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●「雨の中 家族で衝くや 除夜の鐘 小柄な妻は 音も小さき」
●「雨の中 家族で衝くや 除夜の鐘 小柄な妻は 音も小さき」_b0419387_15493444.jpgの実 靴脱ぎ集う 路傍かな 吹き寄せ落ち葉 護美と言うべし」、「大掃除 せぬままくしゃみ 埃立つ 気力も時も 老いて減じて」、「気の抜けた シャンパンで酔う 父と子は 赤ら顔見合い 気を抜き笑う」、「百八つ 数えず寝入る 年の越し 煩悩忘れ 夢にうなされ」大晦日が雨であるとの天気予報が当たった。曇り空を見上げると掃除する気になれず、本が散らかり放題の部屋の片隅に陣取って年賀状の作業に取りかかった。切り絵専用に使っている韓国製の正方形の紙箱が4つある。そのひとつから黒と水色の色紙を取り出し、カッターナイフの刃を新しいものに取り換えた。切り絵の下絵はぶっつけ本番で、密に描いた波頭にいささか戸惑いながら、そのまま彫ることにした。年齢を思えば蛍光灯のみで裸眼で切り絵を作る作業は卒業した方がいいだろう。だが年に一度で1枚しか作らないでは腕試しによい。準備なしにいきなり切り進むのはまだどうにか自信があるからだ。本題に入る。30日に「風風の湯」で家内は89Mさんから言われた。「大晦日は法輪寺の除夜の鐘を衝きに行くので、108回のひとつは私と思ってよ」。その話を家内から聞いて初めて法輪寺の除夜の鐘は誰でも衝けることを知った。40年少々地元に住みながら知らないことは多い。息子と酒を飲みながら見るともなく見終えたNHKの紅白歌合戦の次に知恩院の鐘衝きの様子が映り、法輪寺の除夜の鐘を思い出した。たぶんそれも鳴り始めたのだろう。それで家内と息子を急かせ、雨の中を傘を差して法輪寺に出向いた。わが家から5分ほどだ。誰ひとり歩いておらず、また法輪寺下の境内に着くと真っ暗で、本堂に至る長い石段は足元がほとんど見えない。鐘を衝き終えたらしい数人と擦れ違ったが、89Mさん夫婦ではない。本堂前に着いて階段を見下ろすと、スマホを懐中電灯代わりに照らして息子が上って来る。そのほかに人影はない。鐘を衝くために百人ほどが列を成していると思ったのに、雨では億劫だろう。筆者の姿を認めたたぶん住職が「さあ、鐘を衝いてください」と20メートルほど先の灯された鐘楼を指し示す。ややぬかるんだ坂道を上がり、鐘楼の前に立つと別の僧侶が鐘を衝いていて、「さあどうぞ」と声をかける。早速一回衝き、息子に交代した。今日の最初の写真は息子の衝く最中と衝き終わりの様子だ。息子が鐘楼を出たところで家内が坂下に着いた。家内の鐘衝きは音が小さく、筆者は言った。「0.5回やな」。それででもないが、僧侶が「もう一度衝いていただいてもいいですよ」と言うので、息子がまた鐘楼に入った。筆者らが最後の鐘衝き一般人であったろう。家に帰るのに往路とは違って別の道をたどり、家に着いてしばらくしてもまだ鐘は鳴っていた。誰とも会わず、家族3人での鐘衝き初経験だ。0時半過ぎから切り絵を彫り始め、3時に半分ほど仕上げて布団に入った。午後に再開し、切り終えた本当の直後に家が大きく揺れた。
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# by uuuzen | 2024-01-01 23:59 | ●新・嵐山だより
●「NOW AND THEN」
窿の 意味知らぬ子の 丸き目に 虹の半円 映りて隆起」、「AIに 愛を尋ねて 愛想なし 人がそれ真似 人の世冷えて」、「子雀や 飛んで間もなき 痩せ姿 親のふっくら とんでもなきや」、「交わりの なきはさびしき ひとつ雲 自販機の茶の ぬくもり嬉し」
●「NOW AND THEN」_b0419387_14291697.jpg
先月4日の「ザッパロウィン23」で少しだけ触れたビートルズの最新で最後の曲「ナウ・アンド・ゼン」について今日は取り上げる。とはいえシングル盤を買わず、YouTubeで聴くのみでの感想だ。いつかはオーディオの大音量できっちりと聴きたいが、その最良の方法は先月発売された通称『ビートルズ青盤』の2023年版の2枚組CDがいいと思っている。ビートルズのアルバムには企画編集ものがかなりある。最初の発売は1966年末の『オールディズ』で、このLPを発売と同時に筆者は買って今も所有する。ヒット曲集だが、全曲が以前発売のヴァージョンとは音質が違う。それにイギリスでは未発表の「バッド・ボーイ」が入っていた。筆者はこのジョンが歌うロックンロールのカヴァー曲が大好きで、当時一緒によく歌った。『オールディズ』のジャケットB面は来日公演の際に缶詰めにされたホテル内で撮られた写真が使われた。ジャケット表のイラストもカラフルで楽しく、このアルバムが正式にCD化されていないのはもったいない。もっともCD時代になって、主にシングル盤をまとめた『パスト・マスターズ』と題するアルバムが2枚出たので、その前半の1枚は『オールディズ』の代わりと言えなくもない。他の企画アルバムのLPは『ラヴ・ソングス』や『ロックンロール』といった2枚組も発売されたが、それらは公式のCDになっていないはずだ。筆者がそうした編集盤LPに興味があまりなかったのは、正規発売のシングル盤、4曲入りのEP盤、そしてLPを買えばビートルズの全曲が入手出来たからだ。シングル盤のほとんどはほぼ同時発売時のLPに収められず、EP盤は64年の1枚のみがシングル盤にもLPとも曲目がだぶらなかった。そしてベスト盤は『オールディズ』のみがビートルズ解散前にイギリスで発売され、日本盤も出た。同アルバム以前に日本独自の編集盤もあったが、ビートルズが67年に全世界でアルバムを統一してからは製造されなくなった。70年だったか、解散後に通称赤盤、青盤の各2枚組LPがジョージ・ハリソンの選曲によって発売された。上記の理由で筆者はその2種のアルバムを買っていない。同じ曲を二度買うつもりがないためだ。手軽にビートルズのエキスを知りたい人にはいいが、全曲を聴きたい人には不要だ。価値があるとすれば、ジョージの選曲という理由で、また青盤と赤盤はジャケット写真が同じ場所で同じ並び方で撮影された初期と晩期の4人で、姿の変貌ぶりが見ものだ。今日の最初の画像は青盤のCDで、ジャケットの4人の写真は『アビー・ロード』のジャケットに使われてもよかった。
●「NOW AND THEN」_b0419387_14293554.jpg
