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●『八月のクリスマス』
今、ペ・ヨンジュンの『愛の群像』というドラマが毎週1回2話ずつ深夜のTVで放送されていて、それを欠かさず録画して観ている。全44話なので22週間で終わる予定だが、いろんな特別番組のために1、2週間途切れたりするから、なかなか終わらない。



●『八月のクリスマス』_d0053294_1446629.jpgそしてそんな特別番組として先頃韓国映画が6つほど連続してノー・カットで放送された。途中で気がついて4本を録画した。TVでもなかなかじっくりと映画を観る時間が取れないが、ようやく3本を観終わった。前知識のない状態で観るから、かえって新鮮でよい。どれもよく出来た映画で、またいずれこのブログに感想を書きたいが、今回は2日前に観た『八月のクリスマス』。実はこの映画のみ録画に失敗、いや後から入れた別の映画のために冒頭の10数分が消えてしまった。そのため映画のタイトルさえ知らずに観始めた。終始静かな映画で、淡々と物語が進行するが、さすがに後半では登場人物のそれなりの激しい感情の起伏が動作として描かれている。観終わって最後にTV局が作った解説文が少し出たが、それを読んで初めてこの映画の題名が『八月のクリスマス』であることを知った。この題名は話題になったから、数年前から知ってはいた。しかし、大島渚の『戦のメリー・クリスマス』を連想しつつも、ずっとどういう内容の映画かも確認しないままであった。それで、映画を観てタイトルはわかったものの、なぜクリスマスなのかそれが合点が行かない。クリスマスの場面や、あるいはそれにまつわる話が映画の中にあったのだろうか。何しろ最初の10数分は観ていない。その最初の方で映画の題名にまつわるエピソードがあったのかもしれないが、確認のしようがない。
 それでネットで早速調べてみた。すると監督がこの映画の日本上映に伴って九州に招かれ、インタヴュー内容を掲げているサイトがあった。ざっと目を通すと、クリスマスということに別に深い意味はないらしい。ただ、映画は西瓜やアイスキャンデーを食べるシーンが印象的な真夏から始まり、徐々に町中の木々が紅葉し、最後には雪景色になるから、映画のタイトルは何となく似つかわしいのはわかる。そうした夏から冬への季節のうつろぎの両極を、八月とクリスマスで比喩的に表現したという監督の言葉は、なるほどと言いたいが、なおちょっとした不満が残る。「クリスマス」をタイトルに使うと、冬以外にそれなりに特定の意味合いを帯びる。監督への質問の中に、何かキリスト教的な思想を描いたのかというものがあったが、それもつまりはこのクリスマスという言葉に左右されてのことだろう。「八月のクリスマス」よりもっといい題名がなかったのだろうか。写真館を経営する主人公が8月生まれ(監督も同じとのこと)、そして主人公に恋をする若い女性も同じ8月の獅子座生まれであることが映画の中で明らかにされるが、その獅子座という言葉と雪を使い、たとえば「獅子座の雪」、あるいは「獅子座に降る雪」なんていうのはどうだろう。猛々しい獅子と健気な印象の雪の対比がいいではないか。ま、これは自画自賛だが。それはそうと、この映画の監督ホ・ジノはまだ確か2本ほどしか映画を撮っておらず、去年末から日本でも大いに話題になっているペ・ヨンジュン主演の映画『外出』の監督であるということも2日前に初めて知った。『外出』はなかなか面白いタイトルで筆者は好きだが、韓国のタイトルの直訳であるそれは日本では使用されずに、『四月の雪』だったかに決定しているようだ。この『四月の雪』を『春の雪』にすれば三島由紀夫になってしまうので仕方ないが、『八月の…』と共通して月を持ち出しているところに、配給会社の戦略もあるのかもしれない。それにしても『四月の雪』ではあまりにも『八月の…』がちらついた二番煎じ的な題名だ。ここはやはりずばり『外出』の方がミステリアスであってよかった。
 ま、それはどうでもいい話だが、先のインタヴューで監督は『八月』の主演ハン・ソッキュを韓国で最もギャラが高い俳優だと語っていた。初監督作品でこうした俳優を使用し、それが大ヒットを記録するというのはよほど周到な準備とそれを成功させる実力や運が必要なはずだが、その同じ監督がペ・ヨンジュンを使って『外出』を撮影し始め、その途端に韓国映画としては最高額の海外への買取金額を記録したというから、考えれば恐ろしいほどの実力を韓国映画をつけていることを証明する。また、そのような高額な取引となったのは『八月』における実力とペ・ヨンジュン人気のためなのだろうが、『八月』を観た後での感想を言えば、その金額は全く当然と思える。いい映画を撮った監督がその後も同様に質の高い作品を撮るとは限らないが、そうした懸念を吹き飛ばすだけの完成された実力を『八月』は備えていた。ペ・ヨンジュンが『スギャンダル』に続いてこの作品に出たのは納得させられる選択だ。また、大抵の初監督作品はもっと素人っぽい間延び的なシーンがわずかに入り込むものだが、この映画にはそれがなく、終始堂々としていた。演技と編集のうまさなのだろうが、結局はそれをまとめる監督の力だ。『外出』がどのような映像であるかは、ホ・ジノ監督が小津安次郎監督の映画に少なからず影響を受けているということを考えれば、だいたい想像がつく気がするが、きっといい映画になるだろう。
