人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●過去の未投稿日に投稿する場合があります。最新の投稿は右欄の最上部「最新投稿を表示する」か、ここをクリックしてください。

●ムーンゴッタ・2026年3月
心と 思う行為を 謗られて 気づく見方の 狭さや広さ」、「貧富の差 あって当然 どの国も 食えぬ貧しさ 放置も法治」、「核のない ふやけた国の ゆるキャラは かわいさのみで 生きると決めて」、「茶坊主に なるしかなきを 自嘲しつ 身のほどを知り 無事が何より」
●ムーンゴッタ・2026年3月_d0053294_00373300.jpg 今日の最初の写真は一昨日の夕方6時に嵯峨の丸太町通りにあるスーパーを出た時に撮った。もう1時間ほど早い頃に家内は空を見上げて月が昇っていることを指摘した。筆者はそれより先に気づいていたが、そのことは言わなかった。満月に2,3日早い月のはずで、帰宅して調べると今月は3日であることがわかった。しかし今日は雨で、それが夜10時前まで続いた。今夜は「風風の湯」に傘を差して出かけ、帰りはほとんど止んでいたが、曇り空のため、粘っても満月は見えないだろうと半ば諦めていた。11時頃に風が強くなり、また雨かと思っていると雨音は聞こえない。日付が変わる頃に窓の外を見ると風が雲を掃き切ったのか、真上の空に2枚目の写真のように満月が光っていて、雲はほとんどなくなっていた。ところで、先日ルイジ・セラフィーニがらみで知りたいことがあったので『日本の古本屋』でイタロ・カルヴィーノの本を買った。すぐに届いてすぐに半分ほど読み、いろいろと面白いことが書かれていて他の著作も買うつもりでいるが、今日の投稿に関連したこととして、第1章の『時の形―日本―』に稲垣足穂の詩「月を追いかける月」の引用がある。その詩は確か1973年に買った足穂の本に載っていた気がしながら、その本がどこに置いてあるのか記憶にない。カルヴィーノは76年秋に京都を訪れ、仙洞御所や桂離宮、銀閣寺その他の禅寺などを訪れた。そしてロラン・バルトの『表徴の帝国』に比するような日本文化の本質を読み取って『時の形―日本―』を書いたが、足穂の詩も読んでいることにロジェ・カイヨワに通ずる勉強熱心な態度が見え、読書量が途方もないことを想像させる。先の足穂の詩は「ポケットの中の月」と題する9行のもので、その短さが効果的で、足穂らしい満月の夜の静かな懐かしさが溢れている。カルヴィーノは雨天の昼間に銀閣寺を訪れてその有名な枯山水の庭を目の当たりにし、「雨に濡れたその白い砂は中に蓄えた月光を放射しているように思えた」と書き、そこから満月、そして足穂の詩を連想した。筆者は足穂の文章では、京都の市電が夜間走る際、そのパンタグラフが時々架線との間で青緑色の閃光を発する様子に着目したものをよく覚えている。足穂が見たのと同じその光景は昭和30年代までに生まれた人に限るだろう。市電の走らなくなった京都ではそういう未来派風の詩人が好みそうな光景に遭遇出来ず、ネオンもめっきり少なくなり、今は鮮明ではあるが味気ないLEDの光が信号やTV、スマホなどに氾濫して満月も存在感を失ったかのようだ。それで毎月満月をわずかでも確認したくなる。
●ムーンゴッタ・2026年3月_d0053294_00380392.jpg


# by uuuzen | 2026-03-03 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●神社の造形―板塀のマイ・イナリから豊国神社
べっさん 今年は無理で テレビ見て ゑびす顔捺す 和菓子に興味」、「来年は 夫婦で行くよ ゑべっさん 馴染みの人の 出店はなくも」、「古稀過ぎて 突然の死も あり得ると 知りて続ける いつもの暮らし」、「交番の 名前に残る 大仏は 火の用心の 布袋に負けて」