 「ナウ・アンド・ゼン」の発売に合わせて赤盤青盤は曲を増やし、またここ5,6年における新リミックス・ヴァージョンを使ったうえで再発売された。リミックスはビートルズの録音で有名になったジョージ・マーティンの息子ジャイルズ(Giles)が手がけ、ネット情報によれば賛否があることがわかる。EMIとしては今後もビートルズで商売をして行くので、時代に合わせて新たな磨きをかけようというのだろう。それは音を自在に変える技術が年々開発されていて、そうした技術を応用すればどうなるかという興味もあってのことと想像する。ジャイルズがビートルズの録音をいじくったことは、ポール・マッカトニーとリンゴ・スターが健在なのでお墨付きは与えられているが、ふたりが世を去れば歯止めは利かなくなるだろう。遺言でポールがそれを禁止したところで、後世の者は勝手なことをする。それは絶対確実だ。その手始めが赤盤青盤を含め、ここ数年のジャイルズの仕事だ。ところで、筆者は2023年の最新の青盤だけでも買おうと思いながら、YouTubeに赤盤も含めて全曲が投稿されていることを知り、何度か聴いた。パソコンからの粗末な音なので詳細はわからないが、意外な発見はままある。それらを列挙するのは切りがないが、おおまかに言えばこれまで気になっていたことが改善されている。また2023年版でありながら、多くの曲はここ6,7年の間にリミックスされたものを使い、ジャイルズは父が手がけた最初のデジタル化のその先に進んで、ビートルズの全曲をリミックスし終えたのであろう。ザッパもそうだが、6、70年代のビッグネームのロッカーたちは続々と50周年記念盤を発売し、たいてい1万円以上であるため、筆者は興味がありながらザッパ以外は手を出さずにいる。購入しても2,3回しか聴かない。そうした50周年記念盤は現在70代の裕福なファンに向けてのもので、死に土産に買ってもらおうとの魂胆でもある。常識的に考えて最良の演奏は6、70年代に発売済みで、50周年記念盤に収められる3,4枚の余分なディスクには、残りかすと呼ぶにふさわしい演奏しか入っていない。良質の曲があってもごくわずかだ。そしてビートルズに関しては、良質の未発表曲やヴァージョンは『アンソロジー』の全3集で底をつき、残る商売手法はたとえばジャイルズに細部をいじらせることしかない。しかもその細部は元の録音テープに隠れ気味であった音を前面に出す程度で、異なる演奏とは言えない。ザッパの曲がジャイルズの手法で作り直されれば、200年や300年経っても「新譜」の発売に困らない。その意味でビートルズ・ファンはかわいそうだ。極細部が異なるだけの同じ曲に何度もお金を使わされる。したがって筆者はYouTubeで2023年版の赤青盤は我慢する。10年後にはどちらも1000円で中古盤が買えるはずで気長に待つ。
●「NOW AND THEN」_b0419387_14294864.jpg
 ネット・オークションでは2023年版以前の曲目の少ない赤青盤の紙ジャケットCDがよく出品されていて、2023年版かどうかは表ジャケットからは区別がつかず、裏面の曲目を確認せねばならない。今日の2枚目の画像が2023年版のそれで、筆者がオレンジで囲った9曲をジャイルズは増やした。2枚のLPには収まらず、今回は3枚組LPとして発売されたのではないだろうか。そのことを墓下のジョージ・ハリソンがどう思っているかだが、ジャイルズはジョージのことを考えて9曲のうち2曲を彼の曲とした。これはビートルズ時代から考えて妥当な割合だ。筆者が2023年の青盤CDがほしい理由は、今日の3枚目の写真が示す2009年発売の全曲CDボックスに収められる紙ジャケットのデザインやサイズと同じで、縦長のその黒い箱にはどうにか青盤の紙ジャケCDが入るだけの隙間があるからだ。またその全曲CDボックスには「ナウ・アンド・ゼン」は入っていない。ポールが言うようにビートルズ最後の同曲が、かつてジョージが選曲した基盤にジャイルが曲を追加し、さらには音を少々変えたベスト盤である青盤の最後に置かれることは、黒い箱にその最新の2023年版の青盤を収めたい気持ちを起こさせる。これは黒い箱に詰まるビートルズの全曲という遺骨に新たに「ナウ・アンド・ゼン」を葬る思いと言ってよく、同曲が筆者の生前に発表されたことにひとまず感謝したい。ポールの年齢からして、また新たにビートルズ曲として加工したいジョンの曲がないはずであることからも、同曲は真にビートルズ最後の曲で、あらゆる面から見てもそれにふさわしい価値を具えている。そのことは後述するとして、2023年版の青盤がほしい理由は「ナウ・アンド・ゼン」以外にある。それは68年の『ホワイト・アルバム』の2曲目の「ディア・プルーデンス」が、今回は前曲「バック・イン・ザ・USSR」のジェット機の離陸音に被さらずに始まることだ。ビートルズがアルバムにおいて曲間の無音を省略した最初は67年の『サージェント・ペッパー』だが、『ホワイト・アルバム』でもその手法が使われ、「ディア・プルーデンス」の冒頭はジェット機音のフェイドアウトとギターのリフのフェイドインが重なって、「ディア・プルーデンス」のみを取り出すことは不可能な状態にあった。スタジオでは各曲が個別に録音されたので、ジェット機音がない「ディア・プルーデンス」のテープは存在するはずで、ジャイルズは今回の青盤で初めて離陸音が完全に消えてから「ディア・プルーデンス」のリフが始まるようにした。しかもフェイドインではなく、最初のギターの一音がとても大きくクリアで、それだけでも筆者のように68年の発売時から聴いているファンにとっては驚くべき喜びで、同曲のイントロの1,2秒を聴きたいためにその青盤がほしいのだ。
 ジャイルズは古いファンやマニアのために「バック・イン・ザ・USSR」と「ディア・プルーデンス」を完全に切り離しのだろう。しかし「ディア・プルーデンス」の大きな音のイントロはジェット機音に隠れて鳴っていたものと当然同じで、ジャイルズの「切り離しヴァージョン」を聴いた後では筆者はなおさら68年のLPの感動を思い起す。それはジェット機音に隠れたフェイドインでありながら、あるいはそうであるからこそ、同曲のその後の展開がドラマティックであった。というのは、同曲はフェイドアウトで終わるからで、遠くからやって来て遠くに去るという感覚が同曲を支配し、それが歌詞と合わさって懐かしい思い出に感じられる。そう思えばこの曲はプルーデンスという名の女性を誘いながら自然の中で戯れた後、彼女が消えてしまうという悲しみを宿している。同じ境遇をジョンがもっとあからさまに歌ったのは3年前の「ノルウェーの森」だ。居心地のいい女の部屋で一夜を過ごしたのに、翌朝は何もかも消えていた。その喪失感はジョンの幼児体験の反映だろう。それで母性を強烈に味わわせてくれるヨーコにのめり込んだ。ジョンには精神的に強い女性が必要であった。話を戻すと、ジャイルズは「ディア・プルーデンス」のイントロをフェイドインにしなかったが、最後のフェイドアウトはそのままにした。これは遠くからやって来て遠くに去るのとは違って突如眼前に現われた存在が次第に遠のいて行く状態で、このほうが人間に出会いを考えればより現実的であるかもしれない。だがどのような一目惚れにも助走期間と呼べるものはある。運命的な出会いと思ったことも、運命として予定されていたのであれば、それはその出会いがある以前の歳月が助走でありフェイドインだ。そう考えると筆者はいきなりギターの音色が大きく始まるジャイルズの今回のヴァージョンは、ジェット機音のみ省いて68年時と同様、フェイドインがよかったのではないかと思う。だがそれはジャイルズのヴァージョンがあれば自分で簡単に作り得る。そのように思えば、これまでかすかに聞こえ始めたギターのリフがいきなり際立って出現するのは、過去の不明瞭さが払拭されて新鮮な思いをもたらす。『サージェント…』の最後の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の冒頭も前曲の最後の拍手が被さっているが、ジャイルズは今回の青盤で同曲のイントロから拍手を除いた。フェイドアウトするジェット機音や拍手音はわずかであるので、そのだぶりがなくなった程度はどうでもいいようなものだが、マニアにとっては特筆すべきことだ。ジョンやポールは理由があってジェット機のフェイドアウトにギター・リフのフェイドインを重ねたが、ジャイルズはそれを知りながら、各曲独立のベスト・アルバムであれば、曲のつながり箇所をクリアにすることは許されると考えたし、そのほうが曲の独立性が際立つ。
