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●アルバム『ZAPPA\WAZOO』解説、その3
ジャケCDはプラ・ケースものより高価な感じがある。何よりかさばらないのがいい。また、プラ・ケースのように気をつけていてもいつの間にか表面に傷がつくということがない。



●アルバム『ZAPPA\WAZOO』解説、その3_d0053294_0154221.jpg

紙ジャケの替えは売っていないのが難点だが、そのことを最初から知っているので、扱いがていねいになり、そのていねいに扱おうという気持ちが高価感に結びつく。そして『GRAND\WAZOO』の場合、通販でしか入手出来ず、また実際高価でもあるから、なおさら高価感は増す。どうでもいいことを書いてしまったが、『GRAND\WAZOO』は中にブックレットが入っている。これが以前の2作の紙ジャケ通販ものより高価感がある。ブックレットは表紙込みで16ページある。小さな文字がびっしり埋まったページと、未発表のザッパ写真などがあって、充実した内容だ。表紙はザッパの正面顔だが。これは1971年秋の撮影で、ザッパ31歳だろう。それにしてはえらくおっさん臭い。ほとんど50歳に見えるが、それだけ若い頃からザッパは老成していた。でなければ20人編成のバンドを結成して各地をツアーして回ることなど出来ない。現在の31歳でこうした才能があるだろうか。それはいいとして、ブックレットの表紙写真は、上部にcircularの文字があって、その下に小さく、バーバンクにあるワーナー/リプリーズ発刊の週刊誌で、72年10月9日発売、第4巻40号である旨が書かれているから、当時の業界誌をそのままコピーしたものであろう。第4巻というのは、4年前から出ていたことを示すが、ロック時代になってこうしたニュース誌の需要が出たものであることがわかる。この『circular』誌がいつまで続いたのか知らないが、ザッパ特集号と言ってよいものであるだけに、資料的価値は大きく、それが今回このような縮小コピーの形で世に出たのは喜ばしい。内容はザッパが書いたものだが、雑誌としての著作権の問題をどうクリアしたのだろう。相手が因縁のあるワーナーであるからして、ザッパが生きていたならば掲載許可を願い出たとは考えられず、まず実現はしなかったに違いない。