●神社の造形―板塀のマイ・イナリから豊国神社_d0053294_23242140.jpg 昨夜眠っている時に鼻水が頬に垂れた。丸めたティッシュを両方の鼻の穴に詰めたはいいが、やがてそれがすっかり水分を含み、その交換で何度も目覚めて熟睡出来なかった。昨日家内と東山方面を散策したために一気に花粉症の症状が出るようになった。日差しが明るくなり、先日から外出時にサングラスをかけている。花粉が目に入らないようにとの思いからだが、効き目はない。これを書きながら、鼻水がたらりと机の上に落ち、ティッシュでは追いつかず、タオルで拭き続け、また洟をかんでいる。昨夜一気に変わった体調によってこうして書く内容にどう影響を及ぼすのかと思ってみる。それは昨夜何度も目覚めながら見た夢とも関係するだろうが、その夢のことを書くと話がややこしくなる。それでなぜ東山方面に行くことにしたかの話をする。去年1月アメリカから大西さんが一時帰国し、京都タワーホテルに行って落ち合い、ふたりで京都国立博物館に向かい、平成知新館で常設展を見た際、建物の北辺にある細長い休憩室に初めて入った。そこは企画展の際は扉が閉まっていて、筆者は初めて入った。その横長の大きな窓からの眺めは眼下に豊国神社の庭が広がって、借景として申し分なかった。京都に来て半世紀ほど経ち、そして方広寺の燃え落ちた大仏や今もある有名な鐘を知りながら、その神社を訪れたことがない。すぐ南に耳塚があって、それについては切り絵の画題にしたこともあるが、なぜか豊国神社に足は向かなかった。方広寺は今も家康を怒らせた前述の鐘はあるが、大仏殿が建っていた場所は京都国立博物館のある東側か、それとも民家が建つ西側か、調べればわかると思うが、現在は巨大な石で築いた石垣が往時の威容を物語るだけで、その上に立つ秀吉を祀る神社はたいしたものではないだろうとの認識があった。それが去年1月、大西さんと見下ろした同神社の庭園によって少しは変わった。しかし、博物館の新しい建物から見下ろされることになって、秀吉の逆鱗に触れる気がする。知新館を立てる際、その設計図を同神社に見せて了解が得られたのかどうか。そんなことを思いながら1年は瞬く間に過ぎ、昨日ようやく同神社に行くことに決めた。正午過ぎに家を出たのでまずは食事だ。その後、これも大西さんと歩いた京都市立芸術大学前に行ったが、無料で作品展示が見られる資料館は閉まっていた。同資料館に行きたかった理由を書かねばならず、話をはしょり過ぎかもしれないが、まとまりがさらにつかなくなる。筆者はいくつかの目的を作って出かけ、予期しない何かがあれば寄り道をする。昨日はそれら複数のことが重なり、思い返せば夢のようだ。
●神社の造形―板塀のマイ・イナリから豊国神社_d0053294_23250456.jpg
 見た夢を全部文字に出来ないのと同じように、昨日筆者が遭遇して感じたことをすべて今日の投稿で書くことは不可能だ。それで何かに絞ることになるが、その絞り具合と記述の妙で他者が読んで面白いものになる。それが作品というものだが、「限界芸術」の言葉を使えばもちろん「限界」に位置し、それは取るに足らないということだ。取るに足らない「作品」を、「限界」を付すとはいえ「芸術」と呼ぶことに筆者は反対だ。鶴見俊輔が「純粋芸術」と分類するものを、普通は短縮して「芸術」と呼び習わしている。ではそういう「芸術」に届かないものをどう呼ぶか。軽く「アート」と呼ぶ手があるが、「アート」を訳して「芸術」と呼ぶからには、限界芸術に分類される諸芸はやはり「芸術」と呼んで差し支えないことになるし、それは限界芸術に携わっている人々を勇気づけもする言葉だ。フランス映画『天井桟敷の人々』では自分の肉体を見世物として晒す女性が主役のひとりとして登場し、彼女は警察から疑いの目を見られた時の職質で「アーティスト」と答える。画家アングルのモデルをしたことがあるとも発言するが、アングルは純粋芸術の大家だ。