の酒離れが影響しているだろう。あるいは酒好きの割合は変わらないとして、ビアホールは選ばれにくくなったと思う。それはこの店ではミュンヘンの有名な鶏の唐揚げなどの料理が乏しいからではないか。どうでもいい話だが、筆者は酒は何でも飲むが、医者からはプリン体の多いビールは飲むなと言われている。それにおいしいのは最初の一口で、後はトイレが気になる。それにしてもこのビアホールの閉店後にどういう店が入るのだろう。今日の最初の写真からわかるように天井には風格のある円形の照明、そしてステージの背後はビヤジョッキを持つ人物の大きな浮彫があって、この店の贔屓客はそれらの撤去を惜しむだろう。さて、ビール好きが大勢集まる場所での演奏となれば、音楽に聴き耳を立てる人の割合はあまり望めないだろう。では有線かレコードのBGMで済むかと言えばそれでは趣がない。それでやはり生演奏が求められるが、なるべく客がよく知る曲がよい。あるいは聴き耳を立てるほどの名演だ。そのふたつの条件にかなうミュージシャンを今回主催の関西アコーディオン協会が選んだのだろう。全ユニットが同協会に所属しているかどうかは知らないが、筆者は今回載せる写真が示すように、8つのグループのうち5つをじっくり聴き、また後述するように最後にゲスト出演したハーモニカを吹く80歳の男性の演奏は特に印象深かった。
 今回の出演者はアコーディオン弾きを必ず含むが、フルートやギター、三線、ピアノ、コンサーティーナなど、別の楽器奏者も加わり、歌もあった。YMOの演奏の前に前述の司会が丸尾さんと小野寺さんについて少し説明した。丸尾さんの簡単な経歴はツイッターに書かれていて、そこに「JAAアコーディオンコンクール一般上級1位」とある。JAAは日本アコーディオン協会の意味と思うが、司会者によればこのコンクールは3年に一度開催され、2017年に丸尾さんが1位で小野寺さんが2位であったとのことだ。また彼女らは吉田さんの門下生で、90歳の吉田さんにその若い実力者2名が加わっての演奏は、このまま年月が過ぎるとその2名が関西のアコーディオン界を背負って行くことになるであろうし、アコーディオンという楽器の普遍性を感じさせる。ただし丸尾さんは長年の京都住まいから川崎に転居したので、関東におけるアコーディオンの組織で今後は活躍するかもしれない。吉田さんは当日3番目に出演したもうひとりの関西アコーディオン界を代表する杉村壽治さんと同じほどレパートリーは豊富であるはずだが、両者の得意とするジャンルの差は知らない。歌謡曲や洋楽のポップスだけでなく、当然ポルカやシャンソンも得意とし、また今回はビアホールでの演奏ということを念頭に選曲された気がする。それは客の飲食と談笑を促進させる役割を自認したもので、BGM的ということだ。それはおそらく吉田さんの考えが中心になったものではないか。丸尾さんは場所に応じて選曲し、ライヴハウスではシンガーソングライターとして自作曲を歌う。小野寺さんはバッハの曲が好みなのか、クラシック音楽をアコーディオンで編曲することを得意とするように思う。だが今回は彼女たちはそうした演奏を封印し、環境に合わせた曲を演奏した。そのことが筆者には物足りなかったが、彼女たちの真の実力ないし、演奏したい曲を聴くのであれば別の会場に足を運ぶ必要がある。言い変えれば彼女たちはそれほどレパートリーの幅が広い。今回演奏されたのは「一晩中踊り明かそう」「明日に架ける橋」「村の娘」「トリッチ・トラッチ・ポルカ」、そして何とかセレナーデという曲で、「明日に架ける橋」は名曲ながらやや違和感があるが、70年代ポップスからの選曲は客層の年齢を考えてのことか。5曲は司会の話を含めても20分ほどで、これは今回演奏したどのユニットにも課せられた時間の制限だろう。交代の際の準備を含めて1組20分として計9つのユニットとなると3時間で、そのくらいであったと思う。さて、YMOの演奏はビアホールを考慮しての優等生的と言えばいいだろう。そのことはコンクールでの上位入賞者という実力を背景にして、いわばそつがない。それを面白いと捉えるかとなれば、見世物的な演出には欠け、前述したようにBGM的に聞き流す人は少なくないだろう。
●『第7回ユニットコンサート』、アサヒスーパードライ梅田にて_b0419387_02130334.jpg ただし、飲食する客の話し声の騒音が混じりつつ、1曲終わるごとの拍手は大きく、YMOの演奏目当てに来ている人は多かったと思う。コンクールに出演して自分の技量を他人に評価してもらおうとするミュージシャンどのくらいの割合でいるのか知らないが、コンクールに上位入賞してもその後ぱっとしない人もあれば、ぐんぐん実力を増す場合もあって、コンクールの良否はいちがいに言えない。筆者は賞金目当てもあって友禅のコンクールに積極的に応募し、最高賞を何度かもらったことがあるが、その意味では先輩作家などの他人の目にかなう作品を目指して来た。友禅は特に技術が拙ければ話にならないので、ひたすら技術の革新と練磨を日夜考えて来たが、楽器の演奏でも技術がものを言うのではないか。難曲を易々と演奏出来ることはたやすい曲では即座に対応出来ると思うのだが、他者を感動させることとなれば話はやや変わって来る。その感動は音楽だけ聴く場合と、演奏者の姿や語りも交えて間近で聴く場合とではまた別で、後者の場合は見世物的な面白さがものを言う。YMOは3人とも真面目と言ってよく、演奏中の見栄えで客を楽しませる工夫は乏しい。それはそれでいいのだが、他に見栄えの美しさを強く意識したミュージシャンがいる場合、客はそっちの演奏を視覚性とともに記憶する。