人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●若冲本とハモンド・オルガン演奏
昨日も夢を見た。それがすぐにほとんど消えかかってしまい、数時間後に思い出すのは断片ばかり。つまり、話の筋がないため、ここに書くに書けない。ほとんど止まったような、しかも脈絡のない映像ばかりではそれを文字で表現しても面白くないので書かずにおいた。



それでもその夢の大半は自分にとってはかなり面白く、今までに見たことのないタイプのものだ。最近よく見るパソコン映像タイプのものも含まれていた。そのため、箇条書きにして夢の断片を記しておく。1、パソコン関係の映像というのは、パソコン画面でよくあるFLASH画像のようなアニメ的動きのある映像だ。素朴で繰り返しの多い昔々のアメリカの白黒TVアニメ映像と少し似た雰囲気がある。ただし、見ていて楽しいものではない。爆発や飛行機からの攻撃といった破壊的なものだ。それはそうと、一昨日だったっか、ミニミニ犬の夢のすぐ後、山口で高校生が教室に手製爆弾を投げ込んだ事件が生じた。筆者の夢が少し現実化したかなと思った。たまにそういうことがある。自分の夢を予言的などとは全く思ってはいないが、後で思えば符合があるなと感じることが多い。さて2、夢で筆者は浴衣を着ていた。それも慌ててそれを着用し、半分前をはだけながらみんなが整列しているプール・サイドに向かって走っている。そこにはプールに背を向けて大勢の浴衣姿の若い男性たちが直立不動で兵隊のように並んでいた。その前を恥ずかしがって走り抜けるのだが、どうやら筆者は歓迎されているらしい。次に3、夜の砂漠のような熱帯地方のとある街の片隅にWさんが寂しげな表情でひとり座っている。彼女とはもう何年も会ってはいない。その彼女が何もかも青く見える夜の中、胸に下げた大きな青くて楕円形の宝石を筆者に触らせている。その宝石はずしりと重く、じっと中を覗き込むと透明な中にきらきらした金粉や色の粉が見える。以上の3つのエピソードが本当は話がつながっていたのだが、それぞれを断片としてしか覚えていない。