その画家と同じく「アーティスト」と自称する彼女は自分の肉体を含めた美によって世間を泳いで行こうという覚悟がある点で、「アーティスト」を自称することは滑稽でないどころか神々しくさえある。彼女のようなモデルがいなければアングルの才能の開花もなかったかもしれない。しかし彼女が体を張って「アーティスト」を自称してもその作品は歴史に残る「純粋芸術」にはならず、同映画で彼女が「アーティスト」を自称したことは含みがある。それは純粋芸術も大事だが、今眼前にある天然の美もそうであるということで、純粋芸術に無関心な大衆にとっては限界芸術こそが価値あるものだ。その限界芸術に映画が含まれるとの意識を監督は持ちながら、良質のものを作る意識が強く、その作品は映画における純粋芸術的な立場を得ることになった。しかし映画を純粋芸術に含める時代はいつ来るだろう。話が予想外のところに進んで来た。その意図しなかったことへの迷い込みは睡眠中の夢に似てほとんど無意味だが、自分が見た夢を元に文章を書くことは絵を描くことに意味があると自惚れるのは滑稽として、小説も絵も現実そのものを描写出来ず、その一面を夢想を交えて歪曲して組み合わせるから、純粋芸術も夢に負っている。どうも昨夜見た夢の強烈さが頭から離れないが、その夢と昨日の経験は理性で分離しているが、今後混ざり合わない保証はない。昨日は大宮七条辺りをぶらついた後、京都駅に行き、京都市立芸術大学の資料館を目指したが、休館であった。それで次に初めて訪れる京都美術工芸大学に行ったが、そこも閉まっていて、最後に豊国神社を目指した。今日の最初の写真は同大学正門近くの塀に設置されたお稲荷さんで、小便除けを兼ねたものだろう。
●神社の造形―板塀のマイ・イナリから豊国神社_d0053294_23253931.jpg
 耳塚よりさらに坂を上ったやや小高いところに、幅100メートル以上はある長い石垣を築き、その上の一部に豊国神社がある。鳥居前に着いた時、一台のタクシーが筆者と家内の直前に停まった。タクシーから50歳くらいの夫婦が慌てるような素振りで降り、筆者らより先に石段を上って鳥居下で一例し、本殿に向かって歩み始めた。後でわかったが、彼らはNHKで放送中の秀吉兄弟のドラマを見て訪れた。そのドラマのポスターが社務所のお守りなどを売る場の背後に貼ってあった。撮影しなかったが、本殿前左手に2メートルほどの高さの土台に秀吉の関白姿の座像が置かれていた。それが焼き物であるのがいかにも京都らしい。右手の庭園を拝観しようと思うと、先とは違うカップルが残念そうに戻って来た。拝観受付は終わっていて、5時を過ぎていたのだろうか。拝観料は千円で、一生に一度訪れる遠方の人は高いとは言っておれない。おみくじが種々あって、最も安価な200円のものを家内に引かせると39番で、写真に載せるようにその内容があまりに家内にぴたりで感心した。庭園にひとりで近づいて覗くと、数人の姿が見え、建物もあった。そこでは方広寺の遺物を展示しているのだろう。筆者の興味は京都国立博物館の知新館がどのように見えるかだが、大西さんと一緒に眺めた窓は遠くに小さく見え、ほとんど気にならなかった。そのため、園内を歩く人は見降ろされていることがあまりわからないのではないか。園内からは庭園の全景はわからず、その意味では一度は知新館の休憩室の窓から眺めるのがよい。遠くに見ているものをその遠くに行って眺め返すことを去年家内が倒れる直前に栴檀の木とその実を出汁に投稿した。身近な場所から離れて身近な場所を想うことは旅の大きな作用だ。それは「なるほど」と感心することもあれば、「想像どおり」と思う場合もある。その旅は本で知ったことでも味わえる。豊国神社を出た後、また耳塚前を歩き、甘春堂で休もうかと思いつつ次々に客が入って行くのを見て諦め、眼前の道を右に折れて四条まで歩き、その途中で恵比須神社に立ち寄ろうかと思いながら、喉が渇いて仕方がないと言う家内のために左に折れて自販機を見つけてコーラを一本買った。