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●『杉浦茂101年祭』
浦茂の名前を筆者が知ったのはいつのことだろう。幼い頃に漫画を見た記憶はあるが、小学校に入る直前であったはずで、50年以上は経っている。



●『杉浦茂101年祭』_d0053294_12494555.jpgだが、当時すでに子ども心ながらに、漫画家の名前の特徴をよく感じており、山根赤鬼・青鬼といった印象深いものから、いかにも古風で覚えにくく、そのため今はもう思い出せないものが混じっており、杉浦茂の場合は、平凡だが、単純であるので、覚えることが出来たというのが実状だろう。遠い記憶をたどると、筆者が最初に夢中になった漫画は『鉄人28号』で、その最初の回あたりから読んだ記憶がある。そのほかに『赤銅鈴之助』も人気があったが、時代劇はほとんど関心がなかった。鉄人というロボットを昔の手回しの卓上計算機のような操作機器で操るという点に、男児の興味を強く刺激する物語の設定があり、筆者は『鉄腕アトム』のように自分で動くロボットよりも『鉄人28号』の方がいかにも現実的に思えて楽しかった記憶がある。何かを操作して動かすという発想は、戦争時の飛行機や戦車の思想の延長だ。その点、横山光輝は明らかに戦争体験者であり、しかも戦後のそのような漫画が児童に人気があったのはよく理解出来る。だが、それは漫画家や出版社という歴史をよくわかった大人が作り上げたもので、当時の子どもたちはそうした大人が与えるものにそのまま反応していたに過ぎないのではないだろうか。あるいは雑誌の売行きは、講読者の人気が反映するし、そうした人気に応じて漫画の連載の長さも決まるから、『鉄人28号』が長らく愛されたのは、結局は子どもたちがそれを支持したからだが、最初は横山光輝の考えとそれを認めた出版社があってこそで、やはり大人たちが子どもたちの好む文化を作り上げて行く。となれば、大人たちの責任はまことに大きいが、そういう大人の思想は、時代によって大きく左右される。戦前と戦後では特にそうであるし、また戦後もここ20年ほどはさらにそれ以前とは違うだろう。ここで問題になるのは、国家の思想がどれほど影響するかだ。日本が戦争に敗れたという経験は、戦後の漫画にとても大きく感化を及ぼしているはずで、もうそういう検証が本格的になされ、またそうした切り口で漫画が語られてよい時代だ。そうした動きでまず思い当たるのが水木しげるだが、他の漫画家も含めて作品にどのような形で戦後が反映されているかを知りたいと思う。そして、そういうことをこの京都の漫画ミュージアムは大いにやるべきだが、残念ながらまだそういう段階に入っていない。漫画が果たして来た功罪を充分に検証し、漫画と美術を、あるいは政治と対比させて語るべきで、ひとまず戦前と、戦後の昭和30年代までで区切って何度かに分けてシリーズ化させるのがよいが、そういう人材がないのか、またやったとしても観客動員が見込めないからか、期待は望みうすか。それより前に、まず戦前にどういう漫画家がいたか、それを個々に紹介してからというつもりであるかもしれない。それで、今回は生誕101年の杉浦というわけだろう。
●『杉浦茂101年祭』_d0053294_12505878.jpg さて、『鉄人28号』も『鉄腕アトム』も正義と反正義の存在が描き分けられ、それは子ども心にどのような影響を与えたのかと、さて自分の胸に手を当てて考えてみるが、思い当たるのは、ちょうどアメリカでインディアンを排斥した白人が反省の思いを込めて60年代終わり頃から一風変わった西部劇を撮影し始めたことがあったことだ。それは大人向きの作品であるからと割り切って見るのではなく、今まで正義とされて来たものが、反対の立場、つまり悪とされて来た者の立場からすればどう見えるかという、西部劇映画のそれまでの行き詰まりからハリウッドが苦し紛れに新たな視点で映画を作ったという皮肉な見方も出来るが、それはさておいて、時代が強者に反省させるほどに余裕が出て来た、あるいはヴェトナム戦争から、もっと政府のやることを冷静に見ようという意識の反映でもあったであろう。そういう意識が日本ではなかなか育ちにくく、仮にあったとしても、多くの読者を相手にする漫画ではまず採用されないだろう。