 さて、2023年版の青盤の最大の価値はやはり「ナウ・アンド・ゼン」だ。これはジョンが射殺される2年前の78年にカセットに録音された。それをヨーコはポールに与えていたが、何分カセットでは音質がよくない。雑音をいかに除去し、ジョンの声を鮮明化するか。海賊盤CDではその最初のカセット・ヴァージョンが昔から紹介されていたようで、今ではそのデジタル・データを元に個人でジョンの声をさまざまに加工することは可能だ。AIの技術は一般人でも利用可能で、その質は今後劇的に改善されるかもうそうなっているだろう。というのはYouTubeではポールがシングル盤として発売したこの曲の6分45秒に及ぶロング・ヴァージョンが投稿されている。聴き比べると、ロング・ヴァージョンはポールが省いたジョンの一際高い声で歌うサビが二度繰り返され、やはりくどい。ビートルズの曲は2分半が基準で、長くてポールが編集したように4分程度だ。「ザッパロウィン23」で筆者は本曲のジョンの声がどうも不自然に聞こえると言った。それはAIで声だけを取り出したヴァージョンを聴いての感想で、楽器の大きな音の中に混じると気にならない、というか気づかない。だが生前のジョンの声やジョージのギター音を使い、そこに現在の演奏音を被せたのであるから、そのことを知って聴くと不自然さは拭えない。同じスタジオでの音の加工でも、ある曲全体がごく短期間に実施されるのであればそうした違和感はないというか、認識されない。つまり本曲はジョンが生きていればどのようにアレンジされたかわからない状態であることの違和感が伴なう。その理由のひとつは先に書いたジョンが歌ったサビ箇所の除去だ。それはさておき、本曲は涙なくしては聴くことが出来ない。そのことをまずポールは長年思っていたはずで、ジョンの歌う「Now and then,I miss you.」の下りはポールの思いそのままであるはずで、80を過ぎてますますポールはジョンの詩とメロディ、そして歌声の才能を惜しむようになったのだろう。筆者はビートルズを中学生から聴き始めた時、何と言ってもジョンのほうがポールよりはるかに好きであった。父母の愛に恵まれなかったジョンの絞り出すように歌う激しい叫びやささやき歌う声に筆者は同情し、励まされた。筆者は父の愛を知らずに育ったが、ジョンと違って母のそれには大いに恵まれた。そういう違いはあったが、本来あってしかるべき親の愛の欠如は乳幼児に決定的な欠落感とそれゆえの激しい希求の態度、思想を育むはずで、ヨーコがいみじくも言ったように、そのように不幸に育った子は詩人になるしか道はない。ジョンは場末の酒場で飲んだくれの無名の詩人にならずに、ロックンロールと出会い、そしてヨーコと出会って本曲を書いた。ビートルズから独立したジョンはビートルズ時代とほとんど変わらない純粋さと才能を保ったことがわかる。
 ビートルズの解散後、メンバー各人がソロ・アルバムを出した。それらからビートルズ的な曲を選んで『アビー・ロード』に次ぐビートルズ・アルバムを編集しようと考えたことのある人は多いだろう。そして結局それがどうにも収まりの悪いものになる事実を知って失望する。解散後の4人は『ホワイト・アルバム』で露わになった個性をより尖鋭化し、ビートルズとしてのまとまりは不可能となった。それを誰よりもよく知るポールが本曲を最後のビートルズ曲に仕立て上げたかったのは、いかにもジョンらしい曲でありながら、ビートルズ曲としても通用する個性を認めたからだ。それは聴けばわかる。AIを使ったことやジョージが録音しておいたギター音やまた弦楽器の伴奏を加えるなど、過去からつながりながらしかも「現在的」なビートルズを提示出来る手応えがあったことと、ジョンが78年に録音した複雑な構成からサビを除去することで曲の訴求性を高められると判断したことが、よりビートルズらしい曲とした。なぜサビを省いたか。本曲はAマイナーの半音を一か所含むペンタトニックからGの同じペンタトニックとから成る。つまり白鍵ばかりでGの音階とすれば第7音がなく、Aマイナー音階では第6音がない。歌詞で最も重要な、またそれだけでいいと思わせるのが、AマイナーからGに変わった途端に歌われる「Now and then,I miss you.」だ。これは短調から長調に代わって安定した調子で歌われはするが、歌詞が欠落感の表明であるため、切々さが支配し続ける。ポールがこのGへの転調をサビとしたのはビートルズ曲の伝統からして正しい。ジョンが1オクターブ高い声で歌う本来のサビはEの五音音階で黒鍵の使用があるが、それがGのサビに戻る際の音の動きはやや複雑で、ポールがその本来のサビを省いたのは不安定さを内蔵するジョンの曲をより直截にわかりやすくし、ビートルズ時代にジョンが本曲をポールに提示したとしてもポールはジョンのその高音のサビを除くように助言したはずだ。つまり、本曲は真に「レノン=マッカートニー」と呼ぶにふさわしい共作となった。そのことをヨーコがどこまで予想したかわからないが、ポールを信頼し、ぜひとも充実した伴奏を編曲し、末永く愛される曲としてポールが仕上げてくれることを信じたであろう。従来の青盤は最後がポールが歌う「ロング・アンド・ワインディング・ロード」であった。2023年版ではその後に本曲が置かれ、ビートルズがたどって来た長くて曲がりくねった道で失って来たものを惜しみ、懐かしんでいる感をもたらす。ポールにすればそのようにビートルズの新曲がもう作り得ないことを本曲に託したとも見え、これからは一般人がAIを使ってもっと自由にビートルズ曲を加工出来る時代の幕開けが始まったことの宣言ともなっている。その意味でもビートルズは今もポップス界の先端を走っている。
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# by uuuzen | 2023-12-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●「オレオレと 電話で詐欺の ならず者 鳴るはサイレン 逮捕の御用」