その道を進むと京都市内ではよくあることだが、橋がないのに小高くなっていて、歩きながら不思議な気がした。また道の両側はところどころに空き地が出来ていて、現代風の建物もぽつぽつとある。家内はどこを歩いているのかと訊くので、本町通りと答えると、やがて自治会の看板でそうであることがわかった。筆者は皆川淇園が円山応挙や呉春を誘って耳塚辺りの茶屋で休憩しながら本町通りを伏見まで歩き、亀谷の梅林を見物したことを家内に言った。その同じ道を同じ時期に同じ方向を目指して家内と歩きながら、応挙や呉春の後をついて歩いていることを想像したが、そのことを家内には言わなかった。
●神社の造形―板塀のマイ・イナリから豊国神社_d0053294_23261983.jpg


# by uuuzen | 2026-03-02 23:29 | ●神社の造形
●神社の造形―松尾大社朱雀御旅所
の粉の 溜まりのとろみ 味気なし 雑草混ぜた 青汁かもと」、「寿司食べて 口が渇くは 酢のせいと 知りつついつも 茶店を探し」、「売茶翁 今なら何を 道で売る 路上販売 寅さんも駄目」、「ロボットと AI使い 暇増えて 戦争ばかり するのは道理」
●神社の造形―松尾大社朱雀御旅所_d0053294_00552703.jpg
今日は家内と食事に出かけた後、東山方面をたくさん歩いた。家内の体調が戻っていないので歩き過ぎはまずいが、歩かないのはさらによくない。そう言えば去年のクリスマスの翌日に家内が倒れる前は京都市内の施設をあちこち訪れた。初めてのところもいくつかあって、いずれブログに書く気もあるが、簡単に書いておくと、とある施設でスタンプラリーの用紙を家内の分と2枚もらった。そのスタンプラリーは10数年前から毎年実施しているようで、3月中旬頃の締め切りまでに各施設を訪れ、置いてあるスタンプを押して回る。全館の必要はなく、3段階ほどの押印数によって抽選でささやかな商品がもらえる。家内も筆者も敬老パスがあるので、時間さえあれば全館を制覇出来るが、施設によってはスタンプの設置時期はごく短い。現在半分の10館くらいしかスタンプを押していないが、京都市立芸術大学と改名した京都芸術大学を混同し、前者のスタンプを後者の欄に押してしまった。後者は以前の京都造形大学のままでよかったのに、偏差値の高い、そして京都では一番歴史のある京都市立芸術大学に負けじと、紛らわしい名称に変えた。そんなことをしても学生の質が変わるはずがないが、少子化の中、ビジネスゆえに必死だ。それはさておき、そのスタンプラリーについては締め切り後か、どこかの施設の応募箱に用紙を入れた後にブログで説明する。今日は先月23日に妹夫婦に誘われて訪れた寿司屋に家内とまた訪れ、偶然同じ19番の席に座った。19は家内の誕生日で、運がよい兆しと思っておこう。食事の後、東山方面への市バスを待っていると、真向かいに松尾大社の御旅所があることに気づいた。松尾大社の氏子の範囲は昔の葛野郡と聞いたことがあるが、千本七条辺りを含みつつそれがどこからどこまでかは知らない。松尾大社はわが自治連合会の最も南に位置し、地元では熱心に崇敬している氏子がいるし、筆者がよく知る古物商で西京極に住むIさんも地元の氏子代表で、八坂神社に対する対抗意識が強い。筆者は半世紀京都に住んでいるとはいえ、しょせんよそ者であり、松尾大社に思い入れがない。それで市民の神社とされている平安神宮の平安講社に属しているが、去年松尾大社の氏子と少々揉め、各神社の崇敬者同士の仲の悪さのようなものに辟易した。松尾大社の氏子からすれば130年の歴史しかない平安神宮は一種紛いものに見えるのだろう。だが、全国に20いくつしかない神宮のほうが格上でないだろうか。今日の写真の御旅所は普段は月極駐車場で、祭りの時に神輿が一時休憩するだけに使うのはもったいないとの気持ちはわかるが、見栄えはよくない。