戦前の漫画やアニメが国威高揚の道具にされたことは、当時の無垢な少年の心に、ごく素朴にアメリカは鬼であるから、徹底的にやっつけるべしという思想を植え込んだこともあったはずだし、そういう意識の残滓が戦後に燻り続けながら、反省もなしに、むしろ戦争に負けたのが悔しく、今度こそはといった不気味な思いに転化しなければと思うが、男児が生物学的本能として持つ闘争心がそういう思いに馴染んで、戦争賛美に加担しなければと思う。『鉄人28号』や『鉄腕アトム』が平和を主張する物語でありつつ、そこにメカニカルなものに対する嗜好が強く投影されている点からは、いきなり戦争を連想するのは考え過ぎとの誹りを受けるかもしれないが、そうした漫画にはロボットの腕や足がもぎれる描写が頻繁に登場し、まだ10歳にならない筆者はそうした表現をこの年齢になっても最もよく記憶していて、それはやはり戦争や破壊に連なる要素であるとの思いを強くする。ロボットという機械は組み立てられたものであるから、壊れるのは当然だが、敵と戦って壊れるという部分には、戦争体験者ならではの視点がある。その腕や足がもぎれる描写を70年代の時代劇漫画も頻繁に踏襲することになり、そこには江戸時代においても暴力は同じように存在したという見方があるが、「刀は切れる」から「人の手足も切る」という発想を子どもが実際に知るのはもっと大人になってからだ。なぜ悪役にしても急に手足や首が切り取られるのか、なかなか子どもは理解出来ないにもかかわらず、それを否応なしに漫画で見せられ、そうした漫画に嫌悪や恐怖を感じさせることがある。今こうして書いていて、『つんではくずし』という恐い漫画があったことを思い出すが、まだ小学校の2、3年生の筆者がそうした漫画に込められた意味を味わうことは無理で、とにかく江戸時代は「人切り包丁」を持った武士という存在がえらくヤクザ者に思えたものだった。実際、武士というのは、それまで下働きで不満を囲っていた者たちが反逆を起こして身を立てた存在で、ヤクザと変わらない暴力的部分を持つと言える。だが、何でも勝てば官軍であり、しかも先のアメリカ映画ではないが、悪役にも言い分があるし、見方を変えればどっちが悪役かわからない。インディアンが暮らしていたところに白人が乗り込んでたちまちインディアンを駆逐したのは、白人が大悪党という見方も出来るし、実際そのとおりであったと言ってよいが、駆逐してしまえば自分たちが正義であり、そのように歴史は書かれる。それはそうなのだが、時代を経て見えて来るものがあって、今杉浦というのも、杉浦が後に与えた影響を考慮すればこそであり、たとえかつて勝ったことのない存在であっても、いつ何時誰かに大きな影響を与えて再評価の機運があるかはわからない。
●『杉浦茂101年祭』_d0053294_125236.jpg 筆者が漫画を読み始めたのは8、18、28と、毎月3回開かれる夜店の漫画本売場の存在が大きい。娯楽の少なかった当時、つまり1950年代半ばのことだが、母は筆者ら子ども3人を連れて(当時母は20代で、父はいなかった)、夜にはぶらりと10数分歩いて、商店街のいくつかの横道で催される夜店に出かけるのが習わしであったが、何か食べるものを買ってくれるのでもなく、ただ見るだけであった。だが、家の貧しさをよく理解している筆者は母に何かをねだることはなく、筆者はいつも古本売場の片隅にしばし座り込んで時間を潰した。店の向かって左端に林檎の木箱がいくつか置いてあって、その中に月刊漫画誌の付録の漫画本がびっしりと詰まって売られていた。3冊10円ほどだったろうか。それを母はいつも買ってくれた。そうして筆者は小学生の2、3年生の頃には300冊ほど漫画の付録本を集めていた。その後母は月刊漫画誌を買ってくれるようになったが、最初はクリスマスの夜のプレゼントとしてであった。枕元に靴下を脱いでおくと、朝に分厚い付録の詰まった月刊漫画誌が置かれていて、その朝の筆者の喜びようが母を喜ばせたのだろう。毎月買ってもらえるようになったのは2年生の頃からだったと思う。『少年サンデー』を毎週買うようになったのは4年生の頃からで、それを小学校卒業まで続け、中学に入ってぴたりと漫画を読むことはやめた。そのことは以前にもブログに書いた。ま、その話はさておき、300冊ほどもある付録本の中に杉浦のものが何冊かあったはずだ。