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●「豆撒いて 鬼を退治の 立春は 杉の花粉の 飛散で悲惨」
きの 親はおらずも 子は育つ 愚か賢き 問うな人の世」、「3月の 陽射しよき午後 ひとり行く 古き町並み ダンプが走る」、「古き町 家壊されて 駐車場 いずれ家建ち 若き夫婦が」、「体力が 落ちて鈍るや 気の力 死なぬ限りは また気は戻り」
●「豆撒いて 鬼を退治の 立春は 杉の花粉の 飛散で悲惨」_b0419387_18394631.jpg
2月中旬にシャツの襟が被さらない首の右後ろに吹き出物がひとつ出来た。爪で潰そうかと思いながら放置し、それが消える2週間ほど経った頃、心臓の上部が痛み始めた。今までにないことで少々心配したが、心臓ではなく、皮膚に赤い発疹がいくつか出来ていて、それが肌着に触れて痛むことがわかった。発疹は増え、今掌に収まる範囲に広がっている。じっとしていても痛く、眠る時は右肩を下にしなければならない。肌着が膿で汚れるので、家内は帯状疱疹ではないかと言う。昨日は朝から熱があり、終日横になっていたが、夕方になって「風風の湯」に行く直前に計ると38.5度だ。ネット情報によればサウナには入らないのがよく、湯に浸かるのはかまわないとあった。風呂から戻った後、いつもより4時間ほど早く寝て、いつもと同じ朝10時過ぎに起きると、37.5度であった。帯状疱疹として、花粉症が原因だろう。花粉が飛び始めた2月中旬から花粉が収まる5月いっぱいまでの約4か月間は、老化による体力の衰えから毎年発疹に悩む。備忘録として何か事がある日は数文字でこの文章を書くファイルに順次記しているが、去年5月のある個所を次に引用する。『23日:午後スーパー帰りに悪寒、24日:寝込み、25日:寝込み、26日:体温下がる、「風風の湯」で桶忘れる、満印カード、27日:寝込み、28日:寝込み、29日:寝込み、雨の中「風風の湯」で桶見つける、30日:雨上がる、熱高い』つまり下旬の1週間ほどは体調が悪化し、5日間は寝込んでいた。それが今年は2か月早く訪れたかもしれない。今月下旬は種々の用事で外出しなければならないのに、この調子ではどうなることか。今回発熱した理由は一昨日税務署に申告に出かけ、その後、気になっていた市内の道を5,6キロ歩いたことによるだろう。花粉が舞う中、マスクをせずに歩くと、吸い込んだ花粉が体内で悪さをするのは当然で、防毒マスクを被って出かけるべきだが、そういうファッションがそろそろ流行するのではないか。防毒マスクがいやなら杉花粉のない地域に行くのがよく、日本では釧路や宮古島とのことだが、どちらも4か月の滞在はかなりまとまったお金が必要だ。それで筆者は発疹で血まみれ、痛みに苦しみながら連日布団の中で呻き、腹いせでこういうことを書いて少しでも痛みを忘れる。それはさておき、今日は一昨日出かけた際に撮った写真から3枚載せる。最初は一条戻り橋で、2枚目はその東の畔で満開になっていた桜で、数人の外国人が見上げて写真を撮っていた。筆者が橋に着いてから去るまでの間ずっとで、たぶん10分ほどは同じ場所で花見をしていたであろう。
●「豆撒いて 鬼を退治の 立春は 杉の花粉の 飛散で悲惨」_b0419387_18400240.jpg
 2枚目の写真を撮るのが当日の目的であった。そのことの詳述は後日とするが、いつのことになるかわからない。早ければ数日以内、遅ければ数年後だ。目下筆者は新たな関心事を抱き、それについての資料集めと読書の必要があり、充実したことを書くにはかなりの日数を要し、数日後では序的なことしか書けないが、今日はさらにその序だ。一昨日は右京税務署から西大路通りを市バスで北上し、北野白梅町で降りた。そこから北野天満宮に至る東に向かう道はこれまで何度も歩いたが、今回は一条通りを東に歩き、堀川通りの一条戻り橋まで行くことにした。帰宅して調べると西大路一条通りがあることを知った。筆者は今出川通りを東に向かい、最初の信号を南にわたってすぐの東向きの細い道に入った。それが一条通りと思ったのだ。ところがすぐに突き当たりが見え、右折すなわち南下した。やがて右手の電柱に「大将軍八社」を示す看板があって、そこに寄って写真を撮るつもりが、一条通りに出てそれを東に向かうと見つからなかった。これも先ほど調べると西に向かうべきであった。一条通りは商店街になっていて、多くの店舗前に妖怪を象った置き看板があった。京都に長年住みながらその北野商店街を歩いたのは初めてで、やがて今日の3枚目の写真の場所に着いた。三叉路で、付近が歴史的に有名な場所であることを謳っている。そのまま商店街を東に進み、やがて千本中立売に出た。その時に気づいた。筆者の母方の叔父が昔西陣の帯を織っていた頃、千本通りに出るひとつ手前の北へ上がる道を少し入ったところで工場を所有していた。そこに最後に訪れたのはもう30年ほど前だ。機織り業は廃れ、代わってマンションが増えた。先の三叉路付近でも家を取り壊し中で、ダンプが出入りしていた。同じことは千本通りから東の一条通りでも見かけた。それはそうと、千本中立売から北が一条通りのはずで、大きなパチンコ屋の前に出た。その店の北端み道の西を見通すと、それが一条通りらしく、その先がどこかと西に歩いた。すると3枚目の写真の三叉路に着いた。つまり一条通りは三叉路で途切れ、北を少し上がって東に進まねばならない。無駄足を踏んだようだが、たまたま叔父が住んでいた家付近を歩いたことはよかった。西陣辺りの古い町家もいつまであるやらで、西陣の機織り業が盛んになる以前は街路はまた全く違っていたろう。何事も少しずつ変わって行く。幼児と老人が同居するからには当然だ。ところが多くの人に長年記憶されるものが稀に生まれる。それを培うのが人間らしきことだ。京都にはそうしたものが重層的かつほとんど無数に存在している。一条戻り橋の写真を撮りたくなったのも芸術の関心による。それは現在大多数の人が知らないことであっても、作品があればそれを新たに見つける人がいる。
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# by uuuzen | 2024-03-16 18:47 | ●新・嵐山だより
●「加工して 美から遠のく 効果とは 知性不足の なせるわざなり」
罰か 花粉因みの アレルギー 痒き発疹 痛み血まみれ」、「出歩けば 花粉まみれで くしゃみかな 植え過ぎ杉で 子孫に害が」、「杉花粉 役に立たぬか 糠床に 混ぜて漬けるや バイオ培王」、「売茶翁 今は生きれず 何を売る 売り手不要の 自販機時代」●「加工して 美から遠のく 効果とは 知性不足の なせるわざなり」_b0419387_20215356.jpg 先ほどイギリス王室のキャサリン妃と子ども3人が一緒に撮影された家族写真に加工の跡が見られるとして配信が撤回されたとのニュースがあった。早速その画像を調べたところ、今日の最初の写真の赤い矢印のように、シャーロット王女を抱えるキャサリン妃の左手首上端で、王女の髪の毛が一部不自然に白っぽく、その箇所を含む横方向の帯状に加工した痕跡がわかる。たぶんキャサリン妃の左の指と甲が暗く写っていたので、その全体をわずかに明るくしたのだろう。筆者はキャサリン妃の左手がおかしいというネット情報によって画像を拡大して加工箇所を発見したが、その指摘がなければ疑わないし、わからない。一部を明るくする加工は形を変えることとは違って加工の範疇に入らないと思うが、社会の階層の頂点に立つ王室であれば許されない事情はわかる気はする。下々に模範を示さねばならないからだ。しかし同じほどの有名芸能人から無名の一般人は、SNSに載せる写真は加工のし放題だ。それどころか整形手術でもはや原型を留めない不気味な顔を自慢する若い女性をネット上でたまに見るが、喜劇的ホラー映画が現実に浸食し、美しい顔とは何かをなおのこと考えさせる。知性を伴なった顔が美しいと言われても、大多数の知性とは無縁の人たちは見栄え重視になるのは致し方がない。それはさておき、先ほど筆者は家内に家の中で顔を撮影してもらった。今日の残り3枚がその写真で、その最初のものはキャサリン妃の手首に加工跡があることを知る直前に加工を施した。それはマフラーの下からわずかに覗く黄色のシャツが筆者の肌と同じ色に写り、首元が不自然に見えたからだ。それでシャツの肌色を元の黄色に変えたのだが、そのわずかな加工でも非難される時代がやって来るのだろうか。またそういう加工をAIが確認出来るとして、さらにAIでは見抜けない加工技術が登場するはずで、「よく見せたい」という人間の意識が変わらない限り、つまり美を求める人間の本性が変化しない限り、画像加工はなくならない。それどころか、加工とは手を加える、すなわち手作りで、これは人間の本質だ。筆者の本職は手のみで作る友禅染で、筆などの道具は使うが、機械は使わない。ところが完成したキモノをその技術を知らない人が目の当たりにしても、すべて手染めであることがわからず、版画か印刷したものに思うようだ。今や魚や野菜でも工場製品と変わらないものになり、観光客がレンタルするキモノも帯ではインクジェット・プリント製品が登場し、縫製は当然ミシンで、消耗品扱いだ。
