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●『エア・シティ』
演は4年振りというチェ・ジウのTVドラマとあって、韓国では知らないが、日本ではそれなりに話題を呼んだ。



韓国で2007年春に放送が始まってすぐ、ネットに視聴率について話題が出た。確か1桁台とかで、前途多難な様子にたちまち失敗作かと思えたものだった。今までの韓国ドラマでさんざん使用されて来たインチョン空港を全面的に舞台にし、7億か8億円の作費を投入したにもかかわらず、低い視聴率であったのは、競合するドラマ(何だったかは知らない)に押されたからでもあるが、「エア・シティ」の言葉がいみじくも示すように、あまりに庶民からかけ離れた空中で住む人々の生活を描いたからではないだろうか。韓国ドラマにそうした設定はつきものであるし、TVドラマはそうした華やかさを売りにするので、これは欠点にはならないとしても、そうした人々と対照される一般庶民があまり登場しないとなると、やはり大多数の庶民は自分たちとは関係のない場所での絵空事と思う。このドラマもそこはよく考えて、空港を掃除するおばさんや荷台管理のおじさんを登場させ、しかも空港業務を底辺で支えるそうした人々と華やかな主役たちとが親しい関係にあるという設定にすることで、庶民感覚を盛っていたが、それは深読みすると、学歴のない人々は結局底辺の仕事しかないという現実をはっきりと示しているわけで、ここには韓国社会のある意味での絶望的な現代の過酷な身分社会が露になっている。今回のチェ・ジウが演ずる空港に勤務する独身女性ハン・ドギョン(韓国ではどうか知らないが、この語感はチェ・ジウに似合わない。)の役柄は、ただ大学を出てそのまま就職したという単純なものではない。妹がいたが、母が離婚し、その後父はフランスに住んで再婚、10歳になるドギョンを呼び寄せる。一方妹のハン・イギョンはアメリカに住んで、姉妹は20年間音信不通であったが、妹はパイロットになって飛行機を運転してインチョウ空港にやって来たところ、姉と再会するという設定だ。妹は姉がひとりでフランスで幸福になったと思い込んで姉を嫌っているが、ドラマはそのように姉妹のどろどろした関係として進むかと言えば、これが全く肩透かしで、ふたりは急速に仲直りをする。そういう筋立てにするのであれば、姉妹が別々に外国で育って高等教育を受けることが出来たという設定は不要であって、ここには前述のように空港の重要なポストに勤務する若い女性はそれなりの他人がまね出来ない才能や育ちがあるということを少々見せ過ぎというものだ。妹役の女性はチェ・ジウ以上に背が高くて、そのことにもびっくりしたが、実際インチョン空港に勤務するそうした人々の経歴や容姿はドラマに描かれるような国際的で華やかなものかもしれない。今回のドラマでチェ・ジウは6か国語を操ったそうだが、筆者が見た日本語吹き替え版ではそれが全くわからず、さらなる華やかさを理解することは出来なかったのが残念だ。だが、6か国語とは何だろう。ドラマの設定からして韓国語、中国語、英語、フランス語まではわかるが、後はわからない。
 筆者が見たのは9月から10月にかけてであったが、毎日放送の朝のドラマ番組で、たまに韓国ドラマをやるようだが、毎日の放送となると、つい見落とすことがあって、今回はようやく最初の回は逃したものの、後は全部見た。1週間に4回の放送があったと思うが、1か月少々で見終わったので、話の展開が早く、そのためにもやや物足りない感じが残った。また、民放の朝の時間帯であったせいか、コマーシャルがやたら多く、1話当たり正味35分程度ではなかったと思う。おそらく半分近くはカットされていたはずで、そのために話の展開が早く感じたのかどうか知らないが、スピーディなのはこのドラマの内容からしてかえってよかった。何しろ飛行場の話であるから、速度感がなくてはならない。その点で恋物語に力点を置くとしてもその比重は軽くなるし、空港特有のさまざまな事件を扱うことと相まってドラマの構成は複雑になるが、それはひょっとすれば続編を作ることが出来るようにと、最初から脹らみを持たせる必要があったからかもしれない。インチョン空港を借りての撮影となると、続編はなかなか無理であったと思うが、全16話では物足りなかった。毎回新たな事件が起きてはそれを解決して行くという設定であるから、本当ならば100回でも200回でも続けることは出来るが、そうした単発ドラマをいくつか合わせての全16回であるので、全体がどうしても散漫になる。つまり、いつ終わってもよい。実際16回も不要で、2時間程度の映画にすれば充分な内容であった。そのためか、最終回はかなり唐突な感じでドラマが締め括られるが、その終わり方はやむにやまれない設定でありながら、かえって続編が期待出来る印象を残した点においてドラマとしては成功を思わせた。連続ドラマの構成としてこのドラマは『乾パン先生とこんぺいとう』と似るが、そのように学生が卒業するという絶対条件を設けることの出来るものとは違って、空港業務という、終わりが決してない仕事場での話となると、主役は人間ではなく、空港であり、その業務であるという事実がドラマを規定し、結局このドラマのように起伏は空港につきもののいくつかの事件を羅列するということにならざるを得なかった。