# by uuuzen | 2026-03-01 23:59 | ●神社の造形
●天龍寺節分会での児童と生徒の絵画と習字、2026
止符を 書いて手直し 繰り返し 最初の熱気 失せて凡作」、「美はなくも 果てなき仕事 露わなり 評価を拒む 作の価値とは」、「元気さが 何よりの美と 悟る子の どの作も似て ただの下手くそ」、「上手下手 わからぬ者の 自惚れは 老いて直らぬ 人に笑われ」
●天龍寺節分会での児童と生徒の絵画と習字、2026_d0053294_00372743.jpg
昨夜は気になっていた今年の切り絵を投稿し、そのついでに今日は切り絵のホームページの一部をリニューアルした。20年ほど前に作って以来のことで、作品が探しやすくなった。300点に満たないが、順に題名を見て行くと、今でも大いに気になってよく覚えていているものと、ほとんど記憶にないものとがあって、前者は20年ほど経ったとは思えない。筆者の切り絵は他者の反響を聞いたことがほとんどなく、どれほどの人が存在を知っているかはわからない。ネットでの公表は不特定多数の人に見てもらえる可能性を持っているが、流行歌と同じようなもので、ほとんど知られない場合の方がはるかに多い。反対に「バズる」という言葉で大評判になることが稀にあることも流行歌に似て、ネットに投稿する人は同じ労力を費やすならば何千、何万倍もの人に届くことを期待する。しかし「バズった」投稿は歴史に残って何十年後にも多くの人の目に触れるかなれば、花火のように一瞬の出来事で、バズった頃に役目を終えている。バズるに越したことはないが、それを期待しない人はいる。それは最初から諦めていて「負け犬」的かと言えば、そうとは限らない。多くの人に知られなくても製作に励むことは普通のことで、満足の行く仕事が出来ればそれでよいと考える作家こそが本当の作家だ。しかし満足の行く作品はめったに生まれない。それで幻滅して自殺する場合があるが、筆者は気楽なのでそこまで自作に対して不満を抱えない。出来不出来のあることは当然で、不出来が続けばたまによいものが出来る。それは努力を怠らないことを意味している。さて、昨日は今年の天龍寺での節分会で展示された版画「熊と柿」について触れた。その画像を紹介するために今日は当日撮った地元の児童、生徒の書画の写真を載せる。毎年同じ先生が指導しているせいか、あるいは学習指導要綱にしたがっているためか、作品は変わり映えしないが、今年は小学生の低学年による全紙にサイズの書があった。絵画では戦前に回帰したような、水墨画を手本にした作があって目を引いた。前者は手本なし、後者は印刷物を参考にした模写的な作だが、義務教育では書は元来手本どおりに書くことを強いるので、自由奔放に書いた大きなへたくそな文字ではあるが、画面いっぱいに伸び伸びと書かれていて好感は持てた。それに比べると、水墨調に黒一色で描かれた作は、京都の四条円山派の伝統を知ってほしいとの教師の意図は理解出来るとしても、鯉を描いたものはやはり古臭く、水墨画の刷新は無理で、頂点に達した技術の取得もそうだという気にさせられる。
●天龍寺節分会での児童と生徒の絵画と習字、2026_d0053294_00374798.jpg 書道は手本に忠実に書くことを指導されていると思うが、絵画ではそうなっていないことは、バランスが取れているのかそうでないのか。手本は立派な作であって、その構成美に少しでも近づくためにそっくりに書くことを指導する意味はわかる。基本を理解しなければ完成された美を超えることは出来ないという考えだ。しかし絵画ではその点は揺らいでいる。明治になって児童や生徒の美術教育は四条円山派が完成した「付け立て」技法と、輪郭をきっちりと描いてその内部をたとえば着色するという、「付け立て」とは対になる古来の描き方の二種を教えることになったが、その基本には書と同じく模写があった。