 さて、今朝も夢を見た。前半は忘れたが、また後半だけは鮮明に記憶しているので書いておく。Yさんと会っている。筆者の右側にいる。Yさんは最近面識の出来た人で2度会っている。そのYさんに向かって筆者はこう言っている。「つい最近、若冲の作品が1点載った売り立て目録本を落札したかったのですが、残念ながら出来ませんでした。ちょうどこのくらいの大きさのものでした」と言いながら、A4サイズの厚さ2センチほどの重い本をYさんに示す。「ああ、それならわたしは持っていますよ。これでしょう?」と言いながら同じサイズ、同じ水色の表紙の本を手に持つ。だが、それは厚さは5ミリ程度で、『国華』とほとんど同じものを思えばよい。「ああ、それですね」と筆者は笑顔で答える。するとYさんは場所をするりと筆者の右手から左手に移動し、そこで立ったままその本の若冲作品が載っているページを開いてかざしてくれる。見開き2ページの左側が若冲の作品と言うのだが、それは山水画のようでどうも作風が全然違う。おかしいなと思って右側に目を移すとそれは仙厓の作品だ。しかも5、6点がミックスされている。Yさんはどういうわけか筆者が前に近寄ってその本を見ることを拒否していて、3メートルほど離れたところからしか見ることは許されない雰囲気だ。本は空中に固定され、それをじっと見つめるが、いつまで経っても若冲作品の細部は見えず、逆に曖昧として来るばかりだ。本はそのままなのに、Yさんはまた筆者の右側にいつのまにか移動し、大きな風が吹き始めたし、客も誰も来ないのでもう店を閉めると言いつつ、木製の鞄をカタカタと音を出して片づけ始めている。店とはいってもそこは露店で、近くには柳の木が揺れている。
 場面が変わり、Yさんの店の中にいる。古い田舎のどっしりとした民家のようで、柱などはみな黒く光っている。Yさんのお父さんだろうか、60半ばの年齢の落ち着いた感じの男性が筆者にさきほどの本を手わたしてくれる。手に取って見てもいいよと言うのだ。その本は思った以上に古く、中身は全部茶色に変色している。戦前のものか、あるいは、使っている用紙が酸性のため風化している。それに本の中身はさきほどのものと違って日本画ではなくて抽象画ばかりだ。「このような印刷はもう今では無理ですよね。これは孔版ですか?」「そうですね」などと会話しながら、中をパラパラと繰って見ているが、インクの乗りがどこかガリ版刷りのようでしかもシルクスクリーン印刷の趣もある。なるほど今ならこういった手作り感覚の印刷ならかえって手間を要するなと思っている。それにしても若冲のページは一体どこへ消えたのだろうと内心焦っている。Yさんも近くにいるようで、しかも若冲のその作品の話をするのだが、こっちはそれが把握できないから、筆者は話に相づちを打つことが出来ずに困っている。急に立ち上がってそこを辞することにするが、その時ありがとうの挨拶をするのを忘れたことを思い出し、しまったと後悔している。
 また急に場面が変わって、学校の講堂のような場所にいる。その舞台には数十人のハモンド・オルガンの演奏者がいて、男性指揮者(黒の燕尾服姿)の合図にしたがって全員が見事な演奏をする。その演奏は、指揮者があることを雰囲気で指し示すだけで(ほとんどテレパシー)、即座に全員が反応してぴたりと同じ音を発するもので、ほとんどロボットじみている。全員アメリカ人でしかもヘア・スタイルや着ているもの(白のブラウス、黒のタイト・スカート)、化粧の仕方(髪は短くてパーマが強く当たっている)などから1950年代の人たちであることがわかる。演奏する音楽は実際は音楽と呼べるものではなく、話言葉を極端に誇張してそのままオルガンの音でなぞった3、4秒のフレーズだ。音域の幅は非常に広く、いかにも女性の金きり声のように最高音までを使い、ハモンド特有のレズリー効果や音の伸びに特徴がある。ふと見ると、その女性たちの前、女性たちに対面して別の型のハモンド・オルガンを演奏しようとしている女性がいる。家内だ。彼女はテストされているのだ。指揮者の指示にしたがって演奏すると、最後の数音が別のメロディになってしまう。うまく演奏できないのだが、それを見た女性奏者全員が家内の演奏は駄目ということを示すために、また完全なユニゾンで正しいメロディのフレーズを演奏する。それはほとんど家内のものと同じなのだが、最後の数音がやはり違うことが明確にわかる。しかし、メロディはあまりにも素早いため、一度耳にした程度で同じ演奏を記憶して再現することは不可能だ。家内はうまく演奏できないことに終始小さくなって恥じている。「無理もないかなあ」などと筆者は思いながら夢から覚めた。


Yさんは先日画廊で若冲の作品が1点載った古い入札目録本を見せてくれた。そうした若冲の未見の作品が1点だけ載った古い目録の出品が最近ネット・オークションで3つあったが、どれも買わなかった。オルガンを演奏する女性たちの姿は、TZADIKレーベルから出ているジャケット写真中の女性たちの反映だ。またわが家にはハモンド・オルガンがあるが、家内は1年に1回触るかどうかだ。せっかく家内のためと思って昔70万円も出して買ったというのに、今までに合計しても家内は50時間ほどしか弾いていないだろう。それでいて処分しようかと言うといつも怒る。にもかかわらずオルガンを置いた部屋が片づかないと、これまた毎日のように声を張り上げている。
by uuuzen | 2005-06-13 10:25 | ●【夢千夜(むちや)日記】
●第1章その2 『大ザッパ大雑... >> << ●『悪い男』

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?