●「加工して 美から遠のく 効果とは 知性不足の なせるわざなり」_b0419387_20221121.jpg 今日の2,3,4枚目の写真を撮ったのは、去年12月に撮った写真が不出来であったからだ。それはわが家の前で家内に撮影してもらい、筆者以外に邪魔なものが入った。その箇所を消すのが面倒で没にした。撮影した理由は被っている帽子を示すためだ。ネット・オークションで入手した黒色の綿製品で、手作りだ。筆者は毎年耳たぶにしもやけが生じ、血が滲んでいた。暖房費をケチった生活が明らかにわかるので、家内は何年も前からそれをどうにかしろとうるさかった。「風風の湯」での知り合いの嵯峨のFさんは部屋に冷暖房を一切入れずに過ごしているが、わが家ではストーヴはたくさんあるものの、ガス管工事でガス・ストーヴは使えなくなり、またデロンギのオイル・ヒーターは3台もあるのに電気代が異様に嵩むために使っていない。それで昔の電気ホーム炬燵に電気カーペットを併用し、ストーヴを使っていない。そのために耳たぶにしもやけが出来る。外出時は耳たぶを覆う帽子を被ればいいと考え、去年11月にネット・オークションで手ごろなものを見つけた。ただし真っ黒は無粋で、自分で装飾を施すことにし、ヴィヴィアン・ウエストウッドのズボン裾をカットした生地を転用してアップリケを施すことにした。その作業の途中で、大阪福島のとある公園での461モンブランの演奏があった11月12日に被って出かけたが、その後作業を続け、12月上旬に完成した。それからはスーパーなど外出の際はほぼ必ず被ることにし、耳たぶにしもやけが生じなかった。しかし今年は暖冬であったから、その帽子を被らなくても、しもやけにはならなかったかもしれない。それはともかく、耳を覆えば外気に触れる割合は激減し、昭和時代の貧乏人の象徴であったしもやけが出来ないことは子どもでもわかることであったのに、72の爺さんがようやく腰を上げてそのしもやけの対処を半分自作の帽子で行なった。そのことは特筆しておいてよいと判断し、こうして写真つきで投稿しておく。耳当て箇所の裾端にホック・ボタンを自分で縫い付け、その雌雄ボタンをはめると顎を完全に覆うことが出来る。そうなると風が吹いても耳は万全で、音もよく聞こえるので不便はない。なお、この帽子を被る際のマフラーは必ずセサミ・ストリートでお馴染みのクッキー・モンスター柄で、30数年前から着用しているお気に入りだが、その紺と青の色合いは半手作りの帽子の色合いとほぼ同じであることが面白い。セーターも同じ色合いのものを所有するが、面倒なので今日の撮影では着用しなかった。因みに写真の多色のセーターも3,40年前のものだ。スーパーに行く際も写真の帽子とマフラーで、風を通さないコートは着るが、たぶん「変な爺さん」と目立っているだろう。実際そうであるとの自覚があって気にしてはいない。「今年こそ 耳にしもやけ 作らぬと 耳当て帽子 作りすっぽり」
●「加工して 美から遠のく 効果とは 知性不足の なせるわざなり」_b0419387_20222653.jpg もう一段落書く。2、3週間前から早くも花粉の飛散が伝えられた。去年の筆者は花粉症から発疹が特に両脚に生じ、それが5月半ばで治った。アメリカの大西さんから贈ってもらったヒマラヤの岩塩を湯に溶かし、「風風の湯」に行かない日、つまり1日置きにそれを膝がすっぽり収まる容器に熱湯で溶かし、発疹患部を温めることを続けて完治したが、今年は5月中旬までまだ2か月ある。それまでの間、今年の花粉症が筆者の身体にどういう影響を及ぼすか。いいように考えれば、去年免疫が出来て今年は花粉の被害はないと思いたいところだが、すでに花粉の害を被っている。今朝西院でのライヴを誘う金森さんにメールした内容を繰り返すと、終日両眼が痒く、瞼を擦り過ぎて皺だらけになり、またくしゃみが出始めると10回ほど続く。そして手元には洟をかんだティッシュの山で、上半身に発疹が生じて来た。特に気になったのは1週間ほど前からの心臓の上の痛みだ。何の兆候かと心配したところ、昨日「風風の湯」でその箇所を見ると、発疹が生じていた。その付近に同様のものが数か所あって、背中にもいくつか生じているが、特に痛む部分にバンドエイドを貼りつけた。心臓ではなくて皮膚なので安堵してはいるが、去年の経験からすればやがて発疹は全身に広がり、完治までに1か月は優に要する。また両脚に数十か所となれば歩くのに苦労するから、今はじっと我慢の爺だ。ここ2、3日は外出しないのに何となく疲れを普段以上に感じ、10時間ほど眠った。体が花粉と対決しているのだろう。数日前に「風風の湯」で親しくなった太秦のMさんに露天風呂で話したが、子や孫のために日本中で植えた杉の手入れをする人がおらず、また外国産の木材の価格に勝てず、放置されたまま花粉を撒き散らして今や4人にひとりが花粉症で困っている。後代によきと思って為すことが負の効果をもたらす事例で、そのことを確定させないためにも杉山を有効利用すべきだが、人口減少と、金にならない話には誰も関心を持たないので放置される。それを教訓とするならば、親は子どもや孫のことを思わず、好き勝手をやるべきだ。まあ筆者はそのように生きているが、それはそれで子どもが迷惑するはずで、結局誰しも自分が信じることにしたがって生きるしかなく、また誰でもそうしている。何が言いたいかと言えば、必ず子孫のためになるという驕った考えは、大多数の人に迷惑をかけかねないことだ。せっせと杉を植え、他人に迷惑をかけないことが美徳と教えた先人は、今の花粉症で苦しむことをどう思っているのだろう。あたりまえに考えて杉山は不自然そのもので、それが人間に害を及ぼすことは賢い子どもなら気づく。植林者の子孫がいるのであれば杉をどうにかしてもらいたい。杉を植えたのは将来金になるからで、金儲けをたくらむ連中はろくなことをしない。下の写真はそういう人物に見える。
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# by uuuzen | 2024-03-11 20:30 | ●新・嵐山だより
●「白衣着て 吐く息白し 看護師の 部屋の掛軸 白衣観音」
まぶし ゆっくり食べて 暇つぶし 迷惑客の 私物化麻痺し」、「観音の 官能感じ あかんのん おふざけだめよ お口お塞ぎ」、「駄洒落爺 お洒落な服で 笑い福 はははと歯見せ 婆ははにかみ」、「時勢見て 自制すべきと 自省すも むらむらむくり 無理なき男」
●「白衣着て 吐く息白し 看護師の 部屋の掛軸 白衣観音」_b0419387_16091673.jpg
頭の中のもやもやがむくむくと湧き立つことは常にたくさんある。その中から何となく決着がつきそうな、つまりもやもやが解消出来そうなことは、よっこらしょっと決心と行動を経て手応えを得る。筆者はそのことをブログに書いておきたい性分で、以前に投稿したことの落とし前をつけたいからだ。もっともそのことは筆者のみが気にしていることで、ブログの読者は筆者が次に何を書くかを全く知らず、またそのことを期待している人もないから、筆者の落とし前的ブログ投稿はひたすら自分が納得して楽しいだけだ。他者にそのことは伝わらないと思うが、書くのであればまずは自分が楽しいことを最優先すべきで、表現とはみなそうあるべきと筆者は思っている。とはいえ、SNS時代ではそれが自慢となり、他者に対するマウント取りに映り、批判の対象になるから厄介だ。さて、先月24日の投稿に布石として書いておいたことがある。12日の兵庫県立美術館での資料室で探した本が24日に訪れた歴彩館にあって、そこでコピーを撮ったことだ。歴彩館に訪れた理由はそのコピーだけではなかったが、新風館で461モンブランの演奏を聴くために、より時間がかかる調べものは次回にと諦めた。そのコピーした資料は18年前の春に東福寺で開催された展覧会では、ガラスを隔てずに明兆の作品などを目の当たりに出来た。京博での展覧会はそれ以来で、そして空前の大規模展であった。それもあって会期中に展示替えがあり、目当てにした「白衣観音図」は見られなかった。売店で図録を確認すると、1ページ大にその大幅の著色の掛軸が掲載されていた。ただし観音の顔部分の拡大図はなく、その図版では顔の幅は1.5センチほどだ。明兆の作品を紹介する大きな画集があるが、筆者はそれを確認したことがない。またあっても「白衣観音図」の顔部分の拡大図はたぶんない。なぜ拡大図を求めたかと言えば、18年前にその顔の部分を実作品を目の前にして鉛筆で模写したからだ。そのことは当時ブログに投稿し、今も鮮明に思い出せる。特別な経験はいつまでも新鮮だ。結婚式のようなよきことが離婚で幻滅の記憶になるのと違って、裏切られないことは人生の糧だ。
