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●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 BWANA
魚飼いの 蔵書部屋にも 寿命あり 万物は是 集まれば散る」、「生ゴミを 肥料に変えたし 庭はなし 持続可能の 言葉は虚し」、「メリハリは ハリーメリーの 仲のよさ 急ぐハリーを メリーは笑う」、「男尊は 女卑に結びつ ダンジョンに 永久に叫ぼう 男女解放」
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 BWANA_d0053294_21031503.jpg
今日も思いつくまま書く。即興ということだが、本カテゴリーの投稿は必ず3段落、また1段落当たり1150から1200字までと決めている。1段落当たりの字数は本ブログの投稿すべてに共通する。いつの間にかそうなった。書きながら段落内の字数を何度か計算するので10秒かそこらの小休止はある。また即興とはいえ、頭の中にあることしか出て来ず、夢と似ている。夢は目覚めた時、思い当たることがある。そうでない場面のほうが多いかもしれないが、目覚めて最も気になることは、最近何度か思っていたことと大きく関係している。そのことから考えると、こうして書き進むことは、普段考えながら忘れていることが話の流れで突如思い出されることと言ってよい。つまり普段考えていなければ書く内容は乏しいものになる。であれば、こうして書くことが夢に似ているとなれば、内容な夢同様に出鱈目ということになる。それでは文章とは言えず、3段落すなわち400字詰め原稿用紙9枚ほどを結論めいたことで終えることを念頭に置かねばならない。本音を言えば毎回それは全く考えない。書き進むうちに、何となく話がまとまって来て、そのことにひとまず満足して終える。ザッパのギター・ソロはそれが始まる前のヴォーカルつきの主題の変奏で、楽譜に書いた旋律の音階に沿ったメロディを紡ぐが、ソロの終わりのメロディは主題の一部で、それをザッパが奏でると他のメンバーはギター・ソロの終わりを認識する。つまりザッパは自分が書いたメロディを毎回ステージで即興で変奏する。それは新たなメロディの発掘を目指したものだ。即興のソロを楽譜に起こしてそれを他の人物が演奏することはベートーヴェンの時代の時代からあったし、ザッパもその可能性を自曲で試したことがある。ザッパの場合、その即興のソロが予想外に面白いものと思えたからで、大部分のソロは言葉は悪いがゴミとして処分された。また主題の変奏とはいえ、時にそこに別の主題に発展する演奏が生まれる場合があった。しかしそれは普段の練習で発見しながら、ほとんど忘れていたものだろう。つまりザッパのソロは夢と同じだ。それはいいとして、寸時を惜しんでギターの練習を続けたからこそ、膨大なゴミの中から珠玉の旋律が生まれた。となれば、ザッパのそうしたソロを逐一模倣してもほとんど意味はなく、自己流に練習を重ねるしかない。筆者はブログを続けて20年になるが、母が死んだ夜に初めて短歌を詠み、ブログに毎回4首載せることにして今に至る。数えたことはないが、投稿回数からして少なくても3000から4000首は作っている。
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 BWANA_d0053294_21033213.jpg ところが、その練習がどういう形で結実するかの期待はなく、投稿した尻から忘れている。長文本位の筆者が言葉を選んだ短歌ないしそれもどきがどれくらい作れるのかと思った時、最低でも3000首は詠もうと決めた。ただそれだけのことで、他者の評価は全く気にしておらず、箸にも棒にもかからないでよしの思いだ。練習量の多さを誇りたい人は他者の創作を厳しい目で見がちだ。そこに評価に値する技術があるのかどうかとまず見る。しかし技術は拙いが、作品全体が何となく独特で面白い場合はよくある。それを世間では「へたうま」と称して来ている。「へたうま」も卓抜な技術あってのことと捉えることは可能で、技術と芸術作品の関係は一面的には言えない。ザッパの曲はプロのミュージシャンでも演奏困難なリズムとメロディが多く、ザッパは抜群の技術を誇ったと言える。それは何度も言うように自己に多大の練習を強いたことの自信と自負による。そういうザッパの人気が日本でさほどないのは、日本人が好むロマンティシズムの要素がほとんどないからで、「ダーティ・ラヴ」という曲の題名から即座にわかるようにザッパはロマン主義以降に盛んになった写実主義の立場にあった。ところが歴史的にロマン主義が全滅したかと言えば、いつの時代にも古い時代の主義は見直され得るから、当然ネオ・ロマンの思想や芸術はある。時代を画したいいものは永遠に廃れないからだ。それでザッパ像をどう捉えるかによってたとえばザッパ曲のカヴァー演奏も変化する。そこには時代と国の差が影響するのは当然として、特に日本では歌詞の解釈や英語で歌うことの困難さがあって、欧米にはないハンディキャップがある。それゆえ誤解も混じるかもしれないが、別の見方をすれば、予想外の面白いカヴァー演奏をもたらし得る。そうした演奏についてザッパがどう思うかだが、ザッパの曲はレコードがひとまずの完成作ながら、ザッパはその発表以前も以後も、メンバーの違いもあって絶えず編曲した。すなわちザッパ自身が自作曲をカヴァーしたから、未熟な技術による演奏は論外として、演奏者の個性のある解釈は喜んだはずだ。ザッパがいない今、その技術の熟達度は誰がどのように決めるかという問題があるとしても、どれほど多くの客に歓迎されるかどうかにひとつの指針はあろう。ネットが存在しない70年代であったか、開高健は「今は優れた才能は誰かが注目して埋もれない」と言った。このことはネット時代になってより言えると見てよいが、玉石混交はいつの時代も同じとして、人々がネットで玉を探すことに日々勤しんでいるかどうかとなれば、石を玉と錯覚する人は却って多くなっているのではないか。贋玉が評判を得るのはいつの時代も同じだが、練習の絶対量の多い存在は贋にはなりにくい。技術だけしかない作品もあるが、技術のないものより長生きする。練習の多さは嘘をつかない。