●「オレオレと 電話で詐欺の ならず者 鳴るはサイレン 逮捕の御用」_b0419387_23142981.jpg士をば 気取る為政の 瞳には 童も見抜く 鈍さの極み」、「目立ちたし 金もほしきや 脳足りん 騙す才能 見込まれ飼われ」、「俗物の 俗さ加減の 順位かな ラジオにテレビ ネットで人気」、「素晴らしき 人に会えねど 作はあり 美女に遭わねど 二歳児可愛」一昨日の投稿の最後はもう少し説明しておいたほうがよい。正午過ぎに電話があり、家内が出た。西京警察の生活安全課の○○と名乗り、最近電話による詐欺でふたりが逮捕され、彼らが所有していた57名の名簿にわが家の電話番号と住所が載っているという。途中で筆者に代わり、同じことを聞かされ、また注意勧告を受けたので、「わかりました、注意します」と応えた。それで終わりかと思いきや、相手は電話を切ろうとしない。どうも怪しい。まあ聞いてやれと思っていると、家内に代われと言い始める。電話の音は途切れがひどく、電波の届きにくい地域からスマホでかけて来ているのだろう。手元の紙に相手の名前を控え、即座に松尾の交番に駆けつけて事情を話した。西京警察には該当する人物がおらず、やはり詐欺であることがわかった。帰宅すると家内はまた電話があったと言う。そして途中で別の落ち着いた声色の男に代わり、筆者の偽造ゆうちょカードを所有しているが、それがどうのこうのという話をし始めたそうだ。家内は強制的に電話を切ったが、わが家を訪れて本物のゆうちょカードと隙を見て交換するつもりであったのだろう。ゆうちょや他の銀行口座に100万円も入っておらず、詐欺のし甲斐がないのに、年末でもあって詐欺師らは荒稼ぎの時期と思っているのだろう。その話を先ほど「風風の湯」でMさんにすると、以前Mさんの母親が電話詐欺で近くのコンビニで300万円振り込みをさせられたと聞いた。相手は大阪の元知事で今はTVタレントで荒稼ぎをしている弁護士の事務所に勤務する人間と名乗り、それで信用してしまったらしい。入金後すぐにコンビニに駆けつけて事情を説明しても相手はアルバイトで埒が明かなったと言う。コンビニのその機械に300万円が入っていると思うとそれを壊してでも取り返したくなるが、すでに詐欺野郎は遠くにある銀行から引き下ろした後だろう。それにしても最も安全と思っている家の中で遠隔操作の詐欺によって大金が奪われるのであるから、安全な場所はどこにもない。高齢者がそうした詐欺師からの電話を退けることが出来たとして、今度は白昼堂々と玄関を破って侵入され、強盗に遭うことが増えるだろう。しかし嫌な事件や話に患ってここに書くのは言葉がもったいない。ヘッセの『車輪の下』や『知と愛』には俗物は登場してもほんのわずかしか触れられない。筆者も知識欲のない人物にかまっている暇はないと改めて自覚する。つまり雑音のシャットアウトだが、そう思いながら毎日が雑事ばかりで過ぎて行く。それで今日の投稿もその雑事の最たる内容だ。
●「オレオレと 電話で詐欺の ならず者 鳴るはサイレン 逮捕の御用」_b0419387_23151128.jpg 今日は昨日の補記を書いておく気になった。それは「オレオレ歩き」についてだが、道に迷う筆者は帰宅後に忘れない間に歩いた道筋を地図上に記すようにしている。今日は3枚の地図を掲げる。最初は9月10日、大阪本町のムジークシューレという一室にアコーディオンの演奏会を聴きに行った帰りだ。天神橋筋商店街で買い物をして帰るつもりであったから、本来は真っすぐ北上するのが近道だ。ところが何を勘違い、あるいは遊び心が出たのか、筆者は地図上の赤線のように、南西隅からオレオレ歩きをして北東に歩き、桜宮橋の東詰めに至り、そこで仕方なしに方向転換して橋を西に越え、そこから北西に向けてまたオレオレ歩きをした。当日はカメラを持参することを忘れたので、3か所の蘇鉄の写真を撮ることが出来ず、また気になった物や場所もいつか改めて訪れて撮影することにした。そのためにも歩いた道筋を記録しておくのがよい。一番気になったのは藤田美術館が新しくなっていたことだ。歩いた道から建物の外壁代わりの大ガラスを通して内部の観覧客たちが見えた。またオレオレ歩きをしながら天神橋筋商店街に必ず着くと予想しながら、大塩平八郎で馴染みの同心町を通過し、JR天満駅の南端に着いた時は声を挙げそうになった。まさかそこに至るとは思わなかったからだ。結局目指すスーパーのすぐ前に出て来たことになって、直角三角形の直角を挟む二辺を歩くという遠回りをしたが、普段運動不足の筆者にはちょうどいい散歩となった。さて2枚目の地図は10月29日の大阪だ。これも丸尾知子さん目当てに出かけたアコーディオンの演奏会で、その前に難波で展覧会を見ることにした。地図のA地点の天神橋筋六丁目駅から赤線のようにオレオレ歩きをして御堂筋に出るつもりが、JR環状線の高架沿いでやはりまた蘇鉄を見つけた。早速カメラをかまえたはいいが、シャッターが下りない。何度試しても同じで、電池切れとわかり、それを買うために大型スーパーに寄ることにした。そこから真っすぐに南下してBに至った。その時右手の道を進むべきと思いながら、左に進んだ。それは間違いで、結局天神橋筋一丁目のCに出た。それなら最初から地図のAからCに至る日本一長い商店街を真っすぐに南に向かえばよかった。ただしそうするとカメラの電池切れはわからないままにアコーディオンの演奏会に行ったはずで、11月3日の投稿は写真がないことになった。かなり遠回りしたことを無駄と考えるのではなしに、初めての道を少しは歩いて蘇鉄を見かけ、また電池切れがわかってそれを早速購入出来たことがよかったと思えばよい。ものは考えようで、立腹したことを思い出すより、楽しかったことに目を向けるべきだ。それはともかく、Cから天神橋を南に越え、そこからまたオレオレ歩きで難波に向かったが、遠回りしたために展覧会はほとんど5分しか見られなかった。
●「オレオレと 電話で詐欺の ならず者 鳴るはサイレン 逮捕の御用」_b0419387_23152639.jpg
 次に3枚目の地図だ。先月23日に茨木の国立民族学博物館に家内と出かけた際、また西国街道歩きを決めていた。家内にそれを伝えると絶対に拒否するので、展覧会を見終わっても黙っていた。そしてめったにないことだが、モノレールに乗って初めての豊川という駅で降りた。そこから西国街道は間近で、東に歩くことにしたのだ。茨木市内の西国街道歩きは1年ぶりだ。去年は1日早い11月22日に「みんぱく」の企画展を見た後、西国街道に至り、それを西進した。去年投稿した「西国街道、その27」の地図で言えば左端のE地点すなわち今回の3枚目の地図の左上隅のA地点までを西にある豊川駅から目指した。そのことは写真つきで改めて書くつもりでいる。Eから歩くのではなしに、豊川駅からEを目指したことは正解であった。日没まで時間があったからだ。ただしやはり西国街道歩きの後に道に迷った。どんどん暗くなったからだが、緊張して歩いたのでよく覚えている眺めがいくつもある。それらをつなぎ合わせて歩いた道を地図上に青線で記した。まず空腹であったので、西国街道歩きを終えてすぐ、国道171号線と西国街道の交わりの地点に去年も目に入った大阪王将で食事した。筆者はマーボーフワトロ天津飯、これはスージー・クワトロも喜ぶだろう。家内はサクトン定食で、玉ねぎの炒めが足りず、食後気分を悪くし、地図のAB間で座り込んで吐いた。