そういう例としてYMO以降に出演したユニットはどれもそれなりに存在感があって面白かった。丸尾さんの演奏を聴いた後では筆者は当初の目的を果たしたので、後は気軽に、さして注目せずに適当に聴く気になった。YMOの次、5番目に登場したのは461(しろい)モンブランだ。小柄な女性は山下カナさんでコンサーティーナを、向かって右手の長身の男性の森裕介さんはクロマティック・アコーディオンを持ち、ふたりともキモノ姿だ。最初の曲は題名を聴き忘れたが、短調で、アニメに使われたものかもしれない。冒頭の一種異様に熱の籠ったふたりの絡みからして筆者は圧倒された。2曲目は懐メロの「りんごの唄」で、筆者は前奏が終わってすぐ、コンサーティーナが短調の主旋律を奏で始めた時、一緒に歌い出す客がかなりいたためもあってさらに感じ入り、一瞬涙が目に浮かびそうになった。3曲目を演奏し始める前、コンサーティーナの女性が11月5日に豊中のとある場所での演奏会を告知するチラシを受付に置いているので、それをもらって帰ってほしいと言った。無料であるし、また裏は白なのでメモにでも使えるといった言葉で会場は湧いたが、その言葉はいかにも大阪人らしく、もっと言えば人慣れしたおばちゃんと風だが、体を時にくねらせながら演奏する彼女はあまり見かけないタイプの個性が露わであった。そして彼女のその語りを聞きながらすぐにでも出入口を出て右手にあるチケットが並べられていた机に駆けつけ、チラシを1枚確保したくなった。なくなっては困ると思ったからだ。
 幸いそのチラシは帰り際にまだあって、1枚もらうと同時に豊中に聴きに行くことを楽しみにした。461モンブランは語りの後でアイルランド辺りの踊りの曲を演奏し、これにも驚いた。筆者はジェスロ・タルを想起させるスコットランドやアイルランドの民謡が好きだからだ。最後は葉加瀬太郎のよく知られる「情熱大陸」であった。これも手慣れた演奏で、あっと言う間に疾駆して終わった。ふたりは客が喜ぶと同時に自分たちが演奏して楽しい曲をレパートリーにしているとを思わせた。YMOと違うのは若い男女のコンビらしい、時流にかなった選曲で、どういう曲をどのように演奏すれば客に喜ばれるかを熟知している計算性ないしサービス精神がある。さて、ふたりが演奏を始めた頃に筆者の右手前に関取のように太った若い男性が姿を現わした。上は白シャツ、黒のサスペンダーに黒いズボンで、しきりに汗を拭いていた。筆者「ああ、あの胴回りではベルトでは間に合わないだろうな」と思い、また彼のことをビアホールのスタッフと想像した。ところが今日の2枚目の上の写真が示す461モンブランの演奏が終わった後、彼は背後でギターを奏でる別の男性をしたがえてステージに上り、アコーディンを胸に歌い始めた。その様子が2枚目の下の写真だ。演奏の直前、彼は黒のシルクハットを被り、司会者は「よくお似合いです」と言った。ふたりはチームぞうさんセンセという名前のユニットで、アコーディオンはたけしぃー、ギターはハルと芸名がチラシに書かれる。たけしぃーさんはバリトンの声が見事で、それだけでも聴く価値がある。「オー・シャンゼリゼ」を日本語で歌い、2曲目はギターの伴奏がよく響き、日本のシンガーソングライターのラヴ・ソングだろう。歌声だけ聴いているととても巨漢であることを思わせない。声は練習ではどうにもならず、天性のものだ。3曲目は「オー・ソレ・ミオ」を原語で歌い、筆者の右手数メートルに立っていた眼鏡の女性は胸に抱えたアコーディオンを小さく奏でながら、同じくイタリア語でその曲を歌っていた。彼女はたぶん筆者が聴くことの出来なかった最初か二番目のユニットのメンバーだろう。「オー・ソレ・ミオ」では長く歌い伸ばした箇所があって、そこは彼の聴かせどころなのだろう。同じことは最後の「フニクリ・フニクラ」でも披露された。選曲もよく通る大きな歌声もビアホール向きで、たぶん彼はビール好きではないか。太り具合が気になるが、病気を抱えずに客を楽しませてほしいものだ。ギターはもっぱらじゃかじゃかと和音を奏で、素人でもコードが弾けると役割を果たせるのではないか。さて次に控えていたユニットは3枚目の上の写真で、沖縄紅型の黄色地のキモノを着た女性の西山朝子さんと眼鏡をかけた若い男性の森健太郎さんが組むCHANPRU-CHAMBREであった。この語呂合わせのユニット名はそのままふたりを形容している。
●『第7回ユニットコンサート』、アサヒスーパードライ梅田にて_b0419387_02131962.jpg 前半のチャンプルーは沖縄語で「ごた混ぜ」の意味で、料理名でよく知られる。長崎のちゃんぽんに通じ、またこれは朝鮮語や中国語に同様の発音があって意味も同じだ。後半のシャンブルはフランス語で「室内」を意味するが、アコーディオンは小さな部屋と見立てられる。つまり前半は西山さん、後半は森さんで、お互いの音楽の得意分野を示す。大阪の大正区は特には沖縄の人がたくさん住むが、西山さんは言葉の訛りからおそらく沖縄出身だろう。ところで、筆者は461モンブランのチラシとは別に11月18日に高槻で開催される森さんのコンサートのカラー刷りのチラシをもらって帰った。そこにアコーディオンとクラリネットを奏でることや、フランスでクラリネットを学んでパリでの国際音楽コンクールで1位を獲得したことが書かれる。「作曲・編曲も手掛け、在仏中に魅せられたアコーディオンも傍らに多くの音楽ユニットに参加」ともあって、そのユニットのひとつがCHANPRU-CHAMBREだ。西山さんが三線を弾きながら歌う沖縄民謡から始まったが、歌詞はCHANPRU-CHAMBREの言葉を歌い込んだ替え歌で、彼らのテーマソングとなっていた。