 改装前の京博では申請すれば写生は許可された。ただし常設展示の作品で、当然のことながらガラス越しだ。平成館が出来てからはそういう写生はたぶん許されないのではないか。観客の邪魔になるし、また海外の美術館や博物館でよくあるように、作品に危害を加えようとする連中がいる。そう考えると、18年前に筆者は明兆の「白衣観音図」を初めて目にし、すぐにそばにいた若い男性係員に声をかけ、携帯していたはがきサイズの写生帖に模写していいかと尋ねたところ、快い返事がもらえたのは鷹揚な時代であったことになる。それは同展の鑑賞者が筆者しかおらず、誰も模写の許可を求めなかったので、その修行僧らしき若い男性は虚を突かれたのだろう。筆者は早速手提げ袋から鉛筆を1本取り出し、左手で厚さ1.5センチほどの写生帖を持ち、眼前の「白衣観音図」に対峙した。大きな絵で、下部は巻き上げてあり、ちょうど鑑賞者の目の高さに観音の顔が位置していた。ただし、最も近づいても距離は1メートルあり、もちろんそれ以上顔を接近させると、横にいる係員は注意するから、直立不動で消しゴムは使わず、手直しが利かない一発勝負で描くしかない。それはいいのだが、写生帖はごく小さい割りに分厚く、閉じシロ箇所を押し広げ続けなければならず、立ったままの姿勢では思いのほか描き辛い。つまり観音の顔を身動きせずにそのまま描くこと、せいぜい5分程度で描き、手直しが利かないこと、係員のすぐそばであるといった非日常的諸条件での模写で、極度の緊張を保った。ただしそういう緊張は好きだ。なかなかよく出来たのではないかと満足し、係員に礼を述べ、最寄りの日赤病院内の郵便局に直行し、そこで切手を1枚買って記念印を押した。そしてその写真をブログに投稿したが、左端の閉じシロが完全に広げられないので、絵の左端は実物より短縮状態で写るほかない。投稿後、その模写が実物とどれほどさがあるのかが気になり続けた。それで去年12月の東福寺展に出かけた。その時、展覧会を見た後に家内と一緒に日赤病院前を通って東福寺に行ったが、その歩みのルートは18年前とちょうど反対方向であった。家内と一緒であったのはお互い健康であったからで、そのあたりまえのことをそう思わずに感謝すべきだ。筆者は72、家内は70で、18年前に観音の顔を模写したことを思えば、18年後の筆者は90になっている。その年齢まで生きられない可能性が大きいだろう。生きたとしても心身の自由が利かず、思うようなことは満足に出来ない可能性が大きい。肺が悪く、リウマチで毎月医者に診てもらっている家内は、家内の母や姉の寿命を考えれば90までは無理で、元気な間に楽しもうという気になるが、特に贅沢をするというのではなく、気の済むようにしたいことをするという日々の平凡な繰り返しにある。
●「白衣着て 吐く息白し 看護師の 部屋の掛軸 白衣観音」_b0419387_16095754.jpg 10年前に家内は両方の肺に疾患が見つかり、癌の疑いがあって手術した。幸いなことに癌ではなかったので手術は案外早く終わったが、もう片肺は薬で治療することになった。その費用がわが家からすればあまりに高額で、結局その薬を服用せずにやがて済み、今は別の薬を処方してもらっているが、当初の薬もまた驚くほど高価で、しかも効き目がなく、却って体はおかしくなった。若い医師はもっと高額の薬を勧めるが、たぶん薬代だけで毎月50万円は必要だろう。筆者は薬を服用せず、たまに寝込むことがあっても自力で治す。医者や薬がないものと思って生きている。医者も薬もないと覚悟すれば無茶な暮らしはしない。好きなことを好きなようにするというモットーだ。6回結婚したアラン・ホヴァネスは、写真で見るとかなり温厚な紳士で、女性に事欠かなかったのだろう。それも才能で、また長生きの秘訣に違いないが、年寄は清潔感と才能と経済力がなければ女性は振り向かない。たいていは経済力があっても芸術的才能は皆無で、清潔感もないが、それなりの女性が好む。清潔感と芸術の才能があっても貧乏人では話にならず、やはりホヴァネスは特別であったと納得する。話が脱線した。家内が肺の手術で入院する少し前だったと思う。ネット・オークションで楊柳観音を描いた版画の掛軸を入手した。絵は上手ではないが、観音の上に一辺20センチほどの方印が捺され、それが般若心経の篆文による全文であることに感心した。絵よりもその方印に惚れたのだが、絵は嫌味がなく、1日の大半を家内が過ごす部屋にかけておくと、何となく見守られている気分になる。その楊柳観音図が功を奏したのか、家内の肺疾患は癌ではなかった。それ以降、その観音図の掛軸をずっと掛けっ放しにしている。もちろん護符の思いからで、筆者は迷信深くはないが、不吉なことは避けたいし、部屋に飾るのであれば気持ちのいい絵がよい。それには変に芸術家を気取った作品は駄目で、無欲さを感じさせるものに限る。それはともかく、その楊柳観音の版画軸を買ったのは、その8年ほど前に東福寺で白衣観音の顔を模写したことが影響している。その絵以外に明兆の同様規模の大幅は10点ほどあったと思うが、同じく正面顔を描く達磨大師ではなく、観音を選んだのは、その顔の清らかさに魅せられ、350年ほど前に若冲も同じように目の当たりにして同じ感慨を抱いたことを想像したからだ。つまり若冲がらみで、白衣観音の模写から半年ほど前に豊中の西福寺で若冲の鶏図を色鉛筆で写したことと対にしたかった。どちらも渋い顔をされずに模写が許されたのはありがたかった。模写は本に頼れるが、実物を目の当たりにすれば緊張感が違う。鑑賞者と同じ場所から同じ距離を取り、鑑賞者がいない合間を狙ってのわずかな時間であるから、拒否される理由がさしてないようだが、許すと際限がなく、粗相を働く者が出て来る。
●「白衣着て 吐く息白し 看護師の 部屋の掛軸 白衣観音」_b0419387_16093701.jpg 今日の最初の写真は左が18年前に筆者が模写した明兆画の「白衣観音図」の顔部分だ。右は歴彩館でコピーしたその全図で、安価な白黒を選んだ。その顔部分を筆者の模写と同じ大きさになるように拡大し、2点を並べると模写の不正確さがわかる。初めて見た絵を下準備なしですぐさま描いたので、なおさら筆者の癖、内面が露わになった。原画は長年四つ折り状態で置かれていたようで、向かって左の眼に太い縦皺があるが、その欠損を補ってあまりある優美さと貫禄がある。こうした絵は手本があるのが普通で、明兆も中国から将来された絵を模写したか、大いに参考にしていたが、そうした定形に頼ることによる没個性さよりも明兆の個性が滲み出ている。筆者の模写は顔幅が少し狭く、顎に向かって尖り気味であるのは、卑俗な現代人の顔からの感化がありそうだ。また口がわずかに大きく、その点にも観音ではなく人間、すなわち俗物性が出ている。これは18年経って原画と比較してわかったことで、描き終わった時はあまり気づかなかった。また明兆画の実物を模写し、18年後にこうして画像を比べ、ブログに投稿する人はたぶん筆者だけで、こういう話題を自己満足ながら面白がる。模写の拙さを伝えて目障りになることを自覚するが、筆者の拙さは明兆の画技の素晴らしさの伝達に役立つ。「白衣観音図」の全図は原寸大で模写して自室に飾りたいと思わせる。観音のひざ元に小さく描かれる善財童子は横顔だが、その身を乗り出す仕草はこの絵を見て感動する人全員の思いを代弁している。京博での東福寺展でも展示された明兆の素朴な着衣の上半身の自画像は、人柄をあますところなく伝える。筆者は雪舟の自画像よりはるかにこの明兆の顔を好む。明兆こそは日本最大の画家であったと思うが、それは禅宗が真に力を持っていた時代に生き、東福寺の僧であったからだろう。若冲時代は売茶翁が言ったように、十中八九の僧侶はいわばろくでなしであった。それから250年ほど経ち、今はどうか。政治が、家やTVに登場する醜悪の権化のような男女を見ていると、日本の衰退ぶりは誰の目にも明らかと言いたいところだが、こういうことを唱えれば、「それはお前の戯言だ」という非難は確実にある。一方では宗教無用論が目につくが、1970年の日本の万博ではまだ仏教を前面に押し出していた。それは明治から続く万国博覧会における日本の伝統であったのに、次の大阪夢洲で開催される万博では仏教は見向きもされない。そのことは日本がこの半世紀で仏教を重視せずに忘却し、新興宗教全盛となった実情を示すだろう。となればどういう芸術家が登場し、歓迎されるかは充分想像出来る。ところで、コロナ以降はめぼしい展覧会がめっきり少なくなった。それも日本が貧しくなって来ていることの一端だろう。
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# by uuuzen | 2024-02-28 23:59 | ●新・嵐山だより
●ムーンゴッタ・2024年2月
には なれぬジャリだと 囁かれ 踏まれ蹴らるも さざれ祝おう」、「南天の 赤き葉のそば 菫咲き 吾立ち止まり しばし見惚れし」、「夕闇に どっちつかずの 菫色 やがて赤増し こぼれる笑みかな」、「満月を 模した灯りの 裏眩し 光ばかりが 望むところか」