戦後は自由を尊び、そういう古臭い教え方は撤廃され、また子どもたちも画集などによってピカソがどういう絵を描いたかを知っているので、自由に描いて元気さに満ち、誰のものにも似ていない個性を賛美する方向に変わって来たのであろう。天龍寺の節分会で並ぶ絵画は教科書にしたがってある一定の枠組みを教師は設けているはずだが、その範囲内で子どもたちはさして不自由を感じずに自由に描いている。先日地元の小学校から児童たちの書画展の案内が来て、興味はあるものの、足を運ばないことに決めた。天龍寺の節分会で毎年展示される嵯峨の小中学校の作品とほとんど変わらないだろうと思うからで、特に目立つ作品はままあるだろうが、それらも教師の指導の範囲内でのもので、学校の教育からはみ出た自由作品はないだろう。絵画の場合、テーマや技法の指示がなければ子どもたちは戸惑うからそれは当然のことだ。子どもたちが本当に描きたいものは帰宅して勝手にやればよく、そうした作は公にされない。こうして書きながら念頭に置いているのは妹の孫のHのことだ。Hは帰宅して好き勝手に描いていて、それらの絵は学校の教育とは無関係の自発的なもので、美術の先生が見れば戸惑うだろう。「アール・ブリュット」に属するタイプの絵で、そうした絵を義務教育では教えないからだ。その意味でHは大人びているが、大人が描いたにしてもHの絵はかなり変わっている。超緻密が持ち味で、そのように描くことを本人が好むからには親も教師も放任しておくしかないといわば戸惑っているようだが、Hの描く緻密さはたとえばデューラーの銅版画や木版画にはかなわない。デューラーの作は気の赴くまま出鱈目に描いたものではなく、どの線も点も写実を基本として的確に配され、絵は一定の意味を持っている。途方もない緻密さは後でついて来たもので、何を描くかが先にあった。しかしHが好きで買ったルイジ・セラフィーニの、解読出来ない文字と奇妙な挿絵で満たされる中世の写本に触発された一冊の本のように、一部の愛好家の獲得によって名声も収入を得られるほどに、画家は多額の収入をさして必要としないから、Hの自由奔放な意味のない絵が人気を博する可能性はある。
●天龍寺節分会での児童と生徒の絵画と習字、2026_d0053294_00382025.jpg 要は自発的にどれほど多作であり得るかが重要だ。その点Hは誰の命令を受けることもなく、暇さえあれば描いているようで、そろそろ将来の進路を視野に収めねばならない時期になっている。妹は好きなことをしてくれるのは何よりだが、大人になって自活出来る収入があるかどうかを心配している。その現実的な発言はあまりに味気ないが、妹一家は大の資産家であるから、それを食いつぶしてもHは一生困らないはずで、好きな道に進めばいいと筆者は思っている。心配があるとすれば、セラフィーニ以外の正統な美術史に関心を抱き、先のデューラーなどの天才の画業を目の当たりにした時、自分の画力を客観的に評価出来るかどうかだ。その点について妹はたとえば草間彌生を引き合いに出し、彼女のように自由奔放に描いて作品を量産しても世界的人気があることを言い、美術史をひととおり概観して自分の作品がどういう位置にあるかを考える必要はないといったことを言いたげだ。Hの小中学校で美術の授業での作品を筆者は知らないが、学校で教えられる絵画や技法には関心がなかったのだろう。オール2の成績では京都のどの美術高校、大学にも進学出来ないそうだが、その成績でたとえばデューラーの凄さが理解出来るかどうか、筆者にはわからない。デューラーでなくても、たとえばわが家にはシュマイサーの銅版画が10点ほどあって、それらの画面のごくわずかな部分の線にもシュマイサーならではの個性と抜群の技術力があることをHが見抜けるかどうか。見抜けたとして、自分は自分という強力な個性が完成していれば、その後の生涯は現在の描法をそのまま続けるだけで、後は仕上がる作品にファンがつくかどうかだが、経済力に問題がなければ売ることを心配しなくてよい。