それでも夜道を駅目指してサクサクトントンと南下しなければならない。Aから南東方向に歩けば阪急茨木市駅があることは知っているが、その途中の道は半分以上は初めてだ。去年はAから超満員のバスに乗ったが、今回は歩くのもいいと考えた。ただし特にAからBはあまりに殺風景で、それは我慢せねばならない。B地点は171号線を横断する地下道だ。それを南にわたってほとんど人に遭わずにCまで行くと、見慣れた建物に気づいた。以前富士正晴記念館を訪れた時に見覚えた建物だ。その真向かいにコンビニがあって、そこでパッションフルーツを買ったことは以前に書いた。そこから駅まではもう近い。ただし地図で示したDEFはそれぞれ印象深い地点でありながら、青線どおりに歩いたかどうかは定かでない。Cに至った時、今回の地図の赤線の中ほどのFを目指した。そこから小学校や駅前商店街に一直前に南下する本町通りに出たかったのだ。そこを以前歩いたことがあり、商店街で買い物をして帰るつもりがあったからだ。ところがCから東にJRの高架まで歩けばいいことがわかっていながら、途中で南に折れた。オレオレ歩きを念頭に置いていたからで、その南に入った道の先をまた東に折れることを何度か繰り返せば本町通りに出ると予想した。それで今回はDのJRの高架下を歩き、Eに至った。そこは昔は茨木川で、現在は堤の緑地とそれに沿う川端通りだが、前回歩いた時に越えた道とは違うなと思いつつ、信号を東にわたった。 帰宅後に調べてわかったが、以前歩いた時に横切った堤の信号はひとつ北のFであった。E地点の道路をわたった直後に信号が赤に変わり、家内は信号を待つ自転車に乗った若い女性に駅まではどう行けばいいか尋ねた。彼女は信号が青に変わり、また赤になっても家内に詳しく説明してくれ、Eから堤沿いの道を南に行けば大きな通り沿いの左手にG地点の茨木神社があることがわかった。筆者は女性の言葉にしたがわずに、地図上に青で示したように、堤内のちょっとした公園を横切ってすぐの南東に下る暗がりの狭い坂道を進んだ。坂を下りて進むと突き当りに至った。左折を繰り返して来たので当然その時も左折した。それが間違いであった。斜めの道を歩いたために方向感覚がわからなくなった。その突き当りでの左折は北向きであった。先を進みながら四辻ごとに左手のずっと奧に土手が見えた。あれをまた向こう側に越えねばならないと考え、F地点である堤、そしてそれに沿う道路を越えてまた住宅地域に入った。そこでどこをどう歩いているのかわからなくなったことを自覚し、たまたま四辻の角の家の小さな庭に出ていた高齢の女性に道を訊いた。ところで、Aから駅のHまで、大通り沿いは別にして遭遇した人は先の信号待ちの女性以外はほとんどその女性のみであった。まだ6時頃の市内というのに、日が暮れるとサラリーマンの帰宅者以外はほとんど外出しないと見える。それは嵐山でも同じで、高齢化が進んだためもあるだろう。女性は庭に出てごそごそと何かを取ろうとしていたようで、背中を曲げてしゃがんでいた。こんどは筆者がその高齢女性に声をかけた。彼女はつい最近も80代の男性が2時間もうろついて駅がどこかわからないと道を訊かれたと言った。そして親切にもその直後にわかりやすい場所まで案内すると言われた。暗がりで道案内をするになるほど筆者と家内は不審人物には見えなかったのだろう。とはいえ筆者は奇妙な帽子を被り、家内曰くどう見ても古稀過ぎの普通の老人には見えないので、暗がりが幸いした。数十メートル引率され、別れてからすぐに堤を上がると先の小さな公園で、また南東に下る人影のない暗くて狭い坂道が目に入った。ふたたびE地点に来たのだ。狐につままれた気がした。当然そこを下らず、堤上を南下した。前方に昨秋建設中であった市役所近くの大きなビルは完成してすでに営業中、シースルーのエレベーターを初めすべての窓が明るく点っていた。1年前はそれが建築中で、万博公園に向かうバスの中から眺めたものだ。堤の左下はずっと茨木神社の境内で、明かりの中、白いキモノの禰宜の姿が眼下に見えた。茨木神社の鳥居前の大道路を歩くのは不満であった。地図の赤い線の本町通に至って商店街で買い物をして帰りたかったからだが、地図上に道筋を描くと、そのルートをたどればなおのこと「オレオレ歩き」として形が整ったことがわかる。
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# by uuuzen | 2023-12-08 23:59 | ●新・嵐山だより
●「伏見から 街道上れば 洛の中 人多くして 茶もよく売れし」
る 道を逸れての 出会いあり コスパ無視して 愉快堪能」、「東福寺 東にありて 福もあり 布袋の笑みに 寺銭も増え」、「何気なく 感じて避ける 危険かな 運は信じて 忘れて待てと」、「これだけは しておきたきと 思いつめ しょせん雑事と 知る心あり」
●「伏見から 街道上れば 洛の中 人多くして 茶もよく売れし」_b0419387_13433145.jpg11月28日、461モンブランの山下カナさんがXで「私が選んだその道が、私にとって一番いい道になる。」と呟いた。筆者も同感で、別段彼女のその言葉に意見することはないが、その3日後の12月1日のことを思い出すと、彼女のその呟きは予言めいていた気がして来る。今日はその話をする。12月1日の午後、筆者は久しぶりに京都国立博物館に家内と出かけた。東福寺展を見るためだ。同展を見た後、東福寺に行き、帰りは本町通りを北上した。前回東福寺に行ったのは10年ほど前で、東京の大平さんと一緒に有名な大涅槃図を法堂の中で見た。今回の東福寺展でその涅槃図の実物を展示する代わりに畳ほどの大きさの部分写真があって、その説明に「3日まで東福寺で涅槃図が公開中」とあった。その涅槃図はあまりに巨大で、京博での展示は無理であったのだろう。ともかく東福寺に大急ぎで行けばその実物がまた見られると思い、昼を食べずに南に向かった。途中、京博の売店で訊ねて知った今熊野郵便局でお金を下ろし、そこから東福寺まではバスに乗るほどではない。家内は速足の筆者の後方20メートルほどを歩き、今年最後の紅葉目当てに訪れていた観光客の帰りの大群と擦れ違いながら法堂に急いだ。4時半過ぎに着いたはいいが、拝観は5時までで、また料金が1000円とあって諦めた。大平さんと見た時は無料であったと思うが、今回は東福寺展に合わせての公開で、時代も違っているので1000円は仕方ないだろう。さて、筆者は往路と復路を違えることが好きで、その日は往路では歩かなかった幅の広い坂道を下りた。その際に撮ったのが今日の最初の写真だ。警備員にバス道を訊くと、突き当りの道を右に折れて先を行けばよいとのこと。その道に出でしばらくして、それが本町通りであることに気づいた。筆者は伏見稲荷大社から本町通りを北上し、三十三間堂辺りまで行ったことがある。東福寺からなら1キロ少々の距離で、それくらいなら本町通り沿いの京阪東福寺駅から電車に乗る必要はない。それに筆者は本町通りが好きだ。しかし東福寺駅から北は雰囲気が少々変わる。その最大の理由は駅のすぐ南は頭上を高架道路が走るからで、同駅の北方はまた本町通りらしさが戻るが、通行人は少なくなる。伏見稲荷大社界隈は京都観光ブームで凄まじい人の混雑ぶりと聞くが、東福寺駅前付近も同様で、しかも外国人が大半を占めていた。筆者らは空腹を思い出し、家内が昔店の名前を耳にしたことがあると言うラーメン店に入った。そこを出た後、また本町通りを北に進みながら、すぐ先にある新幹線と東海道本線を跨ぐ歩道橋を越える気にならなかった。