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京都の新風館が増築されるという話を甥から聞いたのは10年ほど前か。20年近く前はシュマイサーがその2階の一室で個展を開き、夕方に訪れた。会場にいたのはシュマイサーだけで、作品を一巡して見た後、少し言葉を交わし、持参した彼の本にサインをもらった。その時がシュマイサーと会った最後となった。それ以降新風館に出かけたことがなかったので、今月24日に訪れた時は昔の面影がほとんどなかったので驚いた。しかし現在の様子しか知らない人は数十年後にまた改築された時、同じ感慨にふけるだろう。ところで、人間は本質的に変わらないとはいえ、たとえば睡眠中の夢も時代や住む場所、当人の行動範囲によって全然違ったものになる。筆者は出かけるとよく歩き、道に迷うことが多々あり、夢は架空の街角がもっぱら登場する。目覚めている時にその夢をふと思い出し、現実とイメージがだぶることがままある。今後は老化のせいで現実と夢の区別がもっと曖昧になって来そうだ。生活に支障がなければよいとはいえ、他者に迷惑がかかる場合があるかもしれず、高齢になればなお自覚すべきだ。となれば外出しても用事だけ済ましてさっさと帰宅するに限る。これまでそうして来たのでそのことに抵抗はないが、前述のように個展を訪れるとなると作者と話す機会は生ずる。まあそれも作者が筆者を無視すれば何も起こらないし、そういうことはよくある。作者が会場にいなければ作品だけ見て作者の人柄を想像する。たいていの場合、それで充分だ。作品が魅力的であれば作者もそうで、その反対も言えるからだ。それに稀にしか魅力的な作品には出会わないから、本当のところは作者と話す必要はない。作品と作者は別とよく言われる。優れた作品は作者が優れた何かを持っていることの証で、優れた何かがあることは人間性に問題があることとは無関係であるにしろ、その人間性に問題云々は誰がどのようにして決めるのかという疑問がある。それに人間性に問題のない人はいない。ある人にとってよい人が多くの他者にとっては害悪以外ではないということがままあることは誰でも知る。結局のところ、作品は作者の一端を示し、それが真実味を持って鑑賞者に伝わるのであれば、作品の背後にいる作者の人格も肯定される。そのように人は元来信じたい存在だ。作品から何かを感じ取って気分が高揚することはたぶん人間以外の動物にはなく、神々しいことと筆者は思う。つまり、人間が人間たるゆえんは芸術を生み出し、またそれを大切に感じる能力を持っていることだ。
●ムーンゴッタ・2024年2月_b0419387_22400596.jpg 今月12日は兵庫県立美術館で安井仲治展を見るために家内と神戸に出かけた。家内に時間を尋ねると、1時40分とのこと。思った以上に鑑賞が長引き、最後の2、3部屋は見ずに同館を後にした。山手に向かって小走りに急ぎ、横尾忠則美術館に着いたのは2時5分か10分であった。家内に言わなかったが、同館で461モンブランのコンサートが2時から開催されることをX(ツイッター)で知っていたので、ついでに見ようと決めていた。百席はすでにいっぱいのようで、筆者らは最後尾に座った。館長だろうか、男性が左横手で開演の辞を述べていて、どうにか開演に間に合った。演奏は30分ほどで終わり、筆者は即座に舞台に駆けつけ、山下カナさんに話しかけた。すると背後に高齢女性がいて彼女に話しかけたので、筆者は遠慮し、森さんに声をかけた。「24日の京都は四条烏丸のどこですか」「新風館です。まだ告知はありませんが」「そうですか、行ければ行きます」Xには四条烏丸で演奏があると書かれていたが、新風館はその交差点からは北に早足で徒歩10分の距離だ。間近にならなければ告知出来ない理由が新風館にあるのだろう。それはいいとして、24日の今日また家内と出かけた。まず堂本印象美術館で最終日の企画展をまず見て、それからバスを乗り継ぎ、歴彩館に調べものに行った。12日に訪れた兵庫県立美術館の資料室になかったからだが、今度はさすがにあった。461モンブランの演奏は午後に3回あって、1時半、2時半、3時半と思っていたが、1時半はなく、代わりに4時半であった。それはともかく、堂本印象美術館を訪れる際、筆者は東端の道路際の細い階段を上る。今回もそうしたが、斜面の植え込みの根本付近に紫色の菫の花がたくさん咲いていた。今日の最初の写真のように、その珍しい眺めを即座に撮ったはいいが、帰宅して確認すると色合いが全然違って少しもきれいでない。自然はそのままで美しい場合があるが、やはり感動を自作の何らかの形で表現するしかない。筆者は即座に菫の小さな花を散らしたキモノを思い浮かべた。昔ヴィオラ・スミレを題材に多くのキモノを作った。和菫ではもっと可憐なものが出来るだろうか。話を戻す。歴彩館を出て府立大学前のバス停付近に至った時、家内に時刻を訊くと、3時10分とのこと。すぐにバスが来ても新風館に3時半に着くのは難しい。市役所前で下車し、そこからまた家内をはるか後方にしながら西に向かって急いだ。新風館の北門に着くと、中庭が見え、アコーディオンの音が聞こえた。時計を持っていないのでどれほど遅れたのかわからないが、ともかく演奏の最中でよかった。中庭には蛇行した小径があり、そのところどころに球体の石が置かれていた。いつもなら必ずそれを立ち止まって撮影するのに、後でいいと考えて演奏中の461モンブランの前に進んだ。
●ムーンゴッタ・2024年2月_b0419387_22402678.jpg ブログでは長年載せていないが、各地で撮影した同じ丸い石の写真は数十枚はある。その形は阪神尼崎駅近くのスーパー「アマゴッタ」の前に置かれる鉄の丸い塊の彫刻と同じで、筆者は勝手に「ゴッタ」と呼んでいるが、その最大は満月だ。それを「ムーンゴッタ」と命名して毎月の満月の写真をブログに載せて来た。それはいいとして、山下カナさんはそのひとつの「ゴッタ」のすぐ際に立って演奏中で、キモノは菫色であった。小柄な彼女にその色は似合う。演奏を聴いていると遅れて来た家内が461モンブランの背後を歩き、筆者の後方にゆっくりと移動した。最初に聴き逃した曲が何かを知りたいために、演奏終了後にまた山下さんの前に行った。片付けに忙しい彼女は筆者の質問に答えてくれなかったが、家内がやって来て彼女に挨拶をした。てっきり筆者はその時の演奏が最後と思っていたのに、それは早合点でもう30分すれば最終の演奏があることをふたりから聞いて知った。寒い日で、ふたりは手がかじかんで指が動きにくいと言い、そうこうしている間に新風館の係員の男性がやって来た。そこで筆者らも場を後にし、係員がふたりを控室に案内するためにエレベーター前に着くのを横目に東門から外に出た。だが次の演奏まで30分ではないか。新風館のあちこちをうろつくだけでそのくらいの時間はすぐに去る。ところが家内は大丸に行くと主張する。筆者はしぶしぶ着いて行き、地下の売り場で別れて待ち合わせをすることにした。「さっき聴き逃した最初の2曲ほどがどういう曲か知りたいだけやし、4時40分には戻って来るし」「せやけど、さっきは怖い顔して前で見てたから、あれは格好悪いで。迷惑がられているかもしれへん。何かプレゼントでも持って来たらまだええけど」「プレゼントは考えるんやけど、荷物になっては悪いしなあ」だが家内の言葉になるほどと思う。古稀過ぎの年齢でストーカーしているかのような自分の姿を顧みると、確かに格好悪い。若者かダンディであれば話は別だが、予告なしに急に眼前に姿を見せ、しかも最前列に陣取っては、いかに彼らが客を前にしての演奏に慣れていても戸惑いはあるだろう。そう思うと、乞われるのでもない限り、ライヴハウスに行くことも控えようという気になる。筆者は自分の年齢を気にしていないが、現実はそれではよくない。前にも書いたことがあるが、演奏会場を訪れたことを悟られないようにして、そっと聴いてそっと出る。夕暮れの中、そう思いながら新風館に向かって北上した。会場に着くとちょうどふたりは演奏の準備中で、筆者は姿を見られなかったはずだ。つい先ほど演奏を聴く際に背にした褐色の鉄板を張った方形の太い柱の後ろに隠れて立った。そして中庭の北方上部に掲げられた直径2メートルほどの白い板を見つめながら、結局30分の演奏を全部聴いた。そして大丸の地下に急ぐと、家内は外に出て筆者を待っていた。