西山さんは明瞭な語り口で、多くの場数を踏んでいることが推察される。2曲目は最初は沖縄独特の音階から始まり、途中で音響システムがハウリングを起こし、その途中部分から改めて演奏が初められた。それは沖縄の音階ではなく、アコーディオンの伴奏に三線の主旋律が載り、たとえばギターであればさして珍しくない西洋の音楽として聞こえるが、三線ではかなりぎこちなく響き、それが聴きどころになっている曲であった。その三線の奏でるメロディをたとえば461モンブランのコンサーティーナが弾けば、そのまま彼らの持ち味のある曲となるはずで、言い変えれば三線をフィーチャーしているところにこのユニットの面白さがある。ただし、そうした演奏はあまりに聴き慣れないために拒否感を抱く人もあるだろう。それはともかく、西山さんが沖縄のみを売りものにしていないことがわかり、繰り返すがCHANPRU-CHAMBREの名前そのままの工夫と独特さがある。3曲目は沖縄の何とか節という民謡で、西山さんは客に合いの手の掛け声を求める説明をし、歌いながら客が手で打つリズミカルな拍子を導いた。次の曲も同様で、沖縄の踊りの手振りの説明をし、その仕草での参加を求めながら彼女は歌った。こうした沖縄民謡は酒を提供し、また大勢の客が集まる場所にいかにもふさわしい。彼女は沖縄県人が経営する酒場でよく演奏しながら、そことは別の場所で別の可能性を探る意味でこのユニットを組んだのだろう。4曲のみでは三線と彼女の唄が主役でアコーディオンは影が薄いが、紅型のキモノの着用では沖縄優先であって、それは仕方のないところか。彼女も別のミュージシャンと別のユニットを組んでいるかもしれない。
 最後は3枚目の下の写真のすずきのぶこ&Francoの登場で、すずきのぶこさんはアコーディオン、フランコさんはパーカッションを担当した。まずふたりは「A列車で行こう」を演奏した後、すずきさんはメキシコから来日して3年経つ娘婿のフランコさんを紹介した。そしてギタリストの別の娘婿である日本人男性をステージに上げ、「キサス・キサス・キサス」をその題名の意味を紹介した後に演奏し、また歌詞をスペイン語で歌いもした。こうした名曲は誰が演奏してもある程度の情感が籠るが、メキシコ人が混じるとまた格別だ。次の曲は、冒頭部でピアノが「上を向いて歩こう」を奏で、引き続き「見上げてごらん、夜の星を」がすずきさんのアコーディオンの主旋律が導く中、客たちが一緒に歌った。このような形で昭和の名曲が歌声喫茶で歌われていたのだろう。筆者の母世代ならばそういう場所を知っていたが、筆者は知らず、また気恥ずかしさが先に立ってなかなか一緒に歌う気になれない。ところが近年は筆者の口から50年代から60年代初期の歌謡曲がしばしば漏れ、家内は筆者がそうした古い曲を知っていることに驚く。それらは当時好き嫌いを考えるまでもなくラジオを中心として耳に入って来ていた。筆者は忘れようとしても忘れられないでいる。10歳までの音楽体験は大きい。さて以上でチラシに印刷されるすべての出演者の演奏が終わったが、前述したように高齢のハーモニカ奏者が登場した。4枚目の上の写真が彼の演奏中の様子だ。中央の写真は彼が輪になった行列の先頭に立って会場内を巡る様子を捉えた。この行列の輪は彼の演奏が終わった後、ステージに吉田親家さんが「ビア樽ポルカ」を演奏し続ける中、司会者の勧めによって始まった。ついでに4枚目の下に載せる画像は、461モンブランの山下さんがスマホで自撮りした短い映像ツイッターに載せたものの一場面で、筆者の後ろ姿が小さく写っている。筆者のすぐ右際をその行列が4、5周した後に筆者は店内を後にした。ついでに書くとそれより数分前に金森さんが筆者に声をかけて先に出て行った。これもついでながら筆者がホールに入って5分ほどした頃、金森さんは筆者の姿を見つけて話しかけて来た。金森さんから後で送られて来たメールによれば、みんなで輪になって練り歩くことは好まないとあった。「見上げてごらん…」の客の合唱と同じような一心同体の心持ちが好きではないというのはわかる。照れと言うよりも、見知らぬ人ばかりでは何となく安易な協調性に感じるからだろう。学生時代に酔った勢いで「同期の桜」を合唱することも同じ気分で、合唱の協調性には何となく危険な雰囲気が潜みがちだ。そこまで理由をつけずに単純に考えて、美しいメロディを素直に口ずさんでそれが合唱に広がってもいいはずで、曲によっては筆者は一緒に歌うことを拒否しない。
●『第7回ユニットコンサート』、アサヒスーパードライ梅田にて_b0419387_02133247.jpg 輪の行列が間近にやって来た時、ある女性が筆者に参加を促し、笑顔で両手を差し出したが、どう対処していいのか戸惑った。何度目かの輪の先頭が来た時、ワイングラスを持った山下カナさんと一瞬目が合った。前述の山下さん自撮りの映像はその時に撮影中であったはずだ。筆者の間近にいた20代の女性はしきりに筆者の目立つ格好が気になるらしかった。話を戻す。ハーモニカ奏者は黒シャツに赤のネクタイ、赤い革のハンチング帽といういでたちで、演奏前に帽子はイヴ・モンタンを意識して誰かに作ってもらったと話した。「枯葉」とピアノ伴奏つきで「ハーレム・ノクターン」を演奏し、また演奏と同じほど話す時間が長く、その話はとても興味深かった。司会者が紹介する彼の名前を聞き逃したが、長年ハーモニカを吹いて来たことがわかった。彼は戦争後に上町台地で負傷軍人がアコーディオンを奏でている姿を見たそうで、その頃にアコーディンを演奏したいと思ったが、高価で重い楽器のため、ハーモニカを選んだ。