●「伏見から 街道上れば 洛の中 人多くして 茶もよく売れし」_b0419387_13435529.jpg その歩道橋を一度だけ南から北に渡ったことがある。その時筆者はせっかくの歴史ある本町通りがJRで分断され、歩道橋を利用させられることが面白くなかった。12月1日はその歩道橋を渡る気になれなかったので、もっと手前の三叉路を左に折れて川べりに向かい始めたところ、家内はいぶかった。知らない道ではいつものように迷子になるからだ。しかも夕暮れ間近で、京都市内では珍しい化学工場のプラントが眼前に異様に迫っている。家内はいつになく大声で筆者をなじったが、筆者は耳を貸さずに先を歩いた。最大の理由は前方左手に京都タワーの上半分がよく見えたからだ。本町通りを北上して三十三間堂付近まで行ってから京都駅に向かうより少しは近道と思ったからでもある。それに初めての道は楽しい。本町通りを逸れて坂道を西に下り始めると、工場の脇で西洋人の眼鏡をかけた無精髭の痩せた青年がスマホを見ながら道を確認していた。彼に訊くまでもなく、方角はわかる。坂道の下は疏水が流れ、それを西に越える歩道橋があった。そして疏水際の道は化学工場から南はその敷地で通行不能だ。筆者はかつて売茶翁がこの付近に転々と住み、三十三間堂付近まで茶を売り歩いたことを想った。その後疏水が出来て鉄道が走り、今は江戸時代の面影はほとんどない。あるのは本町通りくらいだ。疏水上の歩道橋を渡る気になれなかったのは、その橋の利用者がほとんどいないように見えたからだ。それで疏水の左岸の細い道を北上した。右手は小さな民家が連なり、新幹線と東海道本線の高架下をくぐると廃屋や玄関前がゴミだらけの家があり、またどの家も人の出入りがない。先に橋が見え、誰とも会わなかったのが幸いな気がした。橋は塩小路橋と言い、何度か歩いたことがある。橋を西に渡れば新しく出来た京都市立芸術大学と思っていると、そうではなく市立工芸高校が新たに建ったようで、その西や南が芸大であった。塩小路通りよりもはるかに七条通りを歩くことが多いが、京都市は鴨川を南に行くほどにあまり柄がよくない地域と言われる。そのことは芸大が出来る前はよく実感出来た。塩小路通り沿いの雑然とした地域は特に南側が再開発され、鉄筋コンクリートの巨大な校舎が建った。自然は減少し、芸大の学生は交通の便利さと引き換えに何かを失った。それを言えば、大学の名前で京都市芸と大いにもめた旧京都造形大のほうが京都らしい場所にあるのではないか。とはいえ、その造形大か精華大の学生が昔大学の近くで誰かに刺し殺され、今も犯人は捕まっておらず、鄙びた地域が安全とは言い切れない。今はいつどこで何に遭遇するかわからない確率が急増している。何しろSNSによって世界中から人が京都の隅々に押し寄せる。経済効果のよさが喧伝されるが、嫌な騒ぎも当然増える。それは筆者のようなよそ者が偶然ながら興味半分で塩小路橋南を歩くことからも言える。
●「伏見から 街道上れば 洛の中 人多くして 茶もよく売れし」_b0419387_13441166.jpg 東福寺を訪れた4日後、東山区内の小さなマンションで82歳の男性が刺殺された。現場の写真を見ると、新幹線と東海道本を跨ぐ歩道橋のすぐ北の本町通り沿いにあることを知った。筆者がその歩道橋を越す気がしなかったのは殺気の渦巻きを本能的に感じていたためかもしれない。また疏水上の歩道橋を歩かなかったのは、車の往来が激しい師団街道の歩道とは言えない狭い道を歩く羽目になっていたことを直感していたからと思う。家内は一時も早く疏水沿いの生活道路を通り過ぎたかったと言うが、いわゆる柄のよくない土地でも初めての道はそれなりに楽しいと思う気持ちの余裕が筆者にはある。筆者がしょっちゅう道に迷うことを家内が息子に告げると、今は誰でもスマホを持ち、道に迷わないと言われた。迷わずに目的地へ着くことは、若者が言うコスパのよさだが、迷いながらジグザグに目的地に向かうのもいいではないか。筆者は碁盤目状の街路がある土地では四辻ごとに同じ方角に曲がる「オレオレ歩き」をよくする。それは真っすぐに歩いて突き当りで直角に折れてまた真っすぐに行くのと距離は変わらないが、山頭火の言うように長くて真っすぐな道はつまらない。それはそうと、前述の東山の殺人事件があった夜、たまたま暇潰しにネット・オークションで初めて知る出品者の掛軸群を順に見た。小さな画像がずらりと表示される画面を数秒ずつ凝視し、1500本ほどの全部を確認した。結局5点目ぼしいものがあった。他はゴミだ。呉春の月渓時代の作があったが、どうも筆さばきが違う。それで残り4点を2,3日後に相次いで落札した。桐箱入りで牙軸先のものが混じり、どれも数百円だ。出品者は無知なのだ。1点は若冲筆の売茶翁像の印刷掛軸で、それが市販されていたことを筆者はこれまで知らなかった。本物の若冲筆の売茶翁像なら一千万円はするだろうから、印刷でも充分だ。早速それを眼前に吊るしている。筆者が化学工場を背にして鴨川を眺めやり、売茶翁を想起したのは予兆であったのかもしれない。つまり本町通りを北上してJRの歩道橋を渡っていれば、売茶翁を思い出さず、売茶翁を描いた若冲画の印刷掛軸にも遭遇しなかったのではないか。家内から抗議の言葉を浴びせられながら街道を逸れたことは正しかった。落札した他の3点の掛軸とも筆者がかねてから関心のある画家のものだ。伏見人形の布袋像を描いた俳画の句は「蝶の中を 伏見あたりの 麗ら人」と読める。作者が伏見の本町通りを歩いて詠んだものに違いない。この句のように、蝶の舞う春のうららかな日、筆者は家内と歩き、傍目に麗しいと見られたい。そういう美しい年齢はとっくに過ぎたが、高齢でも気持ちは若々しくありたい。そう言えば今日は警察を名乗る不審な電話があった。オレオレ詐欺の一種で、交番に走って事情を説明し、若い警官に家に来てもらった。危険は身近にある。それをうまく避けながらジグザグに進もう。
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# by uuuzen | 2023-12-06 23:59 | ●新・嵐山だより
●「SYMPHONY NO.1 “HIROSHIMA”」
で声に 悪い気せぬや 仙人は 俗人の世 みな知り気高き」、「シンフォニー 真に不穏に 始まりて 紆余曲折で ブラボー狙い」、「おおげさな 曲を喜ぶ おおげささ おけさ踊りの 化け猫にゃーお」、「広島の 原爆ムード 金になり いかに稼ぐは 沙汰の神なり」
●「SYMPHONY NO.1 “HIROSHIMA”」_b0419387_18262785.jpg
