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●『「生活と芸術-アーツ&クラフツ展」 ウィリアム・モリスから民芸まで』
味深長な展覧会名だ。モリスと日本の民芸をつなぐ流れを概観することはわかるが、国も時代も違えば歴史や政治経済が違って、「生活と芸術」とわかりやすく言ってみたところで、さてどう焦点を絞った見せ方、また説明をつけるかは難しい。



●『「生活と芸術-アーツ&クラフツ展」 ウィリアム・モリスから民芸まで』_d0053294_10213860.jpg京都国立近代美術館で9月から2か月間開催され、確か最終日に出かけたと思う。若い人で満員であった。その点、大成功であったが、意義が正しく伝わったのかどうか大いに疑問もある。筆者は2年前の夏に京都の伊勢丹の美術館で『ウィリアム・モリス展』を見たから、またかという気がして、行くつもりはなかったが、国立近代美術館で開催する大展覧会であるので、見ておくのもいいかと考え直した。予めチラシを見ると、三国荘の復元があり、それがどのようであるかも気になった。だが、今また別のチラシを探すと、2006年8月から12月にかけて大山崎山荘美術館で『「三國荘」展』が開催された。筆者はそれを見たので、目玉の展示らしき三国荘もいわば二番煎じの感は免れなかった。だが、大山崎山荘で同展を見た人はごく少数であるし、京都国立近美では新たな切り口が期待されたから、ほとんどその点にのみ関心を抱いて出かけた。そのことは後述するとして、今回の展覧会はロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館との共同企画というが、マッキントッシュの家具など外国作品は日本各地からも集められた。同美術館の収蔵品を中心とした展覧会は10年ほど前か、NHKが確か4年がかりで毎年開催したので、日本が好みそうな目新しいものがやって来る可能性はほとんどないはずだが、日本は借り受け国としていいお得意先なのだろう。実際今回ほど豪華幕の内弁当のように、出品点数が多いだけで、今までに見たことのある作品をあちこちからつまみ食いしたような総花的な内容の焦点のぼけた展覧会も珍しかった。これは日本がここ2、30年、せっせと大きな美術館を造ったので、企画展はどうしてもそれら長大な壁と広大な床を埋める必要上、コンパクトに密度の高い企画よりは、とにかく数をまず揃える必要上仕方ないもので、筆者が予想したとおり、代表的な面白味のない展覧会であった。モリスの作品は毎年のように日本のどこかで見ることが出来る。実際この展覧会の直後、東京の汐留ミュージアムでは『アーツ・アンド・クラフツ≪イギリス・アメリカ≫』と題する展覧会が2か月にわたって開催され始めた。チラシを見る限り、どこから作品を借りてのものかわからないが、個人蔵を始め、各地からかき集めたのであろう。日本は全くモリスさまさまで、もう少し日本の工芸家に光を当ててもいいのではないか。「生活と芸術-アーツ&クラフツ展」と題するのは、NHKの趣味の番組でも骨董市が採り上げられるほどに日本でも骨董を見直す時期が到来していることも勘案しての企画に思えるが、イギリスのモリスと対のような形で今回紹介されたのが日本の民藝であり、柳宗悦とその門下の巨匠たちといった具合で、実は後者については、3年前に京都文化博物館で開催された『柳宗悦の民藝と巨匠たち展』でたっぷりと作品を見ることが出来たから、その意味でも今さらという感があった。つまり、同展と2年前の『ウィリアム・モリス展』と『「三國荘」展』という、3つの展覧会を総合した内容で、その総合を国立美術館が締めの形でやっておくべき必要があったということなのだろう。この展覧会が京都を皮切りにしたのは、工芸という文脈からして当然だが、来年1月から4月は東京で、6月から8月は愛知で開催されるかなり大がかりな展覧会で、ここに振り返って一言しておくのも無駄ではない。