そして吉田さんが自分より一回り上の年齢であるのに元気で演奏されていることに敬意を評した。その言葉から彼が78歳であることがわかる。若い頃から親しんだ楽器を手放さないでいれば、高齢になっても元気で人前で演奏出来る。画家も文学者もおよそ長命で、好きな表現を続けていれば心の老いは遅らせられるだろう。90で現役の吉田さんを思えば筆者はまだ20年ほどは元気でいられるように感じる。しかし、それは平和があってのことだ。「ハーレム・ノクターン」の演奏前に、サキソフォン奏者のサム・テイラーの代表曲であることや、サムが黒人差別のひどかった時代に生きたことを紹介し、差別がなく、平和であることの尊さが話された。そのとおりで、ビアホールで老いも若きもビールを飲みながらアコーディオンや歌を楽しめることはかけがえのないことだ。行列の輪が始まる前、丸尾さんが姿を現わし、アコーディオン入りの四角くて黒いランドセル状の包みを背負って慌ただしく会場を後にする後ろ姿が見えた。そして金森さんはまた姿を現わし、筆者に接近しながら、丸尾さんに筆者が来ていることを告げ、彼女を振り向かせた。彼女は1、2秒筆者を見た後、「風邪を引いています」と言って出て行った。YMOがマスク姿で演奏したのはそのためで、丸尾さんは疲れていたとともにインフルエンザを他人に感染させてはならないと考えたのだろう。丸尾さんとはじっくり話をしたことがない。その機会を望みたいが、黙って演奏会に訪れ、黙って帰るのがいいとも思う。そう言えば筆者の眼前で1歳未満の女児が母に抱かれ、その顔の写真を撮ったが載せないでおく。彼女は演奏中に声を上げ、2,3歳上の兄は走り回っていた。そもそもビアホールはみんな勝手に喋ってうるさい。それは世間と同じだ。そういう自然と言うべき中で音楽が演奏される。芸術はみなそうだろう。
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# by uuuzen | 2023-11-03 23:59 | ●その他の映画など
●『吉田親家 アコーディオン門下生による4かいめの発表演奏会』、「ムジークシューレ大阪」にて
む裾 見窄らしいと ベルボトム ラッパ吹きなら 大ぼらも吹け」、「ぼられても 学びと思う 世の旨さ 出世魚の ボラを見習い」、「見て習い 聴いて習うや 奏で方 楽器鳴らして 気楽別格」、「極楽の 気分窄んで 小雨降り 当て外れても 地獄よりまし」
●『吉田親家 アコーディオン門下生による4かいめの発表演奏会』、「ムジークシューレ大阪」にて_b0419387_01425217.jpg
先月10日、大阪本町のビルの一室で開催されたアコーディオンの演奏会について書く。今年の猛暑は例年にない厳しさで、日が暮れてからスーパーに行く以外は何もする気になれなかったが、先月10日の正午頃にツイッターを見ると、丸尾知子さんが当日午後2時から大阪で演奏することを知った。丸尾さんは演奏間際に告知することがままある。筆者は通常ならば演奏2時間前にそのことを知れば出かけないが、その日は即座で行くことにした。そして記されている会場の地図を簡単に紙に鉛筆で記し、慌てて1分ほどで着替えて家を飛び出した。電車に乗ればわが家から梅田まで1時間弱であるから、2時間あれば充分会場に着く。ただし筆者は必ず道に迷う。その日も丸尾さんのツイッターでの告知にしたがってメトロの谷町4丁目の3番出口から出ると小雨が降っていて、何を勘違いしたのか、本町通りではなく、一本南の中央大通りを西に向かった。道行く男女3人に次々と訊ねて本町駅まで行ったが、目指すグリーン・ビルの看板がなく、結局3番出口に逆戻りした。そこで「ああ、本町通りか」と思い出し、その道の南側を西に向かった。時計を持たないが、まあ30分くらいは道をさまよった。小雨は降り続いているが、筆者の体温で雨水は乾き、代わりに汗まみれでたぶん湯気が立っていたはずだ。予想どおり緑色地のグリーン・ビルの看板が見え、小さなエレベーターで5階に上がった。扉が開いた時、筆者の真正面50センチに丸尾さんの後ろ向きに立ち、人の気配を感じた彼女は振り向き、そして「お洒落!」と言った。紺色の水玉のセットアップで、普通の高齢男性ではまあ絶対に着ない目立つ服だ。部屋に入ってすぐ、筆者は左手に向かい、当日のプログラムを受け取り、折りたたみ椅子が並ぶ最後尾に近いとろに座った。すると丸尾さんがやって来て筆者の右隣りの椅子に腰を落とした。当日は前後に40分の演奏があり、中間に10分の休憩があった。前半の演奏中で休憩時間の間、丸尾さんは筆者の真横にいたが、筆者が座ってほとんどすぐに演奏会は始まり、演奏中は小声でも話しにくいから、丸尾さんとはほとんど話さなかった。そして休憩時間がやって来た時、丸尾さんの前に座っていた京都在住のアコーディオン弾きだろうか、年配の男性が立ち上がって振り返った。丸尾さんに久しぶりに会ったらしく、ウクライナ語のことなどを大きな声で話し続け、丸尾さんは戸惑いながら相槌を打ち、その男性の話を休憩時間中、聞く羽目になった。男性の話で筆者が特に気になったことについては後述する。休憩が終わってすぐに出番の準備のために丸尾さんは姿を消した。