 さて、筆者が観始めたのは、ハン・ソッキュ演じるジョンウォンが赤いスクーターに乗って同世代の疲れた表情の女性の後ろ姿を見つけて後ろから走って来て女性の横に止まり、スクーターのエンジンを切りながら女性に話しかける場面からだ。しばらくしてその女性ジウォンのことを学生時代にジョンウォンが好きだったことが、ジョンウォンの妹との会話から観客には伝わる。そして妹はジウォンが結婚後、夫のギャンブルと暴力の日々という哀れな生活をしていることを伝える。ジウォンはジョンウォンに心の中を覗かれたくないため、道で偶然会っても話したがらないのであったが、それが筆者が最初に観た先の場面だ。しかし、後日そのジウォンは写真館にやって来る。そしてどこかから噂を聞いて、ジョンウォンの病が本当に深刻な状態なのかどうかを訊ねる。比較的小さな町で、また古い友達が同じ町に少なからず残っていればこういうこと、つまり噂がすぐに伝わるものだ。ジョンウォンはジウォンの言葉を笑って否定するが、こうしたやり取りはなかなか現実的で観ていて心が痛む。ジウォンはジョンウォンが自分の写真を持っていることを知っていて、それを焼いてほしいと言い残して店を去ったことが後で明らかにされるが、これもよくある話で、何だが人生の悲哀をひしひしと感じさせる。この両者のやり取りだけで映画が作られてもよかったが、実際はジウォンとのやり取りが主題とは言えない。道の真ん中でジウォンに会ってほどなくしてから、駐車禁止保安官をしている若い女性キム・タリムが登場する。この女性との話が物語の中心をなして行く。しかし、それ以外の学生時代の友人や、あるいは写真館にやって来るおばあさんなど、重要でしかも独立させ得るエピソードの数々がどれも実に秀逸で、それらが全部織り合わさってこの映画の深みを作り上げる。TVドラマ特有の引き伸ばしがなく、無駄な場面が潔いほどなくて、あれっと思わせられる場面もあるが、これまた現実的と言わねばならない。人生は思い返せば一瞬のようだからだ。これと同じことをジョンウォンは映画の中で語りもする。その意味で、この映画は静かで淡々としていつつ、何かとても怖い、触れてはならないものをずっと秘めていると言ってよい。死をテーマにすることはちょっとルール違反の気がしないでもないが、死と現実に明確な線引きをこの映画がしているとはあまり思えない。現実が夢であり、思い出は死後もどこかに温存され続けるのではといった、そんな人類普遍の永遠のテーマと懐かしさに似た感情をさり気なく伝えると言えばいいかもしれない。
 駐車禁止を取り締まることで思い出すのは『雪だるま』のヒロインだ。彼女は高校生の時にたまたま地下鉄でチョ・ジェヒョン演ずる刑事の取りもの劇に遭遇し、それから10年も経って義兄であるその刑事と一緒に暮らすのだったが、ドラマの中で何度も駐車禁止や交通整理をする場面があって、これは日本とよく似た光景で面白かった。韓国映画がどこか日本の懐かしい映画に似ていると言われるのは、人の顔も生活も町も似ているから当然だが、『八月』の場合は、日本の地方都市に行けばまだあるような町や店、それに監督が小津の映画を少なからず観ているといったことも関係する。しかし、日本と似ていながらも違うところがかえって面白い。たとえば部屋の光景では戸の棧の形が日本のように縦横の完全な格子ではなく、必ずそれせハングル文字のように凹凸の模様になっているが、こうした差によって観ている映画が日本のでも、また中国のでもない韓国でしかないものを改めて確認する。そうしたちょっと違う違和感が親しみとエキゾティシズムがない混ぜになった感情を引起し、そこがまた面白味にもなっている。『八月』は1999年制作で
あるのですでにデジカメが存在していたが、この映画ではまだフィルム・カメラのみ登場する。そして写真館も看板が少々大き過ぎる時代的な雰囲気を強調したもので、レトロ調をあえて強調していると言ってよい。同じ脚本を使ってソウルのど真ん中を舞台に撮影も出来るだろうが、そうはせずに地方の小都市を強調しているところが、この映画の周到な計算にもなっている。話を戻して、韓国では女性警官が特に駐禁などの軽犯罪を担当するのかどうかは知らないが、車事情は日本と同じであろうし、ちょっとした駐禁を取り締まれば市民から反感を買うのもよくわかることだ。『八月』では若いタリムが職業上、いわば市民からの嫌われ者で、車の持ち主の男に食ってかかられたり、食堂にも入れてもらえない場面が象徴的に描かれていた。『雪だるま』での正式な婦人警官とは違って、そうした準警察官のような駐禁専用員が韓国にはいるのかどうか知らないが、海老茶色の制服姿で一見普通の事務員に見えるものの、韓国ではそれがたちまち駐禁取締り官だとわかるのかもしれない。そんな職業ではストレスが溜まるのは必至だ。そしてジョンウォンはもっと強い、これ以上大きいものはないほどのストレスを抱えている存在だ。