去年から佐村河内守の交響曲第1番『HIROSHIMA』が気になり始め、ようやく最近中古盤を入手し、10数回聴いた。このCDは2011年の発売で、筆者は12年も経ってまともに聴いたことになる。NHKの番組その他でゴーストライターの存在が明らかになり、佐村河内の耳が聞こえことが嘘ではないかとされ、この作品の評判は一気に地に落ちた。そういう話題が影響したためではないが、筆者は佐村河内の音楽に全く関心が湧かず、この曲の一部が有名なスケート選手の試合の出番にBGMに使用されたという話も家内を通じて先日知った。それほど話題をかっさらったのに興味がなかった最大の理由は、どうせ日本で見事な交響曲が生まれるはずはないと思っていたからだ。その偏見が正しかったことがこの曲からよくわかった。家内は筆者がこの曲を大音量で最初にかけ始めた時、「なんかどこかで耳にしたことのある感じやな」と言い、「佐村河内や」と応じると、「やっぱりそうか。パッチワークみたいや。聴きたくない」と明言した。その言葉が正しいのかどうか、筆者は納得出来るまで聴き続けようとした。ブルックナーそのままといった箇所は笑いを誘ったが、全体としてはうまく出来ている。いかにもドイツの交響曲の歴史から耳馴染んだ箇所を模倣し、それらを散りばめながらほとんど印象に残らない旋律の連続で、重厚長大で劇的効果を狙った点で簡単に言えば通俗的だ。それは漫画やアニメに限らず、日本のすべての芸術において今は大手を振る。たとえばX(ツイッター)のフォロワー数が万単位であれば本人はすこぶる己惚れ、メディアも賛辞を贈るといった、数にものを言わせる、よく言えば民主主義性を体現している。それは馬鹿本位、贋者万歳の世を招いて来た側面があって、日本では芸術はもはや死んでいるも同然だ。あるいは筆者が認めないだけで、今の日本は世界に冠たる現代芸術の国と主張する人のほうが圧倒的に多いだろう。そういう人が佐村河内の出現を期待し、また持ち上げた。そして贋者とわかれば徹底的に叩いて存在を消し去る。本質的に贋者を礼賛する文化国家の日本であって、政治家でも芸能人でも芸術家でも、名が売れた者ほど奈落へ突き落される可能性を秘める危うさがあるが、ドーピングしてでもオリンピックで金メダルがほしい人が世界中で多数派を占めるそうであるから、どんな手を使ってでも有名になりたい病気は世界共通だ。その意味では佐村河内の事件は珍しくなく、出るべくして出て来た、そして消された存在ということなのだろう。「持ち上げて べたりと落とす 餅つきや 搗くほど粘り 味増すからは」
 佐村河内守という名前を筆者は「サムラカワチノカミ」と最初は読み、江戸時代の殿様かと思ったが、本名だろうか。この名前の珍しさが話題をより大きくした気がする。ゴーストライターの名前は忘れたが、それほどに目立たず、TVで見る氏も印象的ではあっても交響曲を書くような重厚な感じは全くない。また偏見を書くが、化粧で化ける女と違って男は、そして堂々と仕事を主張出来る場合は、それなりに見栄えに風格がある。それがない男は女の目に留まらず、真の意味での無名で生涯を終える。佐村河内はどうか。本曲のCDのブックレットに彼の写真が2枚ある。それが何とも様になることを狙ったもので面白い。よく似たタイプの表情、態度をする男は世の中にごまんといる。特に芸能界で生きる者はみな彼と同じと言ってよい。自己演出が好きなのだが、化け猫が尻尾を見せるように、下手な演技が、あるいは本質が露わになっている。それは目をまともに見ればわかるだろう。以前アラン・ホヴァネスの音楽について書いたが、ホヴァネスの肖像写真で印象的なのは目の輝きとその奥深さだ。そういう目をした男は筆者の知る限りはいない。ホヴァネスのことを思い出したのは、本CDのブックレットに長木誠司氏が「21世紀の日本に可能な交響曲の姿」と題する解説を寄せていて、文中に「ソ連のショスタコーヴィチとスウェーデンのアラン・ペッティション(そして、それらとまったく文脈を違えるアメリカのアラン・ホヴァネス)。ともに抱えている病理に悩みながら、多くの交響曲を書き続けた。」とあるからだ。長木氏の文章を初めて読んだが、佐村河内をショスタコーヴィチやホヴァネスと比較しながら、「21世紀の日本に可能な交響曲の姿」と書いたのは、佐村河内の才能を手放しで賛美しているのではなく、しょせん「21世紀の日本に可能な交響曲の姿」とはこの程度のものだと暗に貶めている側面も感じ、そこに依頼されて何か賛辞を書かねばならない評論家の辛さに同情する気も湧く。模倣と軽佻浮薄が昔から得意芸の日本では、どれほど逆立ちしてもブルックナーに比肩出来る交響曲の作曲家が生まれるはずはない。ブルックナーは教会でオルガン弾きをしながら交響曲を書いた。それはキリスト教と無縁ではあり得ず、そのキリスト教には神学、哲学を育んで来た歴史があって、それを致命的に欠いた精神的支柱のない日本ではどれほどあがいても猿真似しか出来ない。猿回しの芸を喜ぶ大衆がいることはいつの時代のどの国でも同じで、佐村河内が狙ったのはそこだろう。本CDは当時12万枚売れたそうだ。そのことで佐村河内その他、関係者は目的を果たし、後はどうなろうと知ったことではないというのが本音ではなかったか。ただし、思惑はすぐに破綻し、汚名は佐村河内のみが被った。それもひどい話だが、誰かの全責任を負わせて他の関係者が被害者面するのはTVで毎度お馴染みの光景だ。
 ホヴァネスは若い頃にシベリウスと文通し、それがシベリウスの死まで続いたという。筆者は10代終わり頃から何とはなしにシベリウスに惹かれ、彼の生涯を描いた本やレコードを入手した。最もよく聴いたのは交響曲第2番で、いつでもその曲のあちこちのメロディを脳裏に再生出来る。そして感じるのはフィンランドの自然だ。シベリウスが自然の中を逍遥しながら思いついたメロディを連綿とつなぎ合わせて交響曲を仕上げたことに感服するが、ホヴァネスも同じように思ったはずで、シベリウスから学んだとすれば作曲の語法ではなく、自然から何を導き出すかという最重要なことであった。それは芸術史的に見ればロマン主義の残滓ということになるかもしれないが、フィンランドはドイツとはバルト海を隔てて隣り合うものの、民族が異なる別の国だ。ホヴァネスのアメリカもそうで、ドイツの交響曲の歴史に学びはしてもそれに染まり切る必要はなかったし、するつもりもなかった。日本ではバッハ、ベートーヴェンのクラシック音楽が義務教育で教えられ、ドイツ音楽が神聖視されている。そういう伝統ではシベリウスはまだしも、ホヴァネスの音楽は大きな人気を得ることはない。そして日本で交響曲を書くとなると、黛敏郎のような仏教に因む『涅槃交響曲』があるが、それとてめったに演奏される機会はない。和の要素を持ち込んでも今では国民性に馴染まないとの考えが支配的であるからだろう。そこでやはり交響曲はドイツとなり、それ風の、そして日本が世界に主張出来る有名な何かを題名その他で味付けしたものが構想されるのは、ごく自然な考えだろう。真の意味での独創からは遠い作品になることは目に見えているが、独創より大事なことは、いかに有名になって金儲けが出来るかだ。しょせん芸術は消耗品で、より多くの人が喜べばそれで目的を充分達したとの考えだ。運がよければ浮世絵のように外国が認めて再発見してくれるから、発案者と実際に音符を書き連ねた者との共作であるこの曲も、百年後に外国で再評価されるかもしれず、そうなれば長木氏の「21世紀の日本に可能な交響曲の姿」も予言的であったと認められる。その可能性はゼロではないが、シベリウスの交響曲第2番のように、半世紀すなわち一生よき思い出として残るメロディや楽器の総和の音というものが、佐村河内のこの交響曲には欠如していて、簡単に言えば聴いていて楽しくない。そういう音楽は多いが、全3楽章計82分の大曲がどの箇所もどこかで聴いたことのある気にさせることは、作品としては駄作、凡作としか言いようがない。いかにも重厚であるのに中身が空っぽの印象を与えるのは、ろくな本が1冊もない成金の豪邸のようなものだ。そういう空疎さを意図して表現する作品はあるが、佐村河内はそうではなかったであろう。図らずも空虚さが露わになった作品ほど惨めなものはない。