 プログラムをもらった時、今年11月11日に去年と同じく寝屋川の市民会館で開催される京阪アコーディオンの演奏会の告知チラシが挟まれていた。椅子に座ってそれを知った筆者は隣りの丸尾さんに「またやるのですね」と言うと、彼女は無言でうなずいた。それはさておき、演奏が終わった後、片付けや会合があって丸尾さんは筆者の相手が出来ない。それで筆者はエレベーターに乗る直前、部屋の最後尾に立っていた米谷麻美さんに話しかけた。今回彼女に演奏の出番はなかったが、手伝いに駆けつけたのだろう。彼女は去年の京阪アコーディオンの演奏会で司会と演奏を務め、彼女の姿の写真を当時のブログに載せたが、当然彼女は筆者を知らない。筆者は自己紹介のつもりで去年の演奏会についてブログに書いたことをさりげなく話したが、彼女はそれを読んでいないだろうし、読んだとしても印象に残っていないはずで、彼女は明らかに訝りながら派手な色柄の衣服の筆者を見据え、話は弾みようがなかった。エレベーターで下に行ったところ、雨は上がったばかりのようで、地面は濡れてアスファルトから熱気が上っていた。そして本町通りを東に行って地下鉄に乗ればいいのに、いつものようにすぐに「オレオレ歩き」をすることに決め、何度か道に迷いながら天神橋筋商店街に着いた。地図上に歩いたルートを記すと見事な「折れ折れ」、すなわち四辻ごとに同じ方角に必ず曲がっていて、初めて歩いた道も含み、途中いくつもの意外な発見は面白かった。筆者は苦労をいつもそのように解釈する。ただの徒労と思うと癪であって、何事にも面白みはあると思えばよい。ただし、そういう筆者と一緒に歩かされることは家内でも嫌がるから、ひとり歩きの際のひとつの趣味だ。人生はひとり歩きそのものと言ってよいが、筆者はごく稀にしても気の合う人、女性であればなおさらいいが、そうした人と一緒に歩くことを好む。肩を並べて一緒に歩くことはごくわずかにしろ、人生を一緒に歩んだことになる。その意味で言えば、今回の演奏会で筆者が椅子に座った直後、丸尾さんが隣りに着いたことは、ごくわずかでも筆者と一緒に歩いたことと同然と言ってもいい。当日は出かける際にあまりに慌てたこともあって、カメラを持参し忘れた。それで演奏会場の写真が今回はないし、前述した意外な発見を撮影出来ず、いつか同じ道を歩くために地図上に歩いたルートを記した。ただしその地図の画像は今回は載せない。また演奏会場となった部屋は縦長で、その北側すなわち本町通り沿いの窓際で演奏され、演奏者も含めて40人ほどがいたように思う。誰でも入れる発表会とはいえ、アコーディオン奏者相互の腕の見せ合いの場と言ってよく、多くの一般客が見込めるほどではないことを経験上わかっているのだろう。SNS時代とはいえ、どのような催しも大勢の客が見込めるのではないことは昔と変わらない。
 筆者はアコーディオンの門外漢だが、小学生で馴染んだ学校の教室に置かれたオルガンに似た響きから、懐かしくて柔らかい音色にノスタルジーを感じる。同じ鍵盤楽器ながら、音色が硬質なピアノとは違い、雅で繊細なチェンバロとも違って、親しみ、和みという第一印象を抱く。それは誰しもではないか。その本質によってアコーディオンの音楽は独自の位置を占めている。中学生になってビートルズに心酔した筆者だが、20歳になるまでに時代はエレキ・ギターの強烈な音を伴なうロック音楽全盛期となり、その後さまざまな音楽を聴き続けて来た耳からすれば、アコーディオンの音色は斬新に響き、それが目下のところに丸尾さんらのアコーディオン弾きに対する関心になっている。そしてたとえば今回の演奏会によって改めてアコーディオンがロックの流行とは無関係に愛好家によって演奏されて来たことを知り、いわば現在のアコーディオン界の一見本に接する思いがした。それは端的に言えば今回の演奏会の題名にあるように、吉田親家さんからその門下生につながるアコーディオン史の広がりと多様性だ。さらに手短に言えば今回プログラムに「友情出演」と記される小野寺彩香さんと丸尾さんのふたりの女性の演奏にひとつの大きな進歩がある気がする。とはいえ門外漢の筆者は小野寺さんや丸尾さんの方向性をさらに追及しているアコーディオン奏者がいるのかいないのかは知らない。アコーディオンが小学校の教室に据えおかれたオルガンを個人が持ち運びやすいものに改良したものとすれば、オルガンが演奏出来る曲よりも演奏可能な曲は少ないのだろうか。それはアコーディオンの種類すなわち鍵盤数の多寡に応じる問題でもあるし、また演奏者の技量にも負うはずで、同じリード(reed)の音色であってもアコーディオンならではの特性、美点があるだろう。アコーディオン弾きはそのことに着目もするので、その楽器を選ぶと思う。持ち運び出来て胸の前に掲げて演奏可能であることは、野外向きだ。またマイクを通せば街角と言わず、大観衆を前にしての演奏も出来、実際そのようにアコーディオンを採用するミュージシャンはいるが、その原点はたとえばビアホールなど、人が集まる場所でのムード作りに最適であるからだ。電気を必要とせず、ひとりで和音を伴なって主旋律を奏でられる携帯楽器となればアコーディオンしかないと言ってよく、ギターよりも大きな音が出る。それにハーモニカと違って両手だけを使うので、演奏しながら歌うことが出来る。この利点によってアコーディオンは不滅と言ってよいが、アコーディオンが誕生した歴史からして、アコーディオン独自の曲目は限られているだろう。それでアコーディオンでは演奏されなかった曲をアコーディオン向きに編曲したり、また2台以上のアコーディオン用に編曲したりして、アコーディオンの可能性を広げている。