●『「生活と芸術-アーツ&クラフツ展」 ウィリアム・モリスから民芸まで』_d0053294_10221846.jpg 『「三國荘」展』についてはこのブログに書かなかった。今回の展覧会の目玉は三國荘と言ってよいので、まずそのことから書く。同展のチラシにはセピア色の三國荘内の写真が使用された。この1枚の写真を見るだけで三國荘の本質がほとんど理解出来る。この写真にしたがって、京都国近美では室内を復元していたが、鉄筋コンクリートの広い会場の中で、まるでそれは百貨店の家具売場を見るようで温もりは感じられなかった。民藝にはやはり木の肌が必要なのだ。その点で大山崎山荘は『「三國荘」展』を開催するにふさわしかった。同展では三國荘の復元はなかったが、山荘の内部は三國荘とあまり変わらない時代の空間であり、そこに民藝の品々を飾ると、京都国近美が逆立ちしてもかなわない民藝の本質が身近に味わえる。これは重要なことだ。手に持つ、あるいは日常接する民藝の品物は、超近代的な空間で「触ってはいけません」と表示されて鑑賞するようなものではない。それらは日常使用して垢がこびりつくほどに輝くものであって、骨董市に出かけてそこらの露店に転がっているものの中から自分の気に入ったものを選ぶという1対1の関係において味わうものだ。民藝の概念を打ち上げた柳は、関東大震災の後に京都に来て、今も毎月21日の弘法大師の命日にやっている東寺の縁日にせっせと通って、誰も注目しなかった安手の骨董を買い集めた。それが今は民藝の名品と称されて展覧会で並べられるが、価値は自分で決めるという柳の姿勢は誰にでも開かれている。数は少なくはなったが、今でも同じようなものはまめに探せば入手出来る。ひとつ例を上げると、柳は土人形にも関心を抱いた。そして同じ時代の同じようなものは、今はネット・オークションで数千円程度から買える。美術館で展示される民藝品を見るのもいいが、小さくてもホンモノを買って手元に置くことはもっと民藝の本質を把握するには近道であり、またそれは必要なことだ。鑑賞と所有は異なる行為だが、所有すれば毎日鑑賞出来る。買えないほど高価なものは仕方がないとしても、少々無理すれば買えるものは買った方がよいに決まっている。まず自腹を切る行為が多少なくては何事にも深く入り込めないし、自分で探して買うことによって愛着度がはるかに増す。美術館に行かなければ美術品に出会えないというのは貧困な生活であって、家にそれなりに自分の好みの時代を経たガラクタあるいは美術品に囲まれるのが人間的で豊かな生活というものだ。民藝はそうしたあたりまえのことを教えてくれる。同じことはウィリアム・モリスも考えた。「生活に美を」というわけだ。喫茶店などによく複製の絵画が飾ってあるが、無名であっても、店主の趣味をよく反映した1点ものの絵を飾る方がはるかによい。同じことは家庭においても言える。美が何たるかを理解しない人の家は、いくら金持ちであっても見るも無残な悪趣味なものが相互に不調和をきたすように何点も飾ってある。金をかければよいというのではないのだ。美を理解するには、本人の資質によるが、金儲けに精出す時間の何百倍もの時間とエネルギーを要する。
 話を戻して、三國荘は大阪市東淀川区三国町にあった。これは昭和3年(1928)3月の東京上野公園における御大礼記念国産振興博覧会に平屋の1軒の家に民藝の家具調度、食器類を展示した「民藝館」が展示され、65日間の博覧会終了後、朝日麦酒(アサヒビール)の初代社長の山本爲三郎が一切を買い取って三国の自邸に移し、日常の使用に可能なようにした。今は当時の外観と内部の写真しか残らないが、それらを元に復元することは充分可能であろう。その民藝運動の原点になった邸宅は、写真から明らかなように、窓の桟が黄檗寺院によく見られるように卍崩しになっていて、日本の民藝のみに焦点を当てた設計ではなく、中国や朝鮮、あるいは洋の東西を越えて民衆的な力強い造形に視野を広げようとする意欲が見られる。柳はもともとイギリスのウィリアム・ブレイクの研究から出発しただけあって、イギリスの民藝にも関心があり、やがてバーナード・リーチが来日して日本の民藝作家と交遊を持つが、モリスの仕事に対してはそのすべてを評価していたのでなかった。