それは今回の展覧会で知ったが、杉浦が幼児本に描いたもので、しかも週間漫画誌が出る直前頃、つまり杉浦が新しい描き手と交代するかのように時代の表舞台が姿を消した時期に重なる。筆者がさほど杉浦の漫画の記憶がないのは、物理的にもう杉浦の漫画に接することが出来なくなっていたからだ。とにかく漫画は毎月、毎週新しいものが出るから、古いものはどんどん忘れ去られる。300冊ほど持っていた漫画本は今なら1冊1000円以上はするものばかりのはずだが、当時は消耗品で、数年も手元に置く者はまずいなかった。それもいいとして、杉浦の漫画をまだ10歳にならない筆者が感じたことのひとつに、「古い」があった。どうにも感覚が古いのだ。いかにも戦前じみていて、それは犬の兵士を主人公とする『のらくろ』も同じと思えた。筆者が幼い頃は戦前の漫画もまだどうにか古本で売られていたから、たまにそうした本を手に取って読むことはあったが、吹き出しの中の写植文字が古く、また文体も古風で、その戦前臭が子ども心に少しも格好よくなかった。子どもとはいえ、常に最新のものを敏感に嗅ぎ分け、またその最新のものに魅せられる。これは田舎や都会を問わずそうではあったはずだ。もうひとつ杉浦漫画で思ったことは、「理解不能」であった。何がそうかと言えば、ストーリー展開が予測出来ず、起承転結がほとんどないも等しい点だ。みながみなそうではなかったと思うが、とにかく突如意味不明のコマが突如割り込んだりして、話が全然違った方向に進む。それのどこが面白いのか、さっぱり理解出来なかった。そのため、古臭い印象と相まって、とにかく「過去の作品」という枠に押し込めて忘却しようとした。その一方で、格好いい鉄人28号が腕がもぎれて内部の機械が精密に見えたりすま漫画にわくわくしたのだが、これまた時代としては当然ではなかったか。先に書き忘れたが、それは戦後の自動車産業の影響が大きい。自動車と鉄人28号という対比だ。杉浦の漫画に何が対比せられるのかと言えば、それが子どもの筆者にはわからなかった。
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 杉浦の代表作として、今回の展示では『猿飛佐助』『ドロンちび丸』『少年地雷也』『冒険ガン助』『弾丸トミー』が挙げられているが、前3冊の日本の時代劇ものは、最初から筆者には関心がない分野の作品で、後2者はアメリカの西部劇映画の影響を受けて描かれたものだが、やはり『鉄人28号』のロボットものにある格好よさには欠けた。ロボットものを杉浦が書かなかったわけではないが、筆者にとって戦前の漫画でロボットものと言えば、『タンク・タンクロー』しか記憶にない。この作品についてはまたいつか書きたいと思うが、ロボットものでもうひとつよく記憶するのが、『ロボット三等兵』だ。この漫画のキャラクターは映画『オズの魔法使い』からヒントを得たものと思うが、これも調べてみないとわからない。杉浦の師は田河水泡で、やはり『のらくろ』の影響は大きい。田河水泡展をぜひ開催するべきだが、『ロボット三等兵』のように、そして戦後になってもまだ日本の映画でよく取り上げられた兵隊ものは、今はなおさら時代に馴染みにくくなっているように思える。そのため、田河水泡の評価は杉浦ほどではないかもしれない。漫画のタッチや足跡の小さな吹き出し状の砂埃の表現など、杉浦漫画は田河から学んだものは少なくない気がするが、そうしたものに『のらくろ』にもかなり描かれているナンセンスの要素がある。その部分をさらに徹底したのが杉浦で、また時代を反映して、食べる場面がとても多い。それは赤塚不二夫が『おそ松くん』に登場させるチビ太に引き継がれると言ってよいが、漫画と駄菓子などの食べ物は子ども時代にはセットになったものであり、杉浦が執拗に描く食べるキャラクターは時代を越えている。杉浦は最初絵を学んだが、そうした本格的な絵画表現の下地は戦前はごく当然で、今の漫画家と違うのは、それなりに絵画の基本や高い教養が画家を目指していた時に溜め込まれことだろう。それは大学で学ぶといったこととは違うもので、時代の精神の高さが影響する。それが杉浦の漫画をいくら巧みに模倣してもかなわない部分だ。杉浦漫画を評価するならば、そうした画家を目指していた時期に遡っての杉浦の脳裏にまず刻まれた作家としてやりたい事柄を見定めることが必要だろう。