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 BWANA_d0053294_21040353.jpg
 今回のライヴの最後に登場した紫狂乱さん率いるBWANAは5人編成で、当夜彼が舞台で話したザッパの来日公演時と同じだ。何年か前、彼はザッパが演奏した京大西部講堂でザッパのカヴァー演奏をしたいと語った。1976年当時彼は20歳と聞いたが、それから半世紀、日本初のザッパ・カヴァー・バンドとしてザッパ曲を演奏を続けて来ている。特徴は全く別の意味の日本語で歌うこと、またLPヴァージョンをなるべく忠実にカヴァーすることにある。前者についてはザッパが歌詞をつけなかった曲、たとえば「グリーン・ジーンズの息子」に歌を載せる場合があって、歌詞は創作している。後者に関してはザッパや他のメンバーのソロを忠実にコピーすることは至難の技でもあって、曲の構成のなぞりに留まっているが、今回は「なぞなぞ紹介」の曲も演奏し、それらのセットにザッパの日本公演時のテーマを組み合わせるなど、紫さんの履歴を回顧する向きが強かった。西部講堂でのザッパの演奏はメンバーの技量の高さにもよるが、凄まじい迫力で、その忘れ難い記憶に接近しようとする態度は、青春云々のロマン主義ではなく、今現在の自己を生きている心地に保ちたいからだ。また人前でたまに演奏するからには全力投入は当然で、それには多大の練習は欠かせない。今回会場の音響のよさもあったかもしれないが、これまで筆者が聴いて来た中では最良の仕上がりであった。紫さんのギター・ソロもザッパと同じく各フレーズの冒頭のわずかな無音の「溜め」がこなれていて、ザッパを髣髴とさせた。サックス奏者は76年のザッパの来日時のナポレオン・マーフィ・ブロックの位置にあって、今回ヴォーカルを担当した曲がいくつかあった。黒人のプロの歌唱力にかなうのは不可能だが、それなりによく頑張っていた。ザッパのライヴの魅力の半分は各メンバーのソロで、特にザッパのギター・ソロがライヴの魅力の3分の1は占めていて、その分カヴァー・バンドはギタリストの技量に多くを負う。以前書いたように、紫さんのソロがザッパのように10分程度続くようなものであってほしいが、考えてみれば今の紫さんは30代のザッパの倍ほどの年齢で、今回彼がステージで語ったようにいつ死んでもおかしくない高齢に達している。それは筆者も同じだ。曲の合間に紫さんは自転車で走っている最中に田んぼに落下し、肋骨を傷めたと語った。その笑いを交えて話す表情には長年ザッパの音楽を愛して来た、言い変えれば20歳で本物に出会えて今までやって来た幸運をありがたく思っていることが伝わった。情報が大氾濫するネットで今の若者はそういう運命的な出会いが出来るだろうか。懐疑に囚われ続ける人が正直に凄いと認める表現に出会うことは一瞬で恋をすることと同じで、ロマン主義そのものだが、そのことを嘲笑する人はさびしい。ザッパは人間の醜さを描きながら、いつもそれに明るい笑いを混ぜた。

# by uuuzen | 2025-05-28 21:04 | ●ライヴハウス瞥見記♪
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 レザニモヲ
G線を G弦と呼ぶ Gメンは ガバナンスとは 緩い統治と」、「聴き馴れた 曲の調べの 鮮やかさ 場所が変われば 響きも違い」、「ガード下 太鼓叩いて 弦鳴らし 変な拍子で 心は躍り」、「レザニモヲ 重荷背負うて 遠出かな ザレの言葉で 鬼も戯れ」
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 レザニモヲ_d0053294_01355955.jpg
レザニモヲのライヴはこれまで何度か聴いたので、期待する点はどれだけ新曲が多いかということになる。以前そのことに関して厳しいことを書いた。創作を目指す場合、練習の多さはあたりまえとして、作品の多さが期待される。モーパッサンは43歳で精神病院で死に、創作活動は30歳から40歳までの10年であった。その間に短編や中編を360ほど、長編は7作、ほかにも旅行記や詩を書いた。創作家の最も活力のある時期はやはり若い頃だ。今回のライヴで筆者が語ったように、ザッパの代表曲は73,4年、つまり34,5歳頃に書かれた。そのことを改めて思いながら自分のことを考えると、本職の友禅染で年一回の全国規模の公募展で賞金百万円つきのグランプリを得たのが29歳、ザッパについて初めて書いた文章「大ザッパ大雑把論」が31歳で、自分でも意識していた30歳頃でいちおうの手応えを感じることが出来た。レザニモヲのさあやさんは現在30歳をわずかに過ぎていると思うが、最も創作力が充実して来る時期だ。生活のための資力稼ぎの問題もあるが、雑念を可能な限り省いて創作に没頭する時間を増やしてほしい。若い頃は金が乏しいのはあたりまえだ。筆者も自分を振り返ると、交通費を浮かすために歩き、食べるものを節約して制作のための材料代や資料代、展覧会巡りの費用を捻出していた。体は常に痩せ過ぎの状態で、またそういう文字どおりのハングリー状態であると、却って創作に熱中することが可能だ。そういう話を今はない寺町三条の平安画廊の主人の中島さんと話したものだが、筆者以上に凄まじい生活をものともしない画家がいくらでもいることを知って驚いた。