 先ほどの長木氏の文章に「スウェーデンのアラン・ペッティション」という現代音楽作曲家の名前を見て、筆者は初めてそういう人物がいることを知った。それで早速ネットで調べると1980年に亡くなっていることを知った。今後筆者はその作曲家のCDを手に入れるかどうかわからないが、アマゾンでその作曲家のCDの一般人による批評を見ると、筆者が知る限り、最も文章量の多いものがあった。あまりに長いため、またあまりに読む気を起させない文章であるため、最初の10行ほどで読む気をなくした。文章を綴ることは、言葉を話せる人間であれば誰でも出来る。したがって時間をかけさえすれば長文も書けるが、誰かに読んでもらうには、最後まで読ませる筆圧が欠かせない。これは書いていて楽しく、読者にその楽しさが伝わるような工夫と言うべきものがなければならない。ある作品に感動した場合、その感動を他者にどう伝えるかとなれば、文章という表現が感動的でなければならない。それはなかなか至難の業で、それで大多数の人は凡人さを露呈することになるが、限られた時間の人生において、駄作や駄文に時間を割いては損した気になるから、音楽なら聴いて楽しかった、文章なら読んで何となく得したという気を起させないものは持続した人気を得ることは難しい。どれほど深刻な思想の経路を綴った哲学書であってもそれは同じことで、文章を積み上げた全体の構成が、時に破綻もそれなりの意味があると思わせるほどに作者が吟味し続けた痕跡を示すものでなければならない。そうした「作品」は他にはない斬新な工夫が必ずある。それは個性だが、誰にも個性はあるから、それを抜きん出たものにするには、他を研究し、視野を広げる努力をする一方、今までにはない「形」を創り出さねばならない。20歳やそこらの若い間はその研究や努力の量は高が知れているから、生まれ持った何かを中心に表現するしかないが、無意識であってもそれは出自に大いに関係した本質を提示しているもので、またそれゆえに20代で絶大な人気を獲得する作家はよくいる。シベリウスもそうであった。ところがその後は同じことの繰り返しを避ける思いもあって、他の研究し、視野を広げることなるが、その努力を怠る者がまた大半だ。一時はちょっとした人気を得てもすぐに才能が枯渇して忘却される作家は枚挙にいとまがない。しかし研究し続け、視野を広げる努力をし続けても、そのことで名作が生まれるとは限らない。楽譜を書く才能がなかった佐村河内はその点でどうであったかの想像を誘う。というのは、パソコンを使って自分の歌声を入力すれば、音符が書けなくてもメロディを自動演奏される機能があると聞くからだ。佐村河内は交響曲の構成が脳裏にあったようであるから、ゴーストライターを使わずにパソコンのAI機能を使えば手っ取り早く作品が書けるのではないか。
 あるいはAIに指示するだけで佐村河内の交響曲ならいくらでも創出出来る時代になっているのではないか。この曲を聴いてまず感じたのはそのことでもある。AIがやれることを佐村河内とゴーストライターが協力してやったことであって、その意味で21世紀的であり、また無名性を持ち、感動めいたことを演出している点でも「作りもの」としてのAI性を体現している。これは言葉を代えれば「不気味」ということになるが、この曲が面白いのは「HIROSHIAMA」と題するからには、誰でも原爆にまつわるあらゆる悲劇に思いを馳せるからで、筆者は第1楽章の初めって早くも3分ほどで登場する爆発的な音に原爆を思いついた研究者の閃きを連想したが、一方では原爆で誕生したゴジラが眠りから覚める様子も思い浮かべた。そのようにこの曲は広島が経験した悲劇と結びついて聴かれることが正しいはずだが、音はどのように解釈してもいいものであるから、ある楽章のある個所を全体の物語の中でどのような場面を想像してもそれは聴き手の勝手だが、映画音楽的にこの曲を長大な物語の描写音楽として見つめると、その途端に安っぽさが露わになる。原爆の悲惨さを描いた丸木夫妻の絵画とは違って、音楽で原爆の悲惨を表現することは不可能だ。それにこの曲は第3楽章では明るい希望を描くような調性に変化し、それがまた交響曲にありがちの予定調和そのものを感じさせるが、原爆の悲劇の前でどのような癒しが可能と佐村河内は思ったのか。つまり、筆者はこの曲の題名が鼻についてならない。しかし広島ないし原爆を大上段にかざすことがなければ話題にはならないと佐村河内は思ったのだろう。そこがいかにも安っぽいが、話題に飛びつきたい連中には歓迎される。「作品に罪はない」とよく言われる。それゆえこの曲も百年後にどう評価されているかは誰にも予想がつかない。10数回聴いた筆者は過去の作品のいいとこ取りをしながら大オーケストラで鳴り響かせた重厚長大な曲であることは認めるが、繰り返すと後で思い返すことの出来る印象深いメロディがない。記憶に残らないことは作品としては致命的だ。筆者はこの曲の全3楽章に合唱がついていて、それが心に残る物語であれば、もっと作品として成功したのではないかと思った。今からでもそうしたオラトリオとしての改作は可能で、佐村河内やゴーストライターとは別の第三者の優れた才能を付与すればどうか。そのことに協力する作詞者が今はいなくても、将来はわからない。それにCDがあればその音に合唱を加えることは案外たやすい行為ではないか。しかしそれはAIでは駄目で、広島の原爆を通じて人間の愚かさを見抜いた詩人でなければならない。あるいはこの曲にアニメなどの映像をつければどうかと思えば、それは絶対にやめておくべきで、交響詩とするにはあまりに全体は暗い色調に覆われている。
●「SYMPHONY NO.1 “HIROSHIMA”」_b0419387_18270026.jpg

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# by uuuzen | 2023-11-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪

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