そしてそれは結果的にインチョン空港とそこに携わる人々の誇りとなるように効果があって、その意味においてこのドラマはインチョン空港、そして韓国の宣伝そのもので、そこに韓国ドラマのなかなかのしたたかさを見る。日本でも今ではそういうことが可能であろう。たとえば民営化しているJRや郵便が、自分たちの業務の宣伝のために全面的に場所などを協力して宣伝ドラマを作るということだ。単発ではそういうことはよくあるが、日本では韓国のようにTVドラマにあまり力が入っていないのか、役者不足なのか、そういう試みはない。また大きな問題は、JRや郵便は日本国内で充足している機関であって、企業内部のあれこれをドラマ化したところで喜ぶ人はいないということだろう。インチョン空港は「国際」という点で外国とつながっていて、それゆえ日本で放送されても違和感なく見られる。このドラマのほとんど最後のエピソードは少々わかりにくかったが、アメリカのとある空港がインチョン空港を利用するかどうかの下調べに来ることにまつわる話で、社長から任されたある男が自分の立場を利用して大金をつかむという策略が最終的には成就されず、ハン・ドギョンの業務説明が功を奏して社長と契約に漕ぎつける。ここにはインチョン空港のハブ空港としての意地がみえみえで、最も国策ドラマ的なエピソードであったと言ってよい。日本の空港を利用して同じようなドラマを作ったとして、さてそのような話を盛ることが出来るのかどうかを思うが、日本、韓国、中国のうち、どこの空港が国際的に最も飛行機の発着が多いかとなると、日本は最下位のはずで、しょせんこのドラマのような空港ものが作られようもない気がする。この場合、韓国ドラマが一種の国策ドラマと思われても仕方のないものを作るのはけしからんと言うには当たらない。経済戦争時代の昨今、何をどう表現しようが自由であるし、またそうした観点は大いに必要で、その点において日本は遅れを取っているに過ぎない。そのためにも、日本は観光をもっと国策で宣伝し、せいぜい各地を撮影場所に提供して映画やドラマを作るべきであって、日本にはいくらでもそういう資源があることを自覚する必要がある。その点において韓国はTVドラマという手段を使用して実にうまく戦略を繰り広げているが、そこには俳優の層もあるが、やはり国民一丸の意思の差が大きいだろう。
 その国民一丸の意思なるものが、韓国ドラマからだけ汲み取れるはずがないことはよくわかる。どんな国のどんな時代でも一丸からはみ出た人々はいるし、そうしたマイノリティにも重要な考えがあるから、韓国の一丸を垣間見る一方でそうしたものにも目を配る必要があるが、残念ながらそうしたマイノリティの考えはなかなか外国には伝わりにくい。韓国ドラマは概して韓国の負の部分には光を当てないし、また当てるにしてもそうした人々にも温かみがあるという毒抜きがされる。そのため、韓国ドラマから虚飾の部分を差し引く作業が求められるが、その虚飾さは喜劇の場合は風刺として活用され、そこに韓国人のしたたかさを見て筆者は楽しいが、このドラマのようにトレンディな若者が主役になる華やかな世界の人間模様となると、虚飾さこそが見所となって、そこが鼻につきやすい。前述したように、外国育ちで優秀な人材という設定がそれだ。そこを感じるからこそこのドラマが韓国では視聴率が低迷したのであろう。もちろん韓国にも日本にもそういう天上の生活をする者たちに憧れる人々や世代はあるから、一定の人気は獲得するが、何も韓国が作らなくてもいいではないかという見方も出来る。実際このドラマを見ていて、顔はアジアだが、内容はほとんどアメリカそのもので、その意味でも「国際的」であったが、ほとんどの韓国ドラマがその「国際的」を何らかの形で持ち込もうとするのは、おそらく韓国が真に国際的に力をつけたいと願っていることの表われで、そこにはきわめて素朴な形での国民の意識が見えている。本当に国際的になればわざわざそういう要素を持ち出す必要はない。その意味において韓国はまだローカル国なのだ。アメリカの景気後退によって韓国のウォンが急落し、そこにはローカル国そのものの経済の脆弱さが露呈している。そう思ってこのドラマを見れば、華やかな設定もまたいじらしいと言えるし、実際のところ筆者はドラマを見ながら俳優たちの本当の姿や生活、そして役どころとの落差をしきりに想像した。それが日本のドラマや映画の場合は、普段TVのヴァラエティ番組でよく見ている顔が全く違う役を演ずるため、韓国よりも非常に滑稽となって、そこにはかつてあった日本の映画俳優のオーラのかけらもない。TVに出演し過ぎると、人間がうすっぺらくなるのだ。タレントはTV専門、俳優は映画専門になるべし。韓国の場合は日本からすれば外国であり、向こうのヴァラエティ番組も知らないから、日本のような滑稽さはまだ免れているが、韓国人が見ればやはり日本の場合と同じことが生じているかもしれない。そういうことはなかなか日本にいてはわからないが、韓国でTVドラマがどのように受容されているのかもまた知りようがなく、たとえばチェ・ジウにしても今回男優の主役であったイ・ジョンジェもどのようなオーラがあるのかないのかも同じだ。韓国での評価はどうでもよく、日本で見て面白ければそれでよいとも言えるが、韓国の俳優がネットで中傷されて自殺するという事件がよく起こるところを見ると、やはり虚飾が多く、みんなの憧れも強いいわゆる日本で昔言った「スター」の世界なのだろう。学歴社会の韓国で、俳優が有名大学出でしかも美人美男の役者で性格もよさそうであれば、文句なく国民から受け入れられるのは想像に難くない。