モーパッサンの小説にも書かれるように、画家は貧乏があたりまえで、絵が安い間に画商は将来を見込んで買い集める。アンブロワーズ・ヴォラールはその代表だが、彼のような画商がいたお蔭で無名になった可能性の大きい画家が何人も世界的名声を得た。そう考えるとマネージャーの存在を大きさを思う。ザッパの場合、64年のデビューから10年ほど、つまりザッパが名作を確立した時期まではマネージャーのハーブ・コーエンと仲がよく、ザッパは金のことをさほど考える必要なしに創作に没入出来たから、運がよかった。しかし才能と運はある程度は比例するものだ。運命的な人との出会いは伸びて行こうと真剣に思っている才能には必ず現われる。そうしたことを何年か前に金森さんに話すと、メジャーになりたい意欲のあるミュージシャンばかりとは限らないと言われた。なるほどそのとおりで、レザニモヲも現在の活動で充分満足しているかもしれない。
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 レザニモヲ_d0053294_01361914.jpg
 さあやさんは音楽コンテストには関心がなさそうで、芸術は点数をつけて上下は決められないと言った。確かにそうだが、審査員が人生経験豊富で、また審査する芸術分野に造詣が深い有名人であることは普通にある。そうした経験豊かな人の意見も当てにならないと否定して創作を続ける態度はもちろんあるが、受賞して自信をつけることは出来るし、自己を客観視するにはいい機会だ。それに知り合いがたくさん出来る可能性も大きい。昨日少し書いたように、読者の中には書き手の思いをそれ以上に受け取る人がいる。そのように考えることは強い自惚れを避ける手立てになると同時に自作が自分が知らない場所で喜ばれているという思いを抱くことにもなる。音楽コンテストがどれほどあるのか知らないが、作品をより広く世間に知ってもらうのはそうした公募に出場するのはよい。さて、筆者が初めてレザニモヲのライヴを見た後、彼らはザッパのカヴァー演奏をするザッパニモヲを組織した。そちらの活動が増えた分、音楽活動はより多彩になり、また多忙になった。ザッパニモヲは他のメンバーを数人加えての演奏である分、レザニモヲの息のよく合った、それゆえにさほど練習も要さない演奏とは違って、おそらく遠慮や気配りが必要となって、さあやさんとドラムスのくろみさんがどれほど満足の行くライヴになっているかは本人たちから直接耳にしていないので想像するしかないが、レパートリーを毎年確実に増やし続けてその勢いは今後も期待出来る。さあやさんは鍵盤楽器を除けばマリンバをまず手がけ、その後は打楽器を学び、2,3年前からはチャップマンスティックも購入してたちまちその演奏技術を習得した。そう考えると、レザニモヲの本質的な部分はさあやさんが背負い、ドラムスのくろみさんは背後に控えている感じがある。だが、ふたりともロック志向が強く、特にドラムの音は爆音と形容してよい。これも何年も前にさあやさんに意見したが、ドラムは大音量である必要のない場合があって、小柄で繊細なさあやさんの演奏をより引き立てるためには、ドラマーとしてもっと工夫してよいと思っている。ザッパニモヲの演奏ではさあやさんはザッパの難曲「ブラック・ページ」をソロで、またアレンジして演奏して来ているが、レザニモヲでも同様に、時にはさあやさんのソロで充分ではないかと思う曲がある。1時間のライヴとして、そこに目立った起伏がほしいからだが、その意味では昨日書いたキング・クリムゾンは激しい曲と静かな曲がアルバムにうまく混在し、全体としてドラマ性をよく意図している。もちろんそのことはレザニモヲのライヴでも意図され、今回演奏されたヨナ抜き調の「少年」や「美術館」はライヴ全体で起伏の構築に貢献している。それでもさらにと考えれば、さあやさんと同じくらいにくろみさんの演奏に多彩さがほしい。くろみさんはザッパニモヲの演奏のほうが楽しいのだろう。
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 レザニモヲ_d0053294_01364319.jpg
 今回会場となった大阪中津のVi-Codeで松本さんはライヴが始まる前に話してくれたが、音響が素晴らしいとのことであった。そのことはキャプテン・チキンハートの演奏で実感出来た。レザニモヲの番になってその点に意識に上らなかったのはなぜだろう。さあやさんの小型のキーボードが演奏途中で故障したのか、舞台上で係員の手助けを受けながらもそれが回復しなかったことや、また筆者が初めて聴くアフリカに因んだ2曲が演奏されたことなどによって、音響のよさにまで意識が及ばなかったのだろう。それに最初の曲「天国の動物たち」がいきなりさあやさんの激しい身振りと歌、それにくろみさんのドラミングで、微妙な音色の効果をさほど意識したものでなかったからか。何が言いたいかと言えば、大音量の中にも微妙な響きがあまり意図されていなかったのではないかということだ。そう考えると、やはり幾分かはさあやさんの独奏曲があってよいと思い至る。そう考える理由がある。これは今月10日のザッパニモヲの演奏時にサックス奏者の登さんと話したことだが、レザニモヲのライヴハウス以外の場所での演奏の可能性を筆者は何年も前から夢想している。嵐山にはそういう場所があるが、ギャラの問題と、場所を貸してくれる人の音楽の趣味にかなうかどうかも考慮しなければならない。たとえばレザニモヲの演奏を小中学校の講堂で特別授業として実現出来ないかと思うが、それには全曲がドラミングの大音量では眉をしかめる人は少なくないはずで、繊細さと爆発的活力のバランスがほしい。レザニモヲは子どもには聴かせたくないと思っているかもしれず、そうであれば現状維持でライヴハウスでの演奏を続けるしかないが、何かの突破口のような演奏会から創作や演奏活動が変化する場合もある。