つまり、今のまま好きに描き続ければよく、筆者には何も言うことがない気がしている。またHはセラフィーニの絵の模写に興味はなさそうで、美術史に収まらず、現在の流行や流派に属さずとも独創的な仕事を成し、そのことで世界的に有名になれる実例をセラフィーニの本に見て取ったのであれば、それはそれでたいしたものだ。純粋芸術を理解せず、限界芸術でも充分に名を成すことは出来る。絵が好きな子どもは百人にひとりはいるが、彼らの多くは成人すれば絵の道に進まず、進んでも生活のために、美術教師以外ではイラストレーターや漫画家、アニメーターになる。あるいは京都であれば伝統工芸の世界がいろいろとあるが、染織よりかは陶芸向きに思えるので、妹にはそう言っておいた。どのような表現者でも賛辞もあれば非難もある。筆者のようにそのどちらもない無名であっても、本人は気分よく生きているのであるから、Hに最も言いたいことはそれに尽きるし、Hはすでにそのように生きているようだ。視野が狭いと批判されても、視野の広い作品が必ずしもいいものになるとは限らない。
●天龍寺節分会での児童と生徒の絵画と習字、2026_d0053294_00385714.jpg


# by uuuzen | 2026-02-27 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●「妻倒れ 年始年末 記憶なし 見舞い続けた 吾も同じに」
談の ブログ二か月 休みなし 妻の帰りで 日常戻り」、「毎年の 賀状の切り絵 気になりつ 二か月遅れ 今年も仕上げ」、「話すこと 何もないこと 話題にし 切りなき話 ひとりで笑い」、「平安の 日常戻り 朝寝坊 日々は短し 夢の人生」
●「妻倒れ 年始年末 記憶なし 見舞い続けた 吾も同じに」_d0053294_23453713.jpg
去年12月26日の夜に頭痛を訴える家内と救急車に乗って病院に行った。毎年年賀状の図案を左右対称の切り絵を作り、それをスキャンした画像をプリンターで印刷しているが、その作業を近年は大晦日かあるいは正月に入ってから行なうようになった。それほどいろいろなことで多忙と言えばそうなのだろうが、面倒臭い作業を後回しにする癖のためだ。その面倒臭い作業で最も大きなものは四半世紀前から書いている若冲論だが、その一方で新たな関心が湧き、そのために本などの資料をここ4,5年は集めている。家内の入院中、そして今も、つまり毎日だが、そうした執筆に関してのことは頭を去ったことがなく、このブログはその合間の気晴らしと言ってよい。家内の入院日から今日でちょうど2か月で、その間毎日欠かさず本ブログの投稿を続けたが、それは全く予期せぬ出来事に遭遇し、毎日筆者が何を考えてどう行動するかの日記めいたことを書くことで気分を落ち着かせる一方、自分の興味の広がりを客観視するにはよいと思ったからで、また意地のようなものもあった。簡単に言えばどこまで頑張れるかを確認したかった。しかし先月29日に家内は帰宅し、入院前と同じような生活が戻り、入院中の緊迫感は失せた。そのことはブログの内容に出ていると思うが、入院以前の日常が戻ったからには、筆者の思考や行動もそうなる。それで今日を区切りにひとまず2か月続いた「見舞い記」とそれに続く「日常への回帰記」を終える。今日の写真はそのためにふさわしいものを用意した。最初はつい先ほど仕上げた今年の年賀状の図案代わりに作った左右対称の切り絵で、久しぶりに、つまり1年ぶりに細かい作業をして仕上がりに不満な点がままあるが、切り直しする時間も体力もない。自作の「無事カエル」を中央下にこちら向きに配し、今年の正月に見た門松に倣って松竹梅とそして南天を左右に添える構図としたが、それではカエルの上部に空間がかなり生ずるので、そこに「平安無事」の四文字を強引に左右対称にして置き、またどの漢字にも起点などを縁起のよい勾玉の形とした。南天は松竹梅よりも目立たせ、その実は全体でトランプのダイヤの形に見えるようにした。その理由はこの2か月間の本ブログの読者にはわかる。ダイヤすなわち菱形を左右対称に配するのは「連理比翼」を暗示させ、またピエロの顔を思っているからでもあるが、この切り絵は家内の入退院を経てこそのもので、入院しなければ馬をデザインしたかもしれない。しかしそれは12年前にしたことで、毎年賀状のデザインには困るが、来年は今年の20枚足らずよりもっと少ないはずで、切り絵年賀状は止め時か。