このモリスと柳の接点がどうあって、また両者はどう違うのかといった突っ込みが今回の展覧会では紹介されなかった。それは作品を見て個々が考えればよいということなのだろうが、モリスの美意識と、柳のそれは同じ手仕事礼讃であっても、西洋と日本という本質的な差があって、両者が評価した造形は相互に馴染みにくいと思える。それはモリスの染織やステンドグラス、造本などの仕事のどれを取ってもそうで、モリスはヨーロッパの生活に負うモリス独自の様式がある。たとえば、モリスの壁紙は連続パターンを木版画で表現するが、それは日本の唐紙と同じように連続模様でありながら、空間をびっしりと文様で覆い尽くすモリスのデザインは、日本で言えば友禅の小紋や沖縄の紅型以上に息苦しいもので、同じ密度はモリスのケルムスコット版の本の各ページにも見られる。それらは悪く言えば装飾過多で、余白の美を重んずる日本の美意識とは正反対のものだ。確かに精緻な木版やゴシック風の古風な活字はほれぼれするような美が溢れているが、それは単純明快という面からは遠いものだ。三國荘の外観は、昭和30年代まではごく普通に日本のどこにでもあった住宅を思わせるもので、金持ちの特別の邸宅という感はさほどない。居間には楕円型の大きなテーブルが中央に置かれるが、この形と同じ展示ケースは大山崎山荘で見ることが出来る。居間で贅沢と思える空間は床の間だ。そこは楕円テーブルのある場所から一段高い小部屋で、奥に幅の広い床があって横浜泥絵の掛軸がかけられている。そのほか順に細部を見て行くと、柳が理想とした美の空間がどういうものであったかが見えて来るが、それらは戦後の今となっては、もう大金持ちしか許されない贅沢な空間であることに気づく。第一、庭つきの平屋の家を大阪市内で持つことは平均的市民では不可能であり、また、作家の手作りによる誂えの家具調度となれば、美術品となって気軽に使用出来ない。だが、当時わざわざ博覧会でこうした空間を設え、しかも企業の社長が購入したところを見ると、すでに昭和初期においても一般市民の生活とは無縁の空間であったということも出来る。それはすでに世の中に機械による大量生産の安物が溢れていたからであろう。現存しない三國荘を今回はコンピュータ・グラフィックスで動く画像として再現していたが、見取図を動かしてみただけで、筆者は何枚かの白黒写真を見る方がはるかによいと思った。コンピュータ・グラフィックスより、動かない、そして実物を撮影した写真の方が情報量がはるかに多いのだ。今思い出したが、三國荘に似た空間としては奈良にある志賀直哉邸がある。そうした空間に置かれてこそ映える民藝の品と思えるが、しがない庶民としては最初からそれは無理とわかっているから、マンションの味気ない一室ではあっても、せめて民藝の香りのする何か骨董の品物を少々手に入れて愛玩することで代用するしかない。そうしたささやかな骨董趣味から一歩進んで、自ら手作りを趣味として嗜む人は多いが、会社勤務に忙しいサラリーマンは、ほとんどがそれとは無縁に生涯を過ごし、美術に関心を持たない。こと美に関しては、日本は貧しい状態に置かれている。
 図録を買っていないのでわからないが、展示を見た限り、モリスと柳の思想の比較が充分試みられなかったのは、まだモリスや彼に先立つラスキンの美術と社会を結びつける思想がほとんど日本ではイギリスとは違って真剣に論じられる、あるいは社会的に実験される機会が今までなかったからであろう。絵も描いたラスキンは美術評論家として名を馳せるが、美術と社会、特に一般労働者との理想的な関係に深い関心があった。それは産業革命以降、大量生産に従事する労働者がまるで機械の一部の部品のように働くことになり、それ以前の手仕事の喜びといった、つまり美と生活が密着した人生を送ることが出来なくなったことに対する批判を提起した。それを実際の手仕事で実践しようとしたのがモリスだが、ラスキンの社会主義思想は日本では一部の知識人にはいち早く知られて研究されたとしても、日本では政府の圧力もあってほとんど根づかなかった。