 ポルカやシャンソン以外にアコーディオン用に専門に作曲して来た人がどれほどいるのか知らないが、それはアコーディオンの構造的特質や独特な奏法に対して深い知識を持つことが求められるはずだ。そのこともアコーディオン独自の名曲が誕生しにくい理由に思える。つまり、アコーディオンの名曲があるとすれば、アコーディオン奏者であることが求められる気がする。こう書きながら筆者が思い浮かべているのはヴィラ・ロボスだ。彼は管弦楽曲を書く一方、ギターのための曲もたくさん書いた。そのことでギターの地位が大いに高まったと言ってよい。ヴィラ・ロボスのような大家がアコーディオンのために大いに作品を書けばと思うが、20世紀半ば以降のクラッシク音楽畑では大作曲家が生まれにくくなっている気がする。そこで思うのはアルゼンチンのアストル・ピアソラだ。彼が奏でるバンドネオンはアコーディオンの仲間で、ピアソラはバンドネオンの地位を高めるために活動したと言ってよい。以前書いたことがあるが、そのことは彼の作品にそのまま言い表されている。つまり、酒場などで演奏される旧来のタンゴに終始せず、コンサート会場で演奏される曲を書くことを目指し、その夢は実現したと言ってよい。その音楽のヒエラルキーに対するピアソラの考えにかつて中村とうようが反対したのは、クラシック音楽嫌いからして当然としても、音楽にヒエラルキーがあることは当然でもある。大作曲家と言われる真の天才がクラッシク音楽を作り上げて来たからだ。そのヒエラルキーの頂上にあるクラシック音楽が王侯貴族のためのものであって、民主主義時代の人間がそれを否定する考えはわからないでもないが、場末で生まれたタンゴが未来も同じように同じ場で愛好されるとして、そこから飛び出してじっくりと鑑賞するに値する音楽を目指す作曲家が出て来ることは誰にも否定出来ない。中村とうようがピアソラのそうした態度を否定したところで、結果的にピアソラの曲は有名になり、おそらくコンサート会場でしばしば演奏されている。バンドネオンがポルカやシャンソンのように大衆の音楽のための楽器としても、ヨハン・シュトラウスがポルカの名曲を書いたことからして、ピアソラが望んだことは全くおかしなことではあり得ない。流行音楽が消耗される娯楽であって、古典音楽が価値普遍の芸術であると峻別は出来ないが、娯楽は多くの人に供するもので、単純明快なものに人気が集まる。芸術にそうしたものはもちろんあるが、作者のファッションの見栄えや言動など、時代に応じた附属的なものが削ぎ落された時に作品の真相が明らかになり、またそうした風雪に耐え得る作品や作家は没後百年以上経なければ、古典となる風格が多くの人には見えて来ないだろう。またそれは本人がいかに作品に高貴さを望んでもそのことが作品から伝わるとは限らず、その逆も言えると思う。
 ややこしいことを書いたが、次のエピソードを思い出す。以前にブログに書いたことだ。フランスのどこかのレストランかバーで高齢の無名のピアニストが働いていて、ある時彼はショパンのバラード第1番を弾いた。それはよろよろで間違いだらけであった。そのピアニストはかつてクラシック音楽を学んだのだろう。ところが一流の演奏家になれないまま、齢を重ね、糊口を凌ぐために演奏している。たいていの客はそのバラード第1番の下手さ加減はすぐにわかるし、またいたたまれない気持ちになるだろうが、その高齢のピアニストに一抹の高貴さも感じるだろう。そうした店であれば誰もが知るシャンソンの名曲を弾いていれば客は喜ぶし、また演奏家も技術のなさを曝すことにはならない。ところがショパンの名曲を弾く。それはショパンの音楽を知らない人にはあるいは素敵な曲と思うかもしれないが、ショパン好きは我慢ならないだろう。その演奏がよれよれであることは一流になれなかった者の悲哀を示すが、客からすれば人生を垣間見る得難い瞬間で、立派なコンサート会場で聴く一流のピアニストの演奏ほどに感じ入ることもあるだろう。それで筆者は誰かが書いたそのエピソードを覚えている。それはともかく、ショパンのバラード第1番は手軽な流行歌よりも高みに存在していることは確かと言ってよい。難曲でしかも多くの人を長年にわたって楽しませて来た名曲はクラシック音楽に存在する。ただし中村とうようの思いに沿えば、西洋のそうしたクラッシク音楽の伝統は西洋では当然でも日本を含めて他の国ではそのまま受け入れられるものかという疑問は湧く。そこで西洋でもバッハの時代からドイツ以外の地域からその地方独自の音楽要素を摂取することが行なわれ、20世紀になるとドイツやフランスからすれば辺境の国からその国独自の音楽が取り入れられることが加速化し、クラッシク音楽はさらに豊かになった。その延長上にヴィラ・ロボスやまたピアソラがいる。世界的に認められなくてもある国の限られた地域や場所で人気を博す音楽は無数にあるし、そういう世界での作曲家や演奏家の巨匠の価値は世界的に天才と認められている音楽家よりもヒエラルキーが下であるとは断定出来ず、それは個人が決めてよいことと言えるとの意見は、遠い国の会ったこともない巨匠よりも身近に演奏が楽しめて会話も弾むミュージシャンのほうがはるかに自分には価値があると主張する考えを導くが、それはそれとして天才と身近な魅力ある才能は別のものであるという意識は芸術好きであれば誰もが持っているし、またそうでなければならない。つまり、やはり音楽や才能にはヒエラルキーがあるということだが、最高位のヒエラルキーに属する才能や作品を好まない人はいる。ともかく、筆者は典雅な作品があれば卑俗なそれもあり、それを知ったうえでそれぞれを楽しむべきと言いたいのだ。