杉浦が画家目指して勉強を始めた頃、日本に入って来ていた先端の西洋絵画はダダやシュルレアリスムだが、杉浦はそういう新しい絵画の思想を漫画という土壌に応用したと言える。そうとしか思えない杉浦が作り出す数々の印象深いキャラクターたちで、それは日本の妖怪の伝統だけでは説明出来ない部分を含む。杉浦の造形からたとえばイヴ・タンギーの曲線を用いた有機的な意味不明の物体を連想すると言えばおおげさだろうか。そうではなく、杉浦は西洋最先端の美術の運動を漫画という単純化した造形と、物語性という別の面にどう活用することが出来るかを、描き続けながら考えたのではないだろうか。それを幼児が面白がる造形に昇華するのは大変な才能であり、またそれが理解されるのは何十年も経ってからのことで、今ようやく杉浦のそうした画家としての出発点である1920年代という時代に杉浦を置いて見つめることが可能になった。だが、今回の企画展ではそういう切り口は皆無であったと言ってよい。
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 今回の展示で原画がいくつか展示され、その説明で知ったことの中に、50代を過ぎた杉浦が体力があまりなく、古い漫画の原稿を新しく描いたものに切りつないで新編として作り上げたものがあったことだ。筆者が昔読んでいて意味不明の展開と思ったのは、そうした部分であった可能性が大きい。杉浦にすれば、体力のなさもそうだが、新しい実験として、そうした手抜きと思われかねない手法をあえて使ってみたのだろう。同じことは筆者もこのブログの『おにおにっ記』で何度かやったことがあるが、時代を越えて別々の素材をつなぐということもまた、どこかダダ的であり、シュルレアリスム的な手法で、同じようなことをやった漫画家は杉浦以前にはおそらくいない。そういう高度とも言える手法が理解されるのは、やはり時代を経てからであって、杉浦の先駆性は若い頃に絵を本格的に学んだことで培われたもので、そこで思い至るのが、漫画といえども、かつては知識人と呼ばれるにふさわしいほどの人が携わったことであって、昨今の裾野は広がりはしたが、時代の「学」というものに対する意識が限りなく縮小した中では、もはや大物の漫画家の登場は全く望めない気がする。今回の展示で原画以外に面白かったのは、百数十人の漫画家による杉浦へのオマージュイラストの展示だ。絵だけではなく、文章も多少添えてあって、各漫画家の杉浦に対する思いがよくわかったが、筆者と同じ考えがちらほらあったのは面白かった。杉浦に熱烈な賛辞を送っていた中に唐沢なをきがいたが、なるほどあのタッチからすればそうかと納得した。泉晴紀さんのものもあって、先日手紙をいただいので早く返事を出さなければと思いながら、まずこれを書いている始末だ。以上まとめると、杉浦漫画のストーリーは読み返していないので何とも言えないが、チラシやチケットに散りばめられるキャラクターからはどれも強烈な個性が発散していて、杉浦の価値が最もはっきりとよくわかるものと言える。先のオマージュである画家が書いていたが、そうしたキャラクターをまねして描いてもなかなか杉浦のものに似ないと言う。これはそれだけ杉浦の漫画が単純なようでいて、技術的に完成度が高いからだ。目玉の描き方に特徴があるが、そのほか怪獣や化け物の造形も奇想天外で、その不気味さにやはり1920年代以降のシュルレアリスムの影を筆者は見てしまう。館付属の喫茶店では、杉浦展特性の「ふしぎまんじゅう」セットを頼んだ。食べる場面の多い杉浦漫画であるので、この企画はなかなかよい。図録は作られたのかどうか知らないが、イラスト入りの特製マグ・カップが早々と売り切れたそうであるから、図録が作られたとしても同じような状態であったのだろう。それがかなり残念だ。ともかく、これを皮切りに戦前の漫画家の紹介をどんどんやってほしい。
●『杉浦茂101年祭』_d0053294_1254383.jpg

by uuuzen | 2009-05-14 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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