また筆者のことを言えば、友禅染でキモノばかり染めていた頃、学生時代の教授から屏風を依頼された。そうなれば広幅の生地を使って染めた後は表具屋に仕立ててもらう必要があり、そのことがあって自分で裏打ちをすることや屏風や掛軸の仕組みを学ぶことが出来た。人の出合いが新たな活動と広い視野の獲得につながる。そう考えない限り、創作の進展は望めない。それはともかく、やはりさあやさんにはどんどん新曲を書いてほしい。それには刺激が必要だ。またそれには人との出合いが求められる。ルーパーを使ったアルペジオを伴奏とするレザニモヲらしい楽曲の充実の一方、「少年」や「美術館」に連なる歌唱つきの曲はもっと書かれるべきだ。またそのこととザッパニモヲとしての活動がどのように影響し合うかという興味深さもある。ザッパの曲を演奏しながら、模倣ではないさあやさん独自の、そして特に詩の才能の開花を期待している。さあやさんは普段の顔とステージのそれとは全く違い、後者では舞う巫女のように何かが憑依したかのように美しい。その姿をどうにかして子どもたちに見せたい。

# by uuuzen | 2025-05-27 01:37 | ●ライヴハウス瞥見記♪
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 CAPTAIN CHICKENHEART
出して 識別されぬ 凡人は AI困り どうぞお好きに」、「チキンでも 元をたどれば 恐竜ぞ 龍尾よりかは 鶏頭がよし」、「山分けの 遺産当てにし 早死にす 親に遺した 金の悲しさ」、「退屈は させぬと言いし 察せぬは 売れぬホストの 自慢の話」
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 CAPTAIN CHICKENHEART_d0053294_17502495.jpg 昨日触れた松本さんからキャプテン・チキンハート(以下、CCと略す)というバンドがあって、ライヴ企画をしたいと聞いたのは2年前のことだ。ザッパの少年時代からの友人で、またザッパが渾名をつけたミュージシャンの「キャプテン・ビーフハート」をもじったその名前からして、ビーフハートあるいはザッパのカヴァー・バンドかと思ったが、松本さんはそれを否定した。ビーフをチキンと言い変えるのは謙遜がうかがえて微笑ましいが、CCのファンはビーフハートの音楽性をどれほど知っているであろう。CCは東京在住と聞いたので、大阪に呼ぶことがどう実現するのかと思っていたところ、バンドの3人のうちギタリストのみが大阪在住であることを今回知った。彼らの演奏をYouTubeで検索していないが、同じ最前列のテーブルに陣取って演奏を録画した池島さんによれば、カヴァー曲は今はYouTubeではAIが弾くようで、今回のチキンハートの演奏も仮に彼らが投稿許可を出しても全部がYouTubeでは公開されない可能性があるとのことだ。筆者は写真を撮っただけで録音していないので、曲名も含めてどの曲がカヴァーでオリジナルかは調べようがない。つまり一度聴いただけの感想を書く。松本さんからはギタリストがかなりのテクニシャンと聞いていた。それは想像を超えたものであった。というのはバンド名からしてキャプテン・ビーフハートの曲にあるギター演奏が念頭にあったからだが、音楽性はビーフハートとは全く関係がない。そもそもビーフハートの曲の持ち味は彼の歌唱力にある。その摩訶不思議な詩も他のロック・ミュージシャンの誰も書かないようなものだ。とはいえ、出鱈目な言葉を無闇につないでいるというものではない。その反対に色彩豊かな絵画を何枚も見るような視覚性に優れている。ところで、筆者は自宅裏庭で白い小さな薔薇のVirgo種を鉢植えで育てていて、つい先日三つの可愛らしい花が咲いた。いつものように写真を撮ったが、本ブログの投稿は滞る一方で、去年撮った同じ花の写真も何枚もため込んだままだ。その薔薇の花の写真の投稿時には必ずビーフハートの曲の歌詞の対訳を載せることにしたのに、5,6曲程度で中断した状態だ。その5,6曲はビーフハートで筆者がすぐに思い出す好きな曲で、それらわずか数曲の歌詞からでもビーフハートの繊細さがわかる。それは詩人としては当然のことで、ビーフハートの詩は自然派といったところだが、自然と人間の対峙をさまざまに凝視していた。ザッパには自然を称える詩はなく、もっぱら部屋にこもって創作に熱中することを好んだ。
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 CAPTAIN CHICKENHEART_d0053294_17510546.jpg 昨日触れたように、プログレッシヴ・ロックはイギリス主導で、ビートルズの解散が噂された60年代末期に日本のラジオでよく紹介されるようになった。ただし2分半のシングル盤に収まるようなポップ曲を指向せず、ピンク・フロイドの『原子心母』のようにアルバム全体で聴かせようとする姿勢から、ラジオで取り上げられる機会は少なかった。もっとも、その頃になるとビートルズの「ヘイ・ジュード」のようにシングル盤では通常の倍以上の長い曲を発表する常識外れが登場し、日本のロック・ファンはアルバム1枚で1曲と捉えるような、言い変えれば作り手の芸術性を喜ぶようになった。その先鞭をつけたのもビートルズと言ってよいが、同じイギリスからピンク・フロイドやキング・クリムゾンなど、アルバム単位で作品とみなすグループが登場してファンをつかんで行った。当時LPの価格は2000円で、それは10代後半の青少年にとっては高額で、経済的に恵まれた家庭でなければ次々に発売されるそうしたバンドのアルバムを購入することは不可能であった。