●『吉田親家 アコーディオン門下生による4かいめの発表演奏会』、「ムジークシューレ大阪」にて_b0419387_01431154.jpg 今回の演奏会のプログラム裏面に出演者名簿があって、茨木の吉田教室、金剛アコーディオン教室、ペンシエーロ、ムジークシューレ大阪、松原アコーディオンクラブ、神戸市東灘区文化センター教室の以上6か所から9名、そして友情出演の2名と吉田親家先生という顔ぶれで、題名のとおり、6か所の教室はみな吉田さんの門下生が切り盛りし、友情出演の2名も吉田さんに一時期でも学んだとみなしてよい。吉田さんは確か東灘の生まれか育ちであったと聞いたが、今回演奏した6か所の教室からの出演者はみなそれぞれ教室の代表者ではないだろうか。一番の若手は友情出演の小野寺彩香さんと丸尾さんで、他は全員60代以上と思う。また、鳥飼千嘉子さんはムジークシューレ大阪に所属し、今回の会場はアコーディオン教室として使われていることがわかる。となればなおさら広く一般客に聴かせるというより、吉田先生門下の近況報告会の趣が強い。また出演者の演奏曲はおそらくどれも吉田さんに学んだか推薦されたものである気がするが、とすれば今回の演奏曲目全体が吉田さんの視野に入っていて、端的に言えば吉田さんのレパートリーの豊富さを示しているだろう。というのは演奏会の最後に司会者が吉田さんのCDがネット・オークションで2万円で売られているが、今回は2500円であったか、数枚を持参しているので購入を勧めていた。筆者は買わなかったが、早速ヤフオクを見るとそのCDが2万円で売られていて、18曲が収録される。バッハやショパン、グリーク、サラサーテ、アルベニス、シューマンの名曲からロシア民謡が含まれ、日本の歌謡曲はないが、流行歌よりも古典となった曲を選ぶところに前述した音楽のヒエラルキーに対する吉田さんの思いが垣間見える気がする。あるいは歌謡曲のカヴァー演奏をCDに収録するには著作権料の支払いの問題があるからかもしれない。また西洋音楽の古典曲であればアコーディオン用に編曲することの腕試しの点が大きいからだろう。それに初心者から熟練者用に幾通りかに編曲可能なはずで、そういう技術も吉田さんは伝授しているのではないだろうか。さて、司会の木谷千加子さんについてネットで調べると「元府障教」とあって、大阪府下の障害児の学校で教えられていたことがわかる。また茨木の吉田教室の青木実さんだったと思うが、若い頃に京都の円山公園でアコーディオン云々と話され、これは安保反対の学生運動でアコーディオンが奏でられたことを指すはずで、昭和30年代の若者にアコーディオンが果たしたひとつの役割があった。そこから何となく吉田門下が共産党の思想に近い人たちの集まりかという想像に及ぶが、その言葉がまずければ平和や差別撤廃の活動により積極的な思いを持った人々と言ってよい。
 演奏会の前半はみな高齢者で、40年近いアコーディオン歴を持つ金剛アコーディオン教室の高橋美智子さんというベテランによる「DOMINO」や松原アコーディオンクラブの中川徹さんが弾き歌いする五輪真弓の「恋人よ」など、曲名は知らなくてもどこかで聴いたことのある名曲ばかりが8曲演奏された。司会の木谷さんは腰を痛めたかで体内にボルトを入れられ、医者から演奏を止められたが、10分ならいいと言われて今回二重奏で「カレルフィンスカヤ・ポルカ」を披露した。2,3人の演奏にはところどころ演奏のミスがあったが、発表会であるので緊張されたことと、高齢であるためと思えばよく、先のショパンのバラード第1番を弾く高齢のピアニストと同じように、それはそれの味わいがある。後半は最初に鳥飼さんと吉田さんの二重奏による「パリのお嬢さん」と「レッツ・ダンス・ポルカ」で、前者は誰もが聴いたことのある曲で、3拍子で主題が短調のシャンソン、後者はこれぞポルカという明るく弾むような曲。次に30数年のキャリアがある松原アコーディオンクラブの結城和子さんの出番で、バッハの「主よ人の望みの喜び」とフランスのアコーディオン奏者アンドレ・ヴェルシュレンの「スタイル・ミュゼット」を弾いた。後者のシャンソンの哀愁味は次の増谷さんの「インディファレンス」(つれなさ)に継がれた。もっと速いワルツで、筆者は映画『夜の訪問者』の主題曲を思い出した。フランス映画なのでそれは当然かもしれない。増谷さんの次の「小鳥のさえずり」でも演奏ミスは目立ったが、難曲であるためかもしれない。さて、最後は友情出演の小野寺さんがバッハの『管弦楽組曲第2番』からロンド、ポロネーズ、バディソヌの3曲を続けて演奏した。去年秋の寝屋川での京阪アコーディングクラブのコンサートでも彼女は同じ曲を弾いた。筆者は20代半ばでバッハのこの曲が大好きになり、LPを買った。今それを引っ張り出して聴いたが、全7曲のうち、今回演奏された3曲は最も印象に残りやすい。元は管弦楽曲で、それをアコーディオン一台のみで演奏するには編曲の妙もさることながら、やはり技術的にはとても高度に違いない。ピアノによる編曲があるのかどうか知らないが、ピアノよりも難易度は高いはずで、またこの曲はピアノよりもアコーディオンで奏でるほうが味わい深いと想像する。3曲のうち2曲目のポロネーズの中間部では片手が主題を終始奏で、もう片方の手が原曲で目立つフルートの音色を模したように別の旋律を奏でるが、その対位法によるふたつのメロディの混合は最も聴かせどころとして彼女が練習を繰り返したはずで、原曲の持ち味がより露わになっていると言ってよい。元が管弦楽曲であるから、その雅な音楽を聴けばアコーディオン一台による編曲演奏など取るに足らないと思うかもしれないが、原曲の真髄がより把握しやすくなるとも言える。