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 演奏曲目は第2回目とは全部違っていたと思う。そして当日の三度の演奏はみな曲が違った可能性がある。本人たちに訊いていないが、たぶんそうだろう。12日の神戸と今回の演奏は感想を書こうと思って出かけたが、書く時間が見つけられそうにない。それに書いて喜んでもらえるとは限らない。存命中の人のことを書くのは勇気がいる。あるいは金森さんがいみじくも言ったように、無邪気さだ。筆者のその無邪気は悪気を含まないが、相手はそう受け取らない場合がある。ライヴハウスでは筆者はなるべく演奏者との会話の機会を求めている。決めている原稿用紙9枚の文章を書くには、演奏に接しただけでは話が続きにくいからだ。とはいえ、演奏者と話が出来ない場合のほうが多い。461モンブランはその部類で、会話らしいものがほとんど得られない。だがその壁のような隔たりがいいのだろうし、主役となる演奏者はそれを意識すべきと言える。開高健が熱烈な読者から飲み会の誘いを受けながら、それに一切応じなかったのは、スター気取りとの偉ぶった意識だけからではなく、読者の幻想を壊したくないからでもあったはずだ。スターにもファンにも節度が求められ、気安く交わることは避けたほうがよい。筆者は2枚目の写真の左端に映る鉄張りの柱の陰に立ちすくみながら、その行為の趣味の悪さを思いながら、陰で応援している思いに塗り替えた。新風館は今回のように無料の演奏会などの催しをまま開いているようだ。満月の日は毎回催事があるのだろう。そして当日は雨でない限り、中庭に面した建物の最上階近くに満月を模した白い板を掲げ、夕方になればそこに当夜の満月を映し出す。それは望遠鏡のカメラで撮影した満月をリアルタイムで白い板ぴったりに収めて上映するもので、今回は上映し始めた頃、白い板上で満月は固定せず、わずかにずれがあって端に三日月状の余白が生じていた。また満月は移動するから、当夜は閉館までの5,6時間、望遠鏡に付きっ切りで満月をストーカーする人が必要だ。本物の満月は夜空にあり、映写は無駄なようだが、京都の中京は高いビルのために満月は見えにくい。461モンブランの演奏が終盤に差し掛かった時、白い板に満月のクレーターがどうにか識別出来るようになり、その後は5分ほどで満月ははっきりとわかった。そうして撮ったのが今日の4枚目の写真だ。ほとんどの満月を自宅付近で撮影して来たが、今回の新風館のプロジェクション・マッピングは461モンブランの演奏があって知り、雨でなくて運がよかった。ただし球体ではなく、円盤であるから、「ムーンゴッタ」とは呼べない。帰宅後に「風風の湯」に行くことにし、家を出てすぐに満月を撮った。木立の影は開花前の枝垂れ桜だ。最後の写真は「風風の湯」を出た直後で、前景に桜の木、満月はおぼろに変わっていた。
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# by uuuzen | 2024-02-24 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●『魔の山』
門を 自認する人 しょうむない 模倣の句詠み むほほ自惚れ」、「教養の 漢字知らずも 仲間あり 群れて馴れ合い 心はだはだ」、「落とし前 自らつけて 男前 誰も褒めずも 天晴気分」、「死を想い 今が大事と 何もせず お目目を森に 向ければ夕日」●『魔の山』_b0419387_11503503.jpg ここ数日の投稿は今日の『魔の山』についての感想の序みたいなものだ。そして今日は重い腰を上げてその小説について書く。気が思いのはいつも以上に考えがまとまらないからだ。それほどに『魔の山』は簡単にはまとめられない多面性を持っている。物語の起承転結のみに関心がある人にとっては本書の大部分は面白くなく、10分の1程度の量で書き替えられると思うだろう。だがトーマス・マンはそうしなかった。作品はそのままの姿で受け手は鑑賞すべきで、長編になっていることはそれなりの理由を把握し、また楽しむべきだ。以前に書いたことがあるが、17、8の頃に学友Uが分厚い文庫本を読んでいた。題名を問うと笑顔で『魔の山』と答えてくれた。Uとは卒業後一度も会っていない。そのためUが『魔の山』をどのように読み、その後どのように関心を広げたか知らない。また筆者がUとのそのごくわずかな対話を半世紀以上も何度も反芻し続け、ようやく読破し、こうして感想文を書くことUは想像だにしないはずで、そう考えると縁の不思議さをつくづく思う。筆者の関心事は20歳までに完成した。もう少し広げて20代半ばまでだ。幸いその頃は日本の高度成長で、初めて実物の作品が展示される画家の展覧会が目白押しの状態であった。その時期に筆者は遭遇して幸運であった。もちろん今はネットでそうした情報は瞬時に得られるが、実物との遭遇はやはり価値が断然違う。話を戻して、Uが『魔の山』を読んでいた頃、筆者はその題名を知っていたが、ドイツ文学は誰しもまずゲーテやヘッセを読むのがもっぱらで、トーマス・マンはやや敷居が高かった。それに当時書店で毎月買っていた河出書房の世界文学全集にはマンの作品は『ブッデンブローク家の人々』のみがあった。筆者は読むならばまずはもっと長編の『魔の山』を、またそれを新潮世界文学全集にある一冊でと決めていた。その理由は版型が河出書房の全集より小ぶりでデザインがよく、また1冊にまとめられていたからだ。新潮世界文学全集は河出書房の全集より少し遅れて69年か70年から刊行されたと思う。手元の『魔の山』の奥附は71年1月の発行となっていて、筆者19歳だ。その本を入手したのはネット・オークションで昨年の夏ことだ。本には注文票が発行時の状態のままで挟まり、栞紐も指を触れた形跡がなく、半世紀前に購入した人は箱から出さず、繙かずに死んだのだろう。昔は文学全集の刊行が流行し、多少教養に関心のある人は買った。ところが多くは読まれず、やがて邪魔もの扱いされて古書店行きとなる。そして筆者のような酔狂な人物が買うが、またそのままになることはよくある。
 筆者が10代で本書を読んでいれば人生が変わったかと言えば、それは何とも言えない。半世紀経った分、理解度は高まったと思うが、老いたことで感激の精神が磨滅しているかもしれない。それはさておき、本書の読破によって新たな関心がいくつか湧き、読んでよかった。読書の愉しみはそこにある。長年の気がかりを解消出来たことは言うまでもないとして、言葉のみで構築された本の見事さ、その可能性を目の当たりして圧倒された。世間に存在する小説は何十回生まれ変わっても読みこなせない量があるから、読むならコスパを考えて名作を優先したい。他の芸術でも同じで、質の高い感動を求めるのであれば評価が定まったものにまず接すべきと思う。そしてどのような芸術でもその実物にまともにしかも孤独に対峙せねばならない。『魔の山』は400字詰め原稿用紙で2500枚弱の文章量で、筆者は読み終えるのに3週間以上要したが、そのようにある程度の月日を要して読み進めるのがこの本ではふさわしい。それは本書の序にあるように時間をテーマにしているからでもある。筆者は『魔の山』もマンのことも全く何も知らずに、また知ろうとせずに半世紀をあえて過ごした。予備知識なしで作品に接することを筆者は絵画でも音楽でも旨としている。その方が感動は大きい。ネット社会になり、コスパという言葉がよく使われる。『魔の山』を読むことはコスパ最悪と考える人が多いのではないか。WIKIPEDIAで手っ取り早くあらすじを知れば金もかからないがそれではよけいにコスパが悪い。本当の面白さ全くわからないうえに、他人がまとめたあらすじを読むことは時間の無駄でもあるし、誤解の可能性が大きくなる。そのため必ず最初からつぶさに読むことだ。途中で投げ出す人はいるはずだが、それは縁がなかったと思うしかない。あるいは理解力の不足を自覚すべきだ。筆者は10代にヘッセの『ガラス玉演戯』を読み始めて途中で放り出したものの、本書と同じように半世紀以上気がかりになっている。そして数年前に本を入手し、それを近いうちに読み始めるつもりでいる。本書も『ガラス玉演戯』もなぜこだわるのかと問う人がいるかもしれない。世の中にはもっと楽しいことが山とあり、アニメやゲームのほうがはるかに気晴らしになると考える大人は多いだろう。長編小説はあらすじを知れば充分で、そうした知識だけでも他人に自慢も出来るし、そのように考えて薄っぺらい知識を物知りのような顔をしてYouTubeで報じている人もいるだろう。筆者はこの文章で本書のあらすじを書くつもりはない。それでは面白味を伝えられないからで、また多岐にわたる内容をどうまとめていいかわからない。いつものように即興で書き連ねることしか出来ず、その熱意のようなものが読者に伝わればと思っている。本書を貫くマンの考えや主人公のそれも一言すれば、その熱意による軌跡だ。