そのため、モリスの作品を通じての思想の本質も、今の日本においてどの程度知られているかはかなり疑わしい。筆者はモリス展の図録は1989年と1997年の2種を所有している。内容を比べると、後者は分厚く豪華になったのはいいが、前者にあってモリスの労働や社会主義観に関する論文は欠落している。それではモリスの本質を伝えることにはならない。だが、日本では社会主義という言葉に大きなアレルギーがあり、骨抜きしたモリスを、つまり造形家としてのモリスのみを伝えようと思っているのであろう。では柳はどうであったか。柳がラスキンの美術から経済、そして社会へと視線を拡大する問題意識を日本においてどのように当てはめて捉えていたかは興味深い主題だ。柳は朝鮮の美術の保護に奔放し、政治的な動きをしてまでもそれを守ろうとしたが、日本における機械化された労働において、人々が労働の喜びを感じられなくなって行く現状を、どのようにすれば減少させることが出来るかという問題に関しては、手の打ちようがなかったように思う。三国荘はまだ大工や左官、そして室内調度を作る人々の合作というひとつのユートピアの提出であったが、それは急速に時代にそぐわない贅沢なものになって行った。このことはラスキンやモリスの運動がどのように成功したかを一方で見据えながら考えるべき問題だが、明治になって西洋文明に一気に晒された日本は、イギリスとは違って、またイギリス以上に手仕事の衰退は激しく、そういう時期にあって、ひといの防波堤のような形で柳は登場したものの、結果は民藝品が芸術のひとつのジャンルとして格上げされ、新しい民藝品と呼べるものは各地の土産店で醜悪さを露呈することになっただけで、労働者における美を作り出す喜びは奪われたまま現在に至っている。柳の息子たちは工業製品に民藝の思想を持ち込んで、工業的量産品にも美意識を盛ろうと努力したが、それもグッド・デザインの名のもと、どこまで民藝の精神が意識され続けて来ているかは疑わしい。「用」における美なる概念を、次々と新機能のつく製品にどう理想的に反映させることが出来るかは難しい。また、町中の工場が世界に誇る旋盤技術を持っていても、世界不況の波に襲われれば一気に倒産という事態が頻発し、美を作り出すどころか、ロボット以上に精確に物を作ることすらままならない。矛盾を抱えたヴィクトリア王朝においてラスキンやラファエル前派、そしてモリスの仕事は、イギリスの名を輝かせる芸術となったが、日本においても民藝からは人間国宝に認定される陶芸家や染織家、木工家を生んだだけで、一般人が労働において美に参与する夢は限りなく欠如したままだ。人間が人間らしく喜びに満ちて生きるには、手仕事の美を追求すべきというのはかなり正しい。人間の本質的な喜びは手を動かして自分で何かを作り出すことにあるのは疑いを得ない。だが、ケータイやパソコンの時代になって、人間には指が10本も必要ではなくなり、そのうち人間は知能的にも急速に退化するだろう。時代を経ると人間は進歩するものだと思っていると大間違いなのだ。柳は時代が手仕事を許容しないことをより知るようになった頃に死んだが、一部の芸術家だけではなく、むしろ無名の職人の手仕事こそが讃えられるべきもので、それが溢れる国が仏の心にもかなうといった思想を持つに至った。それからすれば、今の日本は工業的量産品ばかりが溢れ、しかも労働者は専門的仕事を身につけることもなく、パートや派遣で働き、時間をわずかな金に変えて量産の工場食品を食べる生活に浸る。それはほとんどラスキンやモリスが非難したイギリスの劣悪な労働者と変わらない。主にモリスと柳を採り上げて展覧会を開くのであれば、そういう問題をもっと深く掘り下げるべきであると思う。だが、それは日本の歴史や社会を見直すことにつながるから、今の日本では全く期待出来ない。
by uuuzen | 2008-12-29 10:26 | ●展覧会SOON評SO ON
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