 その点で言えば、主役が日本ではともかく、韓国ではさほどでもないチェ・ジウ、しかももう30歳になったのかどうか、若さの旬を過ぎたとなれば、ドラマの不人気も理解出来る。だが、面白かったのは、そういう大人のチェ・ジウを等身大で表現していたことだ。30歳にもなれば常識的に考えて何人かの男性と濃い恋の関係にもなったであろうし、チェ・ジウがそういう一般的な見方にそのまま沿った役を演じていた。簡単に言えば、「気に入った男と簡単に寝る」ということだが、それがいやらしさを感じさせないのがよかった。現実問題としてそれは誰しもそうであろうし、そうではないとしてもそういう憧れはある。そうした成熟した大人であればありがちなことをそのまま表現しているのは、むしろ爽やかでよかった。お互い目が合って魅力を感じているのであれば、結婚を前提にしなくても肉体関係を持つのはごく自然であろう。そういうドラマの描き方が儒教的観念とは相入れないのはわかるが、あえてそんな古風な、非現実的とも言える教訓臭を持ち出さないのがこのドラマの特徴であり冒険であって、韓国ドラマとしては一歩以上の前進ではなかったろうか。その意味において、チェ・ジウが主役を演じることの出来るぎりぎりのドラマで、今後主役の番が回って来るのかどうか、そんな心配もした。いくらでも若い俳優か湧いて来る韓国であるし、またトレンディ・ドラマはそうした人々のエネルギーで保つから、40に届くような年齢になれば、もう脇役に回るしかないであろうし、そういう時チェ・ジウに声がかかるのかどうか、そんな思いにもさせられるドラマであった。その点はイ・ジョンジェも同じで、今回は国際情報員としての役柄で、いわば007のジェームズ・ボンドみたいなものだが、アクション場面が多く、肉体的になかなか大変であったのではないだろうか。話が前後するが、このドラマは簡単に言えばインチョン空港内における管轄違いの鞘当て話にチェ・ジウとイ・ジョンジェの恋物語を交差させたもので、当然そこには両者に別の恋が存在して複雑に絡む。業務の管轄違いというのは、空港つきの警察と秘密警察で、空港で発生した事件がどちらがリードを取るかの問題と闘争がドラマを通じて何度も繰り返される。これは現実にそうなのかどうか、このドラマの最も興味深い設定として見所がある。また、国をまたにかけて活動する秘密警察の働き盛りとなると、そう簡単に恋に溺れて退職ということにはならず、そこは格好よく仕事に生きるという設定にするのは最初から見えており、チェ・ジウの恋が最終回でどう決着するからはほかに描きようもなかった。それにつれて描かれるのが、チェ・ジウだけではなく、同僚たちもまたハードな仕事の日々の中で結婚が遠のいているという設定で、そこに一般庶民はひとつの溜飲を下げる設定があるとも言える。華やかな仕事と生活ぶりのエリートに見えても、それは通常の人の幸福を犠牲にしたうえでのことという脚本にしなければ、なかなかこういう内容のドラマは現実のものとは思われなかった。その意味において、やはり韓国ドラマならではの庶民が共有出来る感覚を基本にしていると言えるが、背が高くて美人男前の格好いい人間ばかりではなく、けっこうユーモアの多い配役を用いてバランスをよく取っていたし、また格好いい設定のチェ・ジウやイ・ジョンジェにしてもそれ一辺倒ではない、もっとくだけた感じもあって、このドラマを後味のよい温かい印象のものに仕立て上げていた。また、それが韓国ドラマの大きな特徴にほかならない。機会があればノー・カットでもう一度最初から見てもいい気にさせた。ドギョンと幼馴染みの設定で登場するイ・ジヌクは今回初めて演技を見たが、日本で似たのがいたかなと思わせつつ、なかなかの好演で、ドラマをよく引き締めていた。他の脇役も同様で、たとえば『冬のソナタ』に出た顎の長いあの室長や、『真実』ではチェ・ジウの父親役であった人物が情報局長をするなど、何となく身内感覚が濃厚で、そこが庶民感覚的に作用してよかった。しかしネタ切れのためか、主要な登場人物を際立たせるためか、情報局長の過去の話から引き出してそのかつての愛人の息子がアメリカからやって来て事件を引き起こすというのは、かなり強引な設定で、いくらドラマとはいえ、そう次々ととんでもない事件がつごうよく起こるのは違和感の源だ。全16話にしてはエピソード満載で欲張り過ぎた。それもまた空中の、つまり架空の街での話であるから許されるのであろうが。
by uuuzen | 2008-11-19 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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