 芸術作品もすべてその熱意が根幹にあるべきで、それが美しい形として受け手に伝わるべきでもある。コスパを言えば、筆者の文章は収入につながらず、最悪のコスパだが、書いておきたい熱意を自覚している。それが熱い状態でいる間に言葉を繰り出しておきたいのだが、即興ゆえに美しい形に整えることは無理で、読者はやはり損したと思うかもしれない。なぜこんなことを書くかと言えば、本書を読んだ時間に見合う価値が充分あってコスパがとてもよかったのだが、こうして書く感想を他者が読んだ時のコスパのよさを筆者は保証出来ない。その点においてマンに申し訳ない気持ちになると同時に自分の能力のなさを自覚もするが、筆者の文章を読む人は多くて数十人で、他者に興味がない筆者は他者を念頭に置かずに書いている。他者とは作品を自ら作らない人のことで、したがってそうした人からどう思われてもかまわないし、そもそも声が届かない。この文章によって本書を読みたい人が出て来れば嬉しいが、10代半ばで『魔の山』やトーマス・マンの名前を知らない人は読みこなせないだろう。名作と呼ばれる作品でも縁のない場合は多々ある。筆者もそうで、偉そうなことは全く言えない。ところで日本の高度成長期は文学全集が流行した。その後出版社はほとんどそうした全集を出さなくなった。ネット時代になってスマホ一台で何でも事足りるようになり、重い本は敬遠されるようになったのだろう。ミニマル主義者はモノがほとんどない部屋が心地よく、文学全集のように物理的に場所を大きく占めるモノがあることを汚らわしく思うだろう。そういう人は、あるのかないのか知らないが、電子本で本書を読みたいだろう。だがそれでは駄目で、分厚い本の重さを常に実感しながら活字を追うべきだ。マンはそのような読み方を念頭に書いた。小説が言葉の巨大な積み上げであれば、電子本でも内容は同じだが、人間が感じる重さは質感が伴なう。紙を触る質感は快感であり、たとえばこうしたネット上の画面上の文字をたどる文章は一瞬で吹き消されるはかなさを本質的に持っている。それでもないよりははるかにましとの思いを抱いたので、筆者は2005年からほぼ毎日ブログを書き続けて来た。さて、本書を1日1節ずつを心がけて読み始めた。最初の方は1節が数ページで、1,2節ずつ読み進めたが、後半になると1節が当初の10倍ほどのページ数が目立つようになった。この不均衡性は12年要して執筆した間のマンの気持ちの変化に幾分は応じているだろうが、後半になるほどに1節当たりのページ数が増すことは、濃密な山場をそこに置いたからだ。もちろん長い1節を数日に分けて読んでいいが、少なくても1日1節と決めれば、かなり長い1節を深夜2時や3時になっても読み終えたい気になる。そういう読者の熱を促すべく物語が構成されているし、そこに読者を飽きさせないマンの周到な計算がある。
 本書の舞台の95パーセントはサナトリウムという閉ざされた小空間で、舞台劇の赴きがある。そこでの人間模様を終始描くのでいわば映画にはとうていなり難い物語であって、本書を元に映画用の脚本を書くことは不可能ではないにしてもマンの思いを大きく無視したものになるはずだ。また登場人物はすべて経済的に豊かで、その意味で二重に別世界の物語だ。トーマス・マンはバルト海に面したリューベックの生まれで、本作の主人公の青年ハンス・カストルプはリューベックから近いハンブルク生まれで、20代半ばで造船技師の見習いの勉強をしている。その彼がスイスのダヴォスに行くことになったのは軍人である友人が肺を病んでサナトリウムにいるのを見舞うためで、当初は2,3週間の滞在であった。それがミイラ取りがミイラになった形でサナトリウムで7年も過ごすことになる。そこは現在の日本で言えば介護つき老人ホームのようなもので、部屋があてがわれ、食事はすべて用意され、患者という言葉は一切出てこないが、サナトリウムの住民は知り合いのグループを作って日々遊んで暮らしている。肺結核が死に直結する深刻な病ではなくなった今、本書の舞台となるサナトリウムは非現実的だが、世間から離れて浮世離れした空間での人間模様は、たとえば会社や自治会、あるいは飲み屋での交流といった形でいつどこの国でもそれなりに存在し、またマンはそのことを知ったうえで、狭い社会での人間模様を描き、そこにまだ世間知のない青年カストルプを置くことで、その平均的市民がどのように変貌して行くかの一例を描くことにした。本書でマンが書くように、本書は「時代小説」であり、また巻末に解説者が形容するように「教養小説」でもあって、その意味では大学生ないし社会で働き始めた頃の人が読むのがいいだろう。だがいつの時代も教養の言葉に拒否反応を示す若者が多いのではないか。筆者が20代の時も同じで、堅苦しいことは避けて娯楽を享受したいものだ。スマホ・ゲームしている若者をよく見るにつけ、いよいよそう思う。だが本書が書かれた時代もおそらく事情は同じで、文字は読めても文盲同然の人は少なくなかったであろう。ネット時代になって何でも即座に手軽に調べられる便利さが得られるようになったのに、相変わらず本書を読む人は昔から同じ少ない割合に留まり、教養を強要されることに拒否反応を示す。知らないことを知りたい、そのことが楽しいと思う人でなければ本書は面白くない。こういうことは本書を進んで読む人にとっては言うまでもないことで、筆者はどうでもいいことに言葉を費やしていることを自覚せねばならない。もっと言えばカストルプは学ぶ意欲のある青年で、あらゆることに好奇心が旺盛で、本書には量子から天文、暦や数学、植物学、美術や音楽、詩など、あらゆるジャンルのことが書かれ、その意味でも教養を求める人しか読みこなせないと言える。
 本書に映画の話が出て来る。100年前の物語なので当時映画はあった。しかしマンはそれを芸術として評価していないことが本書から伝わる。映画の画面に大写しになる俳優の正面顔は鑑賞者に対峙しているが実際はカメラを見つめていて、そこには演技が介在している。しかしマンは俳優業を否定はせず、その点は辻まこととは違ってどんな人間にもなり得ると自覚する俳優業に対してそれも芸のうちと見ていた。映画は次々に消えて行く影で、小説は言葉によって読者にそうした映像を脳内に映じさせ、しかもその映像は読者ごとに違ってその差異を客観的に比較することは神以外には出来ない。それで読者の誰が登場人物の身体や表情、また彼らが動き回る環境を最も濃密な映像として脳内に思い浮かべられるかとなれば、それは比較不可能なことゆえの愚問であり、結局誰しも堪能の度合いで本書を読んでよかったかそうでないかを自身で決めるしかない。またそのこと自体も各読者の心のうちに収められて他者に伝わりようがない。伝わるとすればこうした文章での評価だが、それも本書と同じく言葉の積み上げ以外に方法がない。つまり本書が優れた小説であることを誰かが文章で伝える場合、その文章も優れたものであるべきだ。そう思うので前述のように筆者はトーマス・マンに対してすまない気持ちがあるが、12年要して書かれた2400枚の文章に賛辞を贈るとして、「とてもよかった」的な子どもじみた短い言葉はあり得ず、したがって繰り返せば本書の要約を書く気がしない。それで本書の巨大な構築の中から出た今、バベルの塔を遠目に見る気分で断片的なことを思いつくまま連ねるしかない。さて、読み始めて全体の10分の1程度のところでは筆者は「これなら自分でも書ける」と思い、そのことを何度か家内に言った。そのように気軽の読み進めながら、やがて「これは手強いな」と思い始め、また本書がどのように着地するのか全く予想不可能となり、家内にこう言った。「マンがどういうつもりでこの小説を書き、どういう結末を用意しているのかさっぱりわからない」。ところが先が全く見えない状態が続くことが読み進める原動力になっている。それは音楽と違って読むのにある程度の時間を要する小説では特に不可欠なことで、また先が全く読めないことは人生そのものになぞらえ得る。そう思うとこの小説の凄みがなおよくわかる。さて、本書は大きくふたつの柱が交差している。本書はマンの妻がダヴォスのサナトリウムに入院したのをマンが見舞って2週間滞在したことから着想され、当初は短編となる予定であったのが、12年要して大長編となった。最初のその短編でどういう物語を描こうとしたのかわからないが、長編にした理由は主人公の青年が7年に及ぶ入院中にどういうことを経験し、また自ら学び、人間的に成長して退院後にどうなるかを描くのに多くの文章が必要と考えたからだ。
 ふたつの柱のひとつは主人公の心の成長で、もうひとつはそうさせた外的なさまざまな思想だが、後者は感覚的に本書の4分の1は占め、それはカストルプより年配のセテムブリーニとナフタという思想が相反する持ち主の対話が中心となっている。そしてカストルプも本を購入して興味の赴くままに知識を増やして行くが、それが可能なほどにサナトリウムでは決まった生活を日々送り、毎日自由時間がたっぷりとあり、本書は働く必要のない金持ちの暇人社会を描くことになるが、実際そのとおりで、本書には経済的に貧しい人は登場しない。そのことだけで本書を読むのをやめる人があるかもしれないが、本書のような分厚い小説を読もうとする人はそれなりに時間があり、また本書の主人公のように知的好奇心が旺盛な人であるはずで、本書は最初から読者を選んでいる。また結核は死の病で、サナトリウムでは10代で死んで行く人々もあって、彼らはある日急に食堂に現われなくなり、死体は人目につかないように処置され、部屋は何事もなかったかのように清掃され、新たな入院者を迎える。カストルプがサナトリウムに貼ったその日の描写でもひどい咳をする人が描かれ、またカストルプのベッドは数日前に死んだ人が使っていたもので、カストルプはハンブルクにいた頃以上に死を間近に感じ、それに馴染む。つまり本作は全編を通じて死の気配があり、またそれだけに生が鮮烈に際立つ。先に本書が時間の不思議さについて書くと述べた。本書が7年間のカストルプのサナトリウムでの歳月について書くとして、次第に時間の感覚が曖昧になる。時間は時計の針の動きで計測されるが、人間が感じる時間とはそれとは全く関係がないことは誰しも知っている。楽しいことがあればごく短い時間が永遠に反芻され得る貴重なものとなり、毎日退屈であれば10年が一瞬に感じられる。そのことをカストルプはサナトリウムで改め思い、またその心の動きの上下にしたがって時間が伸びたり縮んだりすることを感じるが、カストルプがサナトリウムで過ごしたことは幸運であったかどうかは別問題だ。仮にカストルプが早々にサナトリウムを退所し、ハンブルクで仕事に就いたとして、そこでの人間模様はサナトリウム時代と同じようにあるかもしれない。なかったとしてもそれなりの人間関係を築くはずで、本書の舞台のサナトリウムはきわめて特殊な環境とは言えない気がする。だが、仕事に埋没する都会生活と違って、結核を治し、体力を取り戻すべきサナトリウム、しかもスイスのという国際的な舞台を設定すれば、あらゆる人種のあらゆる思想が考察し、カストルプにとっては広い世界の凝縮状態を目の当たりにすることになる。したがって本書はダヴォスのサナトリウムという舞台設定は必然であった。繰り返すとそれは暇と金のある閉じた社会で、そこで教養を深めたカストルプがその後それをどう活かすかは別問題だ。