したがって、コスパではないが、いかに限られた金でどのバンドのアルバムを買うかは一種の賭けで、またそれに負けたと思いたくない心理が働いて、溝が擦り切れるまで何度も聴き返し、そのことでなおさらそのバンドのファンになった。そしてどの青年も蛸壺に入った状態で、神のように天空からの眼差しを持つことはほとんど不可能であったし、またそこには世代の差も影響した。筆者が2,3歳早くか遅く生まれていれば、ビートルズからやがてザッパの心酔することはなかった可能性が大で、当時の2,3年は大きい。それほどに目まぐるしくさまざまなバンドが登場した。筆者が同時代的にイギリスのバンドとしてアルバムを買い続けたのはほとんどジェスロ・タルのみで、キング・クリムゾンにはほとんど縁がなかった。ごくたまにCD(LPは所有していない)を取り出して聴きはするが、霧や靄を連想し、その怪奇性が混じったロマン主義の雰囲気はわかりはするものの、夢中になれないでいる。しかし前述のように2,3歳若ければ、幸運な出会いがあったかもしれない。そこで思うのはCCやそのファンのような若い世代がどのようにキング・クリムゾンに開眼したかだ。今はCDがあまり売れず、音楽は無料でネットで聴くことが普通になって、興味さえあれば百科事典を即座に繙くように未知の音楽に触れ得るし、ミュージシャンであれば先輩の影響が大きいだろう。CCの音楽性がどのような経緯で育って来たのか、それは知らないが、今回のライヴではキング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者」が演奏され、クリムゾン好きであることはわかる。またギタリストが「次はクリスタル・キングの「大都会」を…」などと冗談で語ったが、その発言からは日本のロック・バンドも視野にあることがわかる。さらにはUKの曲もカヴァーした。
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』 CAPTAIN CHICKENHEART_d0053294_17513672.jpg CCのギタリストはアフロヘアの鬘を被り、ヴォーカルも担当した。ロバート・フリップ以上の速弾きと言ってよく、スティーヴ・ヴァイとまでは言わないが、優れた演奏技術にまず驚嘆させられた。それは練習の賜物以外ではあり得ず、3人の息の合った演奏で終始突っ走った印象があり、カヴァー曲とオリジナル曲の差はよくわからなかった。それはカヴァー演奏をCC流に咀嚼しているからで、またそれはギター・ソロの個性に負う。イギリスのプログレは短調で始まって長調で終わる場合が多いとの発言もあって、そこにうかがえる分析眼はオリジナルの作曲に活かされているのだろう。つまり、6,70年代から半世紀を経た今、プログレから何をどう取捨選択するかの方法論が醒めた意識によって随分たやすくなったし、CCはそのバンド名が示すようにアメリカの急進的ないし型に嵌らないロック・バンドにも視野を広げて学んでいるだろう。演奏後の語りでザッパに因んだ曲が演奏されたこともわかったが、その曲の何がザッパらしいのかもう一度聴かねばわからない。そう言えばイギリスのギタリストのフレッド・フリスがジョン・ゾーンのTZADIKから出したアルバムに、ザッパに捧げた大曲があるが、それもその断りを読まねばザッパを意識して書かれた曲であることはわからない。フリスが同曲で行なったことは、ザッパの作曲の方法論の応用で、簡単に言えばモチーフの自在な組み合わせだ。したがってザッパのギター・ソロの個性を期待する向きには面白くない曲と言ってよい。同じことはCCのギタリストにも言えるだろう。ザッパのギター・ソロを模倣して演奏することがどれほど可能であるかは知らないが、模倣に限りなく努めても自ずと演奏者の個性は滲み出る。その伝で言えばCCのギターは速弾きながらヴァイとは全然違ったもので、独自の境地にある。筆者はヴァイの曲はブルース・コードを使ったものが好きで、それ以外の曲は技術には感心しても今ではほとんど聴く気がない。一方、ジョー・サトリアーニの演奏はその逆で、ブルースは面白くなく、それ以外のオリジナル曲に名品が多い。CCはその意味からすればサトリアーニに近いが、やはり全然違う持ち味がある。それがブリティッシュ・ロックに学んだものかどうかは、筆者の乏しい知識からはわからない。その速弾きが長年の絶えざる練習あってのものとして、どこからどこまでが即興であるのか、あるいは毎回同じメロディを奏でるのかもわからないが、猛烈に疾駆する曲の連続に聴き耳を立て続けていると、CCが主張したいことは、言い変えれば好みはひとつではないかと思えた。それは模倣を通じて育んだ創作だが、CCはその完成の域に達しているはずで、ロバート・フリップがその後たどったような大幅な変化を見せるのかどうかとなれば、ベースとドラムの3人編成を持続させる限りは現状から外れることはないだろう。

# by uuuzen | 2025-05-26 17:55 | ●ライヴハウス瞥見記♪
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』筆者のトーク
割の 値引き横目に 時計見る 間もなく貼らる 半額シール」、「経済を 回すと言いて ひとり占め 怖いものなし 政治の家業」、「道楽と 言われて笑う 確かにと しかし苦はあり 楽なお大き」、「音楽は やるも聴くのも 真剣に 楽しみの道 そのほかになく」
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』筆者のトーク_d0053294_02324488.jpg