●「妻倒れ 年始年末 記憶なし 見舞い続けた 吾も同じに」_d0053294_23460099.jpg 文章にしろ、絵にしろ、手作業が好きな筆者は時計を見ずに数時間は没頭出来る。そこで家内はこのブログを読んでおらず、また筆者の作業中は話し相手がいないので、家内の方が先に認知症になるのではないかという不安が昨日よぎり、そのことを家内に話した。愛宕山登山を週に2、3日している近所のYさんは、最初奧さんも登っていたのが、体力の減退を訴えてYさんひとりとなった。登山仲間が出来たYさんはますます登山に熱中し、それに反比例する形で奧さんの認知症が悪化し、数年前に近くの施設に入った。陽気なYさんは午前中に奧さんを見舞い、笑顔でまた登山に出かけるが、奧さんの認知症が平気であるはずがない。筆者はもっと家内へのサービスをすべきで、ブログ執筆という純粋な遊びに熱中することは控えるべきだろう。つまり肝心の仕事、言い変えれば長年放置して最も面倒と思っている仕事をすべきで、今なお次々と買い込んでいる資料を駆使して若冲論、そして次に気になっている画家の論評をまとめ上げねばならない。それはよくわかっているが、膨大な資料の取捨選択にどこから手をつけ、またどう新たにまとめるべきかを、毎日こうした文章を書く一方で思案し続けている。それは言い変えればこうした文章を綴ることで芽生えるアイデアを待っていて、そのために一見無関係な本を読みもしている。鶴見俊輔の『限界芸術論』の最初の「芸術の発展」の最後に、鶴見はこう書く。「次にマス・コミュニケーションと限界芸術、サークルと限界芸術、日本の伝統と限界芸術の三章を書く予定だったが、これ以上書けなくなった。」これは体力の問題ではないだろう。他に書きたいことが芽生えて中断し、その後再開しようとしたところ、意欲が失せていたのではないか。あることを論じるのに熱中して書ける年月はせいぜい数年ではないか。それを超えるとほかに関心が移り、同じ熱意でまた後半を書くことは出来ない。それはさておき、頸草書房からの『限界芸術論』は筆者の『大ザッパ論』に通ずるところがあるが、筆者は鶴見のこの本を知らずに『大ザッパ論』の題名を考えた。それはさておき、表紙中央の明朝体の題名は見事で、これはレタリング・デザイナーが描いたはずだ。この本は今は平凡社から出ているが、その表紙の題名の明朝体は頸草書房のものを使えず、活字を組み合わせたものに見える。それが味気ないと言えば、あまりに些細なことと思う人が多いと思うが、美意識はわずかな差異に気づくことだ。さて、去年12月26日から今日の投稿まで、段落数の合計が142で原稿用紙に換算すると426枚で、写真は計167枚になる。『限界芸術論』は1頁当たり原稿2枚で、167枚の写真の占める面積をどうするかにもよるが、この2か月のブログを本にすると『限界芸術論』と同じくらいの厚さになりそうだ。1冊だけ作って家内に読ませる考えがあるが、視力がまだ戻らない。
●「妻倒れ 年始年末 記憶なし 見舞い続けた 吾も同じに」_d0053294_23463879.jpg


# by uuuzen | 2026-02-26 23:46 | ●新・嵐山だより

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2026 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?