 話を戻して、本書における先のふたつの柱の後者である、カストルプを感化ないし戸惑わせる、そして学習させるセテムブリーニとナフタの思想は、ヨーロッパの歴史と精神をある程度知らねば理解出来ず、面白味を感じない。その程度がどれほどかとなると、たとえばフィヒテと聞いておおよそその人物の思想がわかる程度だ。もっと言えばギリシア・ローマから現代のドイツに至る、またつながっているとされる思想の概略に関心がなければ本書の半分は楽しめない。さらに言えば本書は書かれた時代のドイツを念頭に置く必要がある。読者はニーチェを片目で見つめながらイマニュエル・カントからハイデッガーに至る哲学を遠景に据え、また読者そうした有名な人物の名前くらいは10代半ばで聞き知っているべきだが、もっと進んで政治を含んだ歴史的背景も併せての知識があるとなれば、カストルプのように大学を出て20代半ばに達している必要はあろう。カストルプを間に挟んで登場するふたりの知的な人物すなわちセテムブリーニとナフタの思想には、キリスト教のイエズス会、神秘主義、ユダヤ、フリーメイソン、フランス革命など、今ではWIKIPEDIAによって端的に概略が学べることがびっしりと詰まっていて、主人公は両者の常に対立する意見に挟まってどちらに与すべきか右往左往し、また時に意見する。それはマンの自問であろう。マンは大量の本を読みながら、そこにヨーロッパの対立する思想があることを知ったが、それは当然のことで、たとえばナチスでも右派と左派があって、前者は後者を粛清する。この対立はまたすべて言葉が介在し、知性人は人間優先というよりも言葉に重きを置くほどだ。そのことがセテムブリーニとナフタの終わりのない論争で示されるが、何事も終わりはある。それは決着と言ってよい。そのことをマンは本書で非情さで描く。本書を一言すればそのことだ。話を戻す。マンはカストルプを精神的に感化する役割を負わせたふたりの年長者に、本書の大きな部分を割いて何を語らせたかったのかと読者は目を白黒させるが、マンはそれを見越してふたりを冷静に、また時に茶化すような書き方をする。つまりマンはある特定の政治思想に立っていないのだが、そうとも限らないことを読者は気づく。本書巻末の解説で、そのふたりの思想家のうち、ユダヤ人のナフタがハンガリー人のゲオルク・ルカーチをモデルにしたと書かれる。ルカーチはユダヤ人でマンより10歳年下で16年長生きした。その人生はWIKIPEDIAで概観しても波瀾万丈の極みで、彼を主人公にしても長編小説が書かれると思えるが、本書ではナフタの面貌の描写は確かにルカーチの写真から伝わる印象に通じており、またそういうナフタの本書での描写からマンがユダヤ人や共産主義をあまり快く思っていなかったことが伝わる。
 ところがこれはきわめて印象深い下りだが、本書の最後の方にユダヤ人を嫌悪し、呪詛することだけが生き甲斐になっている男の患者が登場し、ユダヤ人患者と派手なつかみ合いをする場面がある。その動物じみた凄惨な場面でマンはユダヤ人患者に同情的で、ユダヤ人嫌いの男を醜くて取るに足らない存在として扱っていることは明白だ。マンの妻はユダヤ人で、マンは本書以降にヒトラー政権を避けてアメリカに亡命するので、ナチス信者になったハイデッガーをマンはどのように思ったかは想像に難くないが、ハイデッガーの『存在と時間』の出版は本書の数年後で、マンは自分なりに存在と時間を考えて本書を構築した。哲学書と小説はどちらも言葉を組み立てたもので、いかに破綻を見せていないかが問われる。もちろんどのような書物でも批判や反論の余地があるが、小説は提示されたものをそのまま受け取るしかないもので、批判されるとすれば小説家の思想の偏りであろう。だがその批判も時代が変わって為政者の思想が変われば立場が逆転する。セテムブリーニとナフタの果てしない論争を本書が持ち込んだのはそういう思いもあってのことだろう。マンがこのふたりに異なる思想を大いに代弁させながらどちらを正しいと思ったかと言えば前者であろう。そのことは本書の最後の方で意外な方向に進む両者の関係だ。本書は最後に近くなって物語が大きく動き、またその慌しさはかなり意外だが、その意外性が鮮烈で激動の印象をもたらしていて、小説の醍醐味をマンが忘れていないことを証明する。またその醍醐味は本書半ばでもわずか一語でも表現され、筆者はその箇所で「なるほど、ここであの出来事がつながるのか!」と驚嘆し、思わず本から目を上げてしばらく感動のあまり先を読み進めることが出来なかった。布石が周到に計画され、万の言葉のうちのたったひとつの言葉がずっと後になって光り輝く。つまり本書は膨大な言葉を積み上げながら、たった一語に重要性を置いてもいる。当然なことではあるが、2400枚の原稿のたったひとつの単語が際立っている箇所は他にも随所にある。またそういう箇所はある程度専門的ないし広範な知識がなければ意味を理解しないまま読み進んでしまう。また話を戻す。セテムブリーニとナフタの論争は一旦終わったかに見えて再燃し、筆者は「ああ、またか」と食傷気味になったが、そこをマンは見越していて、ふたりの発言は時として辻褄が合わず、あるいは入れ替わり、知識を集めた博学性の欠陥めいたことをほのめかす。実際両者の論争はヨーロッパの複雑な思想を知る手立てになり得るとしてもそれは本を読んでの個人的な立場であって、ネット時代の今ではWIKIPEDIAによって誰でもある程度は獲得出来る。だが両者のもっともらしい頑固な思想はカストルプのような経験不足の青年にはいずれの味方をしていいものかにわかにはわからない。それは読者も同感のはずだ。
 そしてついに彼はアルプスの雪山をスキーによって気を晴らし、迷子になって生死をさまよった挙句に幻想を見て生の意味を知る。それはセテムブリーニにもナフタにも同調しない立場と言ってよいが、マンにすれば悟りは頭脳だけではなく身体を動かすことも必要との考えだ。またそこにはアルプスの雪が大きな効果を上げたが、三島由紀夫の『仮面の告白』を想起する人は多いだろう。本書にはサナトリウムからしばしの間抜け出してみ晴らしをする場面が大きく言って3つあり、それぞれに読者は観光気分にも浸ることが出来る。その中で主人公がひとりでスキー板を購入してそれを雪山で使用する設定は見事で、「雪」と題する節は読み応えが大きく、また誌的な風景描写も映画的で印象深い。集団生活を送るサナトリウムでの静に対して個人の勇敢とも言える遊びを通しての動的覚醒で、死の一歩手前に行きながら、幸運によってカストルプは生をまた見出し、サナトリウムに無事戻ることが出来る。本書のほとんど最後の場面からもマンはナフタよりもセテムブリーニ側に立っていたことが伝わるが、蛇足ながら書いておくとナフタは経済的にセテムブリーニより恵まれているにもかかわらず、幸福感は乏しい。その点を深読みするとマンの思想が垣間見えそうだが、次の大きな登場人物について触れる。本書はセテムブリーニとナフタの対立するふたりの年配の男にさらに対立する別の男が後半部に登場する。オランダ人のペーペルコルンで、彼から見ればセテムブリーニもナフタも意味のない人物だ。生を謳歌する彼は人間的魅力に溢れ、当然ながら女にも人気がある。そういう男はよくいるもので、やくざやそれに近い人物がその代表だが、ペーペルコルンは悪の権化ではない。実際は仕事から得た知性は豊富で、人生をいかに楽しむかをよく心得、またそのことだけに人生の意味を置いている。ペーペルコルンを登場させたのはサナトリウムが社会の縮図で、知的論争だけが男の社会を占めてしないことを示すためだ。ペーペルコルンに魅せられたカストルプをセテムブリーニはあんな馬鹿のどこがいいのかと冷ややかに言う。現実はペーペルコルン的な人物こそが世間で最も人気があって、たとえば本書の話をするような男は無粋の極みと目される。そう考えればペーペルコルンはセテムブリーニが言うようにただの馬鹿だろうか。マンはセテムブリーニに自分の思いを託したと思うが、一方では理屈抜きに人間的魅力に溢れた、体力と経済力に満ちた人物が世の中には大勢いて、そういう人物がいつの時代でも女性に最も人気があることを知っていた。その現実をカストルプは知る。筆者は男の魅力は頭脳の明晰さに比例すると思っているが、女性からすれば男の魅力は肉体の強靭さにも比例する。貧弱な体で独身であったカントは女性にはあまり人気がないだろう。おそらく三島由紀夫はそのことに気づいて肉体改造を行なった。