PROGはプログレシッヴ・ロックの略で、筆者は大阪の松本和樹さんが企画するライヴの名称で初めて知った。松本さんは一時期「変拍子」という謳い文句も使っていたが、PROGは変拍子の曲があたりまえで、簡単に言えば踊りにくい、ややこしい曲だ。「プログレッシヴ・ロック」の名称は60年代末期に登場したと思うが、それから半世紀以上経った現在、そのジャンルに含めてよい曲を演奏するバンドが多いのかとなると、バンド事情に全く詳しくない筆者にはわからない。それで松本さんが企画するライヴにごくたまに接して知識を得ているが、昨日大阪中津の阪急電車ガード下のライヴハウス「Vi-Code」で松本さんとしばし話したところ、コロナ禍以降、バンドの活動は戻ったものの、観客が減少しているとのことだ。松本さんの企画も同様のようで、一昨日は70名ほどであったのに、昨日は25名であった。ひどい雨が大きな原因としても、ライヴの集客の難しさを実感することになった。またチラシはほとんど効果がなく、SNSに頼るべきとのことだが、SNSでどのように宣伝すれば効果的なのかわからない。松本さんの作った今日の2枚目の画像のチラシが少々地味ではないかと意見しようと思ったが、デザインを専門家に委ねると出費が嵩む。今回のチラシは4日間のライヴ共用で、毎日4つ、計16のバンドが登場し、どれも松本さんが個人的によく知っている。筆者はそれらのバンドのうち、いくつかのライヴを見たことがある。昨日はザッパ絡みのバンドばかりが出演するので、筆者はついでにゲスト出演という松本さんの思惑であったのだろう。今回の出演依頼は去年の春にあったが、いい日取りの会場の予約は1年前からするのが得策のようだ。松本さんにすれば好きなバンドのまとめての紹介は自身の1年の最大のお祭りなのだろう。今回のチラシには「サンクスギヴィングング」とあって、秋のキリスト教の感謝祭の油彩画の画像を使いながら、出演バンドへの「感謝のお祭り」という意味だろう。先にチラシが地味と書いたが、16のバンドすべての画像を1枚に印刷することは無理で、それで日時と出演バンド名のみとなったのは仕方のないところがある。一昨年の夏、松本さんから筆者の名前も含めて、バンドのロゴをちりばめてTシャツにプリントするので、協力してほしいと言われた。承諾はしたものの、何のことかよくわからず、そのままにしていると、1年経った去年また同じことを言われ、『そうか、バンドのロゴマークのようなものを提供すればいいのか』と、ようやく思い至り、早速筆者の印章画像を送信した。
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』筆者のトーク_d0053294_02330964.jpg それはネットでも公開しているが、どれほどの大きさがいいのかわからず、昔のデジタル画像らしい雰囲気で描いた。それはともかく、今回松本さんとは大阪万博の話から大阪の文化についで話が広がり、筆者と同じ考えであることに、彼の性格とそして好きなバンドのライヴ企画にかける意気込みがわかった。わずかな集客では会場費や出演バンドへのギャラがどうなるのかと心配するが、そこまで踏み込んだ話はしていない。若い画家が個展しても作品はほとんど売れず、赤字は当然であるから、松本さんや出演バンドもそのことはわかっているだろう。運よく客入りが予想より多ければ、わずかであってもギャラは出るし、そのわずかな金額でも出演者は嬉しいものだ。今回オープニングに際して松本さんは音楽を50年聴き続けて来たことへの感謝としてライヴを企画したと語った。その言葉を聞きながら筆者は60年になると思った。しかし音楽は幅広くて奥深い。特によく聴く音楽は特定のカテゴリー、さらにはその中の特定のミュージシャンとなりがちだ。松本さんと筆者とでは辛うじてザッパで関心の共有があるのみで、そのことを自覚するゆえに今回のお祭りの4日間のライヴの2日目としてザッパ絡みのバンドが揃えられた。つまりザッパはPROGという捉え方で、これは広い意味では正しいが、本来の意味からすれば6,70年代のイギリスの急進的なバンドないしその系譜を濃厚に引くバンドであって、筆者と松本さんとの年齢差が微妙に好みの音楽に反映している。あるいは筆者と同じ年齢のロック・ファンがザッパよりもイギリスのPROGに心酔し、今に至っている場合はあるはずで、筆者はそういうロック・ファンとはおそらく話はほとんど噛み合わない。これはロックの音楽性における英米の差が大きく、そのどちらを好むかという問題ゆえだが、ロックを聴き始めた頃にあるミュージシャンやグループのファンになると、たいていは深掘りをして他の遠いバンドに関心を持たなくなるからだ。その点、松本さんはザッパにも関心があって、PROGの範疇に含む音楽は数多いのだろう。しかし大阪でのライヴとなると、大阪を中心としたバンドが主になるのは致し方のないところだ。昨日は東京のPROGバンドはどういう状態にあるのかと素朴な疑問をぶつけたが、話が飛躍し過ぎて松本さんは面食らったであろう。また東京に興味深いPROGバンドがいても、彼らを大阪で演奏させることは旅費の面からハードルが高い。ザッパ・ファンの畠中さんともしばし話したが、今月の10日の京都でのザッパニモヲの演奏時の客は他に2,3人ではなかったろうか。今日の最初の写真は、左がその10日のライヴで配布した筆者手製のお土産で、右が昨日配布したものだが、25部用意し、客数と同じとなった。この2枚の絵はここ数年毎年育てている鶏頭の種子蒔きである一方、ザッパつながりでもある。
●『THANKSGIVING FOR PROG 2025』筆者のトーク_d0053294_18334463.jpg