 次に丸尾さんが登場し、聴き手は気を落ち着かせる暇もなく、ハチャトゥリアンの『少年時代の響き』から「トッカータ」が演奏された。調べるとハチャトゥリアンは1947年の44歳でピアノ曲集『こどものためのアルバム』の第1集、65年に同第2集を発表しており、『少年時代の響き』はその第2集に相当する。ハチャトゥリアンと言えば「剣の舞い」で、筆者の世代は小学校の音楽の授業でその曲を聴き、たちまちそのメロディを覚えたが、それは当時日本のラジオでおそらく頻繁に流されていたからでもある。それほどに5,60年代の日本ではハチャトゥリアンの人気があった。また当時はソ連の作曲家として紹介されたが、明らかにロシアとは違う民族音楽的な旋律で、彼はアルメニア人だ。アルメニアと言えば筆者はホヴァネスをただちに連想し、また彼が戦前にインド音楽に魅せられた結果、戦後アメリカの西海岸にラヴィ・シャンカールの音楽が流行し、それがロックに流れ込んだことを思うが、ハチャトゥリアンは雄大なホヴァネスの音楽と違って、もっとロック的な過激さに満ち、それゆえ演奏困難な曲が多いと想像するが、それは丸尾さんが演奏した「トッカータ」からも明らかであった。2分ほどの短い曲だが、「剣の舞い」と同じ作曲家の作品であることは誰しも一聴して納得する。ピアノ曲をアコーディンで演奏することの困難さのうえに、元来の難曲さを加え、演奏を聴きながら筆者は椅子から跳び上がりそうになった。今回のコンサートでは図抜けて異色で、また技術の粋を示したと言ってよい。また小野寺さんのバッハから始まっていきなり20世紀のしかも65年のビートルズ時代のハチャトゥリアンの曲であるから、友情出演の2名は吉田さんの撒いた種を拡張して開花させている。丸尾さんが次に弾いたのは映画『イル・ポスティーノ』の主題曲だ。筆者は何年か前にこの映画の感想を書いた。映画はチリの有名な詩人ネルーダの隠喩の言葉が、イタリアの田舎のいわば無教養な男性の愛を結実させるきっかけになることを描き、丸尾さんがこの映画の主題曲を自身で編曲して演奏することは、彼女がシンガーソングライターとして書く歌詞における立場を説明するだろう。以前書いたことを調べるのが面倒なので簡単に書くが、彼女の自作曲に宇宙探査ロケットが役目を終えた最後は惑星に衝突させられることを歌うものがある。そのロケットは人間各人で、誰もが役割を持ちながらやがてそれを終えて死ぬ。逆に言えば用済みにならない限り、生きる。その最適な例が吉田さんということだ。丸尾さんの演奏の後に「講師演奏」として吉田さんが二曲披露した。最初は有名な「チリビリビン」で、次の曲はシャンソンと思うが、題名は知らない。前述したCDには「チリビリビン」が収録されるので、後者もそのCDに入っているかもしれない。
 さて、先に書いた休憩時間中の男性が丸尾さんに言ったことについて。これは別の機会に譲るつもりもあるが、勢いで書くことにする。その男性は丸尾さんが学校の教師であることをやや非難気味に言った。どういう表現であったか、正しく覚えていないが、つまりは生活が安泰しているとの一種の嫌味だ。芸術を目指す者が収入の安定を図って教師になることはよくある。芸大を出ればたいていは美術や音楽の教師に職を探す。それが無理な場合はアルバイトしながら作品を作るか、あるいは創作を断念して企業に就職する。筆者は芸大卒ではなく、また企業を辞めて不安定かつ最低クラスの収入で生活して来ている。芸術家になるにはアカデミックな教育を経なければならないと、たとえば芸大の先生たちは言う。筆者はそういう教育を受けておらず、したがってどれほど技術巧みな、また芸術性豊かな作品を作っても、まず評価の俎上に載る権利がない。それは雅の領域には入れず、鄙に留まるということだ。そこに先に書いた音楽におけるヒエラルキーの話を持ち出してもよい。つまり筆者はどうあがいても作品は雅とはならず、田舎じみた、つまり無教養さが丸だしの鄙びたものとみなされる。アコーディオンは音楽のヒエラルキーで言えば雅には属さないだろう。それは市井で歓迎される楽器であり、鄙びた音色に美点があると言える。ではアコーディオンでバッハなどのクラシック音楽を演奏することは、芸大卒の正統派を目指す者から見ればどのように意義あることと映るのかそうでないのか。アコーディオンによるバッハ曲はいわば鄙による雅だ。それは教師として生活をそれなりに安定させて獲得可能な編曲であるとは言えない。つまり教師であろうがアルバイトの低賃金で暮らそうが、何を目指すかが大事だ。そして安定した収入があれば芸術行為にとってはよくないという見方はどれほど正しいのか。大方のミュージシャンは費やす時間からすれば音楽をやる以上の何倍もの時間を収入のための別の仕事に費やす。となれば音楽行為は趣味と言ってよいし、実際そう呼んでよいミュージシャンがおそらく9割以上を占める。それはその他の芸術でも同じだ。しかし収入がなくては生活が成り立たない。好きな芸術行為を続けるためにはなるべく収入が多く、しかもそれが持続的に安定したほうがよい。丸尾さんが教師を辞めて音楽活動に専念するとなれば、生活難から音楽行為どころではなくなる可能性はある。あるいは稀な幸運があれば、夭逝はするが、立派な作品を花火のように遺すかもしれない。ただしそれは過酷な生活を伴なうはずだ。筆者は女性には心身ともに労苦少なく表現行為をしてほしい。偏見かもしれないが、女性の心身を病んでの表現行為は本人が思っているほどに芸術性は豊かではあり得ない。女性の貧困は痛々しい。それを跳ね返す強さを持ち合わせる女性はいるが、強がりと本当の優しさは同居しにくい。
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# by uuuzen | 2023-10-15 23:59 | ●その他の映画など

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