 女は男の理屈では喜ばず、生活力の旺盛さに魅せられる。そのことを人生経験から熟知している肉体的貫禄の満ちる男から見れば、セテムブリーニやナフタは風が吹けば飛ぶ軽い存在で、全く眼中にない。ただし60歳ほどのペーペルコルンはカストルプのような若さには一目置かねばならない。若さ、生への活力こそが人生を謳歌する鍵で、ペーペルコルンはそれを存分に使って来たが、現実はサナトリウムに入院することでカストルプの前に姿を現わす。セテムブリーニが老いても頭脳明晰であるのに対し、肉体の老化は脳のそれより早く訪れることをマンは言いたかったのだろう。そしてペーペルコルンは論議が全く出来ない、あるいは関心のない人物として描かれるが、言葉の力を借りずとも他者を圧倒する力を持っている人物は男女ともによくいるもので、それは大人物ぶる自己洗脳による演技とたとえば大金を稼いでそれで存分に贅沢な暮らしをして来た場合が混じっていて、ペーペルコルンは後者だ。またそうなると貧しい口先だけのセテムブリーニは全く太刀打ちが出来ず、陰でペーペルコルンを馬鹿者呼ばわりするしかない。そういう場面に遭遇するカストルプは人生を一段階上った経験をしたと言える。それはともかく、カストルプはサナトリウムで何年も前から西アジアの目をしたその特徴的な顔の若いクラウディアに恋心を抱いていたが、彼女は一旦退院した後、ペーペルコルンと一緒に戻って来て、露骨に彼の女であることを周囲に示し、ペーペルコルンとカストルプの間に火花が散る。そして彼女は理想的な男として彼をセテムブリーニやナフタ、カストルプより上に置く。カストルプはクラウディアが大食漢で金持ち、そして思想について理屈を言わない無口な男を愛すると知り、その後の振る舞いは妥当な展開だが、やがて意外ではあるが読者が納得させられる結末になる。そこにマンの女性に対する思いが強く反映しているだろう。本書には彼女以外に数人の女性が登場するが、どれも知性のなさが設定されている。そこから推せばマンは女性の思想に興味がないし、女性も男がひとりで浸る思索のこだわりに関心がないか、それどころか面白くない感情を抱いている。ひとり置いてきぼりにされていると感じるからだろう。結局女にもてるには馬鹿な話で笑わせることを優先することだ。マンはそういう男を否定はしていないが、本書では付け足しの形で軽く扱われている。また男の知性に惚れる女は稀にいるもので、それがマンの妻であり、また妻帯するハイデッガーと恋愛関係にあったハンナ・アーレントで、男女ともにしかるべき人物が出会う。話を戻して、ペーペルコルンの登場は本書に現実味を大いに付与しながら、やはりマンが男の価値をどこに置いているかを読者は知る。だがペーペルコルンは潔い人物だ。そのことをクラウディアが知っていたので彼の女になった。そこは現実味がある。
 7年もの間、カストルプはサナトリウムに入ったままで女性と性交しなかったのか。クラウディアとそういう関係はあったかもしれない。そこは行間から読者が推察することであって、本書の重要事項ではない。ちなみにサナトリウムではベランダから各部屋に移動が可能で、夜這いを許す患者がいることも書かれる。とはいえ本書では性に関してはほとんど触れられず、カストルプについては友人とかつて売春宿に行ったというわずかな記述で童貞でないことが読者にわかる。また前半部ではカストルプに同性愛的嗜好があることがほのめかされるが、それはヘッセの小説にしばしばあるものと同じで、精神的なものだ。カストルプとクラウディアの関係は宙づりのまま長く引き伸ばされるが、その主に精神的な関係は男女の恋愛では最も楽しい時期と言ってよい。本書ではそのように読み取れるし、最終的な性交はほとんど問題とするには当たらず、むしろそれを避けることで男女の関係はすぐに忘却されるし、またその状態は言葉はふさわしくないかもしれないが、美しいものとなる。こう書けば男女の性交は汚らわしさを内蔵することになるが、そのように感じる男はいるだろう。マンはその部類のように想像するし、三島由紀夫もそうだろう。なぜそのように女性を避ける、あるいは否定する男の心があるのかは本書とは関係のない事柄だが、性交の本能は動物的で、その行為には知性が邪魔となることを男は女以上に知っているからではないか。女からすればそれほどに男は知性の希求に毒されやすい存在であることをクラウディアは知っていたのだろう。本書を映画化した場合、クラウディアにどのような顔の女優を使えばいいかの大きなヒントをマンは繰り返し描いている。そこには西洋が憧れる東方があって、そのことはヨーロッパの歴史や文化について書く本書がアジアを無視していないことにも表われているが、本書はやはりヨーロッパ、しかもそこの中心を自負するドイツ人が書いたもので、思想についてアジアの視点が除外され、その点は『老子』に関心があったハイデッガーよりも汎世界的とは言い難い。また本書が結局クラウディアを最終的にどう扱ったかを知ると、やはりマンは東方に熱烈な興味がなかったと見える。しかしクラウディアが実際どのような顔をしていたかは読者が大いに魅惑的に考えさせられることで、筆者は村上華岳の重文となっている「裸婦像」をしきりに想起した。その名画の女性は華岳が繰り返し描いたシルクロードの西アジアに特徴的な顔で、港町のリューベックに育ったマンはオランダ人であるペーペルコルンと同様、アジアの文明に触れる機会は少なくなかったのであろう。またカストルプが育ったドイツ最北の低湿地帯とアルプスを対比させることも異文化ないし異なった生活圏への関心がマンに強くあったことを意味し、教養を深めるには広く行動することを勧めているように見える。
 読み進めながら気になり続けることは「魔の山」が何を指すかだ。「山」は本書の舞台となるダヴォスから間近に見えるアルプスのことだが、それがなぜ「魔」なのか。このことは本書を読み終えてもはっきりとはわからない。本書の最後近くになってマンは「魔」という言葉を数回書く。それは魔術、魔法の意味で、もちろん本書の原題「ZAUBERBERG」の「ZAUBER」の日本語訳で、本書の邦題は『魔法の山』ないし『魔術の山』としてもよい。いずれにしても魔法にかけられた気持ちになる山すなわちダヴォスやアルプスが、特殊な場所であるとの意識がある。その特殊性は読者が解釈すればよく、またその解釈がひとつではないことを読者は知る。「魔」は悪い意味に解釈する場合が多いが、一方で魑魅魍魎の言葉にある「魅力」とつながっていて、よくないと知りながら引きつけられる存在でもある。これはマンの時代の目立った風習で、カストルプはひたすら葉巻やたばこを愛飲する。それは一種の魔性を持った嗜好品で、本書の舞台の通奏低音としてふさわしい要素だ。サナトリウムは結核患者の療養施設で、肺病にたばこはよくない影響を与えることは当時からわかっていたであろう。だが本書はそこまで書いておらず、主人公のたばこ好きはサナトリウムの院長からたしなめられない。本書を読みながら「風風の湯」の常連との対話を何度も思い出した。筆者の周囲に本書を読んだ人はおらず、また文学などの芸術を話す相手も皆無だが、本書を執筆中のトーマス・マンも似た境遇ではなかったかと想像する。そうであるからこそ、ダヴォスで思想が大きく異なり、またどちらも言葉の人物であるセテムブリーニとナフタがカストルプを介在させて意見を闘わせる場面を作り上げたのではないか。とすればマンは庶民の世間話はどうでもよく、思想家のさまざまな意見を陳述させることで現代のヨーロッパないしドイツの混沌とした思想の概略図を描こうとしたのだろう。これは庶民の世間話は書いたり読んだりする価値がないという思いであって、教養小説の真の価値が目標とされた。言葉はそのように重要なもので、大衆が笑いを求めるのであれば別の本を利用すべきだ。しかしマンは本書によってヨーロッパないしドイツのあるべき思想の姿を描こうとしたのではなく、時代に翻弄される人間の命における不条理性に目を向け、ともかく現在を精いっぱい生きるべきことを伝えようとしたのだろう。本書はマンが死んでも動かしようのない強固な形で聳え立っている。それはまさにアルプスで、動物とは違って人間のみが言葉でここまで見事に時間と空間、存在を描き切る能力があることを読者は知る。本書巻末の解説は、本書の終わり方がいわば中途半端で、まだ書き続けられそうだとするが、筆者はその意見に反対だ。見事は終わり方で、美と汚濁がない交ぜになり、そしてやはり美の言葉が荒野に響いている。
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# by uuuzen | 2024-01-29 23:59 | ●本当の当たり本

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