 さて、午後2時に会場入りしてほしいと言われ、そのとおりにしたが、リハーサルは不要で、すぐに用事で宝塚に行き、3時間後に戻った。筆者には30分が用意され、去年の段階では松本さんからのインタヴューとなっていたが、先日『ザ・イエロー・シャーク』のコンサートについて話してほしいと言われた。ステージ上のスクリーンに映写出来るとのことで、早速その画像資料を選別し、38枚を用意した。それらをグーグルのマイドライブにアップし、そのファイルを松本さんと共有設定した。その作業に1週間ほど費やしたのは、どこへ行ったかわからない資料を探し続けたためだが、結局わからず仕舞いとなっている。ザッパが来日した1976年の新聞記事の映写から始め、筆者が31歳の時に書いた最初のザッパについての文章「大ザッパ大雑把論」の原稿複写写真、そしてそれが掲載されたLPやその後のCD時代のポスター紹介などで前半を終え、後半は91年に初めてわが家で話をしたイギリスのサイモン・プレンティスさんの紹介があって実現した、92年に息子を連れて訪れたドイツのフランクフルトでのアンサンブル・モデルンによるザッパの『ザ・イエロー・シャーク』公演の話に移り、またその時に知り合ったドイツのザッパ・ファンを通じての文通と資料入手などについて語った。時計を見ていなかったが、30分を過ぎたと思う。写真の映写は、松本さんのスマホを機材につないでのことで、筆者の指示で次々に画像を変えてもらった。これまで書いたり話したりして来たことばかりだが、改めてザッパと会った33年前のことやそれに至る経緯を思い出すと、運命と呼びたい何かがそこにはあったことを実感する。その運命とは結局人との出会いにほかならない。疎遠になった人もいれば死んだ人もいるが、一方では新たに知り合う人もいる。つまり運命は死ぬまで持続中であり、場合によっては死んでも続く。誰しも年齢を重ねることで新たに見えて来ることがある。用意した38枚の写真は折りを見ながら新たに加え続けたい。となれば、筆者にとってのザッパとそのつながりの人々との出会いなど、新たに何か書ける気はしている。そういう話を聞きたい、読みたい人がいるかどうかは考えない。自分が知らないだけで優れた読者はいるものだ。書き手の自分が一番偉いと自惚れるとたちまちろくでもない文章になる。これはどのような表現行為でも同じで、高をくくるとそれ相応の卑しいものになる。今回のライヴは若い女性が目立ったが、最初のバンドの出演が終わると一斉に姿を消した。彼女らはザッパの音楽を知らないだろう。となれば筆者のザッパについてのトークも興味がないうえ、聞いたところでほとんど意味不明のはずだ。ザッパの音楽は古く遠くなったと言いたいところだが、それは古典になった、すなわち学ぶべき規範のひとつとなったということだ。

# by uuuzen | 2025-05-25 23:59 | ●ライヴハウス瞥見記♪
●京都河原町三条「DEWEY」にて、『ザッパニモヲ・マザーズデイ・ライヴ』
物を 仕舞いて夏の シャツ・アロハ 上半身の 刺青見せて」、「畸人とは 役に立つこと 考えず コスパとタイパ 無視して笑い」、「白拍子 舞て踊るや 変拍子 人気者へと とんとん拍子」、「キリギリス ギリギリ生きて ギスギスに されどキリリと 凛々しき姿」
●京都河原町三条「DEWEY」にて、『ザッパニモヲ・マザーズデイ・ライヴ』_d0053294_14384169.jpg
レザニモヲはハロウィーンをもじって秋のザッパ・カヴァー・ライヴをザッパロウィンと呼ぶことにし、その際、他のメンバーを集めてバンド名をザッパニモヲとした。また去年に続いて2回目となった今月10日の「母の日」のライヴは、ザッパニモヲ単独の演奏披露であり、途中休憩を挟んで前後合わせて2時間ほどの長丁場の演奏となった。そのため、ザッパニモヲの本領を聴くには「母の日」に因んだライヴの方がザッパロウィンよりも楽しめる。ザッパは生前に60ほど、没後30年ほどを経た現在は130ほどのアルバムが世に出ていて、同じ曲でも異なるメンバーによる異なるアレンジとなっている場合がほとんどであるから、一口にカヴァー演奏と言っても範とする元の曲は大量にある。それゆえカヴァーする人はかなり自在にアレンジの出来る余地、そして楽しみがあるし、もちろん聴き手にもその工夫の跡を知る楽しみがある。クラシック音楽は楽譜どおりに演奏することがもっぱらだが、指揮者によっては作曲家が書いた楽譜を大胆に変えて演奏させる場合もあって、その賛否はいろいろ問われて来ている。楽譜に完全に忠実に演奏すべしとなればシンクラヴィアなどのコンピュータに演奏させればいいという話になるが、実際はそうした楽器では味気ないことを誰もが知っていて、結局のところ楽譜があっても演奏はさまざまである現実を人々は面白いと考えている。ストラヴィンスキーは自作曲を指揮した時、楽譜に忠実であることをモットーにしたが、同じ意思を持ってストラヴィンスキーの楽譜のミスを本人に指摘して訂正を得たうえでストラヴィンスキーの曲を指揮したピエール・ブーレーズの演奏は、ストラヴィンスキーとはまた違って精緻な味わいがあって、楽譜に忠実を心がけながらも指揮者によって異なる印象の演奏がもたされる。これはあたりまえのことで、クラシック音楽ファンはその些細ではあるが、見方によれば大きく異なる演奏の味わいの差を識別する楽しみを持っている。ザッパは時に楽譜に書いたが、ジャズのように即興演奏を中心としたから、同じ時期の同じ曲の演奏でも毎回違ったと言ってよく、それで没後にそうした演奏を収めたアルバムが毎年発売される。最良のテイクは生前にザッパが発売済みかと言えば、そうとは言い切れない面があって、熱心なザッパ・ファンはアルバムを欠かさずに買う。YouTubeが登場してからは海賊版のLPやCDは影を潜めたので、金を使わずに済むようになったが、大量の音源を聴く時間が見つけられず、ザッパの未知の音源には公式発売以外は食傷気味になっている。
●京都河原町三条「DEWEY」にて、『ザッパニモヲ・マザーズデイ・ライヴ』_d0053294_14390791.jpg