 タリムは仕事上からやがて写真館に出入りし、そして少しずつジョンウォンに恋心を抱き、ふたりは遊園地でデートまでするようになる。タリムにすればジョンウォンはもう立派なおじさんであるが、どこまでも優しい彼に無邪気に、そして次第に積極的に近づいて行く。手も握らず、もちろん好きだとも言わないまま、ある日ジョンウォンは病が悪化して病院に運ばれる。数週間だろうか、写真館は店を閉じたまま。そこによその地域に転勤になるというタリムが挨拶がてらに訪れるが、何度来ても店は締まったまで、手紙を扉の隙間からそっと入れてはそれをまた取り出そうとし、結局下にぽとんと落ちてしまうといったシーンが続く。ついになぜだろうという気持ちが頂点に達したタリムはある夜、写真館の大きなウィンドウを石を投げつけて割る。その時のタリムの激しい内面を思えば無理もない。それが映画ではタリムの最も激しい感情の吐露の場面だ。一方ジョンウォンは病院から戻り、前と同じ静かな日を過ごす。近々確実に訪れる死に向けて身辺を整理し、また必要事項は紙に書いて後で父親たちが困らないようにする。しかし、そんなジョンウォンでもやはり人間で、時には激しく何かに当たってみたくもなる。友人たちはジョンウォンがやがて死ぬということを知らないが、そんな友人と飲み、挙げ句に警察で乱暴を働いてしまうシーンが病院に運ばれる前にあった。それは人が変わったかのような激しいジョンウォンの姿だ。しかし、現実はきっとこうだろう。死を宣告された者がどのようにして残された日々を生きるか。ジョンウォンのようなまだ年齢で、彼のように優しく最後を迎えられる者がどれほどいるだろう。いや実際はそうではなく、誰もがジョンウォンのようであることしか出来ないのかもしれない。
 まだ観ていない人のためにこれ以上は詳しく筋書きを書かない方がよい。息子や孫たち家族全員で撮影にやって来たおばあさんが、同じ夜にもう一度ひとりで訪れて写真を撮り直してほしいというシーンがあった。この場面は筆者が最も感動したところだ。そのおばをさんは多くの孫に囲まれ、幸福な人生を送って来たのだろう。一方には結婚もせず、ずっと故郷にとどまって小さな写真館を経営しているジョンウォンがいる。人生の長さは不公平なものだ。それでもジョンウォンがおばあさんを見つめる眼差しは本当によい。若い頃はきっと美人であったそのおばあさんは自分が死んだ時の遺影にするからもっと納得の行く表情で写真を残したかったのだ。その表情とは笑顔だ。人間は泣いてこの世に生まれるが、死ぬ時くらいは笑って、また死んだ後はみんなから笑顔を思い出してもらいたいものだ。このおばあさんの対比として若いタリムがあるが、いずれそのタリムも孫に囲まれた幸福な人生を送るだろう。その時はジョンウォンのことは『愛ではなくて思い出に変わっている』。この言葉は映画では二度流れたが、実際そういうものであり、またそうでなくてはならないのだ。最後に、もうひとつ大きく感じた場面がある。それは話の筋には何の関係もなく、単なる背景だが、ジョンウォンがタリムをスクーターに乗せて町中を走るシーンだ。その後方に過ぎて行く町並みに一瞬心が動いた。道の両側にたくさんの車が停まっていて、わずかしか映らないが、落ち着いたその街の様子が非常に印象に強かった。どこにでもあるような小都市の一角だが、妙に懐かしく温かい風景に見えた。出来ることならそこに立ってみたいと即座に思った。普通の人が普通に生活する町だが、そこには今の日本にはない空気が流れているように見えた。それは韓国のTVドラマでもは共通するもので、おそらく実際に現地に立ってもそのような情感は湧き起こりはせず、筆者の勝手な幻想に過ぎないのだが、そういった幻想を覚えさせてくれる映画というもの自体がもう日本にはない。その意味でも韓国ドラマや映画は全く侮ることの出来ない存在なのだ。ついでながら、監督のインタヴューによると、写真館は駐車場に建てたセットで、映画の6、7割は全羅南道の群山というところで撮影したとのこと。そうか、一度行ってみたいな。幻想かどうか確認するために。
by uuuzen | 2005-06-18 10:36 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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