●2002年8月8日(木)夜 その1
●アルバム『ZAPPA\WAZOO』解説、その3_d0053294_0151833.jpgさて、ここから夜だ。河原町に出て、中古レコード店でLP2枚を買い、市役所辺りの風景を写生し、妻と高島屋で落ち合って展覧会を観て来た。高島屋閉まったかやと思ったが、7時半まで営業で、時間はたっぷりあった。しかしさっさと5分で観た。8時頃、新京極の伏見人形を売る土産屋の前を通ると、客もいないので、中に入るといつものお姉さんがいたので、久し振りに話をした。このお姉さんについてはこの『本当の物語』の最初の方に何度か書いた。ちょくちょく伏見人形は売れているようだが、新しい入荷は秋になってからとのことだった。夏場は丹嘉では膠が腐りやすいこともあってあまり彩色はしないようで、秋に完成品が溜まるのだろう。さて、この日記の半分は伏見人形に関することを逐一書いて来たので、今日もその後の筆者の伏見人形との出合いについても書いておこう。あくびが出るぞと言いたいザッパ・ファンは、以下を読み飛ばすこと。書くことは多い。何から始めよう。春以降も毎月21日の弘法さんの市と25日の天神さんの縁日、それに毎月第1日曜日の東寺のガラクタ骨董市には必ず出かけている。5月の弘法市であったが、伏見人形をたくさん並べるある業者に負けろと交渉している時、背後で声をかける男性があった。落語家の桂枝雀に似た風貌で60くらいの人だ。「あの、お宅さん、郷土玩具に興味ありますか」「ええ、まあ」「郷土玩具がいっぱいあるところへこれから行くんですが一緒に来ませんか。この近くです」「平田さんのところですか」「いや、違います。喫茶店です」。平田さんというのは東寺東門バス停前の郷土玩具店のことで、このことについても以前の日記に書いた。急いで業者から1万円で何個かの人形を買い、その大袋片手にそのM氏について行くと、徒歩20分ほどだったろうか、70代の老夫婦が経営する小さな店Aに辿り着いた。店内はびっしりと郷土玩具がケースに収まっている。それでも入り切らずに箱に入ったままのものが奥にあるという。土人形が中心で、伏見人形以外にも全国のものが網羅されている。人のよさそうな店主夫婦とM氏は昔からの郷土玩具愛好家の仲間であった。万を越える数の玩具を見わたしながら、話に加わっていると、筆者が2、3度行ったことのある四条大宮近くの伏見人形を売っているあのMさんもこの店では馴染みであることがわかった。それはそうだろう。類は類を呼ぶだ。伏見人形に興味のある者同士はすぐに知り合いになって、顔や名前を知るらしい。ということは筆者も新参者として迎え入れられたわけか。弘法さんの市で偶然に筆者がM氏から声をかけられなければこの喫茶店の存在も知らなかったのだが、あちこち出歩くとこうした新たな出会いもある。自分の足で稼ぐ情報や人間関係とは正にこういうものだ。
 そのM氏の住所と電話番号を聞いて京都駅前で別れたが、後日電話があった。「明日、郷土玩具仲間数人が水無瀬の伏寓舎の奥村さんのところへ行ってお話を聴くのですが、大山さんもよければ来ませんか」「どのような年令層の人でしょう」「いやあ、みんな60以上です。コレクターばかりで、珍しい話もあると思います」。M氏は大山崎に住んでいて伏寓舎とは同じ地域と言ってもよい。この電話は7月9日にあった。ところがこの日の夜から台風の風が吹き始め、明け方は天気が悪かった。待ち合わせ場所である駅の改札口に着くと、M氏の他にはひとりしか来ていない。その人は伊丹市で児童書専門店を経営しており、郷土玩具にも興味があって多少は店で売っているという高齢の女性であった。10分ほど待っても約束の人々は現われない。仕方なしに3人で伏寓舎へ。ここへは妻とふたりで去年の12月だったか、今年1月だったかに一度訪れている。『本当の物語』を読み返せば正確な日がわかるが、調べるのが面倒臭い。前回に訪れた時には入れなかった2階の談話室に通された。館主の奥村氏は最近叙勲されたそうで、M氏がまずそのことについてお祝いの言葉を発した。2時間ほど滞在した。そして、この半年ほどでこちらの知識が増したため、展示される人形や玩具については前より遙かに見えるものがある。M氏が教えてくれたが、指先ほどの小さな土人形のひと固まりの群れのコーナーが今回は印象深かった。その土人形は天神や動物などを手びねりで作って焼き、簡単で鮮やかな彩色を施したものだが、吠える犬などは特に巧みで、よほどの造形力のある人が作ったことがわかる。その作者は戦後子どもたち相手に紙芝居だろうか、あるいは単に駄菓子を売るような行商だろうか、とにかくそうしたごく小さな商売をしていて、菓子を買ってくれた子どもに自作のその土人形をおまけとして与えていたらしい。そのために好事家が気に留めて収集しなければとっくの昔に塵となってこの世から消えているのだが、そこは何でもコレクションする人がある。それに面白い造形であるし、大人が見ても破顔するようなユーモアが横溢していて、強烈に訴えるものがある。ガラス越しに手に取ってみたい、そしてほしいと思った。M氏は作者名を言ってくれたが、記憶にない。それは話がより衝撃的な方に向かったからだ。四国か中国地方かに住んでいたその作者は、百貨店の屋上から飛び降りて命を断ったという。ああ、その心優しき男の胸にどのような絶望が巣食ったのだろう。あれほどの明るく無邪気な土人形を作った人がなぜ自殺する羽目に至ったのか。いや、むしろあれほどのユーモアと鋭い造形力があったからこそ、自殺というのもうなずける。ぎりぎりのところで自分の生活を支えていたのが、その子どもに無料同然に配る土人形であったのだろうが、その何らかのバランスが崩れたところで心は死へと傾いたのだろう。たかが子ども相手の消耗品に過ぎない土人形と言うなかれ。そこに全霊を打ち込む人もある。いつかM氏にもう一度この作者について詳しく聞いて自分でも調べてみよう。郷土玩具といえども芸術家としか呼べない才能がいることの証が、この京の干菓子のような完成度の高い造形性を持った土人形に如実に表われている。

by uuuzen | 2008-01-09 00:15 | 〇嵐山だより+ザッパ新譜
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