 ザッパの最晩年にドイツのファンがザッパナーレというカヴァー演奏のお祭りを毎年開催し始め、それが現在まで続いているが、日本独自でそうした演奏会が開催されないものかという期待に応えてくれたのがレザニモヲだ。彼らの呼びかけに賛同してバンドが結成され、メンバーの若干の入れ替えはあるものの、毎年京都でザッパロウィンが秋に開催されるようになった。さあやさんによれば、年一度のライヴでちょうどいい加減とのことで、「母の日」に単独で演奏することは過酷だそうだが、過酷は承知で練習を重ねればそれだけレパートリーが増え、演奏能力は上がる。年一度では実力の保持で精一杯ではないだろうか。昨日書いたように、ザッパは自己にも極端な練習を強いた。一世紀にひとり出るかどうかというほどの天才であれば膨大な練習とは無関係に歴史に名を残す作品を生み出すが、人よりかなり抜きん出た才能のある、また誰よりも目立つ「華」のある表現者であっても、まず求められるのは練習量の多さだ。ザッパはメンバーを雇っていたので、ボスであるザッパの思いにかなう演奏を披露するには過酷な練習をすることは当然であったが、ザッパニモヲはザッパ好きが集まってのバンドで、また客入りは会場の大きさからしてわずか期待出来ず、いわゆるモチベーションをどこに置くかという問題があることは容易に想像出来る。筆者は毎回呼ばれて適当なことを話せばいいが、合奏する演奏者は一堂に介しての練習が必要で、そのための費用と気力をどう保つかの問題がある。となれば少しでも大きな会場で演奏して収入増加を図るしかない気がするが、昨日書いたようにザッパ曲のカヴァー演奏を楽しみにする人は変わり者で、世間に多くはいない。ならばザッパ・ファンが多く集まるザッパナーレに出演するかという考えに至りもするが、渡欧費用を誰かが負担しなければ土台無理な話で、そのことはザッパナーレに出演するバンドがクラウドファウンディングに頼ることがある現実が示している。ヨーロッパが無理ならば東京ではどうかという考えが浮かぶが、せめてホテル代と新幹線代が賄える客数の動員が必要だ。これがチラシ配布を含め、SNSなどの素人個人の宣伝だけで実現するかどうかは大いなる賭けで、現在のところザッパニモヲは京都のみでの演奏に留まっている。京都は東京にはない持ち味があって、ザッパニモヲが京都に限って演奏することは見方によれば強みになると思うが、それにはやはり春と秋以外に、しかも別の場所で演奏を積み重ねて行くことを狙うしかないだろう。演奏ごとにレパートリーを増やし、実力が高まって来ているからには、より多くの人に聴いてもらう方策に対しても気配りすべきだが、メンバー全員が他に仕事を持っている状態でのザッパニモヲであって、現状維持されているだけでも特異なことと言わねばならない。
●京都河原町三条「DEWEY」にて、『ザッパニモヲ・マザーズデイ・ライヴ』_d0053294_14393841.jpg 今回の演奏は前後とアンコールを合わせて23曲で、メドレー曲を分けると25曲になる。またヴォーカルを含まない曲ではJoeは舞台から降りるなどして、常に7人全員の演奏でないことはいつもと同じだ。またそうした部分メンバーによる演奏を挟むことでライヴ全体が変化に富むものとなっていることは、そもそもザッパ曲の本質を体現していて、悪く言えば「捉えどころのなさ」だが、よく言えば「多種多用」「変幻自在」が味わえる。部分メンバーによる演奏はそのメンバーだけの練習と力量に負うから、息さえ合えば、そして楽譜が念頭にあれば、比較的練習はしやすいであろうし、その点でさあやさんと東京ザッパラスのイマケンさんのふたりは大いに気の合った白熱ぶりを見せた。7人全員がそれぞれ実力者であることは言うを俟たないとして、やはりさあやさんの存在は大きく、彼女がぜひとも演奏したい曲が少しずつレパートリーになって来ていると想像する。今回その代表曲は前半の最後近くに演奏された「エキドナのアーフ」だ。これは73年のザッパの器楽曲の代表としてよい。それは「リダンズル」や「デュプリーの極楽」のように主題が短くて大半がメンバーの即興ソロという曲とは違って、曲の大半が楽譜に書かれ、それをユニゾンでしかも素早く演奏する必要がある。また打楽器の活躍が目立ち、この途轍もなく明るさに満ちた曲をさあやさんが演奏したがったとして、それはよくわかる話だ。しかし一方で他のメンバーにこの曲の披露を提示した時の反応がどうであったかの興味深い疑問もある。結果的にギターを含め、よくぞ練習したなという仕上がりであった。ザッパの黄金時代と言ってよい73,4年のレパートリーの多くをザッパニモヲが手掛けて来ていることの努力と心酔ぶりに、ザッパの音楽を知っている人にはぜひとも一度はライヴに接してほしい。ところで、ザッパのライヴはギタリストであるザッパの出番がファンの期待するものになっていて、73,4年でもそうであったものの、後年ザッパのソロ・ギターの占める重要度が増して行くことに比べればまだ当時はメンバー全員の持ち味がバランスよく発揮されていた。その意味でザッパニモヲのギタリストがザッパのように長大なソロを聴かせなくても7人のアンサンブルを楽しめばよい。またザッパが用いた旋法を猛烈に練習してザッパ風のソロをものに出来たとして、それが面白いもの、すなわち個性的なものとなるかどうかはわからない。自己の内部で何を見つめて発酵させ、それを他者に披露出来るまでの自信を獲得するかは、また繰り返しになるが、信奉する存在を内面に抱えたうえで猛烈な練習が前提になり、その成果を人前に提出し続けるしかない。それは恥を曝すことでもあるが、恥を自覚することは上達の見込みがある。この言葉は筆者自身に向けてのものでもあって、即興の綴りはここで終える。

# by uuuzen | 2025-05-14 23:59 | ●ライヴハウス瞥見記♪

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